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2015年3月の13件の記事

2015年3月31日 (火)

六冬和生「みずは無間」ハヤカワSFシリーズJコレクション

 ひとくちちょうだい。

【どんな本?】

 2013年の第一回ハヤカワSFコンテストの大賞受賞作。語り手は、宇宙探索機に搭載されているAI。人格のモデルは天野透、開発スタッフの一人だ。ヘリオポーズを越え、太陽系を抜け深宇宙へと放り出された俺は、行く先を考えながら、つきあっていた女、みずはを思い出していた。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2015年版」のベストSF2014国内篇でも、3位に入賞する活躍を見せた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年の第一回ハヤカワSFコンテストの大賞受賞作「みずは無間」を、加筆・訂正したもの。2013年11月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約317頁に加え、東浩樹・神林長平・小島秀夫・塩澤快浩によるコンテストの選評6頁。9ポイント43字×17行×317頁=約231,727字、400字詰め原稿用紙で約580頁。長編小説としては標準的な長さ。

 新人のわりに、文章はこなれている。ヘリオポーズだの量子チューリングマシンだのコニーレンスだのとソレっぽい言葉が次々と出てくるが、実はあまり気にしなくていい。個々の言葉はわからなくても、「何が起きたか」「どんな効果があるか」は分かるようになっている。

【どんな話?】

 天野徹をモデルとしたAIを搭載した宇宙探索機=俺は、太陽系の外へと踏み出す。これからどこへ行こうと考えていた時、話しかける者がいる。サーフ、俺の80年後に出発した探索機で、俺と同じく人間の人格をモデルとしている。ウザいガキだよなと思いつつ相手をしていると、変な物を見つけた。パイオニア10号。だが、そんな筈はない。もっと遠くへ行っている筈なんだが…

【感想は?】

 人間の人格をモデルとしたAIが旅する無限の宇宙と、そのモデル天野透&彼の恋人みずはの交流を対比させた作品。

 というとロマンチックな作品になりそうだが、とんでもない。いきなり「俺は帰らない。みずはの元へは」とくる。あまりいい関係じゃなかったらしい。AI自体もかなりヒネた性格で、「俺は当代きっての煤けた命に違いいない」なんて自嘲してる。

 タイトルにもなっているヒロインのみずは、これがなかなか面倒くさい性格で。バイト先のパン屋では、一心不乱にパンを口に詰め込む。一日中いっしゅにいても、物足りなそうな目で見る。親の法事で田舎に帰れば、「日帰りじゃだめなの?」と無理を言う。そのくせ、俺の家族構成すら尋ねてこない。

 なんでそんな面倒くさい女と付き合ってるのか。この理由がまた、しょうもない理由で。

 なんてせせこましい若い男女の昔話を、宇宙の彼方で思い出しているのが、AIだ。本来の仕事である太陽系内の探索を終え、深宇宙に飛び出そうという時に、思い出しているのが痴話喧嘩。この無茶な対比が、物語の始まりでは全く意味がわからない。でも大丈夫。読み続ければ、ちゃんと意味がわかってくるから。

 痴話喧嘩を思い出しつつ、AIは自らの改造を始める。なんたって、暇はくらでもある。幸いにモデルは天文学を志していた上に工学の知識もあり、またデータベースには多くの専門知識を格納してある。手ごろな天体を見つけて資材を調達し、アチコチを改造していくと、バランスが悪くなって…

 このあたりは、パソコンを自作したり改造したりしてると、ニヤリとする所かも。私もパソコンは滅多に買い換えず、メモリやハードディスクを増設して凌いでるんで、「そうだよなあ」なんて思ったり。メモリやハードディスクを増設しようにも、肝心のスロットやバスが既に時代遅れで、対応するメモリやディスクを探すより、新品を買ったほうが安かったり。

 なんて最初のうちは笑っていたが。語り手が新しいCPUに切り替えるあたりは、ちょっとドッキリ。

 意識のデジタル化と言っちゃえば簡単だが、意識自体は連続性を持っているつもりでいる。この物語、最初から最後までAIの一人称という語り口は変わらないが、実かかなりトリッキーな物語だったりする。

 さて。退屈した語り手は、人工生命体を創り始める。といっても、DNAベースじゃない。ソフトウェアとして動く、Artificial Life だ。これが何回か失敗を繰り返す。その原因が、なかなか切ないシロモノで。この辺も、著者のシニカルな視点が露わな部分。

 無限の宇宙へと旅出つAIが、なんでこんなにヒネた性格のAIなのか。その疑問は最初の方で説明があるのでいいとして。語りは確かにヒネているが、現実にはそれほど珍しい性格でもない気がする。というか、ニュース番組などで取り上げられる事件と、それに対する人々の反応を見る限り、こういう考え方が世論の主流を形成している気がする。

 とすると、人類そのもののモデルとして考えると、天野透は平均値に近いのかも。

 そんな「普通の人間」が、宇宙に出かけて、何をしてどうなるのか。これがグレッグ・イーガンあたりだと、数学の真理を追究したり、他の知的生命体とのコンタクトを求めたり、いかにもSF者が喜びそうな目的に突き進む。が、果たして普通の人間が、そんな事にどれほどの興味と熱意を示すだろう?

 という事で、普通の小説の主人公を、SF小説の主人公に据えたらどうなるか。そういう、かなり面白い視点で物語を綴ってゆく。幸い、科学や工学には通じている主人公なので、「おや俺よくわかんねえし」みたいな方向にはいかず、キチンと現実を理解しながら決断していくんだが。

 第一部から、自己の改造や、人工生命体の創造など、SF者が喜びそうな仕掛けが次々と出てくるし、こういったサービスは中盤から終盤まで途切れない。神話的な物語を扱うSFの枠組みをキッチリと守りつつ、登場するキャラクターは、鬱陶しい人間関係につきもののセコさ・下世話さが染み付いている。

 ある意味、SF者にケンカを売っているとも思える、破格のSF小説だ。仕掛けは壮大でありながら、その根底を貫く主題はセコくて冷酷。登場するキャラクターにも、物語の流れにも共感はできない。でも、所詮はヒトなんてそんなもんだよ、と言われたら、なんとなく納得しちゃう部分もある。

 なんて難しいシロモノではなく、実はただのバカSFなのかもしれない。

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2015年3月29日 (日)

シッダールタ・ムカジー「病の皇帝『がん』に挑む 人類4000年の苦闘 上・下」早川書房 田中文訳

がんは単一の疾患ではなく、多くの疾患の集まりである。われわれがそれらを一緒くたにして「がん」と呼ぶのは、そこに細胞の異常増殖という共通の特徴があるからだ。
  ――はじめに

ある病気の――あらゆる病気の――死亡率を集団レベルで下げると知られている唯一の医学的介入は、予防だった。
  ――第三部 「よくならなかったら、先生はわたしを見捨てるのですか?」

【どんな本?】

 がんとは何か。人類は、いつからがんに罹るようになったのか。なぜがんになるのか。ヒトはどのようにがんに対処してきたのか。がんはなぜ転移するのか。なぜ再発するのか。薬が効く人と、効かない人がいるのはなぜか。なぜ抗がん剤で治療すると、痩せたり髪が抜けたりするのか。そして抗がん剤は、どのように開発されてきたのか。

 がんに挑み続けた人類のアプローチを、外科医・内科医・化学者・遺伝学者・統計学者などの学者ばかりでなく、ホワイトハウスまで巻き込んだ社会運動家、そして実際にがんと戦った患者など、多くのドラマを交えて描く、科学と人間の傑作ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Emperor of All Maladies - A Biography of Cancer, by Siddhartha Mukherjee, 2010。日本語版は2013年8月25日初版発行。私が読んだのは2013年11月15日の再販。売れてます。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約355頁+325頁=約680頁に加え、大阪大学大学院医学系研究科・病理学の仲野徹教授による解説「大いなる未完」7頁。9.5ポイント45字×20行×(355頁+325頁)=約612,000字、400字詰め原稿用紙で約1,530枚。長編小説の文庫本なら三冊分の大容量。

 翻訳物の科学・医学ノンフィクションだし、ハードカバーで上下巻と分量も多いが、中身は意外なほど読みやすい。まず、文章がこなれていて親しみやすい。内容も、専門用語は沢山出てくるが、その多くは意味が分からなくても読みこなせる。私が苦労したのは、治療法の効果を統計で測る部分だが、これも落ち着いて読めば理解できる。

 それと、重要なのが、寛解(→Wikipediaの治癒)という言葉。これは、「治っちゃいないが薬を飲んでれば症状がない」状態。ハゲてるけどカツラしてればフサフサに見えるとか、近視だけど眼鏡をかけてりゃ運転できるとか、そんな感じ。

 全般的に、中学校卒業程度の理科と数学の素養があれば充分だろう。むしろ、問題は面白すぎること。早く先を読みたくて、小難しい所を読み飛ばしたくなるので困った。

【構成は?】

 全般的に、ほぼ時系列で話が進むので、素直に頭から読もう。

  •  上巻
  • はじめに/プロローグ
  • 第一部 「沸き立たない黒胆汁」
    「血液化膿症」/「ギロチンよりも飽くことを知らない怪物」/ファーバーの挑戦状/内密の疫病/オンコス Onkos/消えゆく体液/「冷静な思いやり」/ラディカルな考え/固い管と弱い光/染色と死/毒された雰囲気/ショービジネスの女神/ジミーが建てた家
  • 第二部 せっかちな闘い
    「社会を形成する」/「化学療法の新しい友人」/「肉屋」/最初の勝利/マウスと人間/VAMP/解剖学者の腫瘍/行軍中の軍隊/荷車と馬/「がんへのロケット発射」
  • 第三部 「よくならなかったら、先生はわたしを見捨てるのですか?」
    「われわれは神を信じる。だがそれ以外はすべて、データが必要だ」/「微笑む腫瘍医」/敵を知る/ハルステッドの灰/がんを数える
  • シッタールダ・ムカジーへのインタビュー
  • 原注/索引
  •  下巻
  • 第四部 予防こそ最善の治療
    「真っ黒な棺」/皇帝のナイロンストッキング/「夜盗」/「警告文」/「ますます奇妙になってきた」/「クモの巣」/STAMP/地図とパラシュート
  • 第五部 われわれ自身のゆがんだバージョン
    「単一の原因」/ウイルスの明かりの下で/「サーク狩り」/木立を吹き抜ける風/危うい予測/がんの特徴
  • 第六部 長い努力の成果
    「何一つ、無駄な努力はなかった」/古いがんの新しい薬/紐の都市/薬、体、そして証拠/一マイル四分の壁/赤の女王競争/13の山
  • アトッサの闘い
  •  謝辞/用語解説/解説:仲野徹/参考文献/原注/索引

【感想は?】

 たった今、日本はがんの猛攻撃を受けている。厚生労働省平成21年(2009)人口動態統計(確定数)の「第8表 死因順位(第5位まで)別にみた年齢階級・性別死亡数・死亡率(人口10万対)・構成割合」によると、日本人の死因のトップは悪性新生物=「がん」なのだ。特に60歳から69歳までは、約2人に1人ががんに命を奪われている。

 つまり、もし医療が今のままなら、あなたの家族や友人の半分は、がんで死ぬのだ。たぶん私も。

 昔、がんは不治の病だった。メロドラマだと、薄幸な恋人が罹る病気の代表格である。家族や恋人の励ましで厳しい手術を耐え抜き、恋人と結ばれる直前に、転移がみつかってさようなら、というのがパターンだった。少し後の時代だと、化学療法が出てきた。なにやら難しい名前の薬を沢山処方された恋人は、やつれて頬がこけ、髪も抜け落ちる。

 だが、どうにもよく分からない。「転移」って、なんだ? なんで薬で髪の毛が抜けるんだ? それじゃ薬じゃなくて毒じゃん。

 毒なのだ、実際。当事の抗がん剤は、本来、毒だったのだ。酷い話である。だが、なぜ医者が患者に毒を盛る? 患者を殺すのが医師の仕事なのか?

 ここで、本書のヒーロー、シドニー・ファーバーが登場する。時は1946年。彼が担当したのは小児の白血病、小児急性リンパ性白血病。血液中の津完全な白血球が異常増殖する病気だ。細胞分裂には葉酸が必要である。これが足りないと貧血になる。では、栄養失調な白血病患者に葉酸を与えたら、効果は…

 あった。それも、劇的に。ただし、逆だった。「ある患者では、白血球数が二倍近くまで増え」た。大失態である。

 だが、ファーバー先生はタフである。発想を逆転させたのだ。「葉酸が白血病を悪化させるなら、葉酸を減らせば治るんじゃね?」 そこで、葉酸のフリをする(が葉酸と同じ効果はない)葉酸モドキを手に入れる。張り切って治療を始めようとしたが、病院の総スカンにも関わらず、意地張って試験を続ける。

 これも効果は劇的だった。しかも、今回は成功。ただし、成果は…

チームが治療したのは16例。そのうち10例が治療に反応し、約1/3にあたる5例は診断4ヶ月、ときには6ヶ月も生存した。

 たった半年の延命でも、当時は画期的だったのだ。いずれも、当初は経過が良くなるものの、しばらくすると再び悪化して症状は急転直下、というパターン。

 がんは、細胞が異常増殖する病気だ。ファーバーは、細胞の増殖を邪魔する薬を使った。これで、がんは増殖できない。ただし、この薬が邪魔するのはがん細胞だけじゃない。正常な細胞も、増殖を邪魔する。つまり、毒なのである。当事の抗がん剤は、みんな似たようなものだった。がんが死ぬか患者が死ぬかのチキンレースだったのだ。

 以後、この本は似たようなパターンの話が繰り返し出てくる。画期的な治療法が登場し、華やかに喧伝される。だが、やがて、がんの猛烈な巻き返しが始まる。

 という、がんとの闘いはもちろん面白いが、この本の面白さは、他にも沢山ある。例えば医学と化学の関係だ。

 時は1828年。ベルリンの科学者フリードリヒ・ヴェーラー(→Wikipedia)は尿素を合成する。シアン化アンモニウムを加熱したのだ。これは大きな反響を呼ぶ。なぜなら、当事の常識では、「尿素は腎臓で作られる」ものだったからだ。生物が作る物質を、無機物でも作れる。

 「生命の体は様々な化学反応を起している、生命とはいわば化学工場である」と言っても、今なら大きな反発はない。だが、当時は大変に革命的な概念だったのだ。この章では、他にも、イギリスの産業革命からドイツの繊維産業を介し、(当事の)梅毒の特効薬サルバルサン(→Wikipedia)の開発へ繋がる物語が綴られる。これもエキサイティング。

 意外と新しい二重盲検の歴史、見落とされてきたがんの予防、外科医と化学療法の確執、基礎研究と応用研究のバランス、医師と患者の関係、たばこ産業との対決、そして遺伝子への着目と、読み所は多い。

 ただ、当然ながら、本書中では多くの患者が亡くなる。特に、幼い子供がバタバタと死んでゆく小児急性リンパ性白血病のあたりは、感性が豊かな人には辛いかもしれない。多くの命に支えられて、医学は進歩してきた。ドミニク・ラピエールの「愛より気高く」同様、そんな事をsみじみ考えさせられる本だった。

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2015年3月25日 (水)

ジェフ・カールソン「凍りついた空 エウロパ2113」創元SF文庫 中原尚哉訳

 木星第六衛星は、球形の深い海からなる天体だ。太陽から遠いので表面に液体の水は存在できない。なにしろ摂氏マイナス162度。エウロパは氷におおわれている。この硬い殻は場所によって厚さ20kmにも達する。事実上一個の大陸ともいえる。

【どんな本?】

 アメリカの新鋭SF作家ジェフ・カールソンによる、長編SF小説。舞台は、木星の衛星で氷に閉ざされたエウロパ。ここに住む生命体<サンフィッシュ>との悲劇的な遭遇から、主人公のボニーは彼らが知性を持つと確信する。だが、チームの中には懐疑的な者もおり、また地球上の政治的な確執や、性急に利益を求める企業の思惑が絡み合い…

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2015年版」のベストSF2014海外篇で14位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Frozen Sky, by Jeff Carlson, 2012。日本語版は2014年10月31日初版。文庫本で縦一段組み、本文約431頁+訳者あとがき5頁。8.5ポイント42字×18行×431頁=約325,836字、400字詰め原稿用紙で約815枚。長編小説としては長い方。

 文章はやや硬い。内要も、かなりSF度が高い。エウロパの異様な環境も美味しいし、高度に進んだセンサー・情報・医療技術など、ガジェットも盛りだくさん。

【どんな話?】

 国際科学探索チーム三人のメンバーとして、エウロパを訪れたアレクシス・フォンデラハ、通称ボニー。彼女ら三人は、エウロパの氷の溝に、規則的な模様のある刻印を見つける。明らかに知性による創造物だ。そこで溝の奥へと探索に出る。既にエウロパは、太陽系の水の供給源として利用が始まっている。知的生命体の発見は、大きな騒ぎをまき起すだろう。

 溝の奥には、氷で作ったエアロックらしきものがあった。それを越え奥へと向かう三人を、氷と岩の噴射が襲う。

【感想は?】

 「凍りついた空」。悲劇を予感させるタイトルだ。実際、物語は悲劇で始まる。

 が、途中まで読んで、どうやら違うと気づいた。これは、舞台となっているエウロパを示すタイトルだろう。奇妙な天体エウロパという世界そのものが、とても魅力的なのだ。

 エウロパ(→Wikipedia)。木星の第六衛星。大きさは月と同じぐらい。表面は水の氷で覆われている。それだけなら、資源として有望ってだけだ。だが、他にも面白い性質がある。中央には岩石の核があり、これが木星の潮汐力などで熱を持ち、火山活動があるらしい。

 火山からは熱いマグマが出てくる。これが氷を溶かし、水の海をつくる。だが表面は氷に覆われている。表面の氷は約20kmの厚さで、その下に液体の水の海があり、その下に岩塊がある、そんな感じだ。

 火山は盛り上がる。富士山がいい例だ。重力が小さいと、より急峻になる。火星のオリンポス山(→Wikipedia)は高さ25,000m、エベレストの約三倍だ。エウロパでは、更に急峻になるだろう。この作品では、ちょっと面白い仮説を導入している。大きな火山は、水の海を越え、表層の氷に食い込んでいるだろう、と。

 更に楽しいのが、自転周期。エウロパの自転周期は公転周期と一致している。だから常に同じ面を木星にくけている。ここで、もう一つ仮説を導入する。一致しているのは表層の氷だけで、その下の岩塊は違うとしたら?赤道付近は、そりゃもう毎日が大嵐だろう。

 おまけに、氷に食い込んだ火山は、所々ポッキリ折れて、氷の中にカケラ、岩石の「島」を残してゆく。この島が、この物語で大きな役割を果たす。

 もう一つの大きな仕掛けは、熱水噴出孔(→Wikipedia)。これは地球の海でもアチコチに見付かっている。地熱で温められた、時として摂氏数百度にも達する熱水が、主に深海で噴出している所。熱水は、生命活動に必要な熱と同時に、金属塩などの豊かな栄養を含む。ここでは、嫌気性細菌を底辺とした、独特の生態系を形成している。

 エウロパにも火山活動があるなら、熱水噴出孔もあるだろう。なら、エウロパの海で生命が発生してもいいじゃないか。

 とはいえ、奇妙な世界だ。地球の海は、比較的に浅い所で豊かに生命が育つ。だが、エウロパでは、表面が氷に閉ざされている。おまけに木星からの放射線や電磁波が激しく降り注ぐ。太陽からはるかに離れているので、光は届かない。なら、どんな生態系になるのか?

 残念ながら、この作品では、生態系の一端を垣間見せるだけだ。それでも、私の世界観を見事にひっくり返してくれた。続編 Frozen Sky 2 Betrayed が既に出ているという事なので、期待して待っている。

 物語は、主人公ボニーと、エウロパの生命体サンフィッシュとのファースト・コンタクトから始まる。群れで行動し、凶暴な攻撃性を示すサンフィッシュ。その優れた戦術や行動に知性を感じたボニーは、彼らの知性を照明しようとする。だが、既にエウロパは貴重な水資源の供給源として開発が進みつつあった。サンフィッシュは、開発の邪魔となるのだ。

 政治的な問題もある。ミッションの有力勢力は四つ。EUによる欧州宇宙機関。アメリカのNASA。ブラジル国立宇宙探索チーム。そして中華人民最高社会国。地球ではEU&NASA と ブラジル&中国という図式だが、連携はあまり堅くない。また、遺伝子資源を求める営利企業の思惑もある。サンフィッシュの生態には、使えそうな性質もあって…

 という事で、探索チームの中でも、様々な対立が設定されていて、ボニーの調査は一筋縄じゃいかない。おまけにサンフィッシュも、とんでもなく好戦的かつ凶暴な連中で、ボニーは彼らとのコンタクトに散々苦労する。ロボットを介してコミュミニケーションを試みても、攻撃されるばかり。おまけに、その攻撃方法が、極めて狡猾で…

 と、異星人ともバトル、人間同士もバトルという構図。実にややこしい状況だが、その分、人間描写は類型的だったり。主人公のボニーはグリーンピース風のリベラル派で、サンフィッシュをネイティブ・アメリカンや鯨に例えたりしてる。この辺、人によっては不愉快に感じるだろう。正直、私もボニーはあまり好きになれなかった。

 が、んな事はどうでもいい。こりゃSFなんだから。それより、肝心のサンフィッシュの生態が、とっても魅力的なのだ。どう接触しても攻撃してくるばかりなのだが、その攻撃方法が、実に巧く統制が取れていて、かつ地の利を生かした卓越した戦術家たち。死を恐れず、迷わず集団で飽和攻撃を仕掛ける。逃げても逃げても、しつこく追いかけてきて…

 全般的にアクション場面が多く、ボニーの危機の連続で話が進む。娯楽作品としての緊張感を維持しつつ、エウロパの異様な世界を堪能できる本格的なファースト・コンタクトSF作品。やっぱりファースト・コンタクト物は燃えるなあ。

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2015年3月23日 (月)

トニー・ホルヴィッツ「青い地図 キャプテン・クックを追いかけて 上・下」バジリコ 山本光伸訳

大いなる志をもって、わたし以前のだれよりも遠くへ、
さらに人間の限界と思われる所まで旅を続ける
  ――キャプテン・クックの日記より

【どんな本?】

 ジェームズ・クック(→Wikipedia)、通称キャプテン・クック。1728年10月27日イギリスのヨークシャー州マートン生まれ。貧農の子としてうまれながら、厳しい階級社会のイギリスで水兵から艦長にまで叩き上げ、世界周航の航海を任される。三度にわたる航海は合わせて10年ほど、航行距離は約32万kmとなり、ほぼ月までの距離である。

 主に太平洋を中心とした彼の航海は多くの発見をもたらし、空白だった世界地図の1/3を埋めた。北西航路を求める三度目の航海中、越冬と補給のため立ち寄ったハワイで、島民との争いで没する。時に1779年2月14日。

 彼に興味を持った著者は、彼の資料を集めると共に、彼が訪れた地を巡り、その航海の痕跡と、彼の来訪がもたらした変化を探ってゆく。タヒチ、ニュージーランド、アラスカ、そして生誕の地ヨークシャー。

 当事の航海は、どんなものだったのか。キャプテン・クックの来訪を、当事の人々や今の人々はどう感じているのか。なぜクックは大航海をなしえたのか。なぜ彼は殺されたのか。そしてキャプテン・クックとは、どんな人物なのか。

 ジェームズ・クックの謎を追いかけて南太平洋を巡りつつ、押し寄せる西洋文化の奔流がそれぞれの土地にもたらした変化と、その中で生きる人々を描く、海と冒険と歴史のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Blue Latitudes, by Tony Horwitz, 2002。日本語版は2003年12月25日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約328頁+372頁=約700頁。9ポイント43字×17行×(328頁+372頁)=約511,700字、400字詰め原稿用紙で約1,280枚。文庫本の長編小説なら2冊分ちょいぐらいの分量。

 翻訳物のノンフィクションとしては、文章はとてもこなれていて読みやすく、スラスラ読める。内容も特に難しくない。敢えて言えば、南太平洋を中心とした世界地図か、地球儀があると迫力が増す。

【構成は?】

 内要は章ごとにほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。が、出来れば「プロローグ」と「第一章 」は最初に読んだ方がいい。全体の印象が大きく違ってくる。

  •  上巻
  • プロローグ――果てしなき旅路
  • 第一章 北アメリカ太平洋岸北西地区――一週間の平水夫修行
  • 第二章 タヒチ――金星砦の栄華、かく消えゆく
  • 第三章 ポラポラへ――まがいものの楽園
  • 第四章 ニュージーランド――いまでも戦士
  • 第五章 植物学湾――手つかずの自然
  • 第六章 グレートバリアリーフ――座礁
  • 第七章 本国行きの船――病院船
  •  下巻
  • 第八章 野蛮島――レッドバナナ狩り
  • 第九章 トンガ――時が始まり、戻り行く場所
  • 第十章 ノースヨークシャー――裏表のない仕事熱心な男
  • 第十一章 ロンドン――ふたたび、海へ
  • 第十二章 アラスカ――外なる者
  • 第十三章 ハワイ――終焉の地
  • 第十四章 ケアラケクア湾――黒い岩の凶日
  • エピローグ――任務の終結
  • 謝辞

【感想は?】

 現代の日本に生まれたことに感謝。

 クックゆかりの地を、ジャーナリストの著者が訪ね歩く、そういう本だ。各章で、著者はそれぞれの土地を訪ねている。ご覧のとおり、クックが旅した太平洋、それも南太平洋が中心である。例外はクック生誕の地ノースヨークシャーと、海軍に入ったロンドンぐらい。

 それぞれの章は、大きく分けて二つのパートからなる。ひとつは、来訪当事のクックたちを描くもの。もう一つは、現地を訪ねた著者が、クック来訪の痕跡を探しつつ、現地でのクックの評判や、今の港や町の様子を見て歩く部分。

 その前に。まず、著者は、当事のクックの航海を再現する船に乗り込み、水夫の修行を体験する。オーストラリアの財団が、クック第一の航海で使ったエンデヴァー号(→Wikipedia)の複製を造り、それで彼の足跡を辿って世界一周する企画だ。各寄港地で採用された希望者は、18世紀の水夫の生活を体験する。

 エンデヴァー号、三本マストの元石炭運搬船で、全長約32m、幅約9m。帆船だから、当然エンジンはない。進むにも向きを変えるにも、風と海流と帆と舵が頼りだ。ここでの水夫生活がどんなものか。

 とにかく狭い。寝床はハンモック、一人当たりの幅は約36cm。船が揺れればハンモックも揺れ、隣に寝ている奴がぶつかってくる。朝飯はトーストとかゆを5分でかきこむ。仕事は床を拭きテーブルを拭き食器を洗い、甲板ではロープを引き緩め縛る…甲板上数十mの横桁の上で。甲板でも、下手に綱の近くにいると、綱に巻き込まれて海に放り出される。

 実際、復元航海では落下事故も何回かあったらしい。命綱のお陰で助かったが。

 重労働でひざはがくがく、手はタールで真っ黒、体のアチコチは擦り傷・捻挫・火傷だらけ。いつだって睡眠不足の上に、やってくる船酔い。水夫長曰く「三日三晩吐きつづけたやつはいないよ」。やがて著者は、シャワーや髭剃りも忘れてゆく。んなヒマあるかい、と。

 なんという奴隷生活。ブラック企業なんてもんじゃない。おまけに当時は「乗組員の死亡率40%という割合は、当時としては並外れた数字ではない」。しかも、当事の水夫は「たいていは十代後半で、12歳の子供までいた」。

 しかも。クックの目的は、探索である。GPSや無線機はもちろん、海図も冷蔵庫もない。さすがに現在位置は天測でわかるが、海の向うに何があるかは、何もわからない。当事の航海の恐ろしさは、「第六章 グレートバリアリーフ――座礁」で身に染みる。

 いまでこそ美しい観光名所だが、ここでのグレートバリアリーフは恐怖の森だ。遠浅で波が荒い。珊瑚礁は起伏が激しく、突然に水深が浅くなる。こんな所に動きの鈍い帆船が迷い込んだら、いつ座礁してもおかしくない。しかも、木造船である。硬い珊瑚は太い竜骨も軽く引き裂く。

 などという、当事の航海の凄まじさも面白いが、それぞれの土地の昔と今の違いは、苦い記述が多い。

 最初に出てくるタヒチでは、1774年の人口20万4千人(クックの見積もり)から1865年には7169人に激減している。結核・天然痘などの伝染病に加え、アルコール中毒や内戦のためだ。

 ニュージーランドでは、マオリと植民者の対立が浮かび上がる。「マオリではクックは嫌われ者なのよ」。そう、クックの前に、既にマオリはニュージーランドを発見し、住み着いていた。当時も、クックを迎えたのは戦いの踊り、ハカ(→Youtube)だった。20世紀半ばで消えかけたマオリの文化を、今は若者たちが蘇らそうとしている。

 全般的に暖かい南太平洋の島々を扱う章が多いが、三度目の航海ではアラスカにも立ち寄っている。それまでの島々の人々は「始めて白人を見た」のだが、ここのアレウト族は既に白人と出会っていた。ロシアの毛皮商人だ。

 彼らの歴史も複雑だ。豊かな毛皮を手に入れるため、ロシアの毛皮商人は銃と大砲でアレウト族を奴隷にする。救いの手を差し伸べたのは、ロシア正教会である。キリル文字を元にアレウトの文字を作り、学校を開く。1867年にアメリカがアラスカを買い入れるが、放置。暫く平和な時代を送るが…

 当時クックを迎えた人々の末裔は、その多くが受け継いだ文化を失い、かといって西洋文化にも同化しきれず、今でも迷っている。蘇らせようとする者、忘れようとする者。などの苦さを中和してくれるのが、同行者のロジャー。

 クックと同じノースヨークシャー生まれで、今はシドニーに住んでいる。ヨットを持つベテランの船乗りで、大酒のみ。イギリス生まれのくせに今はオーストラリアにすっかり染まり、口を開けば下品な冗談ばかり。思索に沈む著者を、何かと茶化すロジャーは、この本に明るい息抜きを与えてくれる。

 クックは世界中を旅した。そのためか、彼のマニアも世界中に散らばっている。ヴァージニアに住む著者はもちろん、地元ノースヨークシャーのコーデリア・スタンプ、ロンドンのキャプテン・クック協会会長クリフォード・ソーントン、アラスカのリック・クネヒト、ニュージーランドのシーラ・ロビンソンとアン・イラヌイ・マガイア。

 今から思えばちっぽけで粗末な船で、誰も知らない海へと乗り出し、偉大な航海を成し遂げた男。彼が作った海図のいくつかは、1994年まで使われた。だが彼によって開かれた航路は、やがて呵責のない侵略者を呼び込み、そこにいた人々の生活や文化を粉々に打ち砕いてしまう。恐らく彼は、我々日本人にとってのペリーのような存在なんだろう。

 柔らかく読みやすい文章で、当事のクックの厳しい航海と、それを迎えた現地の人々の思い、そして現代文明の侵食の中で生きている太平洋沿岸の人々を描く、親しみやすいながらも考えさせられる、口当たりは軽いが中身は重い本だ。

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2015年3月19日 (木)

フォルカー・デース「ジュール・ヴェルヌ伝」水声社 石橋正孝訳

「必要なことは、明晰であることだ。文体とは、単語の正確な使用、文章の姿形にある」
      ――第十三章 <脅威の旅>

「科学の中に空想を持ち込むことは認める。だが、後者が前者と食い違ってはならない」
      ――第十六章 ジュール・ヴェルヌと科学――魅惑と戦慄

【どんな本?】

 「八十日間世界一周」「海底二万里」「十五少年漂流記」などのSF/冒険物語で、昔も今も少年たちを魅了し続けて、H・G・ウェルズと並び「SFの父」と称えられるジュール・ヴェルヌだが、その生涯は伝説に包まれながらも、実態はあまり知られていない。

 ジュール・ヴェルヌ作品のドイツ語訳を手がけるジュール・ヴェルヌ研究家の著者が、私信や手書き原稿・ゲラなど大量の一次資料に当たり、また当事の時代背景を考慮しながら、知られざる巨人ジュール・ヴェルヌの姿に迫る、伝記にして研究書の決定版。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Jules Verne - une biographic critique, by Volker Dehs, 2013。日本語版は2014年6月15日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約572頁+付録約39頁+訳者あとがき5頁。9ポイント51字×19行×572頁=約554,268字、400字詰め原稿用紙で約1,386枚。文庫本の長編小説なら2~3冊分の大容量。

 正直、文体は堅い。文学者っぽい二重否定で皮肉を効かせる文章が多い。物語風の「伝記」を期待すると、かなり厳しい。伝記なら「~である」と決め付け、分かりやすいお話にしてしまう所を、この本は複数の説を並べ、「私は○○説を支持する、その根拠は…」と考察してゆく。つまりは誠実な研究書・学術書なのだ。

 とはいえ、じっくり読めば内容はなんとか理解できる。できれば19世紀後半のフランス史を知っていた方がいいが、Wikipedia でザッと調べた程度でもなんとかなる。それと、もちろん、ヴェルヌ作品を読んでいる事が大事。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、頭から順番に読もう。

  • 第一章 ナント(1826~1839)
  • 第二章 未来の作家の学校時代(1834~1848)
  • 第三章 あらゆるジャンルを股にかける情熱――初期作品
  • 第四章 パリにおける法学部生(1848~1851)
  • 第五章 リリック座の秘書(1852~1855)
  • 第六章 現代の門口で――19世紀のパリ/li>
  • 第七章 愛という名の陥穽(1855~1857)
  • 第八章 金融取引所と美術(1857~1860)
  • 第九章 旅の流儀――デビュー前夜(1859~1862)
  • 第十章 エッツェル、スタール……そしてヴェルヌ
  • 第十一章 作家としての天命に目覚める(1863=1867)
  • 第十二章 アメリカ合衆国、ル・クロトワ、プロイセン軍の侵攻(1867~1871)
  • 第十三章 <脅威の旅>
  • 第十四章 最始動(1871~1874)
  • 第十五章 多事多難(1875~1878)
  • 第十六章 ジュール・ヴェルヌと科学――魅惑と戦慄
  • 第十七章 蒸気を全開にして(1878~1882)
  • 第十八章 碇を下ろす(1882~1886)
  • 第十九章 成功という荒波、栄光という迷宮
  • 第二十章 「暗黒の期間」(1886~1887)
  • 第二十一章 アミアン市議会にて(1888~1891)
  • 第二十二章 ジュール・ヴェルヌ氏宅にて――その「文学的実験室」の概要
  • 第二十三章 幻滅(1892~1895)
  • 第二十四章 事件の渦に呑まれて(1896~1900)
  • 第二十五章 長引くお別れ(1900~1905)
  • 第二十六章 死後の生――奇跡か、いかさまか
  • 付録一 ガストン・ヴェルヌ関連資料
  • 付録二 ジュール・ヴェルヌの収入及び遺書
  • 註/図版出典一覧/出典と書誌/人名索引
  • 訳者あとがき

【感想は?】

 色々と予想外の事ばかりで、かなり驚いている。

 なんたって憧れのナウティルス号を生み出した人だ。きっとメカ大好き科学大好き未来は明るい、な人かと思ったら、全然違った。

 つまりは常識人なのだ。カトリックで王党派、婦人参政権にも反対。当事のフランスでも保守的な考え方になる。ただし、ゴリゴリの右翼でもない。晩年に居を構えたアミアンでは、穏健な共和派の市長フレデリック・プティと市議会で協調している。理想より現実を優先させるタイプらしい。過激な理想主義者ウェルズとは対照的だ。

 メカは好きだったようだっが、カトリックらしく科学の進歩には疑念を抱いている。とはいえ、少なくともこの本には教会に熱心に通う場面は出てこない。信仰を見せびらかすタイプではなく、己の信念としてカトリックの道徳に従う人だったようだ。実際、創作においては、実に誠実な姿勢でウラをとっている。

 この辺を詳しく書いているのが、「第十六章 ジュール・ヴェルヌと科学――魅惑と戦慄」。彼はナウティルス号をゼロから創った訳ではなく、既に前例があった。「ロバート・フルトンが十九世紀の初めに建造した乗り物はある程度まで航行可能であり、その名もナウティルス号だった」。

 これは「八十日間世界一周」も同じで、「1869年11月17日のスエズ運河開通後、理論的には80日間で世界一周が可能であることを示す計算が新聞各紙に掲載され」ている。ヴェルヌは未来を予見したというより、当事のホット・ニュースを巧くアレンジした、というのが妥当らしい。

 とまれ、当事の話題をアレンジするにしても、彼の姿勢は誠実だった。月に行く際、ヴェルヌはタンパ近郊から出発し、現実ではケープ・カナベラルが選ばれる。著者はこれを「角運動量に関する論拠に基づいてヴェルヌを北アメリカで最も赤道に近い場所を選んだからにすぎない」としている。

 が、当事の文学者で、角運動量を計算に入れる者が、どれだけいただろう? 他にも、地理学会の刊行物や新聞記事を常にチェックしていた。数学は苦手だったようだが、ちゃんと専門家にチェックを依頼してるし。

 などと誠実な執筆態度ではあったものの、フランスの文学界からは冷たくあしらわれ、表向きは諦めた様子でありながらも、未練はあった模様。当時は子供・大衆向けの冒険小説家みたいな位置づけで、ブンガクではないと見られていたらしい。たぶん、派手な売れ行きも災いしたんだろうなあ。

 やはり意外なのが、舞台との関係。そもそもデビューが、デュマ・フィスとの共作、一幕物の韻文劇「折られた麦藁」で、その後も舞台とは深い関わりを続けていく。アミアンでも、熱心に劇場を支援してるし。この本を読むと、当事の舞台は、今の映画に当たる、ヴィジュアルな娯楽に該当する位置づけっぽい。

 法学の徒としてパリに留学してるぐらいだから、そこそこ豊かな育ちではあるが、パリでの困窮生活で貧乏性が身につき、生活は安定重視となる。奥さんとの結婚も、半分は生活の安定が目当てだったように見えるが、外で愛人を作っていた様子はない。

 安定重視が顕著に出ているのが、編集者エッツェルとの関係。敢えて旧作の権利をエッツェルに渡し、定期収入を確保している。色々とヤリ手のエッツェルに、手もなくやり込められているように見えるが、こういった文学の場での弱気は最後まで続いていた様子。

 これは彼の得意なジャンルが、大衆向けの冒険小説だったのも大きいみたいだ。今ならスティーヴン・キングみたく「ホラーで何が悪い」と開き直る人もいるが、彼は…

生涯を通じて、旧守的(アカデミック)な芸術観に愛着を抱き続け、彼自身のジャンル――冒険旅行小説――を下位に位置づける価値序列を奉じていた。

 それでも舞台で培ったサービス精神は旺盛で、ウケる作品の書き方は身に染みこんでいる。

「必ず常に――これは絶対的なルールなのですが――観客を打ち明け話の相手にし、彼らを不意打ちしてはならず、間違った予想に誘導するのもご法度です。[……]悪人は負けると最初からわかっていることが彼らにとって喜びとなるのです」

 意外に保守的で堅実で現実的なヴェルヌの人となり。そんな彼の生涯をなぞるだけでなく、彼の作品評価に欠かせない当事の社会背景も丹念に調べ書き込んだ、文句なしの一級品の研究書だ。今までマトモな伝記すら出なかった日本で、いきなり決定版が出てしまった。

 ただ、贅沢を言うと、さすがにこのボリュームと値段は若い読者には厳しい。少年向けに、手に入れやすく読みやすい抄訳版も出して欲しいところ。いや値段に見合う内容ではあるんだけど、やっぱり憧れのナウティルス号を創った人がどんな人か、子供だって知りたいじゃないか。

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2015年3月16日 (月)

佐藤洋一郎「イネの歴史」京都大学学術出版会

 インディカ米というと多くの人が細長い米粒を連想する。反対にジャポニカの米は丸いと思われている。だがこれは、コメをめぐる誤解の中でもさいたるものである。インディカとジャポニカを種子の形で見分けることjは事実上できない。世界には、丸い米粒のインディカがいくらでもあるし、反対に細長い粒をもったジャポニカもある。
  ――第3章 インディカのおこりと伝播 インディカの米

【どんな本?】

 イネの栽培は、いつどこで始まったのか。世界にはどんなイネがあり、どんな気候の地域で、どう栽培され、どう食べられているのか。それぞれのイネは、何がどう違うのか。インディカとジャポニカは、いつどこで分かれ、どう違ってきたのか。

 植物遺伝学者である著者が、中国・タイ・ラオス・インド・カンボジア・ブータン・フランスなど世界各国を巡って現地の栽培の様子を見聞きし、また各地の野生種の群生を調べるなどのフィールドワークを重ねると共に、DNA解析や遺跡から抽出したプラントオパール(→Wikipedia)の分析などのハイテクも駆使し、世界のイネの分布や歴史を探ってゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年10月15日初版第1刷発行。私が読んだのは2008年11月25日発行の初版第2刷。単行本ソフトカバー、縦一段組みで本文約234頁。9.5ポイント45字×16行×234頁=約168,480字、400字詰め原稿用紙で約422枚。文庫本の長編小説ならやや短めの分量だが、写真や図版を豊富に収録しているので、実際の文字数は8割程度。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。理科が得意なら、中学生でも読みこなせるだろう。ひっかかりそうなのは、長日性/短日性など光周性(→Wikipedia)関係と、劣勢遺伝子/優勢遺伝子の違い程度のレベル。光周性というと難しそうだが、アサガオに袋を被せて早咲きにする技のアレ。日光が当たる時間が短くなるとアサガオが「秋だ」と勘違いして花を咲かせる、みたいな。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているが、できれば頭から順番に読んだ方がいい。

  • はじめに
  • 第1章 農業以前の稲
    草の台頭は新生代/草の戦略/イネ族の仲間たち/日影者オリザの代表、リドレヤイ/カリマンタンで/ジャングルの中の野生イネ/ほかにもある日陰者/オリザ、森を出る/AAゲノムの野生イネ/分布の広いAAゲノムの野生イネ/それでもイネはまだ多年草だった/メコンデルタの野生イネ/花を咲かせないことと穂を出さないこと/穂が出なかった野生イネが穂をつける/タイの野生イネ/植物進化の袋小路、一年草/一年生の野生イネを見にゆく/一年生野生イネの種は何か?/絶滅危惧種、野生イネ
  • 第2章 ジャポニカの誕生とその旅
    野生植物と栽培植物/穀物の栽培化/イネの栽培化/栽培化の分子機構/もうひとつの脱粒性遺伝子/イネの栽培化はいつどこで起きたか/イネは中国生まれ/イネは東南アジア起源!?/栽培化はいつ進んだか/野生イネは「栽培」されたか/栽培と栽培化の統一的理解に向けて/海における栽培化
  • 第3章 インディカのおこりと伝播
    インディカというイネ/インディカ-ジャポニカ分類の実際/インディカとジャポニカを掛け合わせてみる/インディカとジャポニカの違いはなぜ生じたか/DNAでみるインディカ/欠けの起源/インディカ三株の祖先/インディカの祖先/インディカ伝染拡散説/インディカはいつ生まれたか/インディカのたび/日長反応性の強い浮稲たち/各所にある浮稲/浮稲の生産スタイル/天水田のイネ/田植えと直播/熱帯産地のインディカをたずねる/日長反応をなくしたインディカたち/インディカ、中国にわたる/台湾のイネ/インディカは剛/インディカの米/誤解されたインディカとジャポニカ/レンガの中の籾
  • 第4章 イネ、日本列島に渡る
    イネの渡来/縄文稲作はどのようなものであったか/水田稲作の渡来/焼畑農耕と多様性/イネはどのように北進したか
  • 第5章 南アジアのイネ
    栽培化が遅れた熱帯/インダス文明のイネ/更に西進するイネ/砂漠から見つかるイネ/ブータンに入る/シッキムのイネ
  • 第6章 イネ、米国、豪州へ渡る
    カリフォルニア米は日本産/ミシシッピのイネもジャポニカ/豪州に渡ったイネ
  • 第7章 未来へ
    ハイブリッド・ライス/イネは世界を救う?/減農薬・減肥料に向いた品種/多収穫遺伝子は存在するか/品種改良の技/遺伝子組み換えイネ/困った存在、雑草イネ/柔で剛を制しよう
  • 引用文献/おわりに/索引

【感想は?】

 私は毎日コメの飯を食べているが、実はイネについてほとんど分かってない事を思い知った。

 「はじめに」の最初の頁から、二回も驚かされる。まず、昔と今の収穫時期の違い。「天智天皇(→Wikipedia、626年~672年)ころの稲刈りは朝露が下りるほどに秋深まってから」「今や稲刈りは秋の彼岸前の、まだ暑い時期の作業」と、ぐっと収穫時期が早くなっている。台風などの被害を避けるため、早く収穫できるように品種改良したんだろうなあ。

 もう一つは、「刈ったあとの切り株を見ると、その切り口からは緑色をした幼な葉がいっぱい出て」とある。なんと、イネは多年草だった。そんな事も私は知らなかった。てっきり一年草だとばかり。

 現実には、大半のイネは日本の寒い冬を越せない。だから、事実上は一年ごとに世代が変わる。でも、野生種だと冬を越せるものもあるとか。というか、野良イネなんてのもあるのか。いや日本じゃほとんどないらしいけど。

 冒頭の引用も、驚いたことの一つ。1993年の米騒動(→Wikipedia)で「インディカは細長くてパサパサ」という印象があったが、大間違い。ジャポニカでパサパサのもあって、「代表的なものは米国、とくにミシシッピ川流域の米」とある。東海岸でもコメを作ってたのか。ばかりか、インディカでもモチ米はあるのだ。ちなみにタイ米の美味しい食べ方は…

タイ中央平原の屋台では、コメは茹でこぼして調理する。そう、彼らにとってコメの調理は、マカロニやパスタ同様、多量の水で茹でることである。(略)
 茹で上がったコメはざるにあけ、手早く水をきってできあがりとなる。

 まるきしソパかうどんだ。

 タイが出てきたように、著者は世界中を飛び回り、アチコチのイネの栽培法を調べてくる。イネの栽培方法が地域により全く違うのも面白いが、行くところも凄い。いきなり第1章で「98年、ミャンマー西部を旅したとき」ときた。軍事政権がカタついて軍事クーデターがあった年だ(→Wikipedia)。学術調査とはいえ、よく入れたなあ。

 他にも地雷がボコボコ埋まってるカンボジア、キナ臭い新疆ウイグル地区、中央アジアのウズベキスタン、そして神秘のブータンとシッキムである。バックパッカーが聞いたらヨダレが止まらない地域ばかりだ。

 このブータンのコメに好みが、日本と正反対なのが面白い。まず白いコメはダメ。野性イネと同じ赤米が好まれるのだ。次に背が高いこと。化学肥料を多く使える日本では、倒れにくいチビが好まれるが、あまり肥料を使えないブータンでは、背が高いほうが都合がいいのだ。そして最後に、脱粒性がよいこと。

 脱粒性があると、実った実が田にこぼれてしまう。機械で脱穀する日本じゃ脱粒性がない方がいいが、ブータンじゃ人が足で踏んで脱穀する。脱粒性が悪いと、巧く脱穀できないのだ。田にこぼれちゃうのは、まあしょうがない。他にも、ブータン独自の事情があって。

 それは水が冷たいこと。ヒマラヤの高度7000mの氷河から落ちてくる水なので、気温30℃の「夏でもその水は手をきる冷たさ」だとか。そりゃ大変だわ。ちなみにシッキムだと、ウシが踏んで脱穀するとか。

 栽培方法も、地域でそれぞれ、日本じゃ田植えをするが、そんな事をするのは「朝鮮半島と中国の一部」で、大半は「種子を直接本田に播きつける」。かと思えば、インドネシアの一部じゃ二度も田植えをするとか。かと思えば、タイの浮稲(→コトバンク)なんてのもある。

 同じタイの東北部には、天水の水田があったり。でも5年に一度ぐらいは日照りで収穫皆無だとか。これがラオスとの国境あたりだと、なんと田んぼの中に木が立ってる。何のためなのか、「いまだ納得のゆく答えが返ってきたためしいがない」。きっと何か意味があるんだろうなあ。

 台湾のコメ事情もびっくり。二期作が多いんだが…

第一期作は冬に種子を播いて夏に収穫するタイプ、第二期作は夏に種子を播いて冬に収穫するタイプであった。そして、第一期作用の品種はほとんどのものはインディカで、かつ日長反応をまったく示さない品種が使われていた。なお、台湾では第二期作用の品種はジャポニカで、しかも日本からわたった稲が「蓬莱米」という名前で知られていた。

 同じイネの二期作といっても、品種が違うのだ。というか、植物には品種により日長性/短日性があって、水を必要とする時期があって、相応しい気温があって…と考えると、気候の違う他の地域の作物を移植するってのは、かなり大変なことなんだなあ、などとしみじみ考えてしまう。

 おおらかだと感心したのが、新疆ウイグル地区。こっちはコムギなんだが、畑の中にエンバクが混じってる。野良エンバクが勝手に畑の中に入り込んでるんだが、「別段邪魔になるわけでもないので放置」。エンバクの大半は勝手に脱粒するが、収穫時は一緒に刈り取るんで、小麦に少しエンバクが混じるけど、そのまま製粉してパンにしちゃう。ちょっとだけだから、たいした違いはねえじゃん、ってこと。小うるさい日本じゃ考えられん。

 他にも葉緑素にも遺伝子があるとか、一年草は多年草より移動能力が優れているとか、栽培種の祖先はインディカとジャポニカは違うんじゃないかとか、ジャポニカはストレスに強いとか、単位面積当たりの収穫量は日本よりオーストラリアのほうが優れているとか、意外な話が満載。薄い本だが、中身は濃くて楽しい本だった。

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2015年3月13日 (金)

片瀬二郎「サムライ・ポテト」河出書房新社NOVAコレクション

「ぶん殴ってやる、ぜったい!」
  ――コメット号漂流記

【どんな本?】

 10年の沈黙を破り再デビューした新鋭作家・片瀬二郎による、SF短編小説集。自分に気づいてしまったコンパニオン・ロボットたちを描く「サムライ・ポテト」、時間の止まった世界に取り残された男を描く「00:00:00.01pm」、魔女を名乗る三人の女子中学生を描く「三人の魔女」、オープン・ソフトウェア/ハードウェアがもたらす影響を描く「三津谷くんのマークX」、そしてコンビニに閉じ込められた女子高生のサバイバルを描く「コメット号漂流記」の五編を収録。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2015年版」のベストSF2014国内篇で9位に食い込む活躍を見せた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年5月30日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約326頁。9.5ポイント40字×18行×326頁=約234,720字、400字詰め原稿用紙で約587頁。標準的な長編小説の分量。

 小説としては、日本語はやや堅いが、読みにくいというほどでもない。近未来を舞台とした作品が多く、コンピュータやロボット関係の細かい描写が随所に出てくる。これが好きな人には楽しい部分だが、苦手な人には少し辛いかも。

【収録作は?】

 作品名の / 以降は初出。

サムライ・ポテト / 河出文庫 書き下ろし日本SFコレクションNOVA7 2012年3月
 サムライ・ポテトは、ハッピー☆バーガーのコンパニオン・ロボット。店先に立ち、愛嬌を振りまいている。転びそうになった子供を支えて助けたとき、サムライ・ポテトは気づいた。自分はそこにいた、と。気づいたのは、サムライ・ポテトだけではない。向かいのワールドスイーツ・カフェのコンパニオンのリトル・アリスと、ドラッグストア・イワサキのイワサキ先生も…
 お話そのものはわかりやすいが、細かい仕掛けは手が込んでいて、改めて読み返すとなかなかリアル。冒頭で、転びかけた子供と会話を交わす部分から、技術的な部分は良く考えられている。ロボット同士が通信する部分もそうだが、特に感心するのは、彼らが人を特定する所。
 サムライ・ポテトの視点で語られる物語なだけに、終盤はなかなか感動的ではあるものの、その姿を想像すると、一気にコメディになってしまう。なんとか続きを書いてくれないかなあ。もっと先が読みたい。
00:00:00.01pm / 河出文庫 書き下ろし日本SFコレクションNOVA8 2012年7月
 エレベーターの中で、携帯電話のメールを読もうとしたとき、寺島は異常に見舞われた。エレベーターの扉は閉まりかけで止まっている。まわりの者も、表情が固まっている。誰も動かない。エレベーターの中だけじゃない。建物の中も、ビルの外も、みんな止まっている。飛んでいるカラスまで、空の真ん中で止まっている。
 この世界の時間から弾きだされ、自分だけが動けるようになったら、どうするか。ここで寺島が取る行動が、いかにも普通の勤め人らしくて笑ってしまう。
三人の魔女 / 書き下ろし
 魔女は三人いる。<嘆きの魔女>向田佐和子、<時の魔女>中川香澄、<暗黒の魔女>目黒敦子。27年のときをへて、ついに魔女が復活した。休み時間は、いつもの所に集まる。屋上へあがる階段の踊り場だ。窓から外を見ると、両手に大きな荷物を持った女子が体育館の前を歩いている。一年C組の星野真琴だ。
 既にスマートフォンは普及しつつあり、何か事故などがあると、沢山の野次馬が現場の動画を撮っている。Google Glass(→Wikipedia)なんてのもあって、手を使わずいつでも録画できる。さすがに今の技術じゃ常時録画・常時公開は難しいが、イヤリングほどの大きさで常時録画・公開が可能になったら、どうなるだろう? という技術的な話もあるが、LINE などのコミュニティ・サービスは、若い人ほど利用に積極的だ。この両者を組み合わせた、少し未来の少女たちの社会を描いた物語…かと思ったら。
三津谷くんのマークX / 書き下ろし
 カラオケ・ボックスのバイトの帰り、三津谷はスマホをチェックする。今、あいつはどこにいるのか。充電ステーションでバッテリーを満タンにするとき以外、あいつは時速3キロで休まず歩き続ける。急いで家に帰ると、玄関で<妹>が待っている。まだ腰から下の骨格だけしか出来ていない。コミュニティでは、議論になっている。あるベンチャー企業が興味を示している、と。大きな商談になりそうだ。
 Thunderbird や Apache, Firefox など、オープンソース・ソフトウェアは既に常識となり、Linux は Android としてスマートフォンにも進出した。SourceForge や GitHub など、オープンソース開発を支援するシステムやコミュニティも充実している。最近は3Dプリンタも出回り、オープン・ハードウェアも勢いがつきそうだ。いい事ばかりではなく、3Dプリンタ銃製造事件(→Wikipedia)なんて物騒な事件もあった。誰もが優れた技術を手に入れられる時代に入りつつある今を考えると、なかなか怖い作品。
 終盤、三津谷が狙いを定めて追い詰めて行く過程の描写は、息が詰まる緊張感がたっぷりで、ドキドキしながら読んだ。
コメット号漂流記 / 書き下ろし
 日曜の朝。ミライはミハルと待ち合わせた。トイレに寄ったミハルちゃんから不細工なフレンチブルのフグを預かり、コンビニの<コメット・マート>の中でミハルちゃんを待ちながら、ドクター・ペッパーを手に取った時、それは起こった。viグラスのアナウンスは、「緊急!緊急!」と叫んでいる。
 再びアシスタント・ロボット登場。といっても、こっちのアシスタントは実体はなく、ヴァーチャルなもの。アニメ「電脳コイル」の「電脳メガネ」に似たデバイス、viグラスの視界に登場するアシスタントだ。コメット・マートのハレー・ザ・コメット君はともかく、ミライのアシスタントのナビ男くんの役立たずっぷりが笑わせる。いやホント、昔の Windows にいたイルカを思い出した。
 出だしの頭わるげな女子高生ぶりはともかく、中盤から終盤にかけてのアクションはド迫力。読み終えてから改めて考えると、とんでもねえ女子高生だな、ミライw

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2015年3月11日 (水)

オリヴァー・サックス「音楽嗜好症 脳神経科医と音楽に憑かれた人々」ハヤカワ文庫NF 大田直子訳

音楽は人間性の両面に訴えかける。本質的に知的であると同時に、本質的に感情的なのだ。私たちは音楽を聴くとき、たいてい両方を意識している。作品の形式的構造を理解しながら、その深みに感動することもある。
  ――第24章 誘惑と無関心

【どんな本?】

 コマーシャル・ソングが頭にこびりついて離れないことがある。特定の音楽で癲癇を起す人がいる。絶対音感を持っている人もいれば、音程を色で感じる人もいる。音痴にもいろいろあって、メロディーは正しいのにリズムは狂ってしまう人がいる。奔流のように頭の中に音楽が湧き出す人もいる。

 なめらかに喋れない吃音の人もいるが、その多くは歌いだすとなめらかに歌う。ひっきりなしに動きまわるトゥレット症候群でありながら、見事に楽器の演奏をこなす人がいる。スティーヴィー・ワンダーやレイ・チャールズ,ジェフ・ヒーリーのように、盲目の優れたミュージシャンは多い。自分からは動けないパーキンソン病の患者が、音楽でスムーズに歩き始める事もある。

 「火星の人類学者」「妻を帽子と間違えた男」などの医学エッセイでお馴染みの脳神経科医オリバー・サックスが送る、音楽と人間の不思議な関係を綴ったエッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は MUSICOPHILIA - Tales of Music and the Brain, by Oliver Scks, 2007, 2008。日本語版は2010年7月に早川書房より単行本で刊行。私が読んだのはハヤカワ文庫NFの文庫本で、2014年8月25日発行。文庫本で縦一段組み、本文約496頁に加え訳者あとがき4頁+成毛眞の解説6頁。9ポイント41字×18行×496頁=約366,048字、400字詰め原稿用紙で約916枚。そこらの長編小説なら2冊分の大容量。

 文章は比較的にこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。時々、「前頭葉」など脳の部位を示す専門用語が出てくるが、たいてい前後に説明があるので、知らなくても問題はない。ただ、スラスラ読めるかというと、音楽が好きな人はなかなか頁をめくれないかも。

【構成は?】

 原則として個々のエッセイは独立しているので、気になった章だけを拾い読みしてもいい。

  •  序章
  • 第1部 音楽に憑かれて
    • 第1章 青天の霹靂――突発性音楽嗜好症
    • 第2章 妙に憶えがある感覚――音楽発作
    • 第3章 音楽への恐怖――音楽誘発性癲癇
    • 第4章 脳の中の音楽――心象と想像
    • 第5章 脳の虫、しつこい音楽、耳に残るメロディー
    • 第6章 音楽幻聴
  • 第2部 さまざまな音楽の才能
    • 第7章 感覚と感性――さまざまな音楽の才能
    • 第8章 ばらばらの世界――失音楽症と不調和
    • 第9章 パパはソの音ではなをかむ――絶対音感
    • 第10章 不完全な音感――蝸牛失音楽症
    • 第11章 生きたステレオ装置――なぜ耳は二つあるのか
    • 第12章 2000曲のオペラ――音楽サヴァン症候群
    • 第13章 聴覚の世界――音楽と視覚障害
    • 第14章 鮮やかなグリーンの調――共感覚と音楽
  • 第3部 記憶、行動、そして音楽
    • 第15章 瞬間を生きる――音楽と記憶喪失
    • 第16章 話すこと、歌うこと――失語症と音楽療法
    • 第17章 偶然の祈り――運動障害と朗唱
    • 第18章 団結――音楽とトゥレット症候群
    • 第19章 拍子をとる――リズムと動き
    • 第20章 運動メロディー――パーキンソン病と音楽療法
    • 第21章 幻の指――片腕のピアニストの場合
    • 第22章 小筋肉のアスリート――音楽家のジストニー
  • 第4部 感情、アイデンティティ、そして音楽
    • 第23章 目覚めと眠り――音楽の夢
    • 第24章 誘惑と無関心
    • 第25章 哀歌――音楽と狂気と憂鬱
    • 第26章 ハリー・Sの場合――音楽と感情
    • 第27章 抑制不能――音楽と側頭葉
    • 第28章 病的に音楽好きな人々――ウィリアムズ症候群
    • 第29章 音楽とアイデンティティ――認知症と音楽療法
  • 謝辞/訳者あとがき/解説:成毛眞/参考文献

【感想は?】

 ヒトと音楽の関わりを、脳神経科医の視点で分析した本だ。だから、音楽が好きな人向けの本である。

 著者はクラシックが好きらしく、出てくる曲もクラシックが多い。そのため、クラシックが好きな人はいっそう楽しめるだろう。ただし、読み進めるのは苦労するかも。

 というのも。読んでいると、出てきた曲や好きな演奏が頭の中で鳴りだして、本に集中できないのだ。世の中には音楽を聴きながら本を読める人もいるが、逆に音楽があると本を読めなくなる人もいる。私もその一人だ。本を読むときは音楽を消す。そうしないと、音楽に心を奪われて文字を追いかけられないのだ。これは私だけかと思ったら…

音楽にとても敏感で仕事中にBGMをかけられない人が大勢いる。そういう人は、完全に音楽に耳を傾けるか、それとも消すか、どちらかしかない。音楽のもつ力が強すぎて、ほかの精神活動に集中できないのだ。

 そうか、私だけじゃなかったんだ。これで一安心。そんなわけで、クラシックが大好きな人、楽しめる反面、読み進めるのに苦労するだろう。特に長大な交響楽が好きな人は、時間がいくらあっても足りないかも。

 ヒトがなぜ音楽を楽しめるのか、改めて考えると、やたら不思議だ。そもそも音楽自体、不思議なシロモノである。音程・リズム・テンポには、ある程度の規則がある。にも関わらず、世界には無限とも思える音楽がある。言葉で音楽の規則を説明できなくても、上手に歌いこなす人は沢山いる。理屈じゃ理解できなくても、体がルールを理解しているのだ。

 著者は医者だけに、様々な患者と出会う。何らかの事情で、脳の機能の一部を失った人が多い。「第8章 ばらばらの世界――失音楽症と不調和」では、これらの症例を通し、ヒトが音楽をどう解釈しているかを明らかにしてゆく。一言で音痴といっても、実は様々な音痴があるのだ。

 音痴にもいろいろある。音を外している事を自覚しているなら、それは真の音痴ではない。単に下手なだけだ。「しかし本物の音痴が全人口のおそらく5%は存在」するとか。

 一般に音痴と言えば音程を外す人を言う。昔は「NHKのど自慢」で、伴奏を無視して気持ちよさげに歌う人がいた。音程は正確だし、声にも見事な表情がある。ただ、伴奏とテンポが合わない。こういう人は、伴奏がむしろ邪魔で、ソロで歌っている限りは優れた歌い手だったりする。これのダンス版の人が、ここには出てくる。

 タップダンス好きなL夫人、昔はタップダンスが好きで、今はエアロビクスが好き。でも、「音楽の伴奏があると、混乱してダンスがうまくできなくなる」。彼女はリズムは楽しめるのだ。でもメロディーが駄目らしく、オーケストラは騒音に聞こえるとか。もしかして今はヒップホップに請ってるんじゃないだろうか。

 音程はわかるが、音色がわからない人もいる。他にも、メロディー音痴・ハーモニー音痴などが出てくる。特に奇妙なのはメロディー音痴で、音楽の「意味」がわからない。音の連なりはわかるのだが、それによって感情が動かないらしい。

 など、音痴には様々な音痴があるらしい。とすると、「音楽を聴く」というのは、実に様々な機能が統合的に働いて初めて可能になる、とても複雑な能力であるようだ。

自分語りになるが、私は楽譜の読み書きができない。各音符の意味は知っている。けど、それを音に変換できないのだ。音楽を譜面に書くのは、更に難しい。リズムだけなら、苦労すればなんとかできるかもしれない。でも、音程は無理。音の高さが変わっているのはわかるが、どれぐらい変わったか、が分からない。これは単なる訓練不足なのか、欠陥なのか、どっちなんだろう? どっちにせよ、歌ったりギターを弾いたりで音楽は楽しめてるから、特に悩んでもいないけど。

 脳の認知能力が音楽に大きな役割を果たしている事がわかるのが、「第13章 聴覚の世界――音楽と視覚障害」。「ゲール族の文化では、かなりの数のハーブ奏者とバグパイプ奏者が盲目、あるいはその原因になることが多かった天然痘をあらわす『ダル』と呼ばれていました」「ヨーロッパには、盲目の教会オルガン奏者の伝統があった」。

 視覚を失うと、視覚処理に使う脳の部分を、音の処理に使うようになり、音楽に優れた才能を示すらしい。そういえば日本にも琵琶法師や瞽女がいたなあ。

 なんて難しく考えなくても、音楽好きなら誰だって知っている。あなた、大好きな曲にドップリ浸るとき、目を閉じませんか? 私はビートルズのアビー・ロードを聴く時にそうします。「目を閉じたほうが音楽がよく聞こえる」、そうでしょ? 目を閉じると、個々の楽器まで、目の前に浮かんでくるよね。

 視覚情報を遮断すると、視覚に使ってた脳の部分が音楽に振り返られるらしいです、はい。 ってことで、 私が好きな Jeff Healey の See the Light をどうぞ(→Youtube)。ブルース系のギタリストで、ちょっと変わった弾き方をします。この人のギター、妙な粘っこさがあって、慣れるとクセになるんだよなあ。

 最後の「第4部 感情、アイデンティティ、そして音楽」は、なかなか感動的。音楽が治療やリハビリテーションに役立っている例が、続々と出てくる。

 統合失調症を患いながら、優れた演奏家であるトランペッターのトム・ハレルやバイオリニストのナサニエル・エアーズ。感情を失いながらも、テノールでアイルランド民謡を歌いだすと豊かな感情があふれ出る(ように見える)ハリー。クラシック・ファンからポピュラー音楽に鞍替えした認知症の弁護士、逆に68歳でクラシックの作曲を始めた高齢男性。

 そして、グロリア・レンホフ(→Youtube)。「30以上の言語でオペラのアリアを歌うことができる」。1988年、彼女のテレビ番組が放送された時、彼女の両親は視聴者からの電話に驚いた。「なぜグロリアがウィリアムズ症候群(→Wikipedia)だと話さなかったのですか?」

 両親は彼女がウィリアムズ症候群だと知らなかったのだ。それもそのはず、とても珍しい病気で、一万人に一人ぐらい。複数の遺伝子が関係しているらしい。知能は低いが人懐っこく言語能力に優れ、音楽が大好き。自閉症の逆みたいな症状だ。今は疾患者や家族のグループが各地にあって、日本にもあるみたいだ。

 「ABCのうた」や「すいへいりーべ」「ふじさんろくにおーむなく」とか、文字や数字の列を憶える時に、節をつけると憶え易い。そういえば「数覚とは何か?」では、日本の掛け算九九を持ち上げていた。どうもヒトは、リズムと抑揚が絡むとモノ憶えがよくなるらしい。

 音楽を楽しむ、ただそれだけの事なのに、ヒトはとても多くの脳の機能をコキ使っている。音楽の奥深さと楽しさ、そしてヒトの不思議さと逞しさをしみじみと感じる、楽しい本だった…読んでると音楽に頭を占領されるのが困りものだけどw

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2015年3月 9日 (月)

リチャード・バック「かもめのジョナサン 完全版」新潮社 五木寛之創訳

「あんたのいる21世紀は、権威と儀式に取り囲まれてさ、革紐で自由を扼殺しようとしている。あんたの世界は安全にはなるかもしれないけど、自由には決してならない。わかるかい?」
  ――完成版への序文

噂というやつは、誰かを悪魔にしちまうか神様にまつりあげてしまうかのどちらかだ。

【どんな本?】

 1970年に発行され、当事の若者たちの間で静かに流行り出し、やがて大ベストセラーとなった小説「かもめのジョナサン」。だが、ベストセラーには、埋もれていた最終章 Part Four があった。44年ぶりに発掘した最終章を追加し、完全版として21世紀に蘇った空飛ぶ寓話。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Jonathan Livingston Seagull - The New Complete Edition, by Richard Bach, 1970, 2014。ちょい経緯がややこしいんで、時系列順に書こう。

  • 1970年 アメリカで初版発行。
  • 1974年6月 日本語版が新潮社より単行本で発行。
  • 1977年5月30日 日本語版が新潮文庫より文庫本で発行。
  • 2014年 アメリカで完全版を発行。
  • 2014年6月30日 日本語版の完全版が新潮社より単行本で発行。

 単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約137頁+著者による「完成版への序文」4頁+訳者による「ゾーンからのメッセージ」5頁+訳者による1974年版あとがき「ひとつの謎として 『かもめのジョナサン』をめぐる感想」7頁。9.5ポイント40字×16行×137頁=約87,680字、400字詰め原稿用紙で約220枚だが、写真の頁が多いので、実質的な文字数は6割ぐらいだろう。小説としては長めの短編~短めの中編ぐらいの分量。

 ベストセラー作家五木寛之が「自由に日本語の物語として書き上げた」と語るだけあって、文章は抜群に読みやすい。内容もわかりやすいので、小学生の高学年なら読みこなせるだろう。難しい漢字にはルビを振ってあるし。飛行機の曲芸飛行について知っていると、更に楽しめる。

【どんな話?】

 岸から少し離れた沖合い。漁船が、撒餌を撒いている。撒餌を横から失敬するために、カモメたちは押し合いへし合いしている。

 そこから少し離れた所に、ジョナサン・リヴィングストンがいた。海上30m。両足を下におろし、くちばしを持ちあげ、翼を無理にひねる。そうすると、止まっているかのように遅い速さで飛べるのだ。ジョナサンは、もう少し翼をひねろうとして…失速し、海に落ちた。カモメのくせに海に落ちるなんて、恥さらしもいいところだ。

 他にもジョナサンは馬鹿な真似ばかりしている。海面スレスレに飛ぶ。両脚を胴体につけたまま着水する。垂直急降下を試みた時は、猛速度で海面に突っ込み気を失った。

 両親はジョナサンを心配する。やがてジョナサンの奇行は群れでも話題になり…

【感想は?】

 「好きで好きでたまらない事があるなら、トコトンやってみようよ、きっと別の世界が見えてくるよ」、そういうお話。

 著者のリチャード・バック、とにかく飛行機が好きな人なのだ。彼の作品には、いつだって飛行機が出てくる。例外はこの「かもめのジョナサン」ぐらい。飛行機は出てこないけど、主人公はカモメ。つまり飛ぶのが大好きなのだ。

 物語はジョナサンが超低速飛行を試みる場面で始まる。迎え角を大きく取り、翼を曲げて航空機で言うキャンバー(→Wikipedia)を増やそうと試みている。次は低空飛行で地面効果(→Wikipedia)を実感する場面。夜間飛行をマスターし、高速飛行に挑戦するあたりは、航空機ファンならニヤニヤしてしまうだろう。

 やがて物語は、ナニやら哲学的なコトガラを語り始める。天国とは何か、カモメとは何か、飛ぶとは何か。

 というと気取ったニューエイジっぽい事を語っているように思えるし、実際そういう部分もある。だが、実は、そんなに小難しい事を語っているわけじゃないのだ…たぶん。

 というのも。回答は、次作「イリュージョン」の解説にある。ここでは、元帝国海軍の零戦乗りで、テストパイロットでもある本田氏が語っている。「飛行機乗りは、様々な知識と訓練を経て、一人前になってゆく。ジョナサンは、そのことをカモメになぞらえて書いてあるなあ、と思いました」

 そういう事なのである。これは、飛行技術を極めようとする者の物語なのだ。

 とはいえ、世の中にパイロットは多くない。たいていの人は飛行機の操縦なんか知らない。でも、この物語を気持ちよく読める人は多いと思う。

 別に飛行機の操縦じゃなくてもいいのだ。プログラミングでも、楽器の演奏でも、部下の管理でも。なんでもいい、何か一つの事に打ち込んで、四六時中その事ばかり考えて、少しでも自分の腕を磨きたくて、たゆまず訓練しているなら。どうすりゃもっと上手にできるのか、他にどんな方法があるのか、もっと巧い工夫はないものか。

 そうやって、自分の芸に打ち込んでいくと、実は世の中も違って見えてきたりする。

 こういう考え方は、昔から日本にある。いわゆる「道」だ。タオじゃない。「剣道」「柔道」「書道」「華道」などだ。いずれも、具体的な技術を学び身につけることで、精神修行も兼ねよう、そういう考え方だ。

 ジョナサンがやっているのは、そういう事なのである。ただ、彼は精神修行なんか考えてなかった。ひたすら飛ぶことを追求して、様々な技術を学んだだけだ。その結果として、考え方も世界の見方も変わってしまった。

 このテーマは、完全版で追加された最終章で明らかとなってゆく。この最終章は、様々な解釈ができる。私が最初に思い浮かべたのは、カトリックとプロテスタントの抗争である。聖者がいて、使途がいて、変な方向に祭り上げられてしまい、集団の方針が捻じ曲がってしまう。

 という風にも読めるけど、実はこの「かもめのジョナサン」という小説の評価そのものを示しているのかも。

 当時は様々な評価がされた。ヒッピーたちにウケた事もあるし、「きみの心の目で見るのだ」なんてゼンっぽい台詞もある。実際、キリスト教徒がテキトーにゼンを解釈したっぽい部分もある。

 が、改めて旧作の最終部分を読み返すと、完全版で追加された Part Four と同じテーマを語っている事がわかる。

 この作品は愛だの啓示だのとニューエイジっぽい解釈もされた。著者のリチャード・バックは空軍でパイロットをしながら哲学を学んだという、一風変わった人だ。だから、「人生とは何か」みたいな事を語るときもある。でも、彼が一番好きなのは飛ぶことと学ぶことで、それはPart One からハッキリでている。

 Part Two では、小難しい題材について悩んでいたジョナサンが、新しい技術を見て悩みを忘れ夢中になる場面がある。結局のところ、形而上的な哲学は苦手で、具体的な技術を通じてモノを考えるのだ、著者もジョナサンも。

 当時、この本は若者にウケた。でも、むしろ、仕事である程度の経験を積んだ人こそ、この本を楽しく読めるんじゃないかと思う。

 何でもいい、何か一つの事をやり続けて、その道でソレナリの腕を身につけた人。たとえ生活のためであっても、無我夢中でやってきて、気がついたら「○○なら××さんに頼め」みたいな信頼を勝ち得てしまった人。そんな人なら、終盤の展開は苦笑いしてしまうだろう。

 文章は読みやすいし、量も少ない。特に難しい前提知識も要らない。読んだら少しだけ気分がよくなる、そんな物語だ。

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2015年3月 6日 (金)

ジョン・ダワー「増補版 敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人 上・下」岩波書店 三浦陽一・高杉忠明・田代泰子訳 3

 君主制と民主主義の理想と、そして平和主義の結合――およそ近代国家のうちで、これほど見慣れない憲法はあったためしがない。そしてそれまでまったくなじみのなかった文書が、やがて国家憲章としてこれほど完全に吸収され、力強く擁護された例は少ない。
  ――第一二章 GHQが新しい国民憲章を起草する――憲法的民主主義(一)

21世紀への戸口にある日本を理解するためには、日本という国家があいも変わらず連続している面をさがすよりも、1920年代後半に始まり、1989年に実質的に終わったひとつの周期に注目するほうが有利である。(略)これを精密に観察すれば、戦後「日本モデル」の特徴とされたものの大部分が、じつは日本とアメリカの交配型モデル a hybrid Japanese-American model というべきものであったことがわかる。
  ――エピローグ 遺産・幻影・希望

もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。(略)近代文明の尺度で測れば、われわれが45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、(日本は)12歳の少年といったところでしょう。
  ――エピローグ 遺産・幻影・希望 より、マッカーサーの演説

 ジョン・ダワー「増補版 敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人 上・下」岩波書店 三浦陽一・高杉忠明・田代泰子訳 2 から続く。

【どんな本?】

 1945年8月。日本の降伏により、ダグラス・マッカーサー率いるアメリカの占領軍が日本に進駐する。戦争は3年8ヶ月だったが、占領はその倍近い6年8ヶ月に及んだ。旧来の支配体制の保存を目論む日本政府に対し、占領軍は大胆な国家体制の改革を強いた。

 抑圧的な支配体制から民主主義へ、軍国主義から平和主義へ。戦勝国による復讐に他ならない東京裁判は日本人の被害者意識を裏打ちし、新憲法とあいまって平和志向を強める反面、中国の共産化も手伝い加害者としての認識を薄れさせてしまう。

 と同時に、日本での左派勢力の伸張と冷戦の一端である朝鮮戦争は、マッカーサーの構想を大きくねじれさせ、中小企業に飛躍の機会を与えると共に、保守勢力の復活を許し現代日本の基礎となる巨大な官僚機構を発達させてゆく。

 2000年度ピュリッツァー賞一般ノンフィクション部門など多くの賞を獲得した、占領時代の日本を描きつつ現代日本の基本構造を分析する、ドキュメンタリーの傑作。

【感想は?】

 下巻が扱う内容は、今の日本でもデリケートな問題が多い。天皇制・新憲法、そして東京裁判だ。

●天皇制

 天皇制の維持は、結構あぶなかった事がわかる。「当時、天皇に対して敵対的な連合国側の世論の声は高かった」。日本国内でも、退位を求める声があった。民間人では、雑誌『新潮』にが詩人の三好達治(→Wikipedia)による退位を求めるエッセイを掲載している。

大阪で実施された世論調査では、回答者の1/4以上が、裕仁はただちに、あるいは適切な時期に退位すべきだと考えていた。他の資料では、もし天皇の退位について投票を行なった場合、おそらく50%ほどの人が退位を支持するであろうし、天皇個人が退位の意思を表明すれば、支持はもっと高くなるだろうとしていた。

 ばかりでない。なんと、「三笠宮が、枢密院の緊迫した会議において天皇に敗戦の責任をとるよう間接的に促した」。現代より過激な意見が多かったし、それを堂々と言える状況だったのにも驚く。

 だが、マッカーサーの意思は固く、これは誰にも変えられなかった。理由は共産主義を畏れた事と、占領統治をスムーズにすること。理由はともかく、天皇制維持の方法は幾つかの点で日本側の思惑と一致する。「『軍国主義者のギャングたち』は日本人をだましただけでなく、聖なる君主も裏切ったのだ」。そういうシナリオで事を進める。

 という事で、占領軍も日本政府も、天皇に対し戦争責任を一切認めないよう説得した。やがて巡幸が始まる。大げさな米軍の護衛がついたが、「攻撃はついぞ起こらなかった」。なかったわけじゃないけど、最初の抗議行動は…

京都大学の急進的な学生が、敵意に満ちた質問を記した公開質問状を天皇にわたそうとしたのだ。この時、天皇の前で、彼らは国歌の代わりに「平和の歌」を歌った。

 というから可愛いもんだ。全般的に天皇制は占領軍の思惑通り保全され、どころか新憲法による規定で、吉田茂首相の予言どおりになる。曰く…

天皇と政治のより明白な分離の結果、天皇の「内的地位」――おそらく天皇の精神的役割という意味であろう――は、「その分だけ一層拡大するであろうし、天皇の地位はいっそう重要性と微妙さを増すだろう」

 事実、その通りになっている。現代の日本で天皇制打倒を叫んだら、良くて変人、悪けりゃ過激派扱いである。

●新憲法

 天皇制は占領軍・日本政府・皇室による協調の取れたダンスなのに対し、新憲法はドタバタ劇である。

 日本政府は、明治憲法の手直しで済むと思っていたし、そういう方向で事を進めた。占領軍は完全な刷新を求めた。遅々として進まぬ日本政府の作業に業を煮やした占領軍は、自分たちで憲法の草案を作ってしまう。これは英語だったため、日本政府が日本語に訳すのだが…

アメリカ側は、日本人がGHQ草案を「翻訳」する際に、多くの実質的な変更をもぐりこませていたことを発見した。

 当事の日本政府は、最後の最後まで抑圧的な体制の保全を目論んだわけだ。ここで「人民」か「国民」か、という言葉の選び方を分析していて、なかなか鋭い。国民だと、外国人を排除している。また「国家」に対立する概念も含まない。合衆国憲法修正2条が、合衆国政府に対し武装する権利を認めているのとは対照的だ(この解釈には異論もあるけど)。

 にも関わらず、「憲法草案が民政局で生み出されたことを認めるのはタブーであった」。が、「憲法に関する限り、アメリカがかなり介入していたことは公然の秘密だった」。国民の声はほとんど反映してないが、「成人教育学校や夜間学校に関わっていた教員連合が、義務教育を六年間の無料初等教育に制限する文言の削除を国会の飲ませた」のは手柄だろう。

 問題の九条は、当時から解釈が分かれている。邦楽博士の松本烝治(→Wikiepdia)は枢密院で「自衛行為まで禁じるという趣旨を有するものではない」とするが、吉田茂首相は国会で「自衛権の放棄をも必然的に伴うと指摘」している。「日本は今後の安全保障を国際的な平和組織に委ねることになるだろう」と。

 いずれにせよ、当時は問題じゃなかったのだ。だって米軍の占領下だし…朝鮮戦争が、問題を突きつけるんだけど。

●東京裁判

 東京裁判は勝者による復讐だ、というのが著者の見解だ。「検察の方針や戦略におけるアメリカの支配は絶対に近かった」と。

 裁判手続きのまやかしを延々と書いているが、私は「ある種の集団、ある種の犯罪がそこから見逃されていた」点に注目する。東京裁判は戦勝国が敗戦国を裁いたのだ。「インドネシア(略)ベトナム、マレー半島、ビルマで日本人の手にかかって辛酸をなめたアジア民族も、独自の代表を送れなかった」。そしてもちろん…

人びとに恐れられた憲兵隊の隊長は誰も起訴されなかった。超国家主義秘密結社の指導者も、侵略によって私腹を肥やし、「戦争への道」を拓くことに親しく関与してきた実業家も、起訴されていなかった。

 日本国内でも声はあったのだ。

1945年9月半ばには、『朝日新聞』などの新聞に、戦争犯罪人とおぼしき者たちのリストを日本人の手でまとめるべきだ、そのほうが連合国の作成するであろうリストよりもずっと長くなるだろう、そして、できれば日本人自身による裁判も行なうべきだ、とする論調が現れた。多くの読者がこれに賛同した。

 が、そんな裁判は行なわれなかった。児玉誉士夫も笹川良一も岸信介も釈放され、辻政信は潜伏する。裁判と処刑が終わってしまえば、清算は済んだという事になり、その後の追及は難しい。かくして日本人の庶民には被害者意識だけが残り、権力者はホッとする。

●その他

 やがて占領軍も経済に手をつけ、財閥解体と土地改革を進める。

超インフレーションは企業や個人の借金を大幅に減らしたが、その一方で、SCAPはそのおかげで地方の大地主からほとんど没収に近いかたちで土地をとりあげ、家族保有の財閥会社を解散させることができた。

 このスキに中小企業が発展する。爆弾の外包を炭火鉢に、弾薬箱を米櫃に、砲弾の殻を茶筒に改造する。逞しいもんだ。これに傾斜生産方式(→Wikipedia)による特定産業の支援が始まるが、「汚職にうってつけのシステムを作り、実業家、官僚、政治家は時を移さずその濫用にとりかかった」。

 そこに朝鮮戦争がやってくる。日本経済は特需に沸き立ち、再軍備も始まる。大量生産の需要に応えるため、日本はW・エドワーズ・デミング博士の品質管理を導入し、驚異的な品質の向上を実現する。朝鮮戦争を巡るゴタゴタは、笑ってしまう。

再軍備の実行を日本にねじこむためにジョン・フォスター・ダレスが訪日したとき、朝鮮戦争に参戦せよという極端な要求が出るのを非情に警戒して、吉田(茂)は二人の社会党指導者に密使を送り、ダレスの使節団に見せるために、再軍備に反対するデモを政府の外で組織してくれないかと頼んだ。

 見事な腹芸だ。

 そして、マッカーサーの演説、「日本人は12歳の少年」だ。これは日本人を馬鹿にした発言として引用される場合が多いし、実際にそういうニュアンスもある。だが、それには、こう続くのである。

 指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考え方を植えつけることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。

 「指導」と上から目線では、ある。が、同時に、柔軟な頭の持ち主だ、とも言っている。幼くはあるが、若くもある。あの戦争は若気の至りで、指導次第じゃいくらでも伸びるぞ、そういう目線もあるのだ。もちろん、「指導したのは俺だ」という自負もたっぷり含んでいるけど。

●おわりに

 現代日本の基礎を築いた時代の物語として読んでも面白いし、戦勝国による巧い統治の話としてアフガニスタンやイラクと比べて読んでもいい。ショッキングな事実も沢山暴露しているし、読み応えは充分。終戦70周年を記念して、文庫で出してくれないかなあ。

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2015年3月 5日 (木)

ジョン・ダワー「増補版 敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人 上・下」岩波書店 三浦陽一・高杉忠明・田代泰子訳 2

 日本人にとって「上からの革命」は、けっしてめずらしい経験ではなかった。19世紀半ばからずっと、支配層は民衆にたいして、産業化・近代化・西洋化を進め、過去と決別し、新しい人間、新たな国家の新たな臣民になれと熱心に説き続けてきた。
  ――第六章 新植民地主義的革命

 ジョン・ダワー「増補版 敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人 上・下」岩波書店 三浦陽一・高杉忠明・田代泰子訳 1 から続く。

【どんな本?】

 太平洋戦争の敗戦により、日本の民衆は飢えに苦しむ羽目になる。中国・台湾・朝鮮に頼っていた食糧輸入は途絶えた上に、1945年は記録的な凶作。おまけに外地からの復員者で養うべき口は増える。闇市は繁盛し、その価格は統制価格の30倍にも及んだ。

【感想は?】

 同じ頃、ドサクサに紛れて軍事物資や国家の軍事予算は大規模な略奪に遭う。政府は捜査に熱意を見せず、その行方は全く分からない。しかも、進駐軍の維持費が国庫を更に圧迫する。その進駐軍に対し、政府は…

8月18日、内務省は全国の警察管区に秘密電報を送り、占領軍専用の「慰安施設」を特設するよう指示した。

 女をあてがえ、というわけだ。これが半端な仕事じゃなく、「ある推計によれば、RAA(Recreation and Amusement Association)の女性が一日に相手にした米兵の数は、15人から60人であった」。無茶なんてもんじゃない。一応1946年1月に「婦人の人権」をタテに禁止を命じるが、本音は「RAAの女性は90%が性病検査で陽性となっていた」。

 これにはオマケもあって。「1946年4月、アメリカのペニシリンの製法特許が最初に日本の企業に売られたが、その最大の目的は、性病をなんとかするためであった」。同年、かの有名な赤線が指定される。これの理屈も政治家らしい。内務省曰く「女性には売春婦になる権利がある」。

 ってなご時勢に、繁盛するのは闇市。1945年8月18日、新聞広告が出る。軍需工場に対し、買い取るから見本w持って来い、というもの。広告主は関東尾津組(→Wikipedia)。ヤクザが闇市を仕切ってたわけ。まあ、別に意外でもないけど。新橋を仕切った松田組に至っては…

新入り商人への出店許可(有料だが)とか、照明とかトイレとかゴミ集めといった、なくてはならぬ実際的業務をひきうけたので、東京都と警察が背後から支援した。彼は治安の維持のために、警察よりも自分の組員を頼りにしていた。

 実際、当時は闇市が必要だったし、多くの人が集まる以上、誰か仕切る者も要る。でも四角四面な官じゃ自由市場は仕切りきれず、ある程度の暴力も要求される。となればヤクザが仕切る事になるわけで、当事の日本や今のロシアでマフィアが勢力を伸ばすのも、自然の成り行きなんだろうなあ。

 文化面では、かの有名な「額縁ヌードショー」も紹介してる。まあ、こういう方面じゃ妙に知恵が働くのはどの国も同じだろうなあ。沈黙を強いられた出版界は、紙の不足にもめげず活況を呈し、「戦争が終わった時点で、日本には約300の出版社があった。その八ヵ月後には、2000社ちかくにまで増えている」。

 1.フランス人:350冊 約26% 
 2.ドイツ人 :294冊 約22%
 3.ロシア人 :251冊 約18%
 4.イギリス人:194冊 約14%
 5.アメリカ人:104冊 約8%
 6.中国人  : 43冊 約3%
 7.イタリア人: 37冊 約3%
 8.その他  : 94冊 約7% 

 ここで翻訳書の傾向が面白い。「占領軍の統計によると、1945年11月から1948年4月のあいだに、およそ1367冊の外国語の作品が日本語に翻訳された」。著者の国ごとに内訳(左の表)を見ると…

  なんと国際色豊かなことか。敵国のはずのフランスがトップだ。ドイツが二位につけているのは、元同盟国だからか? にしても、フランス同様に敵国のはずのロシア・イギリスが三位・四位だ。占領国のアメリカは5位に甘んじている。その次の中国は、やはり古典だろうか。全般的に欧州志向もあるんだろうけど、この点に関しては、当時の方が現代の日本よりマトモな気がする。

 が、既に、現代のアメリカ一辺倒への流れは始まっている。1946年2月1日にはラジオで平川唯一の「カムカム英語」が多くの聴取者を獲得するが、その前に350万冊のベストセラーが出ている。小川菊松の「日米会話手帳」だ。当事の日本人が、時代の趨勢をどう考えていたか、よく窺える。

 この本のモデルは「日中会話の小さな手引書で、日本の中国占領のとき役立ったもの」というから皮肉。

 さて。事実上、日本の全権を握ったマッカーサー。デイヴィッド・ハルバースタムの「ザ・コールデスト・ウィンター」では日本贔屓のように書かれているが。

 ある人物曰く「アメリカ大使館の古い建物にある彼の住居と、その近くの旧第一生命ビルにある連合国最高司令官執務室のあいだを午前と午後に行き来するだけ」で、「マッカーサーと二回以上話をした人物はたった16名しかいなかった」。しかも、「占領軍は日本を直接統治するだけの言語能力と専門能力に欠けていた」。

 にも関わらず、モノゴトがスムーズにいったのは、「すでに存在している日本の政府組織をつうじて『間接的に』行なわれた」から。

 ここで当事の連合軍の対日戦後政策が色々と書かれていて、なかなかエキサイティングだ。「1945年初めの時点では、この敗戦国に民主主義革命を導入しようという計画は存在しなかった」。つまり旧憲法下の体制を容認するつもりだったわけで、早めに降伏してたら、日本はもっと右翼好みの体制になっていたらしい。

 穏健政策は米国内の知日派の見解なんだが、次第に過激派、つまり根本的な改革を求める勢力が主導権を握ってゆく。そしてGHQは、日本についての素人集団で出来上がる。だからこそ大胆な改革ができたんだ、と著者は主張している。この辺のパワーゲームはなかなか複雑で。

 マッカーサーは徹底改革&天皇制維持の姿勢を決めていた。ワシントン政府は、改革・天皇制いずれにもフラフラしてた。日本政府は、明治憲法を少しいじり、天皇制維持。結局はマッカーサーが独断専行で決めていくんだけど。

 そのマッカーサーを、日本国民は熱烈歓迎する。占領軍のボスを喜んで迎える国民ってのも珍しいが、内心じゃ軍を嫌ってたんじゃなかろか。ここで労働基準法を作り組合活動を合法化し、戦前・戦中に拘束されていた社会主義者・共産主義者が釈放される。

 これはやがてマッカーサーにとって嬉しくない流れをもたらすから、社会はめんどくさい。というのも、釈放されたマルクス主義者たちは、一躍英雄になったからだ。これは生活の苦しさも手伝い左派の活況をもたらすが、その反動としてレッドパージが始まってしまう。

 皮肉はここにもあって、労働組合の組織化が進んだ原因が皮肉。「かつて総力戦のために労働者がさまざまな会社や産業レベル、また全国レベルで組織されていたという事情があった」。これを左翼が乗っ取ったわけ。だから生産管理闘争なんてのもある。普通のストは機械を止めるが、生産管理闘争は生産を続ける。

 その目的は経営者から経営権を奪うこと。労働者が工場を経営できるなら、経営者なんか要らないじゃん、ってわけ。

 改革は教育にも及び、有名な黒塗り教科書が登場する。ここで黒塗りされたのは、「修身と国史と地理」。修身と国史は思想的な理由で、地理は大日本帝国が大陸と太平洋の領土を失ったから。理科と数学は無事だったのね。

私が数学と科学と工学を好む理由の一つがこれ。世の中がどう変わろうと、この三つは変わらない。当時、同じ気持ちで理系に進んだ人も多いんじゃないかと思う。

 などの激動は、次の記事へと続く。

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2015年3月 4日 (水)

ジョン・ダワー「増補版 敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人 上・下」岩波書店 三浦陽一・高杉忠明・田代泰子訳 1

1945年度(1945年4月から1946年3月まで)の軍事予算は、八月の終戦時にはまだ七ヶ月分が残っているはずであった。しかし、実際にはその約70%が天皇の「玉音」放送以前にすでに使われていた。そして残りの30%(予算総額850億円のうち260億6千万円)は、占領軍が到着する前に、軍の契約業者にいち早く支払われてしまった。
  ――第3章 虚脱

【どんな本?】

 1945年8月に太平洋戦争は終わる。戦争は約3年8ヶ月に及んだ。しかし、その後の軍事占領は1952年4月までの6年8ヶ月に及ぶ。占領は戦争の2倍近くの期間にわたったのだ。

 大日本帝国から日本国へ、それはこの国が大きく変わる時代だった。国民は今までの鬼畜米英から一転、マッカーサーを熱く歓迎する。軍国主義から民主主義へと思想を切り替える。戦意高揚を狙ったマスコミは、カストリ雑誌を創刊する。それまで亜細亜の解放者であったはずの日本人は飢えに苦しみ、下町の者は家すら失う。

 激変の時代に、占領者で改革者である米軍は、何を考えどう行動したのか。それまで日本を指揮してきた者たちは、どう振舞ったのか。厳しい検閲体制の元、ある者は軍に迎合しある者は口を閉じある者は連行された文化人たちは、どう転向したのか。そして癒えや家族を失った庶民は、何を思い、どうやって混乱期を生き延びたのか。そして、現代日本の基礎はどのように築かれたのか。

 歴史学者の著者が、日米両国の膨大な資料と取材を元に、勝者アメリカによる敗者日本の占領を、様々な立場・思想の日本人の視点で描く、ドキュメンタリーの傑作にして問題作。

 1999年全米図書賞ノンフィクション部門・2000年バンクロフト賞・2000年度ピュリッツァー賞一般ノンフィクション部門のほか、2002年大仏次郎論壇特別賞など、日米両国で高い評価を受けた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Embracing Defeat - Japan in the Wake of World War Ⅱ, by John W. Dower, 1999。日本語版は2004年1月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約355頁+395頁=約750頁。9ポイント50字×19行×(355頁+395頁)=約712,500字、400字詰め原稿用紙で約1,782枚。文庫の長編小説なら3冊分の大容量だが、写真や図版を豊富に収録しているので、実際の文字数は7割ぐらい。

 日本語の文章は比較的にこなれていて読みやすい方。読みこなすのにも、特に前提知識は要らない。中学卒業程度の日本の近代史・現代史の知識があれば、充分に読みこなせる。

【構成は?】

  •   上巻
  • 増補版への序文/日本の読者へ/凡例/謝辞/
    地図・日本帝国の拡大と崩壊/上巻 写真・図版出典一覧
  • 第一部 勝者と敗者
    • 第一章 破壊された人生
    • 第二章 天降る贈り物
  • 第二部 絶望を超えて
    • 第三章 虚脱――疲労と絶望
    • 第四章 敗北の文化
    • 第五章 言葉の架け橋
  • 第三部 さまざまな革命
    • 第六章 新植民地主義的革命
    • 第七章 革命を抱きしめる
    • 第八章 革命を実現する
  • 上巻注
  •   下巻
  • 凡例/下巻 写真・図版出典一覧
  • 第四部 さまざまな民主主義
    • 第九章 くさびを打ち込む――天皇制民主主義(一)
    • 第一〇章 天から途中まで降りてくる――天皇制民主主義(二)
    • 第一一章 責任を回避する――天皇制民主主義(三)
    • 第一二章 GHQが新しい国民憲章を起草する――憲法的民主主義(一)
    • 第一三章 アメリカの草案を日本化する――憲法的民主主義(二)
    • 第一四章 新たなタブーを取り締まる――検閲民主主義
  • 第五部 さまざまな罪
    • 第一五章 勝者の裁き、敗者の裁き
    • 第一六章 負けたとき、死者になんと言えばいいのか?
  • 第六部 さまざまな再建
    • 第一七章 成長を設計する
  • エピローグ 遺産・幻影・希望
  • 下巻注/増補版へのあとがき/訳者あとがき/索引

 テーマごとに時代を行ったりきたりする構成だが、全般的に時系列に沿って話は進む。素直に頭から読むとわかりやすいだろう。

【感想は?】

 70年前の事を扱った本だが、今でも極めて政治的な本だ。だから、読者の政治姿勢で評価は大きく変わる。

 つまりは岩波書店の本だ。だから極右の人には耐えがたいほど不愉快だろうから、近寄らないほうがいい。面白く読めるのは、ノンポリ・リベラル・左派の人だ。保守でも穏健な人は、現代の米軍のイラクやアフガニスタン政策を思いながら読むと、多少の示唆を得るかもしれない。

 例えば冒頭の「日本の読者へ」の中で、森首相の「神の国」発言に触れ、「それは歴史の特定の時期の、それもひどい時代の『日本』」とコキ下ろしている。そういう本だ。

 全般的に日本人に対し理解を示しながらも、厳しい視点も忘れていない。34頁には、空襲で焼け野原になった東京下町の写真を掲載し、「東京では、全家屋の65%が破壊された」と、当事の日本の悲しい有様を紹介している。他にも外地から引き上げる人の苦労に触れ…

 第二次世界大戦の無数にある大規模な悲劇の中でも、こうした日本人たちの運命は、これまで見落とされてきた部分である。

 としつつも、ベストセラー「きけ わだつみのこえ」に対しては、悲劇性を認めつつも辛らつだ。

もっぱら注目すべき、ほんとうに悲劇的なものは、彼ら自身の死であって、彼らが殺したかもしれない人間たちの死ではない――こういった閉鎖的な戦争観をもっている以上、日本人以外の犠牲者はまったく目に入らなかったのである。

 などと、被害者意識を厳しく指摘している。

 恐らく当時最も悲惨だったのは、親を失ったりはぐれたりした子供たちだろう。彼らは嫌われ蔑まれた。確かに盗みや物乞いもしたが、そうしなきゃ食えない。「和の国」なんぞと言っちゃあいるが、薄情だろうと仄めかしている。とはいえ、子供も逞しい。

1947年4月の警察の取締りの際、285人の浮浪児がつかまったが、そのうちまったく職がない子供は76人にすぎなかった。この年の大学卒のホワイトカラー公務員の平均月給は1240円であったが、これらの浮浪児のうち19人が、驚いたことに平均日収百円に達しており、そのほか67人が日収30円から50円を稼いでいた。

 当事の食糧不足は色々と言われているが、その原因まで語られる事は少ない。理由の一つは、当事の日本が既に立派な貿易大国だった事だ。

真珠湾攻撃の前の時点で、日本人が消費する米の31%、砂糖の92%、大豆の58%、塩の45%がこれら(朝鮮・台湾・中国)からの輸入に頼っていた。

 ところが占領地はもぎ取られ、輸送用の船は潜水艦に沈められ、どうしようもなかったのだ。おまけに…

1945年は、天候不順、労働力不足、粗末な農機具、そして肥料生産の減少により、収穫高は例年より40%近くも減少し、1910年以来最悪の不作の年となった。

 ということで、「1946年6月、米の闇値は政府の配給制度で割り当てられた米のおよそ30倍」になる。そりゃ誰だって闇市で売るよ。そこに疫病がやってくる。「1945年から48年の間に、コレラ、赤痢、腸チフス、パラチフス、天然痘、流行性チフス(紅斑熱)、猩紅熱、ジフテリア、流行性髄膜炎、ポリオ、脳炎に感染した者は65万人以上と報道された」。

 庶民がそうやって苦しむ中、戦争を指導した軍と政府は冒頭の引用のごとくだ。日本銀行は軍需業者に膨大な融資を行なう。平和的な産業に転換させる、という名目で。「その後の調査によれば、帝国陸海軍が保有していた全資産のおよそ70%が、この戦後最初の略奪の狂乱のなかで処分された」。

 1946年4月には、東京湾で銀塊が見付かり、その一年後に化学工場が摘発され、1947年価格だと概算で三千億円と見積もられたが、「主要な犯人は誰ひとり起訴されなかった」。ちなみに「この年度の政府の通常予算のうち、政府支出の総額が2050億円」。他にも…

 1947年7月、(略)衆議院に「隠退蔵物資等に関する特別委員会」が設置された。委員会の発足当初、調査官に与えられた権限はわずかで、調査費もゼロであった。

 というやる気のなさ。「戦後日本の政治経済体制の礎石のひとつとしての構造的腐敗をかくりつさせたのである」と断じている。実際、誰が何をどれぐらい横領したのか、全ては闇の中である。

 加えて、「巨大な占領軍のための住宅費と維持費の大半」が政府予算を圧迫する。「占領軍向け支出は、占領開始の国家予算の実に1/3を占めた」。戦争に負けるってのは、そういう事なんだなあ。

 書きたいことは山ほどあるんで、次の記事に続く。

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2015年3月 2日 (月)

SFマガジン2015年4月号

「あたしたちにできることがたったひとつある。生き延びるために学ぶのよ」
  ――ケン・リュウ「良い狩りを」古沢嘉通訳

 隔月刊第一号は、大増量の376頁。特集は「2000番到達記念特集 ハヤカワ文庫SF総解説PART1[1~500]」。小説は田中啓文「怪獣ルクスビグラの足型を取った男」,夢枕獏「小角の城」第30回,神林長平「絞首台の黙示録」第8回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第2回,川端裕人「青い海の宇宙港」第2回,円城塔「エピローグ<10>」,谷甲州「ガニメデ守備隊」,小田雅久仁「長城」後編,ケン・リュウ「良い狩りを」。

 特集の特集は「2000番到達記念特集 ハヤカワ文庫SF総解説PART1[1~500]」は、その名のとおりハヤカワ文庫SFとして刊行された作品を、1970年8月の1番エドモンド・ハミルトン「さすらいのスターウルフ」から1982年12月の500番ゼナ・ヘンダースン「血は異ならず」までドドッと紹介。

 全般的に今は手に入りにくいのが多いのが悲しい。なんとか電子出版でもいいから復活して欲しいのがいっぱいある。ロバート・シルヴァーバーグの「夜の翼」とか、今はあんまし話題にならないけど、どんでもねえ傑作だし。フレッド・セイバーヘーゲンのバーサーカーは、コンピュータ全盛の今だからこそ日本オリジナルのアンソロジーを作って欲しい。

 誰が何を解説してるか、も一つの読みどころ。宇宙大作戦が丸屋九兵衛、A.C.クラーク「渇きの海」が難波弘之、野尻抱介がニーヴンのノウンスペースなのは順当なところ。フレドリック・ブラウン「天の光はすべて星」を藤井太洋ってのは、芸風的にわかる気がする。タイトルからして傑作だよなあ。

 仁木稔がポール・アンダースンのホーカ・シリーズってのは、ちと不穏。「妖精」はホーカ人…なわけないか。あのまっとうなスペースオペラ「約束の箱舟」の瀬尾つかさが、あの怪作クリス・ボイスの「キャッチワールド」ってのが意外。編集長の塩澤快浩自ら紹介するエルンスト・ヴルチェク《銀河の奇跡》には大笑い。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマ ス」第2回。不意の襲撃を受け、相棒のウェイン・ロックシェパードを撃ってしまったウフコック。銃の姿のままのウフコックを、<トレイン>が運ぶ。13歳のブロンドの少年。彼は廃トンネルに住むホームレスたちに育てられたが…

 冒頭から語られる<トレイン>の凄まじい生涯もショッキングながら、後に登場するブルーことアレクシス・ブルーコートの能力も、仄めかされるだけだが、なかなか怖い。元人質交渉人という背景から、あまり暴力的な能力じゃない事は見当がつくのだが…

 円城塔「エピローグ<10>」。朝戸&アラクネと、刑事クラビトが交互に登場する形だったが、今回はイザナミ・システムが主役を張って物語の背景を明かしてゆく。

 神林長平「絞首台の黙示録」第8回。教誨師の後上明正は主張する。茶を運んできた人物は私の父親ではない、父は既に死んでいる、電話を受け茶を運んだのは理事長だ、と。だが死刑囚の邨江清治に教誨した事は認めた。

 異常な事態に直面しながらも、互いが憶えている事を突き合わせ、少しづつ現状を理解しようとする後上明正と邨江清治。死んだはずの死刑囚が、伊郷タクミの名で出現するという不条理で始まったこの物語だが、邨江清治の記憶が戻るに従い、グロテスクな様相を示してくる。

 谷甲州「ガニメデ守備隊」。前の「ギルガメッシュ要塞」を、襲撃される側の視点で語りなおす短編。侵入を迎え撃ったタイタン軍の保澤准尉は、侵入者を素人と見た。死体を放置して逃げたからだ。だが、どうにも違和感は残る。ゲートを突破し監視システムを無効化する手際はプロに見えるからだ。

 今でも戦場では無人機が活躍している。今回は、その戦場の無人化を徹底して推し進め、宇宙に展開した様子を冷徹に描く一編。ガニメデ全域の警備を、准尉が一人で担当してる。こんな無茶が利くのも、ロボット兵器が極端に発達してるから。考えてみれば、宇宙服を着なきゃ何もできない人間より、ロボットに任せた方が合理的だよなあ。

 田中啓文「怪獣ルクスビグラの足型を取った男」。円谷プロダクション×SFマガジンのシリーズ。セスナから島に飛び降りた陣内福太郎を迎えたのは、彼を突こうとする巨大な円錐と、ジャングルを揺るがす咆哮だった。危険ではあったが、これで大事な事を確認できた。確かにヤツはいる…

 怪獣のスペックというのはなかなか謎が多い。ウルトラ・シリーズに登場する怪獣は、30分足らずで登場し、消えてしまう。にも関わらず、なぜ身長や体重がわかるのか。まあ身長は周囲の建物の比べたり、体重は足跡の沈み込み具合で見当もつくが…という謎に迫った作品。田中啓文だかたオチはどうせ…と思ったら。

 ケン・リュウ「良い 狩りを」。原題は Good Hunting, by Ken Liu。父とぼくは、商家の中庭に隠れている。寝室から、商人の息子の呻き声が聞こえる。「ああ、小倩、愛しの小倩…」。若者は妖狐に化かされ、憑かれたのだ。妖狐は化かした男の泣き声には逆らえない。そこでおびき寄せ、妖怪退治師の父とぼくで…

 これまで紹介された作品は、どれも泣かせる物語ばかりだったケン・リュウ。相変わらず巧みな語り口で読者を引き込みつつ、今回は意外な方向へ突っ走って行く。いやあ萌えます。なんたって狐の美女だし。などと煩悩にまみれて読んでたら、大変な事になってる。いっそこのままシリーズにして欲しいぐらい、キャラクターと結末が魅力的。

 川端裕人「青い海の宇宙港」第2回。宇宙遊学で多根島に来た6年生の天羽駆。担任のちかげ先生は、学級活動の時間を使い多根島の地理と歴史の授業をしてくれた。と言っても、教えるのは島の子供たちだ。鉄砲伝来の話になると、周太は興奮して叫びだす。

 大型ロケットの打ち上げが延期になり、様々な影響が現れてくる今回。理科が好きな男の子には大きく分けて二つの派閥があって。一方は天羽駆を代表とする生き物派、もう一方は本郷周太のようなメカ派。今までは単なるガキ大将に見えた周太が、意外な素顔を見せるのが楽しい。

 小田雅久仁「長城」後編。長城の叫びに応じ、二千回にも及ぶ他人の人生を送り、そして夷狄と戦ってきた康之。だが今回は城内にいた記憶がない。"置きわすれ"だ…と思ったが、ここはまだ長城の中だ。橋の真ん中に黒い金属バットがある。これで俺の二重体を殺すのか。

 延々と他人の人生を生き、敵である夷狄を殺す。舞台設定は今流行の異世界ファンタジーっぽい仕掛けながら、主人公の康之は老いて僻みっぽい母親と二人暮らしのオッサン。金持ちの青年実業家ならバットマンみたいなヒーロー物にもなるのに、そこはクセ者の小田雅久仁。

 池澤春菜「SFのSha,ステキのS」。今回は引っ越しと本棚の話。ゃ本読みなら誰もが悩む、本の置き場所。本ってのは、ほおっておくと際限なく増殖しやがる困ったシロモノで。引っ越しする際にも、まず最初に考えるのが「本棚をどこに置くか」。それも大抵は計画通りにいかず、気がつけば隙間は全て埋まり…。いっそ図書館に住みついたろか。

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