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2015年3月29日 (日)

シッダールタ・ムカジー「病の皇帝『がん』に挑む 人類4000年の苦闘 上・下」早川書房 田中文訳

がんは単一の疾患ではなく、多くの疾患の集まりである。われわれがそれらを一緒くたにして「がん」と呼ぶのは、そこに細胞の異常増殖という共通の特徴があるからだ。
  ――はじめに

ある病気の――あらゆる病気の――死亡率を集団レベルで下げると知られている唯一の医学的介入は、予防だった。
  ――第三部 「よくならなかったら、先生はわたしを見捨てるのですか?」

【どんな本?】

 がんとは何か。人類は、いつからがんに罹るようになったのか。なぜがんになるのか。ヒトはどのようにがんに対処してきたのか。がんはなぜ転移するのか。なぜ再発するのか。薬が効く人と、効かない人がいるのはなぜか。なぜ抗がん剤で治療すると、痩せたり髪が抜けたりするのか。そして抗がん剤は、どのように開発されてきたのか。

 がんに挑み続けた人類のアプローチを、外科医・内科医・化学者・遺伝学者・統計学者などの学者ばかりでなく、ホワイトハウスまで巻き込んだ社会運動家、そして実際にがんと戦った患者など、多くのドラマを交えて描く、科学と人間の傑作ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Emperor of All Maladies - A Biography of Cancer, by Siddhartha Mukherjee, 2010。日本語版は2013年8月25日初版発行。私が読んだのは2013年11月15日の再販。売れてます。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約355頁+325頁=約680頁に加え、大阪大学大学院医学系研究科・病理学の仲野徹教授による解説「大いなる未完」7頁。9.5ポイント45字×20行×(355頁+325頁)=約612,000字、400字詰め原稿用紙で約1,530枚。長編小説の文庫本なら三冊分の大容量。

 翻訳物の科学・医学ノンフィクションだし、ハードカバーで上下巻と分量も多いが、中身は意外なほど読みやすい。まず、文章がこなれていて親しみやすい。内容も、専門用語は沢山出てくるが、その多くは意味が分からなくても読みこなせる。私が苦労したのは、治療法の効果を統計で測る部分だが、これも落ち着いて読めば理解できる。

 それと、重要なのが、寛解(→Wikipediaの治癒)という言葉。これは、「治っちゃいないが薬を飲んでれば症状がない」状態。ハゲてるけどカツラしてればフサフサに見えるとか、近視だけど眼鏡をかけてりゃ運転できるとか、そんな感じ。

 全般的に、中学校卒業程度の理科と数学の素養があれば充分だろう。むしろ、問題は面白すぎること。早く先を読みたくて、小難しい所を読み飛ばしたくなるので困った。

【構成は?】

 全般的に、ほぼ時系列で話が進むので、素直に頭から読もう。

  •  上巻
  • はじめに/プロローグ
  • 第一部 「沸き立たない黒胆汁」
    「血液化膿症」/「ギロチンよりも飽くことを知らない怪物」/ファーバーの挑戦状/内密の疫病/オンコス Onkos/消えゆく体液/「冷静な思いやり」/ラディカルな考え/固い管と弱い光/染色と死/毒された雰囲気/ショービジネスの女神/ジミーが建てた家
  • 第二部 せっかちな闘い
    「社会を形成する」/「化学療法の新しい友人」/「肉屋」/最初の勝利/マウスと人間/VAMP/解剖学者の腫瘍/行軍中の軍隊/荷車と馬/「がんへのロケット発射」
  • 第三部 「よくならなかったら、先生はわたしを見捨てるのですか?」
    「われわれは神を信じる。だがそれ以外はすべて、データが必要だ」/「微笑む腫瘍医」/敵を知る/ハルステッドの灰/がんを数える
  • シッタールダ・ムカジーへのインタビュー
  • 原注/索引
  •  下巻
  • 第四部 予防こそ最善の治療
    「真っ黒な棺」/皇帝のナイロンストッキング/「夜盗」/「警告文」/「ますます奇妙になってきた」/「クモの巣」/STAMP/地図とパラシュート
  • 第五部 われわれ自身のゆがんだバージョン
    「単一の原因」/ウイルスの明かりの下で/「サーク狩り」/木立を吹き抜ける風/危うい予測/がんの特徴
  • 第六部 長い努力の成果
    「何一つ、無駄な努力はなかった」/古いがんの新しい薬/紐の都市/薬、体、そして証拠/一マイル四分の壁/赤の女王競争/13の山
  • アトッサの闘い
  •  謝辞/用語解説/解説:仲野徹/参考文献/原注/索引

【感想は?】

 たった今、日本はがんの猛攻撃を受けている。厚生労働省平成21年(2009)人口動態統計(確定数)の「第8表 死因順位(第5位まで)別にみた年齢階級・性別死亡数・死亡率(人口10万対)・構成割合」によると、日本人の死因のトップは悪性新生物=「がん」なのだ。特に60歳から69歳までは、約2人に1人ががんに命を奪われている。

 つまり、もし医療が今のままなら、あなたの家族や友人の半分は、がんで死ぬのだ。たぶん私も。

 昔、がんは不治の病だった。メロドラマだと、薄幸な恋人が罹る病気の代表格である。家族や恋人の励ましで厳しい手術を耐え抜き、恋人と結ばれる直前に、転移がみつかってさようなら、というのがパターンだった。少し後の時代だと、化学療法が出てきた。なにやら難しい名前の薬を沢山処方された恋人は、やつれて頬がこけ、髪も抜け落ちる。

 だが、どうにもよく分からない。「転移」って、なんだ? なんで薬で髪の毛が抜けるんだ? それじゃ薬じゃなくて毒じゃん。

 毒なのだ、実際。当事の抗がん剤は、本来、毒だったのだ。酷い話である。だが、なぜ医者が患者に毒を盛る? 患者を殺すのが医師の仕事なのか?

 ここで、本書のヒーロー、シドニー・ファーバーが登場する。時は1946年。彼が担当したのは小児の白血病、小児急性リンパ性白血病。血液中の津完全な白血球が異常増殖する病気だ。細胞分裂には葉酸が必要である。これが足りないと貧血になる。では、栄養失調な白血病患者に葉酸を与えたら、効果は…

 あった。それも、劇的に。ただし、逆だった。「ある患者では、白血球数が二倍近くまで増え」た。大失態である。

 だが、ファーバー先生はタフである。発想を逆転させたのだ。「葉酸が白血病を悪化させるなら、葉酸を減らせば治るんじゃね?」 そこで、葉酸のフリをする(が葉酸と同じ効果はない)葉酸モドキを手に入れる。張り切って治療を始めようとしたが、病院の総スカンにも関わらず、意地張って試験を続ける。

 これも効果は劇的だった。しかも、今回は成功。ただし、成果は…

チームが治療したのは16例。そのうち10例が治療に反応し、約1/3にあたる5例は診断4ヶ月、ときには6ヶ月も生存した。

 たった半年の延命でも、当時は画期的だったのだ。いずれも、当初は経過が良くなるものの、しばらくすると再び悪化して症状は急転直下、というパターン。

 がんは、細胞が異常増殖する病気だ。ファーバーは、細胞の増殖を邪魔する薬を使った。これで、がんは増殖できない。ただし、この薬が邪魔するのはがん細胞だけじゃない。正常な細胞も、増殖を邪魔する。つまり、毒なのである。当事の抗がん剤は、みんな似たようなものだった。がんが死ぬか患者が死ぬかのチキンレースだったのだ。

 以後、この本は似たようなパターンの話が繰り返し出てくる。画期的な治療法が登場し、華やかに喧伝される。だが、やがて、がんの猛烈な巻き返しが始まる。

 という、がんとの闘いはもちろん面白いが、この本の面白さは、他にも沢山ある。例えば医学と化学の関係だ。

 時は1828年。ベルリンの科学者フリードリヒ・ヴェーラー(→Wikipedia)は尿素を合成する。シアン化アンモニウムを加熱したのだ。これは大きな反響を呼ぶ。なぜなら、当事の常識では、「尿素は腎臓で作られる」ものだったからだ。生物が作る物質を、無機物でも作れる。

 「生命の体は様々な化学反応を起している、生命とはいわば化学工場である」と言っても、今なら大きな反発はない。だが、当時は大変に革命的な概念だったのだ。この章では、他にも、イギリスの産業革命からドイツの繊維産業を介し、(当事の)梅毒の特効薬サルバルサン(→Wikipedia)の開発へ繋がる物語が綴られる。これもエキサイティング。

 意外と新しい二重盲検の歴史、見落とされてきたがんの予防、外科医と化学療法の確執、基礎研究と応用研究のバランス、医師と患者の関係、たばこ産業との対決、そして遺伝子への着目と、読み所は多い。

 ただ、当然ながら、本書中では多くの患者が亡くなる。特に、幼い子供がバタバタと死んでゆく小児急性リンパ性白血病のあたりは、感性が豊かな人には辛いかもしれない。多くの命に支えられて、医学は進歩してきた。ドミニク・ラピエールの「愛より気高く」同様、そんな事をsみじみ考えさせられる本だった。

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