ジョン・ダワー「増補版 敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人 上・下」岩波書店 三浦陽一・高杉忠明・田代泰子訳 1
1945年度(1945年4月から1946年3月まで)の軍事予算は、八月の終戦時にはまだ七ヶ月分が残っているはずであった。しかし、実際にはその約70%が天皇の「玉音」放送以前にすでに使われていた。そして残りの30%(予算総額850億円のうち260億6千万円)は、占領軍が到着する前に、軍の契約業者にいち早く支払われてしまった。
――第3章 虚脱
【どんな本?】
1945年8月に太平洋戦争は終わる。戦争は約3年8ヶ月に及んだ。しかし、その後の軍事占領は1952年4月までの6年8ヶ月に及ぶ。占領は戦争の2倍近くの期間にわたったのだ。
大日本帝国から日本国へ、それはこの国が大きく変わる時代だった。国民は今までの鬼畜米英から一転、マッカーサーを熱く歓迎する。軍国主義から民主主義へと思想を切り替える。戦意高揚を狙ったマスコミは、カストリ雑誌を創刊する。それまで亜細亜の解放者であったはずの日本人は飢えに苦しみ、下町の者は家すら失う。
激変の時代に、占領者で改革者である米軍は、何を考えどう行動したのか。それまで日本を指揮してきた者たちは、どう振舞ったのか。厳しい検閲体制の元、ある者は軍に迎合しある者は口を閉じある者は連行された文化人たちは、どう転向したのか。そして癒えや家族を失った庶民は、何を思い、どうやって混乱期を生き延びたのか。そして、現代日本の基礎はどのように築かれたのか。
歴史学者の著者が、日米両国の膨大な資料と取材を元に、勝者アメリカによる敗者日本の占領を、様々な立場・思想の日本人の視点で描く、ドキュメンタリーの傑作にして問題作。
1999年全米図書賞ノンフィクション部門・2000年バンクロフト賞・2000年度ピュリッツァー賞一般ノンフィクション部門のほか、2002年大仏次郎論壇特別賞など、日米両国で高い評価を受けた。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Embracing Defeat - Japan in the Wake of World War Ⅱ, by John W. Dower, 1999。日本語版は2004年1月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約355頁+395頁=約750頁。9ポイント50字×19行×(355頁+395頁)=約712,500字、400字詰め原稿用紙で約1,782枚。文庫の長編小説なら3冊分の大容量だが、写真や図版を豊富に収録しているので、実際の文字数は7割ぐらい。
日本語の文章は比較的にこなれていて読みやすい方。読みこなすのにも、特に前提知識は要らない。中学卒業程度の日本の近代史・現代史の知識があれば、充分に読みこなせる。
【構成は?】
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テーマごとに時代を行ったりきたりする構成だが、全般的に時系列に沿って話は進む。素直に頭から読むとわかりやすいだろう。
【感想は?】
70年前の事を扱った本だが、今でも極めて政治的な本だ。だから、読者の政治姿勢で評価は大きく変わる。
つまりは岩波書店の本だ。だから極右の人には耐えがたいほど不愉快だろうから、近寄らないほうがいい。面白く読めるのは、ノンポリ・リベラル・左派の人だ。保守でも穏健な人は、現代の米軍のイラクやアフガニスタン政策を思いながら読むと、多少の示唆を得るかもしれない。
例えば冒頭の「日本の読者へ」の中で、森首相の「神の国」発言に触れ、「それは歴史の特定の時期の、それもひどい時代の『日本』」とコキ下ろしている。そういう本だ。
全般的に日本人に対し理解を示しながらも、厳しい視点も忘れていない。34頁には、空襲で焼け野原になった東京下町の写真を掲載し、「東京では、全家屋の65%が破壊された」と、当事の日本の悲しい有様を紹介している。他にも外地から引き上げる人の苦労に触れ…
第二次世界大戦の無数にある大規模な悲劇の中でも、こうした日本人たちの運命は、これまで見落とされてきた部分である。
としつつも、ベストセラー「きけ わだつみのこえ」に対しては、悲劇性を認めつつも辛らつだ。
もっぱら注目すべき、ほんとうに悲劇的なものは、彼ら自身の死であって、彼らが殺したかもしれない人間たちの死ではない――こういった閉鎖的な戦争観をもっている以上、日本人以外の犠牲者はまったく目に入らなかったのである。
などと、被害者意識を厳しく指摘している。
恐らく当時最も悲惨だったのは、親を失ったりはぐれたりした子供たちだろう。彼らは嫌われ蔑まれた。確かに盗みや物乞いもしたが、そうしなきゃ食えない。「和の国」なんぞと言っちゃあいるが、薄情だろうと仄めかしている。とはいえ、子供も逞しい。
1947年4月の警察の取締りの際、285人の浮浪児がつかまったが、そのうちまったく職がない子供は76人にすぎなかった。この年の大学卒のホワイトカラー公務員の平均月給は1240円であったが、これらの浮浪児のうち19人が、驚いたことに平均日収百円に達しており、そのほか67人が日収30円から50円を稼いでいた。
当事の食糧不足は色々と言われているが、その原因まで語られる事は少ない。理由の一つは、当事の日本が既に立派な貿易大国だった事だ。
真珠湾攻撃の前の時点で、日本人が消費する米の31%、砂糖の92%、大豆の58%、塩の45%がこれら(朝鮮・台湾・中国)からの輸入に頼っていた。
ところが占領地はもぎ取られ、輸送用の船は潜水艦に沈められ、どうしようもなかったのだ。おまけに…
1945年は、天候不順、労働力不足、粗末な農機具、そして肥料生産の減少により、収穫高は例年より40%近くも減少し、1910年以来最悪の不作の年となった。
ということで、「1946年6月、米の闇値は政府の配給制度で割り当てられた米のおよそ30倍」になる。そりゃ誰だって闇市で売るよ。そこに疫病がやってくる。「1945年から48年の間に、コレラ、赤痢、腸チフス、パラチフス、天然痘、流行性チフス(紅斑熱)、猩紅熱、ジフテリア、流行性髄膜炎、ポリオ、脳炎に感染した者は65万人以上と報道された」。
庶民がそうやって苦しむ中、戦争を指導した軍と政府は冒頭の引用のごとくだ。日本銀行は軍需業者に膨大な融資を行なう。平和的な産業に転換させる、という名目で。「その後の調査によれば、帝国陸海軍が保有していた全資産のおよそ70%が、この戦後最初の略奪の狂乱のなかで処分された」。
1946年4月には、東京湾で銀塊が見付かり、その一年後に化学工場が摘発され、1947年価格だと概算で三千億円と見積もられたが、「主要な犯人は誰ひとり起訴されなかった」。ちなみに「この年度の政府の通常予算のうち、政府支出の総額が2050億円」。他にも…
1947年7月、(略)衆議院に「隠退蔵物資等に関する特別委員会」が設置された。委員会の発足当初、調査官に与えられた権限はわずかで、調査費もゼロであった。
というやる気のなさ。「戦後日本の政治経済体制の礎石のひとつとしての構造的腐敗をかくりつさせたのである」と断じている。実際、誰が何をどれぐらい横領したのか、全ては闇の中である。
加えて、「巨大な占領軍のための住宅費と維持費の大半」が政府予算を圧迫する。「占領軍向け支出は、占領開始の国家予算の実に1/3を占めた」。戦争に負けるってのは、そういう事なんだなあ。
書きたいことは山ほどあるんで、次の記事に続く。
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