アンドリュー・ソロモン「真昼の悪魔 うつの解剖学 上・下」原書房 堤理華訳
真実をありのままに認めよう。うつ病の原因が何なのか、本当のところ、私たちにはわかっていない。うつ病の構成要素が何なのかも、まだわかっていない。なぜ特定の治療がうつ病に効くのかも、まだわかっていない。うつ病がどのように進化の過程を突破したのかも、わからない。
――第一章 うつ病医学界はいつも精神疾患と自殺の関連性を主張する。その一方で、扇情的なメディアは、彼らの自殺は精神疾患のせいではなく、何か別の理由があったからだと騒ぎ立てる。いずれにしろ、自殺の理由を見つけると私たちは安心する。
――第七章 自殺
【どんな本?】
うつ病とは何なのか? それはどんな症状なのか? それにより、罹患者の生活はどう変わるのか? どんな治療法があり、どんな経過を辿るのか? 文化や社会による違いはあるのか? 人類はいつ頃からうつ病に苦しんできたのか? 社会はうつ病に対し何ができるのか? なぜうつ病は適者生存のルールで淘汰されていないのか?
自らもうつ病に罹患し、数回の「崩壊」を体験したノンフィクション作家である著者が、自らの経験をきっかけに、大量の資料と膨大な取材を元に、うつ病の全貌を描くノンフィクション。2001年全米図書賞<ノンフィクション>部門受賞作。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Noonday Daemon - An Atlas of Depression, by Andrew Solomon, 2001。日本語版は2003年8月1日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で本文約400頁+341頁=約741頁に加え訳者あとがき4頁。9ポイント44字×19行×(400頁+341頁)=約619,476字、400字詰め原稿用紙で約1549枚。文庫本の長編小説なら3冊分ぐらいの容量。
日本語は比較的にこなれている。内容も、特に前提知識は要らない。薬の名前が説明も無くズラズラ出てくるが、分からなくても大きな影響はないと思う。ではスラスラ読めるかというと、そうでもなくて…
【構成は?】
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各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。深刻なうつ病に苦しんだ経験のない人にとって、第一章と第二章はかなり読みづらいので、面倒くさかったら他の章に移るのもいい。ただ、以降の章の基礎知識を書いてあるので、判断が難しいところ。
【感想は?】
先に書いたように、第一章と第二章は読みづらい。というか、鬱陶しいのだ。
この鬱陶しさは、うつ病の人に接した時に感じる鬱陶しさそのものだ。話す話題は自分の気分の事と、飲んでいる薬の事だけ。プロザックだのパキシルだのヴァリウムだのと言われても、関心のない者にとっては何のことやら。
気分についても、まわりくどい比喩や古典の引用が多く、何度も出てきてしつこい。しかも、語っている本人は、「アレができない、コレができない」と駄々こねてばかり。読んでてイライラしてくる。
それがうつ病なのだ。そう、病気なのである。「気の持ちよう」じゃないのだ。本人には、どうしようもないのである。症状が軽ければウザいだけで済むが、重くなるとベッドから出られず、仕事どころか普通に暮らす事すらできない。冒頭から古典文学の引用が沢山あり、昔から人がうつ病に悩まされてきたことが伝わってくる。
これがハッキリと示されるのが「第八章 歴史」。「ヒポクラテス(→Wikipedia)は、うつ病は本質的に薬の服用で治療するべき脳の病気であると主張した」。ヒポクラテス、医学の父と崇められる紀元前400年ごろの人である。そこ頃には、既にうつ病は「病気である」と認識されていた。
最近になって日本でもうつ病が話題になっていて、私は「これも現代病か」と思っていたけど、とんでもない勘違いだった。大昔から、ヒトはうつ病に悩んできたのだ。
私が勘違いしている事は他にも沢山あった。例えばうつ病の症状だ。無気力になるだけかと思ったら、暴力的になる場合もあるのだ。これは男性に多い。だがそれを認めようとしない。「恥ずかしすぎる」。そう、男は強くなきゃイカンのだ。世の中は、そうあれと求めている。心の病気になるのは弱さの証拠で、それを認めるわけにはいかないのである。
現実的な影響もある。あなた、選挙でうつ病の履歴のある候補者に投票する気になりますか? この本には自らの双極性障害を公開する合衆国下院議員も出てくるが、日本の衆議院議員でそれだけの度胸のある人はいないだろう。
だが、できれば公開した方がいい、と著者は主張する。
自分のいやな部分をすべて病気の項にまとめてしまえるのであれば、残ったいい部分が「本物の」ロリーだということになる。
病気の原因やメカニズムについては、本書はあまり役に立たない。正直に「実は今の所、よく分かっていない」と書いてある。脳内のセロトニンだのドーパミンだのが関係しているらしいが、どう関係しているのかはよく分かっていない。薬も多くの種類があるが、人と時期によって効いたり効かなかったりする。ここで面白いのが、バイアグラ。
そう、男の夜の頼もしい味方、バイアグラだ。抗うつ剤の多くは、副作用がある。その一つが勃起障害だ。これが嫌で服用をやめる人がいる。うんうん、気持ちは分かる。男には重大な問題なのだ。そこでバイアグラである。しかも…
ハーヴァード大学のアンドリュー・ニーレンバーグと、オクラホマ大学のジュリア・ワーノックによれば、バイアグラの女性への使用は認められていないが、この薬には女性の性欲を刺激し、オーガズムを促す効果があるという。
本当なら色々と悪用できそうな←をい
なんて明るいネタもあるが、全般として悲惨な話が多い。上巻で著者が症状を切々と訴える部分は少々ウザいが、下巻の「第九章 貧困」に登場する女性たちの人生は、悲惨な話ばかりだ。その多くが幼い頃に強姦され、被害を訴えても誰も助けてくれない。「そりゃ病気にもなるよ」と思う。
病気そのものについては、「よく分かっていない」とあるが、うつ病患者を疎ましく思う心理はわかった気がする。不幸な人を見るとムカつく。誰かに責任を押し付けたくなる。冒頭の引用にあるように、「理由を見つけると私たちは安心する」。そこで、目の前の人、つまり患者本人のせいにすれば、気が楽になるのだ。
つまりは自分の不機嫌のツケを、弱っている人に押し付け、自分の重荷を下ろすのである。少なくとも、私にはそういう部分がある。それが分かっただけでも、この本はなかなかの収穫だったと思う。
ただし、全般的に憂鬱な気分になる本だ。なまじ膨大な取材に基づいた説得力があるだけに、余計に厳しい。心身の調子がいい時に読もう。
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コメント
rin様、コメントありがとうございます。「性欲の科学」面白そうですね。
Amazonのレビューを読むだけで笑ってしまいました。
通勤電車の中で読むには向きませんが。絶対領域w
投稿: ちくわぶ | 2015年2月19日 (木) 22時43分
いつも更新楽しみにしています。
バイアグラの女性への影響については「性欲の科学」(URL参照)によると血流増加(身体的な反応)はするが性的興奮(気分的な反応)はしないという結果がでているそうです。(4章)
この本は、男性は強制的に血流増加させても興奮するが、女性は気分には影響しないというようなことが書いていたりで興味深いですよ。
投稿: rin | 2015年2月19日 (木) 18時45分