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2015年2月11日 (水)

トマス・ウォートン「サラマンダー 無限の書」早川書房 宇佐川晶子訳

「読書の一時間は楽園から盗まれた時間だと、イスラム教徒がいうじゃありませんか。その完璧な考え方につけくわえられるのは、執筆の一時間は地獄の前触れということぐらいでしょう」

「あらゆる真理に対し、あらゆる境界線に対し、“もっとなにかある” と要っているのが書物なのだぞ」

 賢人たちは四冊の高貴な本について話した。物質の本、液体の本、火の本、そして目に見えない本。この四冊をまぜあわせたものの中に、四冊すべての中にある読まれない本が見つかるという。

【どんな本?】

 カナダの作家トマス・ウォートンによる、18世紀を舞台とした冒険ファンタジー長編小説。カナダのケベックで始まった物語は、「無限の書」を求める伯爵と、その命を受けた印刷職人、伯爵の娘、得体の知れない神父などを巻き込みながら、スロヴァキアからヴェニス・アレキサンドリア・中国…と諸国を巡ってゆく。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2004年版」のベストSF2003海外編では17位にひっそりとランクインした。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SALAMANDER, by Thomas Wharton, 2001。日本語版は2003年8月31日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約362頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×20行×362頁=約325,800字、400字詰め原稿用紙で約815枚。長編小説としてはやや長め。

 文章は比較的こなれている。内容もファンタジーなので、特に難しくない。舞台が18世紀なので、当事の世界史に詳しいと更に楽しめるだろう。もう一つ重要なのが、グーテンベルク(→Wikipedia)に始まる活字(→Wikipedia)と印刷、製本。活字で一頁分の版を組む工程が分かっていると、ニヤニヤできる所がアチコチにある。

【どんな話?】

 1759年、カナダのケベック、夜。焼け落ちた街を通り過ぎようとしたブーゲンヴィル中佐は、灯りに惹かれ、その書店の焼け跡に踏み込む。そこにいたのは、職人の格好をした若い女。中佐が名乗ると、この状況にもかかわらず女は落ち着いて答える。「本をお書きになったでしょう」。

 そして彼女は語り始める。理想の本、まだ読んでいなくて、読みたいと思っている本の話を。「お話したら一晩かかってしまいますわ、中佐」。

 時は1717年。ベオグラードでのオスマン=トルコ軍とキリスト教軍の戦い(ベオグラード包囲戦、→Wikipedia)が終わろうとする時…

【感想は?】

 本を巡る、奇想天外な冒険ファンタジー。

 ファンタジーにもいろいろあるが、これは「物語」がギッシリ詰まった作品だ。感触としては、カート・ヴォネガットの長編に近い。一つの本の中に、小さくて奇妙な挿話が沢山つまっている。

 冒頭はカナダのケベック州を巡る、イギリスとフランスの戦争で幕を開ける。といっても戦争そのものは単なる舞台設定で、戦闘の描写はない。そこで焼け跡に佇む若い女が、中佐に対して語る一冊の本の物語、それがこの小説の中身だ。千夜一夜物語と似た構成である。

 ただし、シェヘラザードの物語がアチコチへと飛ぶのと違い、彼女の話は一冊の本を追って進んでゆく。

 ベオグラード包囲戦の話は、参戦していたオストロフ伯爵の物語へとつながってゆく。この伯爵がまたケッタイな人で。パズルに入れ込み、奇形の者を喜んで雇い、普通の人には理解できない道楽にのめりこむ。「オストロフ伯爵の夢は、城中の召使いを人間ではなく機械にしてしまうことだった」。

 全自動の城。ある意味、18世紀のハッカーである。こんなケッタイな道楽にハマった伯爵が、ヒマにあかせて城を改造しまくったが為に、城の中身は大変な事になってしまう。もうね。このあたりから、ファンタジーなんだかスチームパンクなんだかわからない、でも子供なら一日中でも楽しく遊んでいそうな描写が次から次へと出てくる。

 いやホント、一度そんな城に行って暮してみたい。すぐ遭難するだろうけど。

 この城に、ロンドンに住む印刷職人のニコラス・フラッドが呼び出される所から、物語は本格的に動き始める。フラッドが城に泊まり、ケッタイな仕掛けにとまどう様子も楽しいが、彼が受ける依頼も本好きの心を躍らせる。

「無限の本を制作してもらうためには、きみが必要なのだ、フラッドくん」

 かくして、無限の本を作る冒険の物語が始まる。そう、これは本の物語だ。そのため、本についての様々な小ネタがアチコチに散らばっている。なんたって、ヒロインの名前からしてパイカだし。そう、活字の世界では12ポイントを表す言葉だ(→Wikipedia)。

 こういった印刷の話は、嘉瑞工房活字について活版印刷の工程が参考になる。

 今は Adobe InDesign や Quark の XPress などで編集し、PDF で出力すれば製版用のフィルムができるけど、昔は全然違ってた。鉛の活字を一つ一つ拾い、それを一頁分まとめて枠に固定し…ってな感じに作っていた。だから文字を拾う専門の植字工なんてのもいた。やがて活字は写植に押され、写植はデジタル化の波に攫われ…

 まあいい。なんいせよ、無限の本を作る羽目になったフラッド君、職人魂に火がついたのはいいいが、城で寝起きする日々の中、別の火もついて。彼が彼女に渡すメッセージも、なかなかしゃれてる。

 やがて物語はヴェニスやアレキサンドリアへと向かい、アチコチで不思議な挿話を幾つも挟みながら、世界中を旅してゆく。凄腕の冶金師が生み出した「鳥肌活字」、アレキサンドリアの図書館の焚書から逃れた書物、海の上の草原、最高級亀、多情が浅瀬の渡し舟、カンマの糸…

 既に書籍も電子化へと向かう現代、活字どころか写植すら消えつつある。だが、コンピュータ化された今でも、「ポイント」「ボールド」「禁則」などの言葉や概念は、活字の時代の組版の言葉を受け継いでいたり、模倣していたりする。消え行く活字を惜しみながら、迷宮を彷徨う気分を味わえる、豊かで不思議な物語だ。

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