リチャード・モーガン「オルタード・カーボン 上・下」アスペクト 田口俊樹訳
バンクロフト同様、マッキンタイアも世の有力者だった。そういうやつらが払う値打ちについて語るとき、ひとつ確実に言えることがある。
それは誰かほかのやつが払っているということだ。「守りにまわって生きてる人間は遅かれ早かれ守りの側でしかものが考えられなくなる。いい? タケシ、あなたは大切なことを忘れてる」
【どんな本?】
イギリス生まれのSF作家リチャード・モーガンのデビュー作。27世紀、人類が他の恒星系にまで進出した未来、人格をデジタル化して記憶媒体に記録し、他の肉体で再生する事も可能になった時代が舞台。大富豪の不可解な自殺事件の謎を追い、特命外交部隊のタケシ・コヴァッチがベイ・シティを駆け回るハードボイルド・アクションSF長編。
アメリカでペーパーバックで出版されたSF小説を対象としたフィリップ・K・ディック記念賞を2004年に受賞したほか、「SFが読みたい!2006年版」のベストSF2005海外篇でも15位にランクインした。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は ALTERED CARBON, by Richard Morgan, 2002。日本語版は2005年4月5日第一版第一刷発行。 単行本ソフトカバー縦一段組みで上下巻、本文約379頁+355頁=734頁に加え、訳者あとがき6頁。今はアスペクトから文庫版が上下巻で出ている。9ポイント45字×19行×(379頁+355頁)=約627,570字、400字詰め原稿用紙で約1569枚。文庫本なら3冊分ぐらいの大長編。
日本語は比較的にこなれているが、肝心の文章がハードボイルド調で気取った言い回しが多いため、意味を把握するのに少し手こずる。内容も、幾つかの点でややこしい。
まず、一種の探偵物なので、登場人物の多くが腹に一物持っており、語る言葉を素直に信用できない。次に、SF的なガジェットが細かい説明なしに出てくるため、相応のSF知識と想像力を要求される。最後に、書名にもある「オルタード・カーボン」。この技術のため、登場人物の見てくれと中味が一致しない。
ある程度、SFを読みなれた人向け。
【どんな話?】
植民星ハーランズ・ワールドで恋人のサラ・サチロフスカと暮していたエンヴォイ・コーズ(特命外交部隊)のタケシ・コヴァッチは、コマンドに襲撃され、サラもろとも殺された。
186光年離れた地球のサンンフランシスコで、タケシは目覚めた。新しいスリーヴ(肉体)は40代前半の男、ニューケラム(超神経化学物質)で強化されている。身元引受人はローレンス・バンクロフト、地球の有力者だ。だが保管施設でタケシを向かえたのは、地元の警官で有機体損壊課のクリスティン・オルテガ。
オルテガは、バンクロフトが自分の頭をふっとばした事件を担当している。彼女の見解では自殺だが、バンクロフトは他殺だと思っている。そこでタケシにお呼びがかかったらいいが…
【感想は?】
かなり読者を選ぶ作品だ。
というのも。語り口とお話の筋書きは、ハードボイルド小説のもの。タフで格闘に長け、社会の裏側もよく知っている元兵隊のタケシ・コヴァッチが、有力者の自殺の謎を追う、というもの。ハメットやチャンドラーの流れを汲む、タフで非情で自らのルールに忠実な男が探偵を務める、血と汗と欲望にまみれた物語だ。
が、仕掛けはかなり凝ったSF。なんたって舞台は27世紀だし。肝心の事件も、現代の感覚だとあり得ない。なにせ、死んだ本人が、自らの死を、自殺か他殺か確認してくれ、という依頼である。これは遺言じゃない。すぐに死んだはずのバンクロフトがピンピンして登場する。
その仕掛けが、書名にもなっているオルタード・カーボン。ヒトの人格を記憶媒体にデジタル・コピーし、他の肉体に移し変える技術だ。これが色々とややこしくて。
殺されたバンクロフトは、48時間ごとに人格のバックアップを取っている。そして、自分の肉体のクローンも幾つか持っている。だから、本当に死ぬことはない。最悪でも、48時間分の記憶がなくなるだけだ。これは、彼が金持ちだからできること。クローンを保管するのは、かなり金がかかるのだ。
それとは別に、肉体には、記憶を保持するメモリー・スタックを埋め込んである。これはリアルタイムに情報を保存するんで、死の瞬間まで記憶を遡れる。主人公のコヴァッチは、このスタックから再生した…別の星の別の肉体で。
なにせ距離が186光年離れている。モノを移動するには、凄まじい時間がかかる。通信なら、光の速さでヒトを送れる。この物語では「ニードルキャスト」という技術を使っていて、これはどうやら光速より速く情報を送れるらしい。ということで、コヴァッチはニードルキャストで186光年を飛び、地球に元からあった何者かの肉体に移されたわけだ。
などという仕掛けや舞台裏を、ハードボイルドらしいぶっきらぼうな語り口から、読者は読み取らなくちゃいけない。これは相当にSFを読み込んでいないと、難しいだろう。
つまり、ハードボイルドが好きで、かつ相応にSFに馴染んでいる人向けという、かなり狭い市場向けの作品ということになる。にも関わらず、売れ行きは上々のようで、映画化の話もあるから世の中はわからない。元々、タフな探偵物は一定の人気があるだけに、SFが世間に浸透したと考えていいんだろうか。
これだけ凝った仕掛けのためか、上巻はかなり難渋した。小道具大道具共に、SFなガジェットも次々と出てくるし。
いきなり苦笑いしたのが、新しい肉体で目覚めたコヴァッチが感じる、「ニコチン中毒を思わせる肺の圧迫感」。この肉体は中古品で、元の使用者がタバコを吸っていたのだ。私も一日に一箱吸うんで、ちょっと切なくなった。肉体を変えれば禁煙できるのなら、試してもいいかな。
コヴァッチの職業?であるエンヴォイ・コーズ(特命外交部隊)の仕掛けも、なかなか楽しい。特殊な技能を持つ人間は、数が少ない。宇宙は広大なので、人間を移送してたら、時間がかかってしょうがない。特に急を要する仕事が多い軍人、それも特殊部隊員ならなおさら。じゃどうするか、というと…
などなど、上巻では、肝心のオルタード・カーボン技術を巡る仕掛けやクスグリがアチコチに出てくる。とはいえ、それで人間がどれぐらい変わるか、というと。
「通信販売、ヴァーチャル・スーパーマーケット、自動デビット・システムなどなど。だから、実際に物理的に買い物をするなんてやり方は、とっくの昔になくなってもおかしくなかった。でも、そういうことにはならなかった。そのことからあなたには何がわかる?」
この辺は微妙なところだけど、通販が進歩しても、やっぱりウインドウ・ショッピングの楽しさは残る、と私も思う。
これ中盤以降に入ると、「意外な真相」が次々と暴かれ、話はどんどんややこしくなってゆく。そもそも、上巻から、出てくる奴のすべてが胡散臭さをプンプン漂わせてるし。おまけに舞台はサンブランシスコ。ダーティー・ハリーの根城でドラアグ・クイーンの本拠地とくれば、何が出てきてもおかしくない。
凝った仕掛け、気取った台詞、血しぶき飛び散るハードなアクション、そして人の業を感じさせる事件の真相。マニアックなSFガジェットと、タフな探偵が主役のハードボイルドを合体させた、今世紀ならではの娯楽作品。映画化したら、きっと「ブレードランナー」を引き合いに出して広告するんだろうなあ。
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