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2015年2月の14件の記事

2015年2月27日 (金)

John Whitington「PDF構造解説」オライリージャパン 村上雅章訳

本書を先頭から読み進めるだげで、核となる概念を効率よく吸収でき、PDFというフォーマットの内部構造を理解できるようになります。そしてpdftk というフリーウェアの力を借りることで、テキストエディタを使って手作業でPDFファイルを作成したり、プログラムから直接PDFファイルを出力できるようにもなります。
  ――訳者まえがき

【どんな本?】

 PDF(Portable Document Format)は、文書形式の一つだ。主に印刷物など、レイアウトが決まった文書に向く。Adobe Systems が開発し、2008年7月に ISO 32000-1 として国際規格となった。

 インターネット上でも、官公庁が公開する資料や、一般に配布する申請用紙などで使われている。また、Microsoft Word や Adobe Photoshop などのコンピュータで作った文書を書籍化する際は、PDF で入稿する場合が多い。

 普及が進む PDF だが、その構造を知るのは難しい。公開の仕様書は膨大な頁数で、理解するには多くの前提知識が必要だ。この本は、「とりあえず大雑把にPDFの概略を掴みたい」という人向けに、「PDFとは何か」「どんな要素を持っているか」「どんな形式で記述しているか」を解説する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は PDF Explained, by John Whitington, 2012。日本語版は2012年5月22日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー横一弾組みで本文約219頁。9ポイント37字×32行×219頁=約259,296字、400字詰め原稿用紙で約649枚だが、サンプル・コード/サンプル出力/イラスト/表などを多数収録しているので、実際の文字数は6~7割ほど。

 日本語の文章は少々堅い。オライリーの翻訳本では平均的なレベルかな? 内容の難しさは、評価がややこしいので後述。当然ながら、これ一冊でPDFの全てを賄う本ではない。詳しく知りたければ、正規のドキュメントを読もう。また、オライリーの本だけあって、プログラミングの経験がないと辛い。

【構成は?】

 1章~4章は必ず読もう。全体の基礎となる部分だ。5章以降は、気になる所だけを拾い読みすればいい。

  • 訳者まえがき/まえがき
  • 1章 はじめに
    • 1.1 簡単な歴史
      • 1.1.1 ページ記述言語
      • 1.1.2 PDFの開発
      • 1.1.3 PDFのメリット
      • 1.1.4 ISO規格
      • 1.1.5 特殊なPDF
      • 1.1.6 各バージョンの概要
    • 1.2 PDFファイルの内部はどうなっているのか?
      • 1.2.1 テキストとフォント
      • 1.2.2 ベクタイメージ
      • 1.2.3 ラスタイメージ
      • 1.2.4 カラースペース
      • 1.2.5 メタデータ
      • 1.2.6 ナビゲーション
      • 1.2.7 オプショナルコンテンツ
      • 1.2.8 マルチメディア
      • 1.2.9 対話型フォーム
      • 1.2.10 論理構造と再フロー 
      • 1.2.11 セキュリティ
      • 1.2.12 圧縮
    • 1.3 どういった人々がPDFを使うのか?
      • 1.3.1 印刷業界
      • 1.3.2 電子書籍と出版
      • 1.3.3 PDFのフォーム
      • 1.3.4 文書のアーカイブ
      • 1.3.5 ファイルフォーマットとして
    • 1.4 便利な無償のソフトウェア
  • 2章 簡単なPDFファイルの作成
    • 2.1 PDFの基本的なシンタックス
      • 2.1.1 ドキュメントコンテンツ
      • ページコンテンツ
      • ファイル構造
    • 2.2 ドキュメント構造
    • 2.3 要素を組み立てる
      • 2.3.1 ファイルヘッダ
      • 2.3.2 主となるオブジェクト
      • 2.3.3 グラフィックスコンテンツ
      • 2.3.4 カタログと相互参照テーブル、トレーラ
    • 2.4 すべてをまとめる
    • 2.5 補足
  • 3章 ファイル構造
    • 3.1 ファイルレイアウト
      • 3.1.1 ヘッダ
      • 3.1.2 本体
      • 3.1.3 相互参照テーブル
      • 3.1.4 トレーラ
    • 3.2 字句規約
    • 3.3 オブジェクト
      • 3.3.1 整数と実数
      • 3.3.2 文字列
      • 3.3.3 名前
      • 3.3.4 ブーリアン値
      • 3.3.5 配列
      • 3.3.6 辞書
      • 3.3.7 間接参照
    • 3.4 ストリームとフィルタ
    • 3.5 インクリメンタル更新
    • 3.6 オブジェクトと相互参照ストリーム
    • 3.7 直線化PDF
    • 3.8 PDFファイルの読み込み方法
    • 3.9 PDFファイルの書き出し方法
  • 4章 ドキュメント構造
    • 4.1 トレーラ辞書
    • 4.2 ドキョメント情報辞書
    • 4.3 ドキョメントカタログ
    • 4.4 ページとページリスト
    • 4.5 テキスト文字列
    • 4.6 日付
    • 4.7 すべてをまとめる
  • 5章 グラフィックス
    • 5.1 コンテンツストリームの内容を覗いてみる
    • 5.2 オペレータとグラフィックスの状態
    • 5.3 パスの生成と塗りつぶし
      • 5.3.1 ベジェ曲線
      • 5.3.2 図形の塗りつぶしとワインディング規則
    • 5.4 カラーとカラースペース
    • 5.5 変換
    • 5.6 クリッピング
    • 5.7 透明度
    • 5.8 シェードとパターン
    • 5.9 フォームXObject
    • 5.10 イメージXObject
  • 6章 テキストとフォント
    • 6.1 PDFにおけるテキストとフォント
    • 6.2 テキストの状態
    • 6.3 テキストの印字
      • 6.3.1 テキストの選択
      • 6.3.2 テキスト空間とテキストの位置決め
      • 6.3.3 テキストの描画
    • 6.4 フォントの定義と埋め込み
      • 6.4.1 PDFにおけるフォントタイプ
      • 6.4.2 Type1フォント
      • 6.4.3 フォントのエンコーディング
      • 6.4.4 フォントの埋め込み
    • 6.5 ドキュメントからテキストを抽出する
    • 6.6 リリース
  • 6.5章 日本語の取り扱い
    • 6.5.1 サンプルコード
    • 6.5.2 フォント辞書
      • 6.5.2.1 エンコーディング
    • 6.5.3 CIDフォント辞書
      • 6.5.3.1 CIDシステム情報
    • 6.5.4 フォントディスクリプタ
    • 6.5.5 ページのコンテンツ
  • 7章 ドキュメントのメタデータとネビゲーション
    • 7.1 しおりとデスティネーション
      • 7.1.1 デスティネーション
      • 7.1.2 ドキュメントアウトライン(しおり)
    • 7.2 XMLメタデータ
    • 7.3 注釈とハイパーリンク
    • 7.4 ファイルの添付
  • 8章 ドキュメントの暗号化
    • 8.1 はじめに
    • 8.2 暗号化辞書
    • 8.3 暗号化されたドキュメントの読み込み
    • 8.4 ドキュメントの暗号化と書き込み
    • 8.5 暗号化されたドキュメントの編集
  • 9章 pdftkを用いた作業
    • 9.1 コマンドラインシンタックス
    • 9.2 ドキュメントのマージ
      • 9.2.1 ファイルをマージした際に起こること
    • 9.3 ドキュメントの分割
      • 9.3.1 ファイルを分割した際に起こること
    • 9.4 スタンプと透かし
      • 9.4.1 スタンプを追加した際に起こること
    • 9.5 メタデータの抽出と設定
    • 9.6 ファイルの添付
    • 9.7 暗号化と復号化
      • 9.7.1 暗号化されたファイルの復号化
      • 9.7.2 ファイルの暗号化
    • 9.8 圧縮
  • 10章 PDFソフトウェアと参考文献
    • 10.1 PDFビューア
      • 10.1.1 Adobe Reader
      • 10.1.2 プレビュー
      • 10.1.3 Xpdf
      • 10.1.4 GSview
    • 10.2 ソフトウェアライブラリ
      • 10.2.1 JavaおよびC#向けのiText
      • 10.2.2 PHP向けのTCPDF
      • 10.2.3 Perlを用いたPDFの処理
      • 10.2.4 Mac OS X上のPDF
    • 10.3 フォーマットの変換
      • 10.3.1 PDFからPostScriptへ、またはその逆への変換
      • 10.3.2 PDFのラスタ化によるイメージへの変換
      • 10.3.3 ファイルの印刷によるPDFへの変換
    • 10.4 PDFの編集
      • 10.4.1 Adobe Acrobat
      • 10.4.2 Mac OS X のプレビューを用いた編集
    • 10.5 PDFとグラフィックスの参考文献
      • 10.5.1 ISO32000とPDFファイル形式
      • 10.5.2 PDF Hacks
      • 10.5.3 関連する話題
      • 10.5.4 フォーラムとディスカッション
      • 10.5.5 Adobeのウェブサイトにあるリソース
  • 付録A JavaScriptの埋め込み(古簱一浩)
    • A.1 埋め込みの基本
      • A.1.1 文書アクションでのJavaScript埋め込み
      • A.1.2 フォームレベルでのJavaScript埋め込み
      • A.1.3 ページレベルでのJavaScript埋め込み
      • A.1.4 PDF読み込み時のJavaScript埋め込み
      • A.1.5 一括してJavaScriptを編集する
    • A.2 JavaScriptのデバッグ
      • A.2.1 デバッガーの起動
    • A.3 しおりを階層化テキストで書き出す
    • A.4 閲覧期限を限定する
    • A.5 閲覧回数を表示する
    • A.6 フルスクリーンモードにする
    • A.7 自動的にしおりを作成する
    • A.8 スライドショー
    • A.9 ゼロパディング
    • A.10 メニューの実行
    • A.11 アクション/バッチ処理
    • A.12 その他のJavaScript
    • A.13 JavaScriptコードを一括して削除する
  • 付録B 電子書籍に便利なツール集(千住治郎)
    • B.1 文字列を検索する――pdfgrep
      • B.1.1 poplerライブラリ
    • B.2 PDFを比較する――diffpdf
    • B.3 pdftkのGUI――pdfchain
    • B.4 WISIWYGなPDFエディタ――pdfedit
    • B.5 PDFの版管理機能――pdfresurrect
      • B.5.1 処理内容
      • B.5.2 pdfresurrectの機能
      • B.5.3 利用形態(案)
    • B.6 PerlのText::PDFモジュール
    • B.7 電子書籍の管理――calibre
  • 索引

【感想は?】

 以下三つの条件を全て満たす人向けの本だ。

  1. PDFに興味がある。
  2. プログラミングの経験がある。
  3. 文字や図形の描画について、多少の知識がある。

 加えて、できれば Adobe Illustrator を使い込んでいると、感覚を掴みやすいだろう。

 「PDFに興味がある」といっても、その程度は様々だ。だいたい、次の三段階に分かれるだろう。

  1. 「PDFとは何か」を知りたい
  2. 「PDFで何ができるか」を知りたい
  3. 「ソレはどうやればいいのか」を知りたい

 後の方ほど、細かく詳しい解説が必要になる。この本は、2. と 3. の中間あたりまでを満たす内容だ。「PDFで何ができるか」は、だいたい見当がつく。だが、実際にPDFを扱うプログラムを作るには、Adobe Systems から分厚い仕様書を手に入れる必要がある。

 基本的に「ザッと軽く流し読みして、細かい所は Adobe の仕様書を読んでね」という本である。これ一冊でPDFの全てを賄う本ではない。また、プログラミングの経験がないと、読んでもナニを言ってるのか見当もつかないだろう。B木は、まあわからなくても大きな問題はないだろうが、「相互参照テーブル」がわからないと、かなり厳しい。

 「軽く流し読み」が前提の本とはいえ、それぞれの章は、相応の前提知識が必要だ。

 2章~3章では、少なくともASCIIとUnicodeの違いがわかる程度には文字コードの知識が必要である。さすがに16進ダンプをスラスラ読める必要はないが、0x20と聞いて「ASCIIの空白ね」と分かる程度には知らないとマズい。少なくとも、テキスト・ファイルとバイナリ・ファイルの違いは分かっている必要がある。

 「5章 グラフィックス」では、「マイター結合」だの「ワインディング規則」だの「カラースペース」が出てくる。これらは Adobe Illustrator を使い慣れていたり、PostScript を知っていれば、雰囲気を掴みやすい。つかCTM(Current Transformation Matrix)がピンと来る人は滅多にいない…いや、CGの世界じゃ常識なのかな?

 「6章 テキストとフォント」も、相当に突っ込んだ話が次々と出てくる。「レディング」「カーニング」「グリフ」…。文書を作る際に、Microsoft Wrod ではなく、Adobe InDesign や Quark XPress を使う人向けの内容である。

 そんなわけで、全部を真面目に通して読む人は、滅多にいないだろう。大半の人は、1~4章を軽く流し読みして、5章以降は意味不明な所を飛ばしながら読む、そんな読み方になると思う。というか、全体を完全に理解しながら読める人は、素直に Adobe から正規の文書を手に入れた方がいい。

 私は「どうせ PostScript+αだろう」と思っていたんだが、だいぶ違うので驚いた。ラスタ画像がなきゃテキスト・ファイル名 PostScript に比べ、PDFはヘッダから ox80 以上のバイトが出てくる。バイナリとテキストが混在した、ややこしい形式なのだ。

 単純な頁の並びかと思っていたが、終端近くに「各オブジェクトのバイト・オフセット」が入ってるし。これじゃテキトーに中身を入れ替えたら、ズレて使い物にならなくなるじゃん←ナニをするつもりだw いや書き換えたいじゃん、できれば sed や awk とかのコマンド一発で←をい

 「PDFなら文字の位置とかもズレないよね」と思っていたが、この本を読む限り、ズレる可能性は充分残ってるっぽい。

 というのも、各文字の送りなどはフォントに依存するんで、表示または印刷する環境に、必要なフォントがなかったり、フォントのバージョンが違ってたりすると、悲劇が起きる可能性はある。素直にPDFにフォントを埋め込んでおけば問題ないんだけど、日本語はフォント情報が膨大だしなあ。現場じゃどうやってるんだろ?

 まあいい。全般として、初心者向けとしては詳しすぎるしマニアックすぎ、プロ向けとしては詰めが甘い本である。プロが Adobe の仕様書を読む前に、全体の雰囲気を掴むために流し読みする、といった位置づけの本だろう。

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2015年2月25日 (水)

SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2015年版」早川書房

翻訳未刊行の『ブルー・マーズ』はどうなったのか創元さんに聞きたい!
  ――西村一

 私も聞きたい。

 ということで、年に一度のお祭り本。2014年に日本で刊行されたSF・ファンタジイ・ホラーを中心に、小説・ノンフィクション・映画・漫画などにも視野を広げ、話題となった作品をまとめて紹介するムック。2015年2月15日初版発行。ソフトカバー192頁。

 やはり目玉は「ベストSF2014[国内篇・海外篇]」に加え、ベストSF1990~2013のトップ10も一挙掲載。そういや私、2009年版は買いそびれてたんだよなあ。

 国内篇は「みずは無間」「新生」「サムライ・ポテト」と、未読の作品にも美味しそうなのが揃ってる。11位~20位も、「突変」「テキスト9」「機巧のイヴ」「躯体上の翼」と読みたいのがズラリ。全般的に、文芸風またはスリップストリーム寄りの作品が苦戦して、骨太のSFらしいSFが人気を集めてる感じ。

 海外篇は、国内・海外共にファンタジイが苦戦する中、キジ・ジョンスンの「霧に橋を架ける」が4位と健闘してる。「火星の人」のフィーバーぶりが凄い。11位~20位では14位のジェフ・カールソン「凍りついた空 エウロパ2113」と19位のジェフ・ヴィンダミア「全滅領域」が読みたい。

 けどネイサン・ローウェルの「大航宙時代」の姿が見えないのは納得いかない。後ろの「全回答」を見ると、何人か票を入れてる人はいるんだけど、「火星の人」に票を食われたのかな。

 寄稿は熱いのが多い。藤井太洋「『オービタル・クラウド』自作解題」では、惜しげもなくネタをバラしているので、未読の人は要注意。上田早夕里「《オーシャン・クロニクル・シリーズ》のこれから」では、「華竜の宮」「深紅の碑文」のシリーズはまだ続く、という嬉しい話。しばらく先になるけど。

 中村融「『火星の人』と宇宙開発SFの新時代」では、火星を中心に太陽系内の惑星を舞台にした作品をズラズラと挙げていく。「火星縦断」はタイトルがストレートでよかった。そして板倉充洋「グレッグ・イーガン『白熱光』講義」は、あの難解な「白熱光」のカン所を詳しく解説してくれる親切講座。

 サブジャンル別総括では、卯月鮎の「ライトノベル 伝奇アクション&異世界ファンタジイ」が、昨今の出版事情の注目点二つにフォーカスしてる。一つは「キャラ文芸」「ラノベ文芸」みたいなアレ。なかなか面白い動きだけど、SFよりファンタジイやスリップストリームと相性がよさそう。もう一つが、「小説家になろう」を初めとするウェブ小説の動き。

 「火星の人」は自サイトが元だったし、「大航宙時代」はサウンド・ブックから始まった。「Gene Mapper」も電子出版がきっかけで、虚淵玄と芝村裕吏はゲーム出身。どこからどんな人が出てくるかわかんない時代で、これはこれでとても楽しみ。

 科学ノンフィクションを軽く眺めると、真っ先に気がつくのは「書名がやたら長い」こと。「○○はなぜ××なのか」式に、具体的なテーマを絞って読者の興味を惹こうとする工夫に、出版社の営業努力を感じる。この中では「サイボーグ昆虫、フェロモンを追う」がやたら美味しそう。もちょい、工学系、それも機械工学系の本も売れるといいなあ。

 今年の出版予定だと。早川書房は丸写ししたいぐらいなんで割愛。角川書店は藤崎慎吾の深海大戦モノに期待してる。河出書房新社は、なんと谷甲州「星を創る者たち」の続編が出るとか。マジか。東京創元社はR・C・ウィルスンの新作。そして徳間書店、山本弘「宇宙の中心のウェンズディ」が今年中って、信じていいのか?

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2015年2月24日 (火)

高野秀行「謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア」本の雑誌社

 彼らはなぜ差別されるのかとアブティに訊いた。「人間が平等だということを連中はわかってないからだ」とか「俺たちのことを汚いと決めつけている」といった答えを予想していたが、意外にも「数が少ないからだ」という答えが返ってきた。「こっちの数が少ないから、何かやられても相手にやりかえせない」
  ――第3章 大飢饉フィーバーの裏

【どんな本?】

 無政府状態が続き、首都モガディショではイスラム過激派アル・シャバーブが跳梁跋扈し、周辺海域には海賊が出没するため各国の海軍が協力して対処に当たっているソマリア。だが、その北部は話し合いで内戦を終結させ、事実上の国家が成立・機能しているという。その名もソマリランド。

 にも関わらず、未だ他国には国家として承認されていない。そこはどんな所なのか。どんな人がいて、どんな暮らしをしているのか。なぜ内戦を終わらせられたのか。プントランドや南ソマリアとの関係はどうなのか?そもそも、ソマリアとはどんな国で、なぜ内戦に突入し、なぜ今も続いているのか。

 「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も知らないものを探す。それをおもしろおかしく書く」をモットーとする突撃ジャーナリスト高野秀行が、体当たり取材で暴き出した、ソマリアおよびソマリランドの驚愕レポート。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年2月20日初版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約491頁。9ポイント45字×18行×491頁=約397,710字、400字詰め原稿用紙で約995枚。長編小説なら文庫本2冊ぐらいの分量。

 日本人、それもジャーナリストの作品だけあって、文章は親しみやすく読みやすい。内容も特に難しくない。最もややこしいのは、ソマリア内の氏族構成なのだが、これを分かりやすくするため見事な工夫をしている。142頁の氏族構成図はyく整理され、かつわかりやすいので、栞を挟んでおこう。

【構成は?】

  •  プロローグ 地上に実在する「ラピュタ」へ
  • 第1章 謎の未確認国家ソマリランド
    • 1 ラピュタへのビザはどこで取得できるのか
    • 2 ソマリ人は傲慢で、いい加減で、約束を守らず、荒っぽい
    • 3 市場に札束がごろごろ
    • 4 動物だらけの遊牧都市
    • 5 世界でいちばん暑い町
    • 6 海賊に拉致されたドイツ人と刑務所の海賊
  • 第2章 奇跡の平和国家の秘密
    • 1 ソマリランド観光案内
    • 2 天変地異には要注意
    • 3 知られざる覚醒植物カート
    • 4 ソマリランドはなぜ治安がいいのか
    • 5 ワイルド・イースト
    • 6 だいたいソマリランド最高峰登頂記
    • 7 ソマリランドが和平に成功した本当の理由
    • 8 独立は認められないほうがいい?
    • 9 「地上のラピュタ」は、ライオンの群れが作る国家
  • 第3章 大飢饉フィーバーの裏側
    • 1 ソマリア三国志
    • 2 北斗の拳を知らずしてラピュタは語れない
    • 3 世話役はカートの輸出業者
    • 4 被差別民の意見
    • 5 ハイエナには気をつけろ
    • 6 アル・シャバーブの影
  • 第4章 バック・トゥ・ザ・ソマリランド
    • 1 奇跡の政権交代
    • 2 ソマリの超速離婚
    • 3 血の代償
    • 4 ワイヤップの裏切り
  • 第5章 謎の海賊国家プントランド
    • 1 海賊の首都ボサソ
    • 2 氏族の伝統が海賊を止められない理由
    • 3 籠の中のカモネギ
    • 4 プントランドも民主主義国家?
    • 5 ソマリランドの「宿敵」はこう語る
    • 6 世紀末都市ガルカイヨ
    • 7 謎の源氏国家ガルムドゥッグ
    • 8 史上最大の作戦
    • 9 続・史上最大の作戦
  • 第6章 リアル北斗の拳 戦国モガディショ
    • 1 モガディショ京都、20年の大乱
    • 2 世界で最も危険な花の都
    • 3 豪腕女子局長ハムディ
    • 4 旧アル・シャバーブ支配区を見に突入
    • 5 完全民営化社会
    • 6 現場に来て初めてわかること
    • 7 カートとイスラム原理主義
    • 8 アル・シャバーブを支持するマイノリティ
    • 9 アル・シャバーブはマオイスト?
    • 10 すべては「都」だから
  • 第7章 ハイパー民主主義国家ソマリランドの謎
    • 1 戦国時代のソマリランド
    • 2 「地上のラピュタ」に帰る
    • 3 アフリカTV屋台村
    • 4 ソマリランド和平交渉の全てを知る長老に弟子入り
    • 5 ソマリの掟「ヘール」の真実
    • 6 ソマリ人化する
    • 7 世界に誇るハイパー民主主義国家
    • 8 伊達氏の異能政治家・エガル政宗の恐るべき策謀
    • 9 地上のラピュタを超えて
  •  エピローグ 「ディアスポラ」になった私
  • ソマリランドとソマリア近現代史年表

 気になる所だけ拾い読みしてもいいが、原則として時系列順に話が進むので、できれば頭から順番に読もう。

【感想は?】

 奇想天外、抱腹絶倒。笑いながら、中東やアフリカで戦乱が絶えない理由を実感できる、おトクな一冊。

 高野秀行。名前こそ出てこないが、実はレドモンド・オハンロンの「コンゴ・ジャーニー」にも出没している。レドモンドが訪ねたコンゴの奥地に、幻の怪獣ムベンベを探し訪ねたのが、彼の一行だ。

 ソマリランド。ちゃんと国家のWebサイトもある。何年ながら TLD は .com だが(http://somalilandgov.com/)。内戦続きのソマリアで、なぜソマリランドだけが平穏を保っていられるのか。平穏は本当なのか。不思議に思った高野氏が、持ち前の突撃精神で現地に向かい、自らの目で見聞きしたレポートが本書である。

 その実態は、まさしく奇想天外。私が今まで持っていたアラブ・アフリカそしてイスラム教の印象を根底から覆すと同時に、「実際に現地に行かないと分からないことは沢山あるんだなあ」と感心させられる一冊となった。

 まず驚いたのが、彼らの仕事の速さ。何事も「インシャラー」で先延ばしする連中だと思っていたんだが、著者が最初に接触した現地の VIP サイード氏、大統領のスポークスマンで御年70歳過ぎにも関わらず、電話したら「今すぐ行く」。そして実際に十分後に出現する。国家の要人に電話一本で10分で合えるのも凄いが、この後の展開も目まぐるしい。

 有能な人はトコトン有能なのだ、あーいう所は。とはいえ、決断と実行の速さは格別で、これはソマリ人の生活習慣が育てた文化的なものらしい。

 など国家の要人や、そこから紹介された現地のジャーナリストなどのツテを辿り、また著者ならではの方法で取材対象を広げていく手口にも舌を巻く。つまりはカート(→Wikipedia)だ。これを現地の人と共に楽しみながら、ヨッパライ同士の親睦を深め、その場でホンネを聞き出すのである。とまれ、中盤以降は仕事のためというより、明らかに好きでやってる感じになってるがw

 そういった体当たり取材で解明したソマリランドおよびソマリア内戦の実態は、意外性に満ちている。ソマリランドが平和で、南部で戦乱が絶えない理由を、カート宴会で聞き出した場面も、ブッ飛び物の展開だ。原因の一つは、元イギリス領と元イタリア領の違い。イギリスは間接統治で現地の社会を温存したが、イタリアは氏族社会を壊した。そしてもう一つ。

「理由はもう一つある。ソマリランドの人間は戦争が好きなんだよ」

 へ? いやソマリランドは平和で、南部ソマリアは北斗の拳状態なんだが?と思って聞き返すと…

「戦争好きなのはソマリランドの人間。南部のやつらは戦争をしない。だから戦争のやめ方もわからない」

 すんげえ納得。確かに戦争で最も難しいのは、それを止めることだ。慣れていれば、終戦工作も手馴れているだろう。実際、かつて内戦状態だったソマリランドの終戦工作も、実に手馴れていて見事な手際だった。このあたりは、ぜひ本書をお読みいただきたい。氏族関係が少々ややこしいが、じっくり読む価値がある。

 ここで見えてくるソマリ人の社会は、弱肉強食でありながら、本音をあけすけに語る、ある意味まっとうな社会である。いや現実には生き馬の目を抜く油断ならない世界なんだけど。冒頭の引用は、被差別種族のボヤキだが、差別の実態をあからさまに表している。要は、弱いから差別されるのだ。これは先進国ぶっている日本も、実態は変わらない。

 聴覚障害者は差別される。だが、私のような極度の近視でも、差別は社会問題にならない。なぜって、この国には近視や老眼の者が沢山いるからだ。眼鏡やコンタクト・レンズという手軽な補助器具も普及しているし。

 発想の違いも凄い。ソマリ人は「正義」に拘らない。重要なのは利害である。離婚を巡る議論でも、利害が議論の主題になる。ある意味、功利主義者なのだ。しかも、離婚そのものは責められない。お堅いイスラム社会だと思ったが、意外とサバけてる…と思いきや、ちゃんと現実的な利害勘定があるのだ。

 というのも。結婚・離婚を繰り返せば、婚姻を通じたコネが広がるからだ。別の氏族の者と結婚すれば、別の氏族にコネができる。これを通じ、個人では仕事の世話など、氏族全体では休戦の調停などができるのである。

 などのソマリランドの実体も意外な事だらけだが、隣の海賊国家プントランドも驚きの連続。著者が海賊稼業を始めようとして見積もり書を作るあたりは、感心しながらも笑いが止まらない。

 私も中央アジアやアラブの戦争について、それなりに本を読んで分かったつもりになっていたが、実は全然わかっちゃいなかったことを思い知らされた。ソコがそうなっているには、ちゃんとそうなるだけの歴史と文化と構造と経緯があるのだ。それは、現地に密着して取材しないと、ハッキリ見えてこないのである。

 と同時に、アメリカの派兵や自衛隊の海外派遣に対する考え方も、少し変わった。「アメリカは慎重に、自衛隊は積極的に」である。ナニやら矛盾するようだが、詳しくは述べない。是非この本を読んで、あなた自身の頭で考えて欲しい。たぶん私とは違う結論になるだろうが、考え方に影響を与えるのは確実だ。

 などと難しい事を考えなくても、著者の破天荒なキャラクターと無謀な冒険だけでも、充分に楽しめるエピソードが沢山つまっている。面白くて考えさせられる、現代日本ジャーナリズムが生み出した傑作。

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2015年2月23日 (月)

アップルにiPod nano の電池交換を問い合わせたら第1世代が第7世代に進化した

 だいぶ前、アップルの iPod nano の電池に問題が見付かり、回収になった。もしかして自分の iPod nano も対象ではないか?と思いアップルに電話して問い合わせたら、新品と交換してもらえた。アップルからは「最大で6週間ほどかかる」と言われたが、一週間で完了した。そこで、ここに顛末を書いておく。

【結果】

交換前:iPod nano 第1世代 容量2G 2006年2月18日に購入したもの
交換後:iPod nano 第7世代 容量16G 2015年2月23日に受け取る

なお、当然ながら、元の iPod nano の内要は完全に消える。
必要なデータ(住所録など)があるらなら、バックアップしておこう。

【概要】

2015.02.16(月) 10:00ごろ アップルのサポートに電話し、状況を伝える。
2015.02.19(木) 17:30ごろ 今使っている iPod nano を、ヤマト運輸が回収に来る。
2015.02.23(月) 10:50ごろ iPod nano 第7世代 16Gを、ヤマト運輸から受け取る。

【詳細】

0.予め用意するもの

iPod nano のシリアル番号
自分の住所・連絡先の電話番号(配送のヤマト運輸との連絡のため)・メールアドレス
ペンとメモ用紙:修理番号を書きとめる

1.2015.02.16(月) 10:00ごろ アップルのサポートに電話する。電話番号は 0120-277-535。

iPod nano の電池交換サービスの対象となるか否かを問い合わせた。
ここでシリアル番号を伝えると、詳細はアップル側が調べてくれる。
電池交換サービスの対象は iPod nano 第1世代であり、私の iPod nano は第2世代だ。
よって文言どおりなら交換対象ではないのだが、なぜが交換してもらえることになった。

2015年2月16日現在、iPod nano 第1世代は製造が終わっている。
そのため、最近の世代への交換となる。
この時点では、第6世代または第7世代に交換する事になった。

第6世代なら、送られてくるのは本体のみである。PCとの接続ケーブルやイヤホンは付かない。
第7世代の場合、本体+PCとの接続ケーブルがくる。
これは、第7世代で接続ケーブルの端子の形が変わったためだ。
だから、第6世代までは第2世代用のケーブルが流用できる。
だが第7世代はケーブルを流用できないのである。

今使っている iPod nano の引き取りの打ち合わせをする。
ここで住所と電話番号とメールアドレスを伝える。
引取りのにくる日時は、ある程度指定できる。
朝9:00~夜21:00の間で、2~3時間刻みぐらいの精度だ。
例えば「2015年2月18日水曜日の午前9時~12時の間」のように。

今の iPod nano を渡す際は、本体だけを渡せばよい。
ケーブルや保証書などは要らない。

なお、「交換には最大6週間かかる」そうだ。
最後に修理番号を教えてくれるので、メモしておこう。
配送などで不具合が合った時、修理番号を伝えれば迅速に対応してくれる。

3.2015.02.16(月) 11:30ごろ アップルから交換サービス受付確認のメールが届く。

私の場合、電話が終わってから60分以内に届いた。
英語だが、短い文章ばかりなので、私にも理解できた。
iPod nano のシリアル番号と、修理番号が書いてある。
文中のハイパーリンクをクリックすると、Web ブラウザで修理の進捗状況が確認できる。

以下にアップルからのメールを示す。
なお、シリアル番号と修理番号(赤い文字の所)は架空のものに変えた。

差出人:AppleSupport@email.apple.com
件名:We got your repair request.

Dear Customer,
Thanks for choosing Apple Support for your repair.

IPOD NANO

Problem Description:
iPod Hardware - iPod nano (1st gen.) Replacement Program
Serial Number: 0A123B45CDE
Repair ID: F987654321
Track the status of your repair.

What happens next?

Shipping
The courier will pick up your product and provide the necessary box.
Please give the courier the only the product itself.
If you include other items, such as the exterior box,
warranty, protection case, protection film, or any other items,
we won't be able to return the items to you.

Coverage
Based on the information you have provided,
we believe that your repair will be covered by the warranty,
an AppleCare product, or an Apple repair program or exchange program.
We will contact you if we have questions or concerns about the coverage.

4.2015.02.19(木) 17:30ごろ 回収に来たヤマト運輸に、今使っている iPod nano を渡す。

今使っている iPod nano を渡せばよい。
特に包装する必要はなく、裸のまま渡せばいい。
イヤホンやケーブルなどの付属品は渡さない。

5.2015.02.20(金) 17:30ごろ アップルから修理品の受取確認のメールが届く。

以下にアップルからのメールを示す。
なお、修理番号(赤い文字の所)は架空のものに変えた。

差出人:AppleSupport@email.apple.com
件名:We've received your product.

We'll start the repair now.
Your product reached the Apple repair center on 2015-02-20.
We will send you another email when the service request is complete.

Product: IPOD NANO
Repair ID: F987654321

You can also track the status at our Repair Status website.

Sincerely,
Apple Support

TM and copyright (c) 2015
All Rights Reserved / Privacy Policy / Support / Give us feedback

6.2015.02.22(日) 17:00ごろ アップルから修理完了・発送済みのメールが届く。

以下にアップルからのメールを示す。
なお、シリアル番号と修理番号と追跡番号(赤い文字の所)は架空のものに変えた。

On its way!
Your repair request is complete and we're sending you a replacement product.

Model
IPOD NANO

Repair ID
F987654321

Tracking number
123456789012

You can choose the delivery date and time after the tracking number
appears in the Yamato system.
This may not be immediate.
Once the tracking number is active,
you can call Yamato Transport to schedule the delivery.
Be sure to have your tracking number ready.

Serial number of original product
0A123B45CDE

Serial number of replacement product
ABCDE0F1G2HI

Please keep this email.
It shows that your product's serial number has changed with this repair.
You can track this request at our Repair Status website.

Thanks,
Apple Support

TM and copyright (c) 2015
All Rights Reserved / Privacy Policy / Support / Give us feedback

メール中の追跡番号(Tracking number)はハイパー・リンクになっている。
これをクリックすると、ブラウザで配送状況が確認できる。
集積所から自宅に向け配送中なら、ヤマト運輸のサイトで運転手の携帯電話の番号までわかる。
便利だなあ。

7.2015.02.23(月) 10:50ごろ ヤマト運輸が、新しい iPod nano を届けてくれる。

iPod nano 第7世代 16G のまっさらな新品だった。
付属品はケーブルではなく、旧ケーブルと端子の形を変える変換コネクタが付いてきた。
いずれにせよ、問題なく使えるので不満はない。

今までの容量2Gから16Gにいきなりスケール・アップしたので、ちょっとしたパニックになった。
なんか機能もやたらと増えてるし。
それでも、iTunes から音楽を転送したら、15分もかからず終わる。速い。すげえ。

【おわりに】

どうでもいい話を三つ。

その1。

電話の応対に出た人は、若々しくハキハキした声の女性である。「オフにはスカッシュやってます」みたいな感じの、元気のいい声だ。と同時に、会話の内要は深い業務知識とサポートの長い経験を感じさせる、賢く頼もしい印象がある。私の用件はクレームとも取れるシロモノであるにも関わらず、電話の後は愉快な気分になった。

もちろん、新世代の iPod nano が手に入る、というさもしい欲得は、ある。それに加え、頭の回転の速い人との会話は、楽しいのだ。たとえそれが事務的な話であっても。

寂しさでクレームの電話をかけまくる老人の気持ちが、少しだけ分かってしまった。

その2。

このサービスの結果、今まで使っていた iPod nano とはお別れする羽目になる。これが、少し寂しい。アップルの製品は、機械のクセに、長く使っていると、ペットのような愛着が湧くのだ。電池交換サービスはオトクなサービスにも関わらず、今使っているモノへの愛着ゆえに断念する人も多いんじゃないかと思う。

その3。

新しい iPod nano を受け取り、使い方を少し飲み込んだら、さっそくお出かけしたくなった。
とにかく嬉しくて、使いたくてしょうがないのだ。
iPod は引き篭もりの対策に使える…わけないかw

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2015年2月22日 (日)

C・S・ルイス「沈黙の惑星より」早川書房 中村能三訳

「セーロニなら、きっとわたしがいま言っているより、うまく言いえるだろう。わたしが詩のなかで言えるよりは、うまくは言えないが」

【どんな本?】

 「ナルニア国ものがたり」で有名なイギリスの作家C.S.ルイスによる、SF風ファンタジイの初期の長編小説であり、三部作の第一部。実業家ディヴァイン・物理学者ウェストンと共に火星に降り立った言語学者ニルウェン・ランサムの冒険を通して、著者のギリスト教的な世界観・価値観を基盤にしたユートピアを描き出す。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Out of the Silent Planet, by Clive Staples Lewis, 1938。私が読んだのは早川書房の「世界SF全集 8」で、収録作はステープルドンの「シリウス」とリュイスの「沈黙の惑星より」(注)。この本は1970年4月30日発行。今はちくま文庫から文庫版で「マラカンドラ 沈黙の惑星を離れて 別世界物語」の書名で出ている。ハードカバー縦二段組で本文約182 頁、8ポイント26字×19行×2段×182頁=約179,816字、400字詰め原稿用紙で約450枚。長編小説としては標準的な長さ。

 さすがに1970年の翻訳なので文体は少し古臭いが、読みにくくはない。SFっぽい仕掛けを使ってはいるが、実質的には異世界ファンタジイなので、特に前提知識も要らない。敢えていえば、キリスト教に詳しければニンマリする場面が多いだろう。

 注:本書では著者名が「リュイス」となっているが、この記事では日本でよく使われている「ルイス」にした。

【どんな話?】

 一人の徒歩旅行を楽しむ言語学者ニルウェン・ランサムは、日暮れ時に宿を求め街道を歩く。やっと見つけた館には、昔なじみのディヴァインと、物理学者のウェストンがいた。ランサムは二人に拉致され、マラカンドラ=火星へと連行される。両名は、「ソーン」なる連中と取引し、ランサムと引き換えに何かを得るつもりらしい。やがて辿りついたマラカンドラ=火星は…

【感想は?】

 ルイスのキリスト教的世界観・価値観が強く出た作品だ。だから、思想的に合わない人も多いだろう。私もその一人だ。よって、この書評は、「そういうバイアスがかかっている」由を明言しておく。

 キリスト教といっても正教・カトリック・プロテスタントと様々だ。私は素人で「どう違うか」は知らない。だから「キリスト教的世界観・価値観」にも色々あるんだろうと思う。ルイスの場合、だいたい三つからなっている。まず、神の実在を信じていること。次に、創造論を信じていること。最後に、科学・工学の進歩や大量生産に反発すること。この三つが当てはまる人には、心地よい作品だろうと思う。

 ロケットで火星に行く話なので、一応はSFの形をしているが、実質的にはファンタジイだ。

 はっきり言って、この人はSFに向かない。作家としての長所を殺し短所を目立たせてしまう。序盤では火星まで宇宙船(らしきもの)で旅する場面が続くが、いくら1930年代の作品とはいえ、かなり描写はお粗末である。素直にファンタジイらしくクローゼットの奥を火星につなげちゃえばいいのに、と思う。

 なまじロケットなんぞを使うものだから、マラカンドラ=火星の描写も、最初は「1930年代とはいえ、いくらなんでも…」と感じる場面が続く。これは火星だと思うから違和感があるんで、話が進むにしたがいマラカンドラ=異世界と感じられるようになり、彼が生み出した風景をじっくりと楽しめるようになってくる。

 この辺がSFとファンタジイの違いの一つで。SFは、「どんな原理でそうなるのか」が重要で、「そうなる」までの過程をじっくり書かなきゃいけな い。ファンタジイだと、「なぜそうなるのか」は脇において、「それでどんな効果があるのか」から物語が始まる。こういう違いが発見できたのが、この作品の 収穫の一つ。

 そう、この人、機械が多い場面を描くのは下手なのだ。反面、天井のない広い風景を描かせると、優れた想像力を発揮する。

 SF云々を抜きにして、小説家としての腕を見ると。初期の作品とはいえ、この作品でも光る場面が多い。冒頭近く、ランサムにウィスキーを出す場面では、悪役の一人で実業家ディヴァインの人物像を、見事に印象付けている。いるよね、そういう困った性癖の奴。かと言ってせかすと、もっと困った事になるんだよなあ、この手の輩は。

 やはり著者の言語学の素養が生きているのが、ファースト・コンタクトの場面。当然、両者共に意思疎通はできないわけで、ランサムが「彼ら」の言語を解析し、学んでゆく所から、物語は俄然面白くなってくる。

 物語全般を通して旅のシーンが多い。始まりもランサムの一人旅だし。マラカンドラにたどり着いてからも、ランサム博士はアチコチを旅して回る。そこで描かれる風景が、この作品の大きな魅力の一つ。全般的に急峻な山に囲まれた谷の描写が多いかな?

 とまれ、やはり作品の主題は、マラカンドラに住む「彼ら」に強く現れている。私としてはプフィフルトリギの出番が少ないのが寂しい。彼らを評して曰く…

「それが彼らの意欲をそそるくらい難しいものだったら、つくってくれます。やさしいものだと、それがどんなに役にたつものであってもつくりたがりませんね」

 うはは。なんか気持ちはわかってしまうw 自分の腕を磨くのが好きなんだ、この連中。

 などを通し、マラカンドラの世界観が読者に伝わった後に来る、物理学者ウィリアム vs 著者の代弁者ランサムの場面は、まさしく圧巻。

 ここでは、ウィリアムの主張を、ランサムが解釈する形で進んでゆく。つまりは唯物論者ウィリアム vs 創造論者ランサムという構図だ。私の考えはウィリアムに近く、著者はランサムに近い。この物語ではウィリアムが悪役だから、そういう味付けがされていて、それが多少気に入らなくはあるが、ここでの会話は、両者の認識の違いを鮮やかに描き出してゆく。

 悪役を割り振られる不満はあるにせよ。それでも「唯物論者が語る言葉を、創造論者はこう解釈するのか!」という発見、ある意味センス・オブ・ワンダーに満ちあふれる緊迫したシーンであり、両者の考え方の絶望的なまでに大きな隔たりを実感させる一幕でもある。

 つまりは根本に、「この世界はどういうものなのか」という、世界認識の違いがあるのだ。論理ってのは、前提があって推論があって結果がある。その前提が完全に違っちゃっているわけで、こりゃもう「半端な話し合いで解決するのは無理だなあ」と、しみじみ思い知らされた。

 キリスト教的な思想が色濃く出ている作品だ。それが好き、または気にならないなら、楽しく読めるだろう。

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2015年2月20日 (金)

オラフ・ステープルドン「シリウス」早川書房 中村能三訳

「でも、ちがえばちがうほど、愛する人が美しくなるのですよ」

【どんな本?】

 イギリスのSF作家ウイリアム・オラフ・ステープルドンによる、オールタイム・ベスト級の傑作SF長編小説。人為的に知能を強化されて生まれた犬シリウスと、彼と双子の兄弟同様に育った女性プラクシーを中心に、優れた知性と豊かな心を持つ犬シリウスの生き様を描きながら、彼の目を通した人類の姿を浮き彫りにしてゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SIRIUS, by Olaf Stapledon, 1944。私が読んだのは早川書房の「世界SF全集 8」で、収録作はステープルドンの「シリウス」とリュイスの「沈黙の惑星より」。この本は1970年4月30日発行。ハードカバー縦二段組で本文約237頁、8ポイント26字×19行×2行×237頁=約234,156字、400字詰め原稿用紙で約586枚。長編小説としては標準的な長さ。今は文庫本が出ているが、入手困難。

 文章はゴツゴツして堅い感じだし、時代が時代なので言い回しも古臭いが、不思議なことに意外と読みやすい。たぶん原文も簡潔明瞭で素直な文章なんだろう。SFといっても仕掛けは「賢い犬を人為的に作る」だけ。「どうやって賢くするか」の部分で科学っぽい理屈が出てくるが、気にしなくていい。むしろ重要なのは犬の習性で、飼った経験のある人ならニンマリする記述が沢山ある。

【どんな話?】

 トマス・トレローンは哺乳類の知能を高める研究の中で、知能の高い牧羊犬を作り出す。トマスはその実験のためにウェールズに家族と共に居を構え、地元の農家に超牧羊犬を売り出し、使ってもらう。当初はケッタイな犬に戸惑った農家だが、トマスの牧羊犬は優れた能力を発揮し、喜ばれる。

 その中の一頭、牡のシリウスは成長が遅く、同じ時期に生まれたトマスの娘プラクシーと、家族同様に育てられる。やがてシリウスは単なる超牧羊犬を超えた能力と意欲を示すが…

【感想は?】

 まさしくオールタイム・ベスト級の傑作。

 さすがに1970年の訳なので文章の言い回しこそ時代がかっているが、その内容は全く古びていない。冒頭で少し出てくる「哺乳類を賢くする方法」はさすがにアレだが、それは仕方がない。この本の真髄は、そうやって生み出された天才犬シリウスの、葛藤に満ちた生き様にこそあるのだから。

 シリウス。本書の主人公である天才犬。ボーダー・コリーとアルザシアン(シェパード)の混血。トマスの実験により、人間並みの知能(と寿命)を持って生まれた犬。

 物語は、彼がトマスの娘プラクシーと共に住み始める冒頭から、自然豊かなウェールズの中で静かに動き出す。普通の犬の寿命は短いが、シリウスは人為的に成長を遅くしてあるので、肉体・精神ともにシリウスはプラクシーと双子同様に育ってゆく。

 この描写の目線は、あくまでも客観的に観察する科学者の目でありながら、シリウスとプラクシーの幼いながらも複雑な心の動きが、細やかに伝わってくる。

 一緒に育つので、両者は互いに強い絆で結ばれながらも、ライバル意識を持っている。犬とヒトの体の構造の違いから、それぞれ違った形で競い合う。トマスの妻でプラクシーの母エリザベスの愛情を巡り、両者がやきもち合戦を繰り広げるあたりは、犬好きなら「うわあ、可愛い!」と悶絶するだろう。

 やがて成長するにつれ、自分の能力と、その孤独を思い知ってゆくシリウス。この世にたった一人の、知性を持った犬。その孤独感は、本書を通してずっと漂っている。

 にも関わらず、この人間が支配する世界の中で、なんとか自分なりの役割を果たしたい、その知性とユニークな立場に相応しい仕事をしたい、そう願い苦悩する彼の姿には、大きく心を動かされる。中でも印象に残るのは、彼が図書館の蔵書に圧倒される場面。

この何百万という印刷物のほとんどに眼をとおすまでは、知識といえるほどのものを得ることはできないのだという素朴な考えに、彼は絶望をおぼえた。

 幸いなことに、知性と愛情豊かなトマス一家に囲まれて育つシリウスは、彼ら同様に強い知識欲と細やかな感情を備えてゆく。と同時に、高い知能を持ったが故の、多くの問題を抱えてしまう。シリウスが思春期から青年期へと成長してゆく中盤は、まんま青春物語として通用しそうな希望と苦悩の物語に仕上がっている。

 シリウスの目を通して描かれる、様々な人々の姿も、人間社会の多様な側面を次々と暴き出してゆく。あまり教養のない農夫でありながら、柔軟な気持ちで優れた管理者の資質を見せるピュー。研究者としての下心を見透かされるマクベイン。貧民街で献身的に人々に尽くす牧師ジェフリー。そして忍び寄る第二次世界大戦。

 当然ながら最も多くの文章はシリウスに割かれているが、彼に関わる人々が抱える葛藤も、この小説の奥行きを深くしている。

 私は牧師ジェフリーが好きだな。深い信仰を持ち、貧しい人々のため懸命に尽くすジェフリー。そのためジェフリー自信は多くの人から敬愛されるが、肝心の布教の成果はいまひとつ。目の前にいて、自分たちの為に頑張ってくれるジェフリーと、いるのかいないのかわからん神様と、どっちを信じる? なまじ「いい人」なのか災いしちゃってるのが可笑しい。

 徹底的に書き込まれた牧羊犬の生活は鮮やかなリアリティを生み出し、愛情を巡る嫉妬や本能と理性の争いなどの細やかな情感と共に、人間社会のどうしようもない矛盾を抉り出し、高い知性を持つが故の喜びと苦しみを存分に描き出した、文句なしの傑作SF小説だ。特に犬好きならハマること間違いなし。

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2015年2月18日 (水)

アンドリュー・ソロモン「真昼の悪魔 うつの解剖学 上・下」原書房 堤理華訳

 真実をありのままに認めよう。うつ病の原因が何なのか、本当のところ、私たちにはわかっていない。うつ病の構成要素が何なのかも、まだわかっていない。なぜ特定の治療がうつ病に効くのかも、まだわかっていない。うつ病がどのように進化の過程を突破したのかも、わからない。
  ――第一章 うつ病

医学界はいつも精神疾患と自殺の関連性を主張する。その一方で、扇情的なメディアは、彼らの自殺は精神疾患のせいではなく、何か別の理由があったからだと騒ぎ立てる。いずれにしろ、自殺の理由を見つけると私たちは安心する。
  ――第七章 自殺

【どんな本?】

 うつ病とは何なのか? それはどんな症状なのか? それにより、罹患者の生活はどう変わるのか? どんな治療法があり、どんな経過を辿るのか? 文化や社会による違いはあるのか? 人類はいつ頃からうつ病に苦しんできたのか? 社会はうつ病に対し何ができるのか? なぜうつ病は適者生存のルールで淘汰されていないのか?

 自らもうつ病に罹患し、数回の「崩壊」を体験したノンフィクション作家である著者が、自らの経験をきっかけに、大量の資料と膨大な取材を元に、うつ病の全貌を描くノンフィクション。2001年全米図書賞<ノンフィクション>部門受賞作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Noonday Daemon - An Atlas of Depression, by Andrew Solomon, 2001。日本語版は2003年8月1日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で本文約400頁+341頁=約741頁に加え訳者あとがき4頁。9ポイント44字×19行×(400頁+341頁)=約619,476字、400字詰め原稿用紙で約1549枚。文庫本の長編小説なら3冊分ぐらいの容量。

 日本語は比較的にこなれている。内容も、特に前提知識は要らない。薬の名前が説明も無くズラズラ出てくるが、分からなくても大きな影響はないと思う。ではスラスラ読めるかというと、そうでもなくて…

【構成は?】

  •  上巻
  • 第一章 うつ病
  • 第二章 崩壊
  • 第三章 治療
  • 第四章 代替療法
  • 第五章 集団
  • 第六章 依存症
  •  下巻
  • 第七章 自殺
  • 第八章 歴史
  • 第九章 貧困
  • 第一〇章 政治
  • 第一一章 進化
  • 第一二章 希望
  • 謝辞/注/訳者あとがき

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。深刻なうつ病に苦しんだ経験のない人にとって、第一章と第二章はかなり読みづらいので、面倒くさかったら他の章に移るのもいい。ただ、以降の章の基礎知識を書いてあるので、判断が難しいところ。

【感想は?】

 先に書いたように、第一章と第二章は読みづらい。というか、鬱陶しいのだ。

 この鬱陶しさは、うつ病の人に接した時に感じる鬱陶しさそのものだ。話す話題は自分の気分の事と、飲んでいる薬の事だけ。プロザックだのパキシルだのヴァリウムだのと言われても、関心のない者にとっては何のことやら。

 気分についても、まわりくどい比喩や古典の引用が多く、何度も出てきてしつこい。しかも、語っている本人は、「アレができない、コレができない」と駄々こねてばかり。読んでてイライラしてくる。

 それがうつ病なのだ。そう、病気なのである。「気の持ちよう」じゃないのだ。本人には、どうしようもないのである。症状が軽ければウザいだけで済むが、重くなるとベッドから出られず、仕事どころか普通に暮らす事すらできない。冒頭から古典文学の引用が沢山あり、昔から人がうつ病に悩まされてきたことが伝わってくる。

 これがハッキリと示されるのが「第八章 歴史」。「ヒポクラテス(→Wikipedia)は、うつ病は本質的に薬の服用で治療するべき脳の病気であると主張した」。ヒポクラテス、医学の父と崇められる紀元前400年ごろの人である。そこ頃には、既にうつ病は「病気である」と認識されていた。

 最近になって日本でもうつ病が話題になっていて、私は「これも現代病か」と思っていたけど、とんでもない勘違いだった。大昔から、ヒトはうつ病に悩んできたのだ。

 私が勘違いしている事は他にも沢山あった。例えばうつ病の症状だ。無気力になるだけかと思ったら、暴力的になる場合もあるのだ。これは男性に多い。だがそれを認めようとしない。「恥ずかしすぎる」。そう、男は強くなきゃイカンのだ。世の中は、そうあれと求めている。心の病気になるのは弱さの証拠で、それを認めるわけにはいかないのである。

 現実的な影響もある。あなた、選挙でうつ病の履歴のある候補者に投票する気になりますか? この本には自らの双極性障害を公開する合衆国下院議員も出てくるが、日本の衆議院議員でそれだけの度胸のある人はいないだろう。

 だが、できれば公開した方がいい、と著者は主張する。

自分のいやな部分をすべて病気の項にまとめてしまえるのであれば、残ったいい部分が「本物の」ロリーだということになる。

 病気の原因やメカニズムについては、本書はあまり役に立たない。正直に「実は今にの所、よく分かっていない」と書いてある。脳内のセロトニンだのドーパミンだのが関係しているらしいが、どう関係しているのかはよく分かっていない。薬も多くの種類があるが、人と時期によって効いたり効かなかったりする。ここで面白いのが、バイアグラ。

 そう、男の夜の頼もしい味方、バイアグラだ。抗うつ剤の多くは、副作用がある。その一つが勃起障害だ。これが嫌で服用をやめる人がいる。うんうん、気持ちは分かる。男には重大な問題なのだ。そこでバイアグラである。しかも…

ハーヴァード大学のアンドリュー・ニーレンバーグと、オクラホマ大学のジュリア・ワーノックによれば、バイアグラの女性への使用は認められていないが、この薬には女性の性欲を刺激し、オーガズムを促す効果があるという。

 本当なら色々と悪用できそうな←をい

 なんて明るいネタもあるが、全般として悲惨な話が多い。上巻で著者が症状を切々と訴える部分は少々ウザいが、下巻の「第九章 貧困」に登場する女性たちの人生は、悲惨な話ばかりだ。その多くが幼い頃に強姦され、被害を訴えても誰も助けてくれない。「そりゃ病気にもなるよ」と思う。

 病気そのものについては、「よく分かっていない」とあるが、うつ病患者を疎ましく思う心理はわかった気がする。不幸な人を見るとムカつく。誰かに責任を押し付けたくなる。冒頭の引用にあるように、「理由を見つけると私たちは安心する」。そこで、目の前の人、つまり患者本人のせいにすれば、気が楽になるのだ。

 つまりは自分の不機嫌のツケを、弱っている人に押し付け、自分の重荷を下ろすのである。少なくとも、私にはそういう部分がある。それが分かっただけでも、この本はなかなかの収穫だったと思う。

 ただし、全般的に憂鬱な気分になる本だ。なまじ膨大な取材に基づいた説得力があるだけに、余計に厳しい。心身の調子がいい時に読もう。

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2015年2月12日 (木)

榊涼介「ガンパレード・マーチ2K 未来へ 3」電撃文庫

「食えればなんとでもなる。うまい飯を食っとれば、どうにかなるもんタイ」

【どんな本?】

 元は2000年9月28日に発売された SONY Playstation 用ゲーム「高機動幻想ガンパレード・マーチ」。難航した開発が宣伝費を食いつぶしながらも、野心的なシステム・過酷な世界設定・魅力的なキャラクターなどが、熱心なファンを惹きつけてロングセラーとなり、第32回(2001年)には星雲賞メディア部門を受賞、2010年にはPSP用のアーカイブで復活した。

 そのノベライズとして2001年12月15日発売の短編集「5121小隊の日常」から始まったのが、榊涼介の小説シリーズ。ゲームに沿ったストーリーは「九州撤退戦」で一段落し、その後「山口撤退戦」より榊氏がオリジナルのストーリーを発展させ、この巻へと続いている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年2月10日初版発行。文庫本の一段組みで本文約247頁。8ポイント42字×17行×247頁=約176,358字、400字詰め原稿用紙で約441枚。長編小説としては標準的な分量。

 文章は読みやすい。内要は前巻の「未来へ 2」から続いている。SFやファンタジーな小道具や設定もあるが、理屈そのものは特に難しくない。

 ただし、長く続いたシリーズのため、登場人物も設定も膨大なので、それを頭に入れるのが大変だろう。できれば最初の短編集「5121小隊の日常」または時系列順に最初となる「episode ONE」から読んで欲しい。が、さすがにこの巻で43巻目なので、ゲッソリする人も多いだろう。その場合は、「未来へ 1」から読んでみよう。

【どんな話?】

 1945年。月と地球の間に黒い月、地上にはヒトを狩る幻獣が現れ、第二次世界大戦は唐突に終わる。幻獣は圧倒的な数で人類を圧倒、1999年には南北アメリカ大陸・アフリカ南部そして日本列島に押し込められた。

 1998年に幻獣は九州に上陸、自衛軍は戦力の8割を失いながら勝利を得た。1999年、日本政府は熊本要塞の増強と、14歳~17歳の少年兵の強制召集を決める。少年兵を盾に自衛軍を立て直す計画だった。持て余し者の学兵を集めた5121独立駆逐戦車小隊は、使いにくさで廃棄が決まっていた人型戦車の士魂号を使いこなし、大きな戦果を挙げる。

 だが5月6日から始まった幻獣の大攻勢に自衛軍は壊走、九州を失う。5121小隊は撤退戦で殿を務め多くの兵を救うが、10万人ほど召集された学兵の半分以上が本州に戻れなかった。一度は山口から本州に攻め込まれた自衛軍だが、岩国要塞などで盛り返し、九州への逆上陸を果たす。

 日本政府は、敵の内紛も利用し幻獣の一部と休戦を実現、青森・北海道も防衛に成功する。

 北米にはワシントンとシアトル、二つの政府がにらみ合っていた。ワシントン政府の強引な招聘に応じた5121小隊は、幻獣に包囲されたレイクサイドヒルの市民を、ワシントン政府軍と協力して救い、市民の人気者となるが、同時に政界を揺るがす醜聞を明らかにしてしまう。

 日本政府とは国交のないシアトルへも親善使節として立ち寄った5121小隊は、ここでも派手な戦闘を繰り広げた上に軍と政界に嵐を巻き起こし、帰国を命じられた。

 デリケートな外交問題で騒ぎを起こした5121小隊は、日本政府の頭痛の種となったが、国民の人気はある。彼らに下された処分は、かつての戦場である熊本での遺骨収集だった。懐かしい熊本に帰ってはきたが、そこには共に戦った数万の学兵が白骨となって眠っていた。ばかりでなく、正体不明の生存者の影もあり…

【感想は?】

 表紙は善行と素姐をバックに、花を持つののみ。素姐のツナギはウエストを絞ってるあたり、彼女のこだわりを感じるなあ。つか善行、まさか今になっても半ズボンを穿いてるのか? まあ最近は暑い季節になると、オッサンでもバミューダが許される風潮だから、アリなのかも。ちなみにスネ毛と言われるけど、実は善行にスネ毛はなかったりする。

山口・青森・北海道・北米東海岸・北米西海岸と転戦してきた5121小隊が、九州撤退戦のツケを突きつけられる巻。

 展開の鍵を握るのは、前巻の終盤で捕らえた奇妙な学兵くずれ。瀬戸口の計略をきっかけにほとばしり出た彼の鬱憤が、5121小隊の面々に、九州撤退戦のもう一つの側面を思い知らせてゆく。

 当然ながら、片棒を担がされた中村は、料理品としての誇りもあって、どうにも納得いかない。が、そこはスローフード連盟の首魁である。気が利くではないか。

 そんな学兵くずれに、寄り添おうとするのが、これまた意外な人で。いたね、そんな奴。まあ、今まではたいした出番が無かったけど、こういう所でちゃんと見せ場を用意してあるんだなあ。

 そういや石丸さんも佐藤も土木シスターズも、本来なら女子高生なんだよなあ。確かに昔は女子高の文化祭だと、校門前にシャコタンの車がタムロしてたり。最近はガードが堅くなって、高校の文化祭も招待券がないと入れなかったり。でもご近所の人には家族連れで来て欲しいし、難しいところ。

 そして、なんと言っても、対応の鍵を握るのは日本政府。窓口となる高山は、今までの対応から判断すると、物資や人員の調達じゃ有能な面を見せつつも、何か腹にイチモツ抱えていそうで。彼の腹のイチモツが少しだけ覗き見えてくるのも、この巻の読みどころ。

 こういう状況だと、終盤じゃきっとあの方が華々しくお出ましになるんだろうなあ。期待してます。

 やはり食べ物の話は気になって。熊本は暖かいから、やはりイモならサツマイモだろうなあ。維新が西国中心になった原因が、西国じゃサツマイモが採れて豊かだったから、って説もあるし。ザリガニも食べられるけど、寄生虫がいるので充分に煮る必要があるとか。とすると、薪が沢山いるなあ。

 後半に入り、次第に物騒な雰囲気が漂ってくるこの巻。そこで頼りになるのは、なんと意外な事にイワッチ。同じハンターでも、若様は財閥の産業力を活かして様々な支援を、中村は得意の料理で見せ場があるのに、このままでは単なる変態で終わりそうだった彼が、ただの変態ではない所を見せてくれる。いややっぱり変態なんだけど。

 でもイワッチが作ったアレ、ゲームでも使えたら便利だろうなあ。1ターンだけ敵の命中率が下がるとか…あ、でも、幻獣には効かないか。

 この巻は、読んでてどうしても残留日本兵(→Wikipedia)を連想してしまう。太平洋戦争で外地に出征し、そのまま外地に残った将兵たち。インドネシアやベトナムで独立戦争に参加した人もいるが、山や森に潜んでいた人もいる。先の学兵くずれは、小野田寛郎少尉(→Wikipedia)より横井庄一軍曹(→Wikipedia)に近い。

 横井氏の著作は読んでいないが、神子清の「われレイテに死せず」という作品がある。

 ハヤカワ文庫NFで、今は入手困難だが、太平洋戦争の従軍記では抜群の面白さだ。1944年、フィリピンのレイテ島に、陸軍玉兵団が上陸する。著者は歩兵第577連隊の一員として参加するが、すぐに兵団は壊滅してしまう。原隊とはぐれた著者らは、遊兵として密林を彷徨うのである。

 従軍記としては型破りな作品で、敵との交戦場面がほとんどない。内容の多くは、遊兵としてジャングルを右往左往する著者たちの冒険を描いている。途中、彼ら同様に原隊とはぐれた兵たちにも出会うが、それぞれ考え方が全く違う。敵地に取り残された兵が、何を思い、どう行動するか。

 戦争が生み出すもう一つの、そして往々にして見過ごされがちな側面を、この作品は切実に訴えてくる。文句なしの大傑作なのに、あまり話題にならないし、今は入手が難しい。なんとか復活して欲しい。

 ガンパレに戻ろう。この物語では今まで正体がよく見えてこなかった共生派。その内幕が少し見えてくると同時に、「共生派」という一つのくくりでは捉えきれない事がわかってくる。軍や政府が何を考え計画しようと、常にその思惑をはみ出してきた5121小隊。高山の思惑もどうなることやら。私は彼のあわてふためく姿が見たいw

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2015年2月11日 (水)

トマス・ウォートン「サラマンダー 無限の書」早川書房 宇佐川晶子訳

「読書の一時間は楽園から盗まれた時間だと、イスラム教徒がいうじゃありませんか。その完璧な考え方につけくわえられるのは、執筆の一時間は地獄の前触れということぐらいでしょう」

「あらゆる真理に対し、あらゆる境界線に対し、“もっとなにかある” と要っているのが書物なのだぞ」

 賢人たちは四冊の高貴な本について話した。物質の本、液体の本、火の本、そして目に見えない本。この四冊をまぜあわせたものの中に、四冊すべての中にある読まれない本が見つかるという。

【どんな本?】

 カナダの作家トマス・ウォートンによる、18世紀を舞台とした冒険ファンタジー長編小説。カナダのケベックで始まった物語は、「無限の書」を求める伯爵と、その命を受けた印刷職人、伯爵の娘、得体の知れない神父などを巻き込みながら、スロヴァキアからヴェニス・アレキサンドリア・中国…と諸国を巡ってゆく。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2004年版」のベストSF2003海外編では17位にひっそりとランクインした。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SALAMANDER, by Thomas Wharton, 2001。日本語版は2003年8月31日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約362頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×20行×362頁=約325,800字、400字詰め原稿用紙で約815枚。長編小説としてはやや長め。

 文章は比較的こなれている。内容もファンタジーなので、特に難しくない。舞台が18世紀なので、当事の世界史に詳しいと更に楽しめるだろう。もう一つ重要なのが、グーテンベルク(→Wikipedia)に始まる活字(→Wikipedia)と印刷、製本。活字で一頁分の版を組む工程が分かっていると、ニヤニヤできる所がアチコチにある。

【どんな話?】

 1759年、カナダのケベック、夜。焼け落ちた街を通り過ぎようとしたブーゲンヴィル中佐は、灯りに惹かれ、その書店の焼け跡に踏み込む。そこにいたのは、職人の格好をした若い女。中佐が名乗ると、この状況にもかかわらず女は落ち着いて答える。「本をお書きになったでしょう」。

 そして彼女は語り始める。理想の本、まだ読んでいなくて、読みたいと思っている本の話を。「お話したら一晩かかってしまいますわ、中佐」。

 時は1717年。ベオグラードでのオスマン=トルコ軍とキリスト教軍の戦い(ベオグラード包囲戦、→Wikipedia)が終わろうとする時…

【感想は?】

 本を巡る、奇想天外な冒険ファンタジー。

 ファンタジーにもいろいろあるが、これは「物語」がギッシリ詰まった作品だ。感触としては、カート・ヴォネガットの長編に近い。一つの本の中に、小さくて奇妙な挿話が沢山つまっている。

 冒頭はカナダのケベック州を巡る、イギリスとフランスの戦争で幕を開ける。といっても戦争そのものは単なる舞台設定で、戦闘の描写はない。そこで焼け跡に佇む若い女が、中佐に対して語る一冊の本の物語、それがこの小説の中身だ。千夜一夜物語と似た構成である。

 ただし、シェヘラザードの物語がアチコチへと飛ぶのと違い、彼女の話は一冊の本を追って進んでゆく。

 ベオグラード包囲戦の話は、参戦していたオストロフ伯爵の物語へとつながってゆく。この伯爵がまたケッタイな人で。パズルに入れ込み、奇形の者を喜んで雇い、普通の人には理解できない道楽にのめりこむ。「オストロフ伯爵の夢は、城中の召使いを人間ではなく機械にしてしまうことだった」。

 全自動の城。ある意味、18世紀のハッカーである。こんなケッタイな道楽にハマった伯爵が、ヒマにあかせて城を改造しまくったが為に、城の中身は大変な事になってしまう。もうね。このあたりから、ファンタジーなんだかスチームパンクなんだかわからない、でも子供なら一日中でも楽しく遊んでいそうな描写が次から次へと出てくる。

 いやホント、一度そんな城に行って暮してみたい。すぐ遭難するだろうけど。

 この城に、ロンドンに住む印刷職人のニコラス・フラッドが呼び出される所から、物語は本格的に動き始める。フラッドが城に泊まり、ケッタイな仕掛けにとまどう様子も楽しいが、彼が受ける依頼も本好きの心を躍らせる。

「無限の本を制作してもらうためには、きみが必要なのだ、フラッドくん」

 かくして、無限の本を作る冒険の物語が始まる。そう、これは本の物語だ。そのため、本についての様々な小ネタがアチコチに散らばっている。なんたって、ヒロインの名前からしてパイカだし。そう、活字の世界では12ポイントを表す言葉だ(→Wikipedia)。

 こういった印刷の話は、嘉瑞工房活字について活版印刷の工程が参考になる。

 今は Adobe InDesign や Quark の XPress などで編集し、PDF で出力すれば製版用のフィルムができるけど、昔は全然違ってた。鉛の活字を一つ一つ拾い、それを一頁分まとめて枠に固定し…ってな感じに作っていた。だから文字を拾う専門の植字工なんてのもいた。やがて活字は写植に押され、写植はデジタル化の波に攫われ…

 まあいい。なんいせよ、無限の本を作る羽目になったフラッド君、職人魂に火がついたのはいいいが、城で寝起きする日々の中、別の火もついて。彼が彼女に渡すメッセージも、なかなかしゃれてる。

 やがて物語はヴェニスやアレキサンドリアへと向かい、アチコチで不思議な挿話を幾つも挟みながら、世界中を旅してゆく。凄腕の冶金師が生み出した「鳥肌活字」、アレキサンドリアの図書館の焚書から逃れた書物、海の上の草原、最高級亀、多情が浅瀬の渡し舟、カンマの糸…

 既に書籍も電子化へと向かう現代、活字どころか写植すら消えつつある。だが、コンピュータ化された今でも、「ポイント」「ボールド」「禁則」などの言葉や概念は、活字の時代の組版の言葉を受け継いでいたり、模倣していたりする。消え行く活字を惜しみながら、迷宮を彷徨う気分を味わえる、豊かで不思議な物語だ。

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2015年2月 8日 (日)

レベッカ・L・スパング「レストランの誕生 パリと現代グルメ文化」青土社 小林正巳訳

レストラン(RESTAURANT):病気や疲労により減退した体力を回復(restaurer レストレ)させる食物あるいは薬。シャコのコンソメやエキスは優れたレストランであり、ワインやブランデー、その他の気付けの飲み物も、精神が疲弊した者にはみな好ましいレストランである。(略)  フュルティエール「大辞典」(1708年)

デュボワとピイスの宣言で強調されている治安維持の対象から「快楽」を除外することこそ、統領政府、すなわちナポレオン・ポナパルトが共和暦八年ブリュメール18日(1799年11月)に軍事クーデタで政権を奪取した後、新体制が打ち出した戦略的政治手法だった。
  ――第6章 美食狂から美食学へ

【どんな本?】

 現在、レストランという言葉は、食事のできるお洒落な店、といった印象がある。特にパリのレストランともなれば、バラエティー豊かな美味しい食事が楽しめる店が沢山あると想像するだろう。しかし、元来、レストランは「元気を回復させるだし汁」を示す言葉だった。

 18世紀から19世紀のフランス、パリ。絶対王政・スランス革命・第一共和制・ナポレオンの第一帝政・復古王政・七月帝政へと目まぐるしく変わってゆくフランスの権力構造の中で、元は一種の滋養強壮剤だった「レストラン」が、現在のような「食事を摂る店」に変わってゆく過程を追いかけ、美食文化の誕生を追う学術書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Invention of the Restaurant - Paris and Modern Gastronomic Culture, by Rebecca L. Spang, 2000。日本語版は2001年12月20日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約370頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント47字×19行×370頁=約330,410字、400字詰め原稿用紙で約827枚。長めの長編小説の分量。

 日本語そのものはこなれているが、幾つかの理由で、結構読みにくい。まず、著者が8世紀から現代までのフランス史の専門家のためか、背景となる社会情勢の説明が足りない。フランスの近代。・現代史に詳しい人なら分かるだろうが、私のような素人にはピンとこない。次にユーモアのセンスがヒネていて、じっくり読まないと意味が分からない。

 最後に、文章の構造が不親切。一つの論を展開する際、主題の提示から結論まで多くの文を費やすので、結論に達する頃には主題が分からなくなっている。主題→結論→根拠1→根拠2…再度主題→結論、として欲しかった。

 巻末の注が72頁に及ぶ事でわかるように、かなり専門的で真面目な本である。フランス革命前後のフランス史に詳しい人向けだろう。

【構成は?】

  • 序章 レストランを作るとは
  • 第1章 万人の友
  • 第2章 ルソー的感性の<新料理(ヌーヴェル・キュイジーヌ)>
  • 第3章 公共の空間における私的な食欲
  • 第4章 道徳、平等、もてなし!
  • 第5章 定価――大食とフランス革命
  • 第6章 美食狂から美食学へ
  • 第7章 パリをメニューに載せる
  • 第8章 レストランに隠れる
  • 終章 レストランと夢想
  • 謝辞/訳者あとがき/注

 多少の前後はあるが、原則として時系列順に話が進む。素直に頭から読もう。

【感想は?】

 レストランを扱いながらも、レシピがほとんど出てこない。これが本書の大きな特徴だろう。

 レストランは食べる所だ。そう我々は思っている。だが、この本は、食べ物についてはあまり扱わない。扱っているのは、「誰がレストランを利用するか」「どんな風に利用するか」「レストランは客の要求にどう応えたか」「世間はソレをどう受け取ったか」、そして「激動するスランスの社会は、レストランをどう扱ったか」である。

 フランスと書いたが、本書の視点は大半がパリを見ていて、他の地域はほとんど出てこない、。これまた、フランスの事情を伺わせる。現代の旅行案内でも、よく言われる。「フランスとは、パリとそれ以外だ」と。

 話は18世紀のフランスに始まる。「初期のレストラトゥールは固形の食べ物はほとんど扱わず、体調からちゃんとした夕食を取れない人をターゲットとした店として売り出した」。今ならサプリメント専門店みたいな感じかな? 始めたのはマチュラン・ローズ・ド・シャントワゾー。

 この背景事情は、外食文化が発達した現代からじゃ、ちと想像しにくい。当時のパリの外食事情は悲惨だったようで。食事といえば、自宅で食べるか、個人の晩餐会に呼ばれるか。旅人は宿のメシか、仕出し屋のテーブルにつくかだ。仕出し屋というのがクセ者で。

 仕出し屋は常連客を相手にする商売で、今の日本だと定食屋が近いかも。ただしメニューは店が決めたものだけ。各人に取り分けて出すのではなく、大皿のままドンとテーブルに置き、客が各自で切り取るスタイルだったらしい。これだと、大食いの奴の隣に座ったら、料理の大半を奪われてしまう。

 営業時間も店の都合で決まるんで、その時間に食いっぱぐれると、すきっ腹を抱えて寝る羽目になる。しかも、常連相手の商売なんで、皿が無くなったりすると、真っ先にヨソ者が疑われる。横並びのテーブルで食べるんで、外国人でも、地元の人を相手に「会話」しなきゃいけない。料金も不明だ。

パリぐらいの都会なら、様々な屋台もあったと思うんだが、そういう所に出入りするのは庶民であって、相応の身分の者には相応しくない、みたいな縛りがあったんだろうか?

 これらを改善したのが、レストタトゥール。何時でもいらっしゃい。お一人様大歓迎。最初はブイヨンだけだったメニューも、ライスクリームなどから段々と増えてくる。何より、食べる前に代金が分かるのが嬉しい。この明朗会計tってのが、当時としては画期的だったらしい。「メニュー」の変転も、なかなか。

レストランの出現以前は、メニューと言えば、特定の食事で(例えばその日の宴会で)出てくるすべての食べ物のリストのことと決まっていた。

 今でも披露宴などの形式ばった食事の席では、この方式が残っているね。

 やがてフランス革命を経てナポレオンの第一帝政へと時代は移る。彼の卓越した統治手腕は、この記事冒頭の引用にあるように、ある意味リベラルなものだった。検閲はあったが、娯楽は奨励する。検閲官ルモンティーは…

もし、怒れる群集と不満を抱えた市民たちが、ライバル女優の才能の比較や、イタリア音楽とフランス音楽ではどちらが優れているかという議論の蒸し返しに没頭するのをやめでもしたら、彼らはきっと街路に集結するだろう

 と、皮肉な警告をしている。「パンとサーカス」の、サーカスを充実させろ、って事かな。この後押しもあってか、やがて「美食」という新しい思想が生まれ、従来の階級制にかわる価値観を作り出してゆく。とまれ、レストランも個室サービスが発生し、ソコに男女がシケ込むようになり、反発する動きもあって。ジョゼフ・フランソワ・ニコラ・デュゾルショワ曰く…

「この上なく低俗な食欲とこの上なく下劣な情熱」の称賛に、賭博、盗み、口にするのも憚られる他の悪徳が続くのは間違いない。

 と、懸念を呈している。これも現代の表現規制に繋がるものがあるような。

 やがてレストランはメニューやサービスを充実させ、書籍や年鑑などで海外にも知れ渡って行く。少し前の「ぴあ」みたいな情報誌は、当時から多かった模様。はいいが、メニューに記される料理の名前は次第に意味不明になり…と、気取ったフランス料理への嫌味も忘れない。

 「レストラン」という独特の場所を通し、絶対王政・革命・帝政・立憲君主制と変転するフランス社会と価値観を覗き見る、独特の視点の歴史書。親しみやすい署名とは裏腹に、かなり専門的な本だ。じっくり腰をすえて読もう。

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2015年2月 5日 (木)

仁木稔「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」ハヤカワSFシリーズJコレクション

「暴力の原因は、突き詰めれば自尊心の欠如なわけよ。だけど人間はお互い平等で、最も優れた被造物(クリーチャー)だから、他人やほかの種や無生物を傷つけても、得られる自信は一時的なものでしかない。だから遺伝子管理局は、亜人(サブヒューマン)を造り出した」
  ――The Show Must Go ON!

【どんな本?】

 長編「グアルディア」で2004年にデビューしたSF作家・仁木稔による、「グアルディア」「ラ・イストリア」「ミカイールの階梯」と同じ<HISTORIA>シリーズに属する連作短編集。

 現代とは少し違う歴史を歩んだ近過去のアメリカ合衆国らしき場所から始まり、<HISTORIA>史の成立にかかわる謎を、事の始まりから解き明かしてゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年4月25日初版発行。ソフトカバー縦一段組みで本文約334頁に加え、岡和田晃の解説「自らの示すべき場所を心得た世界文学、<科学批判学>SFの傑作集」9頁。9ポイント43字×17行×334頁=約244,154字、400字詰め原稿用紙で約611枚。長編小説なら標準的な分量。

 小説としては、文章がやや硬い。SFガジェットがアチコチに出てくるし、あまり説明もない。が、大半はハッタリなので、深く考え込まないこと。「ソレで何ができるのか」だけ分かればいい。「なぜそうなるのか」を追求してはいけない。大事なのは、ソレがヒトの心や社会に与える影響であり、それこそがこの作品のテーマだろう。

【収録作は?】

 / 以降は初出。収録作は全て同じ世界史に属するもの。The Show Must Go On! を含む後半の三作は、登場人物や舞台など共通する部分が多いので、一つの中編小説の前編・中編・後編といった関係になっている。

ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち / SFマガジン2012年6月号
 八年前から、あの島の双子の塔は何度もテロリストに狙われたが、偉大な祖国は常にテロを撃退し続けた。その祖国が危機に瀕している。危機の象徴が、奴らだ。丸ぽちゃの子供みたいな体形、人種も性別もわからない、愛嬌のある顔、少し舌足らずの声で愛想よく挨拶する奴ら、「妖精」。遺伝子操作技術で作られ、厳しい労働に従事する怪物。みんなわかってない。心理操作で騙されてるんだ。奴らはこの国を腐らせているのに。
 ツインタワーが健在である由でわかるように、今とは少し違った世界の、アメリカを思わせる国を舞台として、典型的な貧乏白人ケイシーを主人公とした作品。改めて読むと、「偏見に満ち愚かで狂信的なアメリカの貧乏白人」ケイシーの人物設定が、悪趣味なまでに作りこまれているのに笑ってしまう。
 進化論を忌み嫌う創造論者で、狂信的な教団に属している。遺伝子改変技術を恐れ、有機食品を愛用する…が、サプリメントも併用する。をい、サプリメントはいいのか? 白人優位主義で、遺伝子工学の産物である「妖精」は、何者かの陰謀だと思い込んでいる。
 などと笑っていられるのは序盤だけで、この著者お得意の凄惨な暴力場面が後に控えていたり。これが単なるハッタリではなく、この作品集全体を通して示される重要なテーマだったりする。
 タイトルにもあるドミトリ・ベリャーエフ(→Wikipedia)により改造された狐たちは、この動画(→Youtube)をどうぞ。もう、ヤバいぐらいに可愛い。
はじまりと終わりの世界樹 / SFマガジン2012年8月号
 アマゾンの樹海の奥へ、二人は訪ねてきた。ガイドに雇った先住民の若者たちは、彼を畏れて近寄ろうとしない。荷担ぎの亜人も、彼は嫌う。小屋に彼はいなかった。その向う、巨大な樹の幹にもたれている。多くの人種が交じり合った風貌に、柔らかな微笑みは、27歳のわりに老成した印象を与える。
 多くの人種の血を受け継いだ女と、金髪碧眼の男が、ブラジルで結ばれた。そこで生まれたのは、男女の双子。男の子は混血らしい顔立ちなのに対し、女の子は完全な白人で…
 これまたヒトの狂信と、際限のない暴力をテーマとした作品。南米に隠れ潜むナチスの末裔の陰謀という、一昔前のB級映画のネタを巧く使っている。
 特定の政治信条に入れ込んじゃった人が、子供をダシにするってのはよくある話で。ルイ・セローの「ヘンテコピープルUSA」には、狂信的な白人優位主義者が、可愛い金髪の女の子をアイドルに仕立てる話が載ってたり。今 "Lamb and Lynx" で検索すると、宗旨を変えたみたいだけど、その原因がマリファナってのが、うーん。しかも、別の方向でやっぱし極端だったり。
The Show Must Go On! / SFマガジン2013年6月号
The Show Must Go On, and … / 書き下ろし
… 'STORY' Never Ends! / 書き下ろし
 亜人が普及し、その設計技術も進歩した未来。アキラは、亜人の設計助手だ。多くの亜人を使って作られる、戦争映画。いや、映画ではない。本当に、亜人は戦争している。何人かの名前のある個性(キャラクター)と、その他大勢であるモブ。だが聴衆にウケたモブはリサイクルされ、巧くいけばキャラクターに[出世する。
 前二つの作品を受け、亜人が普及した未来を舞台にした作品。ヒトの持つ暴力衝動と、それが生み出すツケを、テクノロジーにより亜人に押し付け、平和と繁栄を享受する世界を、アニメなどのオタク文化で色付けして描いてゆく。なんか嬉しいようだが、微妙に尻がムズムズして居心地が悪いのは、著者の意図的なものだろうか。
 世の中の変化は、確かに生み出す創作物にも影響を与えている。今の日本で「カワイイ」がウケるのは、平和で治安がいい現代の日本の社会と大きな関係がある、と私は思う。世の中が物騒だったら、「強い」がウケる。競争社会じゃ、「成功する」がウケる。「カワイイ」がウケるのは、今の日本がユルくても生きていける社会だからだ、と思う。
 とまれ、この作品世界で創られる創作物が、戦争物ばかりなのは、どういう事なんだろう? ニワカ軍オタの私が言うのも変だけど、人が好む物語は、もっと様々だと思うんだが。これは意図的な仕掛けなのか、単なる思い付きなのか。うーん。

 全体を通して読むと、よく分からなかった「グアルディア」の仕掛けが見えてくるのも、この作品集の美味しい所。改めて思い出すと、「「グアルディア」って、「世界終末戦争」と同じく、カヌードスの反乱をネタにしてたんだなあ。色々と引き出しの多い人だ。

 それはそうと。この作品集の全体を通して伝わってくるテーマは二つ。ひとつは、個々のヒトが抱く世界観は、それがどんなにイカれたものであろうとも、いやイカれていればいるほど、変えるのが難しい、という事。これは白人優位主義という形で何度も繰り返されるが、それ以外の狂信でも、信じている人は頑固にしがみつくのは同じ。

 もうひとつは、ヒトの持つ暴力嗜好。これも嫌になるほど繰り返される。その向うに、何があるのか。シリーズ全体を通して読みたくなる連作だった。

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2015年2月 4日 (水)

iTunes 12.1.0.71 とインターネットラジオ

 どうでもいい話を二つ。

局リストの更新

 久しぶりに iTunes のラジオ局/プログレ,アニメ,サザンロック,局集 を更新した。やったのは、以下三つ。

  1. DeadHeads ご用達の Closet Deadhead と、サザン・ロック局の Crank Up The Tunes を追加する。
  2. サイトが消えている局を「惜しくも消えてしまった局」に移動した。
  3. 局の名前をボールド体に変えた。

 インターネットで配信してるラジオ局も、探すとキリがない。

プレイリストの URL が編集できない

 iTunes が 12.1.0.71 になったが、ちと困った事になった。

 私はラジオ局をプレイリストに登録して聴いてる(→iTunes のラジオ局はプレイリストに登録しよう)。ときどき、放送局がプレイリスト・ファイルの URL を変える。そうなると、自分のプレイリスト経由じゃ繋がらなくなる。

 この場合、以前の iTunes だと、対応策があった。自分で局の URL を編集して新しい URL に書き換えれば、再び繋がるようになる(→iTunes:ライブラリに登録したラジオ局が聞けない/繋がらない時の対策)。

 ところが、iTunes 12.1.0.71 だと、局のプレイリスト・ファイルの URL が編集できない。表示は出きるんだけど、書き込みできないのだ。まあ、再登録すればいいんだけど。

 もしかしたら、局がプレイリスト・ファイルを動かしたら、勝手に追跡してプレイリスト・ファイルの URL を書き換える仕組みでも組み込んだんだろうか。うーむ。

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2015年2月 3日 (火)

「戦闘技術の歴史 4 ナポレオンの時代編 AD1792~AD1815」創元社

18世紀末から19世紀初頭にいたるこの時代は、西欧諸国の国家と社会、ひいては世界の構造までも大きく変えていくことになる、世界史上の一大転換点でした。その原動力となったのは、いうまでもなく、フランス革命に代表される市民革命と、イギリスで始まった工業化(産業革命)の進展でした。
  ――日本語版監修者序文

「30歳までに死ななかった驃騎兵はげす野郎だ」
  ――アントワーヌ・ラサール将軍

【どんな本?】

 迫力たっぷりのカラー画像と、わかりやすいイラスト、そしてカラフルな戦場地図を豊富に収録して、時代ごとの戦闘技術の変化をわかりやすく解説するシリーズの、「近世編」に続く第四巻にして、西洋編の最終巻。部隊編成・隊列・武器・軍装・戦術などの軍事面はもちろん、それを支える社会情勢や政治情勢なども解説する、軍事オタクが泣いて喜ぶ豪華で充実した内容を誇る。

 西洋編の最終巻となるこの巻では、天才的な軍人であるナポレオンの足跡を辿りながら、彼が成し遂げた軍事上の革命と、それが諸国へと及ぼした影響を取り上げて行く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Fighting Techniques of the Napoleonic Age,Amber Books, 2008。著者はロバート・B・ブルース,イアン・ディッキー,ケヴィン・キーリー,マイケル・F・パヴコヴィック,フレデリック・C・シュネイ。日本語版は浅野明監修、野下祥子訳で2013年4月20日第1版第1刷発行。

 単行本A5ハードカバー縦一段組みで本文約354頁。9ポイント45字×22字×354頁=約350,460字、400字詰め原稿用紙で約877枚。長編小説なら長めの分量だが、地図・イラスト・絵画を豊富に収録しているので、実際の文字数は6~8割程度だろう。

 専門書だが、文章は思ったよりこなれている。ナポレオンの戦歴をたどる内容なので、当事の西洋史に詳しいとより楽しめる。が、知らなくても、本文中で大まかな状況を説明しているため、特に知らなくても大きな問題はない。何より絵画やイラストを豊富に収録しているため、兵器や軍事に疎くてもだいたいの所は雰囲気が掴めるのが嬉しい。

【構成は?】

日本語版監修者序文
第一章 歩兵の役割
縦長隊形/戦術の再考/革命戦争時の歩兵/共和国軍の創設/新しい軍隊の編成/革命における戦術/軽歩兵/火砲の革新/リヴォリの戦い 1797年1月14~15日/フランス歩兵(1797年)/ナポレオンの展開/ナポレオン時代の歩兵/混合隊形/軍団/兵卒(猟歩兵 シャスール・ア・ピエ)/訓練野営/プロイセン歩兵/アウエルシュタットの戦い 1806年10月14日/最初の接触/増援隊/ロシア擲弾兵/戦術における進歩/ナポレオンのシステムへの対応/同盟軍の改革/マイダの戦い 1806年7月4日/小戦の開始/フランス歩兵(1812年)/横隊と縦隊/さまざまな反応/兵卒(第95施条銃連隊)/ナポレオンの百日天下戦争/ワーテルローの戦い 1815年6月18日/戦闘開始/騎兵の攻撃/結論/兵卒(第92歩兵連隊、ゴードン・ハイランダーズ)
第二章 騎兵の戦闘
騎兵の馬/隊形と規律/アイラウの戦い 1807年2月7日~8日/フランス騎兵(第7胸甲騎兵連隊)/雪中の彷徨/ミュラの攻撃/きらめくサーベル/擲弾騎兵/騎兵の種類/騎兵による迫撃/ソモシエラの戦い 1808年11月30日/ポーランド騎兵への命令/攻撃開始/任務以上のこと/峠の殺戮/近代の騎士/胸甲騎兵の装備/竜騎兵/オーストリア竜騎兵/ポロジノの戦い 1812年9月7日/フランス軍槍騎兵(軽騎兵)/ミュラの前進/騎兵(第1驃騎兵連隊)/大多面堡/多面堡の占領/それまでにない慎重さ/騎兵の戦術/槍の復活/カトル・ブラの戦い 1815年6月16日/ウェリントンの対応/イギリス軽竜騎兵/ケレルマンの攻撃/イギリス近衛騎兵連隊騎卒/方陣に対する攻撃/血まみれの引き分け/結論
第三章 指揮と統率
スイス選抜歩兵将校(第3スイス連隊)/将校団/国王軍と国民衛兵/フリューの戦い 1794年6月26日/コーブルク公の到着/軍隊編成の進化/行軍は個別、戦闘は団結/アウステルリッツの戦い 1805年12月2日/マックの誤算/ヴァイローターの作戦/同盟軍の攻撃/指揮と幕僚制度/同盟軍の改革/ヴァグラムの戦い 1809年7月5~7日/オーストリアの準備/フランスの防御/王室騎馬兵将校(イギリス)/カール大公、猛攻撃に立ち向かう/二日目/同盟軍の戦争/ライプツィヒの戦い(諸国民戦争) 1813年10月16~18日/ライプツィヒ/ナポレオンの反撃/19世紀に向かって
第四章 火砲と攻囲戦
野戦砲の発達/リヒテンシュタイン・システム/グリヴォーヴァル/射程距離と砲弾/革新的なシステム/許容誤差の厳格化/騎砲兵/11年式火砲システム/砲撃戦の時代/同盟軍の砲兵隊/フランス軍の指揮と統率/フリートラントの戦い 1807年6月14日/セナルモンの進撃/独立兵科としての砲兵隊/リュッツェンの戦い 1813年5月2日/攻囲戦/工兵部隊/バダホス攻囲戦 1812年3~4月/堅固な防御施設/ハンブルク攻囲戦 1813年12月~1814年5月/ダヴーの指揮/攻囲下/名誉ある退去
第五章 海戦
攻撃力/艦隊戦術/海外での争い/ナイルの戦い(アブキール湾の戦い) 1798年8月1日/ブリュエイスの戦闘準備/ネルソンの戦闘開始/ナポレオンの脱出/トラファルガーの海戦 1805年10月21日/回避と追跡/分岐点/両艦隊の交戦/ネルソン、倒れる/分析/そのほかの戦い/レユニオンの戦い 1810年/アメリカという要素/五大湖での軍事行動 エリー湖 1813年9月10日/シャンプレーン湖
各地の戦略地図
リヴォリの戦い 1797年/アウエルシュタットの戦い 1806年/マイダの戦い 1806年/ワーテルローの戦い 1815年/アイラウの戦い 1807年/ソモシエラの戦い 1808年/ボロジノの戦い 1812年/カトル・ブラの戦い 1815年/フリューの戦い 1794年/アウステルリッツの戦い 1805年/ヴァグラムの戦い 1809年/ライプツィヒの戦い 1813年/フリートラントの戦い 1807年/リュッツェンの戦い 1813年/バダホス攻囲戦 1812年/ハンブルク攻囲戦 1813年/ナイルの戦い(アブキール湾の戦い) 1798年/トラファルガーの海戦 18015年/レユニオンの戦い 1810年/エリー湖の戦い 1813年
参考文献/索引

 各章はほとんど独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。章内は、概説→戦闘の背景説明→具体的な戦闘の展開 の繰り返しで成り立っている。

【感想は?】

 なんと言っても、このシリーズの特徴はビジュアルにある。豊富に収録した絵画やイラストが、読者の理解を助けると共に、圧倒的な迫力を生み出している。

 それぞれの時代の絵画を多く収録したこのシリーズ、この時代になると画家の技術が大きく進歩したため、個々の絵画の迫力がさらに増してきた。加えて、恐らくは現代のイラストレーターが描いたであろう歩兵などの軍装も、垢じみたリアルさが漂う。特に25頁の靴を失ったフランス歩兵の図は、長い軍務の疲れを見事に表している。

 この時代の大きな変化は、やはり火器の普及が大きい。歩兵は長いマスケット銃(→Wikipedia)に銃剣を装着する。火力が重要なので、戦闘時は二列または三列の横隊で敵に面して戦う。まあ、当時は銃といっても先込めの単発で、弾丸もさましく鉛球。射程距離も知れたもので…

イギリス軍はフランス軍が137m以内に入るのを待ち、それから猛烈な一斉射撃を行なった。フランス軍の精鋭歩兵は攻撃を強行したが、73mでさらなる一斉射撃を受ける。

 とあるので、射程距離はせいぜい100mぐらい。一発撃ったら次の弾を装填するのに数分かかりそうだから、銃剣での突撃にも相応の効果はあったんだろうなあ。にしても、弓が完全に消えてるのは興味深い。弓は習熟に時間がかかるから、大人数の兵を短期間で育てにゃならん時代背景に合わないため、かな?

 育成に時間がかかるのは騎兵も同じなのだが、こちらは優遇されてた様子。これもフランスの政治情勢の影響で。かつてのフランス軍じゃ指揮官は貴族だけだったけど、さすがに騎兵部隊から貴族を追放するのは無茶だった。そして…

彼(ナポレオン)は「生まれにかかわらず、才能ある者すべてに出世の道が開かれている」という方針にしたがって、優秀な兵を昇進させただけでなく、亡命した貴族たちの帰還を歓迎し、騎兵部隊の指揮系統の重要な地位につけた。

 ナポレオンが騎兵を重視した理由の一つは、日本語版監修者序文で説明している。従来の戦争は敵を退ければ充分だったけど、ナポレオンの戦争は革命戦争だった。だから、敵を退かせるだけでなく、敵戦力を殲滅しなきゃいけない。今までは敵が退却を始めれば終わりだけど、ナポレオンは追撃して殺しつくす。

 そのためには、機動力のある騎兵が要る。加えて騎兵には、突撃して敵の前線に穴をあけたり、偵察にもコキ使われる。当事の銃の性能は前述のように情けないシロモノなんで、騎馬突撃にも相応の意味があり、おかげで槍が復活してたり。

 ナポレオンの大きな特徴は、砲兵出身であること。てんで、今までの巻では「攻城戦」や「攻囲戦」だったのが、この巻では「火砲と攻囲戦」となる。特に大きな変化は、楽に輸送できるようにした野砲。その射程距離は…

12ポンド砲の最大有効射程距離は球形弾で915m、散弾で595m。6あるいは8ポンド砲では、それぞれ820mと550m。4ポンド砲では730mと410m。6インチ榴弾砲では、1190mと500mだった。

 ちなみに球形弾はモロに鉄の球。散弾は小さい玉をまとめたもの。今の重機関銃ぐらいの威力かな?でも重さは桁違いで…

グリボーヴァルは、野戦砲を輓馬班が縦列で引くように設計していた。4ポンド砲と8ポンド砲は4頭、12ポンド砲は6頭で曳いた。

 ここで笑っちゃうのが、ロシア。この時代から、あの国の性質は変わってない。

ロシア軍はほかの交戦国より部隊あたりの火砲を多く保持しており――たとえば、ロシア部隊はフランス軍団とほぼ同数の砲兵支援があった――間違いなく質を量で補っていた。

 と、攻撃する側は色々と進歩してるけど、築城技術はあまり変わっていない模様。

 海戦では、有名なトラファルガー海戦をヤマに、帆船時代の終焉へと向かって行く。敵船に乗り移っての白兵戦は、これを最後に姿を消す。とはいえ、歴史は受け継がれてるなあ、と思うのが砲艦。戦列艦は舷側に沿って砲を並べるけど、小さい砲艦は船首に一個だけ。横向きに置いたら、、反動でコケちゃうし。

 櫂でこいで動くんで、風はあまし関係ない。小回りが利く点を生かし、敵船の船首や船尾に突っ込んでいく。大型艦は横には撃てるけど、前と後ろには撃てないから。で、思う存分撃ちまくる。が、小型だけに…

艦載砲やカロネード砲からの一発で船と乗組員が完全に失われてしまうほど脆弱だった。

 てんで、たぶんこれが後の水雷挺(→Wikipedia)やミサイル挺(→Wikipedia)のご先祖なんだろうなあ。

 などと書いているが、やっぱりこの本の最大の魅力は、豊富な絵画とイラスト。私のようなニワカには、兵の隊列の変化など、イラスト一発でわかるのが実にありがたい。次の東洋編も期待してます、はい。

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2015年2月 1日 (日)

リチャード・モーガン「オルタード・カーボン 上・下」アスペクト 田口俊樹訳

バンクロフト同様、マッキンタイアも世の有力者だった。そういうやつらが払う値打ちについて語るとき、ひとつ確実に言えることがある。
 それは誰かほかのやつが払っているということだ。

「守りにまわって生きてる人間は遅かれ早かれ守りの側でしかものが考えられなくなる。いい? タケシ、あなたは大切なことを忘れてる」

【どんな本?】

 イギリス生まれのSF作家リチャード・モーガンのデビュー作。27世紀、人類が他の恒星系にまで進出した未来、人格をデジタル化して記憶媒体に記録し、他の肉体で再生する事も可能になった時代が舞台。大富豪の不可解な自殺事件の謎を追い、特命外交部隊のタケシ・コヴァッチがベイ・シティを駆け回るハードボイルド・アクションSF長編。

 アメリカでペーパーバックで出版されたSF小説を対象としたフィリップ・K・ディック記念賞を2004年に受賞したほか、「SFが読みたい!2006年版」のベストSF2005海外篇でも15位にランクインした。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ALTERED CARBON, by Richard Morgan, 2002。日本語版は2005年4月5日第一版第一刷発行。 単行本ソフトカバー縦一段組みで上下巻、本文約379頁+355頁=734頁に加え、訳者あとがき6頁。今はアスペクトから文庫版が上下巻で出ている。9ポイント45字×19行×(379頁+355頁)=約627,570字、400字詰め原稿用紙で約1569枚。文庫本なら3冊分ぐらいの大長編。

 日本語は比較的にこなれているが、肝心の文章がハードボイルド調で気取った言い回しが多いため、意味を把握するのに少し手こずる。内容も、幾つかの点でややこしい。

 まず、一種の探偵物なので、登場人物の多くが腹に一物持っており、語る言葉を素直に信用できない。次に、SF的なガジェットが細かい説明なしに出てくるため、相応のSF知識と想像力を要求される。最後に、書名にもある「オルタード・カーボン」。この技術のため、登場人物の見てくれと中味が一致しない。

 ある程度、SFを読みなれた人向け。

【どんな話?】

 植民星ハーランズ・ワールドで恋人のサラ・サチロフスカと暮していたエンヴォイ・コーズ(特命外交部隊)のタケシ・コヴァッチは、コマンドに襲撃され、サラもろとも殺された。

 186光年離れた地球のサンンフランシスコで、タケシは目覚めた。新しいスリーヴ(肉体)は40代前半の男、ニューケラム(超神経化学物質)で強化されている。身元引受人はローレンス・バンクロフト、地球の有力者だ。だが保管施設でタケシを向かえたのは、地元の警官で有機体損壊課のクリスティン・オルテガ。

 オルテガは、バンクロフトが自分の頭をふっとばした事件を担当している。彼女の見解では自殺だが、バンクロフトは他殺だと思っている。そこでタケシにお呼びがかかったらいいが…

【感想は?】

 かなり読者を選ぶ作品だ。

 というのも。語り口とお話の筋書きは、ハードボイルド小説のもの。タフで格闘に長け、社会の裏側もよく知っている元兵隊のタケシ・コヴァッチが、有力者の自殺の謎を追う、というもの。ハメットやチャンドラーの流れを汲む、タフで非情で自らのルールに忠実な男が探偵を務める、血と汗と欲望にまみれた物語だ。

 が、仕掛けはかなり凝ったSF。なんたって舞台は27世紀だし。肝心の事件も、現代の感覚だとあり得ない。なにせ、死んだ本人が、自らの死を、自殺か他殺か確認してくれ、という依頼である。これは遺言じゃない。すぐに死んだはずのバンクロフトがピンピンして登場する。

 その仕掛けが、書名にもなっているオルタード・カーボン。ヒトの人格を記憶媒体にデジタル・コピーし、他の肉体に移し変える技術だ。これが色々とややこしくて。

 殺されたバンクロフトは、48時間ごとに人格のバックアップを取っている。そして、自分の肉体のクローンも幾つか持っている。だから、本当に死ぬことはない。最悪でも、48時間分の記憶がなくなるだけだ。これは、彼が金持ちだからできること。クローンを保管するのは、かなり金がかかるのだ。

 それとは別に、肉体には、記憶を保持するメモリー・スタックを埋め込んである。これはリアルタイムに情報を保存するんで、死の瞬間まで記憶を遡れる。主人公のコヴァッチは、このスタックから再生した…別の星の別の肉体で。

 なにせ距離が186光年離れている。モノを移動するには、凄まじい時間がかかる。通信なら、光の速さでヒトを送れる。この物語では「ニードルキャスト」という技術を使っていて、これはどうやら光速より速く情報を送れるらしい。ということで、コヴァッチはニードルキャストで186光年を飛び、地球に元からあった何者かの肉体に移されたわけだ。

 などという仕掛けや舞台裏を、ハードボイルドらしいぶっきらぼうな語り口から、読者は読み取らなくちゃいけない。これは相当にSFを読み込んでいないと、難しいだろう。

 つまり、ハードボイルドが好きで、かつ相応にSFに馴染んでいる人向けという、かなり狭い市場向けの作品ということになる。にも関わらず、売れ行きは上々のようで、映画化の話もあるから世の中はわからない。元々、タフな探偵物は一定の人気があるだけに、SFが世間に浸透したと考えていいんだろうか。

 これだけ凝った仕掛けのためか、上巻はかなり難渋した。小道具大道具共に、SFなガジェットも次々と出てくるし。

 いきなり苦笑いしたのが、新しい肉体で目覚めたコヴァッチが感じる、「ニコチン中毒を思わせる肺の圧迫感」。この肉体は中古品で、元の使用者がタバコを吸っていたのだ。私も一日に一箱吸うんで、ちょっと切なくなった。肉体を変えれば禁煙できるのなら、試してもいいかな。

 コヴァッチの職業?であるエンヴォイ・コーズ(特命外交部隊)の仕掛けも、なかなか楽しい。特殊な技能を持つ人間は、数が少ない。宇宙は広大なので、人間を移送してたら、時間がかかってしょうがない。特に急を要する仕事が多い軍人、それも特殊部隊員ならなおさら。じゃどうするか、というと…

 などなど、上巻では、肝心のオルタード・カーボン技術を巡る仕掛けやクスグリがアチコチに出てくる。とはいえ、それで人間がどれぐらい変わるか、というと。

「通信販売、ヴァーチャル・スーパーマーケット、自動デビット・システムなどなど。だから、実際に物理的に買い物をするなんてやり方は、とっくの昔になくなってもおかしくなかった。でも、そういうことにはならなかった。そのことからあなたには何がわかる?」

 この辺は微妙なところだけど、通販が進歩しても、やっぱりウインドウ・ショッピングの楽しさは残る、と私も思う。

 これ中盤以降に入ると、「意外な真相」が次々と暴かれ、話はどんどんややこしくなってゆく。そもそも、上巻から、出てくる奴のすべてが胡散臭さをプンプン漂わせてるし。おまけに舞台はサンブランシスコ。ダーティー・ハリーの根城でドラアグ・クイーンの本拠地とくれば、何が出てきてもおかしくない。

 凝った仕掛け、気取った台詞、血しぶき飛び散るハードなアクション、そして人の業を感じさせる事件の真相。マニアックなSFガジェットと、タフな探偵が主役のハードボイルドを合体させた、今世紀ならではの娯楽作品。映画化したら、きっと「ブレードランナー」を引き合いに出して広告するんだろうなあ。

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