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2015年1月28日 (水)

パウル・カレル「彼らは来た ノルマンディー上陸作戦」中央公論社 松谷健二訳

1944年6月6日、強力な西側連合軍の上陸用舟艇が突然ノルマンディーの海岸の近くに現れたとき、たしかに4600kmに及ぶ海岸線には敵を迎撃するためにほとんど200万人の兵力をもつ58個のドイツ師団が待機していた。しかしノルマンディーの連合軍上陸地点には、わずか7個師団しかいなかった。
  ――ノルマンディー上陸作戦50周年の改訂版のための前書き

「敵は上陸時が最も弱体である」と、ロンメルはいっていた。「敵兵は不安である。船酔いにかかっているかもしれない。土地には不案内。重兵器はまだ不足。この瞬間にこそ叩かなくてはならない」
  ――第一章 憂慮 彼らは、今日来るのだろうか?

空は連合軍のヤーボ、爆撃機、戦闘機のものなのだ。それがドイツ予備軍の道を阻んだ。
  ――第九章 終わりのはじまり セーヌの橋

【どんな本?】

 1944年6月6日。連合軍の大船団がフランスのコタンタン半島の根元、ノルマンディーに押し寄せる。史上最大の作戦、ノルマンディー上陸作戦である。津波のように押し寄せる連合軍に対し、ドイツ軍は堅牢な布陣の要塞で迎え撃つが、次第に物量に押され、戦線は穴だらけとなってゆく。

 第二次世界大戦の戦記では定評のあるパウル・カレル(→Wikipedia)が、ノルマンディー上陸作戦を、膨大な資料とインタビューを元に、迎え撃つドイツ軍側の視点で描いた、戦時ドキュメンタリーの定番。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Sie Kommen! : Die Invasion 1944, by Paul Carell, 1977, 1989, 1994。日本語版は1998年12月10日初版発行。なお、訳者の松谷健二氏急逝のため、一部は金森誠也・鰍沢伶平・北村裕司が訳している。この本は改訂版で、旧版はドイツで1960年に、日本では1972年に同じ松谷健二訳でフジ出版社から出版。

 単行本ハードカバー縦一段組みで本文約424頁。9ポイント40字×19行×424頁=約322,240字、400字詰め原稿用紙で約806枚。長めの長編小説の分量。

 日本語は比較的にこなれている。内要は基本的に軍記物なので、ある程度の軍事知識があった方がいい。必要なのは、まず軍の編成で、師団・連隊・大隊などの規模がわかること。次に、兵器、それも戦車や自走砲に詳しいと、描写の迫力が増す。具体的にはパンテル(→Wikipedia)・ティーゲル(→Wikipedia)・シャーマン(→Wikipedia)・そして88mm砲(→Wikipedia)。

 アチコチに戦場地図があるので、じっくり読むと何度も地図の頁を眺めながら読む形になる。栞を沢山用意しよう。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、頭から順に読もう。

ノルマンディー上陸作戦50周年の改訂版のための前書き
第一章 憂慮
彼らはいつ来るのか、どこに来るのか/悪天候/彼らは、今日来るのだろうか?/むこう側の雨蛙/ポール・ヴェレーヌの一節/飛来する大爆撃編隊/警報!降下部隊/「少尉、手を見せてみたまえ」/沼地にとびこんだ一個連隊/サン・マルクフの蛙たち/重大なエラーだったメルヴィル/W5、射撃命令を出す/運命のサント・メール・エグリーズ
第二章 血のオマハ、しかしヒトラーは陽動作戦だと思っていた
ドイツ空軍のいない上陸戦線/出動する魚雷艇/第62防御拠点/血のオマハ/海から這いだした戦車/ダムの決壊/ドイツ第22戦車連隊
第三章 のがしたチャンス
装甲教導師団の恐怖の進撃/低空攻撃!/乱れた命令/アルデンヌ僧院/艦隊との決闘/バイユーよりの最後の通信/漂流船中のアメリカ第七師団進撃計画/ヒースの丘へ向かうオームゼン/「降下猟兵にはナイフだけで十分」/「バイユーを奪回せよ」
第四章 ティリーの戦闘
Ⅳ号戦車のなかの13日間/吹きとばされた西方装甲集団司令部、司令部要員の死/劇的な戦車の小競り合い/森の藪の中の《パンテル》と《ティーゲル》/ケンサル・グリーンの墓掘り長/《ティーゲル》一台対一個旅団/V1号、飛来す/友軍機はどこだ?
第五章 第五日 政治的幕間劇
第六章 シェルブールの戦闘
《ヤーボ死に》/総統命令「最後の一弾まで」/砲兵の出番/戦線を往復した米軍大尉/オクトヴィルの降伏/砲兵対戦車/地雷に信管なし/白旗をかかげたジープ/誤算の決算
第七章 カーンとサン・ローの間
オドンという名の小川と112高地/サン・ローに移された装甲教導師団/カーン陥つ/サン・ローの前面モン・カストルの森で/《グッド・ウッド》/サン・ローの突破/裂けた戦線
第八章 大包囲戦
ポントボの橋/《リュティヒ》作戦/戦車600台の攻撃/「フォン・クルーゲ元帥はどこか?」/地獄ファレーズ
第九章 終わりのはじまり
セーヌの橋/パリはワルシャワとならず/最後の幕
付録
ギュンター・フォン・クルーゲ元帥のヒトラーあて告別の手紙/訳注/編成表/訳者あとがき/松谷さんを偲ぶ(金森誠也)/解説(北村裕司)

【感想は?】

 ガチガチの戦記物だ。出てくるのは軍の将兵と政治家だけで、民間人は全く出番がない。相当数の民間人が巻き込まれて犠牲になっていいるし、激戦地のカーンも廃墟になっているが、特に記述はない。そういう視点の本だ。

 その分、戦場の様子は迫力があり、恐ろしさが伝わってくる。

 大半の記述は、迎え撃つドイツ軍の将兵の目線で描かれる。上陸作戦の当日は、「ついに来たか」という感じで始まる。ヒトラーから前線の兵まで、ドイツ軍は「きっと彼らは来る」と思っていたのだ。だから海岸線には機雷を仕掛け、杭や地雷を埋めて守りを固めた…満潮時の戦闘を想定して。

 ところが連合軍は干潮時に来た。波打ち際を数百メートル、重たい荷物を抱えて固い布陣に突っ込んできたのだ。結果、オマハ・ビーチでは凄惨な殺戮が繰り広げられる。

 ところが、待ち受けるドイツ軍も気楽じゃない。まずは空襲。

イギリス・アメリカ合わせてDデーに重爆3487機、中・軽爆、雷撃機1645機、戦闘機5409機、輸送機2316機を擁し、それが6月6日になんと14,674回出撃したのである!

 ところがオマハ・ビーチでは、雲が低く、大型爆撃機は計器で投弾した。司令部は友軍に当たる事を恐れ、投下地点を少し奥にずらし、「13,000個の爆弾がむだになった」。おかげでトーチカは無事で、「最初の突撃から四時間後にはそこに三千名の死体と負傷者が横たわった」。

 次に来るのが、艦砲射撃。戦艦・巡洋艦・駆逐艦が、好き放題に撃ってくる。やっと一段落ついたら、戦闘爆撃機が低空から撃ってくる。ところが、頼みの綱のドイツ空軍は全く姿が見えない。連合軍の戦略爆撃の迎撃で消耗しきっていた。

 そんなわけで、制空権の重要性が、嫌というほど身に染みる作品となった。

 これは、機動性に優れる戦車部隊も同じだ。偵察機が空に見えたら、もうヤバい。すぐに艦砲射撃が始まる。なんとか砲弾の嵐を生き延びても、次に軽量の爆撃機や戦闘機がやってくる。おかげで、ドイツが誇る無敵戦車ティーガーも、昼間は移動できず、夜にコソコソ這い回るのである。

 ロンメルは主張する。「波打ち際で叩け」と。ところが、そのロンメルは休暇で不在だった上に、ヒトラーが機甲部隊の指揮権を渡さない。ドイツ軍上層部は、連合軍の欺瞞作戦にひっかかり、「ノルマンディは陽動、本番はカレー」と思い込んでいた。そのため、なかなか予備を動かせなかった、とある。

 その結果、小出しに戦力を追加しては全滅、という最悪のパターンを繰り返す羽目になる。この本を読む限り、著者は西部戦線の敗因を、上の二つに求めているようだ。つまり上層部のカレーへの拘りで迅速な反撃ができなかった事、そして制空権を奪われ機甲部隊が動けなかった事だ。

 が、もっと冷徹な事実も指摘している。つまりは国力の差だ。

戦争後半においてドイツ空軍の攻撃機、戦闘機がどうしようもないほど減ってしまったのは、空軍将校、司令官、各司令部の責任ではない。要するにドイツ軍需工業力が西と東の戦線の需要をまかないきれなかったのだ。飛行機なり戦車なりには間にあっただろうが、その両方はだめだったのだ。

 この点は大日本帝国も同じ。とすると、当事のアメリカはドイツと日本の両国を相手にしながら、総合的な国力で圧倒的に上回っていたわけで、つくづく大変な国を相手にしたんだなあ、と思う。しかも、アメリカは、同時にソ連へ大量の鉄鋼やトラックを支援してたりする。

 「第五章 第五日 政治的幕間劇」では、ちょっとした驚きのネタが出てくる。連合軍総司令官アイゼンハワーの思惑でだ。無条件降伏を求めるチャーチルとローズヴェルトに対し…

1944年に、アイゼンハワーは、西方のドイツ軍人たちと穏健な講和を取り決める案も視野に入れておこうとしていた。1943年1月にローズヴェルトがカサブランカで布告した無条件降伏を要求せずに、である。

 なぜか。表向きは、政治的な目的だ。スターリンの野心には限度がない。これを防ぐために、ドイツを防壁にしようとする発想である。本音は、戦争の早期終結。「犠牲の多い戦闘を回避すること」だ。しかし、この提案はローズヴェルトと外相ハルに無視される。軍人が戦争を止めたがり、政治家が徹底的に戦う事を望む。皮肉な構図だなあ。

 あくまでドイツ軍視点の本なので、どうしても悲劇の気配が漂う。最初は堅い陣地に篭り、比較的に優位な立場での戦いだったのが、やがて弾薬が尽きて陣を去る時がくる。その後は坂道を転げ落ちるが如く、戦闘機の20mm機銃に追い回されては側溝に飛び込む毎日。

 軍曹や少尉といった、前線で戦う将兵の視点が記述の多くを占める、苦しく恐ろしく悲しい本だ。

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