マリオ・バルガス=リョサ「チボの狂宴」作品社 八重樫克彦・八重樫由美子訳
「いったいどうすれば可能だったの、パパ? フロイライン・アララのように教養があって賢明で用意周到な人物に、そんなばかげたことを受け入れさせるには。ドン・フロイラインだけじゃないわ。チリーノスやマヌエル・アルフォンソ、パパも含め、総統の右腕、左腕とされた者たち全員を取るに足らないぼろ雑巾のような人物と化してしまうのに、彼は何をし、何を与えたというの?」
【どんな本?】
ラファエル・レオニダス・トゥルヒーリョ・モリナ(→Wikipedia)。1930年~1961年まで、ドミニカ共和国を支配した絶対的な独裁者。1961年5月30日に起きた彼の暗殺事件を軸に、トゥルヒーリョが奮った独裁の手腕や、それに翻弄される彼の取り巻き、そしてクーデターを目論む反乱勢力などを、2010年にノーベル文学賞を受賞したペルーの作家マリオ・バルガス=リョサが、史実に基づきつつも、それぞれの内面にまで踏み込んで描いてゆく。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は La Fiesta Del Chivo, by Mario Vargas Llosa, 2000。日本語版は2011年1月30日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約527頁に加え訳者解説9頁。9ポイント45字×21行×527頁=約498,015字、400字詰め原稿用紙で約1,245枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。構成的には視点や時系列をシャッフルしているが、小難しい思索に耽る小説ではなく、素直に起きた事実や登場人物の気持ちを語ってゆく小説であり、シャッフルは話を盛り上げるための仕掛けだ。
ただし、不慣れなドミニカを舞台にした作品のため、地名や人名を覚えるのに少し苦労する。できれば登場人物一覧をつけて欲しかった。欲しい人はこちらをどうぞ。
【どんな話?】
1996年。ウラニア・カブラルは、35年ぶりにドミニカへ帰郷した。14歳のとき、慌しく国を出て以来だ。当時、首都サント・ドミンゴはシウダー・トゥルヒーリョと呼ばれていた。そう、国中が“国家再建の父”ラファエル・レオニダス・トゥルヒーリョ・モリナにひれ伏していたのだ。その高官だった父のアグスティン・カブラルも。
午前四時、トゥルヒーリョは目ざめる。合衆国のマリーンで身につけた規律を、彼は今も守り続けている。サイクリングマシンを15分、ボート漕ぎを15分。身だしなみを整え、午前五時ちょうどに執務室に入る。31年も米国の誠実な友人として共産主義と戦い、州知事や上院議員に袖の下を渡してきたのに、グリンゴの返答は人権云々で経済制裁だ。この国難に頼りない息子どもは…
運転席にはアントニオ(トニー)・インベル、助手席にはアントニオ・デ・ラ・マサ、後部座席にはサルバドール(トゥルコ)・エストレージャ・サドアラとアマディード・ガルシア・ゲレーロ。四人は青のシボレーを待っている。車窓にカーテンを引いたスカイブルーのシボレー1957年型が、シウダー・トゥルヒーリョから来るのを。
【感想は?】
権力という魔物の物語。
物語はドミニカ共和国に君臨した独裁者、ラファエル・レオニダス・トゥルヒーリョ・モリナの一日を中心に展開する。彼が殺される、その日の話だ。
彼の独裁ぶりは徹底したもので、政府と軍ばかりでなく経済面も凄まじい。彼は多くの企業も所有し、「これらの起業は労働人口の60%を雇用している」。もうやりたい放題である。これだけ強力な権力を一人で掌握する者は、現代じゃブルネイ(→Wikipedia)国王ぐらいか。
この小説は、そんな独裁者であるトゥルヒーリョや、その取り巻きたちの心の中を描こうとする作品だ。そのような絶大な権力を、いかにして彼は維持していたのか。彼の取り巻きは、何を考えていたのか。
権力を掌握した当初は、合衆国の同盟国として政権運営は順調にいっていた。だが彼はやりすぎた。ニューヨークで反体制派を拉致し、彼を非難するカトリック教会を弾圧し、ベネズエラ大統領ロムロ・ベタンコート暗殺未遂の露見で国際的に立場が悪化した時、反体制派のミラバル姉妹(→Wikipedia)を虐殺、ついに米国にも見放され経済制裁を受ける。
これによりドミニカ経済は完全に窒息し、破滅の淵に追いやられる。
客観的に見ると、実はドミニカを救うのは簡単なのだ。トルヒーリョを殺し、全ての責任を彼に押し付けて新政権を発足させればいい。政治犯を開放すれば人権云々は誤魔化せるし、国内の反体制派は軍を中心に戒厳令を敷いて黙らせる。クーデターの直後ともなれば、戒厳令も仕方あるまい。
にも関わらず、政権の高官はトルヒーリョにへつらい続けた。独裁者の非情っぷりは、それとなく示されるだけだが、なかなか凄まじいものがある。いつ自分が失脚するかわからない状況で、なぜ素直に頭を下げ続けたのか。トルヒーリョは、いかにして高官たちを操ったのか。
権力に翻弄される者の哀れさは、ウラニアの言葉で冒頭から露わにされる。読み進むにしたがって、彼らの男妾っぷりは悲しいやら情けないやら。組織の中で仕事をしている人は、多かれ少なかれ上司にへつらうものだが、こうまで簡単に手玉に取られる姿を見ると、ヒトの本能に染み付いた性根が憎くなってくる。
と同時に描かれるのは、独裁者を暗殺しようと目論む反体制組織の者たち。冒頭に出てくるのは四人だけだが、次々と思いがけない人物が陰謀に関わっている事が明らかになってゆく。この辺も驚きだが、よく読むと、その多くが、多かれ少なかれトルヒーリョ政権で恩恵を蒙った者たちである事がわかる。
動機は様々だが、大抵は個人的な恨みだ。家族や親しい者を殺されたり、地位を取り上げられたり。つまりはトルヒーリョの暴政の被害者ではあるんだが、同時に彼によって取り立てられた者たちである。虐げられた貧しい労働者では、ない。何らかの形で、権力の味を知っている者なのだ。
「権力」をキーワードとしてみると、終盤の政権奪取を描く所もじっくり読む価値がある。いかにして革命を成功させるか。トルヒーリョに権力が集中している国だ。彼を取り除けば権力を奪えそうだが、国家はそれほど簡単じゃない。ある者は右往左往し、ある者は保身に必死で、ある者は主導権を取ろうとする。そんな中で、どうやって権力を手中にするか。
この見苦しい場面で、リーダーシップとは何かを、残酷なまでに冷徹な視点で、この作品は描いてゆく。
私たち日本人にはピンとこないもう一つの権力、バチカンの威光が伝わってくるのも、この作品の特徴。目下トゥルヒーリョが抱える爆弾が、彼を批判する二人の外国人司祭なのだ。両名を疎ましく思うトゥルヒーリョは、嫌がらせを仕掛け、国外に逃げ出すよう仕向けるのだが、これがバチカンの逆鱗に触れ、世界中のカトリックを敵に回してしまう。
カトリック信仰が盛んな中南米で、これがどんな意味を持つのか。ドミニカ国内では全てが思いのままになるトゥルヒーリョには、想定外の躓きとなってしまう。
全般的に人物の心情に重点を置き、事実は台詞でほのめかす形で語られる作品なので、客観的な事は一見すると見えにくい。だが、そこで語られる独裁体制の姿は、実にグロテスクでありながら、悲しいほどに社会的動物であるヒトの本能に素直に従っているように見える。
明るいカリブの島、トゥルヒーリョが愛したメレンゲ(→Youtube)を聞きながら読むと、ちょっとした悪夢が味わえる。
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【主な登場人物】
ラファエル・レオニダス・トゥルヒーリョ・モリナ : ドミニカ共和国の独裁者
ラムフィス : トゥルヒーリョの息子
ラダメス : トゥルヒーリョの息子
アンリヘータ : トゥルヒーリョの娘
ドニャ・マリア・マルティネス : トゥルヒーリョの妻
ママ・フリア : トゥルヒーリョの母
シンフォロッソ : トゥルヒーリョの執事
サイモン・ギトルマン : 海兵隊時代のトゥルヒーリョの教官
アグスティン・カブラル : “秀才”。トゥルヒーリョ政権の高官
ウラニア・カブラル:アグスティンの娘
ヘンリー・チリーノス : “酔いどれ憲法学者”。トゥルヒーリョ政権の高官
ホアキン・パラゲール : トゥルヒーリョ政権の大統領
ジョニー・アッペス・ガルシア大佐 : トゥルヒーリョ政権のSIM長官
ロベルト・フィゲロア・カリオン少佐 : トゥルヒーリョ政権のSIM指揮官
フアン・トマス・ディアス将軍 : トゥルヒーリョ政権の将軍
ホセ・レネ・ロマン・フェルナンデス : トゥルヒーリョ政権の軍務大臣
アントニオ(トニー)・インベル : 暗殺者
アントニオ・デ・ラ・マサ : 暗殺者
サルバドール(トゥルコ)・エストレージャ・サドアラ : 暗殺者
アマディード・ガルシア・ゲレーロ :暗殺者
ペドロ・リビオ : 暗殺者
ウアスウカル・チヘーダ : 暗殺者
フィフィ・パストリサ・ネレー : 暗殺者
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