ヘンリー・ペトロスキー「フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論」平凡社ライブラリー 忠平美幸訳
…道具のデザインは、偉大な作り手の頭の中で完璧に練り上げられてから生まれるのではなく、むしろ、それらを取り巻く社会、文化、技術に関連し、使った側の(おもに不愉快な)経験を通じて変更が重ねられてゆくものだからである。
――第一章 フォークの歯はなぜ四本になったか…「昔の接着テープ」はいかにも粗悪で不適切な代物のように思えるが、それでもその全盛時代には天下一品だった。テクノロジーに対するわれわれの期待は、その進歩とともに高じるのである。
――第五章 瑣末なモノもあなどれない
【どんな本?】
ルイス・サリヴァン(→Wikipedia)が唱え、モダニズム(→Wikipedia)へと受け継がれた言葉「形は機能にしたがう」。ソレが何のために使われるのかが決まれば、ソレの形も決まってくる、そんな意味だ。だが、それは本当だろうか? フォークの歯はなぜ四本なのか。書類をまとめるゼムクリップはなぜトラック形なのか。缶ジュースのプルトップは?
他にもノコギリ・手押し車・ハンマーなど、身近なモノの歴史とデザインの変遷を辿りながら、モノの機能と形がどのように変わってきたかを語り、技術の進歩の原動力を探る一般向けの工学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Evolution of Useful Things, by Henry Petroski, 1992。日本語版は1995年11月に平凡社から単行本で刊行。文庫サイズの平凡社ライブラリー版は2010年1月8日初版第1刷発行、私が読んだのは2013年4月30日発行の初版第4刷。文庫本縦一段組みで本文約420頁に加え訳者あとがき5頁+棚橋弘季の解説7頁。9ポイント42字×16行×420頁=約282,240字、400字詰め原稿用紙で約706頁。長めの長編小説の分量。
文章は比較的にこなれている。内容も数式などは出てこないので、特に難しくない。敢えていえば、食事用の様々なナイフやフォークの例が多く出てくるので、格式ばった洋風の食事をした経験があるといい、という程度。中学生でも読みこなせるだろう。
【構成は?】
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各章は穏やかに繋がっているが、あまり強い関係はないので、気になる章だけを拾い読みしてもいい。
【感想は?】
今までに読んだペトロスキーの本の中では、これが一番楽しく読めた。
なにせ出てくるモノが、身近なモノばかり。食事用のフォーク,書類を止めるゼムクリップ(→画像検索結果),付箋,飲料用の缶,ファスナー,安全ピン,ドライバー…。
どれも我々には当たり前のモノだが、いずれもヒトが創ったものだ。どれも使っている我々からすれば、当たり前の形をしているように見えるが、それぞれの形にはちゃんと意味があり、それぞれ歴史を通じてデザインが洗練されてきたんだよ、という本である。
本書で一貫して繰り返されるのは、第2章のタイトルにもなっている「形は失敗にしたがう」。
それを最も端的に示しているのが、ペーパークリップ。何枚かの紙をまとめるのに便利な、針金を曲げたアレだ。昔は書類をまとめるのに、どうしていたか? 最初は、紙に穴をあけ紐で閉じていた。中国の古い書物や、時代劇に出てくる本みたいな形だ。けど、紐を通してほどいて…ってのは、面倒くさくてしょうがない。
次に出てきた案は、ピンで留める、というもの。本書はここでピン生産の歴史に逸れるんだが、面白いけどここでは省く。楽になったのはいいが、ピンは錆びる。錆びると抜くときに穴が大きくなるし、書類も汚れる。おまけに、ピンの先が指に刺さる事もある。
19世紀には、ペーパーファスナー(→画像検索結果)が出てきた。便利ではあるけれど、やっぱり書類に穴をあけなきゃいけない。ってんで、19世紀の終盤になって、やっとペーパークリップが登場する。とはいえ、最初のペーパークリップは今と少々形が違っていて…
と見ていくと、次第に本書のテーマが見えてくる。それぞれ、新しい道具が出てくるために必要なのは、何か? それは、「なんかコレ、使いにくいよね」という不満だ。
不満を無くすために、発明家は様々な改良をする。最初は「紐で留めよう」。でもメンドクサイ。じゃ「ピンなら簡単だよね」。でも指に刺さるし、錆びるとカッコ悪い。「ペーパーファスナーいかがっすか」。やっぱ穴あけるの面倒。「ペーパークリップなら一発っすよ」。
今考えると、それぞれの不満は納得がいくものだけど。意外とヒトって、これらの道具に不満を抱かず、「そういうものだ」で納得しちゃったりする。
やはりこの本の例に出てくるので納得するのが、電話だ。昔の黒電話は単にダイヤルを回して通話する、それだけのシロモノだった。だから相手が目的の所にいないと、捕まらない。事務所なども、職員が一斉にいなくなると困るので、電話番の人を留守番に置いたりした。みんな、「そういうものだ」と思っていた。
今は携帯電話や電子メールもある。「そういうものだ」で納得しなかった人が作ったものだ。生きていくには、納得して適応するのも必要だけど、世の中を変えて行くのは、「なんか納得いかない、どうにかならんのか」という気持ちも必要だったりする。
ただ、そういう気持ちだけで便利になるわけじゃない。最初の解決案は、たいてい何か不具合がある。紐は面倒くさい。そこでピンで留める。そうすると、新しい不具合が生まれる。錆びるし指に刺さる。じゃペーパーファスナーを…。という具合に、モノは少しずつ改良されてゆく。このプロセスを、著者はこうまとめる。
「形は失敗にしたがう」。失敗→改善の積み重ねで、道具は少しずつ良くなっていくのである。
この辺、ソフト屋の多くは、何かと身につまされるんじゃないだろうか。私も昔はよく道具を作った。たいてい、その動機は「この処理メンドクサイ、もちっと楽にならんのか」だ。でも最初に作った道具は、大半が何か問題がある。使う準備が面倒だったり、例外データに弱かったり。何回か改良して、私の場合は第三版あたりでやっと使い物になる。
Microsoft Windows も、Windows95 あたりでやっとマトモに使えるようになった。それでも、モニタの色数を変えるには再起動する必要があったけど。
が、しかし。必ずしも、使い勝手だけが道具の形を決めるわけじゃないのが、資本主義。例えばワインのコルク栓だ。あれを抜くのに失敗した経験がある人は多いはずなのに、ワイン業界はコルクに拘る。その方が伝統的で、高級に見えるからだ。今の世の中、便利だけじゃ売れないんです。
などの理屈はともかく。今、私たちが使っているモノがどう進化してきたのか、それが出きる前はどうやっていたのか、そういった具体的なエピソードを拾っていくだけでも、充分に楽しめるし、ちょっと賢くなった気になれる。わかりやすく、楽しく読めて、エンジニアリングに大事な事も学べる。「著者の代表作」と呼ぶに相応しい、面白い本だった。
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