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2015年1月の14件の記事

2015年1月28日 (水)

パウル・カレル「彼らは来た ノルマンディー上陸作戦」中央公論社 松谷健二訳

1944年6月6日、強力な西側連合軍の上陸用舟艇が突然ノルマンディーの海岸の近くに現れたとき、たしかに4600kmに及ぶ海岸線には敵を迎撃するためにほとんど200万人の兵力をもつ58個のドイツ師団が待機していた。しかしノルマンディーの連合軍上陸地点には、わずか7個師団しかいなかった。
  ――ノルマンディー上陸作戦50周年の改訂版のための前書き

「敵は上陸時が最も弱体である」と、ロンメルはいっていた。「敵兵は不安である。船酔いにかかっているかもしれない。土地には不案内。重兵器はまだ不足。この瞬間にこそ叩かなくてはならない」
  ――第一章 憂慮 彼らは、今日来るのだろうか?

空は連合軍のヤーボ、爆撃機、戦闘機のものなのだ。それがドイツ予備軍の道を阻んだ。
  ――第九章 終わりのはじまり セーヌの橋

【どんな本?】

 1944年6月6日。連合軍の大船団がフランスのコタンタン半島の根元、ノルマンディーに押し寄せる。史上最大の作戦、ノルマンディー上陸作戦である。津波のように押し寄せる連合軍に対し、ドイツ軍は堅牢な布陣の要塞で迎え撃つが、次第に物量に押され、戦線は穴だらけとなってゆく。

 第二次世界大戦の戦記では定評のあるパウル・カレル(→Wikipedia)が、ノルマンディー上陸作戦を、膨大な資料とインタビューを元に、迎え撃つドイツ軍側の視点で描いた、戦時ドキュメンタリーの定番。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Sie Kommen! : Die Invasion 1944, by Paul Carell, 1977, 1989, 1994。日本語版は1998年12月10日初版発行。なお、訳者の松谷健二氏急逝のため、一部は金森誠也・鰍沢伶平・北村裕司が訳している。この本は改訂版で、旧版はドイツで1960年に、日本では1972年に同じ松谷健二訳でフジ出版社から出版。

 単行本ハードカバー縦一段組みで本文約424頁。9ポイント40字×19行×424頁=約322,240字、400字詰め原稿用紙で約806枚。長めの長編小説の分量。

 日本語は比較的にこなれている。内要は基本的に軍記物なので、ある程度の軍事知識があった方がいい。必要なのは、まず軍の編成で、師団・連隊・大隊などの規模がわかること。次に、兵器、それも戦車や自走砲に詳しいと、描写の迫力が増す。具体的にはパンテル(→Wikipedia)・ティーゲル(→Wikipedia)・シャーマン(→Wikipedia)・そして88mm砲(→Wikipedia)。

 アチコチに戦場地図があるので、じっくり読むと何度も地図の頁を眺めながら読む形になる。栞を沢山用意しよう。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、頭から順に読もう。

ノルマンディー上陸作戦50周年の改訂版のための前書き
第一章 憂慮
彼らはいつ来るのか、どこに来るのか/悪天候/彼らは、今日来るのだろうか?/むこう側の雨蛙/ポール・ヴェレーヌの一節/飛来する大爆撃編隊/警報!降下部隊/「少尉、手を見せてみたまえ」/沼地にとびこんだ一個連隊/サン・マルクフの蛙たち/重大なエラーだったメルヴィル/W5、射撃命令を出す/運命のサント・メール・エグリーズ
第二章 血のオマハ、しかしヒトラーは陽動作戦だと思っていた
ドイツ空軍のいない上陸戦線/出動する魚雷艇/第62防御拠点/血のオマハ/海から這いだした戦車/ダムの決壊/ドイツ第22戦車連隊
第三章 のがしたチャンス
装甲教導師団の恐怖の進撃/低空攻撃!/乱れた命令/アルデンヌ僧院/艦隊との決闘/バイユーよりの最後の通信/漂流船中のアメリカ第七師団進撃計画/ヒースの丘へ向かうオームゼン/「降下猟兵にはナイフだけで十分」/「バイユーを奪回せよ」
第四章 ティリーの戦闘
Ⅳ号戦車のなかの13日間/吹きとばされた西方装甲集団司令部、司令部要員の死/劇的な戦車の小競り合い/森の藪の中の《パンテル》と《ティーゲル》/ケンサル・グリーンの墓掘り長/《ティーゲル》一台対一個旅団/V1号、飛来す/友軍機はどこだ?
第五章 第五日 政治的幕間劇
第六章 シェルブールの戦闘
《ヤーボ死に》/総統命令「最後の一弾まで」/砲兵の出番/戦線を往復した米軍大尉/オクトヴィルの降伏/砲兵対戦車/地雷に信管なし/白旗をかかげたジープ/誤算の決算
第七章 カーンとサン・ローの間
オドンという名の小川と112高地/サン・ローに移された装甲教導師団/カーン陥つ/サン・ローの前面モン・カストルの森で/《グッド・ウッド》/サン・ローの突破/裂けた戦線
第八章 大包囲戦
ポントボの橋/《リュティヒ》作戦/戦車600台の攻撃/「フォン・クルーゲ元帥はどこか?」/地獄ファレーズ
第九章 終わりのはじまり
セーヌの橋/パリはワルシャワとならず/最後の幕
付録
ギュンター・フォン・クルーゲ元帥のヒトラーあて告別の手紙/訳注/編成表/訳者あとがき/松谷さんを偲ぶ(金森誠也)/解説(北村裕司)

【感想は?】

 ガチガチの戦記物だ。出てくるのは軍の将兵と政治家だけで、民間人は全く出番がない。相当数の民間人が巻き込まれて犠牲になっていいるし、激戦地のカーンも廃墟になっているが、特に記述はない。そういう視点の本だ。

 その分、戦場の様子は迫力があり、恐ろしさが伝わってくる。

 大半の記述は、迎え撃つドイツ軍の将兵の目線で描かれる。上陸作戦の当日は、「ついに来たか」という感じで始まる。ヒトラーから前線の兵まで、ドイツ軍は「きっと彼らは来る」と思っていたのだ。だから海岸線には機雷を仕掛け、杭や地雷を埋めて守りを固めた…満潮時の戦闘を想定して。

 ところが連合軍は干潮時に来た。波打ち際を数百メートル、重たい荷物を抱えて固い布陣に突っ込んできたのだ。結果、オマハ・ビーチでは凄惨な殺戮が繰り広げられる。

 ところが、待ち受けるドイツ軍も気楽じゃない。まずは空襲。

イギリス・アメリカ合わせてDデーに重爆3487機、中・軽爆、雷撃機1645機、戦闘機5409機、輸送機2316機を擁し、それが6月6日になんと14,674回出撃したのである!

 ところがオマハ・ビーチでは、雲が低く、大型爆撃機は計器で投弾した。司令部は友軍に当たる事を恐れ、投下地点を少し奥にずらし、「13,000個の爆弾がむだになった」。おかげでトーチカは無事で、「最初の突撃から四時間後にはそこに三千名の死体と負傷者が横たわった」。

 次に来るのが、艦砲射撃。戦艦・巡洋艦・駆逐艦が、好き放題に撃ってくる。やっと一段落ついたら、戦闘爆撃機が低空から撃ってくる。ところが、頼みの綱のドイツ空軍は全く姿が見えない。連合軍の戦略爆撃の迎撃で消耗しきっていた。

 そんなわけで、制空権の重要性が、嫌というほど身に染みる作品となった。

 これは、機動性に優れる戦車部隊も同じだ。偵察機が空に見えたら、もうヤバい。すぐに艦砲射撃が始まる。なんとか砲弾の嵐を生き延びても、次に軽量の爆撃機や戦闘機がやってくる。おかげで、ドイツが誇る無敵戦車ティーガーも、昼間は移動できず、夜にコソコソ這い回るのである。

 ロンメルは主張する。「波打ち際で叩け」と。ところが、そのロンメルは休暇で不在だった上に、ヒトラーが機甲部隊の指揮権を渡さない。ドイツ軍上層部は、連合軍の欺瞞作戦にひっかかり、「ノルマンディは陽動、本番はカレー」と思い込んでいた。そのため、なかなか予備を動かせなかった、とある。

 その結果、小出しに戦力を追加しては全滅、という最悪のパターンを繰り返す羽目になる。この本を読む限り、著者は西部戦線の敗因を、上の二つに求めているようだ。つまり上層部のカレーへの拘りで迅速な反撃ができなかった事、そして制空権を奪われ機甲部隊が動けなかった事だ。

 が、もっと冷徹な事実も指摘している。つまりは国力の差だ。

戦争後半においてドイツ空軍の攻撃機、戦闘機がどうしようもないほど減ってしまったのは、空軍将校、司令官、各司令部の責任ではない。要するにドイツ軍需工業力が西と東の戦線の需要をまかないきれなかったのだ。飛行機なり戦車なりには間にあっただろうが、その両方はだめだったのだ。

 この点は大日本帝国も同じ。とすると、当事のアメリカはドイツと日本の両国を相手にしながら、総合的な国力で圧倒的に上回っていたわけで、つくづく大変な国を相手にしたんだなあ、と思う。しかも、アメリカは、同時にソ連へ大量の鉄鋼やトラックを支援してたりする。

 「第五章 第五日 政治的幕間劇」では、ちょっとした驚きのネタが出てくる。連合軍総司令官アイゼンハワーの思惑でだ。無条件降伏を求めるチャーチルとローズヴェルトに対し…

1944年に、アイゼンハワーは、西方のドイツ軍人たちと穏健な講和を取り決める案も視野に入れておこうとしていた。1943年1月にローズヴェルトがカサブランカで布告した無条件降伏を要求せずに、である。

 なぜか。表向きは、政治的な目的だ。スターリンの野心には限度がない。これを防ぐために、ドイツを防壁にしようとする発想である。本音は、戦争の早期終結。「犠牲の多い戦闘を回避すること」だ。しかし、この提案はローズヴェルトと外相ハルに無視される。軍人が戦争を止めたがり、政治家が徹底的に戦う事を望む。皮肉な構図だなあ。

 あくまでドイツ軍視点の本なので、どうしても悲劇の気配が漂う。最初は堅い陣地に篭り、比較的に優位な立場での戦いだったのが、やがて弾薬が尽きて陣を去る時がくる。その後は坂道を転げ落ちるが如く、戦闘機の20mm機銃に追い回されては側溝に飛び込む毎日。

 軍曹や少尉といった、前線で戦う将兵の視点が記述の多くを占める、苦しく恐ろしく悲しい本だ。

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2015年1月25日 (日)

ジュノ・ディアス「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」新潮社 都甲幸治・久保尚美訳

 どのドミニカ人の家庭にも狂気の愛の物語がある。度を過ぎた愛についての物語だ。オスカーの家も例外ではなかった。

【どんな本?】

 ドミニカに生まれ幼い頃に家族で渡米した著者ジュノ・ディアスによる、ドミニカとオタク趣味が詰まった長編小説。ドミニカの血を引きアメリカで育ち、オタク趣味にどっぷりとハマたモジャモジャ頭のデブ男オスカー・ワオの、モテない苦しみに満ちた人生と、彼を取り巻くドミニカ人家族の壮絶な生き様を描く。

 2008年ピュリツァー賞小説部門、2007年全米批評家協会賞小説部門受賞。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Brief Wondrous Life of Oscar Wao, by Junor Diaz, 2007。日本語版は2011年2月25日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約395頁に加え訳者あとがき8頁。9ポイント44字×19行×395頁=約330,220字、400字詰め原稿用紙で約826枚。長編小説としては長め。

 文章は少々読みにくい。原文を読んでいないので断言はできないが、たぶん原文はもっと読みにくい。理由は四つ。

  1. 脚注がやたらと多く、かつ長い。主にドミニカの歴史・政治・社会情勢を語っている。単なる補足だと思って読み逃すのはもったいない、というか、この小説のテーマに深く関わっている。
  2. アメリカの特定世代のオタクにしか通じない固有名詞がうじゃうじゃ出てくる。ロール・プレイング・ゲーム、コミックス、SF映画、ファンタジイ小説などのネタが大半。
  3. この作家のクセだと思うのだが、章の出だしは暫く誰が主人公かわからない。また、語り手も暫く登場しない。気の短い人は少しイライラするかも。
  4. ルビが多い。恐らく原文はドミニカ訛りのスペイン語だろう。

 つまり、元はもっと読みにくい文章を、訳者が工夫して意味が通じる程度にわかりやすくしたわけ。それにより味が少々変わったのは事実だが、元のテイストをそのまま出したら、ほとんど意味不明になっていたと思う。

【どんな話?】

 オスカー・ワオ。筋金入りのオタク。ブクブク太り、メガネをかけて、モジャモジャ頭。彼のモテ季は7歳で終わり、二度と訪れなかった。だが、そこらのオタクとは少し違う。なんたって、ドミニカの男なんだから。現実の女に恋をして、果敢にアタックするのだ…まず巧くいかないが。

【感想は?】

 アメリカのオタクの生活を書いた小説だと思ったが、それだけじゃない。

 当然ながら、アメリカのオタクが置かれた悲惨な状況は、これでもかというぐらい繰り返し描かれる。日本にもスクール・カーストはあるが、アメリカはもっとあからさまだ。スポーツマンやイケメンが上位に居座り、オタクは最下位に沈みっぱなし。

 しかも、ドミニカの血が更に彼を苦しめる。ドミニカの男が童貞のまま死ぬなんてありえないのだ。彼の周囲もソレを期待するし、彼も熱意マンマンである…ただ、どうしたって巧くいかないだけで。

オスカーはあるセクシーな黒人娘(セレナ)に言った。もし一緒にゲームに参加してくれたらカリスマポイントを18あげるんだけど!

 うおお、耳が痛い。にも関わらず、このしょうもないオスカーに、友人の種馬男がアドバイスするが…

僕はありのままでいくよ。
そのありのままが最悪なんだろうが。

 これも耳が痛い。とはいえ、不器用ながらも、オスカーは果敢なアタックを繰り返す。この根性だけは見習いたい。フラれる度に落ち込み鬱陶しい姿を晒すが、それでも暫くしたら立ち上がって下手なアタックを繰り返すあたりは、不屈のヒーローを見ている気分になる…ほんの、少しだけ。

 彼の家族も、なかなかに強烈な人ばかり。姉のロラは気が強い男勝り。背は高く足が速い。リーダーシップにも溢れていて、大学じゃアチコチのグループの頭を務めている。ドミニカ娘らしくスタイルもよく脚も綺麗なんだが、胸だけは残念。

 彼の母ベリも、気の強さは相当なもの。働き者で、いくつもの仕事を掛け持ちしている。肌は黒いが、胸は娘と異なり立派なもの。この肌の色、ドミニカでは大きな意味を持っているし、ベリの運命にも大きく関わってくる。ベリとロラ、母と娘が衝突する第2章「原始林」は、なかなかの迫力。

完璧なドミニカ人の娘とは、単に完璧なドミニカ人の奴隷というのをよく言いかえたにすぎない。

 であると同時に、序盤では単なるオタクの話と思われてきたストーリーに、次第にドミニカの歴史と風俗が忍び寄るのも、第2章から。やたらと頑固な母ベリが育ったドミニカとは、どんな土地だったのか。この物語の影の主役、またはゲームマスターであるラファエル・レオニダス・トルヒーヨ・モリナ(→Wikipedia)の気配が、次第に漂ってくる。

 そして物語は、オスカーの祖父母の代へと遡ってゆく。それまでは気配だけだったトルヒーヨが存在感を増し、ニンジャよろしく静かに忍び寄ってくる。当事のドミニカの息詰まる暮らしを描く本文もいいが、307頁の脚注も凄い。

 マリオ・バルガス・リョサの「チボの狂宴」に触発されて書かれた作品でもあるこの小説、確かに「チボの狂宴」とは違う視点でドミニカを描いている。「チボの狂宴」がトルヒーヨなど支配者の目線で描くのに対し、この物語は支配される者の目線で、当事の、そして現在まで続くドミニカ社会を描くのである。

 厳しい弱肉強食のアメリカ社会、更に激しく血が飛び散り欲望が渦巻くドミニカの社会と歴史。それを受け継ぐ若い世代の移民二世たち。現代を象徴するオタクを主演にしながら、移民の国アメリカが持つもう一つの側面に光をあてた、現代アメリカならではの長編小説。

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2015年1月22日 (木)

ヘンリー・ペトロスキー「フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論」平凡社ライブラリー 忠平美幸訳

…道具のデザインは、偉大な作り手の頭の中で完璧に練り上げられてから生まれるのではなく、むしろ、それらを取り巻く社会、文化、技術に関連し、使った側の(おもに不愉快な)経験を通じて変更が重ねられてゆくものだからである。
  ――第一章 フォークの歯はなぜ四本になったか

…「昔の接着テープ」はいかにも粗悪で不適切な代物のように思えるが、それでもその全盛時代には天下一品だった。テクノロジーに対するわれわれの期待は、その進歩とともに高じるのである。
  ――第五章 瑣末なモノもあなどれない

【どんな本?】

 ルイス・サリヴァン(→Wikipedia)が唱え、モダニズム(→Wikipedia)へと受け継がれた言葉「形は機能にしたがう」。ソレが何のために使われるのかが決まれば、ソレの形も決まってくる、そんな意味だ。だが、それは本当だろうか? フォークの歯はなぜ四本なのか。書類をまとめるゼムクリップはなぜトラック形なのか。缶ジュースのプルトップは?

 他にもノコギリ・手押し車・ハンマーなど、身近なモノの歴史とデザインの変遷を辿りながら、モノの機能と形がどのように変わってきたかを語り、技術の進歩の原動力を探る一般向けの工学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Evolution of Useful Things, by Henry Petroski, 1992。日本語版は1995年11月に平凡社から単行本で刊行。文庫サイズの平凡社ライブラリー版は2010年1月8日初版第1刷発行、私が読んだのは2013年4月30日発行の初版第4刷。文庫本縦一段組みで本文約420頁に加え訳者あとがき5頁+棚橋弘季の解説7頁。9ポイント42字×16行×420頁=約282,240字、400字詰め原稿用紙で約706頁。長めの長編小説の分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も数式などは出てこないので、特に難しくない。敢えていえば、食事用の様々なナイフやフォークの例が多く出てくるので、格式ばった洋風の食事をした経験があるといい、という程度。中学生でも読みこなせるだろう。

【構成は?】

  •  まえがき
  • 第一章 フォークの歯はなぜ四本になったか
  • 第二章 形は失敗にしたがう
  • 第三章 批評家としての発明家
  • 第四章 ピンからペーパークリップへ
  • 第五章 瑣末なモノもあなどれない
  • 第六章 ファスナーが生まれるまで
  • 第七章 道具が道具を作る
  • 第八章 増殖のパターン
  • 第九章 流行とインダストリアル・デザイン
  • 第十章 先行するモノの力
  • 第十一章 開けるより封じる
  • 第十二章 ちょっと変えて大儲け
  • 第十三章 良が最良よりも良いとき
  • 第十四章 つねに改善の余地がある
  •  訳者あとがき
  •  解説 失敗の発明 棚橋弘季
  •  注/参考文献

 各章は穏やかに繋がっているが、あまり強い関係はないので、気になる章だけを拾い読みしてもいい。

【感想は?】

 今までに読んだペトロスキーの本の中では、これが一番楽しく読めた。

 なにせ出てくるモノが、身近なモノばかり。食事用のフォーク,書類を止めるゼムクリップ(→画像検索結果),付箋,飲料用の缶,ファスナー,安全ピン,ドライバー…。

 どれも我々には当たり前のモノだが、いずれもヒトが創ったものだ。どれも使っている我々からすれば、当たり前の形をしているように見えるが、それぞれの形にはちゃんと意味があり、それぞれ歴史を通じてデザインが洗練されてきたんだよ、という本である。

 本書で一貫して繰り返されるのは、第2章のタイトルにもなっている「形は失敗にしたがう」。

 それを最も端的に示しているのが、ペーパークリップ。何枚かの紙をまとめるのに便利な、針金を曲げたアレだ。昔は書類をまとめるのに、どうしていたか? 最初は、紙に穴をあけ紐で閉じていた。中国の古い書物や、時代劇に出てくる本みたいな形だ。けど、紐を通してほどいて…ってのは、面倒くさくてしょうがない。

 次に出てきた案は、ピンで留める、というもの。本書はここでピン生産の歴史に逸れるんだが、面白いけどここでは省く。楽になったのはいいが、ピンは錆びる。錆びると抜くときに穴が大きくなるし、書類も汚れる。おまけに、ピンの先が指に刺さる事もある。

 19世紀には、ペーパーファスナー(→画像検索結果)が出てきた。便利ではあるけれど、やっぱり書類に穴をあけなきゃいけない。ってんで、19世紀の終盤になって、やっとペーパークリップが登場する。とはいえ、最初のペーパークリップは今と少々形が違っていて…

 と見ていくと、次第に本書のテーマが見えてくる。それぞれ、新しい道具が出てくるために必要なのは、何か? それは、「なんかコレ、使いにくいよね」という不満だ。

 不満を無くすために、発明家は様々な改良をする。最初は「紐で留めよう」。でもメンドクサイ。じゃ「ピンなら簡単だよね」。でも指に刺さるし、錆びるとカッコ悪い。「ペーパーファスナーいかがっすか」。やっぱ穴あけるの面倒。「ペーパークリップなら一発っすよ」。

 今考えると、それぞれの不満は納得がいくものだけど。意外とヒトって、これらの道具に不満を抱かず、「そういうものだ」で納得しちゃったりする。

 やはりこの本の例に出てくるので納得するのが、電話だ。昔の黒電話は単にダイヤルを回して通話する、それだけのシロモノだった。だから相手が目的の所にいないと、捕まらない。事務所なども、職員が一斉にいなくなると困るので、電話番の人を留守番に置いたりした。みんな、「そういうものだ」と思っていた。

 今は携帯電話や電子メールもある。「そういうものだ」で納得しなかった人が作ったものだ。生きていくには、納得して適応するのも必要だけど、世の中を変えて行くのは、「なんか納得いかない、どうにかならんのか」という気持ちも必要だったりする。

 ただ、そういう気持ちだけで便利になるわけじゃない。最初の解決案は、たいてい何か不具合がある。紐は面倒くさい。そこでピンで留める。そうすると、新しい不具合が生まれる。錆びるし指に刺さる。じゃペーパーファスナーを…。という具合に、モノは少しずつ改良されてゆく。このプロセスを、著者はこうまとめる。

 「形は失敗にしたがう」。失敗→改善の積み重ねで、道具は少しずつ良くなっていくのである。

 この辺、ソフト屋の多くは、何かと身につまされるんじゃないだろうか。私も昔はよく道具を作った。たいてい、その動機は「この処理メンドクサイ、もちっと楽にならんのか」だ。でも最初に作った道具は、大半が何か問題がある。使う準備が面倒だったり、例外データに弱かったり。何回か改良して、私の場合は第三版あたりでやっと使い物になる。

 Microsoft Windows も、Windows95 あたりでやっとマトモに使えるようになった。それでも、モニタの色数を変えるには再起動する必要があったけど。

 が、しかし。必ずしも、使い勝手だけが道具の形を決めるわけじゃないのが、資本主義。例えばワインのコルク栓だ。あれを抜くのに失敗した経験がある人は多いはずなのに、ワイン業界はコルクに拘る。その方が伝統的で、高級に見えるからだ。今の世の中、便利だけじゃ売れないんです。

 などの理屈はともかく。今、私たちが使っているモノがどう進化してきたのか、それが出きる前はどうやっていたのか、そういった具体的なエピソードを拾っていくだけでも、充分に楽しめるし、ちょっと賢くなった気になれる。わかりやすく、楽しく読めて、エンジニアリングに大事な事も学べる。「著者の代表作」と呼ぶに相応しい、面白い本だった。

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2015年1月20日 (火)

菅浩江「誰に見しょとて」ハヤカワSFシリーズJコレクション

「では、みなさんは、なぜ自分が美容に興味を持っているのかを考えたことはあるでしょうか。お化粧やエステが当たり前になりすぎていて、改めて意識する機会はほとんどなかったんじゃないですか?」
  ――シズル・ザ・リッパー

「私は確かめたい……。あなたの本心がどこにあるのか。それは、作られたものではないのか。<ビッキー>は、知らないうちに私たちの考え方を操作する、いえ、すでにしているのではないか」
  ――天の誉れ

【どんな本?】

 近未来。ナノテク・医療そして心理学まで、あらゆる先端テクノロジーを駆使した美容サービスを提供する、新鋭の企業グループ、<コスメディック・ビッキー>。その商品は素肌の再生プログラムから総合的なアンチ・エイジング、香料基材にまで及ぶ。革新的なサービスの数々と扱う分野の広さは、拠点となる超巨大フロート<プリン>と共に大きな話題を呼び、急成長を遂げており、またイメージ・キャラクターとして広告に登場する山田リルも若者の話題をさらっていた。

 「永遠の森 博物館惑星」で星雲賞・日本推理作家協会賞などを受賞した菅浩江が、「美容」をテーマに人類の本質と可能性にまで迫った、菅浩江ならではの連作SF短編集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年10月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約364頁。9ポイント44字×19行×364頁=約304,304字、400字詰め原稿用紙で約761枚。長編小説ならやや長めの分量。

 文章は読みやすい。時おり難しい科学用語や技術用語が出てくるが、分からなければ「何か小難しい事を言ってるな」ぐらいの気分で読み飛ばして結構。テーマの美容については、化粧品の事は何もわからない野暮天の私でも、意外とスンナリ読めた。詳しい人ならもっと楽しめると思う。

【収録作は?】

流浪の民 / SFマガジン2008年4月号
 東京湾にできた超大型フロート施設<プリン>の四階に、美容関係の展示や店舗を集めた<サロン・ド・ノーベル>。多くの女たちが集うここで、大学生の岡村天音は仲間に出会った。進学で上京した天音は、自分なりのスタイルを探し、麻理奈・千穂子・波留華たちと情報交換に余念がない。
 上京して間もない天音を主人公にして、美容やファッションに疎い読者にも、それが若い娘の生活に与える影響の大きさを痛感させてくれる序章。目立たぬように集団に溶け込もうにも、集団のスタイルに合わせないと浮いてしまう。制服ならいっそ楽だが、大学じゃそういうわけにもいかない。大変だよなあ。
閃光ビーチ / SFマガジン2008年9月号
 夏のビーチ。物部譲とフ藤崎翔平は、手に腰をあてて高笑いする。これでもれっきとしたアルバイトだ。ジョイジョウ・プロダクツの<シャクドウ・ギア>、色とりどりの付加価値をつけた人工皮膚である。主な機能の紫外線カットに加え、肌は健康的な赤銅色に見え、自動で筋肉を鍛え割れた腹筋にしてくれる。
 うおお、欲しいぞ、シャクドウ・ギア。これがあれば、幾らでも脂っこい焼き肉や甘いチョコレートが食える!←そうじゃない。やっぱりね。男は割れた腹筋に憧れる生き物で。まあ、あれだ。私もスタイルが良くてイケメンだったら、もう少しは服に気を使ってただろうなあ。
トーラスの中の異物 / SFマガジン2008年12月号
 老人ホームに勤める別院奏子は、<プリン>を訪れて香水を探す。そこにいたのは、<コスメディック・ビッキー>の千載千穂子。先週ホームを訪れた千穂子が催した化粧会は、老女たちに大好評だった。その千穂子が問いかける。「藤崎多美恵さんに商品やコースをご紹介しても差し障りはありませんか?」
 自らを「もうオッサンやし」と韜晦したつもりになってる私には、グサグサと突き刺さってくる作品。痛い所を思いっきり突かれてるんで、終盤の康輔の台詞はかなり辛い。
シズル・ザ・リッパー / SFマガジン2009年3月号
 <プリン>を仲間と共に訪れた多山静留。人ごみの中で、ブラウスの左腕を捲り上げ、腕を強く引っかく。新しい五本の赤い線から、血が流れ出す。彼女は切り裂き魔、リッパー。切られずにいられない人間。そしてささやかなテロを目論んでいる。
 私は自分の体をいじるのが嫌いなんだけど、世の中には自ら好んで改造する人もいる。改造と言うと大袈裟だけど、耳のピアスは珍しくない。ではタトゥーは? ヤクザの刺青との境目は? マックス・バリーの「機械男」は機能だけを追及して自らを改造する者の話だったけど、これは独自の観点で身体改造をとらえた話。
星の香り / SFマガジン2009年6月号
 <グリーン・フィールズ>社の小谷田純江は、<ビッキー>との交渉で日本に来た。カリフォルニア沖に建設するメガフロートに出店するつもりの<グリーン・フィールズ>だが、<ビッキー>との打ち合わせの途中から、香料の基材の話になってしまい…
 大きなデパートの一階は、なぜか化粧品売り場と相場が決まってて、キラキラしたディスプレイと立ち込める匂いが強烈な場所だったり。昔はかなり匂いが強烈だったんだけど、それもまた、ある意味「戦闘服」としての役割を果たしていたんだろうなあ。
求道に幸あれ / SFマガジン2009年9月号
 <プリン>のレッスンルームで、加藤茉那はビューティーコンテストのレッスンに励む。美容整形アリのコンテストのため、多くの手術を受けてきた。スポーツクラブでは、村田勢津子が筋肉トレーニングで汗を流している。長距離ランナーとして、自ら鍛えた体に誇りを持って。
 徹底した身体改造でコンテストに臨む茉那と、素の肉体を鍛える事で競技に挑む勢津子。一見、正反対に見える二人を、同時にサポートする<ビッキー>の、懐の深さを感じると共に、少し不気味さも感じる作品。でも確かに美人コンテストは、いろんな基準があってもいいよなあ。審査員が全員女性にするだけでも、だいぶ違うと思う。
コントローロ / SFマガジン2010年4月号
 男性向けバラエティ雑誌<ウオミニ>編集の加藤史彦は、<プリン>の海面下二階の扇形ホールにやってきた。応対するのは<ビッキー>広報部の若手、城ガ崎一磨。首元の臙脂色のスカーフがわざとらしい。化粧品メーカーの広告も欲しいし、噂の山田リルもいいネタだが、それ以上に…
 今まではなんらかの形で美容に関心のある者を中心に回ってきたこの短編集で、思いっきり逆の位置につけるトップ屋の視点から語られる作品であり、また連作中の大きな転回点となる作品。
いまひとたびの春 / SFマガジン2010年7月号
 <プリン>の四階、<サロン・ド・ノーベル>に来た大野花苗と吉岡保。25歳という年齢の割に落ち着いた保は、日本料理店の板前で、仕事には熱心だが人間関係には淡白というか、あまり他人に興味を示さない。花苗はそこが気に入っていたのだが、山田リルは別格らしく…
 「コントローロ」を受けて、謎の人物である山田リルへと迫ってゆく作品。現実にこんな技術が世の中に普及したら、いろいろと変わってくるだろうなあ。とりあえず頭髪だけでも←しつこい
天の誉れ / SFマガジン2013年7月号
 加藤史彦が編集長を務める雑誌<ウオミニ>は、今も<ビッキー>のスキャンダルを負い続けている。そこに簑原詩衣から連絡があった。「同級生だったんですよ、彼女」。噂の山田リルの、元同級生が、リルとの面会を取り付けたというのだ。
 再び山田リルの正体へと切り込みつつ、この物語が大きくスケールアップしてゆく作品。このクリームも、本当にあったらいろいろと便利だろうなあ。意外と小児科医が使いたがるかも。あと、獣医も。いや子供って、自分の症状を巧く伝えられないでしょ。もちろん、動物も。
化粧歴程 / SFマガジン2013年9月号
今までの作品が合流し、壮大なフィナーレへと向かう最終話。

 化粧や美容というと大袈裟だが、装う事で確かに人の気分は変わる。ネクタイを締めると気分がシャンとするし、スエットに着替えるとリラックスする。少年向け雑誌には、鉄アレイやボディビル用品の広告がつきものだ。人は何かになりたいと願う。例えカッコだけでも。そして、カッコが違えば、気持ちも変わってくるのだ。

 そういえば私がレスポール(のコピーモデル)を買ったのも、ジョー・ウォルシュに憧れたからだった。どんな格好をしたいかは、その人がどうなりたいか、どうありたいかを表している。

 なんとなく、もう一度、ジョン・ヴァーリーの「残像」を読みたくなった。人の心の奥を切り裂いて陽光にさらけ出す、菅浩江だからこそ書ける、彼女ならではの視点が輝く連作短編集だ。

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2015年1月18日 (日)

マシュー・ハート「ダイヤモンド 輝きへの欲望と挑戦」早川書房 鬼澤忍訳

「ときには、石を扱う際の判断の自由が大きいほどその価値が増す。全世界の人々が原石の価格を知っているとしたら、それは研磨された石の売り主にとって必ずしも有益な状況ではない」
  ――ウェイク・ウォーカー

「私はデビアスが嫌いだ。だが、彼らが事業をやめてしまったら、突然デビアスがなくなってしまったら、このオフィス全体を、ここにあるすべてのものを私はあなたに譲るだろう」
  ――アントワープのあるディヤマンテール

 デビアスは、次のようなやり方でカルテルを運営していた。原石の価格が低いときは、市場に出す原石の量を抑える。そして、市場の在庫がはけて商品がどうしても必要になると、再び原石を放出する。

「ダイヤモンドは永遠の輝き」
  ――1948年、広告代理店N.W.エアのコピーライター、フランシス・ゲレティー

【どんな本?】

 多くの人を魅了するダイヤモンド。それは、どんな風に地中で生成され、どのように地上に現れるのか。どこでどのように採掘され、誰がどのように仲介し、どう加工され、どう市場に現れるのか。ダイヤモンド鉱床を、どうやって見つけるのか。有名なデビアスは、いつ、どこで、どのように成立し、今はどんな役割を果たしているのか。悪名高い「戦争ダイヤモンド」とは何か。

 華麗な輝きに隠されたダイヤモンド業界の歴史と、その中で支配者として振舞うデビアス社、それに対抗する様々な勢力、そして市場と技術と世論がもたらしつつある業界の大きな変化を、ニューヨークのダイヤモンド専門誌《ラパポート・レター》の記者が、現場で活躍する人々への取材を通して描く、エネルギッシュなドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は DIAMOND - The History of a Cold-Blooded Love Affair, by Mathew Hart, 2001。日本語版は2002年8月31日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約321頁に加え、鉱物科学研究所理学博士の堀秀道による解説5頁。9ポイント45字×19行×321頁=約274,455字、400字詰め原稿用紙で約687枚。長編小説なら少し長めの分量。

 日本語は比較的にこなれている。内容も特に前提知識は要らない。敢えていえば、世界各地の地名が出てくるので、世界地図か Google Map が使えると便利だろう。本書の冒頭に世界地図があるけど、一部の地名は載ってないので。

【構成は?】

  • 1 ラージ・ピンク
  • 2 ダイヤモンドの海
  • 3 中王国
  • 4 長い追跡
  • 5 バレンランズのダイヤモンド・ラッシュ
  • 6 古いカルテルの終焉
  • 7 欲望の製造
  • 8 盗品
  • 9 ダイヤモンド戦争
  • 10 カット師
  • 11 ロージー・ブルー
  • 12 ドグリブ族の土地
  •  謝辞/解説/参考文献

 全般的に前の章を受けて次の章が展開する構成だが、内容的は比較的に各章は独立しているので、興味のある部分だけを拾い読みしても、大まかな話は掴める。

【感想は?】

 いわゆるギョーカイ物だ。全般的に、ダイヤモンド業界に好意的な内容だと思う。

 同じ早川書房のハヤカワ文庫NFでエドワード・J・エプスタイン「ダイヤモンドは永遠か?」という本が出ていたが、あれに比べると、語り口はかなりソフトだが、暴露的な内容も沢山含んでいる。あ、もちろん、消費者がダイヤモンドを買う際の参考には、あまりならないので、そのつもりで。

 流通面としては、鉱床の発見・開発・採掘から始まり、原石の分類・仲買い・カットまでを扱っている。小売店から消費者までの流れは、ほとんど書いていない。科学的には、ダイヤモンドの生成から分布、地表に出てくるまでの地質学的な知識から、鉱床を見つける方法や、それに群がる者たちの話まで。

 歴史的な話も多く、有名なホープ・ダイヤモンド(→Wikipedia)の由来はもちろん、デビアス創立の経緯も詳しく書いてある。やはり巨人デビアス社は本書を通じて大きな存在感を示し、あらゆる章でなんらかの形で関わってくる。

 なんたって宝石だ。見てくれが命である。考えてみれば当たり前なのだが、価格は結構人為的にようだ。なにせ「それぞれが二つとないものだからだ」。という事で、本書の登場人物の大半は駆け引きのツワモノばかりである。

 色と重さが重要なのは当たり前だが、かなり博打なビジネスでもある。「カットしたときに色が消えてしまう可能性があることだ」。石の中には細かいひび割れある。カットする際は、ひび割れが目立たないようにしなきゃいけない。水が入った気泡もあり、下手に研磨すると熱で水が膨張し爆発してしまう。

 という事で、大きく質のよい原石の場合は、どうカットするかで会議になったりする。「10 カット師」は、ギリギリの状況でカット師が慎重に仕事を進めるスリリングな場面が味わえる。

 対してダイナミックな山師の活躍が楽しめるのが、「4 長い追跡」「5 バレンランズのダイヤモンド・ラッシュ」。あの華麗な輝きとは対照的に、こちらは一発当てようとするベンチャー企業の凄まじい資金調達法から、技術を駆使した鉱床の探索、そして極寒の地で繰り広げられる陣取り合戦と、ワイルドな場面がいっぱい。

 スキャンダラスな話は沢山あるが、最もおぞましいのが「8 盗品」と「9 ダイヤモンド戦争」だろう。あの手この手でダイヤモンドを盗もうとする鉱夫と警備のいたちごっこは可愛らしいが、ロシア産ダイヤモンドの横領の話は「大統領ボリス・エリツィンにまでおよんでいた」というから呆れる。

 どうでもいいが、この汚職を追うロシアの刑事ヴィクトル・ジロフ少佐は、月村了衛の「機龍警察 暗黒市場」を読んでいると、実に感慨深い。まさしく痩せた猟犬なのだ、ジロフ少佐は。横領用にサンフランシスコで作った企業ゴールデンADA。F共同で捜査する事になったジロフを、FBIのジョー・デイヴィッドは信用しない。ロシア警察は汚職で有名だからだ。

そのロシア人を知るにつれ、誠実な男だと確信するようになった。一例をあげると、ジロフは毎日同じスーツを着ていた。それしか持っていないようだった。また、昼と夜に金のかからない簡単な食事をとり、FBIから出る毎日の食事代をポケットに入れていた。

 と、バディ物の刑事映画そのこのけのストーリーが展開してゆく。映画化したら映えるだろうなあ。

 続く「9 ダイヤモンド戦争」は、ゲリラの暗躍より、その流通にテーマを絞っている。有名なのはシエラレオネだが、この本の主な舞台はアンゴラ。ここでの焦点は、血にまみれた原石を、いかに洗浄するか。

1996年、合衆国地質調査部によれば、リベリア国内の鉱山で産出された原石の総量は、15万カラットだった。ところがその年、リベリアはベルギーに1230万カラットの原石を出荷したのだ。

 周辺国から進まれたり、非合法に採掘されたダイヤモンドが、リベリアでロンダリングされてたわけ。他にも、ダイヤモンド業界特有の特殊な取引き方法を使ったロンダリング手段も幾つか紹介している。デビアスはロゴの刻印などで対応しているが、ロシアやカナダの鉱山の開発により業界内のシェアでは劣勢になりつつあって…

 丁々発止な仲買人たちの取引、博打の面が強いダイヤモンド原石の価格、傲慢なデビアスの取引方法、原石を盗もうとする鉱夫の知恵、既存の業界のスキを突いて急成長するインドのダイヤモンド・ビジネス、そして戦争ダイヤモンドの流通経路など、読み所は多い。

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2015年1月16日 (金)

マリオ・バルガス=リョサ「チボの狂宴」作品社 八重樫克彦・八重樫由美子訳

「いったいどうすれば可能だったの、パパ? フロイライン・アララのように教養があって賢明で用意周到な人物に、そんなばかげたことを受け入れさせるには。ドン・フロイラインだけじゃないわ。チリーノスやマヌエル・アルフォンソ、パパも含め、総統の右腕、左腕とされた者たち全員を取るに足らないぼろ雑巾のような人物と化してしまうのに、彼は何をし、何を与えたというの?」

【どんな本?】

 ラファエル・レオニダス・トゥルヒーリョ・モリナ(→Wikipedia)。1930年~1961年まで、ドミニカ共和国を支配した絶対的な独裁者。1961年5月30日に起きた彼の暗殺事件を軸に、トゥルヒーリョが奮った独裁の手腕や、それに翻弄される彼の取り巻き、そしてクーデターを目論む反乱勢力などを、2010年にノーベル文学賞を受賞したペルーの作家マリオ・バルガス=リョサが、史実に基づきつつも、それぞれの内面にまで踏み込んで描いてゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は La Fiesta Del Chivo, by Mario Vargas Llosa, 2000。日本語版は2011年1月30日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約527頁に加え訳者解説9頁。9ポイント45字×21行×527頁=約498,015字、400字詰め原稿用紙で約1,245枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。構成的には視点や時系列をシャッフルしているが、小難しい思索に耽る小説ではなく、素直に起きた事実や登場人物の気持ちを語ってゆく小説であり、シャッフルは話を盛り上げるための仕掛けだ。

 ただし、不慣れなドミニカを舞台にした作品のため、地名や人名を覚えるのに少し苦労する。できれば登場人物一覧をつけて欲しかった。欲しい人はこちらをどうぞ。

【どんな話?】

 1996年。ウラニア・カブラルは、35年ぶりにドミニカへ帰郷した。14歳のとき、慌しく国を出て以来だ。当時、首都サント・ドミンゴはシウダー・トゥルヒーリョと呼ばれていた。そう、国中が“国家再建の父”ラファエル・レオニダス・トゥルヒーリョ・モリナにひれ伏していたのだ。その高官だった父のアグスティン・カブラルも。

 午前四時、トゥルヒーリョは目ざめる。合衆国のマリーンで身につけた規律を、彼は今も守り続けている。サイクリングマシンを15分、ボート漕ぎを15分。身だしなみを整え、午前五時ちょうどに執務室に入る。31年も米国の誠実な友人として共産主義と戦い、州知事や上院議員に袖の下を渡してきたのに、グリンゴの返答は人権云々で経済制裁だ。この国難に頼りない息子どもは…

 運転席にはアントニオ(トニー)・インベル、助手席にはアントニオ・デ・ラ・マサ、後部座席にはサルバドール(トゥルコ)・エストレージャ・サドアラとアマディード・ガルシア・ゲレーロ。四人は青のシボレーを待っている。車窓にカーテンを引いたスカイブルーのシボレー1957年型が、シウダー・トゥルヒーリョから来るのを。

【感想は?】

 権力という魔物の物語。

 物語はドミニカ共和国に君臨した独裁者、ラファエル・レオニダス・トゥルヒーリョ・モリナの一日を中心に展開する。彼が殺される、その日の話だ。

 彼の独裁ぶりは徹底したもので、政府と軍ばかりでなく経済面も凄まじい。彼は多くの企業も所有し、「これらの起業は労働人口の60%を雇用している」。もうやりたい放題である。これだけ強力な権力を一人で掌握する者は、現代じゃブルネイ(→Wikipedia)国王ぐらいか。

 この小説は、そんな独裁者であるトゥルヒーリョや、その取り巻きたちの心の中を描こうとする作品だ。そのような絶大な権力を、いかにして彼は維持していたのか。彼の取り巻きは、何を考えていたのか。

 権力を掌握した当初は、合衆国の同盟国として政権運営は順調にいっていた。だが彼はやりすぎた。ニューヨークで反体制派を拉致し、彼を非難するカトリック教会を弾圧し、ベネズエラ大統領ロムロ・ベタンコート暗殺未遂の露見で国際的に立場が悪化した時、反体制派のミラバル姉妹(→Wikipedia)を虐殺、ついに米国にも見放され経済制裁を受ける。

 これによりドミニカ経済は完全に窒息し、破滅の淵に追いやられる。

 客観的に見ると、実はドミニカを救うのは簡単なのだ。トルヒーリョを殺し、全ての責任を彼に押し付けて新政権を発足させればいい。政治犯を開放すれば人権云々は誤魔化せるし、国内の反体制派は軍を中心に戒厳令を敷いいて黙らせる。クーデターの直後ともなれば、戒厳令も仕方あるまい。

 にも関わらず、政権の高官はトルヒーリョにへつらい続けた。独裁者の非情っぷりは、それとなく示されるだけだが、なかなか凄まじいものがある。いつ自分が失脚するかわからない状況で、なぜ素直に頭を下げ続けたのか。トルヒーリョは、いかにして高官たちを操ったのか。

 権力に翻弄される者の哀れさは、ウラニアの言葉で冒頭から露わにされる。読み進むにしたがって、彼らの男妾っぷりは悲しいやら情けないやら。組織の中で仕事をしている人は、多かれ少なかれ上司にへつらうものだが、こうまで簡単に手玉に取られる姿を見ると、ヒトの本能に染み付いた性根が憎くなってくる。

 と同時に描かれるのは、独裁者を暗殺しようと目論む反体制組織の者たち。冒頭に出てくるのは四人だけだが、次々と思いがけない人物が陰謀に関わっている事が明らかになってゆく。この辺も驚きだが、よく読むと、その多くが、多かれ少なかれトルヒーリョ政権で恩恵を蒙った者たちである事がわかる。

 動機は様々だが、大抵は個人的な恨みだ。家族や親しい者を殺されたり、地位を取り上げられたり。つまりはトルヒーリョの暴政の被害者ではあるんだが、同時に彼によって取り立てられた者たちである。虐げられた貧しい労働者では、ない。何らかの形で、権力の味を知っている者なのだ。

 「権力」をキーワードとしてみると、終盤の政権奪取を描く所もじっくり読む価値がある。いかにして革命を成功させるか。トルヒーリョに権力が集中している国だ。彼を取り除けば権力を奪えそうだが、国家はそれほど簡単じゃない。ある者は右往左往し、ある者は保身に必死で、ある者は主導権を取ろうとする。そんな中で、どうやって権力を手中にするか。

 この見苦しい場面で、リーダーシップとは何かを、残酷なまでに冷徹な視点で、この作品は描いてゆく。

 私たち日本人にはピンとこないもう一つの権力、バチカンの威光が伝わってくるのも、この作品の特徴。目下トゥルヒーリョが抱える爆弾が、彼を批判する二人の外国人司祭なのだ。両名を疎ましく思うトゥルヒーリョは、嫌がらせを仕掛け、国外に逃げ出すよう仕向けるのだが、これがバチカンの逆鱗に触れ、世界中のカトリックを敵に回してしまう。

 カトリック信仰が盛んな中南米で、これがどんな意味を持つのか。ドミニカ国内では全てが思いのままになるトゥルヒーリョには、想定外の躓きとなってしまう。

 全般的に人物の心情に重点を置き、事実は台詞でほのめかす形で語られる作品なので、客観的な事は一見すると見えにくい。だが、そこで語られる独裁体制の姿は、実にグロテスクでありながら、悲しいほどに社会的動物であるヒトの本能に素直に従っているように見える。

 明るいカリブの島、トゥルヒーリョが愛したメレンゲ(→Youtube)を聞きながら読むと、ちょっとした悪夢が味わえる。

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主な登場人物

ラファエル・レオニダス・トゥルヒーリョ・モリナ : ドミニカ共和国の独裁者
ラムフィス : トゥルヒーリョの息子
ラダメス :  トゥルヒーリョの息子
アンリヘータ :  トゥルヒーリョの娘
ドニャ・マリア・マルティネス :  トゥルヒーリョの妻
ママ・フリア :  トゥルヒーリョの母
シンフォロッソ : トゥルヒーリョの執事
サイモン・ギトルマン :  海兵隊時代のトゥルヒーリョの教官
アグスティン・カブラル : “秀才”。トゥルヒーリョ政権の高官
ウラニア・カブラル:アグスティンの娘
ヘンリー・チリーノス : “酔いどれ憲法学者”。トゥルヒーリョ政権の高官
ホアキン・パラゲール : トゥルヒーリョ政権の大統領
ジョニー・アッペス・ガルシア大佐 : トゥルヒーリョ政権のSIM長官
ロベルト・フィゲロア・カリオン少佐 : トゥルヒーリョ政権のSIM指揮官
フアン・トマス・ディアス将軍 : トゥルヒーリョ政権の将軍
ホセ・レネ・ロマン・フェルナンデス : トゥルヒーリョ政権の軍務大臣
アントニオ(トニー)・インベル : 暗殺者
アントニオ・デ・ラ・マサ : 暗殺者
サルバドール(トゥルコ)・エストレージャ・サドアラ : 暗殺者
アマディード・ガルシア・ゲレーロ :暗殺者
ペドロ・リビオ : 暗殺者
ウアスウカル・チヘーダ : 暗殺者
フィフィ・パストリサ・ネレー : 暗殺者

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2015年1月14日 (水)

宇田賢吉著「電車の運転 運転士が語る鉄道のしくみ」中公新書1948

 発車のとき、運転士はなにを考えているのだろうか。筆者の経験では「よし、動いた」である。理由は起動不能の故障を経験しているからである。
  ――第2章 発車と加速

「私たちは毎日レンタカーに乗るんですね、マイカーの乗り慣れた感覚とはまったく違う」
  ――第8章 運転士の思い

【どんな本?】

 長年、国鉄の運転士として勤務したプロの運転士による、鉄道それも電気鉄道の原理・しくみから実際の規格・規約・機器の意味と役割と特徴、そして現場の運用から働く者の気持ちに至るまで、電車の全てを運転士の目で描いた著作。

 新書という手軽な体裁でありながら、その中身は網羅的・専門的・本格的であり、鉄道という巨大かつ安全性が重要視されるシステムを、運用面から覗き見る本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年5月25日発行。新書版で縦一段組み、本文約260頁。9.5ポイント42字×17行×260頁=約185,640字、400字詰め原稿用紙で約464枚。長編小説なら標準的な分量だが、写真・イラスト・グラフなどを豊富に収録しているので、実際の文字数は8割程度。

 専門家が書いた本だが、意外と文章はこなれている。ただし、内要はかなり本格的で、多少の数式も出てくる。といっても四則演算ぐらいなので、数学的にはそう難しくない、というか算数のレベル。

 重要なのは理科、それも電気の基礎知識。特に重要なのは二つ、一つは電流と電圧の関係で、もう一つは電気モーターの原理。要求されるレベルは中学校卒業程度の理科だろう。加えて少しニュートン力学も必要だが、こちらは難しくない。自転車に乗れるか、スキーやスノーボードの経験者なら、理屈は分からなくても体感的に雰囲気は掴める。

【構成は?】

 一部に難しい話が出てくる。じっくり読み込むなら、「ノッチ」の所は慎重に読もう。手早く全体を味わいたいなら、難しい所は読み飛ばしてもいい。それでも運転士という仕事が、いかにプロフェッショナルな技能と心構えに支えられているのかが、充分に伝わってくる。

  • はじめに
  • 第1章 鉄道の特徴
    • 1 鉄道の長所と短所
      決められた道=レールを走る/長所を生かしているか/鉄と鉄の組み合わせ/走行抵抗が小さい/上り坂に弱い/曲線にも弱い/進路の設定
    • 2 鉄道の特性を生かすために
      限界内で最大の効率を/効率のよい車両を/限度いっぱいの運転/鉄道は経験工学
  • 第2章 発車と加速
    • 1 運転士の立場から
      発車の安堵/出発合図/発車
    • 2 電車の動力装置
      電気車を内燃車と比較して/制御器と変速機/各種の制御方法について/直流モーターの制御/直並列制御/抵抗制御/弱め界磁制御/添加界磁制御/チョッパ制御/タップ制御/交流モーターの制御/VVVF制御
    • 3 空転
    • 4 動力装置の大型化
    • 5 輪軸方式
    • 6 踏面の整正
    • 7 運転士のノッチ指令
      ノッチの実例/ノッチ戻し/電流値制御
  • 第3章 走る――駅から駅まで
    • 1 ノッチオフと運転時間
    • 2 惰行
    • 3 運転途中での停止
    • 4 運転士と乗務線路
    • 5 走行抵抗
      純走行抵抗/勾配抵抗/曲線抵抗/空気抵抗/出発抵抗/その他の抵抗
    • 6 速度制限
      曲線の速度制限/カント/スラック/緩和曲線/分岐器の速度制限/勾配の速度制限/下り勾配/縦曲線
    • 7 ランカーブ
      運転速度・時間の基準/秒単位で設定されるダイヤ
    • 8 電力が電車に届くまで
      電流帰路としてのレール/電化方式/直流で始まった経緯/直流と交流の比較/直流方式の長所と短所/交流方式の長所と短所/停電後の制約/同時発車の制限
  • 第4章 止まる
    • 1 ブレーキと運転士の心理
      ブレーキ位置の目標と基準/ブレーキ力の基準/ブレーキの衝動防止/ブレーキの効きは?/ブレーキ力調整と再ブレーキ/停止の直前/停止目標/停止位置を行きすぎたら/応荷重装置
    • 2 滑走と粘着係数
      滑走/滑走検地と再粘着/車輪とレールの接触面積
    • 3 ブレーキの三重システム
      ブレーキの機構的な分類/機械式ブレーキの基礎部分/踏面ブレーキ/ディスクブレーキ/電気ブレーキ/ブレーキ制御方式による分類 1)貫通ブレーキ:a.空気系(自動ブレーキ),二圧式と三圧式 b.電気式(電気指令式ブレーキ[貫通]) 2)常用ブレーキ:a.自動ブレーキ b.電磁直通ブレーキ c.電気指令式ブレーキ 3)予備ブレーキ/電気ブレーキと空気ブレーキの調整/遅れ込めブレーキ
    • コラム 車止まで20m
  • 第5章 線路と架線
    • 1 ホームと車両限界・建築限界
      ホームの高さ/車両限界/建築限界/キロポスト/速度制限標
    • 2 レール・枕木・バラスト
      レールの種類/レールの記号/枕木/木枕木/犬釘/コンクリート枕木/枕木の施設数/締結装置/タイプレート/バラスト/スラブ軌道/分岐器
    • 3 架線
      架線の構造/パンタグラフ/剛体架線/サードレール/交流電化区間のBT饋電とAT饋電/変電所の設置/電圧降下/給電区分と異常時の停電
    • コラム 電車の免許証
  • 第6章 安全のこと
    • 1 閉塞の考え方
      1本の電車が線路を占用する/非自動の閉塞方式/自動の閉塞方式/代用の閉塞方式/軌道回路
    • 2 信号機の種類
      信号機の現示/場内信号機/出発信号機/閉塞信号機/中継信号機/遠方信号機/分岐器と信号機の連動/信号機の停止定位と保留現示/無閉塞運転/分岐器の安全性/車上信号/入換信号機/入換標識/誘導信号機/進路表示機/進路予告機/現示の種類/信号機の取り扱い/緊急停止信号/信号誤認の防止
    • 3 踏切警報機
    • 4 ドア
    • 5 保安機器
      運転士をバックアップするために/マスコンのバネ/EB(Emergency Brake)/ATS(Automatic Train Stopper) 1:ATS-S(SはStopperの意) 2:ATS-P(PはPatternの意)/ATC(Automartic Train Control)/ATO(Automatic Train Operation)/投入開放の失念/保安機器の取り扱いは厳格に
    • 6 列車標識
      全部標識(前灯)/後部標識(尾灯)/入換動力車標識
    • 7 トラブルへの対処
      事故訓練/運転計画/ホームの安全について
  • 第7章 より速く
    より早く到着するためには何が必要か?/停車中は進行距離0/速度制限を減らそう/振子車体への誤解/最高速度の向上/定格速度――スタートダッシュか巡航速度か/狭軌と標準軌
  • 第8章 運転士の思い
    • 1 運転士にできるサービスとは?
      第一は運転速度が低いこと/第二に大きいブレーキを使用すること/第三は速度制限のクリアの仕方/第四として、無駄な時間の短縮/止位置の合致と衝動防止/衝動の防止
    • 2 運転室のレイアウト
      運転室の機器配置/機器のロック
    • 3 運転士の勤務
      勤務時間/運転士の怖いもの 1.下り勾配 2.ブレーキの効きが悪い 3.空転と滑走 4.雨・霧・霜 5.毎日がレンタカー 6.信号機の間近に止まる 7.ホーム端の乗客 8.運転中の居眠り
    • コラム 事故の記憶について
    • 4 定時運転への努力
  • 索引

【感想は?】

 この本は幼い頃に読みたかった。多分、書いてある事の大半は理解できなかっただろうけど。

 傍から見ると、電車の運転は簡単そうに見える。自動車と違って進行方向を変える必要はないんだし、する事はスピードの上げ下げだけじゃないか。それでも、乗り物の運転士ってのは、子供の憧れの職業なのだ、やっぱり。

 読み終えると、確かに憧れるに足る職業なんだなあ、としみじみ思う。それだけの専門知識・知見・経験・注意力・思考力・柔軟性・冷静さ・責任感が必要な仕事なのだ。とにかく、理解しなきゃいけない基礎知識と、憶えなきゃいけない規則、そして積み上げてゆくべき経験が、やらと多い。

 なぜ大変なのか。原理は簡単で、重たいからだ。駅のホームには、乗車位置に印がある。運転士は、ここに乗り降りするドアが来るように止める。日頃から私は「電車ってのはそういうもの」と思っていたが、改めて考えると、これはとんでもなく精密な作業である。

 私は一応自動車の運転免許を持っているが、かなり下手糞だ。あの精度でキチンと止められる自信はない。運転に自信のある人も多いだろう。だが、当日に借りたレンタカーで、ちゃんと車両の感覚が掴める人はどれだけいるだろう?

 しかも、自動車はブレーキの効きが強いし速い。ペダルを踏めばすぐに効き始める。しかし電車は…

 筆者の経験によれば、JR115系のブレーキ開始位置は、平坦線において、時速100kmのとき停止位置の580m手前、時速80kmで380m手前、時速60kmで220m手前となっている。(略)雨の日や下り勾配であればこの距離はさらに増大する。

 しかも、運転士が運転する車両は毎日違う。車両によりブレーキの効きは違うし、車輪の減りも違う。雨が降れば滑りやすくなるし、乗客が多ければ重くなりブレーキが効きにくい。勾配も重要な要素で、下り坂じゃ止まりにくい。自動車に比べ安上がりに大量輸送ができるかわり、とても繊細なシステムで、操縦には大変な能力が必要なのだ。

 などの運転士の仕事内容が中心だが、それ以外の鉄道の要素についても、詳しく書かれているのも本書の特徴。運転士が直接扱う車両については、もちろんモーター・ブレーキ・車輪・運転席など細かく書いてある。ばかりでなく、送電設備・パンタグラフ・レール・枕木・犬釘・バラストなど電車が直接触れるものに加え、ホームにまで触れている。

 「コンビニみたく電車も終夜運転して欲しいなあ」と思っていたが、この本を読んで「こりゃ無茶だな」と諦めた。

 列車を安全に動かすには、定期的な点検や保守が欠かせないのだ。例えば犬釘。これはレールを枕木に固定する釘で、「振動や衝撃によって緩みやすいので定期的な点検と打ち込みが必要」。これはレールも同じで、「最短では数ヶ月で交換限度に達するところがある」が「直線区間においては寿命が10年を超えることも珍しくない」。

 要は激しく使えば減りも激しいって事。終夜運転して欲しいのは、山手線などの日頃からコキ使われる所で、それは同時に定期的な点検・交換の手間がかかる所でもある。数分ごとに列車が通る日中じゃ保守・点検は無茶だし、なら夜にやるしかないじゃないか。にも関わらず、滅多に始発が運休にならないJRって、やっぱり凄い。

 などに加え、線路脇やホームから見える、様々な標識や数字の意味がわかるのも、本書の魅力。色とりどりのライトが点滅する信号機はもちろん、レールにある刻印や、数字が書かれた線路脇の謎の三角柱とか。ちなみに謎の三角柱の正体はキロポストで、起点駅からの距離をkm単位で示すもの。他にも速度制限を示す標識もあったり。

 事故が起きたら大騒ぎになる仕事だけに、第6章は「安全のこと」として一章を割いている。ここで心に留めたいのが、事故訓練のこと。

 人身事故についても、車両と人形と担架を用意して訓練を行う。当事者からは学芸会のようだと苦笑が漏れるが、本当に事故に遭遇したとき、この訓練が最も役に立ったとは経験者の弁である。

 私も何かの訓練で人形相手に人工呼吸の訓練をした経験があるが、確かにあれは気恥ずかしい。幸い訓練が役に立つ機会は今の所はないが、無駄じゃないんだなあ、あれ。

 など、運転についての細かい実情はもちろん、その根底にある力学の理論から、それを支える電車のテクノロジーや鉄道会社のシステム、安全確保の制度と工夫などの堅い話は盛りだくさんながら、同時にそこで働く運転士の気持ちを交えて親しみを増す、濃い内容ながらも多くの人に楽しめる本だった。

 幼い頃、この本を読んでいたら、今頃は鉄道マニアになっていただろう。そして鉄道を破壊しまくったT.E.ロレンスが憎みまくっただろう。著者の鉄道への想いが自然と伝染してくるのだ。

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2015年1月12日 (月)

キム・スタンリー・ロビンスン「2312 太陽系動乱 上・下」創元SF文庫 金子浩訳

 太陽はいつものぼる寸前だ。水星の自転はごくゆっくりなので、岩だらけの地面を歩きつづけていれば、夜明けに追いつかれずにすむ。多くの人々がそうしている。それを生きがいにしている者も多い。そういう人は、ほぼ西に向かって歩いて、つねに苛烈な昼に先行する。
  ――プロローグ

「社会にストレスがかかっていると、人々は自分たちの問題に直接向かいあう代わりに、目隠しをして問題の存在を否定するんだそうだ。歴史的にそうなってるってだけの事柄を必然だと思いこみ、同族への忠誠心によって分裂してしまう。そして人々は、不足しているとされているものをめぐって争ってるんだ」
  ――地球のスワン

【どんな本?】

 「レッドマーズ」「ブルーマーズ」「グリーンマーズ」の三部作で喝采をあびた著者による、未来の太陽系を舞台としたスケールの大きい長編SF小説。

 人類は火星のテラフォーミングに成功し、水星から土星の衛星、そして小惑星を改造した多数のテラリウムへと植民した2312年。祖母アレックスのの死をきっかけに、彼女の残した計画に巻き込まれてゆく孫娘のスワン・アール・ホンと、スワンの参加で更なる変容を遂げる太陽系の姿を描く。2012年ネビュラ賞受賞。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は 2312, by Kim Stanley Robinson, 2012。日本語版は2014年9月26日初版。文庫本縦一段組みで上下巻、本文約393頁+381頁=774頁に加え、渡邊利道の解説9頁。8ポイント42字×18行×(393頁+381頁)=約585,144字、400字詰め原稿用紙で約1463枚。文庫本なら上中下の三巻にしてもいいぐらいの分量。

 日本語は比較的にこなれている。が、正直言って、読むのには相当に時間がかかった。理由は三つ。

 まず、SF度が大変に濃いこと。太陽系の各惑星や木星・土星の衛星の環境や、それをテラフォームする手段などを簡潔に説明しているので、じっくり味わいながら読み込んでしまう。

 もう一つは似た事情で、それぞれの惑星や衛星から見た景色が、この作品の大きな魅力となっている点。読みながら風景を頭に思い浮かべるのに時間がかかる。

 最後に、主人公スワンのエキセントリックな性格を飲み込むのに時間がかかったこと。これはスワンだけでなく、この世界の人間はかなり異様なのだが、その舞台裏は中盤まで明かされない。

【どんな話?】

 アレックスは<水星の獅子>、星系の中心人物だった。アレックスを失い悲しみにくれる孫娘スワン・アール・ホンを、二人の人物が訪ねてくる。まずはジャン・ジュネット、惑星間警察の警部だ。もう一人は、フィッツ・ワーラム、アレックスの友人で、ヒキガエルに似た大男だ。二人とも同じことをスワンに尋ねる。

 「アレックスが私宛に何か残しませんでしたか?」

 これが、太陽系を巡るスワンの大旅行のはじまりだった。

【感想は?】

 もうひとつの「八世界」。

 えー、八世界というのは、ジョン・ヴァーリーのSF小説シリーズで。太陽系内に広がると同時に、心身ともに大きく変容を遂げた人類を描いた作品群。「逆行の夏」など、苛酷な環境に身体改造で適応する人類が、逞しくもあり、また少し寂しくもあり。

 この作品「2312」は、それを一つの長編で描ききっている。舞台はまず水星で始まり、木星の衛星イオ、温暖化と人口過剰に苦しむ地球、テラフォーミング中の金星、ヴァルカン小惑星群(→Wikipedia)、土星の衛星イアペトゥス、土星の衛星タイタンなどを巡ってゆく。

 それぞれの風景や、舞台に応じた大小さまざまなガジェットが、この作品の読みどころ。この記事最初の引用は、水星の夜明けを描く、この作品の冒頭部分。かつて水星は自転周期と公転周期が同じだと思われていて、それをネタにしたラリイ・ニーヴンが「いちばん寒い場所」を書いたが、発表前後に間違いだとわかったいわくつきの惑星。

 自転周期が遅く(約58日、→Wikipedia)、重力も比較的に小さいので、その気になれば宇宙服を着て移動しながら、永遠の夜明けを堪能できる。そういう物好きが冒頭に登場し、サンウォーカーと呼ばれている。壮大な太陽の姿に憑かれた者たちだ。

 地球から見る太陽はのっぺりとした光の球だが、実際の表面は沸き立つ水素の対流と、黒点周辺の乱流により常にダイナミックに変化している。これを間近に見られたら、そりゃ魅入られる者もいるだろう。

すべてはたんなる物理学で、それ以上ではない――が、生きているとしか思えない。

 これは水星の地表の描写だが、多くの水星人は「街」に住む。この街もイカれてて。永遠に移動し続ける都市なのだ。ちょっとフィリップ・リーヴの「移動都市」やクリストファー・プリーストの「逆転世界」を連想するが、この都市は移動する必然性がある。なんたって、水星の表面は昼と夜じゃ温度差が大きすぎる。だから、適温の所を移動し続けにゃならん。

 その移動のための動力も、なかなか凄まじい発想。

 水星は特に環境を変えてないが、火星と金星の環境改変具合は凄まじい。火星は比較的にテラフォームしやすそうな所だが、その方法は荒っぽいというかダイナミックというか。金星も滅茶苦茶で、多すぎる大気中の二酸化炭素の処分法には、笑うやら呆れるやら。

 などの惑星・衛星ばかりでなく、その移動に使われるテラリウムもSFならではの大胆さ。だいたい、太陽系内を移動するなら、宇宙船を使うと普通は思うよね。ところが、この作品に出てくるテラリウムってのが…。豪華客船なんてもんじゃない、究極のゴージャスっぷり。テラリウムの製作過程も、SF者がクラクラくる凝った描写で、もうお腹いっぱい。

 などと世界が大きく変容しているだけあって、そこに住む人々の変わりっぷりも相当なもの。まず明かされるのがアレックスの享年で、191歳。ここで少しギョッとなる。なんか冒頭は若い娘っぽいスワンだが、祖母が191歳だとすると…

 このスワンの人物造詣が、なかなか見えてこないのが困り者。相応の歳のはずなんだが、やたらと活発で才能豊か、そのくせ気分屋で子供っぽい。スワンに絡むワーラムが落ち着いた雰囲気なんで、涼宮ハルヒとキョンを思い浮かべればいいのかな? にしても、ヒキガエルは酷いぞスワンw

 スワンやワーラムの秘密が明かされる中盤は、広がってゆく世界の中で変わってゆく人類の姿を描く物語として、これだけで一本の長編が書けそうなアイデアがいっぱい。にしても、ワーラムが子族(家族)にスワンを紹介する場面は、やっぱり笑ってしまう。

 などと各植民地は色とりどりで、自由で豊かなのだが、地球は相変わらずどころか、温暖化による海水面上昇で、酷い状況になっている。

 にも関わらず、今までのしがらみや様々な勢力の思惑がせめぎあい、なかなか思い切った手が打てない。このあたりは、先に読んだ「アメリカ人の歴史」を思い出して、感慨深かった。しがらみがないからこそ、アメリカは極端に自治を重んじる自由主義的な社会を築けたんだよなあ。

 なんて酷い状況になっていながらも、逞しく生きている地球人の姿も、それなりに感慨深かったり。マンハッタンの場面も、アメリカ人ならありえるかも。

 などの場面を通じ、縦糸となるのが、祖母アレックスが遺した計画と、スワン&ワーラムの関係。ブサイクな私としては、思わずワーラム君を応援しちゃう所。いや相手がスワンじゃ苦労するだろうけど。

 ダイナミックでバラエティに富んだ、太陽系内の風景と、奇天烈な形でそこに適応する人類。大掛かりで大胆なテラフォーミングのアイデアと、それによって実現した奇妙な世界。SFならではの魅力がギッシリつまった、濃いSF者向けの濃い作品だった。

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2015年1月 9日 (金)

原爆投下の是非

(ハリー・S・)トルーマンはそのときもその後も、自分が原爆の使用を決定したのは正しかった、それどころか避けられなかった、と頭から思い込んでいただけではなく、爆弾を落としたおおかげで、連合軍と日本とを問わず無数の生命が救われた、と死ぬ当日まで信じていた。
  ――ポール・ジョンソン「アメリカ人の歴史 Ⅲ」共同通信社 別宮貞徳訳 より

 広島・長崎の原爆について、自分の考えを書いておこう。私は、トルーマンの考えを、部分的にだが支持する立場だ。

【北朝鮮への経済制裁】

 と言いつつ、全く違う話から始める。現在、日本は北朝鮮こと朝鮮民主主義人民共和国に対する経済制裁を先導している。主な目的は二つだ。一つは、日本人拉致被害者を取り戻すこと。もう一つは、核兵器開発を諦めさせること。いずれも、一つの目的に集約できる。日本国民を北朝鮮の脅威から守ることだ。

 経済制裁は効果をあげているらしく、百万単位の餓死者が出ているとの報道もある。ああいう国だから、真偽はわからない。ただ栄養失調が蔓延しているのは事実らしく、何度も徴兵の身長条件を緩めている(サーチナ142センチの軍人…北朝鮮の徴兵制の身長条件が4年連続で低下)。百万単位は大袈裟にしても、相応の餓死者は出ているだろう。

 日本政府の政策が、北朝鮮人民を殺しているわけだ。この件に関し、日本政府は責任を負うべきだろうか?朝鮮人民に対し、謝罪すべきだろうか?

「冗談じゃない。文句は金政権に言え。まず日本人拉致被害者を返し核を放棄しろ。話はそれからだ」

 多くの日本人は、こう考えるだろう。私も同じ意見だ。この件に関し、日本政府に非はない。あるとしたら、未だに日本人拉致被害者を取り戻せていない点にある。朝鮮人民の餓死に関しては、何の責任もない。朝鮮人民を食わせるのは、金政権の責任である。日本政府を責めるのは筋違いだ。日本政府は、日本国民を守ろうとしているだけだ。

 日本政府には、日本国民を守る責任がある。そのためなら、北朝鮮の人民が飢え死にしてもいい。
 北朝鮮の人民を飢え死にから守るのは、北朝鮮政府の責任である。日本政府に責任はない。

【原則】

 これを更に一般化すると、こうなる。

原則 : 国家は、国民を守る責任がある。そのためなら、他国民を殺してもいい。

 何やら殺伐とした理屈のようだが、現代の先進国の多くは、この理屈で動く。とはいえ、今の国際社会では、他国民をあまり粗末に扱うと反発を食らう。現在の北朝鮮がいい見本だ。日本人を拉致したがために、世界中から経済制裁を食らい、却って国民(人民)の生活は苦しくなった。

 では、国家はどうすべきか。他国との関係を考えた上で、国民がより安全になる政策を採ればいい。ありがちなのが、友好国と手を結ぶ方法だ。「わが国は貴国の国民を守ります、かわりに貴国も我が国民を守ってください」。大半の西側先進国は、お互いにこんな了解で動く。自国民を守るためには、(友好国の)他国民も大事にしたほうがいい。

 ただし、あくまでも、大事にするのは、友好国の国民である。友好的とは言えないまでも、敵に回したくない国の国民も、似たような扱いにするだろう。国際社会じゃ仲間が多い方が得だ。無闇にケンカを売る国は、嫌われて孤立する。だから、大抵の国が、大抵の国に対し、互いの国民を粗末には扱わない。

 だが、ハッキリと敵になったのなら、話は別だ。その場合は、むきだしの自国民優先策となる。

敵国民はいくら殺してもいい、自国民を守るためなら。

 これが、現在の日本と北朝鮮の関係だ。宣戦布告こそしていないが、事実上の戦争状態だろう。

【原則を原爆に適用する】

 では、原爆投下時のアメリカ合衆国と大日本帝国の関係はどうか。こちらはハッキリと宣戦布告がなされた、文句なしの戦争状態だ。ここで私は、先の理屈を適用する。

日本人はいくら殺してもいい。アメリカ市民の犠牲を減らすためなら。

 合衆国大統領は、合衆国市民を守る責任がある。そのためなら、日本国民を殺してもいい。
 日本国民を原爆から守るのは、日本政府の責任である。合衆国政府に責任はない。

 そんなわけで、私はハリー・S・トルーマンを責めない。彼は合衆国将兵の犠牲を減らそうとした、それだけだ。彼が責任を負っているのは、連合軍の将兵と市民に対してだ。大日本帝国の国民に対してでは、ない。

 では、大日本帝国の国民を守るべき存在は、何か。まずは、大日本帝国政府だ。または、広島と長崎の防空を担う帝国陸海軍である。もっと突き詰めるなら、無謀な戦争を始めた者たちを責めるのが妥当だろう。

【教訓】

 以上の事から、私は日本政府に次の2点を期待する。

  1. 防衛体制を整えよ。他国の軍に攻撃されるのはまっぴらだ。
  2. 無謀な戦争はするな。国民の命を無駄使いしないでくれ。

 偉そうな言い方だけど、結論としては大筋じゃ今の日本政府の政策と同じだ。後は手段と程度の話で、そっちになると私のようなシロウトには、よくわからんです。

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2015年1月 7日 (水)

ポール・ジョンソン「アメリカ人の歴史 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」共同通信社 別宮貞徳訳 5

アメリカの(ヴェトナムへの)介入は七代の大統領にわたっており、一連の判断が、よかれと思って下されながらすべて誤っていたというたぐいまれな事例だった。
  ――第八部 「いかなる犠牲をも払い、いかなる重荷をも担う」

 1968年4月3日、メンフィスで過酷なごみ収集に携わる人たちのストライキに参加して、予言めいた最後の演説を行なう。「われわれの前には困難な日々が待ち受けている。しかしそんなことは私にはどうでもいい。なぜなら私は山の頂にいるからだ」。翌日、(マーティン・ルーサー・)キングは暗殺された。
  ――第八部 「いかなる犠牲をも払い、いかなる重荷をも担う」

 ポール・ジョンソン「アメリカ人の歴史 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」共同通信社 別宮貞徳訳 4 から続く。この記事はⅢ巻の後半、第二次世界大戦から1997年までが中心。

【全般】

 今までは小さな政府で成長を続けたアメリカは、福祉政策の重視や軍事費の拡大などで、次第に大きな政府へと変わってゆく。マッカーシーの赤狩りなどの騒動を抱えながらも、公民権運動などで建国以来の棘を抜き、元気いっぱいの青年が思慮深さを期待される壮年に成長するのである。

 歴史に疎い私にはイマイチ分かりにくかった著者の保守的な姿勢が、この巻では実にあからさまになってゆく。わかりやすいのが大統領の評価だ。貶しているのが民主党のケネディ,ジョンソン,カーター,クリントン。同情的なのが共和党のフォードとブッシュ,ベタ誉めしてるのがニクソンとレーガン。

 つまりリベラルが嫌いで伝統主義者が好きなのだ、この著者は。

 これは政治姿勢ばかりでなく、宗教も同じで。「アメリカで犯罪が増えたのは宗教、特にプロテスタントが衰退したためだ」と臆面もなく主張している。現代日本の犯罪率を知らないんだろうなあ。

 今までは合衆国国内の話ばかりだったのが、朝鮮・キューバ・ベトナム・イラクと、現代の世界情勢そのものになっているのも、この巻の特徴。それだけ、アメリカの存在感が増したということだろう。

 初心者には向かないのは相変わらず。例えばJFKは普通「ジョン・F・ケネディ」で弟はロバート・ケネディ」と表記するが、本書では「ジャック」「ボビー」で通している。

【第7部 「恐れるものは恐れのみ」 1929―60年】 続き

 まずは第二次世界大戦の補足から。ここで示されるアメリカとソビエトの体制の違いが対照的。合衆国軍を率いたのはジョージ・C・マーシャル、欧州戦線を指揮したのはドワイト・D・アイゼンハワー。

ふたりとも戦略家で、組織する人、訓練する人、調整する人だった。意思決定という政治的手続きと、政策に応じた軍事行動との間に明瞭確固たる区別を設け、しかもそれを守りとおすことができた

 と、政治家と軍人が互いの役割をハッキリと区別し、相手の領分に口を出さず出させずを貫いたわけ。対するソビエトはすべてを支配したがるスターリンが、優れた野戦指揮官ジョーコフとコーネフを操った。アイゼンハワーはベルリンへの突撃を断念したが、赤軍はポーランドなどの東欧を蹂躙する。どっちがよかったんだか。

 戦後はヨーロッパ復興のマーシャル・プランに「およそ130億ドル」を費やすが、「1947年第二四半期にはアメリカの対外黒字が年間125億ドルに達する勢いとなった」。日本の復興には全く触れてないのが悔しい。

 NATO調印に先立ち、1948年にイスラエル独立・第一次中東戦争が勃発。このあたりは「おおエルサレム!」に精しいが、アメリカの支援がなければイスラエル建国はなかっただろう。米国内でも激しい議論があったようで、「石油業界からも激しい反対の声があがった」。当然だろうなあ。

 そして「コールデスト・ウィンター」朝鮮戦争。「この戦争は高くついた」。

アメリカの犠牲者は、戦死者が33,629人、非戦闘での死者が20,617人、負傷者が103,284人(略)韓国軍の死者は415,000人、北朝鮮軍の死者はおよそ52万人を数えている(中国軍の死者数は一度も公表されていないが、25万人を超えると信じられている)。

 数字をみる限り、主戦力は韓国軍だよなあ。でも韓国視点の朝鮮戦争の資料は手に入りにくいのが辛い。

 保守的な著者もさすがにマッカーシーは庇えぬらしく、「自分に注意を集めようとした政治屋」とバッサリ。

【第八部 「いかなる犠牲をも払い、いかなる重荷をも担う」】

 ついに着ました激動の60年代。ここでは、まずラジオ・テレビ・新聞などメディアが政治に強い影響を与え始めた事を強調している。しかも、「かつては刊行物の政治的方向性をかなり詳しく決めていた社主の面々が退場し、かわって、実際に仕事をするジャーナリストがその権限を手にしたのである」。

 特にその利用に長けていたのがケネディで、大統領選でのニクソンとのテレビ討論の様子は、ケネディへの嫌味タップリに描いている。そのケネディ暗殺については王道の解釈で、オズワルド単独犯説。

 デイヴィッド・ハルバースタムの「ベスト&ブライテスト」では合意形成型と評されたリンドン・ジョンソン、ここでも「こんなに議会を思いどおりにそうさするのがうまい大統領はほかにひとりとしていない」と、話し合って協調を作り出す能力は認めている。他は罵倒ばかりだけど。

 ベトナム戦争のせいで、他国からは散々な評価のジョンソンだが、内政じゃいい仕事してると思う。二期目には貧困の撲滅を目指し、1964年の公民権法・1965年の投票権法の他に、老齢者医療保険制度・国民医療保険制度・老人法・包括住宅法・公共輸送法…と、貧しい者に厚い政策を次々と実現している。そでに対し著者は嫌味ネチネチだが。

 ヴェトナム戦争への著者の姿勢は、一言で言えば「手緩い」。「参戦してしまったからにはその立場の論理に従って、北を占領することで攻撃に応えるべきだった」。まあ、政治家の余計な口出しで前線が苦労した戦争だし。

 先にケネディの大統領選で大きな役割を果たしたテレビが、ヴェトナムでも国内世論を変える。テト攻勢(→Wikipedia)だ。軍事的には北の惨敗だが、テレビの報道がアメリカの世論を厭戦に傾く。世論に敏感な議会は次第に力を増し、アメリカは逐次の撤退を余儀なくされる。

 ヴェトナムで発揮されたメディアは、次の大統領ニクソンも退陣へ追い込む。ウォーターゲート事件(→Wikipedia)だ。著者曰く「この件について何も知らなかったニクソン」。第四次中東戦争で危機に瀕したイスラエルをなんとか救うが、オツリが大きかった。石油ショック(→Wikipedia)である。

石油輸出国機構OPEC)は原油を1バレルあたり11.65ドルに値上げする。戦争前より387%高い価格である。

 …って、安い!少し前は1バレル90~100ドル、2014年末から値下がりしてもバレル50~60ドル前後。そりゃ日本の景気も悪くなるよ。

 ニクソンを持ち上げる著者、次のカーターには辛らつ。イスラエルとエジプトを仲介したが「例外中の例外」。いや東欧諸国にラジオを配り東欧崩壊のお膳立てもしてるんだけど。

 次のレーガンには好意的。「最高税率を50%に引き下げ、(略)キャピタルゲイン税、相続税、贈与税の引き下げ」って、典型的な富裕層優遇じゃん。結果…

理論では1986年までに予算を280億ドルの黒字にするはずだったが、実際には五年間で1兆1930億ドルの累積赤字が発生する。

 でも防衛費は増額。「1979年には1193億ドル(略)83年には2099億ドル、86年には2734億ドル」。そして政権はジョージ・ブッシュに引きつがれ、イラク戦争へ。ここでは第二次世界大戦と同様に、部を弁えた軍人が鮮やかな(だが見地によっては詰めの甘い)決着を見せる。

アメリカ軍司令官ノーマン・K・シュワルツコフ将軍と統合参謀本部議長コリン・L・パウエル将軍の勝利だった。しかしふたりとも、バグダッドに侵攻してフセインの軍国主義的独裁国を無理やり民主主義に変えたいとは望まなかった。それでは、国連から承認された完全に軍事的な作戦を、「政治」にまで拡大することになると考えたからである。

 まあ、もともと、クウェート奪回が多国籍軍の目標だったし。
 この本の最後の大統領ビル・クリントンも罵倒の嵐。でも「赤字がGDPの4%から2.4%(1993年の2550ドルから94年の1670億ドル)に圧縮」。

 文化面では、宗教の衰えに危機感を募らせている。

アメリカの主立ったプロテスタント教会、いわゆる「セヴン・シスターズ」――アメリカ・パブティスト教会、クリスチャン・チャーチ(キリストの使徒教会)、聖公会、アメリカ福音ルーテル教会、アメリカ長老派教会、合同キリストの教会、合同メソディスト教会――がとりわけ影響を受けている。

 いすれも歴史ある会派で、世俗化で社会に溶け込むつもりが逆効果。

「セヴン・シスターズ」全体では、1960年から90年までの30年間に、信徒の1/5ないし1/3が教会を離れた(略)。対照的に、1890年以来ずっとアメリカ最大の宗派だったローマ・カトリック信徒は、1990年代半ばには6000万人をこえ…

 とあるけど、カトリックはヒスパニック系の移民が増えたためでは? プロテスタントは平均年齢も「1983年には50歳だったのが、1990年代には約60歳となり、子どもたちを信徒にできなかった」。が…

宗教財団や宗教目的に対する無条件の寄付は相変わらず莫大で、1994年には588億7千万ドル(略)これに比べると、教育への寄付167億1千万ドルははるかに少ない。

 著者は犯罪の増加の原因を、宗教の衰えと家庭の崩壊にしてるけど、教会に寄付するより児童福祉にあてろよ、と思っちゃうなあ。

【終わりに】

 通して読むと、著者の保守的な姿勢が強く出た本だったなあ、と思う。その分、思想的・政治的な偏りがわかりやすいので、読者は著者のバイアスを意識しながら読むことになる。歴史教科書というより歴史・政治評論書とするべきかも。繰り返すが、初心者には向かんです。保守系の人は、特にⅢ巻が読んでて気分がいいかも。

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2015年1月 6日 (火)

ポール・ジョンソン「アメリカ人の歴史 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」共同通信社 別宮貞徳訳 4

チャールズ・ディッケンズは記している。アメリカ中西部の汽車の中で彼が何かを勘違いし、「ああ、私はよそものなので」と車掌に謝ると、車掌はこう答えた。「お客さま、アメリカの人間はみなよそものですよ」
  ――第6部 「最初の国際国家」

 アイゼンハワー(大統領)が戦争を嫌ったのは、ひとつには、「限定戦争」といわれても、それが実行可能だとは思えなかったからである。アイゼンハワーが理解する戦争では、目的は、使える手段をすべて使い、できるだけ速やかに敵の力を破壊することにある。
  ――第7部 「恐れるものは恐れのみ」

 ポール・ジョンソン「アメリカ人の歴史 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」共同通信社 別宮貞徳訳 3 から続く。この記事は1912年から1960年までを扱う、Ⅲ巻の前半が中心。

【全般】

 前巻に続き、この巻の前半は物語として気持ちがいい。前巻は貧しい青年が成功し、名士となる物語。この巻は、名士となった青年が更に努力を重ね、「どうやら私がリーダーらしい」と気づき始める、そんな物語だ。

 Ⅲ巻は第6部~第8部を収録する。この記事で紹介するのは、1912年~29年を扱う第6部と、1929年~60年を扱う第7部。

 第6部は、ウッドロー・ウィルスンの登場に始まり、第一次世界大戦から1920年代の繁栄へと続く。国際社会で政治・経済・軍事的に存在感が増すばかりでなく、文化的にも絵画・映画・ジャズなどで、世界の先頭を走り始めたアメリカが描かれる。

 第7部は、大不況による長期の低迷から始まり、第二次世界大戦とマーシャルプランによる戦後処理という大山を迎え、冷戦の勃発・NATO創設・朝鮮戦争、そしてマッカーシズムの嵐と、名実共に世界のリーダーを自覚し始めながらも、今までは小さな政府だった連邦政府が、税制の改革などで大きな政府へと変わって行く姿を描く。

 相変わらず初心者には向かない本である。それぞれの政治家に対しては、著者の保守的な観点を遠慮なく反映した評価を下す。政治家ばかりでなく、個々の政策に関しても、かなり主観的な評価を下している。判断基準が明確で評価もシロクロをはっきりつけているので、読んでいて気持ちがいい反面、「かなり偏った本だよなあ」という気持ちも抱かせる。

 評価に文章を割いている分、客観的な事実の記述の割合が少ないのも難点だろう。背景事情の説明が足りないのも相変わらず。その分、私のように「歴史はよく知らないけど現代史は多少分かる」者にとっては、尻上がりに面白くなる本だ。

 特に、この巻では、第二次世界大戦でやっと日本が登場するので、自然と読む方も熱が入ってくる。

【第6部 「最初の国際国家」 1912―29年】

 今までのアメリカは、ひたすら拡大をめざす極端な自由主義の小さな政府だった。ここでは、大きな政府へと変わって行くきざしから始まる。1913年に所得税を導入するのである。といっても、「3000ドル以上(夫婦には4000ドル以上)の課税対象となる純所得に1%」。その軽さにクラクラしてくると同時に、それまで所得税がなかった事にも驚く。天国だね。

 ただし、オチもつく。「第一次世界大戦が勃発すると新しい税制には恐るべき可能性があることがわかった。最高税率が一気に77%まで上昇したのだ」。税金ってのは、新しい税を導入するのは難しいけど、導入しちゃえば税率を上げるのは簡単なんです。

 そうこうしているうちに第一次世界大戦が始まる。当事の大統領ウッドロー・ウィルソンは、国際連盟の提唱など人道的な印象が強いが、参戦に際しては実際的な政治家の面を見せている。「1918年1月8日に、アメリカの戦争目的を14カ条として発表した」。参戦の目的をハッキリさせたのだ。

そもそも戦争とは何だろう?私はクラウゼヴィッツの定義を支持してて。「戦争とは政治的な目的を武力で実現する事だ」とする立場。だから、開戦前に、政治的な目的と、達成すべき軍事的な目標を、ハッキリ示す必要がある、と思ってる。ウィルソンは、この「政治的な目的」をハッキリ示したわけ。

 かくして、「1917年1月のアメリカ軍の兵力は20万だった。それが戦争終結時には、ウィルソンの尽力で400万以上」と急膨張、西部戦線のバランスを逆転させてゆく。

 今までは無制限に移民を受け入れてきたアメリカが、制限し始めるのもこの時期。「1921年の割当移民法」で、「無制限の大量移民の時代は終わった」。(白人なら)誰もがアメリカ人になれる時代は終わり、「生粋のアメリカ人」が大勢を占める時代になったのだ。

 独自の文化も生まれ、育ってくる。フィラデルフィアの画家トマス・エーキンズ曰く。

「もしアメリカから偉大な画家が生まれたるとしたら、そしてもし若い画学生がアメリカの美術史においてある位置を占めたいと願うならば、その第一の願望は、アメリカにとどまってアメリカ生活の真髄を熟視することであるべきだ」

 話は悪名高き禁酒法へと向かうが、そのプロローグが面白い。「コークとペプシ」だ。コークの始祖はジョン・スタイス・ペンバートン、ペプシはケイレブ・D・ブラダム。いずれもドラッグストアの店主で、「19世紀のドラッグストアの主人はすべてといっていいほど、アルコールが大嫌いだった」「真の敵、つまり悪魔は、蒸留酒だった」。コーク杯は邪道なんです。

 問題の禁酒法は、犯罪組織を育ててしまう。禁酒法以前、ワシントンの合法な酒場は300軒だったのが、もぐり酒場700軒に増える。酒の密売に必要な広域の輸送ルートは、賭博・売春・麻薬などにも利用され、今のマフィアの基盤となってしまう。

 ハリウッド・ジャズ・ラジオと、アメリカの繁栄を象徴するシンボルは多いが、私はブルースとジャズの対照に興味を惹かれた。

最初のラグタイムのシートミュージックは二年後に出版されている。その形態がととのってからおよそ十年後のこと。ブルースとは対照的で、ブルースは初めて歌われてから少なくとも半世紀は楽譜に記されなかった。

 この本、ジャズに多くの頁を割きつつ、ブルースにはほとんど触れてないけど、その言い訳なんだろうか。

【第7部 「恐れるものは恐れのみ」 1929―60年】

 大きな政府への転換が、更に加速するのが、第7部。第不況で幕を開け、ハーバート・フーヴァーとフランクリン・デラノ・ローズヴェルトの介入政策の苦闘を描いてゆく。

 著者の姿勢がハッキリわかるのは、このあたりから、ニューディール政策(→Wikipedia)には今でも賛否両論があるけど、著者は「恐慌を長びかせただけ」と強く批判している。フーヴァーの最低賃金の保証も、「失業者が増えてるだろ」と手厳しい。

 そして太平洋戦争へと突入してゆく。日本人としては、著者の立場が気になる所。

 ここでは「もしかしたら戦争は避けられたかもしれない」と、興味深い説で始まる。1941年当事のドイツはイケイケだったが、やがて東部戦線は膠着状態になる。日本にも山本五十六など日米の戦力差を冷静に判断できる者もいたし、ドイツの足踏みを見れば躊躇したんじゃね?と。

兵站の専門家、岩畔大佐の報告には、日本とアメリカの甚だしい生産力格差――鉄鋼20:1、石油100:1、石炭10:1、航空機生産5:1、造船2:1、労働力5:1、全体では10:1――が示されていた。

 絶望的な戦力差だなあ。そもそも、当事の帝国陸海軍は、どんな軍事目標を達成するつもりだったんだ?←ニワカとはいえ軍ヲタのくせに、そんな事も知らんのか俺は

 真珠湾攻撃に関しては陰謀論もあるけど、著者は王道の立場で、「陰謀なんかなかった、ローズヴェルトは不意をつかれた」としている。

 帝国陸海軍に関しては、「日本の戦争準備の特徴は、息をのむような手際のよさと説明のつかない混乱が結びついている」。真珠湾攻撃には「大胆さといい複雑さといい、この種の作戦としては史上類を見ない」と評価しつつ、「新たな占領地を防衛する長期的構想といえるものは日本側には見られなかった」。詳細は大井篤の「海上護衛戦」を参照。

 著者はローズヴェルトに厳しく、トルーマンを高く評価している。先のニューディールばかりでなく、ローズヴェルトの評価を下げたのは、スターリンに手玉に取られた点。「奴の強欲を甘く見た」という評価。対して、厳しく対立姿勢を打ち出し、冷戦を形作ったトルーマンを、国際情勢に精しい現実主義者としている。

 ローズヴェルトの死去・トルーマンの登場を経て、ついに原爆が登場する。ちなみにドレスデン空襲や東京大空襲にも、ちゃんと触れてます。で、原爆に関しては…

トルーマンはそのときもその後も、自分が原爆の使用を決定したのは正しかった、それどころか避けられなかった、と頭から思い込んでいただけではなく、爆弾を落としたおおかげで、連合軍と日本とを問わず無数の生命が救われた、と死ぬ当日まで信じていた。歴史的証拠を研究した者はほとんどがこの考えに賛成している。

 これに同意する日本人は少ないだろうなあ。実は私、部分的に同意する珍しい種類の人なんだけど、自説は別の記事に書きます。

【終わりに】

 やはり日本が関わってくると興味深く、長い記事になってしまった。この本の紹介は、で終わります、たぶん。

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2015年1月 4日 (日)

ポール・ジョンソン「アメリカ人の歴史 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」共同通信社 別宮貞徳訳 3

 アメリカとは交渉によって結ばれた合意や協定、勅許や盟約でつなぎ合わされた人為的な国、あるいは州の集合体といえよう。つまり法律家のお膳立てと契約書という紙切れによって成立したのである。
  ――第4部 「あと少しで選ばれた人民に」

ニューヨークはオランダ人の町として始まり、それから主にイギリス人の都市として拡大し、さらに19世紀には多民族都市へと広がっていった。ドイツ人やとりわけアイルランド人に大いに気に入られ、次いで、東ヨーロッパからイタリア人やギリシア人やユダヤ人が入ってくる番になる。
  ――第五部 寄り添う群衆と金の十字軍

 ポール・ジョンソン「アメリカ人の歴史 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」共同通信社 別宮貞徳訳 2 から続く。この記事は1815年から1912年までを扱う、Ⅱ巻が中心。

【全般】

 物語としては、気持ちのいい巻だ。人物の伝記に例えると、こんな感じだろう。貧しい青年が努力の末に事業を始め、巧く回り始める。しかし幼い頃の悪事が元で破産。心機一転して再起をめざす。がむしゃらに働き、気がつけば名士として重要な責務を担う事を期待される立場になっていた。そんな感じだ。

 この巻は、第3部~第5部を収録する。第3部は1815~50年。広大な土地を元に大量の移民を受け入れ、西へ西へとアメリカが広がって行く姿を描く。第4部は1850~1870年、合衆国最大の悲劇である南北戦争を扱う。第5部は1870~1912年、戦後の大復興により大国へと成長し、それを自覚し始めるアメリカの姿だ。

 イギリスの教養人が書いた本のためか、初心者には少々不親切な本だ。前巻から「ルイジアナ購入(→Wikipedia)」とあるが、このルイジアナは現在のルイジアナ州ではない。ミシシッピ川を東端として、カナダ国境に接する現ミネソタ州から現モンタナ州を含みロッキー山脈あたりを西端とする、北米大陸中央の広大な地域を示す。

【第3部 常にそこそこの幸福感 1815-50年】

 ルイジアナ購入で西への窓が開かれたアメリカが、広大な土地を征服してゆく様子を描くのが第5部。なんたって税金が安い。なんでそれで政府が保つのかというと、土地を売るから。しかも大安売り。無限(に思える)土地を投売りして、それでも政府の懐は持ったのだ。

 問題は、いくら移民が来ようと、人が足りない事。そこで省力化のために機械化が進む。1794年にイーライ・ホイットニーが特許を取った綿繰機は、綿花の長繊維と種を分ける機械だ。これにより、従来は生産量が一人一日1ポンドだったのを、一人一日50ポンドに引きあげる。

 ちなみにホイットニー氏、機械部品の規格化にも尽力し、大量生産の礎を築いている。電池の大きさがメーカーごとに違ってたら、どうなると思います? どのメーカーのどの電池も、単三なら単三の大きさとボルト数になる。こういう統一された規格があるから、我々は楽に電池交換できるんだし、メーカーも大量生産できて値段が安くなる。規格化こそが安く大量生産するキモなわけ。

 政治的では1825年に民主党を結成している。これが奇妙な事に、当事の民主党は南部を地盤としてた点。奴隷制を擁護するアンドルー・ジャクソンを1828年の大統領選に勝たせるために出来たとか。

 やがて広大な土地を結ぶため鉄道建設が盛んになり、付随して電信網も広がってゆく。メキシコとの戦い(→Wikipedia)でテキサスとカリフォルニアを併合、太平洋への出口を確保する。しかし、建国当時から足元に刺さった棘、奴隷制が国土を二つに引き裂き…

【第4部 「あと少しで選ばれた人民に」 1850-70年】

 ここでは南北戦争を中心に、終戦後の立ち直りを描く。南部を地盤とする民主党に続き、共和党が奴隷制に反対する北部で立ち上がるのだ。現代とは逆なのが面白いが、逆転するのは第Ⅲ巻らしい。

 18960年の調査だと、南部の白人は約810万人、奴隷395万人。だが奴隷を持つ白人は約38万人。大半の白人は貧乏で奴隷を持たないのに、奴隷制に賛成だった。理由は、自由になった奴隷に職を奪われるから。いつの時代も貧乏人の大半は保守的なんだなあ。

 機械化が進む北部と遅れた南部。この違いはプランテーションにある、と著者は語る。「世界市場の相場が上がると利益もあがったが、その場合儲けた金を生産増加に回すことになりがちだった」。まあ、これはどんな事業主でも似たようなもんで、飲食店で儲けた店主は支店を出そうとするような感じかな?

 この本にある南北の国力の差は凄まじい。北:南の順で、16歳~60歳の自由な男性は4.4:1,工業生産高10:1,鉄15:1,石炭38:1,銃火器32:1,小麦412:1,とうもろこし2:1,繊維製品14:1,商船総トン数25:1,資産3:1,鉄道施設距離2.4:1,耕地面積3:1。

 著者は南軍が負けた理由を色々と書いているが、上の数字で既に結果が出てると思う。長びいた理由は単純だろう。南部にとっては独立戦争で、自国を守れば勝利だ。敵を壊滅させる必要はない。北部は南部を制圧せにゃならん。前線は遠ざかり補給線は延びる。勝利条件は北部の方が厳しいのだ。

 終戦後、大統領リンカーンは南部に寛容な姿勢を示す。要求は奴隷解放だけにして、国家統一を最優先した。後、「クー・クラックス・クランが誕生したのは1866年から71年にかけて」なんて遺恨も残るし、完全な平等は1964年の公民権法(→Wikipedia)まで待たなきゃいけないんだけど。

【第五部 寄り添う群衆と金の十字軍 1870-1920年】

 戦争も終わり、再び人は西へ西へと向かう。ここでは、アメリカの複雑怪奇な警察制度(→Wikipedia)の成り立ちが想像できる。日本だと自治体の治安は県警が担うが、アメリカは保安官だったり市警だったり。これは成立事情によるもので、開拓時代は地域で自警団を作り守ってた。これが現在まで引きつがれてるわけです。

 広い国土に人が分散してるんで、交通機関を整備せにゃならん。ってんで、まずは鉄道が発達しはじめる。これも日本と異なり私鉄が先導してる。資本は州の助成金や海外の投資に頼り、「19世紀の終わりには、70億ドルの株を外国が保有」してたけど、第一次世界大戦でチャラに。

 産業も興隆したにも関わらず、著者の政治家に対する評価は厳しい。「リンカーンとセオドア・ローズヴェルトの間に、ホワイトハウスを占有した人物はすべて二流である」。かわりに持ち上げているのが、鉄鋼王アンドルー・カーネギーや投資家J・ピアポンド・モーガン、通販王リチャード・ウォレン・シアーズなど。

 シアーズの物語はわかりやすい。交通機関が整備されていない当時じゃ、家電を買うのも一苦労だ。消費者は複数の店を見て回る閑なんかないから、自由競争の原理が働かない。そこでシアーズの通販。全国的に安い統一価格で売る。安さが半端ない。従来製品の1/3~1/6だ。扱うのは時計からはじめミシン・自転車・乳母車・二輪馬車・ストーブ…

 なぜそれでメーカーが納得したかというと、シアーズの圧力もあるが、「製造業者に安心できる市場を提供した」から。ここで気の利いたジョークが一つ。

「ロシアの共産党員に本を一冊送るとしたら、何を送ります?」
フランクリン・D・ローズヴェルト「シアーズ・ローバックの通販カタログ」

 T型フォードの物語も同じテーマを強調している。自由競争と規格化と大量生産、そして発達を続ける輸送網が、次々と新製品を生み出し、競争で価格が下がり、我々の生活が便利になると共に、生産が効率化して更に経済が発展してゆく。

 この陰には、「富裕なアメリカ人の労力節約の欲求」がある、と著者は主張している。効率化を追い求める性質だ。長時間働かせる事ばかりに熱心な日本の経営者もブツブツ… 

【その他】

 この時期、日米関係では最大級の事件である黒船襲来(1853年~1854年、→Wikipedia)が起きているのだが、本書は全く触れていない。西欧人から見た極東は、その程度のモノなんだろうか。まあいい。

 当事の合衆国は南北戦争(1861~1865年)の直前で、合衆国内部は南北の対立でガタガタだった。幕府が巧く誤魔化せば南北戦争終戦まで交渉 を引き伸ばせただろう。そういった弱みを全く見せず強気で交渉に臨んだペリーは、なかなかの外交巧者だろう。お蔭で日本は維新の準備に時間をかけられたん だけど。

 その代わりといっちゃなんだが、ハワイを飲み込む過程を1~2頁で描いている。1780年代から商人や猟師がハワイに訪れ、宣教師も進出する。 19世紀後半のアメリカは己の成功を自覚しはじめ、成功の原因はプロテスタンティズムにあると思っていた。そしてアジア各国を教化すべく、熱心に宣教師を 送り出している。

 ハワイでも、アメリカ人は読み書きや自由主義、そしてキリスト教を熱心に伝える。1891年にハワイの支配者リリウオカラニ女王が反動的な動きを 見せると、現地のアメリカ人が合衆国海軍の後ろ盾で暫定政権を樹立、やがてアメリカがハワイを吸収する。「アメリカは、良心のとがめを克服するかわりに、 パールハーバーの海軍基地を獲得したのである」。

 一歩間違ったら、日本もハワイと同じ運命を辿っていたかもしれない。実に危ういタイミイングだったと思う。

 また、著者は作家ヘンリー・ジェイムズ(→Wikipedia)に妙な執着を見せるのがおかしい。アメリカ生まれだがイギリスで活躍したジェイムズに対し、「あなたはアメリカが嫌いだけど俺はアメリカ大好きだぜ」とチクチクと嫌味を飛ばしている。何か因縁でもあるんだろうか。

【終わりに】

 という事で、次はいよいよ激動の20世紀、アメリカが超大国に成り上がる第Ⅲ巻へと続く。

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2015年1月 3日 (土)

ポール・ジョンソン「アメリカ人の歴史 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」共同通信社 別宮貞徳訳 2

聖職者は祭壇や説教壇の上から権威をもって話をしたが、その権力がおよぶのは協会の入り口まで。そして教会の中でさえ、信徒たちは牧師が何をし、何をしないかを細かく監視した。信徒が任命し、信徒が罷免する。つまりある意味で、聖職者は新アメリカ社会での選挙による最初の公職だった。
  ――第1部 「丘の上の町」

アメリカ合衆国憲法の制定過程は、連邦制度の創設をめざす国、政体を変革する国、新たに建国する国、すべての規範となるはずである。しかし、残念ながら、その憲法誕生以来二百年以上にわたって、条文自体は(多くは表面的に)研究されてきたものの、最も重要な、制定をなしとげた手法は無視されている。
  ――第2部 「自由の憲法が堅く守られんことを」

 ポール・ジョンソン「アメリカ人の歴史 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」共同通信社 別宮貞徳訳 1 から続く。この記事は1580年から1815年までを扱う、Ⅰ巻が中心となる。

【植民地時代】

 アメリカ合衆国には幾つかの特徴がある。例えば連邦制だ。ワシントンの連邦政府に対し、州政府の権限が強い。わかりやすいのが選挙権で、必要な条件が州によって違う。年齢も大半は18歳だが、微妙に違っていたりする。しかも、州が軍を持っているのだ。真偽は不明だが、実際に飛べる零戦を維持してるのはテキサス州空軍だけ、という話もある。

 なんでそうなったのか。これはアメリカ合衆国建国の過程を見ると、わかってくる。合衆国の建国ではメイフラワー号に乗ったピルグリム・ファーザーズ(→Wikipedia)が有名だが、実は彼らが最初じゃなかった。

 例えばヴァージニアのジェイムズタウンだ。イギリス国王ジェイムズ一世の肝いりで、何回もの危機に陥りながらも補給と入植を続けてゆく。あくまでも世俗的な植民地獲得が目的の政策だが、タバコの栽培を軌道に乗せ、1619年に上下院からなる議会まで作っている。「同じ労働量でタバコはほかのどの作物とくらべても六倍の収益」があったのだ。

 メイフラワー号がマサチューセッツに到着したのは1620年。こちらは「地上に神の国をつくり出すためだった」。浮世離れした目的のようだが、ジェムズタウンが食い詰め者などの集まりなのに対し、こちらは家族でやってきている。そのため、継続的な社会を建設しようとする意気込みがあり、準備も整えていた。

 こんな風に、様々な集団がパラパラと到着し、アチコチに植民地を作ってゆく。ばかりでない。タバコ栽培は土地が痩せる。なら別の土地に移住すればいい。または同じ植民地内で対立が起きる。なら、うち一派が他の土地に移ればいい。どうせ土地は沢山余ってるんだから。

 ってな具合に、アチコチにポツリポツリと集落ができ、枝分かれして別の集落を生み出してゆく。が、この時点で、南北戦争の種が撒かれていた。

 マサチューセッツを中心とする北部は、「全員が同じ階級の、活動的かつ流動的な社会」だ。タバコの栽培が向かなかったのが幸いしたんだろう。対して南部は、西インド諸島から持ち込んだ奴隷制が根を張る、保守的な階級社会を形作ってゆく。

 いずれにせよ、地味豊かな土地は沢山あり、原材料になる木材も豊富だ。足りないのは人。という事で、農民に続き職人も移住してくる。農機具や生活用品が必要なので、職人も大事にされる。

【独立戦争】

 やがてボストン茶事件(→Wikipedia)などを契機に、イギリスからの独立を求めるようになる。1774年のこの時には、まだ連邦政府はできていない。「北アメリカの諸植民地が同盟を結んで、イギリス議会の方針に抵抗する」大陸会議を開催し、連邦政府の雛形を作ってゆく。敵対するイギリスが、アメリカ合衆国の雛形を作った形だ。

 これが欧州の各国や日本との大きな違いだ。政府があって村が有るんじゃなく、独立した村があちこちにある、そんな具合だったのだ。やがて村が集まって州を作り、州が集まって連邦政府を作ったのである。ここで、政府としての大枠の役割分担が決まる。

 大陸会議は戦争と外交政策を、各州はその他の――「内部治安」と総称される――事項を扱うことに各州が合意する。

 まあ、妥当なところだろう。時は1780年代、ナポレオンが旧大陸を荒らしまわっていた頃。海軍帝国イギリスに対し、アメリカは珍しく外交で巧く立ち回り、フランス・スペイン・オランダの同盟を取り付ける。対してイギリスはインディアンを懐柔し内側から突き崩そうとする。第一次世界大戦でT・E・ロレンスが使った手は、この時既に前例があったわけだ。

 なんとか独立は実現したが、国家としての実体はほとんどない。そこで国家組織を作る話し合いが始まる。強力な中央政府を望む連邦主義者と、州の独立性を重んじる州権擁護者が対立するが、「州を代表する上下院と、強力な権限を持つ大統領」という独特の形が出来上がってゆく。

 今から思えば、これは実に巧妙な仕組みなのだが、著者はこれを「かくしてほとんど偶然」と、幸運に帰している。とまれ、合衆国憲法には敬意を払っているようで…

この憲法が存続している一方、これを模倣したものは世界各地で失敗に終わっている。それはアメリカの憲法が民主的に制定され、国民が自由に採択したためばかりでなく、憲法に――政府、国民双方とも――服従した、まさにそのためである。

  この辺は、国王に対し議会の勢力が強いイギリスの影響を受けたためかもしれない。

【人物論】

 この本の特徴のひとつは、こういった流れを描く傍ら、重要な役割を担った人物にも多くの頁を割いている点だろう。これがウイリアム・マクニールや歴史教科書との大きな違いだろう。

 建国の父ジョージ・ワシントンには好意的で、経済的に余裕のある環境で育った貴族的な大男としている。「初等教育しか受けていない」と学はないが向上心があり、社会を見る目は現実的で功利的だ。

「愛国心という基盤さえあれば、じゅぶん長期にわたる流血の戦いに耐えられると考えるなら、それは最終的には裏切られるだろう……いっときは愛国心が人を行動に駆り立て、多くを辛抱させ、困難に立ち向かわせるだろうが、利害関係という助けがなければ長続きしない」

【宗教】

 第Ⅰ巻では、あまり文化面の話はない。独自の文化を育てるに足る時間もないし、土地を開墾するのに手一杯だったこともあるだろう。該当するのは宗教ぐらいか。ここで著者は面白い指摘をする。

アメリカはまず第一に宗教的な目的で建国され、信仰復興運動が独立を求める全国的運動のそもそのの言動力となった。(略)合衆国憲法が、(略)宗教についての合意も枠組みも欠いているのはなぜか。

 ジージ・ワシントンは理神論(→Wikipedia)に近く、「(ベンジャミン・)フランクリンも理神論者だった」「(トマス・)ジェファソンを理神論者というだけでなく、無神論者に分類する人もいる」。が、「憲法とその修正第一条を制定したメンバーには、敬虔に信仰を守っている人が多かった」。が、憲法修正第一条の冒頭は、こうなっている。

「連邦議会は国教の樹立を規定し、もしくは信教上の自由な行為を制定することはできない」

 これに対し著者は、「英国教会みたく国教を規定しちゃダメだよ」と解釈している。文章の解釈はともかく、当事のアメリカの情勢を考えると、あまりに沢山の宗派が乱立している状態なので、特定の宗派を贔屓したら連邦政府の成立が危うかった、と考えるのが妥当な気もする。

 という事で、第Ⅱ巻は次の記事へと続く。

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2015年1月 2日 (金)

ポール・ジョンソン「アメリカ人の歴史 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」共同通信社 別宮貞徳訳 1

「個人の利益以外の原理に従うように期待することは、いまだ前例のないことを求めるもので、残念ながら今後も実現しないだろう。……それゆえ、公平無私の原則に立って行動する人は、割合で言えば、ほんの大海の一滴に過ぎない」
  ――ジョージ・ワシントン

【どんな本?】

 イギリスの歴史家による、アメリカ合衆国の歴史書。時代的には大航海時代の序曲である14世紀から始まり、1997年のビル・クリントン政権までを扱う。

 既にソビエト連邦が崩壊した今日では、地球上の唯一の超大国となったアメリカ合衆国。それは政治力・経済力・科学力・軍事力など多くの点で、他国を圧倒する力を誇っており、また合衆国内で起きた三面記事的な事件は世界中の話題となるように、文化面での影響力も大きい。

 第一次世界大戦・第二次世界大戦ではなかなか参戦しようとしない、孤立主義の側面を見せた。TPP に象徴されるように、経済活動の自由化に熱心な側面もある。Amazon や Google など、新進の意欲に富む企業も多い。その反面、福音主義者など熱心な宗教信者も多く、モルモン教徒が作ったユタ州などもあり、アーミッシュも手厚く保護している。

 自由と民主主義を尊び、起業を奨励しながら、保守的な宗教意識も見せる。巨大な軍事力を持ちながら、小さな政府を志向する。愛国心を訴えつつ、独立独歩の姿勢を好む。植民地から出発して、世界をリードする先進国となった珍しい国でもある。

 アメリカ合衆国は、なぜこのように複雑な性格を持つようになったのか。先達となった植民者たちから独立・建国、そして悲劇的な内戦の南北戦争などを経て現在に至るまでを辿りながら、超大国アメリカが独特の思想を持つに至った道筋を解き明かして行く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A History of the American People, by Paul Johnson, 1977。日本語版は2002年7月30日第1刷発行。単行本ハードカバー3巻、縦一段組みで本文約411頁+522頁+520頁=1453頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント46字×19行×(411頁+522頁+520頁)=約1,269,922字、400字詰め原稿用紙で約3175枚。文庫本なら6冊分の巨大容量。

 日本語の文章は比較的に読みやすい。ただし、内要は素人には少々厳しい。歴史の教養が豊かな著者による作品だけに、序盤は西洋史、特にイギリス史の知識がないと、外交面での背景がわかりにくい。全般的に、著者は背景事情の説明を忘れがちな傾向がある。

【構成は?】

  •   第Ⅰ巻
  • まえがき
  • 第1部 「丘の上の町」 植民地時代のアメリカ 1580―1750年
    コロンブスのr探検/スペイン、ポルトガルの来襲/ローリーの植民計画/インディアンと衝突/ロアノーク植民地の失敗/「神の選民」による建設/ジェイムズタウン創設/二方向への分岐/メイフラワー号/初代総督ジョン・ウィンスロップ/約束の地/トウモロコシとタバコ/ニューイングランドの神権政治/自由と宗教/代議制と権威主義/ロジャー・ウィリアムスの逃亡/ロードアイランドの創立/アン・ハッチソンの場合/ハーヴァード大学創立/カトリックの進出とメリーランド/信教自由/初期植民地の構造/フィラデルフィアの発展/ピューリタンの政治理論/職人たちの活躍/移植されたイギリスの政治風土/奴隷州カロライナ/慢性的な貨幣不足/ピーコット戦争/ベーコンの反乱とフィリップ王戦争/セーラムの魔女狩り裁判/コットン・マザーの悲劇/最初のフロンティア/オーグルソープとジョージア/人口の急増と経済発展/イギリス当局の認識不足/好景気にわく都市/豪壮な邸宅/総督の役割/植民地議会と憲法/大覚醒運動/独立革命への影響
  • 第2部 「憲法の自由が堅く守られんことを」 革命期のアメリカ 1750―1815年
    ジョージ・ワシントンの登場/フランスとの七年戦争/雪と砂糖の交換/お粗末なイギリス首脳部/インディアン優先の国王宣言/反イギリスへの傾斜/印紙税への反発/ベンジャミン・フランクリンの役割/広がる暴動/ボストン茶事件/トマス・ジェファソンの生い立ち/ノルマンのくびき/大陸会議/ワシントンが総司令官に/トマス・ペインの「コモンセンス」/独立宣言/マサチューセッツ憲法/連合規約/持久戦に持ち込むワシントン/フランクリン使節団/戦争終結と講和会議/アメリカ革命の影響/忠誠派と愛国派/戦争と女性/ワシントンの軍務引退/ふつうの人にも最高のものを/ハミルトンの憲法構想/マディソンの役割/憲法制定会議/三つの妥協/開かれた批准手続き/権利章典/上院と下院/市民権と参政権/衆愚政治の脅威/宗教の役割と憲法/修正第一条/ハミルトンと連邦財政/ジェファソンとハミルトンの対立/ワシントンの政治手腕/二期目の混乱/告別の辞/第二代大統領ジョン・アダムズ/ジョン・マーシャルが司法長官に/資本主義の推進者/アダムズへの攻撃/理想主義者ジェファソンの二面性/モンティセロの奇怪な邸宅/大統領への手紙/ルイジアナ購入/不評を買った出港禁止法/マディソンの失策/米英戦争の勃発/ワシントンの新兵器/ワシントン陥落/救いの神アンドルー・ジャクソン/インディアン殲滅戦/ニューオリンズの戦い/ヘント条約
  • 出典注
  •   第Ⅱ巻
  • 第3部 常にそこそこの幸福感 民主主義のアメリカ 1815―50年
    高い出生率と移民の流入/初の経済危機/驚くべき土地の安さ/開発と自由競争/第二次覚醒運動/新しい宗派/カトリックとユダヤ教/ホイットニーの綿操機/南部と奴隷制/ジョン・カルフーンの場合/ミズーリを巡る争い/ヘンリー・クレイの役割/モンロー宣言/ジャクソン流民主主義/1824年の大統領選/民主党の結成/官僚型政治家ヴァン・ビューレン/ジャクソン政権の誕生/ペギー・イートン事件/台所内閣への批判/ジャクソン主義とは何か/チェロキー共和国の興亡/銀行への嫌悪/恐慌の到来/農業革命とその背景/工業化の進展/交通・輸送手段の発達/マニュフェスト・デステニー/テキサス独立/ポーク大統領の野心/メキシコ戦争/カリフォルニアの魅力/ゴールドラッシュとその後/アメリカ風ユートピア/ツクヴィルのアメリカ視察/学校改革/「大妥協」から℃レッド・スコット裁判まで/テイラーとフィルモア/ウェブスターの「アメリカ英語辞典」/アメリカ文学の誕生/エマソンと超絶主義/ロングフェローとポー/ホーソーンとホイットマン/アメリカ文学の成熟
  • 第4部 「あと少しで選ばれた人民に」 内戦期のアメリカ 1850―70年
    南部を支援したピアス政権/カンザス・ネブラスカ法案/ブキャナンと危機の高まり/リンカーンの経歴/奴隷制とリンカーン/ダグラスとの討論/1860年の大統領選挙/ジェファソン・デイヴィスの経歴/南部のメフィストフェレス/南部の分離宣言/戦争前夜/不利だった南部/デイヴィスの失策/合衆国の統一が最優先/奴隷解放宣言/ブルランの戦い/ジャクソンとモスビー/ゲティスバーグの戦い/グラント将軍の活躍/二期目のリンカーン/戦争による苦悩/発展する西部/勝利と悲劇/黒人問題の始まり/アンドルー・ジョンソンと南部再建/大統領弾劾
  • 第5部 寄り添う群衆と金の十字架 産業化とアメリカ 1870―1912年
    大量移民の群れ/牧畜業の発展/追いやられるインディアン/フロンティアの意義/西部開拓の時代/大陸鉄道網の建設/追剥成金の時代/グラント大統領の苦境/クレディ・モビリエ社事件/二流の大統領たち/鉄鋼王カーネギー/モーガンとウォール街/モーガンの功績/労働組合とストライキ/急発展するシカゴ/超高層化するニューヨーク/都市の豊かさと貧しさ/エディソンとティファニー/電気と光の芸術/風景画の革新/カントリーハウスの流行/大量生産と大量販売/クリーヴランドからマッキンレーへ/アメリカの社会主義/ロックフェラーとスタンダード石油/T型フォードの登場/人民主義と帝国主義/米西戦争/セオドア・ローズヴェルトの時代/ビッグ・スティック/タフト政権
  • 出典注
  •   第Ⅲ巻
  • 第6部 「最初の国際国家」 人種のるつぼアメリカ 1912―29年
    ウッドロー・ウィルソンの登場/教育の近代化とアイヴィー・リーグ/幸先よいスタート/増大する政府の役割/財政長官マカドゥー/第一次世界大戦の勃発/アメリカの参戦/平和のための「14カ条」/ヴェルサイユ条約の悲劇/認められなかった国際連盟加入/ハーディング政権の誕生/女性にも参政権を/男女平等権プロジェクト/黒人排斥と集団的大移動/ハーレムの発生/メルティング・ポット/初の移民制限/ミドルアメリカの文化/コークとペプシ/禁酒法という正義/犯罪組織の成長/「悪徳の町」サンフランシスコ/新聞王ハーストの豪邸/カリフォルニア・ドリーム/完全電化の州/映画の都ハリウッド/建築家ライト/ウォルト・ディズニーの活躍/ジャズの発祥/フォスターとスーザ/ラグタイムの広がり/「黒人音楽」への偏見/下降思考の誘惑/ハーディングの判断ミス/歴史のでっち上げ/クーリッジの「法律至上主義」/沈黙の美徳/1920年代の経済繁栄/突然の引退/消費者ブームの到来
  • 第7部 「恐れるものは恐れのみ」 超大国のアメリカ 1929―60年
    連邦準備銀行の設立/経済の膨張/ウォール街の暴落/なぜ大不況は長期化したか/フーヴァーが大統領に/偉大な技術者の失敗/作家・知識人の左傾化/恩給遠征軍/フランクリン・ローズヴェルトの登場/1932年の大統領選/ニューディールの神話/テネシー川流域開発公社/遅れた景気回復/ローズヴェルトと知識人/民主党を多数党へ/裁判所改組法案/孤立主義と国際主義/日本との対決/中立法の影響/真珠湾攻撃/戦時経済の奇跡/情報戦の勝利/ヨーロッパ解放宣言/スターリンの野望/トルーマンの経歴/軍歴と地方政治の経験/核兵器の使用許可/広島そして長崎/ソ連による挑発/チャーチルの「鉄のカーテン」演説/トルーマン・ドクトリン/マーシャルとヨーロッパ復興計画/支持されたトルーマン/NATO創設/イスラエルの誕生/朝鮮戦争の勃発/マッカーサー解任/アイゼンハワーの時代/秘められた政治力/マッカーシズム/ミルズらの通俗社会学/ポトマック河畔の敬虔な心
  • 第8部 「いかなる犠牲をも払い、いかなる重荷をも担う」 問題を解決しては生み出すアメリカ 1960―97年
    メディアと世論形成/ジョー・ケネディの影/1960年の大統領選/キャメロット神話/アポロ計画/ピッグズ湾侵攻の失敗/キューバ・ミサイル危機/ケネディ暗殺事件/ジョンソン政権の発足/「偉大な社会」構想/ドミノ理論/泥沼のヴェトナム戦争/高まる戦争反対の声/ジョンソンの退陣表明/ニクソンとキッシンジャー/公民権運動/新左翼と学生暴動/「ニクソン・レジーム」への攻撃/ペンタゴン文書の漏洩/ウォーターゲート事件をめぐる攻防/辞任するニクソン/権力のバランスが議会に/カーターの無分別な冒険/冷戦の広がり/アメリカ経済の相対的衰退/フロストベルトからサンベルトへ/1980年の選挙戦/「冗談王」レーガンの勝利/レーガノミックス/軍備拡張計画/自壊する「悪の帝国」/湾岸戦争/ブッシュからクリントンへ/クリントン政権の腐敗/多様な民主主義国家/都市化と地域集団化/アンドルー・ワイエスの世界/拡大する貧富の差/増大する法律家の影響力/ミュルダールの乱暴な議論/逆人種差別的アプローチ/「政治的公正」病/法律無視の司法裁定/急速に増大する暴力犯罪/信仰心への攻撃/家庭の崩壊/未来を開く女性たち/終わりに
  • 出典注/訳者あとがき/総索引

 歴史書なので、基本的には頭から読んだほうが分かりやすい。が、Ⅲ巻に関してなら、現代史をある程度知っていれば、面白そうな所だけを拾い読みしても、意外と楽しめた。

【感想は?】

 書名が「アメリカ人の歴史」だ。「アメリカの歴史」ではない。これは巧いタイトルだと思う。

 今はⅡ巻の冒頭までしか読んだ所だ。そこまででも、現代のアメリカ人の気質が、どのように出来上がってきたのか、うっすらと分かった気になる。

 歴史の解釈は政治的な立場を反映する。著者は民主主義を賞賛しながらも、保守的な視点の持ち主だ。特にⅢ巻では露わで、共和党を強く支持している模様。そのため、リベラルには少々面白くない本かもしれない。

 歴史書には、様々なスタイルがある。ひとつは司馬遷の「史記」の様に、人物を中心としたものだ。その対極に位置するのが、ウィリアム・H・マクニールの「世界史」のように、気候風土・地形・技術・産業を中心としたもの。中間に位置するのが、ギボンの「ローマ帝国興亡史」のように、事件・事変や社会構造を中心としたものだろう。

 現代の歴史学は、マクニール寄りだろう。そういう視点で見ると、この本はマクニールとギボンの中間ぐらいに位置している。現代の基準からすると、やや保守的な立場だ。

 書名どおり、人物に関する記述が最も多い。特に政治家の記述が中心である。この点は「歴史は人が作る」とする史記に近い。二院制の議会を持ちながらも、大統領に強大な権限が集中する構造のため、大統領の決断が国家の行方を大きく左右する合衆国の歴史を描くには適しているし、人が中心だとドラマとして面白いというオマケもついた。

 次に社会構造に関する部分で、これがアメリカ人・アメリカ社会が示す独特の姿勢を理解する優れたヒントとなっている。なぜ自由を尊重するのか、なぜ小さな政府を志向するのか、なぜ起業家が多いのか、なぜ拝金主義なのか。なぜアーミッシュやユダヤ人を保護するのか。

 これは建国の事情が大きく関わっているのだ。ということで、建国の様子を描くⅠ巻は、次の記事に続く。

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