キム・スタンリー・ロビンスン「2312 太陽系動乱 上・下」創元SF文庫 金子浩訳
太陽はいつものぼる寸前だ。水星の自転はごくゆっくりなので、岩だらけの地面を歩きつづけていれば、夜明けに追いつかれずにすむ。多くの人々がそうしている。それを生きがいにしている者も多い。そういう人は、ほぼ西に向かって歩いて、つねに苛烈な昼に先行する。
――プロローグ「社会にストレスがかかっていると、人々は自分たちの問題に直接向かいあう代わりに、目隠しをして問題の存在を否定するんだそうだ。歴史的にそうなってるってだけの事柄を必然だと思いこみ、同族への忠誠心によって分裂してしまう。そして人々は、不足しているとされているものをめぐって争ってるんだ」
――地球のスワン
【どんな本?】
「レッドマーズ」「ブルーマーズ」「グリーンマーズ」の三部作で喝采をあびた著者による、未来の太陽系を舞台としたスケールの大きい長編SF小説。
人類は火星のテラフォーミングに成功し、水星から土星の衛星、そして小惑星を改造した多数のテラリウムへと植民した2312年。祖母アレックスのの死をきっかけに、彼女の残した計画に巻き込まれてゆく孫娘のスワン・アール・ホンと、スワンの参加で更なる変容を遂げる太陽系の姿を描く。2012年ネビュラ賞受賞。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は 2312, by Kim Stanley Robinson, 2012。日本語版は2014年9月26日初版。文庫本縦一段組みで上下巻、本文約393頁+381頁=774頁に加え、渡邊利道の解説9頁。8ポイント42字×18行×(393頁+381頁)=約585,144字、400字詰め原稿用紙で約1463枚。文庫本なら上中下の三巻にしてもいいぐらいの分量。
日本語は比較的にこなれている。が、正直言って、読むのには相当に時間がかかった。理由は三つ。
まず、SF度が大変に濃いこと。太陽系の各惑星や木星・土星の衛星の環境や、それをテラフォームする手段などを簡潔に説明しているので、じっくり味わいながら読み込んでしまう。
もう一つは似た事情で、それぞれの惑星や衛星から見た景色が、この作品の大きな魅力となっている点。読みながら風景を頭に思い浮かべるのに時間がかかる。
最後に、主人公スワンのエキセントリックな性格を飲み込むのに時間がかかったこと。これはスワンだけでなく、この世界の人間はかなり異様なのだが、その舞台裏は中盤まで明かされない。
【どんな話?】
アレックスは<水星の獅子>、星系の中心人物だった。アレックスを失い悲しみにくれる孫娘スワン・アール・ホンを、二人の人物が訪ねてくる。まずはジャン・ジュネット、惑星間警察の警部だ。もう一人は、フィッツ・ワーラム、アレックスの友人で、ヒキガエルに似た大男だ。二人とも同じことをスワンに尋ねる。
「アレックスが私宛に何か残しませんでしたか?」
これが、太陽系を巡るスワンの大旅行のはじまりだった。
【感想は?】
もうひとつの「八世界」。
えー、八世界というのは、ジョン・ヴァーリーのSF小説シリーズで。太陽系内に広がると同時に、心身ともに大きく変容を遂げた人類を描いた作品群。「逆行の夏」など、苛酷な環境に身体改造で適応する人類が、逞しくもあり、また少し寂しくもあり。
この作品「2312」は、それを一つの長編で描ききっている。舞台はまず水星で始まり、木星の衛星イオ、温暖化と人口過剰に苦しむ地球、テラフォーミング中の金星、ヴァルカン小惑星群(→Wikipedia)、土星の衛星イアペトゥス、土星の衛星タイタンなどを巡ってゆく。
それぞれの風景や、舞台に応じた大小さまざまなガジェットが、この作品の読みどころ。この記事最初の引用は、水星の夜明けを描く、この作品の冒頭部分。かつて水星は自転周期と公転周期が同じだと思われていて、それをネタにしたラリイ・ニーヴンが「いちばん寒い場所」を書いたが、発表前後に間違いだとわかったいわくつきの惑星。
自転周期が遅く(約58日、→Wikipedia)、重力も比較的に小さいので、その気になれば宇宙服を着て移動しながら、永遠の夜明けを堪能できる。そういう物好きが冒頭に登場し、サンウォーカーと呼ばれている。壮大な太陽の姿に憑かれた者たちだ。
地球から見る太陽はのっぺりとした光の球だが、実際の表面は沸き立つ水素の対流と、黒点周辺の乱流により常にダイナミックに変化している。これを間近に見られたら、そりゃ魅入られる者もいるだろう。
すべてはたんなる物理学で、それ以上ではない――が、生きているとしか思えない。
これは水星の地表の描写だが、多くの水星人は「街」に住む。この街もイカれてて。永遠に移動し続ける都市なのだ。ちょっとフィリップ・リーヴの「移動都市」やクリストファー・プリーストの「逆転世界」を連想するが、この都市は移動する必然性がある。なんたって、水星の表面は昼と夜じゃ温度差が大きすぎる。だから、適温の所を移動し続けにゃならん。
その移動のための動力も、なかなか凄まじい発想。
水星は特に環境を変えてないが、火星と金星の環境改変具合は凄まじい。火星は比較的にテラフォームしやすそうな所だが、その方法は荒っぽいというかダイナミックというか。金星も滅茶苦茶で、多すぎる大気中の二酸化炭素の処分法には、笑うやら呆れるやら。
などの惑星・衛星ばかりでなく、その移動に使われるテラリウムもSFならではの大胆さ。だいたい、太陽系内を移動するなら、宇宙船を使うと普通は思うよね。ところが、この作品に出てくるテラリウムってのが…。豪華客船なんてもんじゃない、究極のゴージャスっぷり。テラリウムの製作過程も、SF者がクラクラくる凝った描写で、もうお腹いっぱい。
などと世界が大きく変容しているだけあって、そこに住む人々の変わりっぷりも相当なもの。まず明かされるのがアレックスの享年で、191歳。ここで少しギョッとなる。なんか冒頭は若い娘っぽいスワンだが、祖母が191歳だとすると…
このスワンの人物造詣が、なかなか見えてこないのが困り者。相応の歳のはずなんだが、やたらと活発で才能豊か、そのくせ気分屋で子供っぽい。スワンに絡むワーラムが落ち着いた雰囲気なんで、涼宮ハルヒとキョンを思い浮かべればいいのかな? にしても、ヒキガエルは酷いぞスワンw
スワンやワーラムの秘密が明かされる中盤は、広がってゆく世界の中で変わってゆく人類の姿を描く物語として、これだけで一本の長編が書けそうなアイデアがいっぱい。にしても、ワーラムが子族(家族)にスワンを紹介する場面は、やっぱり笑ってしまう。
などと各植民地は色とりどりで、自由で豊かなのだが、地球は相変わらずどころか、温暖化による海水面上昇で、酷い状況になっている。
にも関わらず、今までのしがらみや様々な勢力の思惑がせめぎあい、なかなか思い切った手が打てない。このあたりは、先に読んだ「アメリカ人の歴史」を思い出して、感慨深かった。しがらみがないからこそ、アメリカは極端に自治を重んじる自由主義的な社会を築けたんだよなあ。
なんて酷い状況になっていながらも、逞しく生きている地球人の姿も、それなりに感慨深かったり。マンハッタンの場面も、アメリカ人ならありえるかも。
などの場面を通じ、縦糸となるのが、祖母アレックスが遺した計画と、スワン&ワーラムの関係。ブサイクな私としては、思わずワーラム君を応援しちゃう所。いや相手がスワンじゃ苦労するだろうけど。
ダイナミックでバラエティに富んだ、太陽系内の風景と、奇天烈な形でそこに適応する人類。大掛かりで大胆なテラフォーミングのアイデアと、それによって実現した奇妙な世界。SFならではの魅力がギッシリつまった、濃いSF者向けの濃い作品だった。
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