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2015年1月 3日 (土)

ポール・ジョンソン「アメリカ人の歴史 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」共同通信社 別宮貞徳訳 2

聖職者は祭壇や説教壇の上から権威をもって話をしたが、その権力がおよぶのは協会の入り口まで。そして教会の中でさえ、信徒たちは牧師が何をし、何をしないかを細かく監視した。信徒が任命し、信徒が罷免する。つまりある意味で、聖職者は新アメリカ社会での選挙による最初の公職だった。
  ――第1部 「丘の上の町」

アメリカ合衆国憲法の制定過程は、連邦制度の創設をめざす国、政体を変革する国、新たに建国する国、すべての規範となるはずである。しかし、残念ながら、その憲法誕生以来二百年以上にわたって、条文自体は(多くは表面的に)研究されてきたものの、最も重要な、制定をなしとげた手法は無視されている。
  ――第2部 「自由の憲法が堅く守られんことを」

 ポール・ジョンソン「アメリカ人の歴史 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」共同通信社 別宮貞徳訳 1 から続く。この記事は1580年から1815年までを扱う、Ⅰ巻が中心となる。

【植民地時代】

 アメリカ合衆国には幾つかの特徴がある。例えば連邦制だ。ワシントンの連邦政府に対し、州政府の権限が強い。わかりやすいのが選挙権で、必要な条件が州によって違う。年齢も大半は18歳だが、微妙に違っていたりする。しかも、州が軍を持っているのだ。真偽は不明だが、実際に飛べる零戦を維持してるのはテキサス州空軍だけ、という話もある。

 なんでそうなったのか。これはアメリカ合衆国建国の過程を見ると、わかってくる。合衆国の建国ではメイフラワー号に乗ったピルグリム・ファーザーズ(→Wikipedia)が有名だが、実は彼らが最初じゃなかった。

 例えばヴァージニアのジェイムズタウンだ。イギリス国王ジェイムズ一世の肝いりで、何回もの危機に陥りながらも補給と入植を続けてゆく。あくまでも世俗的な植民地獲得が目的の政策だが、タバコの栽培を軌道に乗せ、1619年に上下院からなる議会まで作っている。「同じ労働量でタバコはほかのどの作物とくらべても六倍の収益」があったのだ。

 メイフラワー号がマサチューセッツに到着したのは1620年。こちらは「地上に神の国をつくり出すためだった」。浮世離れした目的のようだが、ジェムズタウンが食い詰め者などの集まりなのに対し、こちらは家族でやってきている。そのため、継続的な社会を建設しようとする意気込みがあり、準備も整えていた。

 こんな風に、様々な集団がパラパラと到着し、アチコチに植民地を作ってゆく。ばかりでない。タバコ栽培は土地が痩せる。なら別の土地に移住すればいい。または同じ植民地内で対立が起きる。なら、うち一派が他の土地に移ればいい。どうせ土地は沢山余ってるんだから。

 ってな具合に、アチコチにポツリポツリと集落ができ、枝分かれして別の集落を生み出してゆく。が、この時点で、南北戦争の種が撒かれていた。

 マサチューセッツを中心とする北部は、「全員が同じ階級の、活動的かつ流動的な社会」だ。タバコの栽培が向かなかったのが幸いしたんだろう。対して南部は、西インド諸島から持ち込んだ奴隷制が根を張る、保守的な階級社会を形作ってゆく。

 いずれにせよ、地味豊かな土地は沢山あり、原材料になる木材も豊富だ。足りないのは人。という事で、農民に続き職人も移住してくる。農機具や生活用品が必要なので、職人も大事にされる。

【独立戦争】

 やがてボストン茶事件(→Wikipedia)などを契機に、イギリスからの独立を求めるようになる。1774年のこの時には、まだ連邦政府はできていない。「北アメリカの諸植民地が同盟を結んで、イギリス議会の方針に抵抗する」大陸会議を開催し、連邦政府の雛形を作ってゆく。敵対するイギリスが、アメリカ合衆国の雛形を作った形だ。

 これが欧州の各国や日本との大きな違いだ。政府があって村が有るんじゃなく、独立した村があちこちにある、そんな具合だったのだ。やがて村が集まって州を作り、州が集まって連邦政府を作ったのである。ここで、政府としての大枠の役割分担が決まる。

 大陸会議は戦争と外交政策を、各州はその他の――「内部治安」と総称される――事項を扱うことに各州が合意する。

 まあ、妥当なところだろう。時は1780年代、ナポレオンが旧大陸を荒らしまわっていた頃。海軍帝国イギリスに対し、アメリカは珍しく外交で巧く立ち回り、フランス・スペイン・オランダの同盟を取り付ける。対してイギリスはインディアンを懐柔し内側から突き崩そうとする。第一次世界大戦でT・E・ロレンスが使った手は、この時既に前例があったわけだ。

 なんとか独立は実現したが、国家としての実体はほとんどない。そこで国家組織を作る話し合いが始まる。強力な中央政府を望む連邦主義者と、州の独立性を重んじる州権擁護者が対立するが、「州を代表する上下院と、強力な権限を持つ大統領」という独特の形が出来上がってゆく。

 今から思えば、これは実に巧妙な仕組みなのだが、著者はこれを「かくしてほとんど偶然」と、幸運に帰している。とまれ、合衆国憲法には敬意を払っているようで…

この憲法が存続している一方、これを模倣したものは世界各地で失敗に終わっている。それはアメリカの憲法が民主的に制定され、国民が自由に採択したためばかりでなく、憲法に――政府、国民双方とも――服従した、まさにそのためである。

  この辺は、国王に対し議会の勢力が強いイギリスの影響を受けたためかもしれない。

【人物論】

 この本の特徴のひとつは、こういった流れを描く傍ら、重要な役割を担った人物にも多くの頁を割いている点だろう。これがウイリアム・マクニールや歴史教科書との大きな違いだろう。

 建国の父ジョージ・ワシントンには好意的で、経済的に余裕のある環境で育った貴族的な大男としている。「初等教育しか受けていない」と学はないが向上心があり、社会を見る目は現実的で功利的だ。

「愛国心という基盤さえあれば、じゅぶん長期にわたる流血の戦いに耐えられると考えるなら、それは最終的には裏切られるだろう……いっときは愛国心が人を行動に駆り立て、多くを辛抱させ、困難に立ち向かわせるだろうが、利害関係という助けがなければ長続きしない」

【宗教】

 第Ⅰ巻では、あまり文化面の話はない。独自の文化を育てるに足る時間もないし、土地を開墾するのに手一杯だったこともあるだろう。該当するのは宗教ぐらいか。ここで著者は面白い指摘をする。

アメリカはまず第一に宗教的な目的で建国され、信仰復興運動が独立を求める全国的運動のそもそのの言動力となった。(略)合衆国憲法が、(略)宗教についての合意も枠組みも欠いているのはなぜか。

 ジージ・ワシントンは理神論(→Wikipedia)に近く、「(ベンジャミン・)フランクリンも理神論者だった」「(トマス・)ジェファソンを理神論者というだけでなく、無神論者に分類する人もいる」。が、「憲法とその修正第一条を制定したメンバーには、敬虔に信仰を守っている人が多かった」。が、憲法修正第一条の冒頭は、こうなっている。

「連邦議会は国教の樹立を規定し、もしくは信教上の自由な行為を制定することはできない」

 これに対し著者は、「英国教会みたく国教を規定しちゃダメだよ」と解釈している。文章の解釈はともかく、当事のアメリカの情勢を考えると、あまりに沢山の宗派が乱立している状態なので、特定の宗派を贔屓したら連邦政府の成立が危うかった、と考えるのが妥当な気もする。

 という事で、第Ⅱ巻は次の記事へと続く。

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