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2014年12月18日 (木)

「契約 鈴木いづみSF全集」文遊社

 目ざめると、彼のからだは女になっていた。(もう、そんな時期か)と彼はかんがえた。
  ――わるい夢

『先生、ぼくは、ちょっとまえまでは、モラトリアム人間だったんです。いまは、シゾイド人間になりました。で、このつぎ、なにになったらいいのか、悩んでいるんです。先生、はやく、つぎの本売りだしてください。ベスト・セラーじゃなきゃこまります』
  ――なぜか、アップ・サイド・ダウン

「だいじょうぶ。世界はなくならないよ。いやだっていったって、うんざりするほどつづくんだ」
  ――想い出のシーサイド・クラブ

【どんな本?】

 俳優から作家となり、1975年から1980年代前半にかけ活躍し夭折した、鈴木いづみの短編SF小説を全て集めた作品集。むきだしの神経を晒しながら、自らの脳内の思考を赤裸々に語るその独特の作風は他者の追随を赦さず、今なお熱心な読者に支持されている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年7月10日初版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約633頁+大森望の解説15頁。9ポイント48字×25行×633頁=約759,600字、400字詰め原稿用紙で約1,899枚。文庫本なら4冊になってもいいぐらいの大容量。

 かなりクセの強い文章だが、会話が多く、比較的にとっつきやすい。SFとはいっても小難しい理屈はでてこないので、理科が苦手な人でも安心していい。それより、重要なのは1960年代後半~1980年代前半の流行物。ポップ・ミュージック,ファッション,サブカルチャー,テレビ番組などの名前が頻繁に出てくるので、若い人はついていけないかも。特に影響が大きいのがGSことグループ・サウンズで、著者はゴールデン・カップスがご贔屓の模様。

【収録作】

悪意がいっぱい/歩く人/もうなにもかも/悲しきカンガルー/静かな生活/魔女見習い/あまいお話/離婚裁判/わるい夢/涙のヒットパレード/わすれた/朝日のようにさわやかに/わすれない/女と女の世の中/アイは死を越えない/悪魔になれない/タイトル・マッチ/契約/水の記憶/煙が目にしみる/ラブ・オブ・スピード/なぜか、アップ・サイド・ダウン/ペパーミント・ラブストーリィ/ユー・メイ・ドリーム/夜のピクニック/カラッポがいっぱいの世界/なんと、恋のサイケデリック!/想い出のシーサイド・クラブ/ぜったい退屈

【感想は?】

 今なら「厨二病」の一言で済んでしまうかもしれない。

 グループ・サウンズ全盛期の風俗を、過剰なまでに詰め込みつつ、GSを追っかけていた若い女性の目で、あの頃を必死に走っていた者たちの姿を、冷酷に描き出してゆく。

 GSというのがキモで。ロックとは少し雰囲気が違い、もちょい歌謡曲より。今のように Youtube なんて便利なモノはないから、英米のロック・シーンの音はなかなか入ってこない。ってんで、エレキ抱えてバンドを組んだはいいが、何やっていいか分からない。とりあえず自分が知ってる歌謡曲をエレキでアレンジしてやってた、そんなイカガワシサがある。

 あ、もちろん、そこそこ見栄えのいい人じゃないと勤まらないわけで、ある意味ヴィジュアル系なのかも。当然、ファッション・センスは今と全然違うけど。

 そういうニセモノ臭さを認めつつ、その上で「いいじゃん、どうせ全部ニセモノなんだから」と開き直ってしまった、そういう醒めた態度でキッチュな衣を纏いつつ、衣の中にあるドロドロしたものを原稿用紙に吐き出したような、ちょっと(いやかなり)イタい作品が多い。

 今もSFの世界は男が多く、昔はもっと男ばかりだった。その中で彼女は、過剰なまでに女の目で作品を書いている。意図してそうしているのではなく、たぶん彼女はこの芸風しかできないんだと思う。それでいい。何を書いても鈴木いづみになる、それこそが彼女の価値なのだから。

 なにせ、出てくる男が全部ダメ男なのだ。女にだらしなく、結婚していようがいまいが、アチコチの女に手を出しまくる。ロクに仕事もせず、嫁にたかってばかり。つまりはヒモなのに、口喧嘩の末に嫁を殴って出て行く。なんでこんな男にくっついてるのかわからんが、昔から男と女はそういうもんらしい。

 収録作は、ほぼ発表順に並んでいる。初期の作品はソレナリにお行儀良くSF作家を演じていたっぽく、「星新一をお手本にしました」的に奇妙なアイデアの小品が多い。大半の作品が女性視点なのに、「悲しきカンガルー」や「静かな生活」では男を主人公にしたり。しかも、短編小説としても綺麗にまとまっている。

 彼女が本性を表し始めたのが、「わすれた」からの中盤以降。「わすれた」はエイリアンの男と地球人の女の話だが、ここで「科学的に云々」とか小難しい事は言っちゃいけない。その続編であろう「わすれない」では、生きている事の息苦しさを巧く表現している。

「真夜中になると、ひとがいっぱいでてくるの。(略)盛り場には、大群衆があふれている」
「なんで、ひとがでてくるの?」
「おもしろいこと、さがしてるんだろう。みんながみんな、そうなんだ。それで、音楽きいたり、おどったり、ひとにあったり、酒のんだりする」

 そういった事柄を、過剰なまでに当事の風俗を織り込んで描く彼女の作風が、見事に出ているのが「なんと、恋のサイケデリック!」。あくまで60年代末期のポップ・カルチャーを足場としつつ、80年代初期までの流行を、音楽とファッションを中心に描き出しつつ、無茶苦茶な仕掛けでオチに引きずり込む。

 ああ、あったなあ、テニス・ラケットを抱えてればお洒落な時代が。古着屋が流行った時代もあった。舟木一夫,フランク永井,ジャガーズ,ローリング・ストーンズ,ゴールデン・カップス,マヒナスターズ,オックス,ルースターズ,モッズなんて名前が次々と出て来て、好きな人は「うひゃ~」となってしまう。

「結局、日本にロックは決して根づかないんだろうか」

 には赤面したね、あたしゃ。いや似たような事を吐いた経験があって。と思ったら、次の場面では予想も出来ない展開になって。なんでこんな事をえるのやら。

 前半から漂っていた絶望感が、終盤になるとヤケになったような明るい雰囲気に変わってくる。これは絶望の果てに辿りついた達観なのかもしれない。どうせ何もない、なら好きなように生きていこう、といった感じの。空虚である事を充分に知っていて、その上で明るく振舞うしかない、どうせ上っ面だけなんだから。

 特に中盤以降の徹底して主観的な物語は、山尾悠子やアンナ・カヴァンを思わせる。と同時に、時代風俗を取り入れつつ皮膚がヒリつく感覚は、岡崎京子に受け継がれていったと思う。

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