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2014年12月の16件の記事

2014年12月31日 (水)

うん、ちくわぶにしよう

 ブログを始めた時、実は何も考えていなかった。

 「世の中にはブログというモノがあって、流行っているらしい」ぐらいしか知らない。どんな内容にするのかも考えていない。しばらく続けていけば、そのうち記事の内容も偏ってくるだろうから、自然と方向性が見えてくるんじゃないかな。

 などと甘い考えでココログにアカウントを作ろうと思ったら、いきなり壁に突き当たる。「えっと、ブログ名は、どうしよう?」

 そもそもブログのテーマ、何を書くかすら決めていない。でも何かブログ名をつけなきゃいけない。じゃ、とりあえず意味のないブログ名をつけておこう。意味がなければ、後でどんな方向に行っても、なんとかなるだろう。

 という事で、意味のないブログ名をつける事にする。それでも、一応は少し考えた。

  • カッコいい名前や頭よさげな名前は私のキャラに合わないから、やめておこう。逆に自虐的なブログ名も、自意識過剰みたいで嫌だ。あんまし書き手の感情を感じさせないブログ名がいい。
  • 覚えやすいように、短いブログ名がいい。
  • 少し間が抜けてて、ユーモラスな雰囲気のブログ名がいい。

 などと悩んだ時は、先人の知恵を借りるに限る。例えば鳥山明だ。彼は食べ物の名前を良く使う。せんべいとかアラレとかヤムチャとか天津飯とか。

 私もその手でいこう。おでんが好きだから、おでんの具からとろう。はんぺん・こんぶ・こんにゃく・だいこん…ちくわぶ。うん、「ちくわぶ」にしよう。関東以外じゃあまり知られていない上に、あまり好まれていないあたり、映画やドラマの「その他大勢」みたいで自己主張がないし、良くも悪くも強い印象を与えない。

 ケッタイな名前だから他のブログとも競合しそうにないし、chikuwablog となって語呂もいい上に、短いから覚えやすい。

 ってんで、ブログ名を「ちくわぶ」にする。始めて少ししたら飽きてほったらかしたが、また思い出して再開。続けてたら、なんか本の話ばかりになる。この際だから、書評を中心にやってく事にしよう。じゃ、ちょっと CSS とかで遊んで…。と、まあ、そんな感じで今のデザインに落ち着く。

 ひらがな四文字なので、一時期は「けいおん」や「はがない」みたくブームになるかと思ったが、さすがにそれはアテが外れた。まあ大して期待もしてなかったけど←負け惜しみです

 などとゆるゆると続けていく。滅多にコメントはつかないが、ある時、貰ったコメントに驚く。「ちくわぶさん」。

 へ? 「ちくわぶ」は私の名前じゃなくて、ブログ名… あれ? じゃ、私の名前は?

 呼ばれてやっと気がついた。ブログ名はつけたが、自分の名前(というかハンドルというか芸名というか)はつけてない。我ながら、実に間抜けで失礼な奴だ。ちゃんと名乗れよオッサン。誰だよお前。

 改めて自分のブログを見ると、確かに「ちくわぶ」が書き手の名前っぽい。じゃ、「ちくわぶ」でいっかあ。

 というわけで、「ちくわぶ」と名乗ることにする。するったって、別に何か変わるわけじゃない。このブログ以外じゃ滅多に名前を出さないし、単に自分で納得したってだけなのだが。

 などの経緯で、ブログでの芸名も「ちくわぶ」に落ち着いた。いい加減な奴だ。

 ポップ・ミュージックの新人バンドだと、よくデビュー・アルバム=バンド名みたいなグループがある。案外と似たような経緯で決まったんじゃないか、などと勘ぐってしまう。Geogia Satellites や Return to Forever あたりは、なんか怪しいと思うんだけど、あなた、どう思いますか?

 

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2014年12月29日 (月)

SFマガジン2015年2月号

る回る
回 よ
は代時
  ――円城塔「エピローグ<9>」

 280頁の標準サイズ。今月は創刊55周年期年号。特集は PSYCHO-PASS サイコパス2」として、吉上亮の「PSYCHO-PASS GENESIS<予告編>」や第2期主要キャラクター紹介&全エピソード・ガイド。小説は三津田信三「影が来る」,円城塔「エピローグ<9>」,上遠野浩平「製造人間は頭が固い」、小田雅久仁「長城」中編,ケン・リュウ「どこかまったく別の場所でトナカイの大群が」古沢嘉通訳に加え、新連載が2本。冲方丁「マルドュック・アノニマス」と川端裕人「青い海の宇宙港」。

 吉上亮の「PSYCHO-PASS GENESIS<予告編>」。Wikipedia によると、第1期の舞台は2112年。この掌編の舞台は2080年~2093なので、第1期の30年前~20年前。主人公は、第1期で渋い元刑事として登場した征陸智己。若き刑事の彼が親父として慕っていた、古参刑事の八尋和爾との関係を描く。

 今回は5頁だけの掌編で、まさしく予告編といった感じ。若き征陸智己と、先輩の八尋和爾を通し、PSYCHO-PASSの世界の成立を描くらしい。<シビュラ>システムが、どうやって受け入れられていったのか。変形する銃ドミネーターが、どう導入されていったのか。征陸智己と八尋和爾の因縁は。などの謎を提示するだけの導入部で、掴みはバッチリって感じがする。

 三津田信三「影が来る」。円谷プロダクション×SFマガジンの第2弾。今回のテーマはウルトラQ。毎日新報の報道カメラマン江戸川由利子は、今日も忙しく駆け回っている。だが、ここ何日か、奇妙な事が起きている。社会部の記者の相馬や、デスクの関が、奇妙な事を言い出したのだ。どうも由利子の記憶と、彼らの言動が食い違っている。

 多くの仕事に追い回され、「忙しい」が口癖になっている人にとっては、少し羨ましい気もする現象の話。実際に自分がこんな目にあったら…いや私は怠け者だから、結局はたいした問題にならないような気も。こんな形で話が進むのも、仕事熱心な江戸川さんならでは。ウルトラQの怪しげな雰囲気が良く出た作品だと思う。

 円城塔「エピローグ<9>」。事態の原因と解決法に至った前のクラビト回を受け、今回は朝戸とアラクネの回。いよいよ時間も空間も因果も論理も言語も崩壊しつつある様子で、著者も思いっきり悪ふざけしまくっている。どういう形で入稿したのかが気になってしょうがないw

 上遠野浩平「製造人間は頭が固い」。オハラ夫妻は、深刻な様子で相談に来た。二人の子は生まれつき心臓が弱かった。そこで夫婦はあらゆる手段を尽くし、わが子の命を繋いできた。だが万策尽き、ここに来たのだ。だが、彼らの嘆願を聞いたウトセラは素っ気ない。

 冒頭から霧間誠一の著作の引用で始まるので、ファンなら「ビギーポップのシリーズね」と一発でわかる作品。短い作品ながら、ブギーポップ世界の仕組み(の一部)を分かったような気分にさせ、かつ「まだまだ沢山の謎が隠れていますよ」と感じさせ、つい他の作品にも出を出したい気分にさせるあたり、実に巧い。

 小田雅久仁「長城」中編。吉井康之は、時おり“叫び“を聞く。これは長城からの呼びかけだ。これに応じて出かけると、やがて奇妙な城壁にたどり着く。そして巨顔に飲み込まれるのだ。そこで吉井は他の者の人生を生きる…夷狄に出会うまで。夷狄は普通の人間の姿をしている。吉井は夷狄を殺し…

 なんとも奇想天外な舞台設定で始まった前編を受け、若き吉井康之を主人公に物語は進む。突然に呼び出され、記憶をすべて失って他人の人生を初めから生き、目的を果たしたら元の自分に戻る。人生を何度も繰り返せるわけで、それはそれで羨ましいような気もするが、目的を果たしたら全てがチャラになるわけで、どうなんだろう。うーん。

 ケン・リュウ「どこかまったく別の場 所でトナカイの大群が」古沢嘉通訳。あたしはレネ・タイ=O・<星>・<鯨>・フェイエット、六年生。今は親にもらった世界で暮してる。ここは四次元空間。パパは高次元環境に慣れていて、こっちに来るときは四次元空間に投影された形で出現する。

 人類が肉体を捨て、サーバースペースに移住した未来を舞台にした作品。今まで紹介されたケン・リュウの作品は、彼が持つ中国のルーツを感じさせるものが多かったが、これは全く違った舞台設定の作品。にも関わらず、読後感は相変わらずのケン・リュウ節。失われるものと、受け継がれてゆくもの。姿は変わっても、ヒトの本性は…

 冲方丁「マルドュック・アノニマス」。スラム専門の弁護士、サム・ローズウッドが、<イースターズ・オフィス>を訪れる。依頼は、証人の保護。だが、条件は最悪だ。証人は内部告発を目論んでいる。だが、誰に対するどんな告発なのか、何も話そうとしない。おまけに、敵に自分の存在を知られている。

 あの名作「マルドゥック・スクランブル」の続きとなるシリーズ。この作品では、序盤からウフコックは絶体絶命のピンチに投げ込まれる。あらゆる兵器に変身できる万能ネズミ、ウフコック。自らの能力を充分に自覚し、それ故に使用者にも厳しく接する。緊迫したアクション場面が楽しいシリーズだけあって、このシリーズも連載初回から激しいバトルが展開する。

 川端裕人「青い海の宇宙港」。六年生の天羽駆(あもうかける)は、宇宙遊学生として多根島へやってきた。ここで一年間を過ごすのだ。今までの学校は全校で千人近い生徒がいたが、ここには全校で30人ほど。ここは世界で一番宇宙に近い小学校だ。なんたって、ロケットの射点まで10kmぐらいしかない。

 「川の名前」では、小学生たちが「秘密」をめぐり「冒険」する話で、とても爽やかで楽しい作品だった。この作品も主人公は小学六年生。宇宙港というから、ロケットに憧れる少年かと思ったら、同じ理科系でも天羽駆は昆虫派らしい。ウミガメにワクワクするあたり、ちょっとあの頃の気持ちを思い出してしまった。

 長山靖生「SFのある文学誌」。「壮士の梅、立志の夢 明治二十年の若者は何を欲望していたのか」。引き続き、明治時代の議会開設を前に、大量に湧き出た政治小説をネタにしつつ、当事の「壮士」の背景を語ってゆく。「そもそも民権運動家の主張する政策のほとんどは、政府と基本的に同じ」であり、単に威勢がいいだけ、などのしょうもない実体を暴いてゆく。いわゆる床屋政談なわけで、それに勢いと行動力だけはある若者が熱中して…って、今のネトウヨと似たような…

 飯田一史「エンタメSF・ファンタジイの構造」。今回は丸山くがね「オーバーロード」をネタに、アクションやバトルの描き方を学ぶ。こう冷静に分析されると、アニメのテラフォーマーズが、いかに充分に計算して登場人物に能力を割り振っているか、改めて実感させられる。それとは別に、「小説家になろう」の方針も面白い。サイト自体は出版に関与せず、エンターブレイン/主婦の友社/メディアファクトリーなどに出版を任せている。まあ、出版には独自のルートとノウハウは必要だから、「餅は餅屋」と割り切っているのかな。

 ところで塩澤編集長のツイートによると、ゲリラ的な出版があるとか。どうなるのか楽しみにしてます。

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2014年12月28日 (日)

今年面白かった小説3ノンフィクション3

 改めて今年に読んだ本を眺めていくと、ベスト3を選ぶのは難しい。選ぼうとすると、アレもコレもということになって、いつまでたっても絞れない。迷っていてもキリがないので、思い切って気分で選んだ。明日選んだら、ガラリとメンツが変わると思う。最初は順位をつけようと思ったが、それだと更に悩むので、羅列するだけにした。

【小説編】

飯干晃一「仁義なき戦い 死闘篇・決戦篇」角川文庫
 惜しくも亡くなった菅原文太アニキの映画で有名な「仁義なき戦い」シリーズの原作本。戦後の広島を舞台に繰り広げられた広島抗争を題材に、当事の暴力団の実体を生々しく描いたドキュメンタリー・ノベル。元暴力団員の手記を元に、元新聞記者の著者が綿密な取材で肉付けし、小説の形で発表した作品。
 ドキュメンタリーにすればいいものを、なぜ創作を交え小説にする必要があるのか。読む前の私は、そんな疑問を持っていた。だが、読んで納得した。迫真性だ。その時、彼は何を食べていたか。どんな服装をしていたか。事実を書くだけなら、それはどうでもいい。だが、こういった細かい部分をキチンと肉付けすることで、物語として俄然面白くなり、主題が大きく浮き上がってくる。
 では、この作品のテーマは何か。それは、ヤクザの生態と社会だ。組の組織は、どのように構成されているのか。ヤクザ同士の抗争は、どのように起こり、どう発展して行くのか。組員たちは、誰とどう付き合っているのか。暴力団と政治家・芸能人の関係は。そして、戦後の暴力団がどう勃興し、広域化していったのか。
 暴力団という極端な世界を描きながらも、それは同時に戦後の日本の社会を形作る大きな要因の一つであることが、この本でわかる。迫力・面白さともに逸品で、話題性のみならず娯楽性も豊富な傑作。
ネイサン・ローウェル「大航宙時代 星界への旅立ち」ハヤカワ文庫SF 中原尚哉訳
 最初はオーディオブックとして出版され、後に書籍となった異色の経歴の長編SF小説。舞台は人類が恒星間航行を得て、多くの恒星系に滲出した未来。大学教授の母と二人で暮していた18歳のイシュメール・ホレイショウ・ワンは、事故で母を失うと共に、家も失う。食うために商船員となったイシュメールの旅立ちを描く。
 ジュブナイルと言っても差し支えないくらいに、まっすぐで気持ちのいい小説。シリーズ物の開幕編らしく、お話はこの後も続くのだが、この一冊だけでも一応は完結している。
 特に激しいバトルやアクションがあるわけでもなく、身寄りのない少年が身一つで潜り込んだ商船内の生活を描いているだけなのに、不思議とワクワクして続きが読みたくなってしまう作品。たぶん、合衆国沿岸警備隊勤務の経験を活かし、丁寧に書き込んだ船乗りたちの社会や、その生活風景が生きているんだと思う。
 と同時に、これを選んだのは、私の趣味も影響してる。やっぱり明るく読後感が爽やかな話が好きなんだ、私は。
藤井大洋「オービタル・クラウド」早川書房
 Gene Mapper でデビューした新鋭SF作家による、至近未来のテクノ・サスペンス。地球の低軌道を周回する大型の遺棄物の、理屈では説明のつかない異様な軌道の変化をキッカケに、全世界規模で仕掛けられた罠と、それに関わる技術者たちの姿を、ガジェット・社会ともにリアリティたっぷりに描いてゆく。
 実はとってもレビューしにくい作品。というのも、作品のメイン・ディッシュは技術的な仕掛けにあるにも関わらず、お話の進め方がスリラーなので、仕掛けを紹介するとネタバレになってしまうからだ。その仕掛けの多くは、普通に読めば「あ、これは何かの伏線だな」と分かるように書いてある。が、どういう仕掛けなのかが重要で、かつ抜群のリアリティを持つ面白さなのだ。
 と同時に、なぜアメリカが技術の分野でトップを走り続けているのかを、わかりやすく説明してくれる小説でもある。Google・Amazon・Facebook・Twitterなど、世界規模でヒットするサービスを、なぜアメリカばかりが生み出すのか。
 などと小難しい事は一切考えないでも、もちろん文句なしに楽しめる。臨場感がありながら壮大な夢を見せてくれる、今年最高に気持ちのよかった小説。

【ノンフィクション編】

中村明一「倍音 音・ことば・身体の文化誌」春秋社
 ヒトは声を聞いただけで、誰の声か聞き分けられる。最近のカラオケは採点機能なんてのがついてるけど、高得点をあげる人と、聞いて「上手だなあ」と思う歌は違う。それは何が違うのか。音楽の持つ不思議な魅力を、倍音構成をキーとして解剖しつつ、比較文化論にまで発展させてゆく、音楽と科学の楽しさが詰まった一冊。
 「音楽を科学で分析するなんて、無粋なことをするもんだ」と思う人もいるだろう。でもご安心を。この本を読んでから美空ひばりの「川の流れのように」を聴くと、彼女の芸の凄まじさが改めて実感できるから。ホンモノの芸は、タネが割れるとつまらなくなるどころか、逆に凄みが増すのだ。
ジョナサン・ハイト「社会はなぜ左と右にわかれるのか」紀伊國屋書店 高橋洋訳
 一般に保守系の政党は愛国心や秩序を重んじ、リベラルは思いやりや福祉を重視する。2ちゃんねるでは無神論者と宗教信者が罵り合っている。「正しさ」の基準が、なぜ人によってこれほどまで違うのか。なぜ政治信条や宗教が、会話ではタブーなのか。そして、福祉を重視するリベラル系の政治勢力が、その恩恵を受けるはずの貧困層に、なぜ支持されないのか。
 この本のテーマはヒトの倫理観、つかり善悪の基準だ。それをヒトはどうやって決めているのか。多くの実験や統計を通し、この本は唖然とする結論に辿りつく。ヒトは「理性の尻尾を振る直感的な犬」である、と。その上で、なぜこんなにも人により善悪の考え方が違うのか、その原因を探ってゆく。
 無神論者のリベラルが書いた、哲学と倫理と政治に関する本だ。だが、その内容は比較的に中立的だと思う。つまり、保守的な考え方や宗教にも価値がある、という結論である。ただ、その理由は相当にヒネくれていて、それだけにエキサイティングな内容だ。「正義とは何か」に興味があるなら、是非読んで欲しい。
ノーマン・デイヴィス「ワルシャワ蜂起1944」白水社 染谷徹訳
 1944年夏。スターリングラードを境に敗走を続けるドイツ軍と、それを追走するソ連軍は、ポーランドの首都ワルシャワの東にまで迫る。長くナチス・ドイツの支配下にあったポーランド国民は、自らの国と自由を取り戻すために、戦車を擁する強力なドイツ軍に対し、火炎瓶と小銃で立ち上がる。だがそれは、1989年まで続く悲劇の始まりでしかなかった。
 第二次世界大戦において連合国として英国と共に戦い、多くの犠牲を払いながらも、戦後はソビエトの支配下に置かれたポーランドの人びとの、英雄的な戦いと悲劇的な戦後を描く、迫真の戦争ドキュメンタリー。
 この本を読むまで、私はポーランドについて何も知らなかった。第二次世界大戦で、ポーランドは連合国の一員として戦ったのだ。にも関わらず、戦後は東側の一員として組み込まれてしまう。ポーランド人の意思とは関わりなく。
 ナチス・ドイツがバルバロッサ作戦で何を成し遂げようとしていたのか。その実体が、この本を読めば否応なしに飲み込めてくる。日本同様に枢軸側の国であるためか、日本ではあまり悪く言われる事はないだけに、我々日本人が戦慄する事柄を容赦なく描き出してゆく。
 と書くとサヨク的なようだが、とんでもない。特に下巻では、ソ連の狡猾で陰険な手口を、余すことなく描き出してゆく。一時期は国家存亡の危機にまで追いやられたソ連だが、スターリンの強欲さはハンパじゃなかった。
 あの戦争は、どんな戦争だったのか。ドイツとソ連は、何を目論んでいたのか。そして、国家を占領されるとはどういう事なのか。政治家や軍人だけでなく、ワルシャワに住む人びとや、戦闘に参加した将兵、そして戦後を生きぬいた人々の目を通し、生々しく描いた戦争文学の金字塔。

【おわりに】

 …などと書いていたら、ラピエール&コリンズの「パリは燃えているか」をまた読みたくなってきた。パウル・カレルの「彼らは来た」も面白そうだし、アンディ・ウィアーの「火星の人」も私のストライク・ゾーンのド真ん中っぽい。

 SFと軍事物が好きなのは相変わらずだが、今年は倫理学っぽい本に収穫が多かった。昔から乱読気味だったが、最近になって興味を牽かれる分野が更に増え、収拾がつかなくなってきている。まあ計画たてて読んでるわけじゃなし、今後もフラフラと彷徨うんだろうなあ。

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2014年12月26日 (金)

マイケル・ルイス「マネー・ボール 完全版」ハヤカワ文庫NF 中山宥訳

きっかけは、ごく素朴な疑問だった。
《メジャー球団のなかでもきわめて資金力の乏しいオークランド・アスレチックスが、なぜこんなに強いのか?》
  ――まえがき

「なにより難しいのは」とビリーが話し始める。「プライドをしっかり持たないと、あるいはプライドを捨てないと、正しい選択を貫けないことだ」
  ――第2章 メジャーリーガーはどこにいる

【どんな本?】

 かつては将来を嘱望されたメジャーリーグのルーキー、ビリー・ビーン。だが成績はパッとせず、自らの才能に見切りをつけて引退し、オークランド・アスレチックスのアドバンススカウト(対戦相手の視察係)に転進する。ゼネラルマネージャーのサンディ・アルダーソンの下で修行するビーンは、奇妙な書物へと誘われる。

ビル・ジェイムズ著「野球抄」

 やがてジェネラル・マネージャーに昇格したビーン。しかし球団は収支悪化に喘いでいる。有力選手を招き好成績を上げれば観客は増える。だが最近は選手の年棒が急激に上昇した。貧乏球団のアスレチックスに有力選手を招く余裕はない。そこでビーンはかねてからの計画を持ち出し、アスレチックスの大改造を目論む。

 ヤンキースみたいな金満球団とはまったく違う野球で、アスレチックスを強豪へ押し上げてやる。

 弱く貧しい球団が革命的な手法でリーグ上位へと浮かび上がるドラマであり、革命的な手法「サーバーメトリクス」誕生と発展の物語であり、その革命を推し進めるビリー・ビーンをはじめとする革命児たちの群像劇であり、そんな革命に翻弄されるメジャーリーガーやファンたちを描くルポルタージュでもある、傑作ノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は MONEYBALL : The Art of Winning an Unfair Game, by Michael Lewis, 2003/2004。日本語版は2003年3月にランダムハウス講談社から単行本が刊行、20066年3月に武田ランダムハウスジャパンから文庫版を刊行。ハヤカワ文庫の完全版は2013年4月15日発行。

 文庫本で縦一段組み、本文約442頁に加え丸谷才一の解説「思考と生き方のためのマニュアル」6頁+訳者あとがき4頁。9ポイント40字×17行×442頁=約300,560字、400字詰め原稿用紙で約752枚。文庫本としては分厚い部類。

 訳文は比較的にこなれている。内要はデータ野球の話なので、統計と野球の話が中心となる。統計の方は特に難しくない。少し数式も出てくるが、加減乗除だけなので、小学校卒業程度の算数でついていける。稀に回帰分析なんて言葉も出てくるが、「なんか統計の専門的な方法っぽい」程度の理解で問題ない。

 むしろ前提知識が必要なのは野球の知識。野球ファン向けに書いてあるので、ルールはもちろん、打率・打点・防御率などの数字に加え、ドラフト/トレード/フリーエージェントなどの制度についても、「見当がつく」程度には知っている方がいい。メジャーリーグは日本と制度が違うが、日程や指名できる選手数などの細かい違いは本文中に説明がある。

 中盤以降はグランドでのプレイの描写が増えるので、野球に詳しい人、特に「投手は次にどのコースにどんな球種を投げるか」と一球ごとに予想するタイプの人なら、臨場感あふれるドラマを楽しめるだろう。

【構成は?】

  •  まえがき
  • 第1章 才能という名の呪い
  • 第2章 メジャーリーガーはどこにいる
  • 第3章 悟り
  • 第4章 フィールド・オブ・ナンセンス
  • 第5章 ジェレミー・ブラウン狂騒曲
  • 第6章 不公平に打ち克つ科学
  • 第7章 ジオンビーの穴
  • 第8章 ゴロさばき機械
  • 第9章 トレードのからくり
  • 第10章 サブマリナー誕生
  • 第11章 人をあやつる糸
  • 第12章 ひらめきを乗せた船
  •  エピローグ
  •  出版後日談 ベースボール宗教戦争
  •   解説 思考と生き方のためのマニュアル/丸谷才一
  •   訳者あとがき

 基本的には頭から読んだ方がいい。実は私、我慢しきれずアチコチ拾い読みして味見した後、全体を通して読んだんだが、拾い読みした時も楽しく読めた。

【感想は?】

 映画「メジャーリーグ」の、データ野球版。

 様々な要素が、この著作には入っている。一つは、貧乏球団が金満球団相手に勝ち進む爽快なドラマだ。一つは、古い体質の組織を新しい哲学が変えてゆく革命の物語であり、革命をなすまでの群像劇だ。そして、当たり前だが、舞台となるメジャーリーグの内情を報告するレポートでもある。

 野球は幾つかの点で他のスポーツと大きく違う。特に違うのが、細かく記録が残る点だ。投手が一球投げるごとに、スコアラーはストライク・ボールばかりでなく、コースや球種まで記録する。そして、この記録は選手の評価に大きな影響を与える。

 反面、数字に振り回されている部分もある。私のような素人にもわかりやすいのが、打点だ。走者が帰ってくれば、打者に打点がつく。だが走者がいるかいないかで、打点がつくかつかないかが変わる。同じ打者でも、一番打者と四番打者は条件が全く違う。一番は最初の打席じゃ走者がいない。不公平ではないか。

 数字だけじゃない。最終的に評価するのは人間だ。そして人間は感情に左右される。地味に走者を進める二番打者より、派手に本塁打を打つ四番に注目してしまう。監督やコーチに好かれない選手は試合に出られない。選手の年棒は高騰しているにも関わらず、その評価には好き嫌いが大きく影響している。

 こういった所を、本書は見事に暴きだす。主人公ビリー・ビーンは、球界の古い体質が埋もれさせた優れた選手を安く発掘し、安上がりに強いチームを作ろうと目論む。オーナーやマネージャーは、誰だって安く強いチームを作りたいはずだ。だが、現実はそうなっていない。そのスキをついて、のし上がろうというわけだ。

 そこでビリーが採用したのが、サイバー・メトリクス。これの基礎を作ったビル・ジェイムズの「野球抄」の物語が、これまた同人誌をシコシコ作っている作家志望の青年が夢見る物語そのものなんだから笑ってしまう。

 従来、選手の評価に使われていた数字の多くを「ナンセンス」と投げ捨て、全く新しい考えでコツコツと数字をかき集め、自分なりの仮説で解釈・計算し、最初は謄写版(ガリ版)の小冊子として75部を売る。ビルの発想は様々な野球ファンを惹きつけ、年を追うごとに発行部数は増し…。そんなビルを見守る奥様スーザンの目が、これまた笑わせる。

「こんなに熱狂的だとわかっていたら、深く関わるのをよしていたかもしれません」

 わはは。太平洋の向うでも、オタクってのは奥様に理解されない生き物なのだ。なんたって、彼が最初に野球抄を出したのは1977年。当然、パソコンなんか普及していない。大量の雑誌や資料から数字を写し、または自分で数えなおし、電卓か計算尺で膨大な計算をこなしたんだろう。道楽でコレをやるんだから、凄まじい執念である。つくづくオタクってのは。

 やがてパソコンやインターネットが普及し、彼の手法も多くの人びとの手で洗練されてゆく。これが野球とは関係ないオタク連中ばっかりで、やがて球界関係者との軋轢の種となる。

 ビリー・ビーンが、この手法を採用する過程は、組織の変革を描くビジネスのドラマとして面白い。彼の手法は当事の球界にとってあまりに独創的にすぎ、なかなか受け入れられなかった。仮にビリーを幕末の高杉晋作とするなら、実は吉田松陰に該当する先導者もいたのだ…って、すんません、わかりにくい喩えで。好きなんです「世に棲む日日」。

 つまり革命ってのは一夜にして成るものでなく、それなりの理論と舞台と状況が必要である、そういう事です、はい。理論はビル・ジェイムズが創りあげ、舞台はアスレチックスの元ジェネラル・マネージャーのサンディ・アルダーソンが整え、そこにアスレチックスの困窮とビリー・ビーンのジェネラル・マネージャーという状況が整い…

 などの小難しい話とは対照的に、これに振り回される選手たちの物語も、これまた実に楽しく、汗臭い臨場感がたっぷり。

 まずはスコット・ハッテンバーグ(→Wikipedia)。コロラド・ロッキーズの捕手だったが、右腕を壊してしまう。走者を刺せない捕手などお荷物でしかない。放り出される時に、現れた救いの手がオークランド・アスレチックス。ただし、とんでもない条件がついてきた。「ちなみに、きみの守備位置は一塁だから、よろしく」。

 打席に立った彼が、ベテラン投手のジェイミー・モイヤーと対戦する場面は、まさしく狐と狸の化かしあい。

 次にチャド・ブラッドフォード(→Wikipedia)。メジャーじゃ珍しいアンダースローの投手だ。若き日の彼の野球人生は、ちばあきおの漫画「キャプテン」の谷口君そのもので、モデルじゃないかと疑ってしまうぐらいだ。特に彼と父親の関係は、まんまエピソードをパクったんじゃないかと思うぐらいにソックリ。いや時系列的にありえないんだけど。

 だが、アマチュアからプロに至るまで、どの監督にも強い印象を残せず、埋もれていたが…

 そしてジェレミー・ブラウン(→Wikipedia)。アラバマ大学の捕手。ルーキーだ。目立つ成績じゃない上に、なにより体格が悪い。身長175cmなのに体重95kg。彼がドラフトで指名を受ける場面も、小説のようにドラマチック。アスレチックス以外の誰もが、ジェレミーの指名を予想していなかった。なにより本人が指名を信じようとしなかった。

 などの成功譚の他に、アメリカらしいドライな場面も沢山ある。まずベテランのスカウトがバサバサと首を切られてゆく。選手もそうだ。シーズン途中に、容赦なく他球団へトレードしてゆく。すべては安くいい買い物をするためだ。ビリー・ビーンの冷酷な哲学が、ここで露わになってゆく。彼は選手を育てようなどとは思っていない。

「選手を変えることなんてできない。あるがままの姿しか認めない」

 今の成績と年棒、それに現役として活躍できる年数だけを計算し、決断を下す。俺のやり方に合う者を集めろ、それ以外はいらない、というわけだ。ビジネス書として読むと、簡単に解雇できるアメリカだからできる方針だよなあ、と思う。まあ日本でも最近は非正規雇用が増えているから、応用できるかもしれないけど。困った事に。

 サイバーメトリクスが起こす革命の様子も面白かったが、同じぐらいに、それと対比される当事のメジャーリーグの内情も楽しかった。野球は比較的に数字が多く使われるスポーツだが、あまり数字が出ないスポーツだと、この本以上にフロントや監督やコーチ陣が強い影響を与えるのが容易に想像できる。

 貧しく弱いチームが新兵器を用いて強豪に立ち向かう物語として、埋もれていた才能が花開くドラマとして、メジャーリーグを巡る群像劇として、新しい思想が古い仕組みを変える革命の記録として。様々な面白さを含んだ本だが、それでもやっぱりメイン・ディッシュには野球を据えた本だと思う。

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2014年12月24日 (水)

イアン・マクドナルド「旋舞の千年都市 上・下」創元海外SF叢書 下楠昌哉訳

「こいつは迷宮なんだよ。一生をまるまるかけて迷いこめるぐらいのね。セルマに警告されただろうが、わしもまた警告しておこう。人生を――人生のすべてを――蜜人の研究に捧げている人々がいるんだよ」

「…あれは、神聖なる時代だった。神が男たち、女たちに語りかけた時代。ヴィジョンを、驚異を、奇跡と聖人を目にすることができた時代。神はわれわれに語りかけた。喩え話で、預言で、寓話で、詩で。おれたちは、それを失ってしまった。意識が強くなりすぎてしまったんだよ。おれたちは個個の神それぞれに、接続しなおす必要があるんだ」

【どんな本?】

 「火星夜想曲」では未来の火星を幻視し、「サイバラバード・デイズ」では伝統的価値観と野放図なハイテクがせめぎ合うインドを描き出したイギリスのSF・ファンタジイ作家イアン・マクドナルドが、ヨーロッパとアジアが交差する古の都イスタンブールを舞台に、多様な文化と重層的な歴史を含みつつ大きく揺れるトルコの政治状況を背景に、酷暑と混沌の一週間を描き出す、幻想的な長編SF小説。

 キャンベル記念賞・英国SF協会賞・米国図書館協会RUSA賞受賞。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Dervish House, by Ian MacDonald, 2010。日本語版は2014年3月28日初版。単行本ソフトカバー縦2段組で上下巻、本文約317頁+275頁=593頁に加え、訳者あとがき7頁+酉島伝法の解説8頁。9.5ポイント22字×21行×2段×(317頁+275頁)=約547,932字、400字詰め原稿用紙で約1,370枚。文庫本なら2~3冊分の容量。

 日本語は比較的にこなれている。が、幾つかの理由で、読みにくい。凝ったSFガジェットを説明もなしに繰り出すので、スタイリッシュな反面、読者は面食らう。慣れないトルコが舞台なので、人名や地名が覚えにくいし、文化的な事もよくわからない。

 何より重要なのは、歴史と交通の要所である古都イスタンブール。ヨーロッパとアジアの交点であり、黒海と地中海の接点でもあるイスタンブールは、長い歴史の中で多くの政治・軍事・宗教勢力が拠点とし、せめぎ会い奪い合い、また通り過ぎていった。そういった歴史を重ねつつ多くの民族・文化が混在する都市なので、物語中のちょっとしたエピソードにも、歴史や政治的な背景事情が潜んでいる。

 というと悪口のようだが、逆にソレこそがイアン・マクドナルドの、そしてこの作品の魅力でもある。世界史の壮大なスケールを感じさせると共に、アジア・ヨーロッパのいずれから見ても異国の匂いが立ち込める作品だ。

【どんな話?】

 2027年。トルコは念願のEU参加を果たした。熱い五月の月曜日、イスタンブール。通学・通勤客を乗せた朝のトラムで、若い女が自爆テロを起こす。通勤中にトラムに乗り合わせたネジュデット・ハスギュレルは、運悪くテロに巻き込まれてしまう。サツの厄介になるのはマズい。なんとか現場を逃げ出したが、困った後遺症に悩まされる。

 9歳のハイテク・オタク少年ジャン・デュルカンは、自分のビットボットで自宅の周辺を監視している。今は猿の姿だ。テロの爆音を聞いた後、不審なロボットを見つけた。テロの現場周辺を熱心に映している。

 その客が落ち込んだ版画はガラクタだった。だが真鍮製のミニチュア・コーランは拾い物だ。アイシェ・エルコチェが現金二百ユーロで手を打つ。次の客ハイダル・エクギュンは、とんでもない爆弾を持ち込んだ。「百万ユーロ、お支払いしましょう」「わたくしは、蜜人を買いたいのです」

【感想は?】

 「サイバラバード・デイズ」に続く、異郷を舞台とした幻想的なSF長編。

 サイバラバード・デイズは、インドの伝統的な文化や社会構造に、地域紛争とハイテクと熾烈な自由競争を投げ込み、SFともファンタンジイともつかない、彼独特の味を感じさせる作品だった。

 独特の味という意味では、この作品も似ている。背景はEU参加を果たした近未来のトルコ。グローバル経済とナノテクが押し寄せるのに対し、ムスリムとしてのトルコ人のアイデンティティを守ろうとする勢力も活性化している古都イスタンブール。

 主な登場人物は6人。テロに巻き込まれた青年ネジュデット・ハスギュレル。ハイテク・オタクの覗き屋小僧ジャン・デュルカン。老いて引退したギリシャ系の経済学者ゲオルギオス・フェレンティヌ。オゼル物産ガスの野望溢れるトレーダーのアドナン・サリオーリュ。アドナンの妻で細密画に魅せられ画廊を営むアイシェ・エルコチュ。田舎出の娘で就活中のレイラ・ギュルタシュリ。

 この6人が、奇妙な自爆テロを発端に、古都イスタンブールの中でひっかきまわされる群像劇である。

 が、なんといっても、この作品の主人公は、都市の女王イスタンブールだろう。

 歴史がある点ではわが日本の京都も負けちゃいないが、ダイナミズムが違う。京都は一貫して日本の中心地だったのに対し、イスタンブールには幾つもの文化が流れ込み、通り過ぎ、居座り…そしてそのすべてを、飲み込んできた。ボスポラス海峡を挟んでヨーロッパとアジアにまたがる都市であり、黒海とエーゲ海/地中海に面する要所だ。

 それだけに、ここには様々な時代と文化の置き土産が残っており、厚い地層をなしている。それはこの物語の登場人物も同じで、様々な文化背景を持つ人々が出てくる。

 最も判りやすいのが、田舎から出てきたレイラ・ギュルタシュリだろう。田舎で埋もれるのが嫌で都会に出てきた若い娘。だがイスタンブールでも、トルコ流の家族主義に絡みとられ、今は一族の大おばゼリハの厄介になっている身分。都会のドライな生活に憧れつつも、一族の絆はなかなか切れない。彼女は伝統的なトルコから、近未来のトルコへの橋を渡ってゆく人物だ。

 レイラが反感を持ちつつも、恐らくは彼女が目指す所にいるのが、トレーダーのアドナン・サリオーリュ。生き馬の目を抜く天然ガスの取引の世界で、ナノテク・ドラッグの力を借りて得た直感力を駆使し、一瞬の市場のギャップを感知して利ざやを稼ぐ男。近未来のトルコの先端を走る人物である。

 生まれながらにトルコの先端にいるのが、9歳の覗き屋小僧ジャン・デュルカン。心臓の障害のため激しい運動はできないが、自ら改造したビットボットを駆使して自宅のあるアダム・デデ広場周辺を冒険して回っている。今の日本なら、妖怪ウォッチに親しむデジタル・ネイティブ世代の少年か。

 そんな自由主義とハイテクに流されてゆくトルコに対し、伝統的なイスラムを復活させようと目論む若者が、ネジュデット・ハスギュレル…ではなく、彼の兄で教団を組織するイスメット・ハスギュレル。イスラム原理主義に傾倒する現代の若者を、少し連想させる存在だ。

 伝統を愛する点はイスメットと同じだが、より知的で自然で穏健なのがアイシェ・エルコチュ。画廊を営むだけあって、古くからの国際都市イスタンブールの歴史と文化に深く通じている。彼女の目を通して見るイスタンブールの町並みは、歴史のモザイクそのものだ。しかも、重層的な。秘密の教団や都市に隠されたパズルなど、スケールの大きい伝奇ミステリの味がする。

 そして、現代トルコの問題を象徴するのが、ギリシャ系の老経済学者ゲオルギオス・フェレンティヌ。今は広場の喫茶店でのんびり老人仲間と茶をすする毎日だが、かつては…。 今でも睨みあうトルコとギリシャ、世俗的な軍と反動的な政府、クルドやアルメニアなどの民族問題、そしてEU加盟の条件となる人権の懸念など、現代トルコが抱える問題が彼を通して見えてくる。

 物語を駆動するのは、ネジュデットが巻き込まれる自爆テロと、アイシェが追う蜜人だ。テロはなかなか姿が見えないが、蜜人を追う過程は伝奇物としても面白い。なにせ東西南北の交点イスタンブールである。ブツと、それを巡る関係者、そしてまつわるケッタイな伝説が、大きなスケールで展開されてゆく。

 EU参加を目指し現代化を目指す動きと、エルドアン大統領を頂点とする伝統回帰が衝突している現代のトルコだが、この小説を読むと、「結局、なんとかなるんじゃね?」と思えてくる。いままでだって、イスタンブールは激しい衝突の舞台になったけれど、すべてを飲み込み君臨してきたのだから。

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2014年12月21日 (日)

ピーター・J・ベントリー「家庭の科学」新潮文庫 三枝小夜子訳

 科学に背を向けることは、好奇心の扉を閉ざし、「なぜ?」と問いかけるのをやめることを意味する。科学は、私たちが周囲の世界を理解する最善の方法である。科学とは、機械でも技術でもなく、「私は、十分な証拠によってその正しさが裏付けられたことしか信じない」と主張する人間が用いる、単純でシニカルな方法にすぎない。

長い髪にチューインガムの塊がついてしまった場合には、氷で冷やして割るのが最も簡単である。頭皮に近いところについてしまった場合、後頭部についてしまって手が届かない場合、あるいは、ガムの上に座ってしまい、衣服の繊維の間に入り込んでしまった場合には、油か、油を含む製品を使ってガムを溶かせば、すぐに取り除くことができる。
  ――9:30 べとべと チューインガムが髪にくっつく

【どんな本?】

 なぜシャンプーや石鹸はすべりやすいんだろう? なぜ禿げるんだろう? 牛乳を長く放置しておくと腐る。だがチーズやヨーグルトも牛乳を発酵させたものだ。何が違うんだろう? 瓶の口から指が抜けなくなったら、どうすればいい? 火傷のあとにできる水ぶくれはほっとくべきか、やぶるべきか?

 私たちの生活の中で、よくあるトラブルを発端に、その原理や仕組みを科学の目でわかりやすく説明すると共に、髪にこびりついたガムの取り方や、ミツバチに刺された時の適切な対応など、ちょっとした生活の知恵も身につく、一般向けの楽しくわかりやすく役に立つ、科学化解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Undercover Scientist : Investigating the Mishaps of Everyday Life, by Peter J. Bentley, 2008。日本語版は2010年5月に新潮社より「不運の方程式」で単行本を発行。2014年2月1日、新潮文庫より改題して文庫化。文庫本縦一段組みで本文約423頁+訳者あとがき5頁。9ポイント38字×16行×423頁=約257,184字、400字詰め原稿用紙で約643枚。標準的な長編小説の分量。

翻訳物のノンフィクションの中では、文章はかなりこなれている。科学といっても数式や分子式も出てこないので、特に身構える必要もない。中学校卒業程度の理科の素養があれば、充分に読みこなせる。

【構成は?】

 「ある独身男性月給取りのツイてない一日」という一応のストーリーはあるが、特に気にする必要はない。それぞれの章は独立しているので、気になった部分だけを拾い読みしても充分に楽しめる。

  •  プロローグ
  • 7:00 夢かうつつか 目覚まし時計が鳴ったのに寝過ごす
  • 7:10 水と油の仲をとりもつ シャンプーですべって転ぶ
  • 7:20 切れ味鋭く カミソリで頬を傷つける
  • 7:45 黒い煙 トースターで焼いたパンを焦がす
  • 8:00 過熱 電子レンジで過熱した水が爆発
  • 8:10 発酵と腐敗の間 牛乳が傷んでいた
  • 8:20 水に落ちたらおしまい? MP3プレーヤーを水浸しにする
  • 8:30 鳥が落としていったもの 鳥の糞に直撃される
  • 8:45 思い出せない! かばんを置き忘れる
  • 8:55 空転 車がスリップする
  • 9:10 ちゃんぽんは危険 ガソリンと間違えて軽油を入れる
  • 9:20 七転び八起き 全力疾走をしてつまずく
  • 9:30 べとべと チューインガムが髪にくっつく
  • 9:40 雨に濡れても にわか雨に降られて濡れねずみになる
  • 9:50 ここはどこ? 道に迷う
  • 10:05 ハチの一刺し ミツバチに刺される
  • 10:15 接着 瞬間接着剤で指をくっつける
  • 10:45 ショックをやわらげる エア入りスニーカーがパンク
  • 10:55 剣よりも強く ボールペンのインクが漏れる
  • 11:05 視れども見えず 人違いをする
  • 11:15 組織の力 ワイシャツの袖を破く
  • 11:35 スパム、スパム、スパム! ウイルスメールを開く
  • 13:00 進退きわまる 瓶の口に入れた指が抜けなくなる
  • 13:30 失われた記憶 ハードディスクが故障する
  • 14:40 骨折り損 指の骨を折る
  • 17:50 腑に落ちない 鍵を溝に落とす
  • 18:10 筋を違える 重いものを持ち上げようとして筋肉を傷める
  • 18:20 火花を散らす 電子レンジに入れた食器から火花が出る
  • 18:30 とどめの一撃 グラスを割る
  • 18:40 消えないしみ 敷物にワインをこぼす
  • 19:00 激辛 トウガラシを刻んだ手で目に触れてしまう
  • 19:15 食べても大丈夫? 床に落として汚れた食べ物を食べてしまう
  • 19:40 雷に打たれたような 落雷でテレビが壊れる
  • 20:15 お熱いのがお好き ホットチョコレートをこぼしてやけどする
  • 20:45 とぎれとぎれの言葉 CDに傷をつける
  • 21:00 歯が立たない 歯が折れる
  • 21:45 あとから痛くなる 爪先をぶつけて痛い思いをする
  • 22:00 ユリーカ! 浴槽の水をあふれさせる
  •  謝辞/訳者あとがき

【感想は?】

 書名どおり、身近な事柄を取り上げた本なので、親しみやすさは抜群。

 目次を見ればわかるように、主人公は次から次へと不幸に見舞われる。目覚まし時計が鳴ったのに寝過ごし、シャンプーにすべって転び、ヒゲを剃れば傷がつき、朝メシのトーストは焦げ…

 色々と大変だが、出てくる事柄は、多くの人にも経験のある事柄だ。それだけに身近で親近感が湧き、本の内容に入っていきやすい。「科学は難しい理屈ばかり出てきて頭が痛くなる」というタイプの人にも、とっつきやすい仕掛けだろう。

 最初の方で感心したのは、「8:00 過熱 電子レンジで過熱した水が爆発」。主人公は、暖かい紅茶を淹れようと、マグカップに水を注いで電子レンジに入れ沸騰させる。アラームが鳴ってカップを取り出し、ティーバッグを入れたら、突然ボコボコとカップの中の湯が泡を噴き出し…。「突沸」と呼ばれる現象だ。

 やかんや鍋でお湯を沸かす時は、中で対流が起きるし、鍋の底などで泡ができる。だが電子レンジはカップ内の水をまんべんなく加熱するので、対流が起きない。またカップの壁がなめらかだと、泡が作れない。そのためカップ内の熱湯全体が、沸点以上の温度になりながら、液体のまま熱くなってゆく。

 そこにデコボコの多いデイーバッグを入れると、沸騰できなかったお湯が、デコボコの付近で一気に気化して泡を作り、ドカンとなる。私も似たような失敗を何度も仕出かしているので、この章は興味深かった。そういえば、中学校の理科の実験で沸騰石(→Wikipedia)というのを習ったような。

 電子レンジは科学者にとっても興味深いガジェットのようで、「18:20 火花を散らす 電子レンジに入れた食器から火花が出る」でも再登場し、こちらでは電子レンジの原理から歴史に至るまで、精しい説明がある。

 ここで意外なのが、実は軍用のレーダーと同じ理屈だってこと。つまりはマイクロ波を出す装置マグネトロンが元なのだ。マイクロ波を空に撒いて反射を拾えば航空監視レーダー、箱の中に閉じ込めれば電子レンジになる。しかも、電子レンジ発明のきっかけが、偶然なのが楽しい。

 時は第二次世界大戦。防空レーダーの開発は急務だ。英国からマグネトロンの設計を譲られた米国は、MITにを通し企業レイセオンに、マグネトロンの電力増幅管の大量生産方法を開発委託する。その主任技術者の一人、パーシー・スペンサー(→Wikpedia)は、作業中にポケットの中のキャンディーが溶けているのに気づく。

これがマグネトロンから発生するマイクロ波のしわざであることを突き止めた彼は、ビームを直接あてることでポップコーンをつくれることを確認した。さらに、このビームを容器中に導くことで、卵を料理できることも発見した。

 戦争中にナニやっとんじゃw

 などのトリビアと同時に、役に立つ生活の知恵も拾えるから便利だ。あなた、電子レンジで冷凍食品を解凍して、マダラに解凍しちゃう事がありませんか。私はあります。右端は熱くなってるのに、左の方は凍ったまま、とか。これにはちゃんと原因があって。

 なんと、電子レンジは水を温めるけど、氷は温めないのだ。知らなかった。だから凍ってる所は溶けない。けど、氷の中に少し水が混じってると、その水が温まって、周囲の氷を溶かす。そんなわけで、この問題には、ちゃんと解決法がある。しかも、とても単純で簡単な方法が。

 この問題を解決するためには、断続的に過熱すればよい。少し過熱したらスイッチを切って数秒待ち、温まってきた部分が高温になりすぎないうちに周囲に熱を分け与えるようにしていくのだ。

 …と思ったら、最近の電子レンジは賢くて「解凍モード」もあるのね。日本の家電は侮れない。

 他にも「禿げてしまった人でも、毛包は完全に残っている。ただ、うまく働かないのである」なんて希望に溢れたネタもあったりして、オジサンは嬉しいぞ。まだ希望はあるんだ。

 ちなみに火傷跡の水ぶくれは藪かない方がいいとか。あれは免疫細胞により細菌から身を守ると同時に、下にある基底層の増殖を促して回復を早める働きがあるそうです。

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2014年12月18日 (木)

「契約 鈴木いづみSF全集」文遊社

 目ざめると、彼のからだは女になっていた。(もう、そんな時期か)と彼はかんがえた。
  ――わるい夢

『先生、ぼくは、ちょっとまえまでは、モラトリアム人間だったんです。いまは、シゾイド人間になりました。で、このつぎ、なにになったらいいのか、悩んでいるんです。先生、はやく、つぎの本売りだしてください。ベスト・セラーじゃなきゃこまります』
  ――なぜか、アップ・サイド・ダウン

「だいじょうぶ。世界はなくならないよ。いやだっていったって、うんざりするほどつづくんだ」
  ――想い出のシーサイド・クラブ

【どんな本?】

 俳優から作家となり、1975年から1980年代前半にかけ活躍し夭折した、鈴木いづみの短編SF小説を全て集めた作品集。むきだしの神経を晒しながら、自らの脳内の思考を赤裸々に語るその独特の作風は他者の追随を赦さず、今なお熱心な読者に支持されている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年7月10日初版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約633頁+大森望の解説15頁。9ポイント48字×25行×633頁=約759,600字、400字詰め原稿用紙で約1,899枚。文庫本なら4冊になってもいいぐらいの大容量。

 かなりクセの強い文章だが、会話が多く、比較的にとっつきやすい。SFとはいっても小難しい理屈はでてこないので、理科が苦手な人でも安心していい。それより、重要なのは1960年代後半~1980年代前半の流行物。ポップ・ミュージック,ファッション,サブカルチャー,テレビ番組などの名前が頻繁に出てくるので、若い人はついていけないかも。特に影響が大きいのがGSことグループ・サウンズで、著者はゴールデン・カップスがご贔屓の模様。

【収録作】

悪意がいっぱい/歩く人/もうなにもかも/悲しきカンガルー/静かな生活/魔女見習い/あまいお話/離婚裁判/わるい夢/涙のヒットパレード/わすれた/朝日のようにさわやかに/わすれない/女と女の世の中/アイは死を越えない/悪魔になれない/タイトル・マッチ/契約/水の記憶/煙が目にしみる/ラブ・オブ・スピード/なぜか、アップ・サイド・ダウン/ペパーミント・ラブストーリィ/ユー・メイ・ドリーム/夜のピクニック/カラッポがいっぱいの世界/なんと、恋のサイケデリック!/想い出のシーサイド・クラブ/ぜったい退屈

【感想は?】

 今なら「厨二病」の一言で済んでしまうかもしれない。

 グループ・サウンズ全盛期の風俗を、過剰なまでに詰め込みつつ、GSを追っかけていた若い女性の目で、あの頃を必死に走っていた者たちの姿を、冷酷に描き出してゆく。

 GSというのがキモで。ロックとは少し雰囲気が違い、もちょい歌謡曲より。今のように Youtube なんて便利なモノはないから、英米のロック・シーンの音はなかなか入ってこない。ってんで、エレキ抱えてバンドを組んだはいいが、何やっていいか分からない。とりあえず自分が知ってる歌謡曲をエレキでアレンジしてやってた、そんなイカガワシサがある。

 あ、もちろん、そこそこ見栄えのいい人じゃないと勤まらないわけで、ある意味ヴィジュアル系なのかも。当然、ファッション・センスは今と全然違うけど。

 そういうニセモノ臭さを認めつつ、その上で「いいじゃん、どうせ全部ニセモノなんだから」と開き直ってしまった、そういう醒めた態度でキッチュな衣を纏いつつ、衣の中にあるドロドロしたものを原稿用紙に吐き出したような、ちょっと(いやかなり)イタい作品が多い。

 今もSFの世界は男が多く、昔はもっと男ばかりだった。その中で彼女は、過剰なまでに女の目で作品を書いている。意図してそうしているのではなく、たぶん彼女はこの芸風しかできないんだと思う。それでいい。何を書いても鈴木いづみになる、それこそが彼女の価値なのだから。

 なにせ、出てくる男が全部ダメ男なのだ。女にだらしなく、結婚していようがいまいが、アチコチの女に手を出しまくる。ロクに仕事もせず、嫁にたかってばかり。つまりはヒモなのに、口喧嘩の末に嫁を殴って出て行く。なんでこんな男にくっついてるのかわからんが、昔から男と女はそういうもんらしい。

 収録作は、ほぼ発表順に並んでいる。初期の作品はソレナリにお行儀良くSF作家を演じていたっぽく、「星新一をお手本にしました」的に奇妙なアイデアの小品が多い。大半の作品が女性視点なのに、「悲しきカンガルー」や「静かな生活」では男を主人公にしたり。しかも、短編小説としても綺麗にまとまっている。

 彼女が本性を表し始めたのが、「わすれた」からの中盤以降。「わすれた」はエイリアンの男と地球人の女の話だが、ここで「科学的に云々」とか小難しい事は言っちゃいけない。その続編であろう「わすれない」では、生きている事の息苦しさを巧く表現している。

「真夜中になると、ひとがいっぱいでてくるの。(略)盛り場には、大群衆があふれている」
「なんで、ひとがでてくるの?」
「おもしろいこと、さがしてるんだろう。みんながみんな、そうなんだ。それで、音楽きいたり、おどったり、ひとにあったり、酒のんだりする」

 そういった事柄を、過剰なまでに当事の風俗を織り込んで描く彼女の作風が、見事に出ているのが「なんと、恋のサイケデリック!」。あくまで60年代末期のポップ・カルチャーを足場としつつ、80年代初期までの流行を、音楽とファッションを中心に描き出しつつ、無茶苦茶な仕掛けでオチに引きずり込む。

 ああ、あったなあ、テニス・ラケットを抱えてればお洒落な時代が。古着屋が流行った時代もあった。舟木一夫,フランク永井,ジャガーズ,ローリング・ストーンズ,ゴールデン・カップス,マヒナスターズ,オックス,ルースターズ,モッズなんて名前が次々と出て来て、好きな人は「うひゃ~」となってしまう。

「結局、日本にロックは決して根づかないんだろうか」

 には赤面したね、あたしゃ。いや似たような事を吐いた経験があって。と思ったら、次の場面では予想も出来ない展開になって。なんでこんな事をえるのやら。

 前半から漂っていた絶望感が、終盤になるとヤケになったような明るい雰囲気に変わってくる。これは絶望の果てに辿りついた達観なのかもしれない。どうせ何もない、なら好きなように生きていこう、といった感じの。空虚である事を充分に知っていて、その上で明るく振舞うしかない、どうせ上っ面だけなんだから。

 特に中盤以降の徹底して主観的な物語は、山尾悠子やアンナ・カヴァンを思わせる。と同時に、時代風俗を取り入れつつ皮膚がヒリつく感覚は、岡崎京子に受け継がれていったと思う。

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2014年12月15日 (月)

フローラ・ルイス「ヨーロッパ 統合への道 改訂増補 上・下」河出書房新社 友田錫訳 3

 東ヨーロッパという概念は現代政治の概念であって、決して地理的なものではない。昔の東西の分裂は、ローマとビザンツの間の分裂だった。
  ――第二部 東ヨーロッパ

 チャウシェスクは小男だったが、ほとんどそれとわからなかった。というのは、写真を撮らせるときには、子どもたちの真ん中にいるようにしたり、台の上に立って周囲の人よりも背が高く見えるように工夫したからだ。
  ――第26章 ルーマニア 消えた光

ヨーロッパ統合という考え方はつねに政治的な発想から出てきたが、実際にこれを前進させることになったのは経済上の関心だった。
  ――第三部 機構としてのヨーロッパ――欧州連合(EU

 フローラ・ルイス「ヨーロッパ 統合への道 改訂増補 上・下」河出書房新社 友田錫訳 2 から続く。

【どんな本?】

 EEC → EC → EU と統合の度を深め、また参加国も順調に拡大しつつあるヨーロッパ。それを構成する・または隣接する各国は、それぞれ現在どんな状況にあるのか。どんな地域があり、どんな民族がいて、どんな歴史を歩んできたのか。どんな国民性で、どんな産業が盛んで、どんな問題を抱えているのか。

 陸続きであり、歴史的に見れば国境も錯綜しているヨーロッパの各国を、EU統合という軸で眺めつつ、歴史・文化・民族構成・産業・政情など様々な視点で紹介する、一般向けの教養書。

【小国の利点 ベルギー・ルクセンブルク・スイス】

 普通はオランダとベルギーとルクセンブルクを一緒にするんだが、前の記事に書いたように、オランダの政治情勢は北欧に近い。対して、この三国は小国である事を巧く利用している。

 ベルギーはフランス語圏とフラマン語圏で深刻な対立がある。確かロンドンとパリを舞台にしたF.W.クロフツの本格派推理小説「」にもベルギーが出てきたが、フランス語で通していた。ベルギーが小国の利を攫ったわかりやすい例は、EUの本部がブリュッセルにある点だ。

 ドイツ・フランス・イギリスなどの大国のどこに置いても、大きな軋轢をひき起こす。小国であり、かつ通信設備が充実してなきゃいけない。地理的な問題もあり、ブリュッセルに決まったとか。ついでにNATO の本部もブリュッセルなので、いわば「ヨーロッパの首都」の地位を獲得した。はいいが…

ベルギー政府はやっかいな儀典上の問題を抱えることになった。というのは、多くの国が三人の大使をここに派遣しているからだ。一人はECに派遣された大使、一人はNATOへの大使、そしてトーテムポールの一番下にいるのはベルギー政府に派遣された大使である。

 ルクセンブルクも小さい国だが、国民は豊か。「一人当たりの家庭の電気消費量はヨーロッパでも最高だ」。1970年で国民の96.9%がカトリックだが、「根っからのリベラルな国だ」。スイス同様に金融業が発達している。面白いのが、電波商売。

…寛大な態度をとっているので、ヨーロッパのラジオ、テレビのセンターになった。電波は主として、最近までコマーシャルを国家統制の下においていたフランス向けだ。

 あの辺は国境が錯綜しているので、隣国の番組も楽しめるわけ。欧州で言論の自由が発達したのは、こんな事情も絡んでいるのかも。抑えたところで、隣国から話が漏れるので無駄なのだ。

 スイスも意図的に小国であろうとしている。ルクセンブルク同様、銀行で有名な国だ。かつては国際連盟の本部があったし、今も国際連合関係の施設が多い。これも中立の小国という立場によるものだろう。

 この国で何かニュースがあるとすれば、ほとんどといってよいほど何かの重要な国際会議とか、外国人に関係するスキャンダルとかだ。スイス情勢なるものに注意を払うものは滅多にいないし、事実、注意をそそられるようなものも滅多にない。

 酷い言い方に思えるが、これはスイス人がそう仕向けている部分がある。国民投票もスイスの有名な制度だが、「女性があらゆる選挙で投票できるようになったのはごく最近のことで、1989年のことである」「スイスはヨーロッパで最も保守的な国」らしい。

 つまりスイスの本性はホテル業だ。ここには多くのガイジンが来るが、スイス人から見たら、それは全て「お客さん」なのである。あくまでビジネス上の付き合いで、スイス国内のことに口出ししない限りは快適に過ごせるし、そうするように仕向けている。中立ったって、徴兵制ありの武装中立だし。

【東ヨーロッパ】

 全般に東ヨーロッパの章は、悲劇の色合いが濃い。第二次世界大戦後、ソ連に飲み込まれた地域だからだ。例えばポーランドは、連合国側として戦ったにも関わらず、東側に組み込まれてしまった。「いまの若いポーランド人には、アメリカとイギリスがヤルタで『(ポーランドを)裏切った』と非難する傾向がある」。

 これは他の東欧諸国も似たようなもので。例えばチェコとスロヴァキア。1945年5月5日、撤退するドイツ軍に対し市民が蜂起する。パットン率いるアメリカ第三軍はプラハから64kmの所にいたが、アイゼンハワーに止められた。スターリンと決めた線まで撤退しろ、と。1968年の「プラハの春(→Wikipedia)」も、西側は口先だけで何もしなかった。

 バルカン半島や黒海周辺は、歴史の動きが目まぐるしく、住む人も入り組んでいる。ギリシャ・トルコ・オーストリア・ロシアと近隣の大国に蹂躙されるばかりでなく、各国同士でも争いあった歴史がある。その結晶がユーゴスラヴィアの内戦だろう。どこも第二次大戦後、内戦や粛清が荒れ狂っている。

 とまれ適応の巧い下手はあるようで。比較的に巧くやったのがハンガリー。ソ連の傀儡と見られていたヤノシュ・カダール(→Wikipedia)だが、見事に出し抜いて西側と貿易を始める。表向きは集団農場を維持しながら…

農民に小区画の個人営農地をもつことを認めて、そこでとれる農産物を自家消費ばかりでなく街でも売れるようにした。また、集団時農場のノルマを達成した農民には、個人の農地で集団農場の機械や設備を使うことも許可した。(略)集団農場にも加工工場その他の小さな工場を建設し、集団農場に大幅な経営の裁量を与えたことだった。

 ここまで来ると、集団農場というより農協だね。1989年の東欧崩壊のきっかけを創った国だけのことはある。

 対して今でも火種がくすぶっているユーゴスラヴィア。チトーがガッチリ抑えているうちは強引な方法も通じたが、元々が独立心旺盛な地域。例えばドリナ川の両岸の町ズヴォルニクとマリ・ズヴォルニク。町の人は橋を自由に往来したが、「郵便配達夫だけは通らない」。

ズヴォルニクはボスニア自治州の町で、マリ・ズヴォルニクはセルビア共和国の町だった。この二つの地域の間には郵便費用の分担に関する協定ができていないので、郵便物はいったん連邦首都のベオグラードを経由しなければならなかったのだ。

 実は似たような話がイタリアにも出て来て。イタリアの郵便制度が信用できないため、企業は自分たちで流通網を作り上げたとか。これが資本主義国なら、宅急便の企業を立ち上げることも出来るんだけど、共産主義じゃ起業もままならないしなあ。

【終わりに】

 原書の刊行が2001年と、現代の情勢を描く本にしてはやや古いのが欠点だが、ジャーナリストが書いた本だけあって、文章は読みやすいし、内容もわかりやすい。ハードカバーで一見威圧的に見えるが、内容は思ったより親しみやすい。最初の記事でアイルランドばかりを書いたのも、そのせいだ。欧州各国の事情と気質を知るには便利だし、欧州を旅行するなら読んでおいて損はない。

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2014年12月14日 (日)

フローラ・ルイス「ヨーロッパ 統合への道 改訂増補 上・下」河出書房新社 友田錫訳 2

 1870年のコミューンの反乱からおよそ百年間、この街には市長がいなかった。というのは、政府がパリ市民を信用しなかったからだ。パリ市民に街の責任をもたせると、国家に反抗するのではないかと恐れたのである。
  ――第4章 フランス 君臨する知識人

ジャーナリストのモンタネッリはこういっている。「私の祖父は、『啓蒙的リベラル』と自称していた男だが、死にぎわに息子と孫にいい残したのは、『まっとうな男は、売春宿には行っても、銀行には絶対に行くな』ということばだった」
  ――第8章 イタリア テロへの勝利

 北方に住む人びとは、いまでこそ、いちばん声高に平和と軍縮の運動をしているが、何千年もの間、槍と刀を振り回して生きてきた民族である。彼らは戦いを習いとする戦士だった。
  ――第10章 スカンジナヴィア 北を手なずけた人びと 

フローラ・ルイス「ヨーロッパ 統合への道 改訂増補 上・下」河出書房新社 友田錫訳 1 から続く。

 前回は興奮してアイルランドの話ばかりになってしまった。今回は少し冷静に全体的な話から始めよう。

【全般】

 副書名に「統合への道」とある。それが示すように、EU 統合を軸とした本だ。一時期は「巨大市場が生まれる」と持ち上げられ、また「アメリカに対抗して勃興する大経済圏」と恐れられた。事実、そういった方向を目指して出発した動きではあるが、現実の動きはかなり穏やかなものに留まっている。

 と同時に、実は多少物騒で切実な目的も持ってる由を、この本は明らかにする。安全保障である。20世紀において、第一次世界大戦・第二次世界大戦と大きな戦争が荒れ狂った。太平洋戦争の日本も悲惨だったが、ヨーロッパはもっと悲惨である。大半の国が戦場となったのだから。

 それを軍事的に防ぐ試みが NATO であり、政治・経済的に防ぐ仕組みが EU なのだ。

 そんなわけで、単純にヨーロッパ諸国を紹介するだけの本ではない。各国について、それぞれの歴史と国情を紹介した上で、それぞれが EU に対して持つ感情と利害を描いてゆく。これは、特にドイツの項で詳しく出てくるし、またスカンジナヴィア諸国でも、安全保障が各国の立場に大きな影響を与えている。

【各章の構成】

 それぞれの章は、まず各国の現在の風景から始まる。どんな国か、現在はどんな産業が盛んで、どんな社会問題があり、どんな政治情勢か。その後、各国の成り立ちから歴史を語ってゆく。上巻では西の国が多いためか、ローマ帝国の影響が強い。これが東欧だとオスマン帝国の支配が大きな影となっている。

 この辺は西洋史に精しい人ほど楽しめるところだろう。大半の国が、今でこそ一つの国だが、かつては様々な国に属していたり、言葉が違っていたり。地続きなだけあって、民族や文化の構成も複雑なのがわかる。

 残念ながら私は西洋史が苦手なので、中盤はよく判らなかった。これが20世紀に入り、第一次世界大戦~第二次世界大戦~現代へと近づくに連れ、だんだんと面白くなってくる。やはり知っている人物や事件が出てくると、この手の本は楽しみが増す。その後、再び現代へと戻り、未来を展望して章が終わる。

【統合への道】

 EU という枠組みで見ると、大きく分けて三つの立場があるだろう。最も EU 統合に熱心なのがドイツだ。明らかに大国でありながら、EU に熱心なのか? 第二に、慎重な姿勢のフランスとイギリス。これも大国であり、自国の権益と独自性を守るためと考えれば納得がいく。そして第三が「その他」で、主に経済的利益を求め EU 統合に賛同している。

【ドイツの場合】

 なぜドイツが最も熱心なのか? 余計なお荷物を背負い込むだけではないのか? これには、主に二つの理由がある。軍事・外交的な理由と、内政的な理由だ。

 軍事・外交的な理由はわかりやすい。二度の世界大戦で、ドイツはヨーロッパを席巻した。そのため、周辺国から恐れられている。特にフランスの警戒感が強い。昔の戦争映画だと、ドイツは悪役だった。この印象を良くするには、ヨーロッパの一員という立場にドイツを置くのがいい。南北戦争で負けたテキサスが、アメリカの州の一つとして認識されるように。

 もう一つの内政的な理由も、実は似たようなものだ。歴史的にフォイツという国が成立するのは遅かった。それまで小国が乱立していたのだ。そのため、今でも地方のお国意識が強い。これに拍車をかけるのが、東ドイツの統合である。積極的な投資など努力はしているが、今でも格差は残る。放置しておけば、国が分解しかねない。

 そこで EU である。ドイツ国家の権威に加え、EU の権威も加え、国家の分解を防ごうとしているのだ。安泰に見えるドイツも、歴史が作り出した事情には苦労している模様。

【憂鬱な南欧】

 改めて見ると、スペイン・ポルトガル・イタリア・ギリシャなどの南欧は、二つの共通点がある。一つは民間が政府を信用していないこと、もう一つは今まで専制的な政府が支配していたこと。わかりやすいのがスペインで、ファシストと共産党で内戦となり、ファシストが勝った。ポルトガルも少し前まで静かなファシズムの国だった。

 イタリアは「赤い旅団」のテロが荒れ狂い、またマフィアなしでは何も動かない。ここで笑ったのが、ムッソリーニ。

彼がマフィアをほぼ絶滅させ、たくさんのマフィアを構成員を投獄したのは、実に歴史の気まぐれといえる。ムッソリーニは自由選挙を行なわなかったので、マフィアの集票力を利用する必要がなかったのだ。

 ギリシャでも第二次世界大戦後は共産党が台頭した。「枢軸国に対して強い民族主義的な態度をとった」からだ。だが戦後も、亡命していた国王政権との内戦が1949年まで続く。今でもキプロスでのトルコとの軋轢や、なかなか発展しない経済など、EU 内の問題児だ。

 どうも南の国は、政治的に極端な姿勢の勢力が力を持ちやすく、保守的で汚職がはびこりやすいみたいだ。

【社会主義の北欧】

 一版に北欧と言えばノルウェー・スウェーデン・フィインランド・デンマークだが、政治的にはオランダも似ている。いずれも「大きな政府」を目指す社会主義的な政府で、国民はそこそこ満足している。デンマークでは…

社民党にとっての最大の頭痛の種は、国内ではもう直すべき悪いところがなくなってしまったということだ。これは多かれ少なかれ、スウェーデンでもノルウェーでも同じである。

 オランダも似たようなもので…

急進的な週刊誌、「フリー・ネーデルランド(自由ネーデルランド)」の若い編集長フランツ・ピータースは、こうぼやいたものだ。「もうこの国には貧乏人はいない。飛び抜けて金持ちという人もいない。知識人は、立ち向かうべきタブーがなくなって困っている。ここでは、何もかもたるみ切っているのだ」

 どうも、小さい国家と比例代表制が、個人の自由と福祉を重視する社会を形成するみたいだ。

 というと楽園のようだが、そうでもない。私はかねてから不思議に思っていた。特にスウェーデンなのだが、中東戦争や朝鮮戦争など、米ソが対立する場面では北欧の国が仲介する場面が多い。「スウェーデンが中立だから」と言うなら、スイスも中立である。だがスウェーデンは、異様に仲介に熱心である。ボランティア精神が盛んなのか?

 うんにゃ。自国の利益のためだった。地図を見れば一目瞭然である。スカンジナヴィア半島を見よう。西のノルウェーはNATO加盟。真ん中のスウェーデンは武装中立。そして東のフィンランドは、限定的だがソ連の影響が大きい。となると、東西でドンパチが始まったら、スウェーデンが戦場になる。そりゃ戦争されちゃ困るわけだ。

 などと連ねつつ、次の記事に続く。

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2014年12月12日 (金)

フローラ・ルイス「ヨーロッパ 統合への道 改訂増補 上・下」河出書房新社 友田錫訳 1

 この本の意図するところは、現代のヨーロッパがおかえれている状況を網羅的に説明することにある。若干の論理的な連関に従って地理的・政治的な地図を逍遥し、また個々の問題についても手軽に理解が得られるようにした。

【どんな本?】

 ヨーロッパは世界史の主な部隊であり、現代においても EEC→EC→EUと、統合の度合いを増すたびに国際社会での存在感を増してきた。かつては EU 統合で「巨大な経済圏と市場が生まれる」と希望に満ちた予想の声が大きかったが、今はトルコの参加拒否やギリシャの経済危機など暗い面も見えてきた。

 それぞれの国はどんな歴史を辿り、どのような政治体制で、どんな人びとが住み、どんな事を考えているのか。近隣の国との関係はどんな風で、自分の国をどう捉えているのか。どんな長所があり、どんな問題を抱えているのか。

 アメリカ人ながら欧州に長く住んだ著者が、ヨーロッパの各国について、基本的な歴史・地理的な事情を織り込みながらも、肩肘張らないコラム風のエピソードを交えて語る、一般向けお国紹介の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Europe - Road to Unity, 1987 1992 2001, by Flora Lewis。日本語版は1990年8月31日初版発行、2002年3月30日改訂増補版初版発行。単行本ハードカバー縦2段組で上下巻、本文約439頁+356頁=795頁に加え訳者あとがき8頁。9ポイント24字×20行×2段×(439頁+356頁)=約763,200字、400字詰め原稿用紙で約1908枚。文庫本の長編小説なら4冊分の大容量。

 ジャーナリストの著作だけあって、文章は比較的にこなれている。河出書房新社の本の割りに、中身も意外と堅苦しくない。アメリカ人向けに書かれているためか、普通の日本人より少しだけ西洋史に詳しい人向けの感があるが、重要な事柄は本書内でおさらいしているので、特に前提知識も要らない。

 地理的な話も多いので、地図帳や Google Map などを身ながら読むと、更に楽しめる。また、ヨーロッパ旅行の経験者や、近く旅行を予定している人なら、知っている国の章は更に楽しめるだろう。

【構成は?】

 原則として各章は独立しているので、気になった章だけを拾い読みしてもいい。特に欧州旅行を予定している人は、行き先の国をしっかり読んでおこう。旅行が更に楽しめる。

  •   上巻
  • 第一部 西ヨーロッパ
    • 第1章 ヨーロッパ 一つの文明
    • 第2章 イギリス 帝国のあとに来るもの
    • 第3章 アイルランド 共和国とアルスター 平和なき中立
    • 第4章 フランス 君臨する知識人
    • 第5章 イベリア半島 スペインとポルトガル ヨーロッパへの復帰
    • 第6章 スペイン 一つの国、多様な地域
    • 第7章 ポルトガル 半世紀を跳び越えて
    • 第8章 イタリア テロへの勝利
    • 第9章 ギリシャ 栄光の神話と果てしない政情不穏の国
    • 第10章 スカンジナヴィア 北を手なずけた人びと
    • 第11章 スウェーデン 巣の中でぬくぬくと
    • 第12章 ノルウェー 暗から明へ
    • 第13章 デンマーク 小さいことは楽しいこと
    • 第14章 フィンランド ロシアの影で
    • 第15章 低地の国々 ブルジョワの君主国
    • 第16章 オランダ 父親型の国
    • 第17章 ベルギー 言語による分裂
    • 第18章 ルクセンブルク 簡素な大公国
    • 第19章 スイス 静かな郭公鳥
  •   下巻
    • 第20章 オーストリア 小さくても十分
    • 第21章 ドイツ 不死鳥と灰
  • 第二部 東ヨーロッパ
    • 第22章 ソ連人とロシア人
    • 第23章 ポーランド 不運な地理
    • 第24章 チェコとスロヴァキア 静かな革命がつくり出した二つの国家
    • 第25章 ハンガリー 情熱をこめた後退
    • 第26章 ルーマニア 消えた光
    • 第27章 ブルガリア モスクワの最も忠実な同盟国
    • 第28章 ユーゴスラヴィア 断たれた絆
  • 第三部 機構としてのヨーロッパ――欧州連合(EU)
    • 終章
    • 訳者あとがき/各国主要データ/参考文献/索引

【感想は?】

 今は下巻の冒頭ぐらいしか読んでいないので、そこまでの感想だが。

 繰り返しになるが、ヨーロッパ旅行の予定がある人は、是非読んでおこう。いわゆるガイドブックとは一味違う、各国の人のホンエや、文化の底にある背景事情がよくわかる。

 なお、各国の政治情勢にも触れているので、多少は政治的な内容にも踏み込んでいる。著者はジャーナリストらしく中立的な立場を維持しながらも、チラホラ見える本音は、穏健なリベラルな雰囲気がある。つまり共産主義もファシズムもダメ、安定した経済成長と文化と軍備を維持しつつ、人権に配慮しましょうという、常識的な立場だ。

 私はアイルランド贔屓だ。それは一度アイルランドを自転車で旅行した経験も影響している。共和国(南)の東部は、穏やかな丘が続き適度な上り下りがあって、サイクリングには最高にいい所なのだ。緑の大地が続き、風は心地よい。少し森の中に入ると、グリムの童話に出てきそうなファンシーな家が建っている。民宿のオバチャンと少し話をした。

オバチャン「アイルランドはどう?」
私「サイクリング、最高。緑、沢山。郊外、緑。町の中心、また緑」(私は英語が壊滅的に駄目なのだ)
オバチャン(誇らしげに)「そうでしょうとも! 私たちは緑が大好きですから!」

 後に私はアイルランドの別名を知った。曰く「エメラルド・アイランド」。緑の島だ。ロックバンド Thin Lizzy も、ズバリ「Emerald(→Youtue)」なんて曲をやってる。「奴ら(イングランド人)はエメラルドを奪いにきやがった」という歌である。オバチャンが誇らしげに胸を張るのも当然だろう。お陰で私はオバチャン手製の美味しいケーキにありつけた。

 女子大生とも話をした。彼女が知っていた日本の都市は、広島だけだった。原爆で知っていたのだ。なぜか。

 外務省のアイルランドの二国間関係の項を見よう。

(1)日アイルランド関係
伝統的な友好国(第二次世界大戦中、アイルランドは英連邦の一員であったが中立政策を維持)。東日本大震災に際し、アイルランド政府は、日本赤十字に100万ユーロを拠出するとともに、EUを通じて緊急援助物資の提供を申し出た。

 二次大戦中、アイルランドは中立を維持した。イギリスへの反感もあったし、IRAの一部はドイツに協力した。それ以上に、「他人のために戦争をすることはしない、と決めたのである」。それが、どれほど高くついたか。世界的に孤立に追い込まれ…

パン、紅茶、砂糖、ガソリンは配給制になった。(略)経済そのものは、必需品の輸入もできなければ輸出しようにも市場がなくなったため、行き詰る一方だった。

 それでも中立を守り通したのである。参戦すれば、朝鮮戦争当事の日本のように、戦時の好景気にありつけただろうに。当事のドイツ空軍じゃ、アイルランドまで往復できないから、空襲を受ける心配もないし。よく言えば誇り高い、悪くいえば意地っ張りな人びとなのだ。

 だが、社会は面白い。「どこの国からであろうと、作家がアイルランドに来て住みつくと、税金を免除される」。ジェイムズ・ジョイスなど、文学を誇りとする国なのである。

 複雑に絡まった北アイルランド問題も、現代の問題として見る著者の視点は、実にわかりやすい。南(アイルランド共和国)は、カトリックの国だ。それも、かなり保守的なのである。「この国には小学校が全部で3500あるが、そのうち3300はカトリック教会の直接の経営かその系統のものだ」。そこで、EU統合がフェミニストに新たな武器を与えた。

欧州共同体加盟国はの市民は、人権の侵害については自国の政府に対する不満を欧州議会や欧州裁判所に訴えることができる。

 でも社会制度は、どちらかというと社会主義的なのが不思議。まあいい。対して北アイルランド(「アルスター地方」はイギリスの言い方)は、「カトリック教徒が全150万人の中の少数派(35%)」である。しかもカトリックは壁と鉄条網で隔離され、いちいち検問を受ける。カトリックは公務員にもなれない。つまり、警官は全てプロテスタントである。

 更に、かつては北アイルランドの方が景気がよかった。そのため、北側は南と合併したくない。UK政府は、いい加減手放したいのだが…。だが、アイルランド・イギリス両国民ともテロにはうんざりし、今は雪解けムードが漂っている。

 …などという事情を、旅行した時の私は全く知らなかった。予め知っていれば、もっと楽しめたと思う。また行きたいなあ、アイルランド。北は知らないけど、南はホントいい所です、物価は安いし。メシはちょっとアレだけど。いや朝食はイギリス以上に充実してて美味しいんだけど、昼と夜はチャイニーズかイタリアンで済ませるのが無難w

 すんません、アイルランドが好きなんで、つい長くなってしまった。ってんで、次の記事に続く。

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2014年12月10日 (水)

スティーヴ・ハミルトン「解錠師」ハヤカワ・ミステリ文庫 越前敏弥訳

まちがった相手に対して自分が有能だといったん証明してしまったら、二度と自由になれないということを、ぼくはわかっていなかった。

【どんな本?】

 アメリカのハードボイルド作家スティーヴ・ハミルトンによる、現代のアメリカの少年を主人公とした犯罪小説であり、切ない恋愛・青春小説。みずみずしい少年の心の動きと、彼が辿った過酷な運命、そして緊迫感溢れる犯行の描写が日英米で好評を博し、多くの賞を獲得した。

 2011年アメリカ探偵作家クラブ(MWA)エドガー賞最優秀長編賞,英国推理作家協会(CWA)イアン・フレミング・スティール・ダガー賞,バリー賞最優秀長編賞,全米図書館協会アレックス賞,宝島社<このミステリーがすごい!>2012年海外編1位、週刊文春ミステリーベスト10海外部門1位など、数々の賞を獲得している。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Lock Artist, by Steve Hamilton, 2009。日本では2011年12月ハヤカワ・ポケット・ミステリとして刊行、後2012年12月15日ハヤカワ・ミステリ文庫より文庫本が刊行。私が読んだのは2012年12月16日の二刷。飛ぶような売れ行きだなあ。

 文庫本で縦一段組み、本文約555頁+訳者あとがき5頁。9ポイント40字×17行×555頁=約377,400字、400字詰め原稿用紙で約944枚。上下巻の二冊になってもおかしくない分量。

 文章はかなりこなれている。犯罪小説というとチンピラの妙にヒネた台詞が読みにくさの原因になるのだが、この本はかなりマトモ。中身も特に難しくない。敢えていえば、シリンダー錠のしくみなどを調べておくと、仕事の場面の緊迫感が増すかも。あと、アメリカの各地を転々とするので、多少の地理がわかっていると、彼の旅が立体的に見えてくる。

【どんな話?】

 ぼくマイクルは8歳の時に事件に巻き込まれ、両親と声を失った。1990年の夏のことだ。そして今は塀の中にいる。なぜこうなったのか、その話をしよう。

 はじめての本物の仕事は、1999年9月のフィラデルフィアだった。「堅実で信頼できる」はずのチームだ。呼ばれて、仕事をして、報酬を受け取る。簡単な仕事だった。

 ああ、その前に、なぜぼくが、こんな技術を身につけたのか、話した方がいいな。両親を失ったぼくは、伯父のリートに引き取られて、デトロイトの北西のミルフォードって町に行き…

【感想は?】

 ミステリという看板は忘れていい。これは優れた現代アメリカの青春小説だ。

 物語は主人公の一人称で語られる。その主人公、冒頭は檻の中だ。どんな犯罪を犯し、なぜ捕まったのか、なぜ犯罪の道へ入ったのか、それを自ら「語って」ゆく。

 「語って」と言ったが、実は主人公、声を失っている。肉体的な問題ではなく、精神的なものらしい。これが彼の大きなハンデとなり、幾つかのピンチを招くと同時に、現代アメリカの風潮を見事に浮き上がらせる仕掛けになっているのがいい。

 何せアメリカ人は、やたらとしゃべる。ソープオペラや映画俳優のエディ・マーフィーの印象もあるが、Youtube で日常風景を見ても、身振り手振りを交えて早口で喋っている人が多い。仕事でも自分の実績をいかにアピールするかが重要で、黙々と仕事をすれば評価される日本とは大きく違う。

 そこに主人公のマイケルが現れる。何もいわない。黙って仕事をして、報酬を受け取って去ってゆく。彼と犯行仲間のギャップが可笑しい。「ふたりとも、一秒でいいから口を閉じろ!」には笑ってしまった。

 マイケルには二つの特技がある。一つは絵を描くこと、もう一つは錠前外し=金庫破り。絵は問題ないが、錠前外しは一歩間違えるとヤバい…というか、冒頭からヤバい道に入った事は明らかになっている。この技術を身につけ、磨いてゆく過程の描写は、技術・開発系の仕事をしている人なら、何度も頷く場面が多いだろう。

 自分にその才能があると感じた時。その才能を生かしている時の、ワクワクする気持ち。新しい課題が与えられた時の、おそれと期待が混じった気分。自分の限界が明らかになる不安と、憧れていた次のステップへと進むときめき。導師と仰げる人に出会ったときの想い。

 そして、日頃は目立たず部屋の隅にいる者が、たった一つの特技を披露して、チームに重要な役割を担う時の誇らしさ。自分中に才能を見出してしまったら、それを磨かずにはおれない人の業。ソフトウェア開発を職業としている人なら、この気分、わかるんじゃないかなあ。

 この才能を見出された時のマイケルの立場が、これまた巧い仕掛けで。自由と平等、法と秩序の国という仮面を被っちゃいるが、アメリカといえど所詮は人間が作った国。どうしようもない格差は歴然と存在し、目に見えない形でのカースト制が敷かれている。多感な少年時代で、否応なくマイケルは現実の社会を見せ付けられる。

 彼にソレを見せ付けるマーシュの造形が、とってもよく出来ている。それまで彼が出会う大人といえば、伯父さんのリートぐらい。このリート、基本的には気のいい伯父さんだけど、人とは距離をとっちゃうタイプで、アメリカ人としてはかなり大人しい人。だからこそ、マイケルと巧くやってこれたんだろうけど。

 対してマーシュは、典型的なアメリカ的なビジネスマンというか、町の名士気取りというか。実に嫌な奴なんだが、彼の憎ったらしさこそ、マイケルの若さを見事に引き立ててゆく。読者は遠慮なくマーシュを憎もう。その方が楽しめるから。豪邸に住み、マイケルを支配し、それでも不満タラタラのマーシュ。対してマイケルは…

これで人生に必要なものはすべてそろった。ぼくはまたバイクにまたがって、まっすぐアメリアの家へ向かった。

 若者は自分の力を信じている。旅に出るとき、自信のある者ほど、荷物が軽い。この時のマイケルの想いを、「そうだったなあ」などと思い出す歳に私はなってしまった。

 さて、先の引用に出てきたアメリア。彼女こそ、この作品のもう一人の主人公にして、マイケルの運命を決める人物。マイケルが彼女のために描いた絵を、次の日には恥ずかしく思い返すあたりは、いかにも若々しくて微笑ましい。

「つらいんじゃない? 誰かをそんなに強く求めるのって」

 そう、傍から見ると、マイケルの人生は過酷そのものだ。声が出せないというハンデはあるが、真面目で職人肌で、ブサイクでもない。誠実で友達思いで、人を裏切らないし、他人の痛みもわかる。まっとうに生きれば、普通の人生を送れるだろうに、分かれ道で彼はいつも悲しい選択をしてしまう。

 などの物語は、幾つかの時系列をシャッフルしながら、次第に現在へと収束していく形で語られる。肝心の錠前破りの場面も、没頭するマイケルの心理を見事に写し取っていると思う。映像にしたら、抽象的なCGが活躍する場面だろうなあ。まあ、あまり現実的に描かれても悪用されそうで困るんだけど。

 次第に収束してゆく時系列の束は、物語が進むほど緊迫感を増し、分厚い本もなかなか閉じられなくなってしまう。多くの賞を獲得しただけのことはある、面白くて気持ちいい、そして少し切ない小説。専門技能を必要とする仕事に就いている人なら、間違いなく楽しめる。

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2014年12月 8日 (月)

ニコラス・マネー「ふしぎな生きものカビ・キノコ 菌学入門」築地書館 小川真訳

 菌糸はクエン酸や蓚酸(しゅうさん)のような有機物を分泌して、花崗岩に含まれるミネラルを溶かしながら、岩の中へもぐりこみます。菌糸は溶け出してくるミネラルを吸収しながら、その先端を前へ押し出し、岩の隙間をこじ開けて、どんどん深く潜入します。菌が花崗岩の割れ目に入ると、そこに水が浸透し、凍ると氷の結晶が岩の風化を速め、土壌のもとになる小さな岩屑を作り出します。

【どんな本?】

 朽木や草原にニョキニョキ生えてくるキノコ。浴室のタイルの隙間を真っ黒にするカビ。水虫の原因になる白癬菌。イネに被害を与えるいもち病。多くの場合、ヒトにとって嬉しくない菌類だが、パンや酒を作る酵母はヒトの生活に欠かせないし、ペニシリンなど奇跡の新薬を生む母体でもある。

 万を超える種がある菌類について、その不思議な生態や繁殖方法を紹介すると共に、菌と同じぐらい奇妙な菌学者たちの生活や研究も紹介する、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Mr. Bloomfield's Orchard : The Mysterious World of Mushrooms, Molds and Mycologists, by Nicholas P. Money, 2002。日本語版は2007年12月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約278頁+訳者あとがき4頁。9.5ポイント44字×18行×278頁=約220,176字、400字詰め原稿用紙で約551枚。標準的な長編小説の分量。

 訳者も菌学者だが、意外と日本語の文章はこなれている。生物学の本なので、高校卒業程度の生物学の基礎があるとより楽しめるが、義務教育修了程度でもなんとか読みこなせるだろう。

【構成は?】

 各話はほぼ独立しているので、気になった部分だけを拾い読みしてもいい。

  • 第1話 臭いスッポンタケと冷たいキノコ
    においのもとをたどっていくと……/ダーウィンの娘に嫌われたキノコ/スッポンタケの戦略/悪魔のキノコ/臭いスッポンタケの仲間/スッポンタケ型からカゴタケ型へと進化した/胞子を飛ばす巧妙な仕掛け/胞子射出の瞬間をとらえる/キノコの体温を測る/空気の流れを変えるキノコの傘/ニセショウロに見る地下生菌の進化/菌は地球の先住者
  • 第2話 人を悩ます真菌症
    皮膚寄生菌/体部白癬/気難しいふけ/骨を溶かすマズラ菌/髄膜炎の原因菌、クリプトコックス/クリプトコックス髄膜炎の治療薬/日和見感染する菌/二つの学名を持つ奇妙な生物/謎のフィロバシディエラ/クリプトコックスの中の黒い色素/メラニン色素を持つ菌/ケカビ病/英国軍の獣医が見つけたインドの真菌病/ビシウムが人に取りつくと……/ビシウム感染病の治療法/病原菌はどこにでもいる
  • 第3話 菌糸成長のメカニズム
    飢えると防弾チョッキまで食べる菌/菌糸と菌糸体の構造/菌糸体のでき方/私のお気に入り、ミズカビ/菌糸が作るネットワーク/菌糸の悲鳴/何でも分解してしまう菌類の酵素/クチクラ層に侵入する菌から葉を守る/人体に侵入する菌を叩け/難しい菌糸成長のメカニズム/いかにして固い岩盤にもぐりこむのか?/おそるべき菌の力/永遠の課題、形態形成の謎
  • 第4話 酵母から冬虫夏草まで
    昆虫と菌の関係/冬虫夏草/菌と昆虫の軍拡競争/魔女裁判と麦角菌/酵母の偉大な力/サッカロミケスの栄養摂取活動――酵母型と菌糸型/形を変える酵母の仲間/二つの名前を持つ菌類/菌学研究に革命をもたらした兄弟/遺伝子発現の形態/あまりにも多様な分生子/胞子を飛ばす凝った仕掛け/しぶとい子嚢胞子/トリュフの進化の物語
  • 第5話 二人の偉大な変わり者
    ブラー先生、カナダへ渡る/胞子の落下速度を測る/光るキノコ/独身主義のブラー先生/ブラー先生の日常/アマチュア菌学者、カーティス・ロイドとの出会い/アマチュア研究者 vs コーネル大学の菌学者/新種の記載と命名権/アマチュア研究者の私生活/ブラー先生とカーティス・ロイドの交流/ブラー先生の晩年
  • 第6話 水中に暮らすカビ
    水中で胞子を作る菌を発見!/落下速度を決める水生菌の不思議な形/海の中での胞子散布/カエルのツボカビ病/ツボカビのいたずら/卵菌類の戦略/飢餓で決まる遊走子の形成/後戻りする胞子/頑固なハートク先生/水生菌に見る進化の方向/ワタカビ型からミズカビ型へ/泳ぐ胞子と枝分かれする菌糸
  • 第7話 菌が交わす愛のささやき
    造卵器と造精器/造精器のできる場所/水生菌のセックス論争/卵を作るか単為生殖か/進化の原理を語る微生物/ケカビのパンの上の生活環/接合菌/キノコには雄・雌がない――多様な性行動/菌類の勢力争い/ナラタケの性欲/キノコの形態形成/飢えると出てくるキノコ/キノコ狩りは是か非か
  • 第8話 毒キノコあれこれ――破滅の天使
    アマトキシン類によるキノコ中毒/キノコの毒はなんのため?/アルコール依存症とヒトヨタケのコプリン/悪魔のイグチにおののいた私――ウラベニイグチ/ぞっとしたアミヒラタケのシチュー/吸うと危険なホコリタケの胞子/微生物汚染による食中毒――アフラトキシン/毒を作る殺人鬼――クロカビ/生物化学兵器とトリコテセン
  • 第9話 植物を襲う菌類
    さび菌とヒトの生活環/気孔を探りあてるさび菌/追いつ追われつする植物と菌/二種類の宿主に四タイプの胞子――さび菌の謎/薬剤散布か品種改良か/イネいもち病菌の強い侵入力/イネいもち病のゲノム解析/アイルランド飢餓とジャガイモ/飢餓をひき起こしたジャガイモ疫病菌、フィトフトラ/菌につく菌/インゴールド先生へ
  • 原註/訳者あとがき/索引

【感想は?】

 ちょっと風呂場を掃除したくなった。クロカビでタイルが変色してる所があるんだ。

 なにせ連中が出す胞子の数がハンパない。アイルランドにジャガイモ飢饉をもたらしたフィトフトラだと、「毎日30万個もの胞子嚢が飛び出すのです」。中には兆単位のものもあって、我々は否応なしに日頃から菌の胞子を吸い込んで生活している。

 あの黒い色の元は、メラニン色素。我々の膚にあるのと同じだ。これは紫外線を防ぐ。実験でメラニン色素のないアルビノも作れるけど、「色素を持った系統とアルビノ系統を競争させると、多くの場合アルビノ系統が抑えられます」。メラニンは紫外線を防ぐ他にも、幾つかの機能を担っているらしい。つかカビにもアルビノってあるのね。

 で、クロカビ。大抵の場合は大きな害はないが、「エイズ患者には黒いしみがついたシャワーのカーテンさえ脅威になります」。つまりは免疫力・体力と、胞子の数のバランスなんだろうなあ。あと、傷跡から侵入する場合もあるとか。

 ヒトへの感染で笑っちゃったのが、ワンギエラ・デルマテティデス。なんと脳に侵入して黒い塊を作る。これが集団発生した事があるんだが…

多くの男性がきわめて繊細な例の組織を刺激しようとして、湯が噴き出すノズルを使っていた、日本の浴場にたどりつきました。不孝なことに、この黒いカビも熱い湯が好きで、ノズルのホースの表面についている金具の隙間で繁殖し、皮膚の中へもぐりこんだのです。

 ひえ~。
 ちっぽけに思える菌類だが、甘く見ちゃいけない。オレゴン州ブルーマウンテン付近で見付かったナラタケ(→Wikipedia)の仲間は、「2200エーカー(約3km×3km)の土地に広がっていたと言います」。年齢は「2400年から7200年の間」。シロナガスクジラなんて目じゃない、世界最大の生物だ。

 と言っても、あのキノコが3km四方に広がっているわけじゃなく、地中に菌糸を張ってるわけ。キノコは繁殖用に胞子を飛ばす器官なのだ。しかも、あの傘の形は、流体力学的に意味があるとか。この先生、なんと風洞実験までしている。

…風がキノコに当たると、空気の流れが傘のヘリに当たって別れ、上、下流とも流れが速くなることがわかりました。この空気の流れ方は、飛行機の翼の上に見られる航空力学的な動きに似ています。

 そうやって空気の流れを制御し、胞子を飛ばしているらしい。
 傘の裏のヒダなど複雑な構造をしているキノコだが、不思議なことに「子実体(キノコ)は同じ細胞がからみ合った塊にすぎない」。つまり、器官ではなく、単なる集団なのだ。にも関わらず、ちゃんと機能のある形になるのは不思議だ。

 キノコというと、気になるのは毒キノコと食べられるキノコの見分け方。これは実に難しくて、専門家のはずの著者も間違って毒キノコを食べちゃったりしてる。移民の国アメリカならではの話もあって…

母国で採っていたキノコだと思って食べてしまった移民に多く見られます。たとえば、ドクツルタケやタマゴテングタケは、ちょっと見たところアジアでたくさん見られるフクロタケに似ています。そのため、ベトナムやラオスからの移民がよく間違えて中毒するのだそうです。

 やはり菌による中毒だと、魔女裁判もカビが原因の可能性があるとか。ライムギを侵すクラビセプス、別名を麦角菌、LSDの元でもある。血管収縮毒素エルゴタミンを含み、これは「高温でも壊れないため、パンを焼いてもそのまま残っています」。これがセーラムの魔女裁判(→Wikipedia)の原因だ、と著者は主張している。

 などの菌の話も面白いが、菌学者の話も混じってるのが本書の特徴。なかでも酵母学者に関しては…

…多くのことを酵母から学んできたのは事実です。でも酵母の専門家は、さらに我慢ならない存在なのです。何十年もの間、彼らはまじめな実験学者としての評判が、キノコ採りの低級なイメージによって損なわれるのを恐れて、菌学者とよばれることを拒否してきました。

 わはは。
 などの軋轢も面白いが、菌の繁殖も複雑。胞子が菌糸に成長して更に胞子を飛ばす無性生殖もあるし、交配して有性生殖する場合もある。成長過程で大きく形が違うんで、「数多くの菌が二度記載され、二つの名前をもつことになってしまった」。そりゃわからんがな。

 イギリス風の、ちょっと皮肉の効いたユーモアを交えて語る、菌学への案内書。一般向け自然科学の解説書としては、身近で親しみやすいテーマだし、内容も難しくない。わからない所は飛ばして、気軽に読もう。

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2014年12月 7日 (日)

ジョー・ウォルトン「図書室の魔法 上・下」創元SF文庫 茂木健訳

わたしには図書室があり、図書館があり、そして読書クラブがあった。これだけあれば、ほかのすべては我慢できるだろう。

【どんな本?】

 「ファージング」シリーズで大人気を博したイギリス出身でカナダ在住のSF・ファンタジイ作家、ジョー・ウォルトンによる、青春長編ファンタジイ小説。ウェールズの田舎からイングランドの全寮制女子校に放り込まれた少女モリが、故郷で身につけた魔法と大好きな本に支えされて過ごす学園生活を綴った日記形式の小説。

 ヒューゴー賞・ネビュラ賞・英国幻想文学大賞受賞。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Among Others, by Jo Walton, 2011。日本語版は2014年4月30日初版。文庫本で縦一段組み、上下巻で本文約289頁+261頁に加え、堺三保の解説7頁+「本書で言及される作品一覧」なんと11頁。8.5ポイント41字×17行×(289頁+261頁)=約383,350字、400字詰め原稿用紙で約959枚。上下巻の長編小説としては標準的な分量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。堺三保の解説はネタバレもなく、この小説の背景として知っておいた方がいい事情を親切に解説しているので、できれば先に読んでおくと役に立つ。

【どんな話?】

 ウェールズで生まれ育った少女モリ。事故で最愛の双子の妹を失い、自らも足に障害を負った。悪意に満ちた母を逃れ、一度も会ったことのない実父を頼ったが、三人の伯母に全寮制のアーリングハースト校へ追いやられてしまう。慣れぬイングランド、しかも全寮制学校への途中入学。だが幸いにも安息できる場所を見つけた。図書室だ。

【感想は?】

 憧れの女子高生活。

 などとけしからん考えを抱いて読み始めると、そういう意味では全く男性読者に媚びてない。が、別の意味で、多くの読者の共感を呼び覚ます作品。

 なにせ主人公のモリが、大変な読書家。下巻の末尾にある「本書で言及される作品一覧」だけで11頁におよぶ。その多くが、当時(1979年~80年)に有名だったSF・ファンタジイ作品なので、嬉しいったらありゃしない。いやもう、あの頃はSFを読んでる人なんて滅多にいなくて、どれほど寂しい思いをしたことか。

 そういう人にとっては、「そうだ、そうなんんだよっ!」と叫びだしたくなるような台詞や記述がてんこもり。日本だって今でこそ円城塔や伊藤計劃が人気を博しているが、昔はSFが数段下に見られてて、「士農工商犬SF」などと自嘲してたり。若い人も大変で…

「うちの親父なんか、SFは子供の読み物だと決め付けてる」

 ああ、そうだ、そんなんだよ。ヴォネガットもハインラインも読んでないくせに、「んなもんくだらない」と決め付けてるんだ。うがあ~~! …などといいう想いを、ぴったり見事に言い当ててくれるし。

SFを読んでいると、今まで想像すらしていなかったような視点を提示されることで、新たな考えが広がってゆく。

 これは別に大人だけの話ではなく、同じ世代の同級生も似たようなもので。おまけに、お上品なイングランドの学校に田舎のウェールズから来たお上りさんだし、既に派閥が出来ている学園に後から来た新入りでもある。かくして、学園でのモリは孤立へと追い込まれてゆく。その支えとなるのが、故郷ウェールズで覚えた魔法と、大好きな本。

 となれば、可憐な文学少女を思い浮かべるかもしれないが、意外とモリは図太い。冷静に派閥を見極め、またイングランド女学生の社会構造の力学まで分析している。このあたりは、「ファージング」でも見られた、著者のイングランドに対して抱く愛憎半ばの想いが伝わってくる。

 ここはディアドリを、もちっと贔屓してあげて欲しかったなあ。センスいいじゃないか、「銀河ヒッチハイク・ガイド」なんて。なによりアイリッシュだし(私はアイルランド贔屓なのだ)。

 が、しかし。幸いにして、モリには同志が見付かった。図書室と図書館をきっかけとして、すこしずつ彼女の世界が広がって行く。ここで描かれる、当事のSF・ファンタジイ読みの世界・会話が、これまた悶絶物の楽しさ。ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアが最初に登場する所で「彼」とされてるあたりで、「おお!」と思ったり。

 ハインラインについて、彼の思想を云々するあたりとかは、「うんうん、そうだよなあ」と思わず頷く場面。「宇宙の戦士」しか知らないと、そう思っちゃうよなあ。かと思ったら、「異星の客」なんかを書いちゃう人だし。こういう話が出てくると、思わず一席ぶちあげたくなるから困るw

 見慣れぬ街に来て、まず本屋・古本屋を探したり、人の部屋に入ったらまず書棚を見たり。本好きには当たり前の行動だけど、世間的にはアレだろうなあw まあ、そんなもんです。図書館に行って、すぐに図書館相互貸借制度を見出すあたりも、なかなか。

 この制度は日本にもあって、私も時おり便利に使わせてもらっている。実にありがたい制度です、はい。要は地元の図書館に置いていない本を、他の図書館から融通して貰う制度で、大抵の本なら見付かる。

 などの手段を駆使して、主人公のモリはひたすら本を読み漁り、仲間と討論しまくる。出てくる書名だけで、おなか一杯。マイクル・コーニイの「カリスマ」とかロバート・シルヴァーバーグの「内死」とか、読み逃した本が出てくると、もう悔しくてね。主人公の危機を救うのが、読みかけの「バベル-17」だったり。わはは。

 と同時に、年頃の女の子らしい悩みも色々と出てきて。本を沢山読んでいるだけあって、耳年増にはなっているものの、いざわが身に降りかかってくると…。こういったあたり、腐女子ならもっと共感できるんだろうなあ。あ、ちなみに、著者も少し腐ってます。

 どちらかと言うとSFよりファンタジイ寄りの作品が多く、「指輪物語」が大きな影響を持っているのも、この時代ならでは。フェアリーが見えたり、魔法が使えると主張するあたりは、痛い子なのか幻想なのか。彼女の母親との関係を考えると、これはこれでなかなか重要な要素だと思うのだけど、結局私は巧く読み解けなかった。

 でもまあ、いいじゃないですか。私の好きなSF作品が次々と出てきて、あの年頃らしい辛らつな評がされるだけで、なんかこう切ない痛みが沸きあがってくる。かつて孤独だったSF・ファンタジイ好きには、文句なしにお勧めの作品。

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2014年12月 4日 (木)

グナル・ハインゾーン「自爆する若者たち 人口学が警告する驚愕の未来」新潮選書 猪股和夫訳

著者の主張は明快だ。暴力を引き起こすのは貧困でもなければ、宗教や民族・種族の反目でもない。人口爆発によって生じる若者たちの、つまりユース・バルジ世代の「ポスト寄越せ」運動、それに国家が対処しきれなくなったとき、テロとなり、ジェノサイドとなり、内戦となって現れるのだ。
  ――はじめに

【どんな本?】

 ポーランド生まれでベルリン自由大学で社会学・歴史学・心理学・経済学・シャーナリズムを学び、ブレーメン大学終身教授の著者が、歴史上および現代の統計を元に、テロ・内戦・虐殺・戦争そしてヨーロッパによる世界制覇の原因を探り、すぐそこに迫った危機を警告する本。

 テーマは明快である。冒頭の引用に挙げたように、人口爆発により急激に増えた若者たちが、大規模な暴力を引き起こす、というもの。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Söhne und Weltmacht : Terror im Aufstieg und Fall der Nationen, by Gunnar Heinsohn, 2003。日本語版は2008年12月20日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約262頁。9ポイント43字×18行×262頁=約202,788字、400字詰め原稿用紙で約507枚。長編小説なら標準的な分量。

 文章は少々まわりくどく、また堅い。内要はそれほど難しくない。歴史上の出来事や現代世界の紛争などを随所で引用しているが、丁寧に注がついているので、素人でもだいたいの所は見当がつく。

【構成は?】

 原則として順々に論が進むので、できれば頭から読もう。

  • はじめに/日本語版に寄せて/本書のテーマについて
  • Ⅰ 古くて新しい世界敵――ユース・バルジからの過剰な若者たち
    男子の多い方が戦闘に有利/飢餓撲滅が平和をもたらすというのは幻想である/飢えとは無縁の革命家がもつ怖さ/中国は米国の敵かパートナーか?/カインとアベル――ポストをめぐる兄弟間の死闘/都会に押し寄せるユース・バルジ/人口増で勝利の御旗を高らかに掲げるイスラム国家/現下のユース・バルジはこれまでのどれよりも大きい/ヨーロッパがユース・バルジを過小評価するのは宿命/サミュエル・ハンチントンと芸リー・フラー――現代のアメリカの視点/暴力に訴えるのを良しとする宗教/「女性の子宮が戦争を決する」/「ムスリムの戦争の時代は20年以内に終わるかもしれない」/時代はアンチ・テロ戦争を演じる
  • Ⅱ 若者たちはどこに住んでいるか?
    それが正しいから、だからそのために殺す/古い聖なる書へ回帰する若者たち/かつての攻撃対象は今も守るべきものに/ドイツの男性が抱く家族というものへの不安/ヨーロッパは人口の減少を移民で補っている/南アメリカはユース・バルジの峠を越えた/南アジアとアフリカではチルドレン・バルジが沸騰/ユース・バルジの国々で暴力が常態化するのはいつか/大量殺害が長びく原因はユース・バルジだけではない
  • Ⅲ 人口統計に見る征服者の出自とヨーロッパの世界征服という「奇跡」
    歴史の推進力としての人口の急激な増加/女性医師は中世後は原始意的水準にまで低下/人口爆発と魔女殺し/産児調整は死をもって罰せられる/医者は避妊に関与しなかった/魔女迫害は最植民の残虐きわまりない手段/ヨーロッパ再植民の副産物だった世界征服
  • Ⅳ 超大国の昨日と明日――若者の増加と厳格な所得権構造
    世界征服におけるヨーロッパ特有の経済/耕地で生産し、囲いで経済活動をする/所有権がベースの征服者と占有を刻みこまれた被発見者/所有権者界の支配者は酋長でもなければ王でもない/ヨーロッパ覇権大国の興亡 1)ポルトガル 2)スペイン 3)オランダ 4)イギリスⅠ,Ⅱ 5)アメリカ合衆国(米国Ⅰ) 6)アメリカの現下の挑戦者(米国Ⅱ)
  • Ⅴ ユース・バルジと国境なきテロリズム
    家父長制モラルに対する攻撃の増加/世界の表舞台に躍り出た日本/核を保有する独裁者の予防的排除/過剰な若者は教育を受けて大軍隊に/帝国づくりへのイスラムの野望/サダムの跡を襲う者はとっくに生まれている/今も昔も偶像視されるアグレッシブな指導者/ぐらつきだした覇権国は準備にかかる/神の家どうしの爆撃の応酬/最終防衛手段としての武装解除戦争/軍事的脆弱さが増すドイツ/内戦によるユース・バルジの解体縮小/中東戦争の多重機能/ヨーロッパはイスラムを好きになれない/「ドイツがアウシュヴィッツのことでユダヤ人を赦すなんて絶対にありえない」
  • Ⅵ 入れてもらえる者、もらえない者
    とどまるところを知らないヨーロッパの死亡過剰/「人口は減るも増えるも女性しだい」/オーデル川以東――死に行くばかりの民族/経済学の知識を仲介してやることが最良の発展支援/経済が発展してもユース・バルジは収まらない/出生率の低い国は質の高さを求める/出産を妨害するのは人権違反/自分の住む街でユース・バルジによる戦闘が起こるかもしれないという不安/移民の若者につのる同化への抵抗/人口統計上の転機を希求するヨーロッパ
  • 参考文献

【感想は?】

 読むのが辛かった。色々な意味で。

 元がドイツ語のためか、文章が少々堅いのもある。それ以上に、内容が暗い。タイトルで見当がつくように、次々と多くの人が虐殺されてゆく上に、その原因がみもふたもないシロモノだからだ。

 冒頭の引用が、ほぼ全てを語っている。一人の父に一人の息子なら、問題はない。二人三人の息子がいると、問題が起きる。息子が一人なら、跡継ぎが決まっている。だが二人以上になると、次男以降は家を出なきゃいけない。父ちゃんに大きな力があって、全ての息子に職を用意できるならいい。だが出来ないなら、倅は自分でなんとかしなきゃいけない。

 これが一つの家だけで起きているなら、たいした問題にはならない。だが、国全体で同じような「行き場のない倅たち」が溢れているなら、彼らの集団は大きな変化を引き起こすだろう。

 人口が増えている国では、世代別の人口グラフが末広がりになる。その中で、15歳~25歳の人口が突出している場合を、ユース・バルジと言っている。なぜ15歳~25歳か。どの国でも、この世代は犯罪が多く、また兵隊に向いている世代だからだ。

 彼らが引き起こす変化の一つが、戦争だ。ここで著者は、恐ろしい話を持ち出す。「大事なのは若い世代の人口ではない、二人目以降の息子の数だ」と。

 一人息子が戦死した場合と、数人いる兄弟の一人が戦死した場合と、母親の嘆きはどちらが大きいか。「どっちも息子でしょ」とタテマエを言うのは簡単だが、ホンネとしては、やっぱり一人息子を失った親の方が、悲しみが深いだろう。逆に言えば、息子の数が多ければ、国民の抵抗は少なく、戦争を始めやすいのだ。

 では、今ヤバいのはどこか。本書の表から、15歳未満の人口が42%を超える国を抜き出してみた。

 ウガンダ、タンザニア、スーダン、アフガニスタン、サウジアラビア、イエメン、モザンビーク、コートジボワール、マダガスカル、ブルキナファソ、マリ、ニジェール、マラウイ、ザンビア、アンゴラ、セネガル、チャド、ソマリア、ギニア、ベナン、ブルンジ、シエラレオネ、ラオス、パレスチナ、エリトリア、中央アフリカ、リベリア、モーリタニア…

 こう見ると、確かにヤバい国が多い。しかも、アフリカとイスラム諸国が多い。ただ、若年人口が多いからヤバいのか、ヤバいから若年人口が多いのか、因果関係はハッキリしない。

 それを検証するのが、「Ⅲ 人口統計に見る征服者の出自とヨーロッパの世界征服という『奇跡』」である。ここでは、大航海時代の原因を、当事のヨーロッパで起こった人口爆発に求めている。なぜ人口爆発が起きたのか。要因の一つは黒死病で、農地の多くが空いたこと。もう一つをカトリックの「産めよ増やせよ」政策としている。正直、これはチト強引な気が。

 面白いのは、その次の「Ⅳ 超大国の昨日と明日」。ここでは、経済構造に発展の鍵を求めている。それは、占有権と所有権の違いだ。占有権は、単に持っているだけだ。だが、所有権は違う。どこが違うか。

 所有権の場合、それを担保にカネを借りられる。ただし、借金には利子がつく。利子をつけて返すためには、なんとかして借りたカネを増やさなきゃいけない。利子をつけて返すための工夫や努力が、経済を発展させたのだ、と主張しているのである。これも強引な気がするが、納得できる部分もある。

 カネを持つ者が自分で投資すれば、儲けが出る。だが、カネを持つ者が常に巧い投資先を見つけられるわけじゃない。そして、商売を始めたいがカネがない者は沢山いる。なら商売を始めたい者が開業資金を得やすい仕組みがあれば、経済活動は活発になるじゃないか。

 実際、日本でも、成長させたい産業に対し、国や自治体が様々な融資政策を講じている。それはカネがある政府だからできるんで、政府が弱い国じゃ出来ない。では民間に頼ろう。そこで利子だ。適切な利子は、カネを持つ者がカネを貸す動機づけになるだろう。

 終盤では、今日のヨーロッパが抱える弱点を露わにしていく。要は少子高齢化だ。合計特殊出生率、一人の女性が一生の間に産む子供の数が、2.05なら現状維持になる。これを満たすのはイスラエル・アメリカ・アイスランドだけ、次いでアイルランドとニュージーランド。ここで面白いのが、東欧が総じて人口縮小に転じていること。

 ヨーロッパの平均は1.40なんだが、チェコとウクライナが1.10、ロシアが1.30.2003年の統計じゃラトヴィアが1.20、エストニアとリトアニアが1.30。旧東ドイツでは1.0という記録もあった。ちなみに今調べた2012年の日本の数字は1.41。

 問題はこれだけじゃない。東欧諸国から、人が脱出しているのだ。人口800万ほどのブルガリアから100万人が西に流出し、ルーマニアじゃ年金生活者が就業者より多い。610万:420万である。しかも29歳未満のルーマニア人の約60%が脱出の機会を伺っている。

ここで「ユース・バルジが戦争の原因となる」に疑念が湧く。ボヘミア紛争は、ウクライナ内戦はどうなんだ、と。まあ、これも「ユース・バルジが戦争の原因となる、とは主張するが、戦争の原因はユース・バルジだけとは主張していない(ユース・バルジ以外の戦争の原因もある)」と言われれば、それまでなんだが。

 少子化を補うため、西欧は移民を迎え入れた。だが、それも問題を生み出している。「かつて南北アメリカに移住したヨーロッパ人は、地元の文化に染まったか?逆にカトリックに染め上げたじゃないか」と。「ムスリムは別だと、どうして言えるだろう?」 しかも、問題は潜在化している。

移民のなかで暴力に方向付けされた問題が顕在化しはじめるのは、ほとんど第2世代になってからである。親たちは国境の開放によって救けてもらったという感謝の思いから過剰に適応しようとする傾向があるが、子供世代は、このような統合では不充分であり、もっと改善されなくてはならない(略)と見がちである。

今思えば、映画「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」や「ゴッドファーザー」も、こういった移民感情を巧く描いてるよなあ。

 ばかりではない。教育現場でも、重大な問題が起きる。「学校のクラスで移民の割合が20%になると、とたんにそのクラス全体の子供たちの成績水準ががくんと下がる」。ひええ。どうないせえちゅうねん。

 そうなのだ。ほんと、どないせえちゅうねん、でこの本は終わる。明確な対案は出さない。「結局はアメリカに頼るしかないよね」とほのめかされるが、それだけだ。「ロシアも中国も、将来は大きな脅威にならないよ」で安心できるが、「でもイスラム諸国が押し寄せてくるぜ」で終わる。

 この本の予告どおりなら、しばらくアフガニスタンやイラクは静かになりそうにない。イランは少子化しつつあるようなので安心だが、隣のサウジアラビアがヤバい。帝国書院の「原油の生産トップ10と日本の輸入先」を見ると、背筋が凍る。しかもアメリカはシェールで中東への関心が薄れつつある。どないせえちゅうねん。

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2014年12月 3日 (水)

SFマガジン2015年1月号

本誌隔月刊化のお知らせ
  1959年12月に創刊し、以来月刊誌として刊行を続けてきました本誌<SFマガジン>は、2015年より隔月刊に移行します。
 発売日は、偶数月25日になります。
 12月25日(木)に2月号を刊行した後、2月25日(水)発売の4月号より誌面リニューアルを行い、これまで以上に充実した内容でお届けいたします。

 280頁の標準サイズ。特集は「円谷プロダクション×SFマガジン」として、小説3本(山本弘「多々良島ふたたび」,北野勇作「宇宙からの贈りものたち」,小林泰三「マウンテンピーナッツ」)に加えコラム四本を収録。

 小説は他に谷甲州「ギルガメッシュ要塞」,小田雅久仁「長上」前編、夢枕獏「小角の城」第30回、神林長平「絞首台の黙示録」第7回、円城塔「エピローグ」第8回…って、海外作品の紹介がない。

 山本弘「多々良島ふたたび」。ウルトラマンの人気エピソード、「怪獣無法地帯」の後日譚。あの事件で崩壊した測候所を再開する準備段階として、学術調査隊を派遣することになった。当時、測候所に務め、生き延びた松井朝雄は、ガイド役として志願し、気象観測船<涼雲丸>に乗り込んだ。その船には、密航者も乗っていた。毎日新報の江戸川由利子と名乗る若い女性だ。

 山本弘らしく、オリジナルへの愛が溢れる作品。子供心にピグモンとガラモンがソックリなのに「あれ?」と思ったんだが、そこにキチンと理屈をつけてるあたりが嬉しい。場面の描写も、ちゃんと時代に沿ってるあたり、こだわりを感じる。トランジスタラジオが最新とか、透明円筒とか。やっぱピグモンは人気あるんだなあ。

北野勇作「宇宙からの贈りものたち」。元ネタはウルトラQの「宇宙からの贈りもの」。いつもと同じ夢だ。多目的スペースの六角形の作業台で食事をしている。髪の短い女が言う。「ちゃんと食べとかないとダメよ」。がっしりとした男が、笑いながら背中を叩く。俺は咳きこんで「すこしは手加減してくださいよお、センパイ」と言う。

 あの「かめくん」の北野勇作が、どう料理するかと思ったら、やっぱりいつもの北野勇作、どこまで現実でどこからが幻覚なのか判別しがたい、曖昧模糊とした、でも妙に生活感が漂う世界だった。

 小林泰三「マウンテンピーナッツ」。元ネタはウルトラマンギンガ。すんません、見てないです。久野千草は焦っていた。やっと掴んだチャンス、オーディションの日だってのに、ついてない。バス停は目の前だってのに、過激な環境保護団体マウンテン・ピーナッツのデモが道を塞いでいる。

 どう見てもマウンテンピーナッツはシーシェパードのパロディ。戦闘員からして大笑い。過激な自然保護団体が、怪獣をどう見るかというと…というテーマで、無茶苦茶な話が展開してゆく。「変身して戦う女子高生」という萌えっぽい仕掛けを使いながら、ここまで色気のない話に仕立て上げるのはさすがw

 紀田順一郎「<怪獣博士>大伴昌司の真実」。ウルトラマン・シリーズなどで脚本を担当し、怪獣の設定などを作っていた大伴昌司の評伝。試写の後、彼が考えた設定で、現場のスタッフが「ああ、そうだったのか、おれたちは、そういう映画をとっていたんだ」と納得する所で笑ってしまった。大勢で作る映像作品って、そういうモンなのかも。

 神林長平「絞首台の黙示録」第7回。教誨師を訪ねた作家のぼくと、死刑囚のおれ。二人を迎えた年配の後上明生牧師は、問題の教誨師ではなかった。地祇に現れた息子の後上明正が、邨江清治の教誨師らしい。明正はおれを見て、一瞬凍りついた。

 昨日、死刑を執行されたはずの邨江清治。だが、そう名乗るタクミを見て凍りつく後上明正。いかにもキリスト教の聖職者っぽい理屈を並べてゆく明正が、よく書けている。お互いがお互いの正体に確信と疑念を抱きつつ、会話は次第に本論へと向かってゆくが。

 円城塔「エピローグ」第8回。今回は連続殺人事件を追う刑事クラビトの回。重要参考人に会いに行く事になったクラビト。気がつけばウラジミル・アトラクタ警察の取調室にいる。戦技研こと包括的戦術級技術研究会から特別に供与された、インタフェースという技術らしい。

 相変わらず何が事実で何が物語なのかサッパリわからないこの話も、いよいよ佳境らしく、懐かしい名前がチョロチョロと出てくる。「書くこと」に意識的なこの作者らしく、この作品も、そういう仕掛けが芯にあるのかないのか。

 谷甲州「ギルガメッシュ要塞」。再起動した新・航空宇宙軍史の一編。マリサ・ロドリゲスは、ガニメデの軍事基地への侵入のアシストを請け負う。目標は、ギルガメッシュ・クレーター周辺にある、半地下式基地のひとつ、タイタン防衛宇宙軍ガニメデ派遣部隊の基地。軍用のはずなのに、警備システムはあっけなく無力化できた。

 広い太陽系全体に、まばらに広がった人類の版図。外惑星騒乱は鎮圧されたとはいえ、航空宇宙軍の人員は限られている。ましてや陸上戦闘用の将兵はわすかだ。となれば、外惑星の各地に派遣される人員も少なく、いきおい警備も手薄になる。それをどう補うかというと…

 小田雅久仁「長上」前編。来月43歳になる吉井泰之は、浅い眠りから目覚めた。“叫び“だ。まだだ。まだ俺は戦える。寝巻きは着ていない。ウィンドブレーカーを香れば、すぐに出かけられる。足音を忍ばせ家を出ようとするが、同居している母親の富久子に気づかれたようだ。

 うああ、ネタバレ全開で書きたい。悪と暴力に満ちた引用で始まる冒頭に、どうにも息苦しく身にこびり付く生活臭がプンプン臭う主人公の登場は、なんか純文学っぽい。が、主人公の吉井泰之が過去を回想する場面になると、この作者らしい異様な世界が広がってゆく。どう展開するのか、次回が楽しみ。

 第2回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作『ニルヤの島』刊行記念 柴田勝家インタビュウ。なんちゅうペンネームじゃ、と思っていたんだが、本人の 写真を見て納得。チョンマゲがないのが不思議なぐらいだw しかも一人称がワシw 柳田國男や諸星大二郎が出てくるあたりで、やっぱり納得してしまう。半村良も好きなのかなあ。

 新刊レビュウじゃ、山田正紀の「クトゥルフ少女戦隊 第一部 セカイをわたしのスカートに」に期待。SFでデビューしながら伝奇物・ミステリ・冒 険物と様々なジャンルに手を広げ、それでも何を書いてもやっぱり山田正紀節になる彼が、魔法少女物+クトゥルフをどう料理するのか。彼の若き日の旅行記が 読める日は来るんだろうか。

 飯田一史「エンタメSF・ファンタジイの構造」。今回は川原礫のソードアート・オンラインの分析。アンケートではライトノベル好きが男子26%女子15%と一番人気。これは予想通りとしても、SFが男子18%女子8%って、意外とSFも人気があるじゃないか。本を読まない率が5割としても、100人いたら12人がSFを好んでる勘定になる。1クラス40人なら4~5人はSFファン。これが本当ならSFの未来は明るい。

 …と思ってたら、なんとSFマガジン隔月化。すると4月号はサイコロ本に←ならねーよ

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2014年12月 2日 (火)

種村季弘「贋作者列伝」青土社

私は贋作者でもなければ詐欺師でもない。私は模写したことは一度もない。常に再建していただけだ!
  ――映画化された贋作過程 アルチェオ・ドッセナ

「馬鹿者どもが!」
取調中を通してエゴセントリックなまでに強情な表情を崩さなかったファン・メーヘレンは、口を開くとほとんど傲岸不遜に高飛車な口調になった。
「馬鹿者どもが! 私があの国家的美術財を敵に売っただと! とんでもない、あれは私が描いたのだ」
  ――愛国者 v.s. 贋作者 ハン・ファン・メーヘレンⅠ

【どんな本?】

 オットー・ヴァッカーの贋ゴッホ事件、聖マリア教会の壁画、サイタファルネス王の王冠、古の巨匠の新作を創りだす男、ヘルマン・ゲーリングをコケにした肖像画家。主にドイツを中心として、世を騒がせた有名な贋作事件n中から、皮肉な顛末を辿ったものを取り上る、愉快な西洋美術エッセイ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初版は1986年。その後、「模作と贋作の対話」を加えて1992年5月20日に青土社版から第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約269頁+あとがき6頁。9ポイント47字×17行×269頁=約214,931字、400字詰め原稿用紙で約534枚。長編小説なら標準的な分量。

 やや文体は古いが、特に読みにくいほどではない。西洋美術の話ではなるが、読みこなすのに特に前提知識も不要。必要な事柄は、すべて本文中に書いてある。リラックスして楽しみながら読もう。ただし、基本的に詐欺の話なので、少々込み入っている部分はある。

【構成は?】

 終盤のハン・ファン・メーヘレン以外は全て独立しているので、面白そうな所だけを拾い読みしてもいい。

  • ゴッホという幻想 オットー・ヴァッカー
  • ブロマイドのマリア ファイ v.s. ロータール・マルスカート
  • サイタファルネス王の王冠 イズライリ・ルホモフスキー
  • 映画化された贋作過程 アルチェオ・ドッセナ
  • 贋作を作らなかった贋作者 ベッピ・リフェッサー
  • 無署名のデューラーたち
  • 胴着姿の哲学詩人 ジョヴァンニ・バスティアニーニ
  • 愛国者 v.s. 贋作者 ハン・ファン・メーヘレンⅠ
  • 画家 v.s. 批評家 ハン・ファン・メーヘレンⅡ
  • コレクター v.s. 批評家 ハン・ファン・メーヘレンⅢ
  • 模作と贋作の対話
  • あとがき

【感想は?】

 やっぱり詐欺の話は面白い。

 特に、この本に収録した話は、偉そうな立場の人が一杯食わされる話が中心だ。それがまた、私のように無名な貧乏人にとっては、ウサ晴らしになって気分がいい。ええ、ひがんでます、はい。

 「贋作者列伝」という書名だが、心底からの贋作者は少ない。むしろ、「自分の作品」を作っているつもりが、気がついたら贋作者になっていたパターンが多いのも楽しい所。特に好感を持っちゃうのが、「贋作を作らなかった贋作者」のベッピ・リフェッサー。南チロルに住む彫刻家である。

 先祖から伝わった手法で彫刻を生業としていたリフェッサー、たまたまドイツ旅行でミュンヘンに来たときにニュースを見かける。そこで「14世紀ブルグント王国のさる彫刻家」として話題になっている作品は、どうみても、ついこの間、自分が作ったマドンナ彫刻だ。どうなってんだ?

 リフェッサーは画商ヨーゼフ・アウアーに350マルクで売った。それが何人かの手を渡り歩き、今はウィーンの国立オークション・ハウスのドロテーウムで、落札価格6万マルクに膨れ上がっている。

ちなみに1マルク約58円ぐらいらしい(→教えて!Goo)

 これは訴訟にまで発展したが、リフェッサーの証言でアッサリ決着がつく。「14世紀のゴシック彫像ならヒマラヤ杉を使っているはずで、彼の自作がそうであるようにカスターニエンを使っていないはずだ」。をーい、材質ぐらい調べておけよw

 これを仕掛けたのは、ヨーゼフ・アウアー。だが彼は、あまり儲けていない。転売時の金額は5千シリング(約5千マルク)。ウィーン警察に逮捕連行されたアウアーは、あっさり容疑を認め全てを白状する。曰く「ウィーンの専門家たちを笑い物にしたかった」。

かつてイタリアでセリ落とした高価な彫像二体にドローテウムの鑑定家たちから「コピー乃至贋作」のレッテルを貼られて、莫大な損害を蒙ったのを根に持っていたのだ。

 捕まらなきゃ丸儲け、捕まったところで連中の面子は潰せる。なかなかしたたかな奴だ。この手口のキモは、ドローテウムのお墨付きが価格に反映している点。一流のオークション・ハウスともなれば、カタログに載っただけでハクがつくのである。これを巧く使ったのが、フェルナン・ルグロ。

 手持ちの贋作をパーク・バーネットのオークションに出す。売れりゃ丸儲けだが、売れなきゃ自分で買い戻す。一割の手数料を取られるが、カタログには載る。これが鑑定書代わりとなり、ハクがつく。1963年・34年には日本にも来て、国立西洋美術館他で9千万円以上も荒稼ぎしてる。

 連中の手口はあくどい。古本屋から美術の稀覯を仕入れる。収録の作品写真が取り外しできるよう軽く糊付けしてあれば、作品のコピーを作って写真を取り、本の写真と差し替える。これで来歴ができるから、カモに見せればいい。

 「映画化された贋作過程」のアルチェオ・ドッセナも、なかなか皮肉。イタリアの小都市クレモナで生まれ育った石工。仕事を求めイタリア各地を渡り歩き、同時に各地の残るホンモノを見て回り、古の巨匠の芸を身につける。これに目をつけたのがアルフレド・ファソーリ&ロマーノ・パラッツィ。ソレっぽい来歴をデッチあげ、荒稼ぎする。

 この事件が特異なのは、ドッセナは模造してない点。古の巨匠の芸を真似た、新作を作ったのだ。ジミヘンのフォロワーで有名なロビン・トロワーみたいなモンか←わかんねーよ。 だが、取り分の少なさ(なんと1%前後)に不満を抱き、弁護士事務所に駆け込み、告発する。

 彼の告白は大騒ぎを巻き起こし、美術界では激論が交わされる。ドッセナの芸の見事な所は、幾つもの多様なな年代・芸風をモノにしている事。中には強情な人もいて…

イタリアには数百年来贋作者を養成する秘密の学校があり、「ドッセナはその頭目だったのだ」

 虎の穴かいw 最終的に、ドッセナの制作過程が映画化されるに至り、美術界は彼の言い分を認めざるを得なくなる。以後、ドッセナはイタリア美術界の巨匠となり、国内外からひっきりなしに仕事が舞い込み大繁盛しましたとさ。そりゃなあ。今、ジミヘンそっくりに弾けるギタリストがいれば、大人気間違いなしだろうなあ←しつこい

 冒頭の2番目の引用、ハン・ファン・メーヘレンも浮き沈みが激しい。第二次世界大戦後、オーストリアの塩抗からゲーリングのコレクションが見付かる。中の一つはオランダの画家フェルメールの作品だ。売買記録から浮きあがったのが、オランダの美術商メーヘレン。ナチに蹂躙されたオランダで、メーヘレンは国家の財産をナチに売った売国奴として裁かれる。

 そこで冒頭の台詞だ。一転、メーヘレンは国民的英雄になる。ゲーリングのクソ野郎に一杯食わせた愛国者というわけだ。ところが、話はこれだけじゃ終わらず…

 美術品は何かの役に立つわけじゃない。だから、機能は問題にならない。「オリジナルである事」に特別な価値がある。贋作者や詐欺師はそこにつけこみ、様々な策を弄する。ある者は金のために、またある者は復讐のために。かと思えば、ベッピ・リフェッサーのように、単に自分の技能に従って作品を生み出しているだけの人もいる。

 一見、近寄りがたい教養本のように見えて、実は人の情念とコン・ゲームが詰まった、楽しい読み物だった。

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