フローラ・ルイス「ヨーロッパ 統合への道 改訂増補 上・下」河出書房新社 友田錫訳 3
東ヨーロッパという概念は現代政治の概念であって、決して地理的なものではない。昔の東西の分裂は、ローマとビザンツの間の分裂だった。
――第二部 東ヨーロッパチャウシェスクは小男だったが、ほとんどそれとわからなかった。というのは、写真を撮らせるときには、子どもたちの真ん中にいるようにしたり、台の上に立って周囲の人よりも背が高く見えるように工夫したからだ。
――第26章 ルーマニア 消えた光ヨーロッパ統合という考え方はつねに政治的な発想から出てきたが、実際にこれを前進させることになったのは経済上の関心だった。
――第三部 機構としてのヨーロッパ――欧州連合(EU
フローラ・ルイス「ヨーロッパ 統合への道 改訂増補 上・下」河出書房新社 友田錫訳 2 から続く。
【どんな本?】
EEC → EC → EU と統合の度を深め、また参加国も順調に拡大しつつあるヨーロッパ。それを構成する・または隣接する各国は、それぞれ現在どんな状況にあるのか。どんな地域があり、どんな民族がいて、どんな歴史を歩んできたのか。どんな国民性で、どんな産業が盛んで、どんな問題を抱えているのか。
陸続きであり、歴史的に見れば国境も錯綜しているヨーロッパの各国を、EU統合という軸で眺めつつ、歴史・文化・民族構成・産業・政情など様々な視点で紹介する、一般向けの教養書。
【小国の利点 ベルギー・ルクセンブルク・スイス】
普通はオランダとベルギーとルクセンブルクを一緒にするんだが、前の記事に書いたように、オランダの政治情勢は北欧に近い。対して、この三国は小国である事を巧く利用している。
ベルギーはフランス語圏とフラマン語圏で深刻な対立がある。確かロンドンとパリを舞台にしたF.W.クロフツの本格派推理小説「樽」にもベルギーが出てきたが、フランス語で通していた。ベルギーが小国の利を攫ったわかりやすい例は、EUの本部がブリュッセルにある点だ。
ドイツ・フランス・イギリスなどの大国のどこに置いても、大きな軋轢をひき起こす。小国であり、かつ通信設備が充実してなきゃいけない。地理的な問題もあり、ブリュッセルに決まったとか。ついでにNATO の本部もブリュッセルなので、いわば「ヨーロッパの首都」の地位を獲得した。はいいが…
ベルギー政府はやっかいな儀典上の問題を抱えることになった。というのは、多くの国が三人の大使をここに派遣しているからだ。一人はECに派遣された大使、一人はNATOへの大使、そしてトーテムポールの一番下にいるのはベルギー政府に派遣された大使である。
ルクセンブルクも小さい国だが、国民は豊か。「一人当たりの家庭の電気消費量はヨーロッパでも最高だ」。1970年で国民の96.9%がカトリックだが、「根っからのリベラルな国だ」。スイス同様に金融業が発達している。面白いのが、電波商売。
…寛大な態度をとっているので、ヨーロッパのラジオ、テレビのセンターになった。電波は主として、最近までコマーシャルを国家統制の下においていたフランス向けだ。
あの辺は国境が錯綜しているので、隣国の番組も楽しめるわけ。欧州で言論の自由が発達したのは、こんな事情も絡んでいるのかも。抑えたところで、隣国から話が漏れるので無駄なのだ。
スイスも意図的に小国であろうとしている。ルクセンブルク同様、銀行で有名な国だ。かつては国際連盟の本部があったし、今も国際連合関係の施設が多い。これも中立の小国という立場によるものだろう。
この国で何かニュースがあるとすれば、ほとんどといってよいほど何かの重要な国際会議とか、外国人に関係するスキャンダルとかだ。スイス情勢なるものに注意を払うものは滅多にいないし、事実、注意をそそられるようなものも滅多にない。
酷い言い方に思えるが、これはスイス人がそう仕向けている部分がある。国民投票もスイスの有名な制度だが、「女性があらゆる選挙で投票できるようになったのはごく最近のことで、1989年のことである」「スイスはヨーロッパで最も保守的な国」らしい。
つまりスイスの本性はホテル業だ。ここには多くのガイジンが来るが、スイス人から見たら、それは全て「お客さん」なのである。あくまでビジネス上の付き合いで、スイス国内のことに口出ししない限りは快適に過ごせるし、そうするように仕向けている。中立ったって、徴兵制ありの武装中立だし。
【東ヨーロッパ】
全般に東ヨーロッパの章は、悲劇の色合いが濃い。第二次世界大戦後、ソ連に飲み込まれた地域だからだ。例えばポーランドは、連合国側として戦ったにも関わらず、東側に組み込まれてしまった。「いまの若いポーランド人には、アメリカとイギリスがヤルタで『(ポーランドを)裏切った』と非難する傾向がある」。
これは他の東欧諸国も似たようなもので。例えばチェコとスロヴァキア。1945年5月5日、撤退するドイツ軍に対し市民が蜂起する。パットン率いるアメリカ第三軍はプラハから64kmの所にいたが、アイゼンハワーに止められた。スターリンと決めた線まで撤退しろ、と。1968年の「プラハの春(→Wikipedia)」も、西側は口先だけで何もしなかった。
バルカン半島や黒海周辺は、歴史の動きが目まぐるしく、住む人も入り組んでいる。ギリシャ・トルコ・オーストリア・ロシアと近隣の大国に蹂躙されるばかりでなく、各国同士でも争いあった歴史がある。その結晶がユーゴスラヴィアの内戦だろう。どこも第二次大戦後、内戦や粛清が荒れ狂っている。
とまれ適応の巧い下手はあるようで。比較的に巧くやったのがハンガリー。ソ連の傀儡と見られていたヤノシュ・カダール(→Wikipedia)だが、見事に出し抜いて西側と貿易を始める。表向きは集団農場を維持しながら…
農民に小区画の個人営農地をもつことを認めて、そこでとれる農産物を自家消費ばかりでなく街でも売れるようにした。また、集団時農場のノルマを達成した農民には、個人の農地で集団農場の機械や設備を使うことも許可した。(略)集団農場にも加工工場その他の小さな工場を建設し、集団農場に大幅な経営の裁量を与えたことだった。
ここまで来ると、集団農場というより農協だね。1989年の東欧崩壊のきっかけを創った国だけのことはある。
対して今でも火種がくすぶっているユーゴスラヴィア。チトーがガッチリ抑えているうちは強引な方法も通じたが、元々が独立心旺盛な地域。例えばドリナ川の両岸の町ズヴォルニクとマリ・ズヴォルニク。町の人は橋を自由に往来したが、「郵便配達夫だけは通らない」。
ズヴォルニクはボスニア自治州の町で、マリ・ズヴォルニクはセルビア共和国の町だった。この二つの地域の間には郵便費用の分担に関する協定ができていないので、郵便物はいったん連邦首都のベオグラードを経由しなければならなかったのだ。
実は似たような話がイタリアにも出て来て。イタリアの郵便制度が信用できないため、企業は自分たちで流通網を作り上げたとか。これが資本主義国なら、宅急便の企業を立ち上げることも出来るんだけど、共産主義じゃ起業もままならないしなあ。
【終わりに】
原書の刊行が2001年と、現代の情勢を描く本にしてはやや古いのが欠点だが、ジャーナリストが書いた本だけあって、文章は読みやすいし、内容もわかりやすい。ハードカバーで一見威圧的に見えるが、内容は思ったより親しみやすい。最初の記事でアイルランドばかりを書いたのも、そのせいだ。欧州各国の事情と気質を知るには便利だし、欧州を旅行するなら読んでおいて損はない。
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