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2014年11月13日 (木)

アントニイ・バージェス「時計じかけのオレンジ[完全版]」ハヤカワepi文庫 乾信一郎訳

「善良になるということはそれほどすてきなことではあるまいよ、6655321君。善良になるということは、ぞっとするようないやなことかもしれない」

【どんな本?】

 1917年生まれのイギリスの作家アントニイ・バージェスが、1962年に発表した問題作。後にスタンリー・キューブリックにより映画化され、不良少年たちの暴力がスタイリッシュに描かれ、過激な描写が話題を呼び社会問題となった。

 近未来を舞台に、薬物乱用・強盗・強姦・乱闘・暴走はては殺人など次々と犯罪を犯す荒れ狂う若者と、彼らを更正させる手法を巡る自由と道徳の葛藤を描き、若者と大人・善と悪と自由の問題を読者に突きつける作品。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A Clockwork Orange, by Anthony Burgess, 1962。日本語版は1980年3月に早川書房より単行本が刊行。私が読んだのは文庫版で、2008年9月15日発行。ちと発行の経緯がややこしいんで、後で説明する。

 文庫本縦一段組みで本文約304頁+柳下毅一郎の解説「時計じかけのオレンジみたいに不思議(ストレンジ)」8頁。9.5ポイント39字×17行×304頁=約201,552字。400字詰め原稿用紙で約504枚。長編小説としては標準的な長さ。

 文章は読みにくい。これは意図的なものだ。そもそも原書も読みにくい文章だし。

 物語は、未来の不良少年が語る形で進む。昔も今も、日本でもアメリカでもイギリスでも、不良は独特の言葉づかいをする。そこで、著者は未来の不良少年の言葉を創作したのである。訳文は原書の未来の不良言葉の臭いを、なるべく日本語に残そうとした。その結果、訳文も、ケッタイで頭が悪そうな文章になっている。

 内要は特に難しくない。舞台は未来の割に、出てくるガジェットはやや古めかしいが、そこはご愛嬌。重要なガジェットはひとつだけ、主人公アレックスが刑務所で受ける更正措置、ルドビコ法だけ。

【発行の経緯】

 この版は完全版で、第3部の第7章、つまり最終章を復活させた版である。従来の文庫本は、最終章を割愛したものだ。キューブリックの映画は、最終章を割愛した従来版を基にしている。最終章の有無で作品の印象が大きく違ってくるので、できれば完全版を読もう。

  • 1962年 イギリスで完全版を出版。
  • 1962年 アメリカで従来版を出版。
  • 1971年 日本で従来版の単行本を出版。
  • 不明  日本で従来版の文庫本を出版。
  • 1980年 日本で早川書房が<アントニイ・バージェス選集>として完全版を出版。
  • 1986年 米国で完全版を出版。
  • 2008年 日本で完全版の文庫本を出版。

【どんな話?】

 アレックス・ピート・ジョージー・ディムの四人は、コロバ・ミルクバーに集まり、今夜の予定を話し合う。ミルクバーだから酒はないけど、ミルクに別の何かを入れても構わないだろ?ファッションもバッチリ決めて通りに出る。おあつらえ向きに、老校長タイプが来た。俺たちは奴を囲んで、楽しくボコった後で、みぐるみ剥いでやったのさ。

【感想:要注意、ネタバレあり】

 いつもは出来るだけネタバレを避けるんだが、今回はご容赦いただきたい。この作品のテーマに大きく関わっているので、どうしてもネタに触れたいのだ。

 全体は三部構成だ。第一部は、不良少年アレックスが暴れまわり、警察に捕まるまで。第二部はアレックスが刑務所で、更正のためにルドビコ療法を受け釈放されるまで。第三部は娑婆に出たアレックスを描く。

 第一部では、これでもかというぐらいに、アレックスと仲間たちのクズっぷりを描いてゆく。日本の不良漫画は不良なりの仁義や友情があるが、この作品にそんなものはない。冒頭から老紳士にイチャモンつけて四人でいたぶり、血を流す彼の姿を面白がって笑う。人をいたぶるのが楽しくて仕方がない連中なのだ。

 これはホンの序の口。賄賂で証人を買収した上で商店を襲って金を巻き上げ、敵のチームと乱闘し、住宅に押し込んで強盗した上に家を破壊し、車を盗んで暴走した挙句にひき逃げし…。おまけに仲間内で「誰がボスか」を巡って争い、ヤバくなったら仲間を売って自分の罪を軽くしようとする。

 誰が見ても悪の権化としか思えない、救いようのない極悪人だ。そのくせ、捕まると「このくそ野郎どもにかかっちゃ、公正な扱いなんてありっこねえ」である。ナニサマのつもりだ。ここまで読者に嫌われる主人公も珍しい。

 しかも、物語はアレックスの語りで進むのが、更に気分を悪くする。彼の心中が描かれるからだ。徹底した悪党のクセに、なんとか自分を正当化しようとするセコい奴。自分の利益しか考えない、甘ったれたクソガキ。作者は、アレックスに嫌悪感を抱かせるように描いているのである。

 作品のテーマが現れるのは、第二部に入ってから。刑務所でも、アレックスは全く反省していない。「刑務所は彼に作り笑いすることを教え、両手をもみ合わせる偽善を教え、卑屈でおせじたらたらのへつらいを教えたのです」。韜晦師に取り入って快適な地位を手に入れるが、その手口はアレックスのクズっぷりが更に酷くなっている事を示している。

 そこで新しく導入されるのが、ルドビコ法。これが物語のキモとなる仕掛けだ。

 医学的な措置により、アレックスの行動を変えようとするものだ。この措置の詳細はわからなくてもいい。というか、作者も適当に誤魔化している。重要なのは効果だ。措置を受けたアレックスは、暴力や破壊行為に対し、吐き気と恐怖を感じるようになる。アレックスの意思とは無関係に、無害な人間にさせられるのである。

 彼が無害になる過程は、気分がよかった。処置により暴力が苦手になった彼は、暴力的な映像を見て苦しむ。アレックスを観察する研究者たちは、苦しむ彼を見て喜ぶ。私も喜んだ。「ざまあみろ」と。

 正直言って、私はこれを読んで「おお、こんな技術があったらいいな」と思った。今でもそう思っている。だが、作者は、この手法に疑問を呈してゆく。

「…善というものは、心の中から来るものなんだよ、6655321君。善というのは、選ばれるべきものなんだ。人が、選ぶことができなくなった時、その人は人であることをやめたのだ」

 これを語るのは、韜晦師である。つまり、キリスト教的な考え方だ。

 強制的に強いられた善行は、善ではない。善は、本人の自由意志によるものでなければならない。だから、人には自由が必要なのである。そういう思想なんだろう。一見、宗教と自由は相性が悪いようだが、キリスト教が浸透した欧州で自由主義が発展したのは、このためなんだろうか。

 第三部では、出所したアレックスを描いてゆく。ルドビコ法の最初の被験者として有名になったアレックスは、様々な事件に巻き込まれてゆく。かつてカモにした老人たちにはブチのめされ、家族からは家を叩きだされる。そんな彼に救いの手を圧し伸べたのは、ルドビコ法に反対する政治勢力だった…

 ルドビコ法に対する賛否を示す立場は、現在の日本の死刑に対する対立を思わせる。

 世に害をなさずにはおれぬ者たち。心底ゲスな連中ども。そんな連中の行動を、強制的に変える方法があったら、我々はそれを使うべきなのだろうか。

 実のところ、私は功利主義で、善悪をあまり考えない立場だ。善悪の基準は人によって違うから、考えたってしょうがない。それより利害だけを考え、人に迷惑をかけない限り好きにさせればいい、そういう立場である。そういう立場だと、この物語のテーマ「善悪と自由」は、違った様相を示す。「損益と自由」で考えてしまうのだ。

 損得勘定で考えるので、心の中は重要じゃない。アレックスの本性は処置を受けても変わらなかった。でも無害にはなった。それでいいじゃないか。私はそう考えるのである。

 だが、この本はもう一つの懸念を示している。全体主義の脅威だ。人の自由を尊重しない社会は、やがて全体主義へと陥る可能性が高い。それはそれで、功利主義としても都合が悪い。

 が、それ以前に、善悪を重要視する人もいる。そういう人は、この物語をどう受け取るんだろう? たぶん話し合っても私とは合意に達しないだろうが、話を聞いてみたい、とも思う。善悪と共に自由を重視する人は、どう感じるんだろうか。韜晦師の言葉に頷く立場の人は、どう思うんだろうか。

 暴力的かつ退廃的な描写が多いので辟易する人も多いだろうが、読者の倫理的な立場を自覚させる、リトマス試験紙的な作品だ。

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