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2014年11月17日 (月)

ジョナサン・ハイト「社会はなぜ左と右にわかれるのか」紀伊國屋書店 高橋洋訳 2

…道徳基盤理論の観点からすると、地方や労働者階級の有権者は、自らの道徳的な関心に従って投票している。
  ――第8章 保守主義者の優位

 本章では、「道徳は人を結びつけると同時に盲目にする」という道徳心理学の第三原理の探求を続ける。多くの科学者が宗教を誤解している理由は、この原理を無視して表面しか見ずに、集団とそれがもたらす結束ではなく、個人と迷信に焦点を絞ろうとするからだ。
  ――第11章 宗教はチームスポーツだ

 ジョナサン・ハイト「社会はなぜ左と右にわかれるのか」紀伊國屋書店 高橋洋訳 1 から続く。

【どんな本?】

 人はそれぞれ、怒りのツボっが違う。小動物の虐待、国旗の侮辱、嘘。いずれも多くの人が嫌な気分になるが、どれが最も嫌かは人により違うし、事情により許せる人もいれば許せない人もいる。ヒトはどうやって善と悪を区別するんだろう? 善と悪は、どんなモノサシで決まるんだろう?

 一般に保守系の政党は、福祉を軽視する。にもかかわらず、福祉の恩恵を最も大きく受けるはずの労働者階級は、保守系を支持する場合が多い。なぜリベラルの政策が労働者階級に受け入れられず、保守系が受けるんだろう?

 ヒトの道徳判断の原理を明らかにして、それが現代の選挙政治に与える影響を見据え、リベラル系が支持を増やす方法を提案すると同時に、ヒトが道徳を持つに至った経緯と、道徳が何の役に立つのかを考察し、人々の対立を減らす方法を探る、一般向けの啓蒙書。

【感想は?】

 自称「リベラルな無神論者」が書いた本だ。その影響は前の記事に書いた。

 第1部では、ショッキングな事実を明らかにする。ヒトは直感で善悪を判断し、その後で理由を考える、と。だが、この仮説には奇妙な点がある。ではなぜ、人により同じ事柄の善悪判断が違うんだろう?私と違う意見の者は、悪人なのか?

 これを考えるのが、第2部だ。著者はこれを味覚に例える。「善悪の判断基準は一つではない、少なくとも六つの基準がある」と。

 コーヒーは苦く、レモンは酸っぱい。人には甘味・塩味・苦味・苦味・うま味の五つの味覚がある。その混じり具合で、人は千差万別の味を見分け、楽しむ。もちろん舌触りや臭いも美味しさに大きな影響を与えるが、ここでは単純化するために省く。

味覚の舌触りや臭いに当たるものは、道徳判断にもある由を、第1章で示している事に、今気がついた。感想を書くって、意外な効果があるなあ。

 では、道徳の基準は何か。様々なアンケートを分析して、著者はまず5個の要素を見出し、後にもう一つ加えて6個とした。曰く、ケア/危害、公正/欺瞞、忠誠/背信、権威/転覆、神聖/堕落、自由/抑圧。ヒトはこの6つのアンテナを持つ。ただ、それぞれの感度のバランスが、人により違うのだ。

 ケア/危機。消毒済みの注射針がある。誰だって無意味に針を刺されたくない。だが、自分が刺されるのと、見知らぬ子供が刺されるのと、あなたはどっちが嫌だろうか? 多くの人は、子供が刺されるほうが嫌だろう。交代できるのなら、交代したいと思う。みんな、傷ついた者・子供・弱い者を守りたいのだ。これがケア/危機基盤だ。

 公正/欺瞞。より多くの苦労を引き受ける者が、より多くの報酬を得る。多くの人が、それは正しいと感じる。人に助けられたら、お礼をしたいと思う。カネであれ気持ちであれ、相応しい行為には相応しい応酬があって欲しい。恩を仇で返す奴は、みんな嫌いだ。これが公正/欺瞞である。

 忠誠/背信。分かりやすいのが、「売国奴」「裏切り者」という言葉だ。みんな、何かの集団に属している。そして、集団に利益をもたらす者が好きで、裏切る奴は嫌いだ。これは仲間の結束を強める反面、他の集団との対立をもたらす場合もある。巨人ファンと阪神ファンが仲良く野球の話をするのは難しい。野球なら喧嘩で済むが、国となると…

 権威/転覆。社会には多かれ少なかれ上下関係がある。一般に若い者は年配者を敬う。組織には役職の階層がある。多くの若者は年配者に対し自然と敬語を使う。少なくとも丁寧に話そうと努力する。人は序列に従う者を好ましく感じ、逆らう者を嫌う。これが権威/転覆だ。

 神聖/堕落。キリスト教徒は聖書を大事にする。ニューエイジ系はデトックス(→Wikipedia)などで「毒素」を排出しようとする。思えば「宿便」なんて言葉もコレだ。多くの日本人は食べ物を粗末にするのを嫌う。人肉食は忌み嫌われる。尊厳死には様々な意見がある。「理屈じゃ巧く言えないが、世の中には汚しちゃいけないモノがあるんだ」、そういう感覚が神聖/堕落である。

 自由/抑圧。これを最重要視するのが、リバタリアンだ。「誰だって、自分の人生を自分で決める権利がある」、そういう感覚である。この言葉に違和感があるなら、別の言い方をしよう。「人をモノみたく支配しちゃいけない、奴隷になんかしちゃいけない」。

 誰だって、多かれ少なかれ、先の6つのアンテナを持っている。ただ、人により、アンテナの感度が違うのだ。一般にリベラルはケアと公正の感度が高く、保守はリベラルに比べ忠誠と権威と神聖に敏感で、自由を最も大事と考えるのがリバタリアンだ。

リバタリアンは米国に多く、日本と欧州は少ない。インドは更に少ないだろうし、北朝鮮では殺されるだろう。とすると、もしかすると、基盤は6つより多いかもしれない。リバタリアンが多いアメリカだから自由/抑圧基盤が見付かったんで、中国やコンゴでは別の基盤があるかも知れない。

 また、基盤がたった6つというと単純そうに思えるが、逆だ。数学的には座標系が6次元の空間になる。1次元の直線を中央で区切ると、右と左の二つの領域に分かれる。二次元の正方形を、十字の二本の線で分けると、四つの領域が出来る。三次元の立方体だと8個…となり、6次元だと64の領域に分かれる。

 「二つに分ける」とは、モノゴトを「いい/悪い」のたった二つに分ける考え方だ。だが人間はアナログだ。もっと繊細に識別している。大雑把に「いい/少しいい/少し悪い/悪い」の四つに分けただけでも、6次元では4096個に分かれる。5段階では15625、6段階では46656、7段階では117,649と爆発的に増えてゆく。

 私は無神論者だが、聖書を粗末にしたらキリスト教徒は不愉快だろうなあ、ぐらいはわかる。こういう、なんとなく感じている事柄が、キチンと整理されて言葉になってゆくのは心地よい。話が合わない知人の気持ちも、なんとなく判った気分になる。彼らは、彼らの正義感に従って生きている。愚かでも無神経でもないのだ。

 などとリベラルな無神論者の私は感心しながら読んだのだが、熱心な宗教信者にとっては、こう分析的に記述されるのは、どんな気分なんだろう?

 というのは置いて。保守が強い理由を、著者は上の基盤で説明してゆく。リベラルはケアと公正に訴えるが、保守は全ての基盤に訴える。それ故に保守が強くリベラルが弱いのだ、と。そう考えると、ジョン・F・毛ケネディの演説の巧みさが光ってくる。

「国家があなたのために何ができるかではなく、あなたが国家に何ができるのかを問うて欲しい」

 リベラルな民主党候補でありながら、保守の忠誠や権威にも訴えかける、巧みな言葉だ。

 最後の第3部は、随所にE・O・ウィルソンの社会生物学を引き合いに出しながら、なぜ6つの基盤が発達したのかを進化論的に考察してゆく。ここは考察であって、直接的な実験の結果は少ない。ある意味、最も哲学的とも言えるが、実証がないだけに、やや暴走気味の感もあるが、理屈としては面白い。

 つまるところ人間は社会的動物で、社会の中の個体の行動としてみた場合、それぞれの道徳基盤はどう個体に有利に働くか、そういう考察だ。ゲーム理論と組み合わせている部分もあって、囚人のジレンマの様々なバリエーションも出てくる。宗教に関しても、私がおぼろげに感じている「働き」を補強する部分もあって、そこは読んでいて気分が良かった。

 現代のアメリカ人向けの本のため、日本人にはピンとこない例もあるが、そこを割り引いても、色々と考え込んでしまう内容が多い。秋の夜長には適した本だろう。

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