ジョナサン・ハイト「社会はなぜ左と右にわかれるのか」紀伊國屋書店 高橋洋訳 1
本書は、皆で仲良くやっていくことが、なぜかくも困難なのかを考える本だ。実際に私たちは、ここでしばらく生きていかなきゃいけない。だから、なぜ私たちはすぐに敵対するグループに分裂し、おのおのが自分たちの正義を盲目的に信じ込んでしまうのかを理解するために、少なくとも、まずはできることから始めなければならない。
――はじめに私たちは、「なぜ自分がある特定の判断に至ったのか」を説明する、現実的な理由を再構成するために道徳的な思考を働かせるのではない。そうではなく、「なぜ他の人たちも自分の判断に賛成すべきか」を説明する、考え得るもっとも有力な理由を見つけ出すために道徳的思考を働かせるのだ。
――第2章 理性の尻尾を振る直感的な犬
【どんな本?】
世の中には様々な人がいる。福祉を重視するリベラルは、保守を「冷酷なファシスト」と罵る。秩序を重んじる保守派は、自由を求める者を「混乱をもたらす売国奴」と蔑む。無神論者は宗教信者を「迷信に惑う愚か者」と見下し、宗教信者は無神論者を「道徳を持たぬ不届き者」と貶す。
なぜ、こんなに考え方が違うのだろう? なぜ、様々な考え方が出てきたのだろう? なぜ政治や宗教の議論はアツくなり合意に達しないのだろう? なぜ福祉を重視するリベラルが貧しい者の支持を得られないのだろう?
社会心理学者の著者が、「道徳」や「正義」を、その構成要素にまで分解し、それぞれの発生理由を考察しつつ、それが社会に与える利益と損害を見つけ出し、「仲良くやってゆく」方法を探る、一般向けの啓蒙書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Righteous Mind - Why Good People Are Divided by Politics and Religion, by Jonathan Haidt, 2012。日本語版は2014年4月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約475頁。9ポイント43字×17行×475頁=約347,225字、400字詰め原稿用紙で約869枚。長編小説なら厚い文庫本一冊ぐらいの量。
訳文は比較的にこなれている。特に前提知識が必要な内容でもない。一部に哲学的で面倒くさい文章があるが、じっくり読めば中学生でも理解できるだろう。ただ、アメリカ人向けに書かれた本なので、出てくる例もアメリカ人が多い。共和党は保守っぽく、民主党はリベラルっぽい、ぐらいに思っていれば充分。
【構成は?】
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全体は3部だ。著者は「はじめに」で「とりあえずこれらを三冊のの別の本と見なしてもよいだろう」と書いているが、できれば素直に頭から読んだほうがいい。
【感想は?】
自称「リベラルな無神論者」が書いた、政治・宗教・道徳をテーマとした本だ。だから、立場や考え方によっては不愉快に感じる人もいる。
この手の本は、評者の立場で評価が大きく違う。だから、私の立場を示しておく。私は著者同様、リベラルで無神論者だ。自分じゃ極端なリベラルだと思っていたが、この本は面白く読めたんで、実は穏健派だったらしい。ちょいリバタリアンも入っているが、経済政策は福祉重視だ。無神論者としてもヌルい。葬式じゃ素直に様式に従う。
本書を受け入れやすいのは、「穏健派」と呼ばれる人だ。保守でもリベラルでも構わない。「矛盾を抱えた人」と言い変えてもいい。保守なのに、差別が嫌いな人。リベラルなのに、家族の絆を大事に思う人。宗教信者なのに、科学や工学が好きな人。無神論者なのに、寺や神社や教会では居住まいを正す人。
そして何より、異なった立場の人の考え方を理解したいと思っている人。ただし、重要な前提がある。進化論を受け入れる人である事だ。ヒトは遺伝子やホルモンに思考や行動を振り回される部分がある、と納得している事。ヒトを「タンパク質でできた機械」と見なしても、「そういう部分もある」ぐらいには受け入れる余地のある人向けだ。
本書を不愉快に感じるのは、どんな立場であれドップリとハマっている人だ。世間から見たら原理主義に見える人。それは保守でもリベラルでも宗教でも無神論でもいい。または、どんな理由であれ、進化論を忌み嫌う人も、本書を不愉快に感じるだろう。
結論から言うと。「保守もリベラルも、理屈で考えてそうなるんじゃない。ほとんど直感的にそうなるんだ」「宗教や保守的な道徳には利も害もある。全般として利の方が大きく、必須でもある。ヒトは直感的にそういうモノを求めるんだ」である。
保守的な道徳に利を認めのはリベラルとして不愉快だし、宗教を必須とまで言うのは無神論者として認めがたい。それ以上に、保守や宗教信者は道徳や信心を利害で語る点に、不遜な印象を受けるんじゃないだろうか。
なお、本書はアメリカ人向けに書いているため、保守とリベラルを対立軸に置いていて、共産主義は入らない。
第1章から、結構ショッキングな現実を明らかにする。我々は理屈で考えて保守やリベラルの立場を決めていると思い込んでいたが、どうも違うらしい。この記事の冒頭の引用がソレだ。人は直感で善悪を決め、理屈で裏づけする。だから、政治や宗教の議論は堂々巡りになるのだ。お互いに、最初から結論が決まってるんだから。
問題は「直感」という言葉だ。まるで遺伝子で決まっているように聞こえるが、少し違う。育った社会や、その時の環境、質問の方法などで違ってくるのだ。リバタリアンはアメリカに多く、日本と欧州に少なく、インドじゃ滅多にいない。これは文化的背景の影響だ。もっと怖いのは、質問時の影響である。
トロント大学のチェンボ・ゾンは、質問票に記入する前にせっけんで手を洗わせると、被験者は(ポルノや麻薬などについての)道徳的な潔癖さに関する問いに答える際、より厳しい判断を下すようになったと報告している。
だが理屈も無力ではない。議論にも効果はある…かも、しれない。本書では、成人の兄妹の一度きりの情事の是非を、ハーバード大学の学生に尋ねた実験を例に出している。もちろん、充分な避妊をし、双方の合意がある前提だ。
速攻で返答を求めた場合、または出来の悪い議論を聞かせた後で返答を求めた場合、返答は議論の影響を受けない。つまり、議論は無駄だ。だが、質の高い議論を聞かせた上で、二分間ほど意見表明を待たせた場合、寛容になる傾向があった。
高度な教育を受けた者に対し、質の高い議論を示し、判断する時間を二分ほど与えた場合は、理屈が影響を与えるらしい、ただし、この傾向を示した「研究は一つしか知らない」。いずれにせよ、2ちゃんの議論はあまし影響力ないみたいだ。
などと、第1部では、ヒトの持つ理性の無力さ、または直感の強力さを、イヤと言うほど見せ付けられる。それが、どう保守やリベラルと関わってくるのか、宗教はどんな影響があるのかを描くのが、第2部と第3部。長くなったので、次の記事に続く。
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