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2014年10月20日 (月)

筒井康隆「虚航船団」新潮社

 まずコンパスが登場する。彼は気がくるっていた。針のつけ根がゆるんでいたので完全な円は描けなかったが自分ではそれを完全な円だと信じこんでいた。彼は両脚を屈伸できる中コンパスである。しかし彼が実際に両脚を屈伸させる場合は極めて少い。

【どんな本?】

 日本SF界の巨匠・筒井康隆が、その妄想と狂気を全開にしつつ、あらゆる手法・技術を尽くして無理矢理に小説の形に整えた、小説の限界点を示し賛否両論が渦巻く問題作。

 宇宙を航行する大船団の中の一隻、文具船。乗り込むのは船長の赤鉛筆を筆頭に、副船長のメモ用紙・船医の紙の楮など幹部をはじめ、船員は中コンパス・大学ノート・ナンバリング・ホチキスなど、文房具ばかり。しかも、その全員が狂っていた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1984年5月15日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約464頁。今は文庫本が出ている。9ポイント43字×21行×464頁=約418,992字、400字詰め原稿用紙で約1048枚。文庫本なら2冊分ぐらいの分量。

 文章はいつもの筒井節。やや乱暴で口汚くてケンカ腰で欲望丸出しでエネルギッシュでリズミカル…って、まるきしヒップホップじゃん。読みこなすのに特に知識は要らない。ただ、筒井康隆のアクの強い芸風が色濃く出ている作品のため、初めて筒井康隆を読む人は、初期の短編集などで肩慣らししておく方が無難。宇宙衞生博覧会とか←をい

【構成は?】

第一章 文房具
第二章 鼬族十種
第三章 神話

【感想は?】

 筒井康隆、大暴れ。

 SFとして出版したのなら、絶賛の声ばかりだったろう。「純文学書下ろし」で出版するあたりが、無謀というか稀代のケンカ屋らしいというか。

 そもそも、かなり読者を選ぶのだ。第一部の登場する者の大半が、文房具ばかりだし。スマートさに拘るコンパスとか、「なんじゃそりゃ」だ。読む限り、格好はまさしくコンパスらしいのだが、ちゃんとモノを考えたり話したり泣いたり排泄したり死んだりする。

 いったい、どんな格好をしているんだ? どこに口があるんだ? どうやって歩くんだ?

 などと考え出すとキリがない。ソコは「そういうものだ」で済ましておける人だけが、読み続けられる。この辺はSF的なお約束…と言いたいのだが、この作品の場合はSFの枠すらはみ出している感があるので、むしろ筒井康隆作品のお約束と言う方が正確だろう。いきなり最初の三行から、向かない読者をふり落とすロケットスタートぶり。ある意味、親切かも。

 コンパスが宇宙船で観測要員を務めるって時点で無茶っぷりは充分なのに、第一章では出てくる者(物?)全てが狂っているというデタラメさ加減。しかも、それぞれに狂い方が違っていて、それをこと細かに描くからたまらない。

 やたらと陰険で被害妄想で攻撃的な奴が多いのも、筒井作品の特徴。誰彼構わず言いがかりをつけまくるホチキスとか、実に鬱陶しい奴だが、なんとなくかつて同僚だった某を思い出したり。こういう人の嫌な所をデフォルメして描かせたら、筒井康隆の筆は冴える冴える。

 などの人格描写の従来どおりの芸に加え、この本では印刷屋泣かせの困った仕掛けも山盛り。

 ここでも、最も嫌な奴はホチキス。彼が針を飛ばす描写とか、書籍の形になって読む側は「うひゃ、面白い仕掛けだ」で済むけど、こんな原稿を渡された印刷会社は途方に暮れただろうなあ、と思う。二光印刷さん、ご苦労様です。校正は地獄を見ただろうなあ。ナンバリングも無茶やってるし。

 んな狂人ばかりで果たしてマトモに宇宙船が飛ばせるのか?とも思うが、イカれているそれぞれの文房具たちを見ると、なんか自分の職場にも同じような奴ばっかりのようにも思えてきて(←イヤそれは重症です)、なんとかなっちゃうのが世の中なのかも。

 ってな第一章に続き、第二章は、なんと世界史・日本史のパロディ。パロディってのは元ネタを知らないと面白くないもので、正直に告白すると、私は第二章の前半はよくわからなかった。面白くなったのは「時計の組み立てを好んだ」ブル五世(在位886―895)あたりから。グリタイジョ合鼬国台頭から後は、もう笑いっぱなし。

 表向きのお話は惑星クォールにおける鼬族十種類の歴史なんだが、出てくるのはオコジョやスカンクなど馴染みのある種から、タイラ(→Wikipedia)・クズリ(→Wikipedia)・ゾリラ(→Wikipedia)など耳慣れない種まで、色とりどり。イイズナ(→Wikipedia)って、日本にいるんだなあ。

 パロディではあるものの、人類の歴史を巧いことシャッフル&ブレンドして各国に複数の役割を割り当て、いかにもソレっぽく歴史を紡いでゆく。なんだかフランスっぽいなと思っていたドストニアが、いつの間にやらロシアにスリ変わってたり、エコノスがドイツと日本の二役を演じてたり。

 などの章を受けて始まる第三章は、もう完全に筒井康隆やりたい放題。

 時間も空間も徹底的にシャッフルしまくり、視点も語り手も短いフィルムをつなぎ合わせたかのように次々と切り替えながら、文房具と鼬の戦いを様々な人?の目線で、モザイク状に浮き上がらせてゆく。という手法は序盤から最後まで一貫しているものの、終盤に差し掛かると…。

 そりゃもう、こんな作品を「純文学」などと銘打って出したら、アチコチから叩かれまくるのは確実で。この人の性格からして、叩かれるのはわかっててやったんだろうなあw 嬉々として喧嘩を買いまくる姿が目に浮かぶ。だってSFとして出したら、絶賛ばかりで誰もケチつけないに決まってるし。それじゃつまらないから、喧嘩するためワザと純文学って事にしたんでしょ。

 喧嘩屋・筒井康隆が、「俺より強い奴に会いに行く」とばかりに、日本の文壇に叩きつけた果たし状であり、それまでの筒井康隆の芸の総決算であり、文学の新しい境地を切り開くというよりなぎ払い焦土と化す怪作でもある。「変な本」が読みたければ、文句なしにお勧めの作品。ただし相応の覚悟はすること。

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