チャールズ・ペレグリーノ「タイタニック 百年目の真実」原書房 伊藤綺訳
タイタニックのラスティクル礁は20種以上のバクテリアと真菌生物からなる複雑な生き物で、成長帯の層や相互に連結した循環系のチャネルが見られる。この生きている化石は、多細胞生物がきわめてまれなものではなく、水と適切な鉱物が存在する場所ならどこでも発生する可能性があることを暗示している。
歴史が教えているのは、人間があらゆることを想定したと思ったとたん、自然はほかのことを考えはじめるということだ。
【どんな本?】
1912年4月14日午後11時40分、豪華客船タイタニック号は氷山と衝突、沈没する。2001年、映画監督ジェームズ・キャメロンなどのチームは、深海探査用のロボットなどを駆使して沈没したタイタニックを調査し、多くの映像やサンプルを得た。それはタイタニックの沈没の様子を物語る証拠でもあり、深海における旺盛な生物活動の資料でもあった。
科学者で作家でもある著者が、複数回のタイタニック調査に同行して得た資料から得た深海生物の実態や、船体の損壊具合から推測する事故の進行模様を明らかにすると共に、同船関係の文書を漁って得た情報を元に、タイタニックに乗り合わせた人々の人生を再現するノンフィクション。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Farewell, Titanic - Her Final Legacy, by Charles Pellegrino, 2012。日本語版は2012年10月1日初版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約486頁+訳者あとがき4頁。9.5ポイント44字×18行×486頁=約384,912字、400字詰め原稿用紙で約963頁。長編小説なら文庫本2冊分ぐらいの分量。
正直言って、文章は読みにくい。一つの文章が長すぎる。修飾する言葉と修飾される言葉が離れていて、意味が掴みにくい文章が多い。内要は特に難しくない。多くの人が出てくるので混乱しがちだが、巻末の索引を見ればいい。ただ、タイタニックの構造図が欲しかった。「ボイラー室」と書かれても、どこにあるのか見当がつかないので、船内の描写は位置関係が掴めない。
【構成は?】
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各章の中で、当事のタイタニックの様子・各登場人物の人生・調査の模様・調査で分かった事柄などを、並行して描いている。出来れば頭から素直に読むほうがいいだろう。
【感想は?】
かなり読むのが辛い本だった。
訳文がこなれていないのもあるが、内容も悲劇の物語が多いからだ。客船が沈み多くの犠牲者が出た話なんだから、悲劇が多いのも当然なんだけど。
避けられなかったのなら、まだマシだ。だが、これはどう考えても人災だ。深夜の真っ暗な海、しかも氷山がウジャウジャある中を、22ノット(時速約40km)で突っ走っている。査問会に呼ばれたサー・アーネスト・シャクルトン(→Wikipedia)曰く「浮氷原のなかをそんな速度で航行する権利はだれにもありません」
運用も酷い。「2200名以上の乗員乗客に対して、救命ボートの最大収容人数が1180名」。最初から足りなかった。その上、避難を指揮する乗員の一部は「新型の救命ボートは旧式の型と同様こわれやすく危険であり、したがって定員の半分の人数でしか着水させなれない」と思い込んでいた。
よって、ボートに乗る人間は選別される。優先すべきは一等船客と女性。夫と離れたがらない奥様もいたが、その時は子供をひったくってボートに放り投げる。すると奥様は子供を追っていくので、一緒にボートに押し込む。それでも一等船客はマシだ。
一等ではひとりを除いて、すべての子供が助かった。三等では子供が三人かそれ以上いる家族は全員が命を落とした――そう、全員である。
ばかりではない。タイタニックに乗ってた事すら、誰も知らない者がいるのだ。密航者である。火夫は語る。
「当時、密航するのはとても簡単でした」「連中は世界を渡り歩く放浪者でした。私たちはいつも彼らを歓迎しました。というのも[秘密を守るのとひきかえに]密航者は私たちの部屋を掃除してくれたからです」
ボートに乗り込んでからも辛い。氷山が浮いてるような海面だから、そりゃ寒い。着の身着のままで出てきたから、低体温症で亡くなる人もいた。悲惨なのは、ボートに乗れず海に飛び込んだ人だ。近くにあるボートに泳いでいくと…
などの人間ドラマの他に、タイタニックが沈む海面下4000メートルの深海に広がるドラマもある。
ラスティクル(→Wikipedia)だ。沈んだ船の残骸から、ウニョウニョと生えてくるナマコの縄のれんみたいなアレである。単一の生物ではなく、嫌気性還元バクテリア・好気性バクテリアが複雑に入り混じったものだ。タイタニックのラスティクルは、数百キロも離れた熱水噴出孔から来た生物も含んでいるらしい。しかも…
海綿動物やコケ類、動物や植物と同類と思われる、導管、維管束、気孔、ほかの複雑な構造を見つけた
のだ。単細胞生物の集まりのクセに、中に複雑な構造があるとは。これは鉄分が大好きで、沈んだタイタニックを加速度的に分解している。本書を読む限り、これは表面積が関係しているらしい。小さなヒビがあると、そこから入り込んで鋼鉄を食らい、更に隙間を広げてゆくのである。ばかりか…
五年前、同僚のひとりが口からタイタニックのラスティクルに感染したことがあった。(略)歯の中の鉄(とそのまわりの物質のほとんど)を、口蓋外科医が「チーズ」と表現するものに変化させていた。
これだけシンドい想いをしたってのに、この人はめげない。なんたって科学者である。治療後、外科医に頼むのだ。「そのサンプルをもらえませんか」
出てくる生物ではラスティクルの記述が最も多いが、もっと複雑な生物も出てくる。オーク材を食い穴を掘って住処にしている「ホワイトワーム」、平たい膜を持つタコ、閃光を発する魚。そして「毎晩夜になると海面にもどってくる燐光性の海洋生物」。これらが、タイタニックの残骸が提供する様々な物質を元に繁栄を謳歌している。なんたって…
タイタニック周辺の泥は、少なくともアマゾンの熱帯多雨林の地面の泥と同じくらい多くの生命がひしめきあっていた。
亡くなったウィリアム・マードック一等航海士の最後の行動、デマが元で罵られた細野正文やジョージ・リームズ、生還した母親ケイト・フィリップスから生まれたエレンなど、事故で重荷を負わされた人々の話は重く悲しい。反面、調査船上で911のニュースに接した著者に対する、ロシア人同僚の心遣いなどの、心温まるエピソードもある。
100年前に沈み行く船の上で演じられた人間のドラマと、現在海面下4000メートルの海底で進んでいる生物たちのドラマ、そしてそれを調べる著者たちのドラマを織り込んだ、複雑な味わいの本だった。
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