ヒュー・オールダシー=ウィリアムズ「元素をめぐる美と驚き 周期表に秘められた物語」早川書房 安部恵子/鍛原多恵子/田淵健太/松井信彦訳
赤ちゃんのための「オーレイディウム(おおラジウム)毛糸」は、「驚くべきパワーの整理科学的治療法、すなわち放射能が含まれています。ラジウムで伝わる細胞の興奮による有機的刺激のすばらしい効果は誰もがご存知でしょう」
――私たちのラジウム夫人
【どんな本?】
物質を構成する元素には、様々な印象がある。金は豪華。銀は上品。鉄は力強い。クロムは少し軽薄な輝き。硫黄は地獄の業火。塩素は毒ガスの恐怖でもあり、夏のプールの香りでもある。酸素は命の素。ネオンは即物的な欲望。
それぞれの元素は、いつ、誰が、どうやって分離したのか。ヒトはそれぞれの元素にどんなイメージを投影し、どう使ってきたのか。メンデレーエフは、どうやって元素の周期表を思いついたのか。元素をテーマに、絵画・彫刻・文学・歴史・経済・工業、そしてもちろん化学を含め、元素とヒトの関わりを綴る、化学と歴史と芸術のエッセイ集。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は PERIODIC TALES : The Curious Lives of the Elements, by Hugh Aldersey-Williams, 2011。日本語版は2012年11月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約467頁+訳者あとがき4頁。9ポイント45字×20行×467頁=約420,300字、400字詰め原稿用紙で約1,051枚。文庫本の長編小説なら2冊分ぐらいの分量。
日本語は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。それぞれの元素についても、「そういえば昔、元素の周期表ってのを習ったなあ」程度に知って言えば充分で、化学が苦手でも問題はない。それより、重要なのは西洋史。主な登場人物がヨーロッパの歴史上の人物なので、世界史に興味があると楽しみが増す。
【構成は?】
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それぞれの章は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
【感想は?】
化学というより、それぞれの元素にまつわる人びとを描いた本だ。
もちろん、科学者も登場するが、それ以上に、元素を使ったり、元素にイメージを投影する人びとの話が多い。それも、時代と共に、元素の印象が変わっていくのが面白い。
冒頭の引用は、ラジウムの話。キュリー夫人のノーベル賞受賞により、一気にラジウムのブームが起きる。「青い光を出し、神秘的で目に見えない放射能を持つ」上に、「癌治療に奇跡的な効果がある」ため、あらゆる商品にラジウムの名が冠され、売り出される。バター/タバコ/ビール/チョコレート、果てはコンドームから避妊ゼリーまで。
冒頭の引用は、赤ちゃん用の毛糸の売り込み文句だ。今の日本じゃ、まず買いたがる人はいないだろうが、当時は「コレ売れる」と思えたんだろう。でも「ラジウム温泉」と言われると、何か体によさそうな気持ちになるから不思議だ。
やはり印象の差が大きいのが、アルミニウム。1820年代に単離されたこの金属、当時は取り出すのが難しいため「1kgあたり三千フランであり、同重量の銀の12倍の価値があった」。ナポレオン三世はいたく気に入り、「晩餐会では、最高位の客人のみアルミニウムのカトラリーをあてがわれ、その他大勢は金や銀で我慢せねばならなかった」。モノの価値ってのは、希少性が大きく影響するようで。
どうでもいいが日本の一円玉もアルミニウムで、やはり加工コストが高く、「2013年現在、1円玉の製造に約3円かかるとされる」(→Wikipedia)そうで。
逆に地位が上がったのが、白金。「金に夢中だったスペインのコンキスタドールは、当初は鈍い灰色の自然白金に目もくれなかった」。この地位を変えたのが、1898年に父の宝石商を継いだルイ・カルティエ。耐久性に優れ、金や銀ほど光らないので、台座に使うと宝石が映える。つまり、プラチナの価値はカルティエが創りあげたものなのだ。
などと歴史上の事実を漁るだけでなく、実は行動派なのも、この著者の楽しいところ。
例えば鉄の項では、血液が鉄を含んでいる事を証明したヴィンチェンツォ・メンギーニの逸話が出てくる。どうやって証明したのか? 動物や人間の血を集めてあぶり焦がし、磁石で突いたのだ。これを真似て、「私がやってみたときは冷凍の鶏のレバーからとった」。
世の中には実物を使った元素の周期表を作る人もいるようで、著者もその一人。だが中には手に入れるのが難しい元素もある。例えばプルトニウムだ。テネシー州オークリッジ国立研究所に頼むが、返事は「いかなる展示用にもプルトニウムの試料は提供できません」。「いや、ほんのチョットでいいんだ」と思う著者、ついにホメオパシーのレメディーに「プルトニウム」を見つけ…
なかでも著者の行動力が光るのが、「おしっこのPはリンのP」。錬金術師ヘニッヒ・ブラントの記録から、自然発光するシロモノを作ったというネタを見つける。原料はヒトの尿。「バケツ一杯の尿には、リンがおよそ4グラム含まれているはず」とアタリをつけた著者、自分の尿を4リットル集めて…
もちろん、芸術の話も出てくる。今は化学で様々な色を作れるけど、昔は色を出すのに苦労していた。「青は古来、自然界から最も取り出しにくい色」だが、コバルトが登場する。「コバルト化合物はガラスの他の着色料の五倍の濃さの色を出すことができる」ため、「十二世紀には青色の大流行がもたらされた」。技術が刑術を作り出したわけ。
やはり色に腐心しているのが、現代の花火師。花火の色をつけるのに、金属塩を使っている。「黄色とオレンジ色は、ナトリウム塩に、たとえば木炭や鉄粉を加えることで創りだされる。緑色を出すには、伝統的に緑青のような胴塩が使われてきた」。が、やはり青を出すのは難しい様子。そこで…
さらに花火師は、しばしば実際より濃い色合いに感じられるような対照的な色の光を青色といっしょに打ち上げて、目の錯覚を利用することもある。
背景の色との対照で、青の鮮やかさを際立たせようとしてるわけ。総合芸術だね、ここまでくると。
などと、化学ばかりでなく、歴史・経済・芸術・時代の風俗などを取り混ぜ、楽しく親しみやすい話や、意外な事実などがギッシリ詰め込まれている。ヒトが積み上げてきたものもあれば、人工的に創りあげたイメージもあり、体当たりで実証した話もある。バラエティ豊かなネタが詰まった本だ。
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