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2014年10月の13件の記事

2014年10月29日 (水)

アルフレッド・W・クロスビー「史上最悪のインフルエンザ 忘れられたパンデミック」みすず書房 西村秀一訳

 このパンデミックは、海を越えて飛ぶような航空機もない時代にあって、数ヶ月で地球を一巡りしている。このときのインフルエンザの感染性は極端に高く、少なくとも不顕性のものを含めれば当事の全人類の大多数がこれに罹ったとさえいわれている。亡くなった人の数は3000万人を下らず、たぶん5000万人かそれ以上であった。
  ――日本語版への序文

【どんな本?】

 第一次世界大戦の終戦が近い1918年、世界をもう一つの悲劇が襲った。俗称スペインかぜ、インフルエンザである。当時は原因であるインフルエンザ・ウイルスは発見されておらず、適切な治療法もない。しかもアメリカは第一次世界大戦のため、国を挙げて西部戦線への戦力投入に全力を傾けていた。

 狭い場所で大人数が寝起きする軍は、インフルエンザにとって絶好の温床となり、陸海軍の将兵を蝕んでゆく。そればかりでなく、大西洋を越えての大量の兵員輸送は、インフルエンザの感染範囲を世界中に広げていった。

 爆発的に広がり、しかも急激に症状が悪化した1918年~1919年のインフルエンザ。第一次世界大戦の陰に隠れ注目されにくいが、それは戦争の数倍の命を奪っている。

 それはどう広がり、どんな被害をもたらしたのか。正体も適切な予防法も治療法もわからぬ状態で、アメリカはどう対応したのか。どんな対策が有効で、どんな対策が無駄だったのか。そしてインフルエンザはどんな影響をもたらしたのか。地政学・歴史学を専門とする著者による、1918年~191年のパンデミックのドキョメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は America's Forgotten Pandemic - The Influenza of 1918, by Alfred W. Crosby, 1989。日本語版は2004年1月16日発行。なお原書の初版は書名「Epidemic And Peace, 1918」で1976年の発行。単行本ハードカバーで縦一段組み、本文約395頁+訳者あとがき6頁。9ポイント51字×20行×395頁=約402,900字、400字詰め原稿用紙で約1008枚。文庫本の長編小説なら2冊分ぐらいの分量。

 お堅い本が多いみすず書房の上に、訳者はインフルエンザの専門家で、一般向けの著述を職業とする人ではない。だが、意外と日本語はこなれている。内容も特に前提知識は要らない。必要な事柄は、本文や訳注で補っている。敢えて言えば、細菌とウイルスの違いがわかっていることと、風邪で寝込んだ経験ぐらいだろう。

【構成は?】

  • 日本語版への序文/新版(1989年刊)への序文
  • 第一部 スパニッシュ・インフルエンザ序論
    • 第一章 大いなる影
      キャンプ・デーヴンス/医療部隊の大敗北
  • 第二部 スパニッシュ・インフルエンザ第一波 1918年春・秋
    • 第二章 インフルエンザウイルスの進撃
      戦時下、ひそかに迫る危機/ヨーロッパでの流行――軍隊、そして一般市民へ/流行第二波への助走
    • 第三章 3ヶ所同時感染爆発――アフリカ、ヨーロッパ、そしてアメリカ
  • 第三部 第二波および第三派
    • 第四章 注目しはじめたアメリカ
      騒然とした世相の中、看過された流行/脅威の顕在化/組織的対策の始まり
    • 第五章 スパニッシュ・インフルエンザ、合衆国全土を席巻
      運び屋となった兵士たち/流行、国土全域へ/都市問題と流行の絡み合い
    • 第六章 フィラデルフィア
      嵐の前の静けさ/戦争と流行が織りなす狂気模様/公共サービスの混乱/市民の積極的協力と組織化/追いつかない埋葬/流行の収束と閉鎖命令の解除/統計
    • 第七章 サンフランシスコ
      パンデミック、戦争に沸くシスコへ/ハスラーと市保険委員会/サンフランシスコの闘い/ワクチンとマスク/マスク着用条例/マスク着用解除と再流行/反マスク同盟/「死の匂いのする喜劇」の幕引き/アメリカの都市社会とパンデミックについての一考察
    • 第八章 洋上のインフルエンザ――フランス航路
      船員とインフルエンザ/兵員輸送船/リヴァイアサン号/ウォーレス二等兵の場合/ふたたびリヴァイアサン号の地獄/上陸後も続く試練/海葬/工夫と改善/統計
    • 第九章 米軍ヨーロッパ遠征軍とインフルエンザ
      ロシア進駐陸軍第339歩兵部隊/スパニッシュ・インフルエンザ、北ロシアへ/西部戦線とフランス駐留部隊/第88師団での流行/前線を挟んで/戦場のパンデミック/ホールデン少尉の場合
    • 第十章 パリ講和会議とインフルエンザ
      ウッドロウ・ウィルソン/民主党の敗北/アメリカ和平交渉施設団と大統領補佐官ハウス/ハウスの病/冬のパリ、流行第三派/会議の行く手に広がる影/四巨頭会談/対立の激化とウィルソンの発病/ウィルソンの敗北/ウィルソンの異変について
  • 第四部 測定、研究、結論、そして混乱
    • 第十一章 統計、定義、憶測
      パンデミックを測る/悪性化の謎/ショーブの説とグッドパクスチャーらの所見/免疫学者バーネットの考察/いまだに謎は残る/付録
    • 第十二章 サモアとアラスカ
      環境、それとも遺伝?/太平洋の島々とスパニッシュ・インフルエンザ/サモア/ニシサモアとアメリカン・サモア/アラスカ/勝敗の分かれ目/リーダーシップについて/州知事リッグスの奮闘/第三派収束――忘れられたアラスカ
    • 第十三章 研究、フラストレーション、ウィルスの分離
      原因究明の試み/病原体の第一候補、ファイファー桿菌/ファイファー桿菌説の限界/第二、第三の候補/ろ過性微生物(ウイルス)説の登場/イヌ・ジステンバー研究/WS株の分離、そしてウイルス説の確立へ
    • 第十四章 1918年のインフルエンザのゆくえ
      動物のインフルエンザ/コーエン、ショーブのブタ・インフルエンザ研究/ショーブの仮説とその今日的意義/血中抗体の意味するもの/1951年アラスカ、テラー・ミッション
  • 第五部 結び
    • 第十五章 人の記憶というもの――その奇妙さについて
      忘れられたパンデミック/文献の中のスパニッシュ・インフルエンザ/トマス・ウルフとキャサリン・アン・ポーター/忘却の理由/忘れられないパンデミック
  • 訳注/訳者あとがき

 原則として時系列順に話が進む。素直に頭から読もう。

【感想は?】

 たかが風邪と侮っていたが、とんでもない。看護という役割の偉大さが実感できる一冊。

 俗にスペイン風邪(→Wikipedia)と言われるが、実はスペインとは何の関係もない。どうやら発生源はアメリカらしい。当時は戦争でどの国も報道管制を敷いており、参戦しなかったスペインが多くの情報を提供したため、そう呼ばれる事になったとか。

 なぜ怖のか。私が怖いと思ったのは三つ。第一に爆発的な感染力。先に引用したように、「当事の全人類の大多数がこれに罹った」。次に、突発的な発症。「見るからに健康だった者がほとんど動けなくなるのに発症からほんの1~2時間」。食事中に突然倒れるエピソードもある。そして最期に症状の重さと長さ。

体温は38.3~40.6℃にまで跳ね上がり、患者はおしなべて衰弱し、体中の筋肉や関節、そして背中や頭にひどい痛みを訴えた。みな、まるで「全身をこん棒で打たれた」ような感じと表現している。

 それが数日続き、悪化すると肺炎を併発する。回復したって数ヶ月は体力が戻らず、マトモに仕事もできない。中には毛髪を完全に失ったエピソードもある。ひええ、恐ろしい←をい。

 この三つが重なると、地獄絵図になる。日頃から顔を突き合わせている人同士が、一斉に発症して倒れるのだ。家族が全員倒れ、幼い子供がほったらかしになるエピソードも何回か出てくる。ご近所に助けを求めようにも、みんな倒れている。病院は突然の患者の急増で病室が埋まってしまう。

 ばかりでない。肝心の医師・看護師まで倒れ、病院も機能しなくなるのだ。どないせえちゅうねん。

 つまりは町が突然機能不全に陥ってしまうわけだ。これが船だと、更に悲惨な事になる。当時は第一次世界大戦中で、アメリカは西部戦線に必死になって将兵を送り込んでいた。ギッシリ将兵を詰め込んだ兵員輸送船が、大西洋の洋上を航海中に、乗員・乗客がインフルエンザを発症したら…

 これ自体がゾンビ映画何並の恐ろしい状況だが、現実は更に恐ろしい。船内で感染した将兵が、イギリスで下船して英国内にウイルスを撒き散らす。フランスに渡った将兵は、前線にウイルスを撒き散らす。倒れた将兵の輸送で輜重は混乱し、傷病兵で手一杯の野戦病院は完全にパンクする。

 だが、幸いにして、戦線は崩壊しなかった。ドイツでもインフルエンザが猛威を奮ったからだ。

陸軍医療部隊は当初、この戦争を「病気による人員損失数が戦闘行為での損失を下回る合衆国にとっての初めての戦争」にするという目標を設定していたが、ほぼ達成寸前というところになって失敗していた。

 結局、1:1.02で病気による損失が上回りましたとさ。

 当時は原因もわからず、感染ルートも不明だった。なにせウイルスである。わかっているのは「どうやら感染症らしい」ぐらいで、予防法も治療法も手探りだった。できる事は人の行き来を制限して外からのウイルス襲来を防ぐのと、大規模な集会を控えて蔓延を抑えるぐらい。でも戦争中で、戦時債キャンペーンなどの群集が集まるパレードが盛んに行なわれ…

 とはいっても、人の行き来を止めれば都市は生きていけない。この本にも隔離作戦で成功した例が出てくるが、太平洋の島サモアと、アラスカの幾つかの村ぐらい。日頃から外との往来が少なく、隣の集落とも距離があるケースばかりだ。

 結局、都市では、パンデミックが起きるという前提で対策するしかない。既にパンデミックを経験したフフィラデルフィアに、サンフランシスコが問い合わせたところ、与えられたアドバイスは…

 まず木工職人と家具職人をかき集め、棺作りを始めさせておくこと。次に、街にたむろする労務者をかき集めて墓穴を掘らせておくこと。そうしておけば、少なくとも埋葬が間に合わず死体がどんどんたまっていくといった事態は避けられるはずです。

 これは皮肉でもなんでもない。フィラデルフィアでは遺体収容所があふれ、棺も墓掘り人も足りず、葬儀屋は値段を釣り上げていたのだ。もう一つ、フォラデルフィアは賢い対策をしている。予備訪問だ。いずれ医師と看護師が足りなくなる。そこで、情報センターを作り、そこの職員が助けを求める電話に応じて現場に出かけ、緊急度を確かめるのである。

実際現場に行ってみれば、単にインフルエンザについての情報提供や、不安をやわらげる励ましだけで十分だったケースがしばしばであり、この予備訪問制度のおかげで医療機関への紹介要請の約1/3がその段階で解決されたのだった。

 終盤では、インフルエンザの病因を解明しようと努力する医学者・生物学者たちの奮闘を描いてゆく。この描写が、ある意味、科学の現場をリアルに伝えていて、この本に独特の価値を与えている。なにせ、間違った仮説に入れ込んだ例・失敗した事件が、次から次へと出てくるからだ。

 科学の成功は、失敗の屍の山の上に築かれる。まずはファイファー棹菌を疑い、菌の培養技術を改良するが、空振り。連鎖球菌も外れ。動物実験で肺の病巣を再現できたと思ったら、当事の一般的な屠殺法の欠陥だった。結局は、一見遠回りに見える、イヌのジステンバーの研究が、活路を切り開く。

 この本が紹介しているのは、失敗例のごく一部だ。それでも、科学は決して直線的に進んだわけではない事が、実によくわかる。例えば…

 ファイファー棹菌は分離・培養が難しい。すぐに他の菌が混じり、ファイファー棹菌を圧倒してしまう。間違って培養プレートの蓋を開けっぱなしにした研究者は、カビを発生させてしまう。ところがこのカビ、邪魔な連鎖球菌は殺すが、、ファイファー棹菌は生きていた。この件で研究者は論文を発表する。

 「ある種の培養アオカビの抗菌作用、特にそのインフルエンザ棹菌分離への応用について」。この論文で、彼アレクサンダー・フレミングは、画期的な抗菌物質ペニシリンの可能性を示唆したのだ。

 この本は主にアメリカの統計や資料を元にしているため、アメリカの話が中心である。そのためやや偏った印象もあるが、資料が最も充実しているのもアメリカぐらいなんだろう。幸か不幸か当事のアメリカは多くの植民地を抱えていたため、アラスカやトンガなど様々な気候の地域のデータも参照できた。

 初版が1976年で、改訂版が1989年と、今の科学の進歩を考えるとやや古いが、訳者も専門家なので、翻訳時点(2004年)で分かっている事柄は注などで補っている。今でも手軽な予防法・治療法は見付かっていないインフルエンザだが、パンデミックを防ぐ、または被害を最小限に抑える社会的な対策は参考になる。

 結局のところ、最後の砦は自分の体力と献身的な看護なんだなあ、などと痛感する本だった。

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2014年10月27日 (月)

シェイクスピア全集8「テンペスト」ちくま文庫 松岡和子訳

ゴンザーロー 訪れる悲しみをその都度もてなしておりますと、もてなすものは――
セバスチャン 身銭を切る

【どんな本?】

 イギリスの演劇・文学史上の頂点ウイリアム・シェイクスピアの作品を、松岡和子が読みやすい現代文に訳したシリーズの一冊。既に絶大な人気を得て英国演劇界に君臨したシェイクスピアが、自らの最終作のつもりで創り、事実、彼単独の作品としては最後となった最晩年の作品。

 かつて弟の裏切りにより王座を簒奪され、絶海の孤島に流されたミラノ大公プロスペローと、幼い娘ミランダ。十二年の歳月で大魔術師となったプロスペローは、王座を奪った弟アントーニオへの復讐を始める。

 大魔術師プロスペローと、彼が使役する空気の精エアリエルが生み出す、派手で幻想的な場面が印象的な、シェイクスピアには珍しく超自然的な色彩の強い豪華絢爛な作品。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 解説によれば1610年に構想が始まり、WIkipedia によれば初演は1612年ごろ。松岡和子訳の日本語版は2000年6月7日第一刷発行。文庫本縦一段組みで本文約155頁+訳者あとがき7頁+河合祥一郎の解説「嵐の後の静けさ」7頁。9ポイント29字×17行×155頁=76,415字、400字詰め原稿用紙で約192枚。小説なら中篇~短い長編の分量。2時間あれば充分に読み終えられる。

 文章そのものは読みやすい。ただ、戯曲なので、ほとんど台詞だけで構成されており、登場人物の生い立ち・性格などは特に明示されないので、冒頭の人物一覧は必須。栞をはさんでおこう。訳者あとがきと解説は、登場人物の関係や物語の解釈に大きな示唆を与える。なまじ説得力のある説を示しているだけに、人に影響されやすいタイプなら、後回しにした方が無難。

【どんな話?】

 ミラノ大公プロスペローは、弟アントーニオとナポリ王アロンゾーの策謀により王座を奪われ、幼い娘ミランダと共に孤島に流される。

 そして12年、プロスペローは魔術を身につけると共に、空気の精エアリエル・魔女の息子キャリバンを従える。幼かったミランダは、素直で美しい娘に育った。

 簒奪王アントーニオ・老いた忠臣ゴンザーロー・ナポリ王アロンゾー・その弟セバスチャン・ナポリ王の息子ファーディナンドを乗せた船は、海上で嵐にあい、難破の危機に瀕していた。

【感想は?】

 人気絶頂のシェイクスピアだから書けた作品。

 舞台にかけるには贅沢な仕掛けが必要で、駆け出しの若手じゃまず許可が出ない。「シェイクスピア」の看板だけで客が呼べる彼だからこそ、こんなゴージャスな作品が作れる。

 私はシェイクスピアを読む際は、なるべく脳内で映像化して読んでいる。この作品は、特にその効果が大きい。冒頭から嵐で難破しそうな船の場面で、雷鳴轟く中、荒くれ男の水兵たちが駆け回り大声を張り上げる。緊張感溢れるアクション・シーンだ。「開演5分以内にクライマックスを持ってこい」というハリウッドの鉄則に沿った構成である。

 # いや、もちろん、ハリウッドがシェイクスピアを見習ったんだけど。

 この場面で、アントーニオ一味のキャラがだいたい把握できる仕掛けも巧い。威張りちらし愚痴をこぼし絶望の声をあげ、奮闘する水夫たちの邪魔にしかならない簒奪者アントーニオ・ナポリ王アロンゾー・その弟セバスチャン。なんとか水夫たちとお偉方の間を取り持とうとする苦労人のゴンザーロ。

 絶体絶命の危機に、人はその本性を現す。それが本当かどうかは分からないけど、多くの人はそう思っている。いきなり主要な人物を危機に追い込み、その本音を吐き出させ、短い場面で観客にキャラを把握させてしまう。これぞ熟練の技だろう。

 やがてプロスペローが登場し、物語の背景を明かすと共に、彼の復讐の幕が上がる。この背景が、やたらとややこしくて、同じ手下でもエアリエルは助手的な扱いなのに、魔女の息子キャリバンは奴隷扱い。この差は色々と議論のネタになっている様子。

 どうでもいいが、この訳だとエアリエルは男の子なんだが、女の子とする場合も多いとか。確かに読んでると、小柄で活発でイタズラっぽい女の子が似合いそうな役柄。物語中じゃプロスペローは煩く命じるだけで、ほとんど自分じゃ何もせず、大半の仕事はエアリエルが忙しく立ち働いてこなしてゆく。けなげなやっちゃ。

 超自然な描写が多いこの作品で、最も特殊効果がモノを言うのが第四幕。エアリエルと妖精たちが、明るく軽やかに歌い、踊り、あでやかな劇中劇を繰り広げる。今の特殊撮影技術で再現したら、さぞかし見ごたえがある場面だろう。

 ってな真面目な感想とは別に、この作品はSF者にとって特異な位置を占める作品でもあったりする。

 というのも、この作品を下敷きにしたSF小説が多いからだ。解説では「猿の惑星」を挙げていたが、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「輝くもの天より墜ち」がそうだし、あからさまなものではフィリス・ゴットリーブの「オー・マスター・キャリバン!」なんてのもある。

 なんたって、これはファースト・コンタクト物と相性がいいのだ。例えば、こんな設定を考えてみよう。

12年前。その惑星の調査に降り立ったプロスペロー率いる第一次探検隊は、消息を絶った。アロンゾーが率いる第二次探検隊は原因不明の不調により、不時着を余儀なくされる。幸いに大気は呼吸可能であり、土着生物のアミノ酸も地球人が消化可能だった。着陸船の近くにキャンプを設営し、長期の生存に向け計画を立てる一行。しかしクルーは奇妙な幻影に悩まされ、偵察に出たファーディナンドは行方をくらまし…

 エアリエルとキャリバンは、奇妙な生態を持つ土着の生物の「人類に都合がいい面」と「都合が悪い面」を担わせる。または、最初に遭遇する知的生物をエアリアル、次に遭遇する種族をキャリバンとする。

 第二次探検隊のメンバーも、テンペストになぞらえると、なかなか複雑な人間関係と種族間のドラマを構築できる。一方的な植民地主義に立つアロンゾー、エアリアルとキャリバンの争いに介入して金儲けを目論む下級船員のステファノーとトリンキュロー、現地人との友好関係締結を望むファーディナント。そして消息を絶った第一次探検隊の生き残りプスペロー。

 これにちょいとヒネりを入れると、バリエーションは幾らでも増えてゆく。例えば立場を逆にして、魔女シコラスクを地球人にすると、地球侵略を目論む悪い宇宙人プロスペローに立ち向かう、キャリバン一党の絶望的な闘いの物語になる。当然、人類には裏切り者のエアリエル一党もいたり…って、もしかしてレイズナー?

 現地人にエラリアルとキャリバンの二派があり、訪問者にも先着のプロスペロー・政敵のアントーニオ&アロンゾー・宥和派のファーディナント・反乱を目論み勝手に現地人と取引するステファノー&トリンキュローと様々な派閥があって、それぞれ秘密を抱え陰謀を企むわけで、物語作りの素材としては充分に配慮されている。

 おまけにパクリと誹られる心配もない。著作権なんかとっくの昔に消えている上に、「シェイクスピアのテンペストを土台にしたんです」と言っちゃえば、なんだか高尚な作品っぽく聞こえる。実に便利だ。

 しかも、「覇権主義への批判も込めました」的な雰囲気も出せる。もともと、孤島にはシコラスク&キャリバンが君臨し、エアリエルを苛めていた。そこにプロスペローがやってきて、エアリエルを従えキャリバンを虐待する。同じ構図は、欧州の植民地となった地域でお馴染みだ。

 例えばルワンダだと、多数派のフツ族と少数派のツチ族がいた。ベルギーがツチ族を優遇し、フツ族を支配する。やがてベルギーは引き上げ、ルワンダは独立するが…。シリアも同じ構図で、ソ連/ロシアが少数派のアラウィ派を支援し、傀儡政権を打ち立てる。だがアラブの春が波及し、民衆が立ち上がったドサクサに ISIS が乱入して…

 とか考えると、実に応用範囲が広い。それも、それまでのシェイクスピアの作品とは異なり、登場人物の立ち位置や背景設定が複雑でありながら、舞台を孤島に限定する事で整理しやすくした構成の妙のため。辣腕プロデューサーでもあったシェイクスピアの、円熟の技を凝縮した作品。物語作りを志すなら、ネタ本として読んでおいて損はない。

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2014年10月26日 (日)

SFマガジン2014年12月号

「カブリートを食いにいこうぜ」ルンドクヴィストは言った。鏡像じゃなく、リアルのほうだ。「半ブロック」先にあるんだ。とびっきりのやつだよ。あるいは12マイル先にはいつも焼きたてがすぐに出てくる店もある。馬車をとばして二時間くらいかかるけどな。どっちでもいいや。カブリートを食いにいこうぜ」
  ――R・A・ラファティ「カブリート」 松崎健司訳

 280頁の標準サイズ。特集は「R・A・ラファティ生誕100年記念特集」として、短編「聖ポリアンダー祭前夜」「その曲しか吹けない――あるいは、えーと欠けてる要素っていったい全体何だったわけ?」「カブリート」の他、インタビュウやレビュウやコラムや解説など。

 小説は他に吉上亮の PSYCHO-PASS LEGEND「About a Girl」後編,円城塔のエピローグ<7>。

 「聖ポリアンダー祭前夜」柳下毅一郎訳。いつのまにやらバーナビー・シーンの芸術秘書におさまったデイジー・フラヴス。しかも、謎に満ちた部屋、三階の書斎兼バーを仕事場にして。「この扉をくぐる者、すべての女を捨てよ」と廊下に標語を掲げていいるにもかかわらず。

 いきなしコレとは、あまりにブッ飛ばしすぎな気が。もともと意味不明な作品が多いラファティの中でも、とびっきりにワケがわからず、「なんでそうなる!?」の連続。「この扉をくぐる者、すべての女を捨てよ」はたぶん「地獄の門」(→Wikipedia)のモジリ。いや今気づいたんだけど。メアリー・モンドの正体とか、どうすりゃこんな事を思いつくのやら。

 「その曲しか吹けない――あるいは、えーと欠けてる要素っていったい全体何だったわけ?」山形洪生訳。ラッパ演奏が主専攻、郷愁民間伝承が副専攻、付録課外科目に怪獣変身を選んだトム・ハーフシェル。加えて父の助言に従い、ハード地理学を主要課外科目に選んだ。彼と三人の友人はラバにまたがり槍で雄ブタを狩り、『最後の人』祭りに出かけ…

 前作に比べ、格段に分かり易い作品。「です・ます」調の童話っぽい文体で、荒っぽいブタ狩りを描くのはなかなか禍々しくていい。つか、なんで馬じゃなくラバなの? たいていの事は上手にこなすトム、でもハーフシェル(一枚貝)の名が示すように、何か不完全。いろいろとつつきまわすうちに、彼が気づく大きな空白は…。改めて読むと、実にわかりやすく示唆されてるんだよなあ。

 「カブリート」松崎健司訳。ノルウェー人のルンドクヴィストが言い出した。「カブリートを食いにいこうぜ」。そしてアイルランド人を連れ、馬車を飛ばして店にたどり着く。アマータが話しかける。「一ペソでお話しするよ。あんたらがお話気に入ったら、もう一ペソでもう一話。それっも気に入ったら、三話目は半ペソにおまけするね」

 これまたラファティにしては、とっても分かり易いお話。カブリートはメキシコ料理で、子山羊の丸焼きだとか。なかなか豪快な料理だ。一度食べてみたい。日本で食べられるのかな。舞台はアメリカ南部かメキシコか。電気が普及する前、チロチロ燃える炎の灯りで影が揺らぐ、夜の酒場での話しだと思うと雰囲気が出る。

 先の「カブリート」など比較的に分かり易い話でも、どこか違和感が付きまとうラファティ。まして「聖ポリアンダー祭前夜」になると、もう完全にお手上げだ。この違和感を納得させてくれるのが、山形洪生の「アーキペラゴ航海記」。

ほとんど何か世界の成り立ちや本質に関する漠然とした示唆――それも異様な――を背景としている。

 そう、どうも物語の根底にある、世界観の部分でラファティは私たちと根本的に違ってるんじゃないか、彼は私と全く違う世界を見て描いてるんだけど、ラファティには「違った世界」こそが当たり前なので、書く必要を感じてないんじゃないか、そんな気がする。何か重大な部分でズレてるんだけど、私はそれに気づいていない、みたいな。

 円城塔「エピローグ<7>」。今回は朝戸連とアラクネ。人類にとってのお話の進行速度を超えた向こう側、OTCの完全支配領域にやってきた朝戸とアラクネ。朝戸の可能性を使いつぶし燃料がわりにして、なんとか存在している両者。同心円的に広がりつつある事象の中心にあるのは…

 朝戸・アラクネ両者の存在を維持する仕組みの無茶っぷりに呆れたと思ったら、物語は意外な方向へと進んでゆく。いや今までの進み方も充分に私の理解力を超えたお話なんだけど。

 吉上亮の PSYCHO-PASS LEGEND「About a Girl」後編。<聖母>こと滝崎リナが率いる<箱舟>の拠点に捕らわれた、六合塚弥生と鹿南未來。無線通信は途絶し、公安局との連絡はとれない。拠点を捜索する未來は、やっと子供を見つけた。だが、その時、失った記憶が蘇り…

 見てくれだけは愛嬌のある公安ドローン。だが公安局が守っている社会は、とてもグロテスクなもの。TV版の第一部の終盤は、それを明らかにした。

 この短編でも、安らかに見える PSYCHO-PASS 社会が、その奥に秘めたおぞましさを描きだしてゆく。この作品は、あくまで未来の「あるかもしれない社会」を舞台とした物語だ。しかし、ここに描かれた問題、この作品が突きつける構図は、今ある全ての社会が持っている。共産主義でも、社会主義でも、資本主義でも、部族社会でも。

 などとは別に、宜野座が美味しい所を攫っていくのが楽しい。監視官の頃はキレ者ながらも線の細さを感じさせたが、執行官になってキレは維持したまま、開き直ったふてぶてしさが身についてきている。

 田辺青蛙「北米に羽ばたく日本SF 円城塔が、PKD賞特別賞に至るまで」。ワールドSFコンのパネル担当のついでに、アメリカにおける日本SFの認知事情を紹介するコラム。「新宿鮫」のせいで新宿がデンジャーゾーン扱いとか、笑ってしまう。じゃ千葉やネオサイタマはどうなるんだw 「ちなみに村上春樹の次に米国で売れている作家は、書店員に聞いたところによると菊池秀行」って、やっぱり新宿はデンジャーゾーンじゃないかw

 飯田一史「エンタメSF・ファンタジイの構造」。今回は小説投稿サイト「E★エブリスタ」をネタに、スマートフォン世代にウケる小説の話。「一回につき数百文字単位でもかまわないので、高頻度で更新した方が、作品に対するアクセス数が伸びやすくなっている」。ふんふん、なるほど。このブログでも真似してみようかな…と思ったら「月間PVやUUが数千のサイトといったら、ウェブの世界では、カスです」。がび~ん。でも実際、そうなんだよなあ。私の概算だと、月間3千PV以上のサイトの数は十万サイト以上あるって計算になってる。

 橋本輝幸「世界SF情報」。2014年欧州ユートピアル賞候補に、フィリップ・キュルヴァルが挙がってる。「愛しき人類」のイマジネーションの異様さにのけぞったけど、まだ現役だったのか。邦訳出ないかなあ。

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2014年10月24日 (金)

宮本正興+松田素二編「新書アフリカ史」講談社現代新書1366

 本書では、五つの大河からなる四つの流域世界をとりあげて、その地域形成の歴史を見ることにした。その大河とは、東アフリカのナイル川、西アフリカのニジェール川、中央アフリカのザイール川、それに南部アフリカのザンベジ川とリンポポ川である。
  ――第一章 アフリカ史の舞台

「今日新しいアフリカが生まれた。それは、自らの闘いを引き受け、黒人は自らの問題を自身で解決できるということを世界に示す新しいアフリカだ。我々は再び闘いに身を捧げる。アフリカ諸国開放の闘いだ。我々の独立はアフリカ大陸の完全解放に結びつかなければ無意味なのだ」
  ――第一四章 パン・アフリカニズムとナショナリズム
     ガーナ独立式典での初代大統領クワメ・ンクルマ(→Wikipedia)の演説

【どんな本?】

 広大な土地、起伏に富んだ地形、多様な気候、雑多な民族構成に膨大な人口を抱え、21世紀の今なお多くの問題を抱えるアフリカ。かつて暗黒大陸と呼ばれたアフリカだが、その実態はどうだったのか。

 広大なだけに、一つの流れでは説明できないアフリカの歴史を、ザイール川/ザンベジ川・リンポポ川/ニジェール川/ナイル川と、五つの大河で構成される四地域として整理し、また他世界との交流もサハラ砂漠越えやインド洋交易路を交えながら、アフリカ人の視点でアフリカの歴史を綴る。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1997年7月20日第一刷発行。新書版で縦一段組み本文約560頁。9ポイント40字×16行×560頁=約358,400字、400字詰め原稿用紙で約896枚。文庫本の長編小説ならギリギリ2冊分に足りない程度。

 文章は良くも悪くも教科書的で、高校の歴史教科書に近い雰囲気。背景として必要な世界史・西洋史・中東史の重要な事柄も、本書内で過不足なく説明しており、読むのに特に前提知識は必要ない。これもまた教科書的。

 ただ、見慣れぬ地名がアチコチに出てくるので、地図帳か Google Map などを参照しながら読もう。本書中にも多くの地図を収録しているので、4~5個の栞を用意しよう。

 内容が充実しているだけに、出来れば索引が欲しかった。

【構成は?】

  • はじめに アフリカから学ぶ
  • 第Ⅰ部 アフリカと歴史
    • 第一章 アフリカ史の舞台
      1. 人と自然
      2. 地形形勢と外世界交渉
    • 第二章 アフリカ文明の曙
      1. 人類を育てたアフリカ大陸
      2. 後期石器時代の環境変遷
  • 第Ⅱ部 川世界の歴史形成
    • 第三章 ザイール川世界
      1. 熱帯雨林下に刻まれた歴史
      2. サバンナの王国社会
      3. キャッサバとイスラームの道、奴隷の道
      4. キサンガニ森林世界の原理
    • 第四章 ザンベジ・リンポポ川世界
      1. 鉄器農業社会の形成と発展の
      2. 大国家の時代
      3. 小国家の時代
    • 第五章 ニジェール川世界
      1. サヘルにおける定住の開始
      2. 西スーダンの王国形成
      3. 森林地帯の都市と国家
    • 第六章 ナイル川世界
      1. ヌビアの諸王国
      2. 上ナイルの地域形成
      3. 大湖水地方のニョロ王国
  • 第Ⅲ部 外世界交渉のダイナミズム
    • 第七章 トランス・サハラ交渉史
      1. イスラーム以前のサハラ
      2. 中世イスラーム国家の繁栄
      3. サハラ交易の矛盾とブラック・アフリカの覚醒
    • 第八章 インド洋交渉史
      1. インド洋を渡る大交易路
      2. サンジバルの盛衰
      3. スワヒリ世界の形成
    • 第九章 大西洋交渉史
      1. ポルトガルとアフリカ
      2. 奴隷貿易の衝撃
      3. 近代世界システムの成立
  • 第Ⅳ部 ヨーロッパ近代とアフリカ
    • 第一〇章 ヨーロッパの来襲
      1. 植民地支配の始まり
      2. 部六征服の時代
      3. リベリアトエチオピア
    • 第一一章 植民地支配の方程式
      1. サバンナのコロニー<イギリス領東アフリカ>
      2. 間接統治のモデル<イギリス領西アフリカ>
      3. 同化と直接統治<フランス領西アフリカ>
      4. 「善意」の帰結<ベルギー領コンゴ>
      5. 遅れた開放<ポルトガル領南部アフリカ>
    • 第一二章 南アフリカの経験
      1. オランダ東インド会社の時代
      2. イギリス領ケープ植民地の誕生
      3. アパルトヘイトへの戦い
  • 第Ⅴ部 抵抗と独立
    • 第一三章 アフリカ人の主体性と抵抗
      1. 抵抗の選択肢
      2. 伝統の反乱
      3. イスラーム神権国家の戦い
      4. 王国の抵抗<アシャンティとマダガスカル>
      5. マウマウ戦争の構図
    • 第一四章 パン・アフリカニズムとナショナリズム
      1. パン・アフリカ主義の誕生
      2. ナショナリズムの芽生え
      3. 独立とアフリカ合衆国の夢
    • 第一五章 独立の光と影
      1. 自立経済への道
      2. アフリカ社会主義の実験
      3. ネイション・ビルディングの虚構
      4. ビアフラ戦争の悲劇
  • 第Ⅵ部 現代史を生きる
    • 第一六章 アフリカの苦悩
      1. 民主化の時代
      2. 「低開発」と構造調整政策
      3. 近代化の矛盾
    • 第一七章 21世紀のアフリカ
      1. 多元的社会への可能性
      2. 逆説の文化戦略 言語の未来図から
  • 参考文献/執筆者紹介

 原則として古い時代から順に現代に至る流れなので、素直に頭から読もう。

【感想は?】

 正直、読む前はビビっていた。

 複雑で雑多な民族構成のアフリカの歴史を、一冊の本に収めきれるのか。個々の民族の歴史の羅列で終わり、全体としての構造は見えないんじゃないか、と。新書にしては破格の分厚さだし。

 この懸念は、30頁で早くも解決する。この記事の冒頭の引用だ。混沌としたアフリカを、大きな川の流域として四つに区分けし、それぞれでヨーロッパ襲来以前の歴史を整理している。

 とまれ、やはり文書による記録がないのは辛い。ヨーロッパ襲来以前の歴史は、「…と考えられる」などの歯切れの悪い文章が続く。なにせ参照できるのが、口伝と建物、それにアラブ商人の残した文書ぐらいしかないんだから仕方がない。しかし古代エジプトにはパピルスがあったのに、なぜサハラ以南に広がらなかったんだろう?

 全般的に、欧州的な歴史観に批判的な視点で書かれている。「我々は大きな帝国を中心に歴史を考えるクセがついているので、少人数の集団が群雄割拠する状況を未開的と考えがちだ」と主張しているんだが、読んでると仕方ないかな、とも思う。野次馬の身勝手極まりない理屈なんだが、大帝国が支配している方が、歴史として分かり易いのだ。

 などの勝手な都合は置いて。じゃ、なぜ大帝国にならず群雄割拠なのか。

それは、一言でいえば、フロンティアを求めて移動する社会であった。土地に対して人口が極端に少ないこともあって、社会は、中央集権的あるいは大規模な国家が生まれる前に、小集団に分節し、拡張しようとする衝動を内に孕んでいた。

 定住しない、遊牧的な生活が多かったんですね。農業も焼き畑農業だったり。

 ヨーロッパから見たら暗黒大陸だけど、意外と外世界との交流もあったり。地中海沿岸は昔からアラブやヨーロッパとの交流があったけど、サハラ以南もいろいろ。

 例えば西部アフリカだと、現マリ共和国のトンブクツ(→Wikipedia)を中継点として、ラクダによるサハラ砂漠越えでアラブ世界との交流があった。そのため、イスラム教も伝わって、マリ帝国のムーサ王は1324年にメッカ巡礼を果たしてる。ただ、こっちは気候の変化が激しくて。

サハラ南縁地帯の雨量はサハラを離れるや急激に増大し、たちまちラクダの成育には適しないサバンナ地帯になり、さらにロバも使えなくなってしまうからである。

 同様に交易が盛んだったのが、東海岸地域。これにはインド洋の季節風が重要な役割を果たしてる。4月~9月は南西から北東に風が吹き、11月から3月は北東から南西に風が吹く。これを使えば、アラビアやインドと交易できるわけ。ってなわけで、現ソマリアから現マダガスカル・モザンビークまで、東海岸はアラブ商人のみならず、インド商人もやってくる。

 マダガスカルがインドとの関係が深かったり、ルワンダにインド商人が食い込んでるのは、そういう事かあ。

 この東海岸の歴史に大きく関わってくるのが、アラビア半島の営力争い。具体的にはアデンを擁するイエメンと、マスカトを中心としたオマーン。アラビア半島の西端で紅海の入り口のアデンと、東端でペルシャ湾の入り口を押さえるアデンなわけで、交通の要所とはこのことか、と納得。

 にしても、いずれもアフリカは訪ねられる側で、訪ねる側じゃないのは何故なんだろう。サハラはラクダが無いからで説明できるが、インド洋はどうなのか。造船に適した木材がないのかなあ。

 悪名高い奴隷貿易は欧州の専売でなく、インド洋でも、「東アフリカの奴隷貿易は長い歴史があり、紀元前からおこなわれていたものと思われる」。アラブの方が、奴隷貿易の実績は長いのだ。西海岸の欧州ほど派手じゃないけど。

 以後、ヨーロッパによる植民地化を経て、独立へと進んでゆく。この過程が、現在のアフガニスタンやイラクと重なるのが興味深いところ。本書では抵抗の形態を二つに分類してる。一つは近代的な組合や政治団体。もう一つが、モロにタリバンを思わせる。「伝統的あるいは非ヨーロッパ的色彩を帯びた抵抗形態」で…

伝統的儀礼や呪術、アフリカ化したキリスト教、王権などを媒介にして生まれたこの抵抗は、見かけは懐古的な様相を示しているものの、組織や武器は近代化されていることが多い。こうした擬似伝統を、前述のレンジャーは「創られた伝統」と呼んだ。

 パシュトゥンの土俗信仰とワッハーブ派のキメラであるタリバンに似てる。現代日本の勘違い右翼も似たようなモンだよなあ。現代の中南米で興っている解放の神学(→Wikipedia)を思わせる動きが、いち早く始まっているのも面白い。

第一次世界大戦をはさんで、雨後の竹の子のように各地で黒人教会が出現した。リベリア、コートジボアールからケニア、タンザニアそして南アフリカに至る広範囲の地域で、同じような予言と反白人主義を訴えるアフリカ人のキリスト教会が、活発な活動を開始したのである。

 悪名高い神の抵抗軍(LRA、→Wikipedia)も、こんな混沌から生まれたんだろうか。

 さて、終盤。独立したはいいが、大半の国家が借金まみれで内乱続き。工業化しても交通網などインフラの未整備でコケ、農業の近代化もオイルショックでコケる。これに対し、本書が示している可能性が、「ルワンダ中央銀行総裁日記」で服部正也氏が示した道に似ている。

もう一つの方策は、国外でなく、国内に可能性を探ることである。各国政府がこれまでインフォーマルな経済活動であるとして無視・軽視するか、場合によっては規制してきた零細・小規模工業を、今後の振興の対象としうるだろう。

 服部氏が目をつけたのは工業でなく商業だけど、日本の商工会議所や信用金庫みたいな組織が立ち上がってくれば、あるいは…

 やはり文書による記録がないだけに、分量としてはヨーロッパ襲来以降が多くなるのは仕方がない。先に書いたパピルスや造船技術の欠落などについて説明がないのは不満だが、膨大なアフリカの歴史から要所を押さえる以上、そこまで詳しく書いてたらキリがないんだろう。トランス・サハラやインド洋交易など、意外と外世界との交流が活発なのにも驚いた。

 現代のアフリカ情勢の素地を全般的に把握するには、良くも悪くも教科書的で相応しい本だろう。

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2014年10月22日 (水)

ブルース・キャットン「南北戦争記」バベルプレス 益田育彦訳 中島順監訳

合衆国軍隊は、南部連合に役に立っている資産を接収するよう指示されていたが、実際にわかったのは、南部で最も有用な財産は黒人奴隷である、ということだった。
  ――十二章 奴隷制度の崩壊

【どんな本?】

 1861年~1865年、アメリカ合衆国が真っ二つに分かえれて戦った南北戦争。それは、どんな原因で始まったのか。南北両軍は何を主張したのか。それぞれ、どんな目的で戦ったのか。両政府の人口・産業状況・国家形態・戦力はどうだったのか。そして戦争はどのように推移し、どう決着したのか。

 ジャーナリストである著者が、アメリカの歴史の重大な曲がり角である南北戦争を、一般読者向けにわかりやすくまとめた戦史。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The American Heritage Short History Of The Civil War, by Bruce Catton, 1960 の第一版。日本語版は2011年4月30日発行。単行本ソフトカバー縦二段組で本文約262頁。10.5ポイントの見やすい文字で23字×18行×2段×262頁=約216,936字、400字詰め原稿用紙で約543枚。長編小説なら一冊分ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も初心者向けで、あまり知識のない読者を対象にしており、米国史に馴染みのない日本の読者にはとっつきやすい。ヤード・ポンド法の数字を、訳者が()でメートル法で補っているのが嬉しい。戦争物だけに、アチコチに戦場地図があるので、沢山の栞を用意しておこう。

【構成は?】

  • 一章 分かれ争う家
  • 二章 砲撃開始
  • 三章 素人軍隊の衝突
  • 四章 本格的戦争
  • 五章 海軍
  • 六章 南軍の絶頂期
  • 七章 同盟への模索
  • 八章 東部、西部における戦況の膠着
  • 九章 南部連合最後の好機
  • 十章 軍隊
  • 十一章 戦時における二つの経済
  • 十二章 奴隷制度の崩壊
  • 十三章 合衆国の締めつけ強化
  • 十四章 戦争と政治
  • 十五章 全面戦争
  • 十六章 遠ざかる希望
  • 十七章 勝利
  • 十八章 終わりと始まり
  • 十九章 はるかなる太鼓の響き
  • 訳者あとがき/人名索引

 時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

【感想は?】

 ズバリ、初心者向け。頁数が少なく、視点も古典的で、初歩的な事柄から丁寧に解説している。

 政治的な背景や南北双方の経済状況・他国の反応などを満遍なく、かつ初歩的な前提から丁寧に解説していて、私のような初心者が概況を掴むには最適だろう。

 1960年の作品だけに、今から見ると視点はやや保守的な印象を受ける。時おり聖書からの引用があるなど、表現も上品なので、アメリカの中学生向け教科書といった雰囲気がある。その分、各部隊の編成などの細かい部分は省いているので、詳しい人には物足りないかも。

 初心者に優しい例としては、例えば軍の統率の重要さを、行軍の隊形と戦闘の隊形との違いから説明している。行軍は四列縦隊だが、戦闘になると逆に横に大きく伸びた形に変わる。この変更を素早く出来れば優れた戦闘能力を発揮出るんだが、実際の戦場じゃ沼や茂みなどの邪魔物があるし、砲声が煩くて指揮官の声も聞こえない。

 ここで興味深いのが、次のエピソード。

ゲティスバーグの戦場で、北軍軍需品部将校たちは、数発から10発もの弾丸を銃身に詰め込んだままの、数千挺ものマスケット銃を回収していた。

 デーヴ・グロスマンの「戦争における人殺しの心理学」だと、「ヒトはヒトを殺す事に強い抵抗を感じる」と解釈しているんだが、この本では、兵の訓練不足のため、と解釈していること。

 「平均的な連隊は、標的を想定した射撃訓練を行なっていなかった」「シャイローの戦いで、未熟な軍隊が銃にどうやって弾丸を装填するのか知らないまま、実際の戦闘に狩り出された」など、ロクな教練も受けずいきなり戦場に立たされる、悲惨な兵の姿を描いている。今でもアメリカが銃を規制しない理由の一つは、コレかもしれない。

 もう一つ、戦場で大きな犠牲を払って学んだのが、兵器と戦術の変化。先込め式の無施条銃から、施条銃へと変わる時代。射程も90mから800mへと大きく増え、また兵は塹壕に篭る事を覚え始める。

 やはり今のアメリカの性質に繋がるのが、海上封鎖の効果。当事の合衆国軍(北軍)の艦艇は、海洋上での戦闘向きなので、浅瀬に長く泊まって急発進する海上封鎖には向かない。それでも、綿花の輸出に頼る南軍に対し、海上封鎖は大きな効果を挙げ、南部の体力を奪ってゆく。この成功体験が、今の合衆国の政策に影響しているのかも。

 戦争の原因と両軍の目的も、冒頭でわかりやすく説明している。原因は奴隷制度。南部は綿花=奴隷労働に頼っている。合衆国の綿の輸出は、1800年の500万ドルから1860年には1億9100万ドルに跳ね上がる。ところが北部じゃ工業化が進み奴隷解放運動が盛り上がる。「この議論になると人々は感情的になり譲歩」しない。

 南部は後ろめたいから顔を真っ赤にして怒るんじゃねーの、などと思いつつ。

 ややこしくしてるのが、互いの目的と戦力。目的を見ると、実は南部に有利なのだ。南部の目的は独立である。守る側なのだ。だから補給線は短いし、戦場にも土地勘がある。敵の政府を倒す必要もない。独立を守りさえすればいいのだ。北部は侵略者で、敵の政府を倒さなきゃいけない。目的から見ると、北部の方がシンドイ。

 ただし国力は反対。北部は人口1800万人以上で、南部の900万人(うち1/3は黒人)の倍以上。工業が発達し、経済力も海軍力も鉄道網も優っている。兵の質は南部の方が優れていたようで、銃にも慣れている上に、なんといっても馬の扱いが上手く、騎兵の機動力を充分に発揮できた。

 という事で、当初は南部が有利に展開するが、やがて数に優る北部に押され始め…と、まるで太平洋戦争みたいだ。

 死者数も膨大で、北部36万、南部26万。うち病死が北部22万、南部14万ってのが凄まじい。スーエレン・ホイの「清潔文化の誕生」にもあったが、衛生観念が皆無だったのだ。クリミア戦争(1854年~57年、→Wikipedia)の教訓も活かされず、負傷した兵は感染症で亡くなってゆく。

 膨大な兵の損失には両軍共に頭を抱え、北軍は「遂に白人士官が統率する黒人連隊が組織化」される。これが人種偏見を減らしていくのが面白い。ベトナム戦争でもあったように、戦場で一緒に戦っていれば戦友になるのだ。白人の兵が「黒人連隊に転籍すると士官」になれる、ってのもあったんだけど。

 合衆国大統領エイブラハム・リンカーン,連合国大統領ジェファソン・デイビス,北軍の将ユリシーズ・S・グラント,ウィリアム・T・シャーマン,南軍の将ロバート・E・リー,ネイサン・B・フォレスト,ジェームズ・ロングストリート,トマス・J・(スト-ンウォール)・ジャクソンなど、アメリカ文学には欠かせない有名人を覚えられるのも嬉しいところ。

 日本の戊辰戦争(→Wikipedia)と、ほぼ同じ時代に起きた戦争。150年も前だってのに、今でも Lynyrd Skynyrd のコンサートじゃ南軍のサザン・クロスの旗を振りかざす奴がいる。合衆国の歴史上、最も凄惨なトピックを、総合的な視点で冷静かつ簡潔にまとめた、初心者には最適な本だった。

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2014年10月20日 (月)

筒井康隆「虚航船団」新潮社

 まずコンパスが登場する。彼は気がくるっていた。針のつけ根がゆるんでいたので完全な円は描けなかったが自分ではそれを完全な円だと信じこんでいた。彼は両脚を屈伸できる中コンパスである。しかし彼が実際に両脚を屈伸させる場合は極めて少い。

【どんな本?】

 日本SF界の巨匠・筒井康隆が、その妄想と狂気を全開にしつつ、あらゆる手法・技術を尽くして無理矢理に小説の形に整えた、小説の限界点を示し賛否両論が渦巻く問題作。

 宇宙を航行する大船団の中の一隻、文具船。乗り込むのは船長の赤鉛筆を筆頭に、副船長のメモ用紙・船医の紙の楮など幹部をはじめ、船員は中コンパス・大学ノート・ナンバリング・ホチキスなど、文房具ばかり。しかも、その全員が狂っていた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1984年5月15日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約464頁。今は文庫本が出ている。9ポイント43字×21行×464頁=約418,992字、400字詰め原稿用紙で約1048枚。文庫本なら2冊分ぐらいの分量。

 文章はいつもの筒井節。やや乱暴で口汚くてケンカ腰で欲望丸出しでエネルギッシュでリズミカル…って、まるきしヒップホップじゃん。読みこなすのに特に知識は要らない。ただ、筒井康隆のアクの強い芸風が色濃く出ている作品のため、初めて筒井康隆を読む人は、初期の短編集などで肩慣らししておく方が無難。宇宙衞生博覧会とか←をい

【構成は?】

第一章 文房具
第二章 鼬族十種
第三章 神話

【感想は?】

 筒井康隆、大暴れ。

 SFとして出版したのなら、絶賛の声ばかりだったろう。「純文学書下ろし」で出版するあたりが、無謀というか稀代のケンカ屋らしいというか。

 そもそも、かなり読者を選ぶのだ。第一部の登場する者の大半が、文房具ばかりだし。スマートさに拘るコンパスとか、「なんじゃそりゃ」だ。読む限り、格好はまさしくコンパスらしいのだが、ちゃんとモノを考えたり話したり泣いたり排泄したり死んだりする。

 いったい、どんな格好をしているんだ? どこに口があるんだ? どうやって歩くんだ?

 などと考え出すとキリがない。ソコは「そういうものだ」で済ましておける人だけが、読み続けられる。この辺はSF的なお約束…と言いたいのだが、この作品の場合はSFの枠すらはみ出している感があるので、むしろ筒井康隆作品のお約束と言う方が正確だろう。いきなり最初の三行から、向かない読者をふり落とすロケットスタートぶり。ある意味、親切かも。

 コンパスが宇宙船で観測要員を務めるって時点で無茶っぷりは充分なのに、第一章では出てくる者(物?)全てが狂っているというデタラメさ加減。しかも、それぞれに狂い方が違っていて、それをこと細かに描くからたまらない。

 やたらと陰険で被害妄想で攻撃的な奴が多いのも、筒井作品の特徴。誰彼構わず言いがかりをつけまくるホチキスとか、実に鬱陶しい奴だが、なんとなくかつて同僚だった某を思い出したり。こういう人の嫌な所をデフォルメして描かせたら、筒井康隆の筆は冴える冴える。

 などの人格描写の従来どおりの芸に加え、この本では印刷屋泣かせの困った仕掛けも山盛り。

 ここでも、最も嫌な奴はホチキス。彼が針を飛ばす描写とか、書籍の形になって読む側は「うひゃ、面白い仕掛けだ」で済むけど、こんな原稿を渡された印刷会社は途方に暮れただろうなあ、と思う。二光印刷さん、ご苦労様です。校正は地獄を見ただろうなあ。ナンバリングも無茶やってるし。

 んな狂人ばかりで果たしてマトモに宇宙船が飛ばせるのか?とも思うが、イカれているそれぞれの文房具たちを見ると、なんか自分の職場にも同じような奴ばっかりのようにも思えてきて(←イヤそれは重症です)、なんとかなっちゃうのが世の中なのかも。

 ってな第一章に続き、第二章は、なんと世界史・日本史のパロディ。パロディってのは元ネタを知らないと面白くないもので、正直に告白すると、私は第二章の前半はよくわからなかった。面白くなったのは「時計の組み立てを好んだ」ブル五世(在位886―895)あたりから。グリタイジョ合鼬国台頭から後は、もう笑いっぱなし。

 表向きのお話は惑星クォールにおける鼬族十種類の歴史なんだが、出てくるのはオコジョやスカンクなど馴染みのある種から、タイラ(→Wikipedia)・クズリ(→Wikipedia)・ゾリラ(→Wikipedia)など耳慣れない種まで、色とりどり。イイズナ(→Wikipedia)って、日本にいるんだなあ。

 パロディではあるものの、人類の歴史を巧いことシャッフル&ブレンドして各国に複数の役割を割り当て、いかにもソレっぽく歴史を紡いでゆく。なんだかフランスっぽいなと思っていたドストニアが、いつの間にやらロシアにスリ変わってたり、エコノスがドイツと日本の二役を演じてたり。

 などの章を受けて始まる第三章は、もう完全に筒井康隆やりたい放題。

 時間も空間も徹底的にシャッフルしまくり、視点も語り手も短いフィルムをつなぎ合わせたかのように次々と切り替えながら、文房具と鼬の戦いを様々な人?の目線で、モザイク状に浮き上がらせてゆく。という手法は序盤から最後まで一貫しているものの、終盤に差し掛かると…。

 そりゃもう、こんな作品を「純文学」などと銘打って出したら、アチコチから叩かれまくるのは確実で。この人の性格からして、叩かれるのはわかっててやったんだろうなあw 嬉々として喧嘩を買いまくる姿が目に浮かぶ。だってSFとして出したら、絶賛ばかりで誰もケチつけないに決まってるし。それじゃつまらないから、喧嘩するためワザと純文学って事にしたんでしょ。

 喧嘩屋・筒井康隆が、「俺より強い奴に会いに行く」とばかりに、日本の文壇に叩きつけた果たし状であり、それまでの筒井康隆の芸の総決算であり、文学の新しい境地を切り開くというよりなぎ払い焦土と化す怪作でもある。「変な本」が読みたければ、文句なしにお勧めの作品。ただし相応の覚悟はすること。

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2014年10月16日 (木)

ブライアン・クリスチャン「機械より人間らしくなれるか? AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる」草思社 吉田晋治訳

 ある意味で、本書は人工知能やその歴史、そしてその歴史に僕自身が自分なりの方法でほんの少し関わった経緯を記したものだ。だが本質的には、本書は人生について記したものである。
  ――第一章 《最も人間らしい人間》賞への挑戦

人間は人間自身を「機械」に置き換えようとしているのでも、「コンピュータ」と置き換えようとしているのでもなく、「メソッド」と置き換えようとしているのだ。
  ――第四章 ロボットは人間の仕事をどう奪う?

【どんな本?】

 チューリング・テスト(→Wikipedia)とは、コンピュータの能力を計るために、数学者のアラン・チューリングが考えた方法だ。コンピュータが人間と会話し、人間が相手をコンピュータだと見破れなければ合格とする。

 これに挑むコンピュータ・プログラムが沢山ある。日本では人口無脳(→Wikipedia)と呼ぶ人もいる。年に一度、人口無脳のコンテストが開かれる。ローブナー賞だ。審判は二人?の相手と、それぞれ5分間計10分間キーボード越しに会話する。片方はサクラつまり人間で、もう片方がプログラムだ。審判は、どちらが人間かを判断する。より多くの審判を騙したプログラムが優勝だ。

 ローブナー賞には、もう一つ、奇妙な賞がある。《最も人間らしい人間》賞だ。受賞者は、サクラを務めた人から選ばれる。より多くの審判がより強い確信を持って「コイツは人間に違いない」と感じたサクラに与えられる。

 著者は、この《最も人間らしい人間》賞に興味を持ち、賞を勝ち取ろうと決意した。

 そのためには、どうすればいいんだろう? 「人間らしい会話」とは、どんなものなんだ? コンピュータにはどんな会話ができて、どんな会話ができないんだ? 会話ロボットは、どんな仕組みで動いている? 会話には、どんな形式やパターンがあって、どんな効果がある? そもそも、ヒトは何のために会話するんだ? ヒトとコンピュータは、何が違うんだ?

 コンッピュータ・サイエンスと哲学と詩学を学んだ著者が、自らの挑戦の中で学んだ事柄や知り合った人々を通じ、「人間とは何か」「芸術とは何か」「人生とは何か」を考え綴る、一般向けのちょっと変わった科学・芸術・哲学の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Most Human Human - What Talking with Computers Teaches Us About What It Means to Be Alive, by Brian Christian, 2011。日本語版は2012年6月4日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約359頁+訳者あとがき4頁。9ポイント47字×19行×359頁=約320,587字、400字詰め原稿用紙で約802枚。長めの長編小説の分量。今は文庫版が出ている。

 日本語は比較的にこなれている。内要はコンピュータ・哲学・芸術・ナンパと様々な分野に及ぶが、いずれも素人向けに書いてあるので、特に前提知識は要らない。敢えていうと、私には哲学の話がややこしく感じた。まあ、もともと、我々が「当たり前じゃん」で済ましている事柄を、ワザとややこしく考えるのが哲学なんだろうけど。

 逆にコンピュータ関連は、少々まだるっこしかったりする。例えばキャッシュ(→IT用語辞典)を「メモ化」と表現してたり。まあ、コンピュータ屋にはキャッシュの方が通じるけど、そうでない人には通じないから、「メモ化」は妥当だろう。こういう現象、つまり相手によって適切な表現が違うという現象も、本書が扱っているテーマの一つでもある。

【構成は?】

  • プロローグ
  • 第一章 《最も人間らしい人間》賞への挑戦
    チューリングテストとは何か/人間代表としてチューリングテストに参加する/出会い系のボットにだまされた研究者/原始、コンピュータは人間だった/「人間とは(  )な唯一の動物である」/機械に「人間らしさ」で負けることの意味
  • 第二章 ボットにアイデンティティはあるか
    自分である証しは形式にあるか、内容になるか/人間関係を育むのは形式か、それとも内容か/チューリングテストにおける形式と内容/会話のピューレとしてのチャットボット/どのような自我であってもいいから、一つの自我でいる/作者のいない芸術作品、親友のいない人間関係/人間関係を築けないカスタマーサービス/同じ人間が対応するカスタマーサービス/『50回目のファースト・キス』/ステートフルな会話とステートレスな会話
  • 第三章 「自分」とは魂のこと?
    「私の目を見なさい」/人間は魂をどのように考えてきたか/犬は天国にいかない/生きることの究極の目的とはなにか/花は咲くもの、人間は考えるもの?/われ思う、故にわれあり?/論理的思考をおこなう機械の誕生/魂の座と死の定義/脳の中にいる「自分」は本当に一人だけか/神経学=左半球の研究?/教育も自意識もやや片側に偏る/経済学の合理的エージェントモデルは正しいか/自己とは肉体でなく精神?/コンピュータは人間の「きれいな」働きを再現?/機械翻訳――アルゴリズムが統計に凌駕される/計算が速いことよりUXを重視する/コンピュータが人間をより人間らしくする
  • 第四章 ロボットは人間の仕事をどう奪う?
    セラピスト・ボット《イライザ》の誕生/相手の心を癒すのに「理解」は不要?/ロボット化が問題ではない。問題はメソッド化/人間らしく働ければ「IQが二倍になる」/ロボットは人間の仕事をどのように奪うか/「喋るのが仕事なのに、喋れないのよ」/AIは人間らしさにおけるうじ虫療法/芸術は量産できない/サイトスペシフィシティ――知恵と知覚の違い/会話におけるサイトスペシフィシティ/大人になっても芸術家でいる方法
  • 第五章 定跡が人をボットにする?
    チューリングテストの幕開け/定跡とゲームの死――チェスとナンパの共通点/チェスは芸術であり、人間性の証し?/《ディープブルー》対カスパロフ/「先生、俺は死人だ」――認知的不協和への対応法/「人類は絶望的」か、「チェスはつまらない」か/チェスプログラムの作り方/チェスプログラムの追加機能――定跡のメモ化/序盤定跡と終盤定跡/会話や手紙における序盤定跡と終盤定跡/人間らしいのは端と端のあいだだけ/「ボクのナイトを取り上げたのはだれ?」/定跡のせいで死んだゲームを再生するには/「いきなり核心」に入ることの劇的効果/本物の会話にたどりつく手段としての定跡
  • 第六章 エキスパートは人間らしくない?
    機械と実存主義哲学/究極のAIは人間の存在意義を疑う?/コンピュータの実存主義哲学/コンピュータに独創性がないなら人間にもない/人間らしさ、独創性、本物らしさの後退/実存的不安を忘れさせるもの――ゲーム/あらゆるものが対象となる最高の学問――哲学と詩/特定領域から抜け出ることが人間らしさの証し/ローブナー賞のルール変更/「目的を持たない」という目的
  • 第七章 言葉を発する一瞬のタイミング
    「自分らしくいる」ことは自分探しと無関係/地球の裏側との電話に感じる気まずさ/電話会議における会話の間/計算可能性理論と計算複雑性理論/「ああ(uh)」と「うん(um)」は言葉か/タイミングの送れたおしゃれと手遅れの機知/話の途中に割り込む――AIにできないこと/会話はターン制でおこなわれているわけではない/入力一つに対して出力一つという縛り/そのメディアでしかできない表現をする
  • 第八章 会話を盛り上げる理論と実践
    相手に伝わるボディ(と)ランゲージ/チューリングテストを誘導尋問にしたら…/答えられない質問をしてみる/会話の戦略とチェスの戦略の決定的な違い/ディベードの能力は会話の能力ではない/協調的な会話とは「ホールド」を提示すること/協調的会話の実践――インフィJ/チューリングテストにおける実践の仕方/尋ねられた質問にしか答えないとどうなるか/会話が記録に残るとガードが堅くなる/とにかくたくさん喋るという戦術/文化の共有、共通点による意気投合
  • 第九章 人間は相手の影響を受けずにいられない
    キャラクターを持ったAI/相手に話させるべきか、自分が話すべきか/実演することで知性を照明できるか/新しい表現を生むことは人間にしかできない/言葉を使っていれば新しい表現は必ず生まれる/人間は会話をすれば必ず変化する/愛の起源――一つの体に戻りたいと願うこと/二人の神経系を通信で結んで愛を成就?/「二人が一つになる」ことと「一人が一つでいる」こと
  • 第一〇章 独創性を定量化する方法
    相手の言葉を推理して会話を乗り切る/相手を一個の機械とみなした会話/通信の数学的理論と「人間らしさ」の関係/ジェイムズ・ジョイス対マックOS X/情報を定量化するとはどういうことか/情報量を測るとは予想外の度合いを測ること/「シャノンのゲーム」でエントロピーが測れる/情報エントロピーを使って検索を活用する/芸術における独創性と情報エントロピー/騒々しい部屋で頻繁に生じる「空所補充テスト」/ロスなし圧縮とロスあり圧縮/人間の肉体もエントロピーに反応する/非可逆圧縮に伴う歪みから情報量を推測する/情報の価値に応じた圧縮――非可逆圧縮と言語/文学的技法のなかの非可逆圧縮/批評もまた非可逆圧縮である/描写と語り、どちらが優れているかという問題/エントロピージャンルという概念の関係/抜粋とあらすじ――非可逆圧縮による感動/助言のエントロピーが最も高い人に相談せよ/人物の理解とインタビューのエントロピーの関係/言葉の習得と言葉の進化、圧縮アルゴリズム/シャノンのゲームと親指――携帯電話の文字入力/動画圧縮の技術が時間の概念を変える?/芸術作品のマーケティングと差分/個人と社会の差分と道徳/圧縮と解読、含意と推理――エントロピーのエロス/小説を読む――人間による非可逆圧縮の解除/思いがけないことの追求を続けられるか/英語のエントロピーをシャノンのゲームで測る/シャノンのゲームとチューリングテストは同じ
  • 第一一章 最も人間らしい人間
    ライバルとしてのAI、煉獄としてのチューリングテスト/チューリングテストでの人間の敗北の意味/チューリングテストでの人間の勝利の意味
  • エピローグ ガラス食器棚の得も言われぬ美しさ
    最も部屋らしい部屋 コーネルボックス/ガラス食器棚の得も言われぬ美しさ
  • 謝辞/訳者あとがき/原注

 各章は比較的に独立しているが、できれば頭から読んだほうが楽しめる。

【感想は?】

 「人間って、なんだろう?」なんて問題を、オトナは滅多に考えない。少なくとも、考えないフリをしている。だからといって、興味がないワケじゃない。下手にそんな話をしたら、厨二病と笑われる。だから、あまり言わないのだ。

 そんな青臭いテーマを、真面目に考えたのが、この本だ。ただし、少々、切り口が違う。延々と難しい理屈を考えるのではなく、著者は実際に試してみるのだ。自らを実験台に、ローブナー賞の《最も人間らしい人間》賞を目指して。だが、そこで考え込む。「どうすれば僕が人間だと分かってもらえるんだ?」

 P.K.ディックのファンなら「うおお!」と小躍りする状況に、著者は立たされる。これだけで、私には楽しくて仕方がない。

 と思って読み始めたら、いきなり「どひゃ~」と仰け反った。《最も人間らしい人間》賞の最初の受賞者は、なんとチャールズ・プラット。あの狂気ゴタマゼ怪作「フリーゾーン大混戦」の。本書では「『ワイアード』誌のコラムニスト」と紹介されてるが、そんな事もやってたのか、あの怪人←誉めてます。ちなみに受賞のコツは…

「不機嫌でイライラしてけんか腰」にしていたからだ

 わはは。この時点で、私の中じゃこの本は傑作と決まった。そりゃけんか腰の人口無脳なんか、まず作らないよなあ。第二章では、人工無能を作る様々な手法を紹介しているんだが、これも実に楽しい。例えば《クレバーボット》は、過去の会話の記録から、適切な返答を選び出す。使われれば使われるほど、「人間らしく」なっていくのだ。おかげで、こんな会話が出来たりする。

ユーザー「スカラムーシュ、スカラムーシュ」
クレバーボット「ファンダンゴを踊るかい?」

 そう、Queen の名曲「ボヘミアン・ラプソディ」の一節だ。こういう、使えば使うほど賢くなる手口は、最近じゃ当たり前になってきて、Google の検索キーも、勝手に補足してくれたりする。

昔から日本語入力のプロは辞書を鍛えていたが、Windows 7 の IME だと、自分が登録した単語を Microsoft にも送れたり。実はつい昨日、知ったばかりなんだけどw 昔から欲しかったんだよね、こういう機能。いや本音は送りたいんじゃなくて、小まめに単語登録している某氏の充実した辞書をパクりたいだけなんです、はい。

 などのコンピュータ側から迫っていく話と並行して、人間側から迫っていく話も進んでゆく。つまる所、コンピュータは辞書などのテンプレート(定型)と計算の組み合わせで会話を進めてゆくのに対し、人間はどうだろう?

 実は結構、定型にハマってたりする。最もわかりやすいのが、手紙だ。拝啓で始まり、挨拶があって、敬具で終わる。そのため、ビジネス文書を自動生成してくれる「直子の代筆」(→テグレット社)なんて傑作ソフトもあったり。腹が立つ例では、サポートセンターなどのテレフォン・サービスがある。相手はマニュアル通りに応対しているんだけど、何度も同じ質問されてムカついた事がありませんか?私はあります。

 やはりロボットっぽい会話になっちゃうのが、海外旅行したとき。

 言葉は通じなくても意外となんとかなるモンで、それは状況が限られてるから。例えばロンドンで、大きな荷物を抱えた東洋人がホテルのフロントに来たら、フロント係は「泊まりに来たんだな」と思う。とすりゃ、続く会話は「何人部屋か」「何泊か」「UCカードは使えるか」「タバコを吸うか」など、かなり限られてくる。

 こういう状況で、私はかなり事務的に話を進めるタイプなんだが、無駄噺をダラダラ続ける人もいる。尋ねてもいない自分語りを始めちゃったり。でも、これ、人間関係を円滑にするには、意外と役に立つテクニックなのだ。なぜかと言うと…

 などと、人と楽しく会話を続けるテクニックを紹介するかと思えば、帽子にソナーを埋め込んだ教授の話や、脳卒中で「脳のなかで感情をつかさどる部分が損傷した」人の話など、学術的な側面から迫る所も楽しい。

 と、コンピュータとヒト、双方からヒトの実体へと迫っていく本書の中で、全体を象徴しているのが、IBM のコンピュータ《ディープブルー》と、チャンピオンのガルリ・カスパロフのエピソード。将棋同様、チェスには定跡がある。定跡は大きく分けて二つ、序盤の定跡と終盤の定跡からなる。

 初心者が手っ取り早く強くなるには、定跡を暗記すればいい。それだけで、ソコソコは強くなれるそうだ。だが、世界上位を狙うなら、中盤を支配しなきゃいけない。コンピュータはモノを憶えるのが得意だから、定跡は沢山覚えている。問題は中盤で、そこでカスパロフのレベルに達するか否かが勝負の分かれ目。

 この序盤と終盤が、次第に中盤の域を狭めていく構図が、まさしくこの本の全体像を凝縮しているように感じてしまう。片や数学者たちがプログラムを作り、人間に近いモノを作ろうとしている。もう一方では神経学者などが、ヒトの脳の仕組みを解き明かそうと研究している。両者が手を結ぶのは、いつ頃なんだろう?

 幾つかの点で、私は著者と違う意見を持っているが、だからこそ、この本はとても面白かった。著者が意見を述べることで、私の意見も形のないモヤモヤから、明確な形に変わったからだ。楽しく会話を続けるコツ、アンケートで使われるトリック、最初の人工無脳《イライザ》の衝撃など、楽しいエピソードがギッシリ詰まっている。

 特にP.K.ディックが好きな人には、文句なしにお勧めの一冊。

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2014年10月14日 (火)

ロラン・ジュヌフォール「オマル 2 征服者たち」新☆ハヤカワSFシリーズ 平岡敦訳

「オマルに果てがないのおなら、こんなふうにヒト族と戦って何になるんです?」
(略)
「…領土のために戦うことが、問題ではないんだ。たしかに土地は、無限にあるのだから。大事なのはオマルが全体として誰のものなのかを、はっきりさせることだ。敵を絶滅させて初めて、われわれは本当に安心できる」

「テナカイルが言ってたな。われわれが戦争状態にあるのは、お互い異なっているからではなく、似ているからだと」

【どんな本?】

 フランスの人気SF作家ロラン・ジュヌフォールによる、看板SFシリーズの第二弾。舞台は遠い未来の不思議な星、オマル。果てしなく広がる大地オマルに住む、三つの知的生命体があった。ヒト族・シレ族・ホドキン族だ。なぜ三種族がこの地にいるのか、様々な伝説はあるが、確たる事は誰にもわからない。

 住める土地は広大で果てしないながら、それぞれの種族は覇権を巡って争っている。同時に、三種族が共に棲んでいる都市もある。それぞれが独自の文明を築き上げたオマルの地に、重大な転機が訪れようとしていた。

 前作「オマル 導きの惑星」より700年ほど遡り、ヒト族とシレ族が激しく争っている時代に繰り広げられる、冒険と探検の物語。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は LES CONQUÉRANTS D'OMALE,, by Laurent Genefort, 2002。日本語版は2014年8月15日発行。新書版縦2段組で本文約454頁+新島進による解説14頁。9ポイント24字×17行×2段×454頁=約370,464字、400字詰め原稿用紙で約927枚。文庫本なら2冊分ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。オマルの地は地形も生物相も独特だし、そこに発達した文明も奇妙に歪んでいる上に、登場人物や地名が独特の音感なので、異郷の雰囲気がタップリある反面、SFを読みなれていない人には馴染みにくいかも。

 ネタバレが嫌なら、本文と解説の間にある謝辞は最期に読むこと。詳しいい人ならピンと来ます。まあ、見なくても、そういうのが好きな人なら、本文中の記述でなんとなく見当がついちゃうんだけど。

【どんな話?】

 ヒト族とシレ族の戦いは、延々と続いている。前線で多くのシレ族を倒した英雄のジェレミア中尉は、多くの戦いで戦功を挙げたハイダール大元帥の命令で、特別の任務に赴く。かつてシレ族から鹵獲した武器を手に入れ、徴発した原子力機関車の動力を用い、戦況を一変させる攻撃を行なえ、と。

 ヒト族・シレ族・ホドキン族の三種族の棲域がぶつかるステイ高原には、三種族の使節団が集まっていた。26年に一度のアエジール族との交渉が迫っている。鉱脈に乏しいオマルでは、アエジール族から手に入る鉱物は貴重だ。三種族すべてと平等に交渉することがアエジール族の出した条件であり、そのためステイ高原は緩衝地帯となっている。だがヒト族の大使ボロケンコは、シレ族の大使テナカイルへの陰謀を抱えていた。

 ヒト族の地図作成調査隊は、奇怪な状況に置かれていた。昼間のはずなのに、真っ暗な闇に覆われている。太陽を遮る巨大な「黒いプレート」が上空を覆い、あたりは厳寒の地となった。プレートは移動し、極寒の土地もヒト族の土地を次々と侵食してゆく…

【感想は?】

 これぞ冒険小説の王道。危機また危機、謎また謎の展開。

 前巻では微妙にほのめかされるだけだったオマルの謎が、この巻ではだいぶ明らかになる。古いSF者なら「ああ、某のアレか」と思っただろうが、微妙に違う模様。それは文中で何回か仮説として提示されるが、最後の謝辞で明らかになる。

 微妙にテクノロジーが歪んで発展しているのも、この物語の特徴。それを象徴しているのが、原子力機関車。おかしいよね。原子力が使えるなら、発電所を作って電気機関車を動かせば、もっと多くの列車を運行できるし、肥料作りや電気自動車にも使えるはず。

 が、しかし。それが出来ないのが、このオマルのクセ者な所。鉱物資源が少ないのだ。電気機関車を走らせるには、機関車に電気を供給する架線を引かなきゃいけない。けど、その架線に使う銅がないのだ。「だったらレールだって」と思うでしょ。そこはソレ、どうやってレールを調達したのか、ちゃんと説明があります。

 そんなワケで、強力な原子力はあっても、機関車ぐらいにしか使えないのであった。その分、凄まじい数の列車を引いて走るんだけど。この原子力機関車、終盤では凄まじい勢いで列車と同時に、物語そのものも引っぱっていくので、鉄道マニアは乞うご期待。ここまで鉄?道が活躍する物語も珍しいかも。

 根底に流れるテーマは、戦いと共存。無限とも思える広さを誇るオマルの地。そこに棲む、三つの知的種族。お互いが充分すぎる土地があるのに、なぜ争う必要があるのか? 戦いに使う資源を、開拓に回せば、どれだけ豊かになれることか。そんな争いの愚かさを象徴するのが、ヒト族の戦士ジェレミー大尉。

 義勇兵として軍に志願し、幾度も激戦を潜り抜けて多くの戦功を挙げ、英雄とまで言われる人物。とくれば一癖も二癖もありそうだが、意外とマトモそうに見える。少なくとも、最初は。

 彼が大元帥ハイダールに命じられた作戦は、かつて鹵獲し隠してあるシレ族の兵器を手に入れ、原子力機関車の動力を用いて作動させ、決定的な戦果を挙げること。そのために、広く危険の多いオマルの地を、数万kmに渡り長い旅に出よ、と。

 主なメンバーはジェレミー中尉を入れて四人。指揮官はタギブ大佐、ハイダール大元帥の信頼厚い老兵だ。ブリスバンは監察官、いわゆる憲兵である。最後のソリマ大尉は女性ながら、ジェレミー同様に歴戦の勇者でもある。この四人が、秘密兵器を求めて進む長い旅が、物語の中心となる。

 オマルは広い。それだけに軍の支配や治安も行き届かず、道中には様々な危険や障害が待っている。前巻でも、アレサンデルの運命は過酷だった。この巻でも、ジェレミー自身やソリマ大尉の生い立ちや、軍に志願した動機などを通して、オマルの過酷な社会が少しずつ明らかにされてゆく。

 一般にエイリアンと闘う物語だと、人類側が少数精鋭で、エイリアンが大軍ってパターンが多いんだが、シレ族との戦いだと、これが逆になってるのも皮肉な所。肉体的にもシレ族の方が大きくて力強い上に、使ってる技術もシレ族の方が上だったりする。なんたって、巨大な飛行船も持ってるし。

 などと戦いの側面を担うのがジェレミー一行なのに対し、別の側面を担っているのが、地図作成調査隊。高空を移動する謎の巨大プレートにより太陽の光が遮られ、闇に閉ざされると同時に極寒となった地をさすらう科学者の一行。

 このあたりは、冒険物語の王道とでもいうか。下手に呼吸すれば肺すら痛めてしまう凍える大気の中、彼らがかすかなカンテラの灯りの中に見る風景は、なかなか印象的。普通に季節がある生活から、いきなり厳冬に放り込まれたら、どうなるか。社会の模様も面白いか、それ以上に生物相や大地の様子が楽しめた。

 物語のもう一つの軸が、アエジール族を迎える三種族の使節団。アエジール族が出す条件により、三種族の平和が保たれている土地で、密かに進む陰謀は何か。ここでは、アエジール族の「三種族が平等」という、共存を進める条件が示されていながらも、激しく戦っているヒト族とシレ族を、悲しげな目で見るホドキン族のクウヘルが切ない。

 終盤、スタッド湖で奮闘するジェレミー君は、凄まじい狂気を感じさせると同時に、一徹な意思の強さも伝わってくる迫力あふれる場面。その目的を思えばイカれているとしか思えないんだが、やっぱり応援したくなるから物語ってのは不思議だ。

 ヒトの持つ困った性質をシレ族にも反射させ、我々の狂気を映し出しながら、その狂気がもたらす英雄的行為も雄雄しく描き出す、宝探しの旅の物語。難しい事は考えず、冒険物語として楽しんでもいい。やっぱり、力強い原子力機関車と秘密兵器には心が躍るなあ。

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2014年10月12日 (日)

ピエール・ラスロー「柑橘類(シトラス)の文化誌 歴史と人の関わり」一灯社 寺町朋子

DNA解析の結果は、称すの基本的な種が柑橘類のあらゆる種の起源であることを示している。もしかすると、真の種はシトロンとザボン(ブンタン)とマンダリンの三つだけかもしれない。栽培品種のほとんどは雑種だ。たとえば、タンジェリンともいわれるマンダリンは、多くの種を生み出している。
  ――はじめに 柑橘類の定義を含めて

 柑橘類のあらゆる種類の樹木は、アジアから西の国々に移入されたものだ。それらはまず中東にもたらされ、その後、北アフリカや西ヨーロッパに伝えられた。十六世紀以降には、西インド諸島や南北両アメリカ大陸に移植された。柑橘類の樹木は寒さに弱い。新しい環境に馴らしても、寒さに強くはならなかったのだ。
  ――第14章 希少品にする?

【どんな本?】

 おこたで食べるミカンは美味しい。食べ始めると止まらなくなる。お茶と煎餅とドテラが似合う、庶民的な味だ。炭酸水やカクテルにレモンのスライスを添えると、途端にお洒落で大人っぽい雰囲気になる。焼き魚や吸い物の柚は上品な香りを漂わせ、料理の腕が一段上がった気分に浸れる。オレンジのマーマレードは、アットホームな感じがする。子供はレモンのキャンディーが大好きだ。

 庶民的で生活感がありながら、上品で高級な雰囲気も演出でき、また家庭的な味でもある柑橘類。それはどこから来て、どう広まり、どう愛されたのか。今はどこで栽培され、どう流通しているのか。世の中にはどんな柑橘類があり、どう使われているのか。柑橘類の独特の味と香りは、どこから来るのか。そして、世界各国では、どんなレシピがあるのか。

 フランスで生まれブラジルで育ち、今はアメリカに住む有機化学者の著者が、主にヨーロッパと南北アメリカの柑橘類の歴史と現状を、栽培・流通から文化への影響に至るまで調べ、同時に各地の柑橘類を使ったカクテルやお菓子を味わい、そのレシピを明かす、甘酸っぱく爽やかな一般向け教養書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Citrus : A History, by Pierre Laszlo, 2007。日本語版は2010年9月23日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約387頁+訳者あとがき5頁。9ポイント45字×17行×387頁=約296,055字、400字詰め原稿用紙で約741頁、長めの長編小説の分量。

 文章は比較的にこなれている。多少は化学や歴史の話も出てくるが、特に前提知識は要らない。特に訳註が親切で、日本人に馴染みのない事がらを丁寧に補足している。しかも、各頁の左側にあるので、頁をめくらずに済むのが嬉しい。ヨーロッパと南北アメリカの地名が沢山出てくるので、地図帳か Google Map があると便利。もちろん、様々な柑橘類が出てくるので、料理やカクテルやお菓子に詳しいと、更に楽しめる…体重が気になる料理が多いけど。

【構成は?】

  • 謝辞/日本の皆さんへのメッセージ
  • プロローグ:先輩作家への手紙
  • 第Ⅰ部 外来種の栽培
    第1章 はじめに 柑橘類の定義を含めて
    第2章 ヨーロッパへの移植
    第3章 新世界への順応
    第4章 柑橘栽培の育成
  • 第Ⅱ部 柑橘類から価値を発掘ア
    第5章 夢のカリフォルニア
    第6章 酸っぱいレモンから甘いレモネードを作ろう
    第7章 オレンジを飲む
    第8章 果皮からエッセンスを抽出
  • 第Ⅲ部 象徴的な抽出
    第9章 柑橘類の象徴的意味
    第10章 散文における柑橘類のイメージ
    第11章 詩における柑橘類のイメージ
    第12章 イメージとしての果実
    第13章 本来の性質の保存か変換か?
    第14章 希少品にする?
  • エピローグ:先輩作家からの返事
  • 訳者あとがき
  • 原注/索引

 全般的に章ごとに記事が独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

【感想は?】

 改めて考えると、一言で柑橘類と言っても、意外と多くの品種がある事に驚く。

 冒頭の引用にあるように、これがたった三種に遡れるというのも驚きだ。シトロン(→Wikipedia)の代表はレモン。香りが強く長細い。ブンタン(→Wikipedia)の代表はグレープフルーツ。大きい実が特徴。マンダリン(→Wikipedia)の代表は、なんといっても温州みかん。皮が剥きやすく甘い。

 日本でミカンと言えば静岡と紀州だろう。暖かく日当たりのよい土地、という印象がある。実際、柑橘類の栽培には寒さが大敵だとか。-2.2℃以下の気温が4時間続けば実が駄目になり、もっと長時間続くと木自体が死んでしまう。これを防ぐ方法の一つは温室だが、もっと荒っぽい方法もある。水をかけるのだ。水が流れていれば温度は零度以上に保たれる。

 そのため、ヨーロッパへの柑橘類の導入も、イタリアやスペインなど南から始まった。第Ⅲ部では文化の話が中心となるが、中でもオランダの絵画の話は意外。オランダは西欧でも比較的に北にあり、オレンジの到来は遅れた。そのため、「17世紀に制作されたオランダの静物画では、まだ珍しかった柑橘類の果実は貴重品として表現された」。

 商売で儲けた成金どもが、己の富を見せびらかすために静物画を描かせ、そのテーマとして当事の贅沢品の柑橘類を選んだ、というわけ。我々の目には庶民的なオレンジに見えても、当事の人には贅沢なご馳走に見える。意味が全く違うわけで、絵画を鑑賞するにも、制作当事の文化・生活背景の知識が必要なんだなあ。

 アメリカでも代表的な産地はフロリダと南カリフォルニアだ。ロサンゼルスの発展の歴史も、様々な紆余曲折を経ている。冷害にやられカイガラムシ(→Wikipedia)に食われ、豊作の時にも安値に泣かされ…。そのカイガラムシ退治の話は賢い。

イセリヤカイガラムシの被害は、D.W.コクィレットがオーストラリアから天敵のベダリアテントウ(Vedalia Cardinalis[現在は Rodalia Cardinalis])というテントウムシを輸入した1880年代になって、ようやく食い止められるようになった。

 19世紀に生物農薬ですぜ…と思って感心してたら、Wikipedia のイセリヤカイガラムシベダリアテントウの項に詳しい説明があった。テントウムシさんありがとう。

 柑橘類は体にいい。ビタミンCを補って壊血病を防ぐのは有名な話。この本には、現代の偏った食生活の少年が壊血病と診断される話が出てくる。オレンジジュースがカルシウムを豊富に含むというのも、意外だった。ただしカルシウムを摂りすぎると「肝臓に負担がかかる」とか。必要量は大人で1日1000mg、子供1300mg。2500mg以上は摂りすぎ。

 ちなみにオレンジジュースはコップ一杯250mlで約27mg、カルシウム強化版で500mg。摂りすぎるには強化版でも1日5杯以上飲まなきゃいけない。まあ、普通の食生活してれば摂りすぎの心配は要らないね。

 これもお国柄か、と感心するのが、色の話。オレンジ色を表すポルトガル語はラランジャ(Laranja)。ブラジルだとコル・デ・ラランジャ(Cor-de-Laranja または cor de laranja)。これポルトガル語が示すのはいわゆるオレンジ色だが、ブラジルだと…

おそらくニンジン――ポルトガル語で「セノウラ(cenoura)」――の色にたとえる色の名前である。

 なぜか。柑橘類が鮮やかなオレンジ色になるのは、紅葉と同じカロチノイド類の色素のためだ。季節が変わると、実が熟すにつれ色素が5倍に増える。だが「季節の移り変わりがあまりない熱帯性・亜熱帯性気候では、柑橘類の果実はえてしてライムグリーンのままなのだ。それは、正確にいえば葉緑素の色である」。ブラジルじゃオレンジはライム色なのか。

 そのブラジル、「柑橘類の世界で主役級の役割を演じている。ブラジル一国だけで、世界の濃縮オレンジジュースの50%以上を生産している」。なお、壊血病の治療法としてイギリス人がライムジュースを使ったのが有名だけど、この本は別の仮説を示している。実はその前にポルトガルが発見してたけど、戦略上の秘密にしていたんじゃないか、と。

 というのも、当事のポルトガルは南米の東岸を支配していた。そして「ポルトガル人は16世紀のはじめから、ブラジルの沿岸地方に柑橘類を植えていたのだ」。リスボンを出航し西に向かった船は、南米沿岸でオレンジを補給すれば壊血病を防げる。長期航海における乗務員の健康は、当事の重要な戦略問題だ。うーむ。

 などの小難しい話ばかりでなく「柑橘類の砂糖漬け」や「マーマレード」などのお菓子や、「オレンジワイン」「カイピリーニャ」などのカクテルのレシピも豊富に収録している。ここでは「アボガドとライムのデザート」を紹介して終わりにしよう。

材料:熟したアボガド2~3個、ライム果汁75ml、グラニュー糖190g

  • フォークでアボガドの果肉をつぶす。
  • ライム果汁を少しずつ加える。
  • 蓋をして、冷蔵庫で半時間ほど冷やす。そうすると、ライムの酸性成分によってアボガドの繊維が軟らかくなり、なめらかでとろっとしたクリーム状になる。
  • 好みに応じてグラニュー糖を加える。最高においしいデザートのできあがり。

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2014年10月10日 (金)

「完本 池波正太郎大成7(鬼平犯科帳4)」講談社

(女というものは、みんな、こうなのかしら……)
 男のために生き、男のためにはたらき、男のために抱かれて、子を生む。
 女とは、それだけのものであるらしい。
  ――乳房

【どんな本?】

 昭和のベストセラー作家であり、時代小説の大家・池波正太郎による、「剣客商売」と並ぶ代表シリーズ。テレビドラマや映画も好評で何度も映像化され、再放送もされており、多くの人に親しまれている。

 江戸時代、老中・松平定信が幕政改革に勤しんでいたころ。世界有数の大都会となった江戸には、無宿者や食い詰め浪人が集まってくる。凶悪化・広域化・組織化する犯罪に対し、従来の町奉行・寺奉行では限界があった。そこで幕府は、広範囲に渡る犯罪捜査件を持つ組織・火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)を設ける。いわば江戸のFBIである。

 その長官に就任したのは、長谷川平蔵宣似(のぶため)。若い頃は荒れて「本所の銕」などと悪名を馳せた悪たれだが、同時に江戸の人びとの機微にも通じる経験となった。型に嵌らぬ発想と軽快な機動力、そして水も漏らさぬ操作能力は江戸の悪党どもに恐れられ、鬼の平蔵・略して鬼平と呼ばれ恐れられてゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 シリーズ開始は1968年。解題によると、この巻の収録作の初出は1978年に雑誌「オール讀物」12月号~1990年4月号に加え、番外編「乳房」が1984年1月~7月の週刊文春。文春文庫の「鬼平犯 科帳」なら19巻~24巻と、文春文庫「乳房」にあたる。完本は1998年9月20日第一刷発行。私が読んだのは2008年9月22日発行の第五刷。安定した売れ行きだなあ。

 腕の筋肉トレーニングに便利な重さの単行本ハードカバー縦2段組、本文ギッシリ約887頁。.8.5ポイント28字×25行×2段×887頁=約1,241,800字、400字詰め原稿用紙で約3105枚。文庫本で約6冊分の大容量。

 分量こそ多いものの、そこはベテランのベストセラー作家。文章の読みやすさは抜群で、スラスラ読める。雑誌連載の連作短編でもあり、原則としてには一話完結の話が続く。そのため、登場人物についても文中でそれとなく紹介しているので、どこから読み始めても構わない。特に前提知識も不要。テレビドラマの時代劇を楽しめる人なら、充分に楽しめる。

【収録作】

霧の朝/妙義の圑右衛門/おかね新五郎/逃げた妻/雪の果て/引き込み女/おしま金三郎/二度ある事は/顔/怨恨/高萩の捨五郎/助太刀/寺尾の治兵衛/泣き男/瓶割り小僧/麻布一本松/討ち入り市兵衛/春の淡雪/男の隠れ家/迷路(長編)/隠し子/炎の色(長編)/女密偵女賊/ふたり五郎蔵/誘拐(長編、未完)/乳房(番外編)

【感想は?】

 ついに終わってしまった。尻上がりに面白くなるシリーズなのに。

 もう一つの代表作「剣客商売」とは、少し構造が違う。連作短編なのは同じなんだが、人物の見え方が違うのだ。「剣客商売」は、秋山小兵衛と大五郎を中心に、他の人物が少しづつ登場してくる。登場する際に、各人物をじっくり書き込むので、レギュラー陣は最初から人物像に厚みがある。その分、人数が揃うまで、相応の枚数を費やしている。

 「鬼平」シリーズは、最初から火付盗賊改めの面々が揃っている。だから絵として華やかなんだが、滑り出しの頃は人物像に厚みがない。ところが、巻を重ねるに従って、各与力や同心の性格や背景事情がわかってきて、カキワリから血肉を供えた人間へと変わってくる。そのため、後の巻になるほどドラマとしての吸引力が強くなってゆく。

 これは特に、クライマックスの捕り物の場面で顕著になる。主人公の鬼平が出てくれば抜群の安定感があるし、それは剣の達人の沢田小平次や、捕り物名人の松永弥四郎も同じ。でも、これが木村忠吾や細川峯太郎だと、「おいおい、大丈夫かよ」と少し不安になったり。

 同じ捕り物アクションの場面でも、人物の性格や背景がわかってくると、読んでいて俄然迫力が増すのだ。

 アクションだけじゃない。この巻では、盗賊集団と丁々発止の騙しあいの場面が多い。特に緊張感があるのが、長編の「迷路」。

 築地の海沿い、笹田屋伊兵衛方に舟で乗りつけ、押し込んだ盗賊、池尻の辰五郎。だが待ち構えるは鬼平率いる盗賊改方。見事に一網打尽にしとめ、頭目の辰五郎は鮮やかに自害をして果てた。だが、同心の細川峯太郎は浮かぬ顔で…

 この長編、姿の見えぬ敵に鬼平は翻弄され、密偵が掴んだかすかな糸をたよりに慎重な捜査が続く作品。互いが互いを尾行しあい、張り込みあう。なかなか正体が掴めぬ敵に鬼平も追い込まれ、幕府までもが鬼平の解任へと動き出す。こういう頭脳戦も、lやっぱり登場人物で場面ごとの雰囲気が大きく違ってくる。

 やっぱり不安を感じるのは細川峯太郎。最初から「また細川か」な空気を漂わせ、読者の不安を煽る煽る。逆に読者を安心させてくれるのが、筆頭与力の佐嶋忠介。人の割り振りから見張り場所の確保、役宅の留守番まで、ともかく佐嶋さんに任せておけば、まずもって間違いないという安心感がある。

 佐嶋さんとキャラは全然違うけど、やっぱり見ていて安心なのがお熊婆さん。「蛸の骨みてえな……」痩せた体だが、元気そのもので茶店「笹や」を切り盛りしてる。きっぷはいいが口は汚く、泣く子も黙る火盗改方の鬼平を相手に「銕つぁん」呼ばわりする、怖いもの知らずの婆さん。

 店をやってるだけあって、何かと火盗改方に便利に使われるんだが、鬼平が「本所の銕」なんぞとイキまいてた頃からの知り合いで、何かと気心が知れていて、目立ちはしないが、捜査の段階では見事な機転を見せたり。安定感って点じゃ佐嶋さんとタメ張る人なんだが、彼女が出てくると、途端に場面がユーモラスになるのが楽しい。

 読者を笑わせるにも、語り口は色々。ちょっと変わった芸を楽しめるのが、「男の隠れ家」。密偵となった泥亀の七蔵がタレ込んできた。「あれは玉村の弥吉でございます」。弥吉は盗みの掟の三ヶ条を守る本格派。「それほどの男なら、いまもそれと知れたお頭の下で…」と考えた平蔵は、厳重な見張りをつけるが…

 こういう、芸を見せる盗賊が出てくるのも、この作品の欠かせない味のひとつ。欲しいよね、隠れ家。

 サイド・キャラクターが魅力的なのも、この作者の特徴。最終巻になって「隠し子」で出てくるお園さんが、これまた楽しい人で。長く長谷川家に奉公していた小者の久助爺さんが、鬼兵を訪ねてきた。今でも時おり挨拶に来るが、今日は少しおかしい。なかなか要件を切り出さず、問い詰めると「隠し子が……」

 この後の展開が、驚愕というか報復絶倒というか。いやあ、そうきたか。次の「炎の色」でもお園さんは幾つか出番があって、作者はレギュラー入りを考えていたんじゃないかなあ。ホント、惜しい。

 などの最後を飾るのが、番外編の長編「乳房」。これまた剣客商売の番外編「ないしょないしょ」と並ぶ傑作で。

 浅草の足袋問屋の加賀屋治助に奉公しているお松。歳は19、加賀屋の中では浮いている。左の頬から顎にかけ刀疵があり、いつも表情が暗い。今日は、ひとつ年下のお嬢様・お千代のお供で、池之端の丁字屋まで出かけた。お嬢様が白粉や髪あぶらを買いに行くのだ。ところが、丁字屋でお松の姿が消え…

 この作品の主人公は、お松。ふとしたはずみで運命を狂わされた女が、出合った人びとにより思いもかけない方向へと漂ってゆく。こういう構成も、先の「ないしょないしょ」と同じ。やがて出てくるワケありの男、長次郎に導かれ…。

 育ちに加え、ちょっとした一言で折れてしまったお松の心。誰からも疎まれ続けた人生は、彼女の心を複雑に屈折させ、人の温かい言葉も素直に受け入れられない。そんなお松を知ってか知らずか、ワケありの長次郎は更に不思議な運命へとお松を導いてゆく。

 などのお松のパートと並行して、若き日の鬼平の姿が拝めるのも、この作品の楽しみ。若い頃は散々に暴れまわったものの、お家を継いでしまえば無茶はできない。窮屈なお役目に従いながら…ってな鬱屈の日々から、後に片腕となる佐嶋忠介との出会いと、彼の信頼を得る過程が、作品に明るい色を添えている。

 こういう傑作を最終巻に入れられると、ホントに哀しくなる。もっと書いて欲しかったなあ。

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2014年10月 6日 (月)

チャールズ・ペレグリーノ「タイタニック 百年目の真実」原書房 伊藤綺訳

タイタニックのラスティクル礁は20種以上のバクテリアと真菌生物からなる複雑な生き物で、成長帯の層や相互に連結した循環系のチャネルが見られる。この生きている化石は、多細胞生物がきわめてまれなものではなく、水と適切な鉱物が存在する場所ならどこでも発生する可能性があることを暗示している。

歴史が教えているのは、人間があらゆることを想定したと思ったとたん、自然はほかのことを考えはじめるということだ。

【どんな本?】

 1912年4月14日午後11時40分、豪華客船タイタニック号は氷山と衝突、沈没する。2001年、映画監督ジェームズ・キャメロンなどのチームは、深海探査用のロボットなどを駆使して沈没したタイタニックを調査し、多くの映像やサンプルを得た。それはタイタニックの沈没の様子を物語る証拠でもあり、深海における旺盛な生物活動の資料でもあった。

 科学者で作家でもある著者が、複数回のタイタニック調査に同行して得た資料から得た深海生物の実態や、船体の損壊具合から推測する事故の進行模様を明らかにすると共に、同船関係の文書を漁って得た情報を元に、タイタニックに乗り合わせた人々の人生を再現するノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Farewell, Titanic - Her Final Legacy, by Charles Pellegrino, 2012。日本語版は2012年10月1日初版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約486頁+訳者あとがき4頁。9.5ポイント44字×18行×486頁=約384,912字、400字詰め原稿用紙で約963頁。長編小説なら文庫本2冊分ぐらいの分量。

 正直言って、文章は読みにくい。一つの文章が長すぎる。修飾する言葉と修飾される言葉が離れていて、意味が掴みにくい文章が多い。内要は特に難しくない。多くの人が出てくるので混乱しがちだが、巻末の索引を見ればいい。ただ、タイタニックの構造図が欲しかった。「ボイラー室」と書かれても、どこにあるのか見当がつかないので、船内の描写は位置関係が掴めない。

【構成は?】

  •  序文(トム・デットワイラー)/まえがき/謝辞
  • 第一章 収束
  • 第二章 良好な状態からはほど遠く
  • 第三章 かすかな戦慄
  • 第四章 輝くイルカの夜
  • 第五章 三位一体
  • 第六章 自然にしかず
  • 第七章 カスケードポイント
  • 第八章 われわれに不利なことばかり
  • 第九章 悪夢に忍びよって
  • 第十〇章 起程点
  • 第十一章 影の幾何図
  • 第十二章 暗黒の重さはどのくらいか
  • 第十三章 詩編第四六編
  • 第十四章 ウィリアム・マードックの真実
  • 第十五章 悲しみの船で夢見て
  • 第十六章 流星
  • 第十七章 炎と氷の動き
  • 第十八章 妄執
  • 第十九章 時間の裂け目
  • 第二十〇章 暗闇の輪
  • 第二十一章 探検家、墓所、そして恋人たち
  • 第二十二章 終端速度
  • 第二十三章 音楽を埋葬する 
  • 第二十四章 侮辱された怒り
  • 第二十五章 光に包まれて眠る
  • 第二十六章 ショックコーンに帰って
  • 第二十七章 エレン・ベティ・フィリップスの長い夜
  • 第二十八章 泥棒カササギ
  • 第二十九章 海底の怪物
  • 第三十〇章 深淵の亡霊
  • 第三十一章 忍耐強く
  • 第三十二章 未知の目的地
  •  訳者あとがき/注/索引

 各章の中で、当事のタイタニックの様子・各登場人物の人生・調査の模様・調査で分かった事柄などを、並行して描いている。出来れば頭から素直に読むほうがいいだろう。

【感想は?】

 かなり読むのが辛い本だった。

 訳文がこなれていないのもあるが、内容も悲劇の物語が多いからだ。客船が沈み多くの犠牲者が出た話なんだから、悲劇が多いのも当然なんだけど。

 避けられなかったのなら、まだマシだ。だが、これはどう考えても人災だ。深夜の真っ暗な海、しかも氷山がウジャウジャある中を、22ノット(時速約40km)で突っ走っている。査問会に呼ばれたサー・アーネスト・シャクルトン(→Wikipedia)曰く「浮氷原のなかをそんな速度で航行する権利はだれにもありません」

 運用も酷い。「2200名以上の乗員乗客に対して、救命ボートの最大収容人数が1180名」。最初から足りなかった。その上、避難を指揮する乗員の一部は「新型の救命ボートは旧式の型と同様こわれやすく危険であり、したがって定員の半分の人数でしか着水させなれない」と思い込んでいた。

 よって、ボートに乗る人間は選別される。優先すべきは一等船客と女性。夫と離れたがらない奥様もいたが、その時は子供をひったくってボートに放り投げる。すると奥様は子供を追っていくので、一緒にボートに押し込む。それでも一等船客はマシだ。

 一等ではひとりを除いて、すべての子供が助かった。三等では子供が三人かそれ以上いる家族は全員が命を落とした――そう、全員である。

 ばかりではない。タイタニックに乗ってた事すら、誰も知らない者がいるのだ。密航者である。火夫は語る。

「当時、密航するのはとても簡単でした」「連中は世界を渡り歩く放浪者でした。私たちはいつも彼らを歓迎しました。というのも[秘密を守るのとひきかえに]密航者は私たちの部屋を掃除してくれたからです」

 ボートに乗り込んでからも辛い。氷山が浮いてるような海面だから、そりゃ寒い。着の身着のままで出てきたから、低体温症で亡くなる人もいた。悲惨なのは、ボートに乗れず海に飛び込んだ人だ。近くにあるボートに泳いでいくと…

 などの人間ドラマの他に、タイタニックが沈む海面下4000メートルの深海に広がるドラマもある。

 ラスティクル(→Wikipedia)だ。沈んだ船の残骸から、ウニョウニョと生えてくるナマコの縄のれんみたいなアレである。単一の生物ではなく、嫌気性還元バクテリア・好気性バクテリアが複雑に入り混じったものだ。タイタニックのラスティクルは、数百キロも離れた熱水噴出孔から来た生物も含んでいるらしい。しかも…

海綿動物やコケ類、動物や植物と同類と思われる、導管、維管束、気孔、ほかの複雑な構造を見つけた

 のだ。単細胞生物の集まりのクセに、中に複雑な構造があるとは。これは鉄分が大好きで、沈んだタイタニックを加速度的に分解している。本書を読む限り、これは表面積が関係しているらしい。小さなヒビがあると、そこから入り込んで鋼鉄を食らい、更に隙間を広げてゆくのである。ばかりか…

五年前、同僚のひとりが口からタイタニックのラスティクルに感染したことがあった。(略)歯の中の鉄(とそのまわりの物質のほとんど)を、口蓋外科医が「チーズ」と表現するものに変化させていた。

 これだけシンドい想いをしたってのに、この人はめげない。なんたって科学者である。治療後、外科医に頼むのだ。「そのサンプルをもらえませんか」

 出てくる生物ではラスティクルの記述が最も多いが、もっと複雑な生物も出てくる。オーク材を食い穴を掘って住処にしている「ホワイトワーム」、平たい膜を持つタコ、閃光を発する魚。そして「毎晩夜になると海面にもどってくる燐光性の海洋生物」。これらが、タイタニックの残骸が提供する様々な物質を元に繁栄を謳歌している。なんたって…

タイタニック周辺の泥は、少なくともアマゾンの熱帯多雨林の地面の泥と同じくらい多くの生命がひしめきあっていた。

 亡くなったウィリアム・マードック一等航海士の最後の行動、デマが元で罵られた細野正文やジョージ・リームズ、生還した母親ケイト・フィリップスから生まれたエレンなど、事故で重荷を負わされた人々の話は重く悲しい。反面、調査船上で911のニュースに接した著者に対する、ロシア人同僚の心遣いなどの、心温まるエピソードもある。

 100年前に沈み行く船の上で演じられた人間のドラマと、現在海面下4000メートルの海底で進んでいる生物たちのドラマ、そしてそれを調べる著者たちのドラマを織り込んだ、複雑な味わいの本だった。

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2014年10月 2日 (木)

ネイサン・ローウェル「大航宙時代 星界への旅立ち」ハヤカワ文庫SF 中原尚哉訳

「言っておくけど、わたしの船にはきびしい規律がある。なまけ者は許さない。きみの階級は最底辺よ。これから二年間は働きづめに働いてもらう。仕事は退屈で困難で過酷。船員仲間のいじめもあるはず。快適な惑星の自分の部屋で暮していた者にとっては劣悪な生活環境でしょう。それでも契約満了あるいは解雇通知まで、きみはわたしn支配下におかれる。耐える覚悟はどう、陸上(おか)のネズミ?」

【どんな本?】

 合衆国沿岸警備隊の勤務経験を持つ作家による、オーディオブック向けに書かれた作品から出版にこぎつけた、異色の経歴の長編SF小説。既にシリーズ<太陽風帆船の黄金時代>として、六冊が発売されている。

 人類が恒星間に進出し、民間の商船である太陽風帆船が貿易を支えている遠未来。家族を失い天涯孤独となった18歳の少年イシュメール・ホレイショウ・ワンが、食っていくため連合貨物船ロイス・マッケンドリック号に船員として乗り込み、宇宙へと旅立つ姿を描いた青春スペース・オペラ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は QUATER SHARE, by Nathan Lowell, 2007。日本語版は2014年4月15日発行。文庫本縦一段組みで本文約372頁+訳者あとがき5頁。9ポイント41字×18行×372頁=約274,536字、400字詰め原稿用紙で約687枚。長編小説としてはちょい長め。

 文章はこなれていて読みやすい。SF、それもスペースオペラだが、読みこなすのに科学やロケットの素養もいらない。ちゃんと読めば充分に練りこまれた設定なのだが、気にしなくても楽しめる。せいぜいワープって言葉を知っていれば充分。それより、重要なのは営利企業の仕組みの基本。「株式会社」の仕組みについて、常識程度に分かっているといい。

【どんな話?】

 18歳の時、イシュメール・ホレイショウ・ワンは、事故で大学教授の母を失った。特に進路も決めておらず、なんとなく大学に進学する予定だったが、全てを失ってしまった。企業惑星ネリス星では、家すら会社のもので、従業員でない彼は出て行くしかない。他の惑星に行く切符代すらないイシュメールは、船員として貨物船に乗り込むことにするが…

【感想は?】

 ほとんど事件らしい事は起こらないのに、なんでこんなに面白いんだろう。

 恒星間宇宙を、太陽風帆船が行き交う時代。なんで太陽風帆船なのかというと、本文中にソレナリに理屈はついているけど、たぶんソレは言い訳。むしろ大航海時代の帆船をイメージさせたかったからだろう。

 という事で、この本でこと細かに書き込まれるのは、恒星間航行時代の貨物船の乗組員の生活である。それも、船長などの上級職ではなく、ペエペエの平船員の。

 SFっぽいガジェットも出てくるが、それ以上に船員である主人公イシュメールの生活そのものが面白い。それ以上に、貨物船の社会的な仕組みが楽しいのだ。これは、原題の「QUATER SHARE」によく現れている。訳では「四半株」。

「四半株とはどういう意味ですか?」
「航路で利益が出たときの臨時給与の分配比率よ。船主、船長、上級船員たちの取り分が大きいけど、下っ端にもそれなりの分け前があるということ」

 つまりはボーナスだ。そのボーナスが、航海ごとに出る。当然、航海で出た利益に応じて。船員たちの働く意欲を掻き立てる方法としては、理にかなっている。しかも、それが標準的な制度として成立しているのが面白い。恐らく、大航海時代も似たようなシステムだったんじゃないだろうか。

 元々、株式会社の制度は大航海時代に生まれた。当事の遠洋航海は沈没などのリスクが大きかった。出資者は、船が沈没すればすべてがパーになる。反面、成功した時の儲けも大きい。このリスクと儲けを平均化するために、多くの人から少しづつ資金を集める仕組みができた。金を出す方は複数の船に分けて投資すればリスクを分散できる。

 航海を企画する方も、一人の出資者から全資金を引き出すより、多くの人から少しづつ資金を集めたほうが、金を集めやすい。大金持ちは少ししかいないが、小金持ちは沢山いる。一人の大金持ちから全額引き出すより、十人の小金持ちから1/10づつ集める方がいい。今だって、募金で金を集める仕組みが沢山ある。

 そんなわけで、最初は一航海づつ株を発行しては配当を払っていたが、やがて恒常的に会社組織として云々…って、Wikipediaの受け売りですが。

 これを船員にまで拡張したのが、この本の四半株制度。確か今でも、遠洋漁業の漁船は似たシステムを取っていると思う。船の乗務員は全員が航海の利益を共有しているわけで、今の日本の会社のボーナスと目指す所は似ている。それを明文化し、配当も具体的に数字で示したのが、この本の面白い所。

 などが冒頭、イシュメールが船に乗り込む前に説明される。今までは大学教授の一人息子として、知識層に囲まれて育ったお坊ちゃんのイシュメール君、荒っぽい船員生活に慣れることが出来るだろうか…などと心配しつつ読み進めると。

 実際、不安になるのだ。冒頭の引用は、船長のキゴーンの台詞。なかなか厳しい。次に会う同僚のピップは、明るく親しみやすい若者で安心していたら、一等航海士のミスター・マクスウェルは「元特殊部隊員」と噂されるコワモテで愛想どころか表情すらない堅物。イシュメール曰く「怖くてチビりそうだったよ」。

 と、鳴れない船員生活にいきなり飛び込んだイシュメール君、見るもの全てが珍しく、好奇心に任せ勤務の合間を縫ってはアチコチに顔を出し、様々なモノゴトを見聞きしていく。しかも、幸か不幸か、最初に親しくなったピップがなかなかのクセ者で…

 狭苦しくプライバシーもない船員生活、厳しい階級性が敷かれた船内、資格により求人状況が異なる船員の社会。幾つかの星系に立ち寄る度に見えてくる、この恒星間宇宙の世界と、終盤で明らかになる歪み、そしてロイス・マッケンドリック号の秘密。

 大きな事件も、ハラハラする危機もないけど、読み始めたら楽しくてたまらず、気がつけば残り少ない頁数が恨めしくなってくる、そんな小説だった。ハインラインのジュブナイルに似た、心地よい読後感に浸れる作品だ。

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2014年10月 1日 (水)

ヒュー・オールダシー=ウィリアムズ「元素をめぐる美と驚き 周期表に秘められた物語」早川書房 安部恵子/鍛原多恵子/田淵健太/松井信彦訳

赤ちゃんのための「オーレイディウム(おおラジウム)毛糸」は、「驚くべきパワーの整理科学的治療法、すなわち放射能が含まれています。ラジウムで伝わる細胞の興奮による有機的刺激のすばらしい効果は誰もがご存知でしょう」
  ――私たちのラジウム夫人

【どんな本?】

 物質を構成する元素には、様々な印象がある。金は豪華。銀は上品。鉄は力強い。クロムは少し軽薄な輝き。硫黄は地獄の業火。塩素は毒ガスの恐怖でもあり、夏のプールの香りでもある。酸素は命の素。ネオンは即物的な欲望。

 それぞれの元素は、いつ、誰が、どうやって分離したのか。ヒトはそれぞれの元素にどんなイメージを投影し、どう使ってきたのか。メンデレーエフは、どうやって元素の周期表を思いついたのか。元素をテーマに、絵画・彫刻・文学・歴史・経済・工業、そしてもちろん化学を含め、元素とヒトの関わりを綴る、化学と歴史と芸術のエッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は PERIODIC TALES : The Curious Lives of the Elements, by Hugh Aldersey-Williams, 2011。日本語版は2012年11月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約467頁+訳者あとがき4頁。9ポイント45字×20行×467頁=約420,300字、400字詰め原稿用紙で約1,051枚。文庫本の長編小説なら2冊分ぐらいの分量。

 日本語は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。それぞれの元素についても、「そういえば昔、元素の周期表ってのを習ったなあ」程度に知って言えば充分で、化学が苦手でも問題はない。それより、重要なのは西洋史。主な登場人物がヨーロッパの歴史上の人物なので、世界史に興味があると楽しみが増す。

【構成は?】

  • 謝辞/プロローグ
  • 第一部 力
    エルドラド/金より白金/卑しい金属の卑しい発表/赤土色のさび/元素売ります/炭焼き党あれこれ/プルトニウムといっても/メンデレーエフのスーツケース/液体の鏡
  • 第二部 火
    「硫黄号」の周航/おしっこのPはリンのP/「緑色の海の下で」/「人道主義のナンセンス」/弱い火/私たちのラジウム夫人/ディストピアの夜光/蒼ざめた馬のカクテル/太陽の光
  • 第三部 工芸
    カッシテリデス諸島へ/鈍い鉛の灰色の真実/私たちの完全な反射/ワールドワイドウェブ/酒場(zinc)にて/陳腐化/「みんなガチョウにされちまうぜ」/宇宙空間溶接工のギルド/元素の行進
  • 第四部 美
    色彩の革命/“孤独なクロムのアメリカ”/シュジェール院長のサファイアの板/相続用の粉/血液の中の虹/エメラルドをすりつぶす/ネオンの真紅色の光/イゼベルの目
  • 第五部 大地
    スウェーデンの岩/ユウロピウム連合/アウアー光/ガドリンとサマルスキー、元素に名を残した平凡な男たち/イッテルビー鉱山
  • エピローグ
  • 訳者あとがき/元素周期表/引用文クレジット/参考文献/原注/図版リスト

 それぞれの章は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

【感想は?】

 化学というより、それぞれの元素にまつわる人びとを描いた本だ。

 もちろん、科学者も登場するが、それ以上に、元素を使ったり、元素にイメージを投影する人びとの話が多い。それも、時代と共に、元素の印象が変わっていくのが面白い。

 冒頭の引用は、ラジウムの話。キュリー夫人のノーベル賞受賞により、一気にラジウムのブームが起きる。「青い光を出し、神秘的で目に見えない放射能を持つ」上に、「癌治療に奇跡的な効果がある」ため、あらゆる商品にラジウムの名が冠され、売り出される。バター/タバコ/ビール/チョコレート、果てはコンドームから避妊ゼリーまで。

 冒頭の引用は、赤ちゃん用の毛糸の売り込み文句だ。今の日本じゃ、まず買いたがる人はいないだろうが、当時は「コレ売れる」と思えたんだろう。でも「ラジウム温泉」と言われると、何か体によさそうな気持ちになるから不思議だ。

 やはり印象の差が大きいのが、アルミニウム。1820年代に単離されたこの金属、当時は取り出すのが難しいため「1kgあたり三千フランであり、同重量の銀の12倍の価値があった」。ナポレオン三世はいたく気に入り、「晩餐会では、最高位の客人のみアルミニウムのカトラリーをあてがわれ、その他大勢は金や銀で我慢せねばならなかった」。モノの価値ってのは、希少性が大きく影響するようで。

 どうでもいいが日本の一円玉もアルミニウムで、やはり加工コストが高く、「2013年現在、1円玉の製造に約3円かかるとされる」(→Wikipedia)そうで。

 逆に地位が上がったのが、白金。「金に夢中だったスペインのコンキスタドールは、当初は鈍い灰色の自然白金に目もくれなかった」。この地位を変えたのが、1898年に父の宝石商を継いだルイ・カルティエ。耐久性に優れ、金や銀ほど光らないので、台座に使うと宝石が映える。つまり、プラチナの価値はカルティエが創りあげたものなのだ。

 などと歴史上の事実を漁るだけでなく、実は行動派なのも、この著者の楽しいところ。

 例えば鉄の項では、血液が鉄を含んでいる事を証明したヴィンチェンツォ・メンギーニの逸話が出てくる。どうやって証明したのか? 動物や人間の血を集めてあぶり焦がし、磁石で突いたのだ。これを真似て、「私がやってみたときは冷凍の鶏のレバーからとった」。

 世の中には実物を使った元素の周期表を作る人もいるようで、著者もその一人。だが中には手に入れるのが難しい元素もある。例えばプルトニウムだ。テネシー州オークリッジ国立研究所に頼むが、返事は「いかなる展示用にもプルトニウムの試料は提供できません」。「いや、ほんのチョットでいいんだ」と思う著者、ついにホメオパシーのレメディーに「プルトニウム」を見つけ…

 なかでも著者の行動力が光るのが、「おしっこのPはリンのP」。錬金術師ヘニッヒ・ブラントの記録から、自然発光するシロモノを作ったというネタを見つける。原料はヒトの尿。「バケツ一杯の尿には、リンがおよそ4グラム含まれているはず」とアタリをつけた著者、自分の尿を4リットル集めて…

 もちろん、芸術の話も出てくる。今は化学で様々な色を作れるけど、昔は色を出すのに苦労していた。「青は古来、自然界から最も取り出しにくい色」だが、コバルトが登場する。「コバルト化合物はガラスの他の着色料の五倍の濃さの色を出すことができる」ため、「十二世紀には青色の大流行がもたらされた」。技術が刑術を作り出したわけ。

 やはり色に腐心しているのが、現代の花火師。花火の色をつけるのに、金属塩を使っている。「黄色とオレンジ色は、ナトリウム塩に、たとえば木炭や鉄粉を加えることで創りだされる。緑色を出すには、伝統的に緑青のような胴塩が使われてきた」。が、やはり青を出すのは難しい様子。そこで…

さらに花火師は、しばしば実際より濃い色合いに感じられるような対照的な色の光を青色といっしょに打ち上げて、目の錯覚を利用することもある。

 背景の色との対照で、青の鮮やかさを際立たせようとしてるわけ。総合芸術だね、ここまでくると。

 などと、化学ばかりでなく、歴史・経済・芸術・時代の風俗などを取り混ぜ、楽しく親しみやすい話や、意外な事実などがギッシリ詰め込まれている。ヒトが積み上げてきたものもあれば、人工的に創りあげたイメージもあり、体当たりで実証した話もある。バラエティ豊かなネタが詰まった本だ。

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