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2014年10月10日 (金)

「完本 池波正太郎大成7(鬼平犯科帳4)」講談社

(女というものは、みんな、こうなのかしら……)
 男のために生き、男のためにはたらき、男のために抱かれて、子を生む。
 女とは、それだけのものであるらしい。
  ――乳房

【どんな本?】

 昭和のベストセラー作家であり、時代小説の大家・池波正太郎による、「剣客商売」と並ぶ代表シリーズ。テレビドラマや映画も好評で何度も映像化され、再放送もされており、多くの人に親しまれている。

 江戸時代、老中・松平定信が幕政改革に勤しんでいたころ。世界有数の大都会となった江戸には、無宿者や食い詰め浪人が集まってくる。凶悪化・広域化・組織化する犯罪に対し、従来の町奉行・寺奉行では限界があった。そこで幕府は、広範囲に渡る犯罪捜査件を持つ組織・火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)を設ける。いわば江戸のFBIである。

 その長官に就任したのは、長谷川平蔵宣似(のぶため)。若い頃は荒れて「本所の銕」などと悪名を馳せた悪たれだが、同時に江戸の人びとの機微にも通じる経験となった。型に嵌らぬ発想と軽快な機動力、そして水も漏らさぬ操作能力は江戸の悪党どもに恐れられ、鬼の平蔵・略して鬼平と呼ばれ恐れられてゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 シリーズ開始は1968年。解題によると、この巻の収録作の初出は1978年に雑誌「オール讀物」12月号~1990年4月号に加え、番外編「乳房」が1984年1月~7月の週刊文春。文春文庫の「鬼平犯 科帳」なら19巻~24巻と、文春文庫「乳房」にあたる。完本は1998年9月20日第一刷発行。私が読んだのは2008年9月22日発行の第五刷。安定した売れ行きだなあ。

 腕の筋肉トレーニングに便利な重さの単行本ハードカバー縦2段組、本文ギッシリ約887頁。.8.5ポイント28字×25行×2段×887頁=約1,241,800字、400字詰め原稿用紙で約3105枚。文庫本で約6冊分の大容量。

 分量こそ多いものの、そこはベテランのベストセラー作家。文章の読みやすさは抜群で、スラスラ読める。雑誌連載の連作短編でもあり、原則としてには一話完結の話が続く。そのため、登場人物についても文中でそれとなく紹介しているので、どこから読み始めても構わない。特に前提知識も不要。テレビドラマの時代劇を楽しめる人なら、充分に楽しめる。

【収録作】

霧の朝/妙義の圑右衛門/おかね新五郎/逃げた妻/雪の果て/引き込み女/おしま金三郎/二度ある事は/顔/怨恨/高萩の捨五郎/助太刀/寺尾の治兵衛/泣き男/瓶割り小僧/麻布一本松/討ち入り市兵衛/春の淡雪/男の隠れ家/迷路(長編)/隠し子/炎の色(長編)/女密偵女賊/ふたり五郎蔵/誘拐(長編、未完)/乳房(番外編)

【感想は?】

 ついに終わってしまった。尻上がりに面白くなるシリーズなのに。

 もう一つの代表作「剣客商売」とは、少し構造が違う。連作短編なのは同じなんだが、人物の見え方が違うのだ。「剣客商売」は、秋山小兵衛と大五郎を中心に、他の人物が少しづつ登場してくる。登場する際に、各人物をじっくり書き込むので、レギュラー陣は最初から人物像に厚みがある。その分、人数が揃うまで、相応の枚数を費やしている。

 「鬼平」シリーズは、最初から火付盗賊改めの面々が揃っている。だから絵として華やかなんだが、滑り出しの頃は人物像に厚みがない。ところが、巻を重ねるに従って、各与力や同心の性格や背景事情がわかってきて、カキワリから血肉を供えた人間へと変わってくる。そのため、後の巻になるほどドラマとしての吸引力が強くなってゆく。

 これは特に、クライマックスの捕り物の場面で顕著になる。主人公の鬼平が出てくれば抜群の安定感があるし、それは剣の達人の沢田小平次や、捕り物名人の松永弥四郎も同じ。でも、これが木村忠吾や細川峯太郎だと、「おいおい、大丈夫かよ」と少し不安になったり。

 同じ捕り物アクションの場面でも、人物の性格や背景がわかってくると、読んでいて俄然迫力が増すのだ。

 アクションだけじゃない。この巻では、盗賊集団と丁々発止の騙しあいの場面が多い。特に緊張感があるのが、長編の「迷路」。

 築地の海沿い、笹田屋伊兵衛方に舟で乗りつけ、押し込んだ盗賊、池尻の辰五郎。だが待ち構えるは鬼平率いる盗賊改方。見事に一網打尽にしとめ、頭目の辰五郎は鮮やかに自害をして果てた。だが、同心の細川峯太郎は浮かぬ顔で…

 この長編、姿の見えぬ敵に鬼平は翻弄され、密偵が掴んだかすかな糸をたよりに慎重な捜査が続く作品。互いが互いを尾行しあい、張り込みあう。なかなか正体が掴めぬ敵に鬼平も追い込まれ、幕府までもが鬼平の解任へと動き出す。こういう頭脳戦も、lやっぱり登場人物で場面ごとの雰囲気が大きく違ってくる。

 やっぱり不安を感じるのは細川峯太郎。最初から「また細川か」な空気を漂わせ、読者の不安を煽る煽る。逆に読者を安心させてくれるのが、筆頭与力の佐嶋忠介。人の割り振りから見張り場所の確保、役宅の留守番まで、ともかく佐嶋さんに任せておけば、まずもって間違いないという安心感がある。

 佐嶋さんとキャラは全然違うけど、やっぱり見ていて安心なのがお熊婆さん。「蛸の骨みてえな……」痩せた体だが、元気そのもので茶店「笹や」を切り盛りしてる。きっぷはいいが口は汚く、泣く子も黙る火盗改方の鬼平を相手に「銕つぁん」呼ばわりする、怖いもの知らずの婆さん。

 店をやってるだけあって、何かと火盗改方に便利に使われるんだが、鬼平が「本所の銕」なんぞとイキまいてた頃からの知り合いで、何かと気心が知れていて、目立ちはしないが、捜査の段階では見事な機転を見せたり。安定感って点じゃ佐嶋さんとタメ張る人なんだが、彼女が出てくると、途端に場面がユーモラスになるのが楽しい。

 読者を笑わせるにも、語り口は色々。ちょっと変わった芸を楽しめるのが、「男の隠れ家」。密偵となった泥亀の七蔵がタレ込んできた。「あれは玉村の弥吉でございます」。弥吉は盗みの掟の三ヶ条を守る本格派。「それほどの男なら、いまもそれと知れたお頭の下で…」と考えた平蔵は、厳重な見張りをつけるが…

 こういう、芸を見せる盗賊が出てくるのも、この作品の欠かせない味のひとつ。欲しいよね、隠れ家。

 サイド・キャラクターが魅力的なのも、この作者の特徴。最終巻になって「隠し子」で出てくるお園さんが、これまた楽しい人で。長く長谷川家に奉公していた小者の久助爺さんが、鬼兵を訪ねてきた。今でも時おり挨拶に来るが、今日は少しおかしい。なかなか要件を切り出さず、問い詰めると「隠し子が……」

 この後の展開が、驚愕というか報復絶倒というか。いやあ、そうきたか。次の「炎の色」でもお園さんは幾つか出番があって、作者はレギュラー入りを考えていたんじゃないかなあ。ホント、惜しい。

 などの最後を飾るのが、番外編の長編「乳房」。これまた剣客商売の番外編「ないしょないしょ」と並ぶ傑作で。

 浅草の足袋問屋の加賀屋治助に奉公しているお松。歳は19、加賀屋の中では浮いている。左の頬から顎にかけ刀疵があり、いつも表情が暗い。今日は、ひとつ年下のお嬢様・お千代のお供で、池之端の丁字屋まで出かけた。お嬢様が白粉や髪あぶらを買いに行くのだ。ところが、丁字屋でお松の姿が消え…

 この作品の主人公は、お松。ふとしたはずみで運命を狂わされた女が、出合った人びとにより思いもかけない方向へと漂ってゆく。こういう構成も、先の「ないしょないしょ」と同じ。やがて出てくるワケありの男、長次郎に導かれ…。

 育ちに加え、ちょっとした一言で折れてしまったお松の心。誰からも疎まれ続けた人生は、彼女の心を複雑に屈折させ、人の温かい言葉も素直に受け入れられない。そんなお松を知ってか知らずか、ワケありの長次郎は更に不思議な運命へとお松を導いてゆく。

 などのお松のパートと並行して、若き日の鬼平の姿が拝めるのも、この作品の楽しみ。若い頃は散々に暴れまわったものの、お家を継いでしまえば無茶はできない。窮屈なお役目に従いながら…ってな鬱屈の日々から、後に片腕となる佐嶋忠介との出会いと、彼の信頼を得る過程が、作品に明るい色を添えている。

 こういう傑作を最終巻に入れられると、ホントに哀しくなる。もっと書いて欲しかったなあ。

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