坂井洲二「水車・風車・機関車 機械文明発生の歴史」法政大学出版局
東洋人は米を主食とし、西洋人は麦を主食としてきた。
こんななんでもなさそうなことが、実は大変な文化の分かれ目だったのである。けれどその大変さをわたしが悟るまでには、かなり幸運な体験に何度か恵まれなければならなかった。
――製粉水車 米と麦の違い
【どんな本?】
ドイツで民俗学を学ぶついでに、シュヴァルツシルトの農村を訪れた著者は、村の水車小屋を見学する。「コトコトコットン」とのどかな水車を想像したが、実際は全く違った。「ガタガタガタガタ」と、操業中の工場のような騒音をたてる、大掛かりで高度に自動化されたマシーンだったのだ。
以後、著者は、水力で小麦を粉に挽く水車、風力で揚水する風車など、ドイツ・オーストリア・オランダなどの村や博物館を訪ね、その構造としくみと共に発展の歴史を辿り、また水力を応用した製材・製鉄・精油、畜力を使う農具、振り子時計や水車式のオルゴールなど、産業革命前の西欧の自動機械や、蒸気式耕運機など産業革命直後の機械も紹介し、産業革命を可能にした西欧の機械文明を語る。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2006年2月2日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約341頁。9ポイント47字×18行×341頁=約288,486字、400字詰め原稿用紙で約722枚だが、写真や図版を豊富に収録しているので、文字の分量は6割ほど。
日本人の著者だけに、比較的に文章はこなれている。内容も特に難しくない。中学生レベルの機械工学、具体的には歯車の理屈が分かっていれば充分に読みこなせる。機械の動作を図版で説明していて、これが本書の美味しい所でもあり、読み解くのに時間がかかる部分でもある。
【構成は?】
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比較的に単純なものから始まり、次第に複雑なものに移る構成なので、素直に頭から読もう。
【感想は?】
どうにも納得できなかった俗説がある。蒸気機関の発明の話だ。
俗説では、沸騰した薬缶のフタが上下するのを見て、蒸気機関を思いついたことになっている。だが、それはあまりに飛躍しすぎじゃないか。薬缶から、あの力強く精密な蒸気機関車を思いつくのは、ちと無茶じゃなかろうか。
無茶なのだ。そもそも、俗説自体、私の思い込みによる勘違いが相当を占めている。それが、この本を読んで分かった。
まず、蒸気機関の使い道だが、最初は機関車じゃない。揚水機だ。地下の水を汲み上げる機械である。で、揚水機は、蒸気機関が出来る前に、既に機械化されていたのだ。有名なオランダの風車である。風力でポンプを動かし、水を汲み上げて干拓して土地を広げた。または臼を回して小麦粉を挽いていた。
「風力で小麦粉を挽く」と一言で言えば簡単だが、実際には多くの工学上の工夫がなされている。風車の回転を臼の回転に変えるには、歯車を使う。他にも間断なく小麦を補給する工夫や、挽いた粉を篩で分ける工夫、空挽きを防ぐ安全装置など、カムや滑車を使った細かい工夫に溢れている。
風も、時間によって吹く向きが違う。だから風車自体の向きを変えなきゃいけない。ってんで、建物自体を回転させる機構が組み込まれている。当初は台風車として建物自体を回していたが、やがて屋根(+風車)だけを動かす塔風車、そして風向きに応じて自動で風車を動かすバラ風車へと発展していく。バラ風車なんて、可動部に転がり軸受けを使ってたり。
先の俗説の、もう一つの勘違いが、これだ。つまり、蒸気機関が登場する前に、既に機械工学が充分に発達していたのだ。
機械工学というと偉そうだが。つまりは「他から力を得て機械を動かし、役に立つ仕事をさせる」しくみだ。そのために、歯車・カム・クランク・弁・ねじ・てこなどの、動きや力を変換する技術・ノウハウが、産業革命前に、充分に発達していたわけだ。
揚水の例が分かりやすいだろう。既に、風力で揚水する技術はできている。でも風は気まぐれで、常に吹くわけじゃない。じゃ、風の代わりに蒸気の力を使おう。それだけだ。なんのことはない、風から蒸気に、動力源が変わっただけの話なのである。
実際、製材所などは、水力から電気モーターに変えただけで、製材機械そのものは、今も同じ物を使っている所も出てくる。
などという大きな流れは、読みながら私が考えたことで、本書の中身の大半は、もっと具体的な事に費やされている。水車による製粉装置や、風車による揚水装置、振り子時計の構造などである。
最初の水車による製粉装置からして見事なもので。基本的には臼を動かして麦を粉にするんだが、この臼が「直径が1メートル、厚さは上石が50センチ、下石が25センチ程度」と馬鹿でかい。
水車の回転を二つの歯車で90度変え、臼を回す。挽いた粉は篩にかかるんだが、この篩も自動で揺する仕掛けがある。麦の注ぎ口は、カムのような仕掛けで自動で揺すり、一定のペースで臼に入っていく仕掛けになっている。
などと、この本は、麦を挽く仕組みを、豊富な図版で部品ひとつひとつについて、その仕組みと役割を解説していく形で進んでいく。水車は麦を挽くだけじゃない。クランクを使って回転を上下運動に変え、のこぎりを動かし製材する。ハンマーを上下させて鉄製品を作る。杵をついて紙を作る。そういった機械を、写真とイラストで紹介し、細かく解説してゆく。
そういった機械工学の発達の原因が、食べ物であるのも面白い所。米は簡単に籾から実が取れるが、麦は違う。実が薄皮を被っていて、しかも実に一本入ったスジに食い込んでいる。だから米は炊けば美味しく食べられるが、麦は美味しくない。そこで潰して粉にする。この時、薄皮は「細かいボロ切れ状になる」ので、篩にかければ粉だけを取り出せる。
ただし、この製粉の手間が大変だった。エジプトやメソポタミアじゃほとんど水が流れないが、欧州は比較的に川の流量が安定している。そこで水車で粉を挽こうという事になり…
と、欧州は機械工学の発展に都合のいい気候と風土だったわけだ。水力は欠かせないわけで、ルール工業地帯発展の理由も、豊かで安定したルール川の水量、豊富な鉄鉱石、そして製鉄の燃料としての木材が理由だとか。「現在のドイツの豊かな森林は、みなその後の植林によるものである」。
後半では馬車が登場し、これがやがて乗り合い馬車から乗り合い機関車へと進歩してゆく。ここでも、技術は一足飛びに進んだわけではなく、馬車(とトロッコ)を足がかりとして蒸気機関車へと発展していったわけだ。
終盤の水車仕掛けの自動オルガンに至っては、「ここまでやるか」と驚くやら呆れるやら。要はオルゴールとオルガンを合わせたシロモノだが、クランクを使ってふいごを動かし、ドラムに音符を設定して鍵盤を弾き、多数のパイプで風を送り…と、作った人の凝り具合がしのばれる。
「美味いメシを楽して食べたい」から始まった機械工学が、やがて産業革命の土台を整えてゆく。基本的には機械の仕組みを解説した本だが、その向うには文明の進歩の原則が見えてくる。細かい所に拘るからこそ、大きな流れを感じさせる本だった。
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