ゲイブリエル・ウォーカー「命がけで南極に住んでみた」柏書房 仙名紀訳
南極のように特異な場所は、地球上には他に例がない。野生の状態が原始のままに保たれている地域はほかにもあるが、人類が常駐したことのない大陸は、南極だけだ。この大陸の内部には、人間が生きていける素材は何一つない。食料はなく、身を隠す場所はなく、衣類の原料はなく、燃料はなく、飲み水もない。あるのは、氷だけだ。
――はじめに
【どんな本?】
究極の辺境、南極大陸。夏には太陽が沈まず、冬はひたすら夜が続く極寒の地。人懐っこいアデリーペンギンの楽園であると同時に、隊長40cmの巨大なウミグモも住んでいる。延々と続く氷原にはサスツルギ(→Weblio辞書)が聳え立つが、ドライヴァレーは荒涼とした火星のような風景が広がる。
荒れる海と厳しい環境は人を阻むが、多くの国が基地を建設し、様々な観測や研究を行なっている。氷床を掘り太古の大気成分を調べる。岩石を割りバクテリアを観察する。零下の海に潜り奇矯な生物を拾い上げる。ペンギンにタグをつけ、その生涯を辿る。氷の下数百メートルに観測網を張り、ニュートリノを見つけだす。
南極大陸とは、どんな所か。そこには、どんな生き物がどのように生きているのか。南極大陸を調べることで、何が分かり何の役に立つのか。人はどのように南極に挑んできたのか。今は、どんな人がどんな風に暮しているのか。厳しく閉鎖された環境は、人をどう変えるのか。
イギリスのノンフィクション・ライターが、数度にわたる南極への取材を通じて書き上げた、冒険と科学のルポルタージュ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は ANTARCTICA - An Intimate Portrait of a Mysterious Continent, by Gabrielle Walker, 2012。日本語版は2013年10月10日第1刷発行。単行本ハードカバーで縦一段組み、本文約421頁+訳者あとがき2頁。9.5ポイントの年寄りには優しい字で43字×20行×421頁=約362,060字、400字詰め原稿用紙で約906字。文庫本の長編小説なら2冊に少し足りないぐらい。
一般向けの科学系の本の中では、文章はかなり読みやすい方。内容もわかりやすく、数式なども出てこないので、中学生でも読みこなせるだろう。要所にあるいずもり・よう氏のイラストは、輪郭がクッキリしてユーモラスで親しみやすい上に、ややこしい仕組みをイラスト一発でわからせてくれる。
【構成は?】
日本の読者のみなさんへ/はじめに/プロローグ
第Ⅰ部 見知らぬ惑星――南極東部沿岸
第一章 マクマード基地へようこそ
第二章 ペンギンの行進
第三章 地球の中の火星
第Ⅱ部 どまんなかの南極点――中央高原
第四章 暗い冬の天体観測
第五章 コンコーディア基地で地球史を探る
第Ⅲ部 南極半島は観光地――南極西部
第六章 人間が残した指紋
第七章 だれも知らない南極西部
訳者あとがき/南極の歩み
冒頭に南極大陸全体の地図、各章の最初に舞台近辺の地図があるので、地理が気になる人は3個以上の栞を用意しよう。
【感想は?】
ペンギンが可愛い。アデリーペンギンも、エンペラー(皇帝)ペンギンも。
幼い頃、「ながいながいペンギンの話」という本を読んだ。児童文学だからペンギンの生態は適当に創ったんだろうと思ったが、とんでもない。作品発表後も、調査によりわかった事を元に書き直しているとか(→Yahoo!知恵袋)。
皇帝ペンギンは冬の初めに卵を一つ産む。気温は-20℃、地面に置けば凍るので、父ちゃんの脚の上に置く。出産で失った体力を取り戻すため、母ちゃんは海まで歩いて戻り、餌を食べまくる。その間約二ヶ月、父ちゃんたちは身を寄せ合い、飲まず食わずでジッと卵を抱き続けるのだ。
そして2ヶ月して戻ってきた母ちゃんは、鳴き声で父ちゃんを呼ぶ。父ちゃんも答え、「脚に卵かヒナを乗せたまま、にじりよる。二羽は、文字通りハグし合う。人間と同じだ。胸を合わせ、相手の頭を軽く叩きあう」。
ってな可愛い奴もいるが、不気味な生き物もいる。長さ3メートルのヒモムシ(→Wikipedia)とか、人間の掌ほどの長さ2メートルほどのマットみたく粘液で繋がったシアノバクテリアとか、勘弁して欲しい。中でも怖いのが有孔虫(→Wikipedia)。単細胞のクセに、甲殻類に取り付いて食べちゃうのだ。
ニセ足で吸い付き、粘着力で張り付き、「侵入できそうな箇所を捜」して潜りこみ、むさぼり食らう。うへえ。
などと生物相が豊かな所もあるが、乾燥した所もある。ドライヴァレーだ。火星のような風景のここにも、生命は忍び込んでいた。砂岩をハンマーで砕くと、中にエメラルド色のスジがある。繊維状のシアノバクテリアが、岩の中に侵入しているのだ。
人に荒らされていない土地だから、隕石も沢山見つかる。大半は小惑星帯からの飛来物だが、中には月や火星から来た物もある。中でもALH84001(→Wikipedia)はエキサイティング。火星から来たものらしいが、「母岩のなかに、バクテリアに似た極小の虫のような形をしたものが見つかった」。
そんな所に、人間も生きている。夏の間は多くの研究者などで賑わうが、越冬する人もいる。閉じた環境で同じ顔ぶれと数ヶ月も過ごすと、おかしくなる人もいる。どんな人が向いているか、というと…
「内向的な人が選ばれがちなのは、彼らが他人の性癖に対して寛容なため、根っから外交的な人たちが好まれないのは、彼らが注目と愛情と安心感を求めたがる性格のためだ」
アメリカ人が、南極で働く契約労働者を皮肉って曰く。
「まず、彼らは冒険を求めてここにやってくる。次に、カネが目的だ。そして最後には、どこにも適合できずに、ここへやってくる」
火星への有人宇宙飛行を考えてか、NASAも注目して、「南極での越冬に関する生物学や心理学的なあらゆる要素を考察してきた」。長く暮していると、食堂の灯りを沢山つけて明るくするか、暗く落ち着いた雰囲気にするかで、ケンカになったりする。
「南極はあなたに本来の姿を知らしめる鏡のようなもので、あなたをノックダウンすることだってある」
ってな厳しい環境の中で、頼りになるのが航空機。活躍するのはツインオッター(→Wikipedia)と、ハーキュリーズ(→Wikipedia)。ツインオッターの正式名はデ・ハビランド・カナダDHC-6。ターボフロップ双発の旅客機。STOLが自慢で、約366mで離着陸可能(Viking Air社の Twin Otter Series 400 より)。
もう一つのハーキュリーズは、合衆国海軍ご用達のベストセラー機ロッキードC-130。ターボフロップ四発の大型輸送機。ツインオッター・ハーキュリーズのいずれも、離着陸時には車輪でなく橇を使うのが、いかにも南極らしい。
他にも、南極の氷床をボーリングする事で何がわかるか、各国の基地によるお国柄の違い、氷床の下になぜ湖ができるのか、氷河が動く仕組み、そして南極の気候の変化と、それが生物相に与える影響などに加え、アムンゼン・スコット・シャクルトンなどの冒険家の逸話も交えた、「南極スペシャル」みたいなバラエティ豊かで楽しい本だった。
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