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2014年9月 2日 (火)

舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日 上・中・下」新潮文庫

 物語にはコンテキストがある。それは事実だ。コンテキスト→共通のテキスト。俺たちは揃って何を読んでるんだろう?似たような経験?経験とは過去にあった物語だ。俺はあまりにも物語的な人生を生きてきて、物語的文脈を信頼しすぎてしまっている。

【どんな本?】

 2001年に「煙か土か食い物」でメフィスト賞を受賞しデビューした舞城王太郎による、なんとも分類不能な長編小説。

 6歳の少女・山岸梢と同居する、迷子専門の探偵ディスコ・ウェンズデイが、連続女子中学生昏睡事件やパンダの双子誘拐事件などを追い、円柱状の館で名探偵たちと推理合戦を繰り広げ…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年7月、新潮社より単行本が上下巻で出版。2011年2月1日、新潮文庫より文庫本の上中下巻で発行。9ポイント39字×17行×(361頁+475頁+595頁)=約948,753字、400字詰め原稿用紙で約2372枚。普通の文庫本なら4~5冊分の大長編。

 文章はクセが強く、好みが分かれるだろう。俗っぽく饒舌なハードボイルドを今風に軽薄にいた雰囲気の文体だ。内要はミステリ風味だが、明らかに掟破りでオカルトともSFとも微妙に違う。最近の日本のミステリに詳しく、シャレが通じる人にはニヤリとする場面が多々ある。文体も内容もアクが強いので、読者によって好き嫌いが大きく分かれるだろう。

【どんな話?】

 ディスコ・ウェンズデイ、職業は探偵。迷子探し専門だ。同居人は山岸梢、6歳の少女。両親の依頼でウェンズデェイが梢を発見したが、依頼人が梢を引き取りたがらず、何の因果がウェンズデイが梢を引き取る羽目になった。ところがその梢、突然ティーンエイジャーに成長し、すぐ元に戻る。何が起きた?幻覚か?

【感想は?】

 正直に言おう。私はあまり楽しめなかった。そういう人の評だと思って読んで欲しい。

 ニコニコ大百科によると、舞城王太郎の評価は「極端に二分されている」。高く評価しているのが筒井康隆・池澤夏樹・山田詠美・豊崎由美・大森望。評価しないのが石原慎太郎・宮本輝。

 読んでみて納得。文体はザッと読んだ漢字じゃ軽薄で悪趣味ぶっているし、描写もエグい場面が多い。何よりお話が荒唐無稽というか大風呂敷を広げていくので、どんどん出鱈目さがエスカレートしていく。これが関門の一つで、異能バトル系の漫画を読み慣れていないと、ついて行くのに骨が折れるだろう。

 タイトルに「探偵」が入っているだけあって、お話は謎ときを軸に進んでゆく。最初の謎は、6歳の梢が突然にティーンエイジに変化し、元に戻る奇妙な現象だ。幻覚ではない。この時点で、まっとうなミステリではないと宣言している。現実的な解がありえる事件ではないのだ。

 梢の変身事件はキッカケに過ぎず、連続女子中学生昏睡事件やパンダの双子誘拐事件など意味不明な事件へと繋がり、パインハウス名探偵密室殺人事件へと向かってゆく。

 パインハウス名探偵密室殺人事件のあたりは、島田荘司以降の日本の推理小説を読み込んでいる人には、楽しめそうな悪ふざけが一杯詰まっていると同時に、ミステリの面白さを濃縮したような展開が続く。なんたって、日本中から名探偵が集まり、一つの事件に対し、それぞれの探偵が自分の推理を披露してゆくのだから。

 それも、人の気持ちから動機を模索するホワイダニットではなく、「誰が/どうやって」と、犯人とトリックを模索する、フーダニット/ハウダニット型のミステリが、何回も連続して続いてゆく。その舞台は変な形の建物で、雰囲気はたっぷりだし、ハッタリを効かせる「見立て」もケレン味が効いている。

 が、どうにもシリアスになりきらないのが、この作品の味というか。何せ探偵の名前が変なのばっかりで。「八極幸有(はっきょくさちあり)「蝶空寺快楽/嬉遊(きゆう)」「豆源」は、なんとなく探偵っぽいけど、「本郷タケシタケシ」「大爆笑カレー」「出逗海スタイル」「猫猫にゃんにゃん」あたりは、コメディアンの芸名みたいだ。

 特にコメディ色が強いのが、出逗海スタイル。大見得をきって登場したのはいいが、いきなり蹴飛ばされてすぐ退場。「お前は何しに出てきたんだ」と思ったけど、実はちゃんと重要な出番があったり。もしかしたら、名探偵の名前や彼らが披露する推理も、有名なミステリ作品を下敷きにしたのかもしれない。

 と、ミステリとコメディとオカルトとスプラッタがゴッチャになり、読者の頭がほどよくシェイクされたところで、物語は更にSFっぽい仕掛けを繰りだし、死生観や宇宙論まで巻き込んでアサッテの方向にすっ飛んでゆく。

 オツムのシェイク感も、この作品ならではの味だろう。文中のアチコチでは、文脈に言及しつつ、「ジャスト・ファクツ(事実のみ)」と繰り返し強調する。これまた読者を混乱させる仕掛けだ。舞城王太郎を初めて読む人は、作風がわからない。ミステリなのか、オカルトなんか、SFなのか。どれかは文脈から判断するんだが、その文脈が随所で入れ替わる。

 冒頭では梢の変身事件で「オカルトかSF?」と思わせて、パンダ双子誘拐事件で「ギャグ?」と迷わせ、パインハウスで「もしかしてミステリ?」と惑わす。だが実態はそんな分かりやすいシロモノじゃない。

 後半のスッ飛び方は半端なくて、これでもかと奇想を続々と投げ込みつつ物語は暴走し、読者の想像力は極限まで試される。

 こういう暴走する物語についていくのに重要なのは、ノリみたいなもんだと思う。つまりは舞城王太郎のリズムにノれるかどうか。エロあり、グロあり、謎解きあり、アクションあり、奇想あり、主張あり、愛も感動もあり。全てを過剰に投げ込み濃縮して大風呂敷を広げ、あらゆる手管を尽くして広げた風呂敷を畳んでゆく。

 漫画の影響を強く受けつつ、小説のジャンルの垣根を力任せに破壊しまくる異形の怪作だった。

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