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2014年8月14日 (木)

T.E.ロレンス「完全版 知恵の七柱 1~5」東洋文庫 J.ウィルソン編 田隅恒生訳 6

「アッラーの慈悲があの男にあらんことを。俺たちで仇を取ってやる」
  ―ーアウダ・アブー・タイイ

男は、単独でいるといかにも大人物であるかのように自分を思うものだ。

さわやかに乗りつけた私を見た彼(バロウ少将、英軍騎兵司令官)は仰天して、いつダルアーを出たのかと尋ねる。「今朝です」と答えると、彼の顔は曇った。「今夜はどこで過ごすつもりかね」が彼のつぎの質問だった。「ダマスカスです」とこともなげに言って、私は駱駝を進めた…

 T.E.ロレンス「完全版 知恵の七柱 1~5」東洋文庫 J.ウィルソン編 田隅恒生訳 5 から続く。

【感想は?】

 最後の第5巻は、疾風怒涛のフィナーレ。

 舞台も今までの砂漠から移り、耕作地の多いシリアが中心となる。シリアといっても、現在のイスラエル・ヨルダン国境近辺にあたる地方で、栄光と裏切りのダマスカス入城で終わる。

 今までの地元での工作と、ヒジャーズ鉄道破壊の実績などから、英軍内・アラブ双方でのロレンスの発言力は増したらしく、カイロからはアラブ正規軍+駱駝二千頭などが支給され、また地元の非正規軍も膨れ上がってゆく。新しい村に着く度にロレンスたちは歓迎され、新規の隊員が増える…と同時に、村の少年たちは「運べるものなら何でも記念に持ち去ろうとする」。やっぱしアラブだw

 軍ヲタとしては、鉄道破壊の「チューリップ方式」も興味深いが、航空機の使い方もなかなか。複葉の戦闘機BE12が飛行中、燃料切れの通信文を投下する。そこで地上の部隊が急いで地面を整地して30ヤード×150ヤード(約27m×137m)を滑走路を作り、なんとか着地…するが突風が吹いて機は破損。

 土壇場で滑走路を作るって無茶も凄いが、そういう環境で離着陸してた同時の航空機と飛行機乗りのタフさも凄い。滑走路の長さが150m足らずって小回りの良さも印象的。などと活躍する偵察機・戦闘機だが、この巻では更に強力な機が登場する。双発の重爆撃機ハンドリー・ペイジO/400(→Wikipedia)だ。口さがないアラブ兵曰く。

「ほんとうに、そしてとうとうイギリスは飛行機と呼べるものを送ってきた。これに比べるとこのちっぽけなやつは驢馬だ」

 前半のハイライトは、現ヨルダンの村タファスの戦闘。英軍に破れたトルコ軍六千名が、逃げてゆく途中にあったのがタファス村の悲劇。敗走で気が立っていたトルコ軍の前に現れた無防備な村は、一夜で虐殺の舞台となる。ロレンスに同行していた村のシャイフ、タラール・アズ-ハライズィン、故郷に錦を飾って凱旋するはずが…

 彼を迎えるのは死体の山。そして彼方に見える、逃げて行くトルコ軍の槍騎兵連帯。怒り狂うタラールの突撃と、彼を見送った後に暴れまわるアウダ・アブー・タイイの姿は、全巻通じて最もドラマチックな戦闘シーン。

 この後、肝心のダマスカス入城は意外とあっけない。ここまでなんとか内輪もめを回避していたが、やっぱり騒ぎを起こすアウダが実に彼らしい。

 反逆者、とくに成功した反逆者とは必然的に臣下として悪質であり、統治者としてはより悪質だ。

 いやアウダのことじゃないけどね。

 入城を果たしたロレンスは、さっそく占領軍の代表として市政の復活に取り組む。これもまた、この本がゲリラの教科書と呼ばれる所以なのか、占領地の統治の手順が短く簡潔に、かつわかりやすく書かれている。

 まず警察の掌握と指揮、次に給水。日が暮れたら街灯をつけ、市民に平和を実感させる。衛生状態を改善するため清掃夫を組織して市街に転がった死体や瓦礫を掃除させ、軍医を病院に派遣して薬剤と食糧を調達する。消防隊を再建して火事を消し、大赦を発して監獄から政治犯などを釈放する。貧しい市民は飢え一触即発の気分が漂うが…

「アッラーは偉大なり。われはアッラーのほかに神なきことを証言す。われはムハンマドのアッラーの使徒なることを証言す。礼拝に来たれ。成功を求めて来たれ。アッラーは偉大なり。アッラーのほかに神はなし」

 と、アザーン(礼拝の呼びかけ、→Wikipedia)が流れると、興奮した群集が一気に静かになるのが、これまたアラブ風。

 そして、静かにロレンスは去ってゆく姿で、長い物語は終わる。素直に読めば「シェーン、カムバーック」な雰囲気の終わり方だが、うがった解釈もできるんだよなあ。

 というのも、この時のロレンスは、かなり危ない立場だからだ。アラブは独立を求めて戦ったのだが、イギリスとフランスは三枚舌外交(→Wikipedia)で裏切っている。血の気の多いアラブ人にとって、有名人のロレンスは格好の標的だ。暗殺事件が起きたら英国にとっても事態は厄介になる。さっさと姿を消すのが、英国にもロレンスにも都合がいい。

 1~5巻の全体を通してみると、長いだけあって様々な要素が入っている。ヒジャーズからヨルダンにかけての旅行記としても、地形・気候・人々の生活と気質など具体的な記述が多く、とても充実している。前半で展開する、オアシスからオアシスへと渡る駱駝の旅は、体臭まで匂ってきそうな迫力がある。シラミの襲来まで克明に書いてるし。

 乾いた季節ばかりでなく、四巻に描かれる冬の旅も、我々のアラブの印象を覆す描写が多かった。凍死する人もいるのだ、冬には。あのタブダブのアラブ服、風通しはいいらしいのだが、暴漢にはほとんど役に立たない様子。

 また、ニワカ軍ヲタには、ゲリラ戦の教科書としての側面が嬉しい。いや別に実施する気は毛頭ないけど。

 とりあえず現地の言葉を学び、現地の人の話を聞き、現地の風習を尊重する所から始めて…ってのもあるが、ゲリラ部隊の長所と弱点をわかりやすく書いてあるのが嬉しい。キモは地元を懐柔することと、神出鬼没に見せること、そして出きれば(他国の)正規軍から潤沢な補給を受けること、そして適切な人に資金と物資を渡すこと。

 それと同時に、現在のパレスチナ問題やシリア内戦の根本にある社会情勢がわかるのも、この本の重要な価値。古くから地中海の要所として栄えた場所だけあって、部族構成・宗教構成も複雑に入り組んでいて、シリアみたいな国家が成立している事が不思議なくらいに物騒な土地柄だ。なんとか平穏を保っているヨルダンが奇跡に思えてくる。ここにユダヤ人が割り込めば、そりゃ大騒ぎになるよなあ。

 「おおエルサレム!」や「中東軍事紛争史」と並ぶ中東問題の原点を探る資料として、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」や「デルス・ウザラ」のような壮大な紀行文として、「ゲリラ戦争」のような軍事教科書として、または「ガリア戦記」のような戦記物として、多様な魅力が詰まった本だった。

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書評:歴史/地理」カテゴリの記事

コメント

田隅様、こちらこそ恐縮です。当事の知識人向けに書かれた本だけに、詳しく丁寧な訳註が読み進む際の大きな助けになりました。

投稿: ちくわぶ | 2014年8月15日 (金) 21時38分

拙訳『知恵の七柱』のご高評 (1~6) を拝見しました。ここまで入念かつ妥当な感想文は見たことがなく、古い言葉でいえば訳者冥利に尽きると存じます。
ありがとうございました。

なお、2013年に同じ平凡社から『「アラビアのロレンス」の真実―『知恵の七柱』を読み直す』という本を出しましたので、機会がありましたら、こちらも手にとっていただければ幸いです。

投稿: 田隅恒生(完全版七柱訳者) | 2014年8月15日 (金) 19時37分

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