T.E.ロレンス「完全版 知恵の七柱 1~5」東洋文庫 J.ウィルソン編 田隅恒生訳 3
したがって、われわれはメディーナを占領してはならない。(略)われわれとしては。トルコ軍をメディーナに、そしてあらゆる遠隔地に、できるかぎりの大人数で張り付けておきたい。理想をいえば、最大限の損失と苦痛をかかえたままで彼らの鉄道を、ただ運行できるだけ、だがそれだけにしておくことだ。
T.E.ロレンス「完全版 知恵の七柱 1~5」東洋文庫 J.ウィルソン編 田隅恒生訳 2 から続く。
【感想は?】
とりあえず2巻を読み終えた段階だけど。
2巻は、漫画「ONE PIECE」で言うなら、アラバスタ編。ロレンスの計画で集結しつつあるベドウィンが、雪崩をうって一丸となり、難攻不落と思われたアカバ要塞を落とすまでをアクション全開で描く、前半のクライマックス。
2巻のロレンスは、ずっと走りまくり。まずはアラビア半島の西北部、紅海のほとりワシュフに盟友ファイサルの基地を置き、英国海軍の補給を受けられる状況を整える。そしてロレンス自身は、まず内陸に「いるアブドゥッラー(ファイサルの兄)を訪ね鉄道破壊に手を貸す。
ここで病に倒れ苦しむロレンスは、20世紀後半の混沌を引き起こす軍事上の偉大は発明に辿りつく。つまりは地元民を味方につけてのゲリラ戦だ。
ある一地方の住民に自由というわれわれの理想のために死ぬことを教えることができれば、その地方をものにすることができよう。
具体的には、冒頭の引用が語るように、神出鬼没の山賊となり、トルコ軍が支配する鉄道を襲い略奪すること。
トルコ軍は鉄道や停留所の維持に戦力を分散せにゃならん。その分、パレスチナやシリアの兵力は薄くなる。確かにゲリラは装備に劣る。だが、敵の兵力は分散している。個々の兵力なら集中攻撃で圧倒できるし、ヤバいようならズラかればいい。いつ、どこを攻撃するかは、こっちが決められる。そうやって敵に出血を強い体力を奪うが、撤退はさせない。
トルコの立場から見ると、実に嫌らしい戦略である。悪魔かロレンスは。お陰で今でも米軍はアフガニスタンで…
つまりは山賊なんだが、この巻ではピッタリの人物が登場して大暴れする。ONE PIECE でいえばビビ姫の役どころなんだが、演じるのは50歳近いオッサン、アウダ・アブー・タイイ。砂漠の戦士トゥワイハー族を率いるベドウィン最強の男。
アウダは機会のあるかぎり頻繁に、また自分にできるかぎりは広範に、襲撃略奪をつづけてきた。遠征に出かけて、アレッポ、バすら、ワシュフ、ワーディー・ダワースィルまで知っている。そして略奪に適当な余地を残しておくために、砂漠のほとんどすべての部族とつとめて犬猿の仲になるようにしていた。
ちょいワルおやじなんて甘っちょろいもんじゃない。マジモン、正真正銘の山賊の頭だ。物騒極まりない奴だが、この物語じゃ最も頼りになる男。ほとんど何の目印もない砂漠の中で、全く迷いもなく正確に道を定め、オアシスからオアシスへと渡り歩いてゆく。彼の案内でゆく600マイル(約960km)の行程が、この巻の多くを占める。
600マイルの行軍は、ワジェフに戻ってから始まる。敵トルコ軍の目をかいくぐりつつ、内陸の迂回路を取り、英軍とアラブの軍勢を分断しているアカバ要塞を落とす大遠征だ。
その遠征中で彼らが出会う、オアシスに住む様々なアラブの人々も、この巻に彩を与えている。
オアシスの農園で家族と共に充足した生活を営む老人、ダイフ・アッラー。手入れの行き届いた段々畑でパーム樹・煙草・豆・メロン・胡瓜・茄子を育てている。政治には興味を持たず、胸を張って叫ぶ。「私は、私はクッルだ」。恐らく孤独ではあるだろうが、先祖から受け継いだ今の生活を誇りとして生きている。
やはり孤独に生きているのが、羊や山羊の面倒を見る牧夫。
荒野の中で、自然の干からびた骸骨のようなところで、彼らは人間のこともその事象も何ひとつ知らずに自然児として育ち、通常の話をさせれば正気とも思えないほどだが、植物、野生の動物、そのミルクを主食にしている山羊や羊の習性などになると知らないことはない。
砂漠の旅は厳しい。ひとつオアシスを見過ごすだけでも、干からびて死んでしまう。途中、何度か駱駝が死ぬ場面があるんだが、「食肉として分配されてしまった」って、やっぱアラブ人も駱駝を食べるんだなあ。
その駱駝にも、当地には色々な種類があるらしく、海岸や中南部の駱駝は内陸に向かないとか。硬く熱い地面で蹄の裏を火傷して火ぶくれになり歩けなくなる。他にも競争用や荷駄用が違ったり。ちなみに高貴な方は牝に乗るそうです。
ロレンスの観察眼は実に鋭くて、地形や地面の様子を見ただけで、その地形の由来を物語に仕立ててしまう。この辺は火山帯らしく、溶岩の地盤に砂がかぶさっているらしい。
オアシスの多くはワーディー(涸れ川、→Wikipedia)にある。大きなワーディーは強力な部族も多く、ワーディー・スィルハーンでフワイタート族に受けたごちそう攻めの様子も、ロレンスの筆が冴え渡るところ。
巨大なお盆の周辺に、羊の肉をたっぷり混ぜた米の飯で土手を築く。お盆の中央には羊肉のピラミッドと共に、丸ごと煮込んだ羊の頭が鎮座している。そこにバターと一緒に煮込んだ羊の臓物や脂肪や筋を、沸騰しそうな汁と一緒にブッカケて…ってな様子を、こと細かに数頁にわたり描写するんだから腹が減ってしょうがない。
水場から水場へと渡る砂漠の旅。人の体温を求め這いよってくる蛇に悩みつつ、アカバへ近づくに従い軍勢は近隣の部族を吸収して膨れ上がってゆく。最後の突撃の迫力と爽快感は抜群で、ここでも最高にカッコいいのは先頭切って突撃かますオッサンのアウダ。
「駱駝に乗れ、この老いぼれのすることを見たければ」
このまんま物語が終われば、爽快な冒険旅行の物語なのだが、お話はまだまだ続く。
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