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2014年8月19日 (火)

ロバート・L・シュック「新薬誕生 100万分の1に挑む科学者たち」ダイヤモンド社 小林力訳

『わかるかい、先生。私は老後に備えて一ペニーすら貯金したことはなかった。なぜなら、両親と同じように早く死ぬとわかっていたからだ。そんなときリピトールを飲み始めた。今は老後のために貯金をしている。そしてこの美しい女性に出会った。今は私の妻だ。この薬がどんなに私の人生を変えたか言い尽くせないよ』
  ――第7章 世界一の薬はこうして生まれた――リピトール

【どんな本?】

 かつて薬は行商人が売っていて、怪しげなものも多かった。現在は FDA(Food and Drug Administration)などにより、薬効や副作用について厳格な検査がなされており、医師が処方する薬は高い信頼性を持つ。その反面、新薬の開発には多額の費用が必要になっており、新薬開発の試みで市場で成功するのは極めてわずかである。

 そのような厳しい状況の中で、製薬会社や研究者は、どうやって新薬を開発しているのか。開発する薬や対象とする病気を、どうやって決めるのか。なぜ薬はあんなに高価なのか。なぜ新薬の認可に時間がかかるのか。

 エイズ,統合失調症,糖尿病,喘息などの成功した特効薬を例に取りながら、新薬開発のプロセスを人間ドラマと科学の双方の視点から描くと共に、現在の製薬ビジネスの内情を生々しく描くルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Miracle Medicines : Seven Lifesaving Drugs and the People who Created them, by Robert L. Shook, 2007。日本語版は2008年7月3日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約448頁+訳者あとがき5頁。9.5ポイント43字×18行×448頁=約346,752字、400字詰め原稿用紙で約867枚。小説なら長めの長編の分量。

 翻訳物だが、文章は比較的にこなれている。内容でわかりにくそうなのは、二点。ひとつは予想通り化学・医学的な部分で、説明はけっこう駆け足。とはいえ、わかんなかったら読み飛ばしても、充分に面白さが味わえる。もう一つは出版がダイヤモンド社でわかるように、資金調達などアメリカでのビジネスの方法。これも翻訳物のビジネス小説を楽しめる程度にわかっていれば、特に問題ないだろう。

【構成は?】

  • はじめに
  • 第1章 エイズと闘う――ノービアとカレトラ
    悪魔を検出する/敵を知る/初めてのエイズ薬/標的はプロテアーゼ/それを見つける/信じるための根拠/ゴールに向けてのスパート/勝ち目のないイヌ/数字のゲーム/ひらめきと成功/HIV/エイズと共に生きる/希望を広げる ||アボットの歴史
  • 第2章 心の病からの再出発――セロクエル
    初期の医学的治療/クロルプロマジン:初の抗精神病薬/スキゾフレニア(統合失調症):最も心を破壊してしまう病気/リングに帽子を投げ入れる:アストラゼネカの参戦/初期のブレークスルー/初期の社内抵抗/発見から開発へ/莫大な前金の支出/特別販売チームを最初から作る/アストラとゼネカの合併/論より証拠:プリンは食べて見なけりゃわからない/二つの心温まる話/統合失調症だけに限定/他の適応症への道をつくる/双極性障害(躁病とうつ病)に対するFDAの承認/公衆に知らせる ||アストラゼネカの歴史
  • 第3章 本物に勝った人工インスリン――ヒューマログ
    インスリンの発見/世界最初のインスリン製造者/インスリンをめぐる初期の発見/大きなブレークスルー:組み換えDNA技術/探索チーム/ヒューマログ:改造されたインスリン/リリー審査委員会でのプレゼンテーション/研究から開発への移行/臨床試験/大量生産の難しさ/保証/世界での承認を求めて/知識を持った患者であることの重要性 ||イーライリリーの歴史
  • 第4章 喘息のつらさを救った薬――アドエア
    大きな進展/息することの困難さ/喘息における進歩/配合剤への挑戦/勝利の配合剤/よいステロイド/吸入器ディスカス/三つで一つ:FDAの承認/それを作る/別の適応症でも承認取得 ||グラクソ・スミスクラインの歴史
  • 第5章 奇跡のバイオ医薬品――レミケード
    セントコアの初期/お金はどこにあるか/セントキシンの惨事/セントキシンを乗り越えて/ほかに選択肢がない/そしてレミケード登場/レミケードの進展/ロンドンへの重要な旅/アムステルダムからも吉報/二つの適応症――どちらを優先するか/それを作る/点滴/市場に出す/天が決めた/レミケード:フランチャイズ医薬品 ||ジョンソン&ジョンソンの歴史
  • 第6章 癌治療の扉を開く――グリベック
    染色体欠損/触媒となった人間/ターゲットを決定/ダナ・ファーバー病院とのコネクション/医薬品化学者/細菌生物学者/ジンマーマンの粘り強さ/宝物を掘り当てる/古い友人がチームに加わる/合併と新しいCEO/動物実験でのつまずき/最初のヒトでの実験/バセラの強引な決断/フェーズⅡ臨床試験/グリベックの初期の結果/正しいことをする/総力戦/発売に向けて準備完了/記録的なFDAの承認/命を救う薬の価値は/未来を見つめて ||ノバルティスの歴史
  • 第7章 世界一の薬はこうして生まれた――リピトール
    基本的なこと/初期のパイオニアたち/三人のキーパーソン/プログラムの開発/生合成経路を通して/プランBを採用/今までになかった奇跡の薬/真実の瞬間/製造の問題/予想を超える/合併/次は何だ?/仕事に満足する喜び ||ファイザーの歴史
  • 訳者あとがき/索引

 原則的に各章は独立しているので、気になった所から拾い読みしてもいい。

【感想は?】

 「なぜマルクス主義が失敗したのか」などと変な事を考えてしまった。

 この本が取り上げているのは、市場で成功した薬だけだ。副題に「100万分の1に挑む科学者たち」とある。1/100万は厳密に計算した数字ではないが、現在の新薬開発の状況を巧く表していると思う。

 つまり、研究・開発に着手した薬のうち、市場で成功する薬は極めて少ない、そういう現状があるのだ。しかも、新薬開発にかかる費用は数億ドルに及ぶ。数人が研究室で作っているうちに失敗とわかれば傷は小さいが、FDAの最終認定で失格となれば大損だ。まして市場に投入してコケたとなれば…

 つまり、製薬会社は、大量の失敗作に多額の投資をして、そのごく一部の成功作から利益を回収する、そんな企業形態になっている。こういう場合は、より資本が大きい方が有利だし、この本の中でも、製薬企業が盛んに合併している。その究極は社会主義・共産主義国家だろう。

 だが、冷戦時代に、どれだけ「奇跡の薬」が、共産主義国家から誕生した?

 先走りすぎた。そう考えたくなるぐらい、この本では、新薬開発の難しさを、これでもかと繰り返し描いているのだ。まず効きそうな化合物を、理屈で考える。最近は、この部分で、コンピュータの助けを借りられるようになった。次に試験管で実際に作り、試してみる。

 巧くいったら動物で実験する。ここでも腸で消化されたり、肝臓で分解されちゃったりする。次にヒトで試す。面白い事に、最初の被験者は、病気でない人だったりする。「血液中の薬物農奴を測り、それに基づいて投与量を決定する」のと、副作用の有無を確認する事だ。

 これが FDA のフェーズⅠで、フェーズⅢまである。次第に規模が大きくなり、必要な費用も増える。特にフェーズⅢは怖くて、「予想される商業生産量の少なくとも10%を生産する能力」を示さなきゃいいけない。研究室の試験管で作るだけじゃなく、工場で大量生産できる必要がある。

 これは厳しい。発売できるかどうかわからん製品のために、工場を建てにゃならん。製薬会社からすりゃ無茶な要求に思えるが、FDAにも言い分がある。「患者が必要なときに十分薬を届けられる」と保障せい、というわけだ。単に薬効だけでなく、患者の立場で、現実に手に入る事を保障しなさい、と。

 製薬会社だって、患者の立場を考えている。その代表が第4章の喘息の薬アドエアだ。この「薬」の特徴は、三つで一つの製品になっていること。うち二つは薬で、気道周囲の筋肉を弛緩させるサルメテロールと、炎症を抑えるフルチカゾン。そしてもう一つが、吸入器ディスカス。直接、気道に吹き付けるために、様々な工夫をしている。

 二つの薬を混ぜた理由は、それで優れた薬効を示すからだ。が、意外な利点もあった。フルチカゾンはステロイドで、炎症を抑える。ステロイド剤に対し、患者は…

よくなったと感じると患者はやめる傾向があったが、配合剤では片方だけやめて片方だけ飲むというわけにはいかない。それから、もちろん便利という特徴もある。二つ飲むより一つ飲むほうが簡単だ。

 吸入器ディスカスの工夫も見事。一つの容器にピッタリ60回分の薬が入り、残りの回数を示すカウンターが付いている。ある親御さん曰く…

『娘を学校に送り出したあと、彼女がちゃんと薬を飲んだかどうか、これまではわかりませんでした。でも今はカウンターの数字が小さくなっているのを見て、少なくとも装置が使われたことは確認できます』

 ユーザ・インタフェースとは、利用者だけのためにあるんじゃないのだ。

 物語として読んで面白いのは、患者の話も出ていること。糖尿病患者のニコール・ジョンソン・ベーカーが、その一つ。1993年の大学二年の時、彼女はミス・フロリダ・コンテストに出場するが、そこで倒れ、Ⅰ型糖尿病が見つかる。ジャーナリストになる夢を諦め田舎に引き篭もった彼女は、ヒューマログを見つける。

 従来の糖尿病の薬インスリンは、効き目が遅く食前に注射する必要がある。食事も管理しなきゃいけない。だがヒューマログは効き目が速く、食後に食べた物に応じて必要量を打てばいい。

 再びミスコンに挑戦した彼女は、糖尿病を公表、「審査員とのインタビューでも堂々と病気のことを語った」。結果…

1999年度ミス・アメリカの栄冠に輝いた。ミスの座にいる12ヶ月の間、ベーカーは糖尿病を人々に啓蒙するため全国を飛び回った。それ以来、彼女はアメリカ議会へのロビー活動を始める。そしてまた多くの州議会で演説した。

 今でも糖尿病患者を支援するため活動している模様。カッコいいぜ、ニコール。

 出てくる病気は、エイズ・統合失調症・糖尿病・喘息・リウマチ・慢性骨髄性白血病・高コレステロール血病などだ。私も喘息で苦しんでいる知人がいるので、アドエアは興味深く読めた。実は博打な製薬ビジネスの内幕として、英雄的な科学者の物語として、苦しみが人に与える影響を描いたドキュメンタリーとして、様々な読み方ができる本だった。

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