上田早夕里「深紅の碑文 上・下」ハヤカワSFシリーズJコレクション
「何が綺麗な終わり方だ。最後まで足掻くのが人間だろうが!」
【どんな本?】
「華竜の宮」「リリエンタールの末裔」と大ヒットを飛ばした若手SF作家・上田早夕里による、先の2作と同じシリーズに属する長編SF小説。
リ・クリティシャス=海水面上昇により陸地が縮小し、生きるために手段を選ばぬ人類は、二つの方法で海に進出する。海上都市を建設して住む陸上民と、身体そのものを海に適応させた海上民。そのに、更なる凶報が飛び込む。ホットプルームの上昇による地形と気候の大異変が近い。早ければ10年、遅くとも50年程度で「プルームの冬」が訪れるだろう。
大異変を前に、生き延びるための資源を巡る争いが激化してゆく。静かに終末の時を待つもの、その時まで今までの生き方を続けようとする者、生き延びるための闘争に身を投げる者、少しでも多くの人を救おうと奔走する者、そしてしぶとく恒星間航行を実現しようと粘る者。
いつかは判らないが必ず訪れる終末を目の前にして、それぞれの生き方に殉じ必死に足掻く人類の姿を描く、重量級の長編SF小説。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2013年12月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦二段組で上下巻、本文約355頁+約391頁=約746頁。8.5ポイント25字×19行×2段×746頁=約708,700字、400字詰め原稿用紙で約1772枚。文庫本の長編小説なら3冊分ちょいぐらいの分量。
文章はこなれている。内容は「華竜の宮」の続編に近いので、読んでおこう。スケール感の大きい本格派の傑作です。また「リリエンタールの末裔」の登場人物も、ちょっと顔を出す。
SFとしての仕掛けで重要なのは、プルーム・テクトニクス(→Wikipedia)と、それが引き起こす「プルームの冬」ぐらいか。マントル内の対流で熱いマントル塊が上昇、火山活動が活発になる。噴火で大気中に撒き散らされた火山灰やエアロゾルが太陽光を遮り気候が寒冷化する(→Wikipediaの火山の冬)現象の、大規模なもの。
気温低下→海面の氷結→氷が太陽光を反射して更に気温が下がる、という困った悪循環が続き、下手すっと地球全部が雪玉になるスノーボール・アース(→Wikipedia)状態の氷河期になってしまう。
【どんな話?】
プルームの冬が引き起こす<大異変>のニュースは、少しずつ人々に浸透してゆく。「発生は10年後~50年後」という時期が不明瞭な予言が引き起こす反応は、様々だった。だが、備蓄へ回す物資が増えた分、資源の争奪は次第に激しさを増し、陸上民と海上民の対立は深刻の度を深めてゆく。
対立を象徴するのが、武装した海上民の組織ラブカだ。従来のシガテラ(海上強盗団)とは異なり、魚舟に加え機械船や潜水艇までも備えている。一族を養うために船を襲い、ダックウィード(海上商人)に売り飛ばして必要物資を仕入れている。
海上民の避難場所としての海上都市マルガリータ・コロニーの建設を軌道に乗せた清澄・N・セイジは、日本外務省を退職する。陸上民と海上民の橋渡しを目的とした民間の救援団体パンディオンを設立し、理事長として奔走する。
同じ頃、核融合エンジンを備えた恒星間宇宙船を、25光年先の地球型惑星へ200年かけて飛ばそうとする民間団体があった。DSRD、深宇宙研究開発協会。
【感想は?】
目的は本能で、手段は理性で。
「プルームの冬」による氷河期到来を間近に控えた時、人類はどう行動するか。これだけなら、結構ありがちかもしれないが、このシリーズは一ひねり入れてある。魚舟と共棲する海上民だ。
海面上昇により海に進出せざるを得なくなった人類が生み出した、新しい人類が海上民。海上・海中の生活に適応し、生涯のパートナーとなる魚舟に住む。彼らと、従来の人類の末裔である陸上民の軋轢が、この物語の大きな柱となる。
両者の界面をなす者は、大きく分けて三種。ひとつはダックウィード=海上商人。商売人だから、モノが売れるなら何処にでも出向く。主に海上民相手に商売をやってるのが、ダックウィード。この作品では縁の下の力持ちとして、商売を目的としながらも、両者の潤滑油または交換機としての役割を果たしてゆく。
次は前作「華竜の宮」でも主人公を務めた、清澄・N・セイジ。救援団体パンディオンの理事長として、陸上民から海上民へ手を差し伸べる役割を受け持つ。圧倒的な政治力・軍事力・経済力・産業力を誇る陸上民の立場で、どこまで海上民の理解を得られるか。
そして、最後にラブカだ。資源の争奪戦に巻き込まれ困窮する海上民の中から、武器を取って陸上民から奪う手段を選んだ者たち。暴力&略奪という原始的な形ではあるけれど、彼らもまた海上民と陸上民の重要な界面をなしてゆく。
ここで、なるべく平穏な手段で多くの者を共存させようとする清澄と、徹底して海上民の生き方を追及した結果としてラブカとなるザフィールの対照が光る。あくまで交渉による利害調整で、非暴力的な協調を模索する清澄。そんな清澄を横目で見ながら、自らの手を血で染めてでも海上民としての生き方を貫こうとするラブカのザフィール。
一見、光と影のように見える両者だが、いずれも陸上民と海上民の界面に居る。理知的な印象を受ける清澄だが、自らの人生を一つの目的に捧げる生き方は、理性で定めたにしては、あまりに頑なだ。ザフィールの生き方も頑なだが、成り行き任せに見えながら常に最善を尽くすその手腕は、極めて理知的でもある…むしろ狡猾と言うべきか。
などと、手段は対照的ながらも、終末を前に生存を賭け最善を尽くそうと足掻く両者に対し、全く違った生き方を選んでいるのが、星川ユイをはじめとするDSRD=深宇宙研究開発協会の面々。誰もが生き延びようと必死の中で、恒星間航行なんぞという夢物語に貴重な資源を浪費しようとする輩。
と書くと、まるで悪役のようだが、そこはSF。彼らの台詞を読む度に、何度「そうだ、そうなんだよっ!」と拳を握り締めたことか。ナントカと煙は高い所が好きとかあるけど、しょうがないじゃん、好きなんだから。特にユイの「先生」となる人物が、エンジニアリングの道に踏み入った際の体験とかね。そりゃもう、何度も感じた事で。
こっちにだってスケジュールってもんがあってね。納期には、何があろうとキチンと動くモンを渡さなきゃいけない。そおりゃある程度のサバは読んじゃいるが、限度ってモンがあるわけで。ダメなのは一箇所だけでも、製品としちゃ全部ダメなのよ。教えるのは手間でも、そりゃ一回だけの手間。成長してくれりゃデカいお釣りが来るわけだからブツブツ…
などと思い出に浸りつつ愚痴りたくなるベテランのエンジニアは多かろう。多いよね、私だけじゃないよね、きっと。
確実にやってくる終末を前にして、人類はどう足掻くのか。見た目どころか身体機能まで違う陸上民と海上民は、どうやってどこに落としどころを見つけるのか。会議室に上がってくる数字と、現場で見る生々しい現実との違いを、どう折り合いをつけるのか。そして、人類とは、どんな生き物なのか。
個々の人間をケーススタディとして提示し小説としての体裁を整えながら、それぞれの生き方を通じて人類そのものを描こうとする、SFの王道手法を駆使して編み上げた、壮大な叙事詩。やっぱりSFはこうでなくちゃ。
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