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2014年7月29日 (火)

ジョージ・G・スピーロ「ケプラー予想 四百年の難問が解けるまで」新潮文庫 青木薫訳

 本書で取り上げるのは、四百年近くも数学者たちを悩ませてきた問題である。1611年、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは、球をできるかぎり高い密度で空間に詰め込む方法は、八百屋がオレンジやトマトを積み上げる方法と同じであると予想した。つい最近まで、この予想には厳密な証明がなかったのだ。

【どんな本?】

 1590年代の末。サー・ウォルター・ローリーは、側近のトマス・ハリオットに頼んだ。砲弾の山の形から、砲弾の数を導き出す式を作ってくれ、と。ハリオットはローリーの意を察する。船倉に最も効率よく砲弾を積む方法が知りたいのだろう、と。そして天文学や数学で優れた実績のあるヨハネス・ケプラーに手紙を書く。

 ケプラーは考えた。最も効率の良い配置は、八百屋がオレンジやトマトを積み上げる方法だろう、と。この問題は一見簡単そうだが、長く予想に留まり、厳密な解はなかなか出なかった。

 なぜこんな問題が難しいのか。どんな数学者が、どんなアプローチでこの問題に挑んだのか。その過程で、数学はどう進歩したのか。最数的にトマス・C・ヘールズとサミュエル・P・ファーガソンはどう解き、どんな反応を引き起こしたのか。

 科学ジャーナリストのジョージ・G・スピーロが、難問「ケプラー予想」を題材に、数学の歴史と進歩、数学者の生き様や数学界の内幕を描く、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Kepler's Conjecture, by George G. Szpiro, 2003。日本語版は2005年4月、新潮社より単行本で刊行。私が読んだのは新潮文庫の文庫版で、2014年1月1日発行。文庫本縦一段組みで本文約483頁+訳者あとがき8頁+文庫版訳者あとがき6頁+付録がなんと56頁。9ポイント38字×16行×483頁=約293,664字、400字詰め原稿用紙で約735枚。長めの長編小説の分量。

 日本語は比較的にこなれている。ただし内要を完全に理解しようとすると、大学で数学を専攻する程度の基礎が必要だろう。でも大丈夫。わからない所は読み飛ばしても、充分に楽しめる作品になっている。むしろ中学校の数学の証明問題で、「なんでこんなメンドクサイ書き方せにゃならんのだ!」と憤った人こそ、この本を楽しめるだろう。

【構成は?】

 はじめに
第一章 砲弾とメロン――最初の問いかけ
第二章 十二球のパズル――ケプラー予想の誕生
第三章 消火栓とサッカー選手――二次元の場合は?
第四章 トゥエの二つの試みとフェイエシュ=トートの功績――二次元での解決
第五章 何人いっしょにキスできる?――ニュートン=グレゴリーの三次元接吻数問題
第六章 ボールをネットにくるんでみたら――三次元接吻数問題の解決
第七章 潰れた箱――ガウスによる三次元格子充填の解決
第八章 正真正銘の難問――ヒルベルトの問題提起
第九章 遅々たる歩み――上界を引き下げる
第十章 シアン事件――偽の解決
第十一章 真打ち登場――ヘールズによるケプラー予想の証明
第十二章 コンピューターとアルゴリズム――ヘールズの手法
第十三章 それはほんとうに証明なのか――コンピューターと数学
第十四章 蜂の巣再訪――離散系幾何学の未解決問題
第十五章 これはエピローグではない
 訳者あとがき/文庫版訳者あとがき/付録

【感想は?】

 問題解決という仕事の怖さを思い知らされる本。

 プログラマなら、よほど優秀でない限り、大抵の人は経験で知っている。簡単だと思った問題が、意外と手ごわいと思い知ったときの恐怖。納期は迫るが、解決法は見つからない。とりあえず幾つか制限をつけて実装するが、いつ制限を越えたデータが来るかわからない怖さ。

 ケプラー予想も、そんな感じの問題だ。きっかけは下世話なもの。一つの船倉に、できるだけ多くの砲弾を詰め込みたい。どう積めば最も多くの砲弾を積み込めるか?

 「八百屋がオレンジを積む形でいいんじゃね?」と、ケプラーは予想する。大抵の工学なら、これで話は終わる。数学と違い工学なら、他にも様々な制限があって、極限まで理想を追求しても利益が少ないからだ。例えばオレンジなら、あまりギュウギュウに詰めると、底のオレンジが潰れるかもしれない。

 しかし、数学はソコで諦めるわけにはいかない。あくまで理想的な状況における最適地を、理論的に突き詰める必要がある。で、これが意外な難問だった、というのが、本書の主題のひとつ。

 私は整数論が苦手(というより全く知らない)なせいか、フェルマーの最終定理は「よくわからないけど難しそう」と、なんとなく予想がつく。しかし、三次元の充填問題となると、「なんで難しいの?」と、逆に奇妙に思えてくる。この辺は四色問題と共通する点かも。

 なんとなく、「これが正解なんだろうな」というのは判ってる。だが、その理論的な基盤がない。これを痛感したのが、ダーティ・ダズンなどが絡んでくる部分。

 この問題に対し、多くの人は「綺麗で規則的な配置」を、まず考える。ところが、数学の世界じゃ、この方法は正解とされない。不規則な配置も含めて解を出す必要があるのだ。なんとまあ。

 実際の証明に至る過程も、決して綺麗ではない。上界(上限)と下限(下界)を求め、この間をジワジワと縮めてゆく形で証明が進んでゆく。数学とは美しい世界だとばかり思っていたが、問題によっては意外と工学的な手法も使われてるんだなあ、と驚いたり。

 やはり興奮するのは、ヘールズが登場してから。四色問題と同様に、ケプラー予想の証明にもコンピューターが大きな役割を果たす。問題を多数の「場合」に分割し、それぞれの「場合」ごとに値を計算してゆく、ここで Mathmatica(→Wikipedia)が出てきたのにも驚いたが、それ以上にビックリしたのが、シンプレックス法(→Wikipedia)。

 苔の生えた計算屋にはお馴染みのシンプレックス法、なんと生まれたのはソ連。編み出したのはレオニード・ヴィクタリエヴィッチ・カントロヴィッチ(→Wikipedia)。計画経済の体制の中で、最も効率のいい資源配分を産出するために生み出されたとか。言われてみれば納得。しかし彼の論文はロシア語で書かれたため、あまり注目されませんでしたとさ。

 などに加え、コンピューターの数の扱い方に絡んで浮動小数点の表現方法の話が出てきたり(理論的には今のコンピューターは "実数" を扱えないのだ)、数学者とコンピューターの意外な関係とか、ヘールズが挙げたもう一つの大手柄とか、興味深い話が詰まっている。

 一見、単純そうな問題に潜む多くの困難な関門。美しく理論的に見える数学の意外な「汚い」現実。高次元を想像する数学者の奇妙な能力。細分化しつつある数学の、激動する今を伝える本だ。

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