ドミニク・ラピエール「愛より気高く エイズと闘う人々」飛鳥新社 中島みち訳
「もし516号室の患者の病気が、アイオワあたりの発展に取り残されたような町で起きていたら、おそらくは誰も気付かなかったでしょう」と、若い免疫学者マイケル・ゴットリーブは言った。「医師たちは、あっさりこう結論づけたでしょうね。『この男は何か訳のわからぬ不可思議な病気にかかっている』と。彼は死んでしまい、それで終わり、というだけのことです」
【どんな本?】
1980年10月、ロサンゼルスのUCLA病院にテッド・ピーターズが入院する。飲み食いが困難で、オレンジジュースさえ飲めない。食道に微小な真菌が異様に増殖しているのが、検査でわかった。だが最も異常な点は、白血球が極端に少ない事だった。
ガンジスの岸辺では、13歳の少女アナンダがいつもの仕事のため川底に潜っていた。ガンジスの岸辺では死者が火葬される。運がよければ、川底から指輪や金歯が見つかるのだ。
1981年の春。アトランタの<寄生虫病薬品サービス>のサンディ・フォードは、異変に気付く。ペンタジミンの注文が異様に多い。春先なのに、昨年の倍の発注が既に来ている。なぜ寄生虫による特定の肺炎の薬が、突然こんなに必要とされるんだろう?
1980年代初頭のショッキングな話題だったエイズ。当時は同性愛者特有の病気と思われ、治療法も見つからなかった。医師たちは、どのようにしてエイズを発見したのか。その病因を、どうやって突き止めたのか。治療薬が生まれるまでには、どんな経緯を辿ったのか。
そして患者にはどんな人がいて、どんな人生を送ったのか。彼らは自らの運命に対し、どう対応したのか。未知の病気に対し、合衆国政府や庶民はどんな対応をしたのか。なすすべのない患者に対し、看護に当たる者はどんな気持ちでどう接したのか。
「おおエルサレム!」「パリは燃えているか」「歓喜の街カルカッタ」などの傑作ノンフィクションを著したドミニク・ラピエールが、患者・開業医・研究者・医薬品業界・合衆国政府の医療管理部門・看護師・患者の家族など、当事エイズに関わったあらゆる人々に取材し、その発見から対応薬が市販されるまでの経緯を再現する、重量級の医療・社会ドキュメンタリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Plus Grands Que L'Amour(仏語版) / Beyond Love(英語版), by Dominique Lapierre, 1991。日本語版は1993年5月12日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約464頁+訳者あとがき6頁。9ポイント45字×20行×464頁=約417,600字、400字詰め原稿用紙で約1044枚。長編小説なら2冊分の容量。
著者のドミニク・ラピエールの文章は、独特のクセがあるのだが、読みにくい類のクセではない。なんというか、文体が「一つ覚え」なのだ。これ訳者が変わってもクセは残っているので、原著者のスタイルなんだろう。繰り返すが、読みにくい文体ではないので、あまり構えなくていい。
内容も特に難しくない。敢えて言えば、DNAをはじめとする細胞の知識・ウイルスの増殖の方法・医薬品の認可の仕組みを知っていると、更に楽しめるが、知らなくても特に問題はない。
【構成は?】
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時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。
【感想は?】
相変わらずドミニク・ラピエールの著作、膨大な取材が支えるバラエティ豊かな本で、読み所は多い。
物語は、一見何の関係もなさそうなガンジスの河畔で始まる。インド独立を扱った「今夜、自由を」以来、インドに入れ込んだラピエールらしく、ここで描かれるインドの最底辺の人々の暮らしは、すえたすっぱい臭いが漂ってきそうな迫真感がある。
ここでの主人公アナンダが辿る数奇な運命は、この長い物語の終盤でエイズと関わってくる。お話は順々に進むので気付きにくいが、改めて考えると、凄まじいまでの医療の地域格差を感じてしまう。
世界的に古文書にすら記録が残り、多くの人々が苦しんできた病気で、半世紀以上も前に治療薬ができているのに、適切な知識が流布していないが故に、人生が大きく変わってしまうアナンダ。つい最近に発見され、大きな話題になったがために、政府まで動かして治療法を模索する合衆国のエイズ患者たち。この格差はなんなんだ。
今まで人類が苦しみ、なす術もなかった天然痘やペストなどに比べると、エイズの発見と対策は実にスピーディーで効率的である。なぜ、こんなに迅速な対応が可能になったのか。
読んでみると、そもそもエイズは、それが特定の病因によるものである事を突き止める事すら、難しい病気なのだとわかる。症状が決まっていないのだ。
飲食物が喉を通らなくなるカリニ肺炎、皮膚に潰瘍ができるカポジ肉腫など、様々な珍しい感染症に次々と感染する。当時はエイズなんて知られていないから、医師から見ると「次から次へと感染症にかかる面倒な患者」にしか見えない。これが「どうやら一つの病気の様々な症状らしい」と気付いたのは、開業医なのだ。
当時は同性愛者独特の病気だと思われたエイズ。それが蔓延した、そして存在が明らかになった原因の一つが、アメリカの同性愛者の独特の文化・社会にあるのも、なかなか皮肉なところ。お盛んなんてモンじゃない。独特の社会を描くという点では、先のインド・アメリカの同性愛者に続き、開業医と研究者の関係も読みどころのひとつ。
そして、科学ドキュメンタリーとして面白いのが、肝心のウィルスを特定するあたり。ややこしい事に、HIVは普通のウイルスじゃない。レトロウイルス(→Wikipedia)なのだ。普通の生物やウイルスはDNAを持つ。だがレトロウイルスはRNAしか持っていない。セントラルドグマ(→Wikipedia)に逆らう異端者なのである。
ここや後の治療薬開発で描かれる、研究風景もなかなか楽しかった。小難しい数式や分子式をいじってるだけかと思ったら、とんでもない。頭を使うのは研究を発案・計画する段階で、実際の実験は、繊細だが単調な作業を、正確第一に黙々と繰り返す地道なもの。少しづつ条件の違う大量のサンプルに対し、ひたすら同じ作業を適用し観察する。
医学的な面でのクライマックスは、治療薬を開発するプロセスだろう。
医薬品の認可には、数年単位の長い時間がかかる。これにはちゃんと訳があって、薬効だけでなく副作用の有無も調べなきゃいけないからだ。作用で病気は治っても、副作用で命を落としたら意味がない。なんたって闘病生活の長い患者に投与するのだ。健康な者には不快な程度の副作用でも、体力の落ちた者には致命傷になりかねない。
投薬当初は問題がなくても、遠い将来に大きな副作用が出る可能性もあるし、プラシボ(→Wikipedia)効果もある。だから長い予後の観察が必要だし、面倒くさい二重盲検も義務付けられている。
ってんで、政府は医薬品に厳密な検査を義務付ける。これで医薬品の安全性は保障され、医師も患者も安心して薬に頼れるのだ。だが、今現在、病気の末期症状に苦しんでいる者にとっては、どうなのか。薬がなければ一ヶ月に死ぬ者にとって、二ヵ月後の副作用なんかどうでもいい。
とすると、末期症状の患者に対する二重盲検は、果たして許されるのか。「医学の進歩のため死んでくれ」と言えるのか。これをすり抜けようとする患者と医師のあの手この手の駆け引きは、笑えるやら悲しいやら。
などの科学を中心とした医療の話と鮮やかな対照を成すのが、インドの少女アナンダを中心とした「看取る者」の物語だ。運命に対し、あくまでも抗おうとするアメリカの人々と、それをいかに安らかに受け入れるかを模索するマザー・テレサたち。
というと、使い古された「西洋 vs 東洋」「科学 vs 宗教」の構図になりそうだが、そこはご安心を。多角的な視点で描くドミニク・ラピエールだけに、あくまで「考える材料」を与えるラインに踏みとどまり、脅威と衝撃、そしてかすかな希望を灯す描き方をしている。
人類が歴史の中でどれほど結核や赤痢に苦しんできたか、それを考えればエイズの発見と治療薬開発は瞬く間の出来事だ。にも関わらず、我々は迅速な治療法の開発を求めてやまない。あくまでエイズを中心に扱った作品だが、アナンダの運命を振り返ると、もう少し高い視点で見直すことができる。
なぜ最初の登場人物としてアナンダを選んだのか、それを考えながら読んで欲しい。
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