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2014年7月の12件の記事

2014年7月30日 (水)

SFマガジン2014年9月号

「権力と大艦巨砲主義と薄着の美女の相性が良いのは、人間の思考の傾きとしての開、未開、洗練、野蛮の問題ではなく、単に思考の領野の配置の問題、設計上の妥協の問題です」
  ――円城塔「エピローグ」

 280頁の標準サイズ。特集は2本。ひとつは「夏の必読SFガイド」として、日本・海外の古今の傑作とともに、最近のSFアンソロジーを紹介する。もうひとつは「ダニエル・キイス追悼」。小説は吉上亮による PSYCHO-PASS の前日譚「無窮花 後編」、円城塔「エピローグ<5>」、夢枕獏「小角の城」、神林長平「絞首台の黙示録」、籘真千歳「θ11番ホームの妖精 本と機雷とコンピューターの流儀」。

 特集「夏の必読SFガイド」は、夏休みで気がゆるんだ未来ある若者をSFの泥沼に引きずり込もうとする企みがあらわな企画。つまりは古今の名作・傑作を紹介するのだが、ホットな話題の新しいものから並べていくあたり、若者をたぶらかそうとする年寄りの狡猾さがよく出ている。そういう事なら梶尾真治の「クロノス・ジョウンターの伝説」も入れていいんじゃないかな。

 クリストファー・プリーストの「逆転世界」は、読了後、本当に世界が歪んで見えた。キース・ロバーツの「パヴァーヌ」やマイクル・コーニイの「ハローサマー、グッドバイ」などサンリオSF文庫収録作が復刊して手に入れやすくなっているのも嬉しい。フィリップ・K・ディックは「暗闇のスキャナー」が一番好きだなあ。ほとんど自伝みたいな内容だけど、彼が抱えていた悲しみが最もストレートに出ている作品だと思う。

 吉上亮「無窮花 後編」。崩壊する故国を後に、全てを失い再び日本に舞い戻ったチェ・グソン。今は廃棄された浦安に住みながら、かつての潜入工作員としての腕を生かし、逃がし屋として生計を立てている。シビュラ・システムからの脱出を目論む者を、その目が届かない所に逃がす仕事だ。

 いよいよ PSYCHO-PASS シリーズの陰のヒーロー、填島が登場する後編。浦安ってロケーションが微妙にツボ。実は水路を使えば都心に近く、下町の空気も残っているが、東京じゃない。全編で炸裂した救いようのない絶望感を漂わせつつ、飄々としているように見える填島の心中が、少しだけ覗ける作品。

 円城塔「エピローグ<5>」。朝戸の奥歯に鋭い痛みが走る。だが奥歯に異常はないようだ。アラクネは繭玉のよな胴体に、小さな羽根が20枚ほど生やして浮かんでいる。今や人類は何度も退転を続け、しかもその間隔は短くなるばかり。アラクネの力で都合のよい宇宙を渡り歩いてさえ、この有様で…

 今回は朝戸&アラクネのコンビのお話。刻々と変化してゆく現実に、なんとか適応しながら、自分が存在しえる宇宙を飛び回りながら生き延びている朝戸。この物語の中で描かれる情景は、果たして本物なのか、神経に与えられた信号を登場人物の脳が再構成した幻想なのか、登場人物が理解しやすいように構成したレトリックに過ぎないのか、全く見当がつかない。

 神林長平「絞首台の黙示録」。今回も死刑囚タクミの視点で物語が進む。死刑が確定しているのは邨江清司。彼は拳銃で進化分子生物学研究所の同僚4人を殺している。その動機を、死刑囚タクミは思い出しながら語り始める。「倫理上の問題のある研究が多すぎた」

 今までの二人のオッサンの陰険な腹の探りあいから、真相に向けて一歩踏み出した感のある回。相変わらず作家タクミと死刑囚タクミは挙げ足のとりあいを続けてはいるが、少しずつディスカッション・ノベルっぽくなってきた…と思ったら、大変な仕掛けが飛び出してきて、「膚の下」にも通じる方向に向かうのか?

 籘真千歳「θ 11番ホームの妖精 本と機雷とコンピューターの流儀」。東J.R.C.D. 東京駅11番ホーム。東京上空2200メートル、地図には存在しないホーム。そこに駅員として勤務するT.B.は、一日の勤務を終え…るはずが、残業する羽目になった。なんと大量のディスクによるアップデート作業である。

 本編「θ 11番ホームの妖精」の第四話にあたる短編。と言っても私は本編を読んでないんだけど。今回は義経の活躍はなく、ほとんど T.B. と第七世代人工知能アリスだけで話が進む。ヒトと人工知能の違いがテーマのひとつなんだろうけど、T.B. も我々が考えるヒトとは少し違うような…

 横田順彌「近代日本奇想小説史」第14回「さまざまな翻訳・翻案その1」。冒頭は野副重正著(翻訳)「快飛行家スミス」大正五年三月・日本飛行研究会の紹介。航空機黎明期の飛行家アート・スミス(→Wikipedia)の半生記。「何と呼べばいいのか判らない」そうだけど、飛行機小説でいいんじゃないでしょうか。サン・テクジュベリやチャールズ・リンドバーグやリチャード・バックの先輩ってことで。

 大野典宏「サイバーカルチャートレンド」、今回はUSBのお話。昔はマウス・キーボード・プリンタなどがそれぞれコネクタもケーブルも別で、秋葉原のジャンク屋じゃ色んなケーブルやコネクタを売ってたもんです。今のPCは電源とモニタとネットワーク以外はUSBでイケちゃうから、楽だよなあ。で、そのUSBの電力供給機能を強化したら…ってなお話。既に iPod を充電できるぐらいの電力はきてるわけで、どこまでいくんだろう。

 もうひとつの特集「ダニエル・キイス追悼」は、小尾芙佐の「キイスさんに伝えたかったこと」が心に染みる名文。「アルジャーノンに花束を」、あれだけの傑作の結末にケチをつける編集ってのも凄いが、徹底してキイスのオリジナルを擁護したウイリアム・テンの作品眼にも感謝。長編版の名訳の裏話も嬉しい。誰か小尾芙佐翻訳傑作選とか出さないかなあ。

 やはり追悼文では、風野春樹の「ダニエル・キイスと多重人格ブーム」が世相を語っていて面白い。アルジャーノンの流行が、氷室京介・小泉今日子・松任谷由美・つみきみほ・後藤久美子などのプッシュの影響、というのがなんとも。今は池澤春菜が頑張ってるけど、彼女はちと深みにハマり過ぎてる上に守備範囲も広いから、ピントが絞りきれないんだよなあ。いっそ「この秋はマイクル・コーニイにフォーカス」みたく焦点を絞っちゃう、とか。

表紙の鮮やかな空色が、夏を思わせる9月号でありました。

 
 

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2014年7月29日 (火)

ジョージ・G・スピーロ「ケプラー予想 四百年の難問が解けるまで」新潮文庫 青木薫訳

 本書で取り上げるのは、四百年近くも数学者たちを悩ませてきた問題である。1611年、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは、球をできるかぎり高い密度で空間に詰め込む方法は、八百屋がオレンジやトマトを積み上げる方法と同じであると予想した。つい最近まで、この予想には厳密な証明がなかったのだ。

【どんな本?】

 1590年代の末。サー・ウォルター・ローリーは、側近のトマス・ハリオットに頼んだ。砲弾の山の形から、砲弾の数を導き出す式を作ってくれ、と。ハリオットはローリーの意を察する。船倉に最も効率よく砲弾を積む方法が知りたいのだろう、と。そして天文学や数学で優れた実績のあるヨハネス・ケプラーに手紙を書く。

 ケプラーは考えた。最も効率の良い配置は、八百屋がオレンジやトマトを積み上げる方法だろう、と。この問題は一見簡単そうだが、長く予想に留まり、厳密な解はなかなか出なかった。

 なぜこんな問題が難しいのか。どんな数学者が、どんなアプローチでこの問題に挑んだのか。その過程で、数学はどう進歩したのか。最数的にトマス・C・ヘールズとサミュエル・P・ファーガソンはどう解き、どんな反応を引き起こしたのか。

 科学ジャーナリストのジョージ・G・スピーロが、難問「ケプラー予想」を題材に、数学の歴史と進歩、数学者の生き様や数学界の内幕を描く、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Kepler's Conjecture, by George G. Szpiro, 2003。日本語版は2005年4月、新潮社より単行本で刊行。私が読んだのは新潮文庫の文庫版で、2014年1月1日発行。文庫本縦一段組みで本文約483頁+訳者あとがき8頁+文庫版訳者あとがき6頁+付録がなんと56頁。9ポイント38字×16行×483頁=約293,664字、400字詰め原稿用紙で約735枚。長めの長編小説の分量。

 日本語は比較的にこなれている。ただし内要を完全に理解しようとすると、大学で数学を専攻する程度の基礎が必要だろう。でも大丈夫。わからない所は読み飛ばしても、充分に楽しめる作品になっている。むしろ中学校の数学の証明問題で、「なんでこんなメンドクサイ書き方せにゃならんのだ!」と憤った人こそ、この本を楽しめるだろう。

【構成は?】

 はじめに
第一章 砲弾とメロン――最初の問いかけ
第二章 十二球のパズル――ケプラー予想の誕生
第三章 消火栓とサッカー選手――二次元の場合は?
第四章 トゥエの二つの試みとフェイエシュ=トートの功績――二次元での解決
第五章 何人いっしょにキスできる?――ニュートン=グレゴリーの三次元接吻数問題
第六章 ボールをネットにくるんでみたら――三次元接吻数問題の解決
第七章 潰れた箱――ガウスによる三次元格子充填の解決
第八章 正真正銘の難問――ヒルベルトの問題提起
第九章 遅々たる歩み――上界を引き下げる
第十章 シアン事件――偽の解決
第十一章 真打ち登場――ヘールズによるケプラー予想の証明
第十二章 コンピューターとアルゴリズム――ヘールズの手法
第十三章 それはほんとうに証明なのか――コンピューターと数学
第十四章 蜂の巣再訪――離散系幾何学の未解決問題
第十五章 これはエピローグではない
 訳者あとがき/文庫版訳者あとがき/付録

【感想は?】

 問題解決という仕事の怖さを思い知らされる本。

 プログラマなら、よほど優秀でない限り、大抵の人は経験で知っている。簡単だと思った問題が、意外と手ごわいと思い知ったときの恐怖。納期は迫るが、解決法は見つからない。とりあえず幾つか制限をつけて実装するが、いつ制限を越えたデータが来るかわからない怖さ。

 ケプラー予想も、そんな感じの問題だ。きっかけは下世話なもの。一つの船倉に、できるだけ多くの砲弾を詰め込みたい。どう積めば最も多くの砲弾を積み込めるか?

 「八百屋がオレンジを積む形でいいんじゃね?」と、ケプラーは予想する。大抵の工学なら、これで話は終わる。数学と違い工学なら、他にも様々な制限があって、極限まで理想を追求しても利益が少ないからだ。例えばオレンジなら、あまりギュウギュウに詰めると、底のオレンジが潰れるかもしれない。

 しかし、数学はソコで諦めるわけにはいかない。あくまで理想的な状況における最適地を、理論的に突き詰める必要がある。で、これが意外な難問だった、というのが、本書の主題のひとつ。

 私は整数論が苦手(というより全く知らない)なせいか、フェルマーの最終定理は「よくわからないけど難しそう」と、なんとなく予想がつく。しかし、三次元の充填問題となると、「なんで難しいの?」と、逆に奇妙に思えてくる。この辺は四色問題と共通する点かも。

 なんとなく、「これが正解なんだろうな」というのは判ってる。だが、その理論的な基盤がない。これを痛感したのが、ダーティ・ダズンなどが絡んでくる部分。

 この問題に対し、多くの人は「綺麗で規則的な配置」を、まず考える。ところが、数学の世界じゃ、この方法は正解とされない。不規則な配置も含めて解を出す必要があるのだ。なんとまあ。

 実際の証明に至る過程も、決して綺麗ではない。上界(上限)と下限(下界)を求め、この間をジワジワと縮めてゆく形で証明が進んでゆく。数学とは美しい世界だとばかり思っていたが、問題によっては意外と工学的な手法も使われてるんだなあ、と驚いたり。

 やはり興奮するのは、ヘールズが登場してから。四色問題と同様に、ケプラー予想の証明にもコンピューターが大きな役割を果たす。問題を多数の「場合」に分割し、それぞれの「場合」ごとに値を計算してゆく、ここで Mathmatica(→Wikipedia)が出てきたのにも驚いたが、それ以上にビックリしたのが、シンプレックス法(→Wikipedia)。

 苔の生えた計算屋にはお馴染みのシンプレックス法、なんと生まれたのはソ連。編み出したのはレオニード・ヴィクタリエヴィッチ・カントロヴィッチ(→Wikipedia)。計画経済の体制の中で、最も効率のいい資源配分を産出するために生み出されたとか。言われてみれば納得。しかし彼の論文はロシア語で書かれたため、あまり注目されませんでしたとさ。

 などに加え、コンピューターの数の扱い方に絡んで浮動小数点の表現方法の話が出てきたり(理論的には今のコンピューターは "実数" を扱えないのだ)、数学者とコンピューターの意外な関係とか、ヘールズが挙げたもう一つの大手柄とか、興味深い話が詰まっている。

 一見、単純そうな問題に潜む多くの困難な関門。美しく理論的に見える数学の意外な「汚い」現実。高次元を想像する数学者の奇妙な能力。細分化しつつある数学の、激動する今を伝える本だ。

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2014年7月28日 (月)

菅浩江「おまかせハウスの人々」講談社

 聡子はスーパーの中を見回した。
 所狭しと並べられた商品棚の間を、疲れた風情の客たちが流れている。
「こんなに広かったっけ」
 おもわず呟きが漏れた。
   ――フード病

【どんな本?】

 SF作家・菅浩江の短編集。現代の日本より、ほんの少しだけ技術が進んだ世界を舞台に、今よりちょっとだけ便利な道具や技術を登場させ、普通に生きている人々が抱えている心の奥底を照らし出してゆく、菅浩江ならではのヒネリの利いた作品集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2005年11月28日第一刷発行。単行本ハードカバーで縦一段組み、本文約225頁。9ポイント43字×18行×225頁=約174,150字、400字詰め原稿用紙で約436枚。長編小説なら標準的な分量。

 文章はクセも少なく読みやすい。SFではあるが、舞台は今より少しだけ技術が進んだぐらいの日本を舞台に、普通に働く人を中心とした話が多いので、特に構える必要はないだろう。何より掲載誌が「小説現代」だし。

【収録作は?】

 / 以降は初出掲載誌。

純也の事例 / 小説現代2004年6月号
 午後の児童公園。渡会夕香は純也を見守っている。何事も考えすぎて、夕順不断な夕香。ママ友の林原ナミは対照的で、直感的に割り切ってしまう。純也の友だちは五歳の敦史君。ナミの放牧主義のせいか、やりたい放題の暴れん坊だ。さすがに困った純也は夕香を振り返り…
 おとなしく「いい子」の純也と、色々と考え込む生真面目な夕香。乱暴で我侭な敦史と、ズボラで直感的なナミ。児童公園での対照的なママ友同士の会話…と思わせて、そうきますか。私も何かと考え込むタイプなので、夕香のモノローグが身に染みるったらありゃしない。と同時に、現代の日本が「母親」に負わせている、息苦しい重圧も漂わせている。昔はもっといい加減だったような気がするけど、どうなんだろう? いやその分、事故や事件も多くてデンジャラスでもあったんだけどw
麦笛西行 / 小説現代2003年7月号
 やっかいな苦情処理を処理した土橋嘉継に、課長から声がかかる。先日、やっかいなクレームを処理した陣川さんの話だ。相手の気持ちを察するのが苦手な土橋は、同期の昇進レースから遅れている。だが、最近は少しマシになってきた。秘密兵器があるのだ。
 これも土橋の気持ちが身に染みる一編。彼が自分の鈍感さについて調べ、気落ちするあたりは、とてもヒトゴトとは思えず泣く事しきり。そんな彼と、若くして出家した有名な歌人の西行(→Wikipedia)を対比させた作品。なんにせよ、人の気持ちってのは言葉どおりじゃないわけで、色々と考え込んじゃうんだよなあ。
ナノマシン・ソリチュード / 小説現代2002年7月号
 一人暮らしの小枝子は、今日も課長から残業を押し付けられてしまった。一人暮らしは寂しい、という課長の思い込みは、腹が立つどころか悲しくさえなってくる。家に戻れば、馴染みのチャット友達が待っているのに。同期の朋世、朋世の中学の後輩の麻梨花、去年転職した修子。
 自分のモノに名前をつける人と、つけない人。私はつけない方だけど、そういうタイプの人が、複数のコンピュータを管理する立場になると、考え込んじゃったり。そんなワケで、一昔前の社内LANには、女性名のコンピュータがうじゃうじゃあって、「おいミキが死んだぞ」とか物騒な言葉が飛び交ったり。
フード病 / 小説現代2003年12月号
 スーパーの食品売り場で、商品のIDチップをチェックする浜尾聡子。最近のIDチップは通信機能もつき、ネットから最新情報を持ってくるようにもなった。今日もお父さんはお義姉さんの芙詩子の所で、ご自慢の手作り野菜を食べてくるんだろうか。
 SF作家・菅浩江の凄みがにじみ出た作品。出てくるガジェットは、食品の安全とIDチップ。このIDチップの発想はRFID+インターネットで、広告がついてくるあたりはかなり斬新なアイデアなのに、一家の主婦の目で「少し目新しい便利なもの」として描き、嫁と小姑の関係を絡めヌカミソ臭い生活感たっぷりに描き出してゆく。こういう、最新よりちょっと先の、SFマニアが目を見張るガジェットを、「普通の人」の視点でキチンと描ききっている手腕はお見事。
鮮やかなあの色を / 小説現代2002年12月号
 ランチタイムは疲れる。箕浦祐加子は、グッタリする。女性の同僚とのランチは、互いの顔色を窺いながらの仲良しごっこだ。興味のない話題でも、適度に相槌を打ち同感だってフリをして、たまには自分から話を振らなきゃいけない。同僚と無難にやっていくのは大変で…
 モテないオッサンとしては、「若い女性は大変だよなあ」などとヒトゴトのように思ってしまう出だし。男社会でも互いの顔色を窺う場面は多々あるんだけど、たいていはメンバーの何人かが救いようのないマイペース野郎で、「アイツはそういう奴」という地位を確保してたり、メンバー内の序列がハッキリしてたりするから、かも。
おまかせハウスの人々 / 小説現代2005年2月号
 「おまかせハウス産業」に勤める佐伯博也の仕事は、サンプルとして選ばれたモニタ家庭から意見を聴くことだ。最新の技術をふんだんに取り込み、住む人を家事労働から解放する。炊事・洗濯・掃除・ゴミ出しと、全て住宅が面倒を見てくれる。ただ、技術が新しいだけに、住み心地や快適さの検証も多岐にわたり、博也は押し寄せる大量の意見…というより愚痴に困り果てていた。
 これまたハイテクなガジェットと使いながら、嫁姑問題などを絡めつつ、ヒトとテクノロジーの関係をヌカミソ臭く描いた傑作。洗濯機や炊飯器などのシロモノ家電で、現代の家事は効率が相当に上がっている。にも関わらず、家事労働の時間はあまり減っていないような印象を受ける。共働きの八辻家、二世帯の金井家、一人暮らしの太田垣。それぞれの「意見」が、類型的ではあるものの、「いかにも」なのにニヤリ。

 どの作品も「小説現代」掲載だけあって、一見SF味が薄めに見える。が、そう見えるのは見てくれだけ。いかにも「アタシ難しい事はわかんないんだけど」的な主人公に語らせながら、そこで描かれるテクノロジーは斬新なアイデアに満ちている。

 そういった贅沢なSFガジェットを羽織の裏に隠しながら、日ごろは目をそむけている我々の心の裏側を、容赦なく白日の下にさらけ出してゆく底意地の悪さも菅浩江ならでは。甘~い糖衣に包んだ小粒のキャンディーの中に、容赦なく猛毒を潜ませる彼女の芸風が堪能できる短編集。

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2014年7月24日 (木)

米陸軍航空隊編著「B-29操縦マニュアル」光人社 仲村明子+小野洋訳 野田昌宏監修

機の通常スタンバイ電流は725アンペアである。通常の戦闘爆撃に必要とされるのは1080アンペア。全エンジン発電機から得られる総アンペア数は1200アンペアである。

【どんな本?】

 太平洋戦争で合衆国陸軍航空隊の大型爆撃機として活躍したボーイングB-29大型爆撃機。それは、四発のライト社R-3350-21型エンジンを持ち10人のクルーで運用する、複雑なシステムだった。

 これは、合衆国陸軍航空隊が搭乗員に配った操縦マニュアルを、SFマニアであり航空機マニアでもあった故・野田昌宏氏をはじめ日米のB-29マニアが協力して再現・日本語訳した書籍である。

 各クルーは、何を持っていたのか。具体的にどんな役割を似担い、どんな操作をしたのか。機体には何が備えられ、どんな役割を果たしたのか。そんなB-29運用の詳細な情報が得られると共に、当事の合衆国陸軍航空隊の技術・戦略思想や、搭乗員教育の姿勢などを通して、米軍の体質が伝わってくる、貴重な資料。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Flight and Operational Manual B-29 BOMBER。日本語版は1997年7月30日発行。版型は独特で、ハードカバーの単行本を横に2冊つなげた感じ。原書の2頁分を1頁に収めたらしい。そのためか、日本語版では各頁に2つのノンブル(ページ番号)がついている。ページ番号で言うと、横一段組みで387頁+監修者あとがき6頁+仲村明子の訳者あとがき2頁。頁数は多いが、中身の6割以上をイラストが占めているので、文章量は少ない。

 文章は原書の雰囲気を伝えるマニュアルっぽいおカタい文体。本物のマニュアルだから、専門用語も容赦なく出てくる。単位もヤード・フィート・やガロンなど、当事の合衆国市民にあわせたもので、決して今の普通の日本人にとって読みやすい本ではない…まあ、「読む」本じゃないけど。

【構成は?】

  • セクション1 概要
    全体の寸法と輪郭図/重心図/重量データ/燃料系統/潤滑油系統/搭乗員配置/エンジン/ライト社R-3350-21型の許容温度/ターボ過給器/交流直流電源供給/油圧系統/酸素系統/防水・バキューム系統/プロペラ氷結防止/舵面/着陸脚/通信装置/武装/装甲/キャビン内空気調整/飛行の制限/パイロットの計器盤と制御装置/副操縦士の計器盤と制御装置/機関士の計器盤と制御装置/機関士スイッチ・パネル/補助動力装置チェック・リスト/諸データ
  • セクション2 搭乗員チェック手順と操作手順
    • パイロットと副操縦士のチェックリスト
      搭乗前/エンジン始動前/エンジン始動、暖機運転中/離陸前/離陸と飛行/着陸前/着陸中/着陸後
    • 機関士チェックリスト
      搭乗前/エンジン始動前/エンジン始動、暖機運転中/離陸前/飛行中/着陸前/着陸中/着陸後
    • 通信士チェックリスト
      搭乗前/エンジン始動前/暖機運転中/飛行中/着陸前/着陸後
    • 航法士チェックリスト
      搭乗前/エンジン始動前、暖機運転中/離陸前/飛行中/着陸前/着陸後
    • 爆撃手チェックリスト
      搭乗前/エンジン始動前/離陸前/飛行中/着陸前/着陸後
    • 銃手チェックリスト
      搭乗前/エンジン始動前/エンジン始動、暖機運転中/離陸前/飛行中/着陸前/着陸後
  • セクション3 非常時手順
    緊急(非常用)装備/医療装備/非常時手順/警告手順/エンジン始動前のナセル火災/飛行中のナセル火災/離陸中のエンジン不調/脱出手順/非常脱出口/非常脱出時の指導/不時着水手順/搭乗員不時着水時ポジション/プロペラフェザリング手順/緊急着陸装置操作/非常用携帯引き込みモーター/前下方銃座の緊急操作

【感想は?】

 まず、豊富なイラストに驚く。

 例えば「セクション2 搭乗員チェック手順と操作手順」。ここでは、各頁が3コマのイラスト+対応する説明でなっている。クルーがすべき動作一つごとに、イラストが一枚ついているのだ。なんという親切さ。イマドキの電化製品のマニュアルでも、ここまで親切なモノは滅多にない。

 「アメリカのマニュアル文化」と言ってしまえばそれまでだが、実際に読んでみると、さすがにパイロットは無理でも銃手ぐらいなら自分でも勤められそうな気になってくる。それぐらい、「いつ、何をするか」が分かりやすく書いてあるのだ。

 当事の合衆国陸海軍は、平時から戦時への急速な転換に伴い、大量の徴集した将兵で膨れ上がっていた。その大半は予備役ですらない、軍と縁もゆかりも無い普通の若者である。彼らを急いで教育し、軍の任務をこなせるよう育てなければならなかった。その効率的な教育システムの一端が、このマニュアルから透けて見える。

 「現代日本の家電マニュアルと違うな」と思う第二点は、それぞれの手順で「正常に動作しなかった時」の対応策が、その手順の所に書いてある点。家電マニュアルだと、マニュアルの末尾に「故障かな?と思ったら」みたいにまとめて書いてある。もっと酷いのはコンピュータのマニュアルで、エラー・メッセージ番号と現象の対応表があったり。

 大型の機体だけあって、クルーも忙しい。なんたって、運用には10人も必要なのだ。今の代表的な大型旅客機のジャンボことボーイング747が、キャビン・アテンダントを除けば2~3人の操縦士で運行できる事を考えると、大変な違いだ。これを読むと、現代の航空機の自動化が凄まじい技術の結晶であることが実感できる。

 例えば航法士は、なんと六分魏を抱えて搭乗する。航法士は持ち物も独特で、コンパスやらディバイダやら計算尺やら。今ならビーコンとGPSとコンピュータで終わるところを、推測航法と手計算でやってるわけだ。敵地を飛ぶんだから、誘導用の電波は期待できないし。

 ってなのを読むと、単座の戦闘機や偵察機のパイロットの軍務の大変さが、否応なしに伝わってくる。なんたって操縦士・航法士・通信士・銃手(または爆撃手)の仕事を、全部一人で担うんだから。

 やはり大型機だからか、予備の部品も豊富に搭載している。通信士は予備の同調ユニットがあるし、爆撃手は予備のヒューズがある。ヒューズってのが、いかにも当時だ。通信関係はみんな真空管だし。整備は大変だったろうなあ。真空管はすぐ切れるし。

 いかにも米軍だなあ、と思うのは、緊急時の記述も充実している点。パラシュートについてる応急キットに、ソーイングセットもあるのは…服を縫うのか、体を縫うのか。

 当事の米軍が、機体の何を重視していたかがわかるのも、この緊急時の部分。「自分のリボルバーで爆撃照準機を撃ち壊す」とかあって、やはり照準機は秘密兵器だったんだなあ、などと思ったり。

 「兵の気持ちをよく考えているなあ」と感じるのが、「救命筏に乗船して」。これは海上を漂流する際の注意事項を、短い文章で端的に書いてある。特に興味を惹かれたのは「船酔い」の項。「救命筏では大抵の者が船酔いを起こす。その状態は大抵24~48時間の内に改善される」と、気分が悪くなる由およびじきに治る由が明記してある。

 体に不調があれば、人は不安になる。まして不時着水の洋上ともなれば尚更だ。そこを、「普通は調子が悪くなるんですよ、1~2日で治ります」と言われれば、少しは気持ちがラクになる。文体こそ素っ気無いけど、こういう細かい気配りはさすがだなあ、と感じてしまう。

 そしてSF者として嬉しいのが、監修者あとがき。大元帥こと野田昌宏の、講談調でノリのいいノダ節に久しぶりに触れ、切なさと懐かしさが漂う内容と共に、思わずシンミリしちゃったり。

 本と言うより資料なので、より積極的に頭を使った読み方が要求される。豊富にイラストを使ったわかりやすい説明があるだけに、ついつい読み飛ばしがちだけど、その「わかりやすさ」に気付いたとき、当事の米軍の体質も見えてくる。もちろん、B-29の機能が知りたい人にも、一級品の資料だろう。

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2014年7月23日 (水)

マックス・バリー「機械男」文藝春秋 鈴木恵訳

会社がっこれほど大勢の管理職を必要とする理由が、ぼくら技術職にはどうにも理解できない。技術者はものを造る。営業の連中はものを売る。人事部の存在意義だって、ぼくはそれなりに理解できる。でも、管理職はやたらといるくせに、これといった仕事はしていない。

【どんな本?】

 オーストラリアのメルボルンから現れた新鋭小説家による、現代のギークを小躍りさせる長編SF小説。そのあまりにイカれた発想と、赤裸々なギークの生態の描写がウケたのか、「SFが読みたい!2014年版」ベストSF2013年海外編で、17位に突如登場した。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Machine Man, by Max Barry, 2011。日本語版は2013年5月10日第一刷。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約330頁+編集部による解説4頁。8.5ポイント43字×20行×330頁=約283,800字、400字詰め原稿用紙で約710枚。長編小説としては、やや長め。

 文章はスラッシュドットっぽい雰囲気を巧く出している。スラドであって、 Wired ではない。いやわかんなくてもいいけど。つまり多少のクセはあるが、それは意図的なもので、読みにくい部類のクセではない。SFとしては意外と難しくない。一応、アルゴリズムだWi-FiだGPSだと専門用語っぽいのは出てくるが、普通の会話に出てくるレベルに抑えられている。

 むしろ難しいのは、小説として。主人公チャールズ・ニューマンの一人称で語られる物語であり、彼の思考がダダ漏れとなっている。徹底したギークである彼の思考についていけるか否かが、ハードルになると思う。

【どんな話?】

 ハイテク企業ベター・フューチャー社に勤める研究者のぼく、チャールズ・ニューマン。家で無くしたと思った携帯電話を、実験室で見つけて飛びついたのが、大間違いだった。機械に挟まれ、右腿から下を失ってしまったのだ。義足を与えられたが、これがとんだ出来損ないばっかり。持ってきたローラ・シャンクスは素敵なんだけど。ってんで、いじり始めたんだが…

【感想は?】

 身もだえしてしまった、いろいろと。

 主人公のチャールズ・ニューマン君、彼の造形があまりに見事。いや姿形じゃなく、オツムの中が。

 冒頭近くで、エレベーター待ちしている間に、イカした女性と話を始める…のはいいが、「エレベーターが遅い」って話題になると、エレベーターの運行アルゴリズムに没頭しちゃって、大事なチャンスを逃してしまう。

 うああ。やめろ、やめてくれ。胸が痛い。俺の黒歴史を掘り起こさないでくれ。

 こういう、ギークな人を身もだえさせる場面が、アチコチに出てくる。そういう意味では、かなり苦しい本だ。でも、読まずにいられない。SFにしたのは正解だった。「作り話ですよ」という前提があるから耐えられるんで、そうでなかったらリアル過ぎて読み続けられないだろう。

 やはり冒頭の、携帯電話を探して部屋を荒らしまわる場面も、なかなか身につまされる。問題の解決法Aを思いついても、肝心の問題が解決法Aを邪魔してたり。うんうん、あるある。

 こんな「あるある」が、アチコチに出てきて嬉しいやら恥ずかしいやら。エレベーターに続き、チャールズ君が義足を改良しはじめる場面も、彼の気持ちが判りすぎて辛い。

 いろいろといじり始める。まずは末端部分から改造しはじめる。アチコチを改造するうちに、ソースがスパゲティになってくる。この辺で気がつく。「いやコレ、元が腐ってるじゃん」。次に、今のモノが前提としている条件を疑い始める。どんどん遡っていって、そもそもの目的から見直そうとする。

 ここで、「目的そのものが間違ってるじゃん!」となったら、さあ大変。もう完全に自分専用の目的を見定め、自分の都合に合わせて要求仕様を作り出し、オリジナルとは似ても似つかないシロモノが出来上がってしまう。あなたにもありませんか? 私にはあります。

 で、往々にして、そうやって造ったモノは、とっても可愛い。

 ところが。可愛いんだけど、使い込んでくると、いろいろと不満が高まってくる。アレが出来ない、コレがまだるっこしい。そういう機能的な面だけでなく、自分が要求仕様を誤解していた事にも気がつく。原型の発想に捕らわれて、無駄な機能や部品が残ってたり、抽象化がワンランク足りなかったり。

 なんたって、自分が欲しくて造るのである。そりゃもう、こだわりまくりだ。そうやって造った物ってのは、かなり優れたシロモノができる。ユーザとのコミュニケーションが良ければ、開発効率は10倍以上向上するのである。ところが、そうやって出来たモノには、多少の問題が残る。

 みてくれだ。世間の人が考える義足とは、似ても似つかないシロモノになる。ここで「ナンだソレは!」と拒否するのが普通の人。「クールじゃん」と己の認識を改めるのがギーク。

 という事で、ギークにウケちゃったチャールズ君、どんどん暴走しはじめる。この過程がまた、読んでてイタいと同時に爽快だったり。行き着く先がなんとなく見えちゃいるが、その過程でのチャールズ君の気持ちをじっくり書き込んであって、これが他のサイエンス・フィクションにない、この作品ならではの味を生み出している。

 後半になると、チャールズ君の周辺に似たような連中がワラワラと集まり、話はどんどんエスカレートしてゆく。このチーム感も、この作品ならでは。

 終盤ではアクションが全開となり、待ちに待ったケッタイなガジェットも飛び出してくる。ハリウッドのアクション映画でも使えそうな場面が続々と展開し、お約束のギャグも手伝って、なかなかの読み応え。ちょっとせわしないけど。

 文体は意図的に今風の軽薄なスタイルを取っているけど、描かれるテーマは意外と重い。私は既に歯の詰め物や眼鏡で肉体を強化しているし(ヅラじゃないぞ!)、もはやヒトゴトではない。ギークな人なら、イタさと爽快さを同時に味わえる、実に楽しい小説だった。

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2014年7月21日 (月)

2020東京オリンピックで日本は何を取り繕うべきか

 前の「ベルリン・オリンピック1936」を読んで、ちょっと考えたこと。まあ、どうでもいい妄想です。

 1936年のベルリン・オリンピックを開催する際、ナチス政権は色々とセコい真似をして体裁を取り繕っている。ヨダヤ人に差別的な新聞を街頭から撤去したり、ジプシーを強制収容所に送ったり、繁盛してるように見せるため空き家になってる商店に補助金出して貸したり。

 そこで、少し考えてみた。2020年には東京でオリンピックが開催になる。もしその時の日本政府がセコく体裁を取り繕おうとしたら、何をするだろう?

 しばらく考えたが、なかなか思い浮かばなかった。ハッキリ言って、今の東京は他国の都市と比べ、相当にいい状況にあるからだ…少なくとも、見てくれは。

 もちろん、完全に普段どおりとはいかない。オリンピックともなれば各国のVIPが来る。それを狙うテロリストも来るだろう。興奮したフーリガンが暴れるかもしれない。だから、警察は公安も刑事も特別警戒態勢を取るだろう。でもこれは東京に限ったことじゃなく、どこのオリンピックでも同じだ。

 海外旅行から帰って日本の街に出ると、まず気がつくのが、街がキレイで清潔だという点。空き缶や空き瓶が転がっていない。古新聞も風に舞っていない。タバコの吸殻すら、ほとんどない。清潔さも偏執的で、松屋のような庶民の台所でさえ、カウンターがピカピカに光っている。これはチェーン店に限らず、定食屋も同じ。

 治安の良さも並外れていて、置き引きすらほとんどない。若い娘が夜に一人歩きできるのは、日本ぐらいだろう。街灯も整備され、感覚的にも危険を感じる場所がほとんどない。

 そして乗り物の正確さ。大抵の国じゃ列車の遅れが4分程度なら、遅延とは言わない。

 …と、ここまで考えて、やっと思いついた。東京の唯一みっともない点。それは、朝の通勤ラッシュだ。乗車率200%とか、明らかに人間の乗る環境じゃない。それでも滅多に事故が起きないのが、これまた不思議なんだけど。

 とまれ、これを取り繕うのは、相当に難しい。「列車に乗るな」なんて無茶だし、企業が承諾しないだろう。せいぜい、ラッシュ時の外国人記者の外出を規制するぐらいか? または競技の開始時間を調整し、ラッシュ時に移動しないで済むようにすれば、巧いこと誤魔化せるかも。

 など、思いつくのは通勤ラッシュぐらいで、他はあまり「見せて恥ずかしい所」は思い浮かばなかった。むしろキレイすぎて、「取り繕っているのではないか」と疑われかねないぐらい。実際、管理されすぎと感じることさえある。大道芸人はほとんどいないし、飲んだくれが寝転がってもいない。せいぜいが屋台があるぐらいで、それもかなり清潔だし。

 逆に私服刑事が物乞いのフリして巡回して、やっと他国の都市とバランスが取れるぐらいのレベルだったりする。

 社会的な風潮でも、ネットの都部じゃ激しい外国人差別があるが、街頭にまで出てくることは滅多にない。ネットにしたって、大半が日本語なので、大半の観光客や記者には意味が判らないだろう。日本人の多くは他国語が苦手だけど、それでも話しかけられたら大半の人は「何か困ってるのかな、なんとかしてあげたい」と考え、行動する。

 基本的にヨソモノに親切なのだ、東京の人間は…少なくとも、ヨソモノが「客」である限り。

 まあ、そんなわけで、日本政府と都知事は、通勤ラッシュをなんとかしてください。ホント、辛いのよ。

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2014年7月20日 (日)

デイヴィッド・クレイ・ラージ「ベルリン・オリンピック1936 ナチの競技」白水社 高儀進訳

「党とドイツの若者にとって、ベルリンでオリンピック大会を催すことは、国家社会主義の教義によって世界が征服された象徴なのである。もしオリンピックがベルリンで催されなければ、それは新生ドイツの国内で国家社会主義の名声が蒙る最も深刻な打撃の一つになるし、外部の世界が国家社会主義の教義についてどう考えているのかを、ドイツの若者に示す最も効果的な方法の一つになるだろう」
  ――ベルリン駐在アメリカ総領事ジョージ・メサースミス

【どんな本?】

 クーベルタン男爵の尽力により1896年のアテネ大会から始まった近代オリンピック。発足当初はあまり注目を集めず、予算も少なく、選手たちは参加するのに苦労した。だが次第に規模も大きくなり、選手たちの待遇も充実し、世界的にも注目を集め始める。

 第一次世界大戦の中断をはさみ再開したオリンピックは、1932年のロサンゼルス大会で斬新な試みを多数投入し、大成功を収める。ドイツ・オリンピック協会のテーオドール・レーヴァルトとカール・ディーム、そしてIOC会長のバイエ=ラトゥールは、次のベルリン大会も成功させるべく奔走する。

 だが、当事のドイツ首相アドルフ・ヒトラーはオリンピックを「フリーメーソンとユダヤ人の陰謀」と非難していた。そして諸外国は、急激に成長するドイツの国家社会主義に警戒を強めてゆく。

 様々な思惑が渦巻く中で開催された1936年のベルリン・オリンピックを、ナチスは政治宣伝に徹底的に利用する。近代オリンピックとIOCの歴史と内情・政治とスポーツの関係・話題の映画「オリンピア」創作秘話に加え、四冠王ジェシー・オーエンスを初めとするベルリン・オリンピックで活躍した選手たちのエピソードを豊富に収録した力作ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は NAZI GAMES - The Olympics of 1936, by David Clay Large, 2007。日本語版は2008年8月10日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約527頁+訳者あとがき4頁。9ポイント45字×20行×527頁=約474,300字、400字詰め原稿用紙で約1186枚。長編小説なら2冊分ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。読みこなすのに前提知識も特に要らない。敢えて言えば、第二次世界大戦前夜のドイツを中心とした欧州情勢がわかっていると、緊張感が増す。スポーツに関しても、テレビのオリンピックやワールドカップのダイジェスト番組を見て楽しめる程度の興味があれば充分。

【構成は?】

  • 序論 古代ギリシア人への架け橋?
  • 第1章 「より速く、より高く、より強く」
    アテネからアムステルダムまでの近代オリンピック
  • 第2章 ナチ登場
  • 第3章 ベルリンをボイコットせよ!
  • 第4章 冬季オリンピック
  • 第5章 ベルリンへ
  • 第6章 「燃えよ、聖火」  儀式ばった大会
  • 第7章 「黒人のパレード」  陸上競技
  • 第8章 プール、マット、リング、荒い波
  • 第9章 「オリンピア」
  • エピローグ 「オリンピックは続かねばならない」
  • 謝辞/訳者あとがき/原注に使われている略語

 原則として話は時系列順に進むので、素直に頭から読もう。やたら登場人物が多いので、できれば主要登場人物一覧か、人名索引が欲しかった。

【感想は?】

 著者の政治的なメッセージがハッキリと出ているので、人によっては不愉快かも。メッセージはこうだ。

 「1936年のベルリン・オリンピックを、ナチスは徹底的に政治宣伝に利用した。当時は足元が危ういヒトラー政権は、大規模なボイコットがあれば態度を変えただろう」

 よって、国家社会主義を支持する人や、オリンピックはボイコットすべきでないと考える人には、不愉快な本だろう。書評には評者の立場も影響するんで、私の立場も明記しておく。私は国家社会主義が嫌いだ。ボイコットについては、わからない。読む前は何も考えていないから、わからなかった。読んでから色々考えたが、やっぱりわからない。

 内容的には、競技の話が半分ほどで、政治やIOCの内情などが残りの半分を占める。書名やカバー・デザインは白水社の「地名○○19xx」シリーズみたいだが、ベースボール・マガジン社から出ても違和感がない本だ。

 選手では、やはり表紙にも出ている四冠王ジェシー・オーエンス(→Wikipedia)の話題が多い。走り幅跳び予選で最初の機会をウォーミングアップと勘違いしたアメリカのオーエンス、あせりまくって二回目もミスる。そこに声をかけたのがドイツのルッツ・ロング(→Wikipedia)。オーエンスを崇拝するロングは、たどたどしい英語で話しかける。

「あなたの実力なら数インチぐらい踏み切り板の前から跳んだって予選は通過できるでしょう」

 ヒトラーの人種差別政策への反発がボイコットにまで発展しそうだった経緯と、オーエンスが黒人である事実を考えれば、なかなか感慨深い。両者は競技後、腕を組んでトラックを歩く。「ナチのベルリンの通りだったら二人とも逮捕されうる振る舞いだった」。

 この話には後日譚がある。1951年8月22日、巡業でベルリンのオリンピック・スタジアムを訪れたオーエンスに、少年がサインを求める。少年はロングの息子だった。ロングは第二次世界大戦で戦死していた。オーエンスは語りかける。

「君と僕は話をして、お互いのことを知らなくちゃいけない」

 かくして遺族との友好は末永く続きましたとさ。

 やはり爽快なのが、イタリアの女子四百メートル障害物競走のトレビソンダ・「オンデーナ」・ヴァラ。当事のイタリアじゃ女性のスポーツは受け入れられず、ロサンゼルス大会では法王ピウス11世の反対で女子選手を送れなかった。「女は家」って発想。だがイタリアの宣伝になると考えたムッソリーニは、ベルリンに7人の女性を送り込む。

 見事金メダルを獲得したヴァラは…

「スポーツの成果を称えるイタリア金メダル」をムッソリーニから貰った。そして法王でさえ、彼女と握手をした。それは、イタリアの女性にとって大きな飛躍だった。

 ってな綺麗な話ばかりでなく、各種のインチキやえこひいきの話も沢山ある。競技ごとの性質も面白くて、選手・観客ともに血の気が多いアイスホッケーとサッカー、予めルール等を説明するために講演会まで開いたのにイマイチ盛り上がりに欠けた野球。日本人読者としては、マラソンのソン・ギジョン(→Wikipedia)が印象深い。

 個人が競う事を目指したクーベルタン男爵の理想は、各国のナショナリズムに飲み込まれてゆく。当初は消極的だったナチスも、態度を急変させ徹底的に政治宣伝に利用する。ヒトラーの宣伝が巧みで、合ったらしいメディアの利用に積極的だたった由は、ラジオの利用に現れている。「我が闘争」に曰く。

「その使い方を知っている者の手に落ちると、それ(ラジオ)は恐るべき武器になる」

 ってんで街頭にスピーカーを設置してオリンピック番組を流す。好評だったのはいいが…

スピーカーの欠点は、放送を聴こうと歩行者が立ち止まるだけでなく、乗用車やトラックの運転手も停車することが多く、交通警官にとって悪夢のような事態になったことである。

 オリンピックの宣伝効果に気づいたのは他国も同じ。ユダヤ人差別を非難する各国はボイコットを検討するが、足並みは揃わない。アメリカのユダヤ人団体は反対でまとまるが、おなじ被差別側の黒人は二派に分かれる。有色人種が表彰台に立てばチョビ髭オヤジの面子を潰せる、と。

 宣伝が目的だけに、一時的にヒトラーもベルリンじゃ体裁を取り繕う。反ユダヤの新聞を隠し、選手には尾行をつける。郵便物は徹底的に検閲し、カメラマンはドイツ人ばかり。その分、他では色々とサービスして…

 近代オリンピック揺籃期の驚きエピソードから始まり、ボイコットの賛否両論からスポーツ関係者の姿勢、商売熱心な開催地の住民、そしてレニ・リーフェンシュタールの問題作「オリンピア」制作秘話など、下世話で楽しい話題が満載。一見、おカタい本に見えるし、そういう部分もあるが、むしろ芸能・スポーツ系の本として楽しめる本だった。

 でもやっぱり、オリンピック参加のボイコットの是非は解が出せません、はい。

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2014年7月17日 (木)

「完本 池波正太郎大成6(鬼平犯科帳3)」講談社

「草雲雀、盗人宿の見張りかな」

【どんな本?】

 昭和のベストセラー作家であり、時代小説の大家・池波正太郎による、「剣客商売」と並ぶ代表シリーズ。テレビドラマや映画も好評で何度も映像化され、再放送もされており、多くの人に親しまれている。

 老中・松平定信が幕政改革に腕を奮っていた時代。大都会の江戸は、多くの無宿者や食い詰め浪人が集まり、犯罪は凶悪化していた。従来の町奉行・寺奉行では対処しきれないと判断した幕府は、広範囲に渡る犯罪捜査件を持つ組織・火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)を設け、頻発する組織犯罪に対応しようとしていた。

 その長官となった長谷川平蔵宣似(のぶため)、若い頃は荒れて「本所の銕」などと悪名を馳せた悪たれだが、世情に通じた智恵と人脈と柔軟な発想、そして熱心な取り締まりは江戸の悪党どもに恐れられ、鬼の平蔵・略して鬼平と呼ばれ恐れられてゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1968年にシリーズ開始。解題によると、この巻の収録作の初出は1975年雑誌「オール讀物」7月号~1978年11月号。文春文庫の「鬼平犯科帳」なら13巻~18巻までにあたる。完本は1998年8月20日第一刷発行。私が読んだのは2011年3月30日発行の第六刷。決して安くない本なのに、順調に売れてます。

 鈍器並みの重量の単行本ハードカバー縦2段組、本文ギッシリ約804頁。.8.5ポイント28字×25行×2段×804頁=約1,125,600字、400字詰め原稿用紙で約2814枚。文庫本で約6冊分の大容量。

 ベストセラー作家だけあって、読みやすさは抜群。元は誌連載の連作短編のためか、基本的には一話完結の構成なので、どこから読み始めても楽しめる親切設計。読み始めるのにも特に前提知識は要らない。テレビドラマの時代劇を楽しめる人なら、充分に楽しめる。

 ただしダイエット中の人は就寝前に読んではいけない。

【収録作】

熱海みやげの宝物/殺しの波紋/夜針の音松/墨つぼの孫八/春雪/一本眉/あごひげ三十両/尻毛の長右衛門/殿さま栄五郎/浮世の顔/五月闇/さむらい松五郎/雲竜剣(長編)/影法師/網虫のお吉/白根の万左衛門/火つけ船頭/見張りの糸/霜夜/鬼火(長編)/俄か雨/馴馬の三蔵/蛇苺/一寸の虫/おれの弟/草雲雀
 解題

【感想は?】

 やっぱりウサギこと木村忠吾は美味しい役だなあ。

 特撮の戦隊物ならイエローの役どころで、若手の同心。己の欲望に忠実で、飲む・食う・買う共に少々羽目を外しがち。その上で人なみにカッコつけようとするし、人なみに口が悪く、人なみにセコい。今なら「ちょいワル」なんだろうけど、どうしても三枚目になっちゃう。つまりは普通の人です。

 そんな木村が少しだけカッコよく見えるのが、「一本眉」。安くてうまい煮売り酒屋の治朗八を見つけ、入り浸っていた木村は、二つの眉毛が繋がった異相の五十男の常連客と意気投合、楽しく飲んでいたが…

 この木村と一本眉の、気のあった常連客同志の付き合い方・飲みっぷりが、なかなか粋といいうか。物語中では微妙に頼りない木村だけど、ここで彼が披露する、飲み慣れた者・遊びなれた者だからこそわかる切り上げ方が、「ウサギの遊び癖も無駄じゃないんだなあ」などと妙に関心してしまった。いろいろとトクな奴だよなあ。

 その木村と対を成す若手が、同心の細川峯太郎。「俄か雨」と「草雲雀」では、彼にスポットがあたる。勘定方の技に長け、主に役宅で黙々と書類仕事をこなす。荒っぽい体育会系の職務が多い同僚から嫌味を言われる事もあるが、にやにやと笑って受け流し、実直に職務に励むのみ。というと真面目一辺倒の若者のようだが…

 この人、木村と見事に正反対で。いいやどっちも微妙に頼りないのは同じなんだけど、口が軽すぎる木村と重過ぎる細川。アドリブ型の木村と段取り重視の細川。なんだかんだとツイでる木村とツイてない細川。対照的なだけに、やっぱりライバル意識もあったりする。

 など、少々頼りない若手に対し、万全の信頼感を示すベテランが、与力の佐嶋忠介。長編「雲竜剣」では、火付盗賊改方を総動員しての大捕り物が展開する。現場に采配にと忙しい鬼平の分身として、目立たないながらも頼もしい働き振りを見せてくれる。困ったときの佐嶋様として、コキ使われっぱなし。

 この長編「雲竜剣」は、その名の通り冒頭から息詰る剣劇が展開するアクション作品で、テレビなどの時代劇で殺陣の場面を見慣れていると、更に楽しめる。

 もう一つの長編「鬼火」は、むしろ謎ときと群像劇が面白い作品。謎ときと言っても推理物ではないんだけど。

 無愛想で無口な老夫婦が営む小さな店、「権兵衛酒屋」。鬼平の実母の実家・三沢家の当主である仙右衛門は、この店の酒が気に入り、鬼平にも話していた。ただここの親父、どうも昔は二本差しだったらしく、しぐさや姿勢が違う。通りかかった鬼平が、興味をそそられ入ってみると…

 謎の曰くありげな老夫婦と、彼らと旧知の間柄らしい品のいい老いた侍。やがて起きる血生臭い惨劇と、その陰に隠された陰謀。いかにも大金をかけた映画向きの、派手な展開と意外な真相で読者を引っぱる娯楽作品。こういう連作短編シリーズ物の中の長編は、お馴染みの顔ぶれが次々と登場するのが嬉しい所。

 といったレギュラー陣ばかりでなく、鬼平シリーズの読み所は、じっくりと書き込まれた盗賊たちの社会。まあ凄腕の火盗改が主人公に作品だけに、盗人は原則としてゲスト扱いなんだが、彼らの世界のしくみこそ、鬼平ワールド独特の魅力かも。

 じっくりと調べに時間をかけ、一滴の血も流さず鮮やかな技を披露する伝統的な盗賊団がいるかと思えば、押し込んだ先の者を皆殺しにする者もいる。この巻では、新たに「口合い人」や「嘗役」が出てくる。

 「口合い人」は、今でいう人材派遣業。といっても、盗賊専門。わはは。大掛かりな「盗め(つとめ)」は、やはり大人数が必要となる。手持ちの部下で足りない場合や、特定の役割を果たす者が必要な時は、この口合い人に仲立ちを頼んで人を回してもらう。

 なにせ世をはばかる世界だから、表沙汰には出来ない事も多いんだろう、などと考えると、いかにもありそうに思えてくるから巧い。昔気質のきれいな盗めに誇りを抱く者と、冷酷な手段も辞さない者の対立感情も、なんというか。

「だが、それですむだろうか、(略)人を殺して金を盗むなどとは、そりゃもう、外道のすることだよ」

 いやお前が言うなw

 阿佐田哲也の「麻雀放浪記」もそうなんだけど、こういう己の技に誇りを持つ悪党って、笑っちゃうけど面白いんだよなあ。

 「春雪」に登場する老いた掏摸(スリ)とかね。彼が誇りを持つ掏摸の三ヶ条の掟や、技を磨くための特訓とか、「んな事するなら真面目に働けよ」と言いたくなるんだが、なんであれ苦しい修行に耐えて見につけた技には、やっぱり誇りがあるんだろう、などと妙に納得できちゃたりする。

 いかにも胡散臭いし、作り話なのは判ってる。でもなんか納得させられるし、読んで騙されて楽しくて気持ちいい。こういう、「お話」そのものが持つ面白さが、このシリーズにはギッシリ詰まってる。

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2014年7月14日 (月)

ジェイムズ・ロジャー・フレミング「気象を操作したいと願った人間の歴史」紀伊國屋書店 鬼澤忍訳

「私は雨の注文を受けるたびに、風をおまけすることにしています。焼き肉料理をベイクドポテトが付いてくるようなものです。霧、霜、曇った日、オーロラは追加料金をいただきます。地震については、必要なときの二日前に予約をお願いします」
  ――ジャーマンホーン・モンゴメリー(創作上の人物)

いずれの時代であれ、天気や気候を支配しよおうとする人びとは最新の技術を活用する――爆発物、専売特許を持つ薬剤、電気や磁気を利用した装置など。20世紀の初めには航空機が、半ばにはレーダーやロケット工学が加わった。

「病的科学は決して過去の遺物ではない。実際、現在の文献にも多くの実例が見つかる。この種の『科学』の出現は、科学活動が増えるにしたがって、少なくとも直線的に増えると考えるのが妥当である」
  ――アーヴィング・ラングミュア、ノーベル化学賞受賞者

【どんな本?】

 大昔から日照りや洪水の度に、ヒトは天気を操作しようと雨乞い等の呪術に頼ってきた。産業革命以降は、雨乞いの踊りが鐘や大砲に変わった。航空機が登場してからは、薬剤をまいて雲を作る試みが加わる。他にも北極の氷を溶かす試みや、温暖化を防ぐため太陽光を遮る発想もある。

 天候を操作する。そう請け負う者には、真剣に取り組んだ者もいれば、ペテン師もいる。科学者や工学者が考えた案の幾つかは実際に試され、成功した試みもある。軍が兵器として開発・実施した案もあった。

 気候・気象には、どんなものがあったのか。彼らは、それをどのように売り込んだのか。売り込みは成功したのか。雨は降ったのか。効果はあったのか。どのように確かめたのか。実際に気候を操作した場合、どんな問題があるのか。人類は、今後どのように取り組むべきなのか。

 気候操作の歴史を辿りながら、オゾンホールや温暖化などの現代的な問題に対し、どう対応すべきかを提言する、一般向けの教養・啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Fixing the Sky - The Checkered History of Weather and Climate Control, by James Rodger Fleming, 2010。日本語版は2012年7月2日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約443頁+訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×18行×443頁=約342,882字、400字詰め原稿用紙で約858枚。長編小説なら長めの分量。

 文章は比較的に素直で読みやすい方だろう。科学と歴史(主に現代史)の本だが、特に前提知識は要らない。敢えて言えば、世界各地の地形が出てくるので、大縮尺の世界地図があると便利かも。

【構成は?】

  • はしがき/序論
  • 第一章 支配の物語
    パエトンの大失敗/『失楽園』と『地獄篇』/マンダン族の雨乞い師/残す者と奪う者/サイエンス・フィクション/ジュール・ヴェルヌとボルティモア・ガンクラブ/マーク・トウェイン――気候を支配して販売する/南極の難破船/巨大な天気シンジケート/喜劇的な西部劇/メキシコ湾流を曲げる/地球を揺さぶる/空気トラスト/レインメーカーの話/スカイ・キングとインディアンの雨乞い師/ポーキー・ピッグとドナルド・ダック/雨の王ヘンダソン/猫のゆりかご
  • 第二章 レインメーカー
    「大気の」科学革命/大火災と人工火山/エリザ・レスリーの「雨の王」/大砲と鐘/戦争と天気/戦闘をそっくり真似る
  • 第三章 レインフェイカー
    雪と戦う/雹への砲撃/ハリケーンを撃つ大砲/カンザスとネブラスカのレインメイカー/「不運なレインメイカー」/チャールズ・ハットフィールド、「雨を呼ぶ男」/天気に賭ける/アメリカ西部に雲の種をまく/死のオルゴン/プロヴァクア
  • 第四章 霧に煙る思考
    電気的方法/帯電した砂/第一ラウンド――デイトン/第二ラウンド――アバディーンとボーリング/第三ラウンド――ハートフォード/「人工降雨」というビジネス/マサチューセッツ工科大学による霧の研究/ファイドー――力ずくで霧を消滅させる方法/最初に成功した実験/ファイドーの実用化/ファイドーの余波/未来の大気
  • 第五章 病的科学
    煙を吐き出す/液体と個体の二酸化炭素/昔日のレインメイカー/GE、世界に公言/訴訟の脅威/巻雲プロジェクト/ハリケーン・キング/ヨウ化銀/ニューメキシコ州での種まき/病的な情熱/商業的な雲の種まき/大災害
  • 第六章 気象戦士
    戦争と戦闘における気象/科学と軍事/気象学と軍事/冷戦中の雲の種まき/軍の研究/一般の認識/ストームフューリー計画/インドシナでの雲の種まき/ENMOD――環境改変兵器禁止条約
  • 第七章 気候制御をめぐる恐怖、空想、可能性
    恐怖/空想/大衆化/ハリケーンの制御/ソヴィエト連邦の無想/北極を温める/アフリカに水を取り戻し、電気を供給する/宇宙鏡と塵/爆弾を投下せよ/ハリケーン・ウェクスラーと気候制御の可能性/オゾン層に穴を開ける
  • 第八章 気候エンジニア
    地球工学とは何か?/テラフォーミングとその先/倫理的意義/防護、予防、製造/気象の持つ力/米国科学アカデミー――1992年/海軍のライフル・システム/海洋の鉄肥沃化/人工樹木、別名ラックナー・タワー/アイディアのリサイクル/王立協会の煙幕/実地実験?/中道
  • 謝辞/訳者あとがき/註/参考文献/索引

【感想は?】

 私はSFが好きだ。「北極海の氷を溶かすなんて」稀有壮大は話はワクワクする。

 が、しかし。落ち着いて考えると、本当にやっちまったら、大変な事になる。海水面が上昇し、まさしく「華竜の宮」の世界になり、日本列島は日本群島になってしまう…ロシアはシベリアが穀倉地帯になってウハウハだけど。

 気象・気候操作に対する著者の姿勢は慎重だ。「後先考えず無茶すんな、どんな害があるかわからん」だ。つまり、私のような向こう見ずを諌める立場である。

 出てくるのは、北米インディアンの雨乞いから、19世紀のペテン師、そして20世紀のGEの科学者や米軍など、アメリカ合衆国の話が中心だ。その大半がペテンか、効果が疑わしい例が大半を占める。それも仕方がないのだ。仮に雨が降ったとして、それは自然現象なのか、レインメーカーが成功したからなのか、わからないからだ。

 そういう点では、この本はペテン列伝としても読める。

 例えば。19世紀には、大砲が雨を呼び寄せる、という発想があった。「空気の振動が水蒸気の凝集を招き、雲ができる」と。実際、大規模な戦闘の後では、雨が降る事が多いではないか。

 これに対し、物理学者のウイリアム・ジャクソン・ッハンフリーズが、こう反論している。「軍は天気のいい時に大規模な戦闘をすべく計画する。そして北米や欧州では、3~5日ごとの周期で雨が降ったり晴れたりする」。つまり戦闘の時に晴れていれば、数日後には雨が降る周期になるわけだ。

 こう冷静に説明されれば納得するが、ヒトは「最新技術」に弱い。当時は大砲だったが、やがて航空機やドライアイスになり、しまいには水爆まで持ち出す。この本は天候操作だけだが、今の日本だってタキオンだマイナスイオンだトルマリンだと奇妙なネタは幾らでもある。そういうコトガラの、大掛かりなシロモノが沢山出てくるのが楽しい。いや結構税金を無駄遣いしてる話もあって、笑ってばかりはいられないのだけれど。

 実際に成功した例もある。うち一つは1940年代にGEが成しとげた、「雲の種まき」だ。最初はドライアイスで、次にヨウ化銀を使い、航空機でバラ撒いて雲を作っている。ちなみにヨウ化銀で登場するのは、バーナード・ヴォガネット。作家カート・ヴォネガットのお兄さん。そのバーナード兄さんは、広範囲にヨウ化銀をバラ撒く事の害を懸念している。

 残念ながらこの作戦、費用対効果を考えるとモトが取れないらしく、あまり大掛かりには行われていない…ことになっている。ベトナム戦争で秘密にやってたらしいけど。

 現実に役に立ったのは、イギリスのファイドー。第二次世界大戦中、霧の多いイギリスでは空軍の活動が制限された。そこで、空港近辺の霧を晴らすために、空港周辺にバーナーを並べ石油を燃やし、炎で霧を晴らす。戦争の役には立ったが、費用がバカ高い(一時間あたり44,500ポンド)ので、民間空港では計器着陸が定着しましたとさ。

 私の好きな、大法螺話は終盤になってゴロゴロと出てくる。水爆で北極海の氷を溶かしたり、コンゴ川を堰き止めてコンゴの国土を水面下に沈めたり、オゾン層を破壊して成層圏を冷やしたり、海の鉄分を増やして植物プランクトンを増殖させ、二酸化炭素を吸収させたり。実に楽しい…SFとしては。

 ただ、現実にやると、いささか困った事になる…かも、しれない。そもそも、天気予報が外れるように、どんな結果になろうとも、それが自然現象かヒトの手によるものかわからない。どんな副作用があるかもわからない。そして、利益を得る者もいれば損をする者もいる。いったい誰が損得を決める権限を持つのか。

 この本では大規模な気候操作の話ばかりだけど、実は既にダムや運河で、ヒトは気候に干渉しているのだ。アフリカじゃ過放牧で砂漠が広がってたり、気流・海流に加えて生物活動・経済活動も勘定に入れると、気象の予測は更に難しくなる。

 ペテンの手口の紹介、政府や軍の愚行、そしてSF的な大法螺など、興味深いネタが詰まった本だった。

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2014年7月 9日 (水)

エリック・ハズペス「異形再生 付『絶滅動物図鑑』」原書房 松尾恭子訳

 博士の主張の中でとりわけ物議を醸したのは、伝説の動物の多くは実在した、というものだった。さらに博士は、奇形を持つ人の中には、伝説の動物の遺伝子を持つ人がいる、という考えも示した。研究チームの仲間であるホレース博士は、博士の主張を真っ向から否定した。

 翼の移植に取り組み始めて数か月になるが、なかなかうまくいかない。筋肉、神経、皮膚、繊維性組織を、慎重に、最新の注意を払いながら縫合している……それなのに、翼は動かない。ペガサスは実在したのだ。そのことを照明するために、僕はペガサスを作っている
  ――スペンサー・ブラック博士

【どんな本?】

 スペンサー・ブラック、1851年生まれ。マサチューセッツ州ボストン出身。父親のグレゴリー・ブラッは、ボストン医療技術大学で尊敬を集める解剖学教授だった。父を亡くしたスペンサーは医学の道に進み、優れた才能を示し、将来を嘱望される。フィラデルフィア医学院の研究室Cでは、奇形の治療で画期的な実績を挙げてゆく。

 だが、彼の研究は、あらぬ方向へと突き進み、やがて医学会から忌諱される存在へとなってゆく。

 医学の進歩の陰に葬り去られた異端の医師、スペンサー・ブラック博士の謎めいた生涯を掘り起こすと共に、彼の残した最後の出版物「絶滅動物図鑑」を収録した、医学史上の貴重な資料である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Resurrectionist - The Lost Work of Dr. Spencer Black, by Eric Hudspeth, 2013。日本語版は2014年5月30日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組みで約215頁。9.5ポイント48字×18行×215頁=約185,760字、400字詰め原稿用紙で約465枚だが、後半はブラック博士による図鑑なので、実質的な文字数は半分程度。小説なら中編の分量。

 はっきり言って、読む本じゃない。この本のハイライトは、後半の「絶滅動物図鑑」。スペンサー・ブラック博士の詳細なスケッチを、じっくりとご覧あれ。

【構成は?】

スペンサー・ブラック博士の生涯
 1851-1868 子供時代
 1869 医学院
 1870 研究室C
 1871-1877 結婚と変化
 1878 山羊少年
 1879-1887 アメリカン・カーニヴァル
 1888-1908 ニンゲンルネサンス

『絶滅動物図鑑』
 有翼スフィンクス
 セイレン・オケアノス
 山羊サテュロス
 ミノタウロス・アステリオン
 東洋ガネーシャ
 火吹キマイラ
 冥界イヌ
 ペガサス・ゴルフゴネス
 東洋ドラゴン
 馬ケンタウロス
 ハルピュイア・エリニュス

【感想は?】

 そう、この本のハイライトは付録の『絶滅動物図鑑』にある。

 どんな内容かというと、実は表紙を見れば一発でわかる。こんな事なら Amazon のアソシエイトIDを取っておけばよかった。今更、遅いが。

 『絶滅動物図鑑』。先の【構成は?】をご覧いただけば判るように、明らかにヘンだ。スフィンクス/セイレン/サテュロス/ミノタウロス…。みんな、伝説の化け物ばかりだ。これらを、「今は絶滅してしまった生物」として扱い、繊細なスケッチを吸えて図鑑にしたのが、この本である。

 目次で判るように、「東洋ガネーシャ(→Wikipedia)」や「冥界イヌ(ケルベロス、→Wikipedia)」も、一つの種として扱っているのが、シャレの利いてる所。いや普通、思わないでしょ、ガネーシャが群れなして繁殖してる所とか。でもサテュロスやミノタウロスは群れていても違和感がないんだよなあ。なんでだろ?

 これらの動物を、解剖学の教科書っぽく、まずは生真面目に生物学の界/門/網/目/科/属/種と分類してゆく。スフィンクスってネコ科かい。

 まあ、ここまでは序章。本当の驚きは、次の頁をめくった時にやってくる。図鑑らしく、なんとスフィンクスの骨格のイラストが描かれているのだ。しかも、尺骨だの肩甲骨だの仙骨だのと、本当の解剖学の研究書みたく、キッチリ骨の名前までつけて。

 このイラストがまた、いかにも解剖学の教科書に出てくるような、鮮やかでリアルなイラストなのが嬉しいところ。

 骨格ばかりでなく、次の頁には全身の筋肉の図解が出てくる。これもまた、小翼内転筋だの大指内転筋だのと、いかにもソレっぽくデッチ挙げているのがいい。だけでなく、筋肉のつき方も、じっくり見ると、なんか理屈にあってるような気がしてくる。

 スフィンクスはヒト+ライオンで哺乳類同志だから、なんとかなるかも知れないけど、次のセイレンはヒトと魚を一体化させようとする無茶っぷり。ところが、イラストを見てると、なんか本当にいそうな気がしてくるからたまんない。

 とまれ、こうやって骨格で見せられると、「これ根本的にデザインが間違ってるだろ」とか思っちゃったりもする。ケンタウロスだ。いやあなた、全身の骨格のイラストを見ると、肋骨群が二つあるんですね。ヒトの胸と馬の胸。とすっと心臓や肺も二つあるわけで…

 などと屁理屈をいくら並べても、この本の面白さは伝わらないのが悔しい。絵の持つ衝撃こそが、この本の面白さ。伝説の化け物の骨格標本を、徹底して生真面目な学術書のフリして出したのが、この本のシャレが利いてるところ。表紙を見てピンと来たら、後半をパラパラとめくってみよう。

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2014年7月 7日 (月)

ドミニク・ラピエール「愛より気高く エイズと闘う人々」飛鳥新社 中島みち訳

「もし516号室の患者の病気が、アイオワあたりの発展に取り残されたような町で起きていたら、おそらくは誰も気付かなかったでしょう」と、若い免疫学者マイケル・ゴットリーブは言った。「医師たちは、あっさりこう結論づけたでしょうね。『この男は何か訳のわからぬ不可思議な病気にかかっている』と。彼は死んでしまい、それで終わり、というだけのことです」

【どんな本?】

 1980年10月、ロサンゼルスのUCLA病院にテッド・ピーターズが入院する。飲み食いが困難で、オレンジジュースさえ飲めない。食道に微小な真菌が異様に増殖しているのが、検査でわかった。だが最も異常な点は、白血球が極端に少ない事だった。

 ガンジスの岸辺では、13歳の少女アナンダがいつもの仕事のため川底に潜っていた。ガンジスの岸辺では死者が火葬される。運がよければ、川底から指輪や金歯が見つかるのだ。

 1981年の春。アトランタの<寄生虫病薬品サービス>のサンディ・フォードは、異変に気付く。ペンタジミンの注文が異様に多い。春先なのに、昨年の倍の発注が既に来ている。なぜ寄生虫による特定の肺炎の薬が、突然こんなに必要とされるんだろう?

 1980年代初頭のショッキングな話題だったエイズ。当時は同性愛者特有の病気と思われ、治療法も見つからなかった。医師たちは、どのようにしてエイズを発見したのか。その病因を、どうやって突き止めたのか。治療薬が生まれるまでには、どんな経緯を辿ったのか。

 そして患者にはどんな人がいて、どんな人生を送ったのか。彼らは自らの運命に対し、どう対応したのか。未知の病気に対し、合衆国政府や庶民はどんな対応をしたのか。なすすべのない患者に対し、看護に当たる者はどんな気持ちでどう接したのか。

 「おおエルサレム!」「パリは燃えているか」「歓喜の街カルカッタ」などの傑作ノンフィクションを著したドミニク・ラピエールが、患者・開業医・研究者・医薬品業界・合衆国政府の医療管理部門・看護師・患者の家族など、当事エイズに関わったあらゆる人々に取材し、その発見から対応薬が市販されるまでの経緯を再現する、重量級の医療・社会ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Plus Grands Que L'Amour(仏語版) / Beyond Love(英語版), by Dominique Lapierre, 1991。日本語版は1993年5月12日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約464頁+訳者あとがき6頁。9ポイント45字×20行×464頁=約417,600字、400字詰め原稿用紙で約1044枚。長編小説なら2冊分の容量。

 著者のドミニク・ラピエールの文章は、独特のクセがあるのだが、読みにくい類のクセではない。なんというか、文体が「一つ覚え」なのだ。これ訳者が変わってもクセは残っているので、原著者のスタイルなんだろう。繰り返すが、読みにくい文体ではないので、あまり構えなくていい。

 内容も特に難しくない。敢えて言えば、DNAをはじめとする細胞の知識・ウイルスの増殖の方法・医薬品の認可の仕組みを知っていると、更に楽しめるが、知らなくても特に問題はない。

【構成は?】

  • 第1部 「それは『神の怒り』と呼ばれた」
    • 第1章 永遠の岸辺の少女 ベナレス(インド)1980年秋
    • 第2章 マウスとその処刑者 ロサンゼルス(アメリカ合衆国)1980年
    • 第3章 ゲリラ戦士の悩み深い変身 ラトルン(イスラエル)1980年秋
    • 第4章 「娘よ、紙はお前を呪われた」 ベナレス1980年秋
    • 第5章 516号室の謎 ロサンゼルス1980年秋
    • 第6章 ガンジス川の岸辺の愛の施設 ベナレス1980年秋~1981年春
    • 第7章 マジシャンと呼ばれる中国人医師の五人の不思議な患者 ロサンゼルス1980年秋~1981年冬
    • 第8章 性の解放運動に酔い痴れる人々の群れ サンフランシスコ-ニューヨーク1980年秋
    • 第9章 破壊的な新シンドローム ボストン(アメリカ合衆国)1981年2月
    • 第10章 マハラジャ宮殿での反乱 ベナレス1981年秋
    • 第11章 疫病と闘うコマンド アトランタ(アメリカ合衆国)1981年春
    • 第12章 もつれ合い奈落に落ちた二人 ラトルン1981年春
    • 第13章 ウィーンの医師カポジの奇妙な紫色の斑紋 ニューヨーク1981年春
    • 第14章 エール・フランスのスチュワードの最後の旅 パリ(フランス)1981年夏
    • 第15章 美しいマーサによる異常な死体解剖 アトランタ1981年夏
    • 第16章 「主よ、なぜ私にこんな罰を……?」 エルサレム(イスラエル)1981年秋
    • 第17章 リビドー(性衝動)の秘密を追求する猛烈な調査 アトランタ1981年秋
    • 第18章 人々が苦しんでいるところなら何処へでも カルカッタ(インド)1981年冬
    • 第19章 それは「神の怒り」と呼ばれた アトランタ1981年秋
    • 第20章 「不気味なゲイの疫病」への無関心 ベセスダ(アメリカ合衆国)1981年秋
    • 第21章 あの半人半獣神(フォーン)そっくりの天才 ベセスダ1982年冬
    • 第22章 「名声に安住しないで!」 ベセスダ1982年冬~春
  • 第2部 見えない敵と戦う魔術師の勝利
    • 第23章 世界をつなぐ愛の絆 アントワープ(ベルギー)1982年冬
    • 第24章 37号室に集まった世界各地からの研究者たち ベセスダ1982年夏
    • 第25章 ファッション・デザイナーが科学者を助けにくる パリ1982年秋~1982年冬
    • 第26章 <死を待つ人々の家>で カルカッタ1982年秋~1983年冬
    • 第27章 殺し屋の宿主たちの快適な一夜 パリ1983年冬
    • 第28章 一体どのくらいの死者が出れば? アトランタ1983年冬
    • 第29章 「輝かしい老婦人よ、叛旗をひるかえして!」 カルカッタ1983年冬
    • 第30章 かつての洗い場から生まれた壮大な業績 パリ1983年冬
    • 第31章 新しい一日を迎えれば、また一つの不幸が ニューヨーク1983年冬
    • 第32章 二人の気の毒な修道女のために祈るイスラエルの11人の修道士 ラトルン1983年冬
    • 第33章 凶悪なウイルスを死滅させないようにとの時間との競争 パリ1983年冬
    • 第34章 「私を蘇生させないこと」 ニューヨーク1983年冬
    • 第35章 ボーイングジェット機で運ばれた無敵のレトロウイルス パリ1983年冬
    • 第36章 かわいそうなインド人シスターの苦痛 カルカッタ1983年冬
    • 第37章 小さな黒い球体にみはる驚異の目 パリ1983年冬
    • 第38章 「サム、このウイルスが子供たちに感染する危険があるのかしら?」 ベセスダ1983年春~夏
    • 第39章 レトロウイルス界の大立者への反逆罪 コールド・スプリング・ハーバー(アメリカ)1983年春
    • 第40章 我々こそ勝利を得ることだろう パリ-ベセスダ1983年春~夏
    • 第41章 奇跡を求めての巡礼 ラトルン1983年夏
    • 第42章 オペラファンの紫色の斑紋 ニューヨーク1983年春~夏
    • 第43章 大西洋を挟んでの容赦なき競争 ベセスダとパリ1983年春~1985年冬
    • 第44章 エイズの闇への最初の光 ベセスダ1984年秋
  • 第3部 希望の光を掲げる人々
    • 第45章 ウイルスを殺す薬を リサーチ・トライアングル・パーク(アメリカ合衆国)1984年春
    • 第46章 共同研究のハネムーンはさんざんだったが… リサーチ・トライアングル・パーク1984年秋
    • 第47章 「勝利への小さな一歩になるかも」 リサーチ・トライアングル・パーク1985年早春
    • 第48章 摩天楼の陰の<死を待つ人々の家> ニューヨーク1985年夏
    • 第49章 死の淵から蘇った女のためのミンクのコート ロックヴィル(アメリカ合衆国)-ベセスダ1985年春~秋
    • 第50章 愛され、差別されていないと感じられるように ニューヨーク1985年秋
    • 第51章 悲劇を防ぐ100ポンドのニシンの精子 ベセスダ-リサーチ・トライアングル・パーク1985年秋
    • 第52章 白いサリーを纏った特別行動隊への空からの歓迎 カルカッタ-ニューヨーク1985年秋~1986年冬
    • 第53章 来年エルサレムで ニューヨーク1985年秋~1986年冬
    • 第54章 これも人生だ、闘ってこそ ニューヨーク1985年クリスマス~1986年冬
    • 第55章 ロシアン・ルーレットにも似た試験 パイン・ニードル・ロッジ(アメリカ合衆国)-ベセスダ1985年秋
    • 第56章 あなたの胸の十字架はあなたを守ってはくれませんよ ニューヨーク1986年冬
    • 第57章 重病人のための日本のキノコと中国の瓜 ニューヨーク1986年2月
    • 第58章 少量の苦いカプセルのための281人の被験者 ニューヨーク/ロサンゼルス/マイアミ/サンフランシスコ1986年春~秋
    • 第59章 「あなたの愛ほど気高いものはない」 ニューヨーク1986年秋
  • エピローグ 1990年
  •  訳者あとがき

 時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

【感想は?】

 相変わらずドミニク・ラピエールの著作、膨大な取材が支えるバラエティ豊かな本で、読み所は多い。

 物語は、一見何の関係もなさそうなガンジスの河畔で始まる。インド独立を扱った「今夜、自由を」以来、インドに入れ込んだラピエールらしく、ここで描かれるインドの最底辺の人々の暮らしは、すえたすっぱい臭いが漂ってきそうな迫真感がある。

 ここでの主人公アナンダが辿る数奇な運命は、この長い物語の終盤でエイズと関わってくる。お話は順々に進むので気付きにくいが、改めて考えると、凄まじいまでの医療の地域格差を感じてしまう。

 世界的に古文書にすら記録が残り、多くの人々が苦しんできた病気で、半世紀以上も前に治療薬ができているのに、適切な知識が流布していないが故に、人生が大きく変わってしまうアナンダ。つい最近に発見され、大きな話題になったがために、政府まで動かして治療法を模索する合衆国のエイズ患者たち。この格差はなんなんだ。

 今まで人類が苦しみ、なす術もなかった天然痘やペストなどに比べると、エイズの発見と対策は実にスピーディーで効率的である。なぜ、こんなに迅速な対応が可能になったのか。

 読んでみると、そもそもエイズは、それが特定の病因によるものである事を突き止める事すら、難しい病気なのだとわかる。症状が決まっていないのだ。

 飲食物が喉を通らなくなるカリニ肺炎、皮膚に潰瘍ができるカポジ肉腫など、様々な珍しい感染症に次々と感染する。当時はエイズなんて知られていないから、医師から見ると「次から次へと感染症にかかる面倒な患者」にしか見えない。これが「どうやら一つの病気の様々な症状らしい」と気付いたのは、開業医なのだ。

 当時は同性愛者独特の病気だと思われたエイズ。それが蔓延した、そして存在が明らかになった原因の一つが、アメリカの同性愛者の独特の文化・社会にあるのも、なかなか皮肉なところ。お盛んなんてモンじゃない。独特の社会を描くという点では、先のインド・アメリカの同性愛者に続き、開業医と研究者の関係も読みどころのひとつ。

 そして、科学ドキュメンタリーとして面白いのが、肝心のウィルスを特定するあたり。ややこしい事に、HIVは普通のウイルスじゃない。レトロウイルス(→Wikipedia)なのだ。普通の生物やウイルスはDNAを持つ。だがレトロウイルスはRNAしか持っていない。セントラルドグマ(→Wikipedia)に逆らう異端者なのである。

 ここや後の治療薬開発で描かれる、研究風景もなかなか楽しかった。小難しい数式や分子式をいじってるだけかと思ったら、とんでもない。頭を使うのは研究を発案・計画する段階で、実際の実験は、繊細だが単調な作業を、正確第一に黙々と繰り返す地道なもの。少しづつ条件の違う大量のサンプルに対し、ひたすら同じ作業を適用し観察する。

 医学的な面でのクライマックスは、治療薬を開発するプロセスだろう。

 医薬品の認可には、数年単位の長い時間がかかる。これにはちゃんと訳があって、薬効だけでなく副作用の有無も調べなきゃいけないからだ。作用で病気は治っても、副作用で命を落としたら意味がない。なんたって闘病生活の長い患者に投与するのだ。健康な者には不快な程度の副作用でも、体力の落ちた者には致命傷になりかねない。

 投薬当初は問題がなくても、遠い将来に大きな副作用が出る可能性もあるし、プラシボ(→Wikipedia)効果もある。だから長い予後の観察が必要だし、面倒くさい二重盲検も義務付けられている。

 ってんで、政府は医薬品に厳密な検査を義務付ける。これで医薬品の安全性は保障され、医師も患者も安心して薬に頼れるのだ。だが、今現在、病気の末期症状に苦しんでいる者にとっては、どうなのか。薬がなければ一ヶ月に死ぬ者にとって、二ヵ月後の副作用なんかどうでもいい。

 とすると、末期症状の患者に対する二重盲検は、果たして許されるのか。「医学の進歩のため死んでくれ」と言えるのか。これをすり抜けようとする患者と医師のあの手この手の駆け引きは、笑えるやら悲しいやら。

 などの科学を中心とした医療の話と鮮やかな対照を成すのが、インドの少女アナンダを中心とした「看取る者」の物語だ。運命に対し、あくまでも抗おうとするアメリカの人々と、それをいかに安らかに受け入れるかを模索するマザー・テレサたち。

 というと、使い古された「西洋 vs 東洋」「科学 vs 宗教」の構図になりそうだが、そこはご安心を。多角的な視点で描くドミニク・ラピエールだけに、あくまで「考える材料」を与えるラインに踏みとどまり、脅威と衝撃、そしてかすかな希望を灯す描き方をしている。

 人類が歴史の中でどれほど結核や赤痢に苦しんできたか、それを考えればエイズの発見と治療薬開発は瞬く間の出来事だ。にも関わらず、我々は迅速な治療法の開発を求めてやまない。あくまでエイズを中心に扱った作品だが、アナンダの運命を振り返ると、もう少し高い視点で見直すことができる。

 なぜ最初の登場人物としてアナンダを選んだのか、それを考えながら読んで欲しい。

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2014年7月 4日 (金)

上田早夕里「深紅の碑文 上・下」ハヤカワSFシリーズJコレクション

「何が綺麗な終わり方だ。最後まで足掻くのが人間だろうが!」

【どんな本?】

 「華竜の宮」「リリエンタールの末裔」と大ヒットを飛ばした若手SF作家・上田早夕里による、先の2作と同じシリーズに属する長編SF小説。

 リ・クリティシャス=海水面上昇により陸地が縮小し、生きるために手段を選ばぬ人類は、二つの方法で海に進出する。海上都市を建設して住む陸上民と、身体そのものを海に適応させた海上民。そのに、更なる凶報が飛び込む。ホットプルームの上昇による地形と気候の大異変が近い。早ければ10年、遅くとも50年程度で「プルームの冬」が訪れるだろう。

 大異変を前に、生き延びるための資源を巡る争いが激化してゆく。静かに終末の時を待つもの、その時まで今までの生き方を続けようとする者、生き延びるための闘争に身を投げる者、少しでも多くの人を救おうと奔走する者、そしてしぶとく恒星間航行を実現しようと粘る者。

 いつかは判らないが必ず訪れる終末を目の前にして、それぞれの生き方に殉じ必死に足掻く人類の姿を描く、重量級の長編SF小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年12月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦二段組で上下巻、本文約355頁+約391頁=約746頁。8.5ポイント25字×19行×2段×746頁=約708,700字、400字詰め原稿用紙で約1772枚。文庫本の長編小説なら3冊分ちょいぐらいの分量。

 文章はこなれている。内容は「華竜の宮」の続編に近いので、読んでおこう。スケール感の大きい本格派の傑作です。また「リリエンタールの末裔」の登場人物も、ちょっと顔を出す。

 SFとしての仕掛けで重要なのは、プルーム・テクトニクス(→Wikipedia)と、それが引き起こす「プルームの冬」ぐらいか。マントル内の対流で熱いマントル塊が上昇、火山活動が活発になる。噴火で大気中に撒き散らされた火山灰やエアロゾルが太陽光を遮り気候が寒冷化する(→Wikipediaの火山の冬)現象の、大規模なもの。

 気温低下→海面の氷結→氷が太陽光を反射して更に気温が下がる、という困った悪循環が続き、下手すっと地球全部が雪玉になるスノーボール・アース(→Wikipedia)状態の氷河期になってしまう。

【どんな話?】

 プルームの冬が引き起こす<大異変>のニュースは、少しずつ人々に浸透してゆく。「発生は10年後~50年後」という時期が不明瞭な予言が引き起こす反応は、様々だった。だが、備蓄へ回す物資が増えた分、資源の争奪は次第に激しさを増し、陸上民と海上民の対立は深刻の度を深めてゆく。

 対立を象徴するのが、武装した海上民の組織ラブカだ。従来のシガテラ(海上強盗団)とは異なり、魚舟に加え機械船や潜水艇までも備えている。一族を養うために船を襲い、ダックウィード(海上商人)に売り飛ばして必要物資を仕入れている。

 海上民の避難場所としての海上都市マルガリータ・コロニーの建設を軌道に乗せた清澄・N・セイジは、日本外務省を退職する。陸上民と海上民の橋渡しを目的とした民間の救援団体パンディオンを設立し、理事長として奔走する。

 同じ頃、核融合エンジンを備えた恒星間宇宙船を、25光年先の地球型惑星へ200年かけて飛ばそうとする民間団体があった。DSRD、深宇宙研究開発協会。

【感想は?】

 目的は本能で、手段は理性で。

 「プルームの冬」による氷河期到来を間近に控えた時、人類はどう行動するか。これだけなら、結構ありがちかもしれないが、このシリーズは一ひねり入れてある。魚舟と共棲する海上民だ。

 海面上昇により海に進出せざるを得なくなった人類が生み出した、新しい人類が海上民。海上・海中の生活に適応し、生涯のパートナーとなる魚舟に住む。彼らと、従来の人類の末裔である陸上民の軋轢が、この物語の大きな柱となる。

 両者の界面をなす者は、大きく分けて三種。ひとつはダックウィード=海上商人。商売人だから、モノが売れるなら何処にでも出向く。主に海上民相手に商売をやってるのが、ダックウィード。この作品では縁の下の力持ちとして、商売を目的としながらも、両者の潤滑油または交換機としての役割を果たしてゆく。

 次は前作「華竜の宮」でも主人公を務めた、清澄・N・セイジ。救援団体パンディオンの理事長として、陸上民から海上民へ手を差し伸べる役割を受け持つ。圧倒的な政治力・軍事力・経済力・産業力を誇る陸上民の立場で、どこまで海上民の理解を得られるか。

 そして、最後にラブカだ。資源の争奪戦に巻き込まれ困窮する海上民の中から、武器を取って陸上民から奪う手段を選んだ者たち。暴力&略奪という原始的な形ではあるけれど、彼らもまた海上民と陸上民の重要な界面をなしてゆく。

 ここで、なるべく平穏な手段で多くの者を共存させようとする清澄と、徹底して海上民の生き方を追及した結果としてラブカとなるザフィールの対照が光る。あくまで交渉による利害調整で、非暴力的な協調を模索する清澄。そんな清澄を横目で見ながら、自らの手を血で染めてでも海上民としての生き方を貫こうとするラブカのザフィール。

 一見、光と影のように見える両者だが、いずれも陸上民と海上民の界面に居る。理知的な印象を受ける清澄だが、自らの人生を一つの目的に捧げる生き方は、理性で定めたにしては、あまりに頑なだ。ザフィールの生き方も頑なだが、成り行き任せに見えながら常に最善を尽くすその手腕は、極めて理知的でもある…むしろ狡猾と言うべきか。

 などと、手段は対照的ながらも、終末を前に生存を賭け最善を尽くそうと足掻く両者に対し、全く違った生き方を選んでいるのが、星川ユイをはじめとするDSRD=深宇宙研究開発協会の面々。誰もが生き延びようと必死の中で、恒星間航行なんぞという夢物語に貴重な資源を浪費しようとする輩。

 と書くと、まるで悪役のようだが、そこはSF。彼らの台詞を読む度に、何度「そうだ、そうなんだよっ!」と拳を握り締めたことか。ナントカと煙は高い所が好きとかあるけど、しょうがないじゃん、好きなんだから。特にユイの「先生」となる人物が、エンジニアリングの道に踏み入った際の体験とかね。そりゃもう、何度も感じた事で。

 こっちにだってスケジュールってもんがあってね。納期には、何があろうとキチンと動くモンを渡さなきゃいけない。そおりゃある程度のサバは読んじゃいるが、限度ってモンがあるわけで。ダメなのは一箇所だけでも、製品としちゃ全部ダメなのよ。教えるのは手間でも、そりゃ一回だけの手間。成長してくれりゃデカいお釣りが来るわけだからブツブツ…

 などと思い出に浸りつつ愚痴りたくなるベテランのエンジニアは多かろう。多いよね、私だけじゃないよね、きっと。

 確実にやってくる終末を前にして、人類はどう足掻くのか。見た目どころか身体機能まで違う陸上民と海上民は、どうやってどこに落としどころを見つけるのか。会議室に上がってくる数字と、現場で見る生々しい現実との違いを、どう折り合いをつけるのか。そして、人類とは、どんな生き物なのか。

 個々の人間をケーススタディとして提示し小説としての体裁を整えながら、それぞれの生き方を通じて人類そのものを描こうとする、SFの王道手法を駆使して編み上げた、壮大な叙事詩。やっぱりSFはこうでなくちゃ。

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