「完本 池波正太郎大成6(鬼平犯科帳3)」講談社
「草雲雀、盗人宿の見張りかな」
【どんな本?】
昭和のベストセラー作家であり、時代小説の大家・池波正太郎による、「剣客商売」と並ぶ代表シリーズ。テレビドラマや映画も好評で何度も映像化され、再放送もされており、多くの人に親しまれている。
老中・松平定信が幕政改革に腕を奮っていた時代。大都会の江戸は、多くの無宿者や食い詰め浪人が集まり、犯罪は凶悪化していた。従来の町奉行・寺奉行では対処しきれないと判断した幕府は、広範囲に渡る犯罪捜査件を持つ組織・火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)を設け、頻発する組織犯罪に対応しようとしていた。
その長官となった長谷川平蔵宣似(のぶため)、若い頃は荒れて「本所の銕」などと悪名を馳せた悪たれだが、世情に通じた智恵と人脈と柔軟な発想、そして熱心な取り締まりは江戸の悪党どもに恐れられ、鬼の平蔵・略して鬼平と呼ばれ恐れられてゆく。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
1968年にシリーズ開始。解題によると、この巻の収録作の初出は1975年雑誌「オール讀物」7月号~1978年11月号。文春文庫の「鬼平犯科帳」なら13巻~18巻までにあたる。完本は1998年8月20日第一刷発行。私が読んだのは2011年3月30日発行の第六刷。決して安くない本なのに、順調に売れてます。
鈍器並みの重量の単行本ハードカバー縦2段組、本文ギッシリ約804頁。.8.5ポイント28字×25行×2段×804頁=約1,125,600字、400字詰め原稿用紙で約2814枚。文庫本で約6冊分の大容量。
ベストセラー作家だけあって、読みやすさは抜群。元は誌連載の連作短編のためか、基本的には一話完結の構成なので、どこから読み始めても楽しめる親切設計。読み始めるのにも特に前提知識は要らない。テレビドラマの時代劇を楽しめる人なら、充分に楽しめる。
ただしダイエット中の人は就寝前に読んではいけない。
【収録作】
熱海みやげの宝物/殺しの波紋/夜針の音松/墨つぼの孫八/春雪/一本眉/あごひげ三十両/尻毛の長右衛門/殿さま栄五郎/浮世の顔/五月闇/さむらい松五郎/雲竜剣(長編)/影法師/網虫のお吉/白根の万左衛門/火つけ船頭/見張りの糸/霜夜/鬼火(長編)/俄か雨/馴馬の三蔵/蛇苺/一寸の虫/おれの弟/草雲雀
解題
【感想は?】
やっぱりウサギこと木村忠吾は美味しい役だなあ。
特撮の戦隊物ならイエローの役どころで、若手の同心。己の欲望に忠実で、飲む・食う・買う共に少々羽目を外しがち。その上で人なみにカッコつけようとするし、人なみに口が悪く、人なみにセコい。今なら「ちょいワル」なんだろうけど、どうしても三枚目になっちゃう。つまりは普通の人です。
そんな木村が少しだけカッコよく見えるのが、「一本眉」。安くてうまい煮売り酒屋の治朗八を見つけ、入り浸っていた木村は、二つの眉毛が繋がった異相の五十男の常連客と意気投合、楽しく飲んでいたが…
この木村と一本眉の、気のあった常連客同志の付き合い方・飲みっぷりが、なかなか粋といいうか。物語中では微妙に頼りない木村だけど、ここで彼が披露する、飲み慣れた者・遊びなれた者だからこそわかる切り上げ方が、「ウサギの遊び癖も無駄じゃないんだなあ」などと妙に関心してしまった。いろいろとトクな奴だよなあ。
その木村と対を成す若手が、同心の細川峯太郎。「俄か雨」と「草雲雀」では、彼にスポットがあたる。勘定方の技に長け、主に役宅で黙々と書類仕事をこなす。荒っぽい体育会系の職務が多い同僚から嫌味を言われる事もあるが、にやにやと笑って受け流し、実直に職務に励むのみ。というと真面目一辺倒の若者のようだが…
この人、木村と見事に正反対で。いいやどっちも微妙に頼りないのは同じなんだけど、口が軽すぎる木村と重過ぎる細川。アドリブ型の木村と段取り重視の細川。なんだかんだとツイでる木村とツイてない細川。対照的なだけに、やっぱりライバル意識もあったりする。
など、少々頼りない若手に対し、万全の信頼感を示すベテランが、与力の佐嶋忠介。長編「雲竜剣」では、火付盗賊改方を総動員しての大捕り物が展開する。現場に采配にと忙しい鬼平の分身として、目立たないながらも頼もしい働き振りを見せてくれる。困ったときの佐嶋様として、コキ使われっぱなし。
この長編「雲竜剣」は、その名の通り冒頭から息詰る剣劇が展開するアクション作品で、テレビなどの時代劇で殺陣の場面を見慣れていると、更に楽しめる。
もう一つの長編「鬼火」は、むしろ謎ときと群像劇が面白い作品。謎ときと言っても推理物ではないんだけど。
無愛想で無口な老夫婦が営む小さな店、「権兵衛酒屋」。鬼平の実母の実家・三沢家の当主である仙右衛門は、この店の酒が気に入り、鬼平にも話していた。ただここの親父、どうも昔は二本差しだったらしく、しぐさや姿勢が違う。通りかかった鬼平が、興味をそそられ入ってみると…
謎の曰くありげな老夫婦と、彼らと旧知の間柄らしい品のいい老いた侍。やがて起きる血生臭い惨劇と、その陰に隠された陰謀。いかにも大金をかけた映画向きの、派手な展開と意外な真相で読者を引っぱる娯楽作品。こういう連作短編シリーズ物の中の長編は、お馴染みの顔ぶれが次々と登場するのが嬉しい所。
といったレギュラー陣ばかりでなく、鬼平シリーズの読み所は、じっくりと書き込まれた盗賊たちの社会。まあ凄腕の火盗改が主人公に作品だけに、盗人は原則としてゲスト扱いなんだが、彼らの世界のしくみこそ、鬼平ワールド独特の魅力かも。
じっくりと調べに時間をかけ、一滴の血も流さず鮮やかな技を披露する伝統的な盗賊団がいるかと思えば、押し込んだ先の者を皆殺しにする者もいる。この巻では、新たに「口合い人」や「嘗役」が出てくる。
「口合い人」は、今でいう人材派遣業。といっても、盗賊専門。わはは。大掛かりな「盗め(つとめ)」は、やはり大人数が必要となる。手持ちの部下で足りない場合や、特定の役割を果たす者が必要な時は、この口合い人に仲立ちを頼んで人を回してもらう。
なにせ世をはばかる世界だから、表沙汰には出来ない事も多いんだろう、などと考えると、いかにもありそうに思えてくるから巧い。昔気質のきれいな盗めに誇りを抱く者と、冷酷な手段も辞さない者の対立感情も、なんというか。
「だが、それですむだろうか、(略)人を殺して金を盗むなどとは、そりゃもう、外道のすることだよ」
いやお前が言うなw
阿佐田哲也の「麻雀放浪記」もそうなんだけど、こういう己の技に誇りを持つ悪党って、笑っちゃうけど面白いんだよなあ。
「春雪」に登場する老いた掏摸(スリ)とかね。彼が誇りを持つ掏摸の三ヶ条の掟や、技を磨くための特訓とか、「んな事するなら真面目に働けよ」と言いたくなるんだが、なんであれ苦しい修行に耐えて見につけた技には、やっぱり誇りがあるんだろう、などと妙に納得できちゃたりする。
いかにも胡散臭いし、作り話なのは判ってる。でもなんか納得させられるし、読んで騙されて楽しくて気持ちいい。こういう、「お話」そのものが持つ面白さが、このシリーズにはギッシリ詰まってる。
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