ドミニク・ラピエール/ハビエル・モロ「ボーパール午前零時五分 上・下」河出書房新社 長谷泰訳
「涙をふいて、おちびちゃん! ラッドゥー(食べ物を煮炊きする燃料になる、石炭と藁を混ぜた小さな玉状のもの)をこさえに、あなたも石炭を盗みにゆきなさい。でないと、お母さんが何も食べ物を煮炊きできなくなりますよ」
【どんな本?】
1984年12月3日午前零時五分。インド中央部マディヤ・ブラデーシュ州の州都ボーパールで悲劇が起きる。アメリカのユニオン・カーバイド社の化学工場は、農薬セヴィンを作っていた。その工場で事故が起き、流れ出した毒ガスが付近の住民を襲う。ボーパール化学工場事故(→Wikipedia)だ。
不幸にも工場脇には極貧の者が多く住むスラムがあり、正確な被害者数は今も分かっていない。死者は少なくとも八千人、多い見積もりでは三万人。直接の被害者は50万人におよび、今も後遺症に苦しんでいる。
ボーパールには、どんな人が住んでいたのか。なぜ貧民街に住み着いたのか。どうやって稼ぎ、何を食べ、どんな暮らしをしていたのか。ユウニオン・カーバイドは、なぜボーパールに工場を作ったのか。どんな事故が起きたのか。それは何故か。事故発生後、ボーパールの人々やカーバイド社は、どんな行動を取ったのか。
ラリー・コリンズと組み「パリは燃えているか?」「おおエルサレム!」「今夜、自由を」などの傑作を発表し、単独でも「歓喜の街カルカッタ」でインドの混沌を鮮やかに描いたジャーナリスト作家ドミニク・ラピエールが、スペインの作家ハビエル・モロと共に、インドに生きる人々の逞しくカラフルな生活を生々しく伝えると共に、事故の状況をクッキリと伝える、力作ルポルタージュにしてドキュメンタリーの傑作。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Il etait minuit cinq a Bhopal, by Dominique Lapierre / Javier Moro, 2001。日本語版は2002年11月20日発行。単行本ハードカバー上下巻で縦一段組み、本文約246頁+236頁=約482頁に加え訳者あとがき11頁。9ポイント43字×17行×(246頁+236頁)=約352,342字、400字詰め原稿用紙で約881頁。長編小説なら2冊分より少し少ない分量。
翻訳物だが、文章は読みやすい。ドミニク・ラピエールの文章には独特のクセがあるんだが、決して読みにくいクセじゃない。内容も特に前提知識は要らない。化学の話が少し出てくるが、化学式は出てこないし、特に理科の素養も要らない。化学工場=デカいタンクを複雑なパイプが繋ぐ巨大構造物、ぐらいに思っていればいい。
ただインドの世俗の知識は少し必要。といっても、ヒンドゥー教・イスラム教・シーク教・キリスト教・仏教などが混在している国、程度で充分。タイガー・ジェット・シンみたく、頭にこれ見よがしのターバンを巻いてるのがシークです。実際にインドに行った経験があれば、描かれる情景が鮮やかに目に浮かぶだろう。
あと必要なのは貨幣感覚かな。この本の感覚だと1ルピー20円ぐらい。2014年6月24日現在、1ルピー=1.67円。
ただ、登場人物の一覧は欲しかった。
【構成は?】
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基本的に時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。
【感想は?】
本書の読み所は、大きく分けて二つ。一つはインドの人々の生活、もう一つは事故の原因と様子。
私を含めた、ちょっとアレな部分を持つ人を強く惹きつける国、インド。少し知る人は「混沌」と評し、よく知る人は…やっぱり「混沌」と評する国。
その混沌を煮詰めたようなのが、この本の主な舞台となるボーパールのスラムだ。宗教やカーストが複雑に入り組むインドで、あらゆる宗派・カーストの人々が、たった一つ「貧しい」という共通点だけで、共に暮す所。ここに住む人々の暮らしを、幼いながらも強い意志と現実的な考え方を持つ少女、パドミニを中心に描いてゆく。
冒頭では、彼女の一家が住みなれた家を離れ、ボーパールに流れ着く次第が語られる。六歳のゴーパールを含めた一家総出で、インド特産の安物タバコのビーリーの葉を摘んで六ルピーを稼ぐ生活。当時でも日本円で120円である。まあ、その分、インドじゃ物価も安いんだけど。安宿の6人部屋でも最低5ルピーぐらいかな?
が、色々と不幸が重なって、一家はボーパールへと行く羽目になる。この冒頭だけでも、インドが抱える様々な問題点を抉り出してゆくのだが、これが序の口なんだから、この本は凄まじい。
彼らが住み着くオリヤー・バスティーにも、色とりどりの人々が居る。新参の一家を暖かく迎える仕切り役のバールラーム・ムカッダン。ハンセン氏病にもめげず逞しい生活力を見せるガンガー・ラーム。ガンガーの養子でパドミニらに稼ぎ方を教えるデイリーブ。お局様的立場の老婆ブレーマ・バーイー。
子供たちは駅で石炭を拾い、列車に無賃乗車しては落し物を拾う。パドミニの父親は赤帽の仕事にありつくために、多額の賄賂を支払う。スラムでは結核が蔓延し、咳が絶えない。そんな極貧の生活の中でも、結婚式やお祭りでは、惜しみなく贅を尽くす彼ら。この点に関してはヒンディーもムスリムもシークも共通しているのが、なんともはや。
彼らが、スラム取り壊しの危機に巡らす智恵は、さすがインドと思わせる。最近じゃ強姦で評判が悪いけど、基本的には暴力を好まない土地なのだ。旅行案内書にも、「暴力犯罪は少ない」と書いてあるし。ただし「詐欺とスリと置き引きに注意」と続いてるんだが。
スラムの外も、細かく描いている。強欲な金貸しプルプル・シング。マザー・テレサの分身のような修道女シスター・フェリシティー。性を超越した存在ヒジュラー。裸の聖者でサドゥー(苦行者)のナーガ・バーバー。街一番のレストランを経営するシャーム・バーブー。警察署長スララージ・プリーが住民を避難させるために流すアナウンスも、街を知り尽くした彼ならではのもの。
など、じっくりと書き込まれ、命を吹き込まれた被害者たちを、容赦なく毒ガスが襲ってゆく。
事故へと至るユニオン・カーバイト社の経緯も、実に示唆に富んでいる。これは、事故を恐れるあらゆる産業に役立つ教訓を豊かに含んでいる。
元々、ユニオン・カーバイト社は安全重視の姿勢だった。工場は安全重視で建設され、運営されていた。だが、人は異動する。当初の経営者は全てを知り尽くしているが、代が変わるに従い、細かい部分はわからなくなってゆく。しかも売り上げが思わしくなく、経費削減の要求が強くなる。挙句の果てには生産停止だ。
動いていない工場で、安全管理にカネをかける必要はあるまい?
これが、間違っていた。工場の採取製品セヴィンを作る過程で、猛毒のイソシアン酸メチル通称ミック(MIC, Methyl-Cyanate, →Wikipedia)ができる。摂氏零℃では比較的に安定しているが、常温になり水など他の物質が混ざると激しく反応する。常に冷却と密閉、そして監視が必要なのだ。
工場がボーパールに出来たときのお祭り騒ぎ、貧しいボーパールの住民が新工場にかけた期待が分かれば、社が当地でどんな存在だったのかが分かる。まして多くの被害者はスラムの極貧の人々だ。日々の生活に必死で、訴訟どころじゃない。
数千人が亡くなる工場事故が日本で起きたら、マスコミはどう扱うだろう? 被害者の多くが貧しい人々であり、また(当時は)開発途上国のインドで起きた事故だけに、あまり話題にはならないが、その規模は相当なものだ。忘れられがちな発展途上国の事故を、詳しく調査・報道した点だけでも、本書には大きな価値がある。
だが、それ以上に、生き生きと描かれた被害者たちの生活ぶりが、この本の最大の魅力だろう。カルカッタの貧民街に密着して取材した傑作「歓喜の街カルカッタ」の著者だからこそ書けた、現代のルポルタージュの傑作だ。多少なりともインドに興味があるなら、「歓喜の街」とあわせ是非とも読んで欲しい。そして事故防止に携わる人にも。
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