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2014年6月の10件の記事

2014年6月30日 (月)

村上春樹「約束された場所で underground2」文春文庫

オウムの信者に共通しているのは、こういう一種の頑なさなんです。僕も含めてそうなんだけど、どうでもいいじゃないかというようなことに頑なにこだわって一途に邁進する。でも集中力をもって臨みますから、そこからは充実感が得られるんです。教団のほうもそういうのをうまく利用します。
  ――「裁判で麻原の言動を見ていると、吐き気がしてきます」

【どんな本?】

 1995年3月に起きた地下鉄サリン事件(→Wikipedia)。無差別虐殺を目論んだ事件は、多くの被害者を被害者を出すと共に、新興宗教組織オウム真理教の凶暴さが明るみに出た。

 オウム真理教の信者たちは、どんな人なのか。なぜオウムに惹かれ、何を求めて入信したのか。求めたものは得られたのか。組織内で、どんな事をしていたのか。教団の内部は、どんな様子だったのか。麻原にどんな印象を持ったのか。地下鉄サリン事件をどう受け止めだのか。そして今はどんな生活をして、オウムに対しどう思っているのか。

 ベストセラー作家の村上春樹が、地下鉄サリン事件の被害者へのインタビュー「アンダーグラウンド」に続き、その加害者側にいた人々へのインタビューを行い、その声を伝えると共に、事件が起きた背景を探る。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出は雑誌「文藝春秋」1998年4月号~11月号まで連載。1998年11月、文芸春秋社より単行本を刊行。の文庫版。2001年7月10日、文春文庫より第1刷発行。私が読んだのは2012年11月10日の第11刷。文庫本縦一段組みで約324頁。9ポイント39字×18行×324頁=約227,448字、400字詰め原稿用紙で約569枚。標準的な長編小説の分量。

 大半を占めるインタビューの文章は、ベストセラー作家らしくこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。が、「河合隼雄氏との対話」や「あとがき」は、哲学的な話や独特の例え話が出て来て、「何が言いたいのか」を把握するのに苦労するかも。あ、もちろん、偏見はあります。私は「村上春樹は抜群に読みやすい文章を書く人だ」と思っているので、そういうモノサシで計った上での評価です。

【構成は?】

まえがき
インタビュー
 1965年生まれ 男性 「ひょっとしてこれは本当にオウムがやったのかもしれない」
 1960年生まれ 男性 「ノストラダムスの大予言にあわせて人生のスケジュールを組んでいます」
 1956年生まれ 男性 「僕にとって尊師は、疑問を最終的に解いてくれるはずの人でした」
 1969年生まれ 男性 「これはもう人体実験に近かったですね」
 1973年生まれ 女性 「実を言いますと、私の前世は男性だったんです」
 1965年生まれ 男性 「ここに残っていたら絶対に死ぬなと、そのとき思いました」
 1965年生まれ 女性 「麻原さんに性的な関係を迫られたことがあります」
 1967年生まれ 男性 「裁判で麻原の言動を見ていると、吐き気がしてきます」
河合隼雄氏との対話
 『アンダーグラウンド』をめぐって
 「悪」を抱えて生きる
あとがき

【感想は?】

 途中で気づいた。「話し手の言葉を、真に受けてはいけない」と。

 そう思ったのは、「僕にとって尊師は」の人だ。彼は小中学校の教師をしていた。教団に入った後も、教団内の子供を教えていた。彼の目から見たオウムの子供たちは…

なんであんなにタフになるのかなあ。わかんあいですね。とにかく外の子供たちと違って、すごいエネルギッシュで、まるで昔の腕白小僧という感じなんです。なにせこっちの言うことをきかない。手に負えなくて大変だったですよ。

 何もわかってない。米本和広の「カルトの子」で描かれる子供たちの姿と、まったく違う。「カルトの子」では、「素直な感情表現ができない」とある。子どもたちは、誰も愛情を伝えてくれない環境で育つ。教義でがんじがらめになり、幼いうちから自分の気持ちを殺す生き方を強いられている。そういう姿が、教員である彼に全く見えていない。

 子供たちは不潔で躾もなっていず、衛生状態も栄養状態も悪い。普通の人だって少し見ればおかしいと感じるはずだ。プロの教員がそれを「昔の腕白小僧」と表現するのは、かなりゴマカシがある。本当に気づかなかったのなら、教員として救いようのない無能だ。確かに「カルトの子」の子達とは、時期や施設が違う可能性もあるが。

 そんなワケで、話し手の言葉は、少々眉にツバして読んだほうがいい。実際、警察に張り付かれている人も多いので、言動には気をつけているだろうし。

 私がこの本を読んだわけは、カルトにハマる人の特徴や気持ちを知りたかったからだ。で、結局、その答えは出なかった。

 サンプル数が8件と少なすぎるし、明らかに偏りがある。オウムには年配者や家庭を持つ人も多かったが、話し手は当時10代~30代の若い独身ばかり。女性のサンプルも2件と少ない。そして、全て自ら取材に応じた人ばかりだ。取材に応じる/応じないは、何か大きな違いの結果かも知れない。

 とまれ、この本の中では、傾向みたいなモノが見える。全般的に、理屈っぽい人が多いのだ。また、「疑問にはたった一つの正解がある」「社会にはあるべき理想の姿がある」みたいな世界観も、共通点の一つだろう。浮世離れしているというか、井戸端会議や噂話を楽しく感じない、という点も挙げられる。

 そういう普通の会話は楽しめないが、「オウムの中では、みんな精神の向上を第一に考えてますから」なんて言葉が表すように、形而上的なモノが好きな人が多い。

 じゃ和気藹々か、と言うと、これも人によってだいぶ違う。先の精神の向上の人は楽しくやっていたようだが、アニメを作っていたという人がいて、この人の話がやたらと切実で笑えるのだ。

少しでも質の良い作品を作るためには、現世のアニメのビデオを見て、細かい技術を研究しなくちゃならないんです。でも上の人間は、「そんなものは見ちゃいけない」と言います。(略)アニメ班の内部が仕事優先の「少しでも良い作品を作るべきだ」派と、修行優先の「これは修行なんだから尊師」派に分裂しちゃった

 なんてのは、共産主義国家などで散々繰り返された構図で、「ああ、やっぱり」と思ったり。ちょっとクルト・マグヌスの「ロケット開発収容所」を思い浮かべてしまった。

 勧誘の方法も、「これやられたらハマっちゃうな」と思った手口がある。体調の不良を抱えていた人が治ってしまうというパターンだ。本当かどうかわからないが、アトピーが治ったという人がいる。長年苦しんでいた体の不調を癒されたら、コロッと参ってしまっても不思議じゃない。一体、どんな手口を使ったのやら。

 「カルトに惹かれる原因は家庭の不和だ」という説もあるらしいが、それほど単純でもないようだ。二人の兄がいる女性が取材を受けているが、彼女は兄弟三人揃ってオウムに入っている。兄弟仲はいいようだから、家族間の関係も悪くないだろうと思う。まあ、この人、なかなか強烈なキャラクターで、話し相手としては楽しいだろうなあ、と思う。

 傍から見たら、彼らが教団内でやっていた「ワーク」は、悲惨な奴隷労働そのもので、睡眠時間4時間とか一日メシ抜きとか、仕事として考えたらブラック企業なんてもんじゃない。だが、そこで彼らは充実感を感じて暮していた。それが精神の浄化や向上に繋がると信じていたわけだ。同時に、文化祭の準備みたいな高揚感もあったんだろう。

 結局、「人がなぜカルトにッハマるのか」の解は、出なかった。たった一冊の本で出るほど簡単な問題じゃないんだろうと思う。村上春樹流に言えば、こんな感じなのかも。

一人の人間が習慣的に宗教に依存するには様々な理由がある。理由は様々だが、結果は大抵同じだ。

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2014年6月27日 (金)

SFマガジン2014年8月号

今の私たちには、まあだいじょうぶだよと受け流す自負と余裕が、多少なりともあると思います。
  ――大森望の新SF観光局 日本のSFの"現実"は厳しいか? より
     塩澤快浩SFマガジン編集長の言葉

 280頁の標準サイズ。特集は「PSYCHO-PASS サイコパス」。表紙からして執行官の狡噛慎也で、リキ入ってます。小説は吉上亮による PSYCHO-PASS の前日譚「無窮花 前編」、梶尾真治の恩讐星域29話「ポッド・サバイバー」、円城塔「エピローグ<4>」。加えて小特集「2014オールタイム・ベストSF プロ投票者全回答&結果分析」。

 吉上亮「無窮花 前編」。チェ・グソンの前日譚。日本に潜入していた工作員チェ・グソン。目的は日本が誇る新世代統治機構<シビュラシステム>の入手。だが、その途中で、突然の帰国を命じられる。妹スソンとの久しぶりの再会に期待したグソンだが、日本海を朝鮮半島に向かう船の中で、小舟に乗るよう指示される。

 アニメで描かれたのは、繁栄を謳歌する日本だけだった。描かれなかった海外の様子を、半島中心に描くあたりが、この作品の楽しみの一つ。こういう風に、少しづつ世界の様子が見えてくると、それだけで嬉しくなってしまうのはなんでだろう。充実した参考文献を元に構築された情け容赦のない半島の社会も読みどころ。

 梶尾真治の恩讐星域29話「ポッド・サバイバー」。ニューエデンの首長アンデルス・ワルゲンツィンは、就寝中にガウス補佐官から緊急の報告を受ける。ノアズ・アーク号が爆発落下した模様、と。地上との往復用のシャトル機が発進した形跡もなく、生存者がる可能性は少ない。だが緊急用の救命設備があるのなら…

 何もない所から少しづつ文明を再建しつつ、沸々と復讐の想いを滾らせてゆくニュー・エデン。地上の様子を何も知らず、楽園だと信じて航行を続けてきたノアズ・アーク。両者の対面の時が迫ってくる回。スプラッタなホラーも切ない物語も器用に書き分けるカジシンだけに、どう転がるか見当がつかない。

 円城塔「エピローグ<4>」。「数学をインストールしますか」との問いかけに、クラビトはいつものように No を選ぶ。コンポーネントは巨大だが、最近のソフトウェアは数学に依存するものばかり。クラビトは意地になって数学を拒んできたし、今までそれでうもなんとかなった。

 Slackware とかのシンプルな環境で Linux のシステム管理をしていた人はニヤリとする出だし。「サーバ用だから Emacs も X Window System も要らないんだって!」などと怒った所で、マシンには通じないし。最近は Apache の設定までブラウザで出来たりして、便利なんだか敷居が高いんだか。

 長山靖生「SFのある文学誌」第32回、「なつこん」記念・茨城古典SF特集中編。明治40年の江見水陰「鹿島灘」を評し…

 マニアックな趣味を持ち、パニックに陥ると変な行動をとる癖があり、あまりハンサムとも見えないのだが、なぜか女性にモテモテであり、そういう自分に自分ではまったく気づいていない男を主人公にしたドタバタ喜劇……。この展開は、ほとんどラノベと一緒ではないか。

 いや全く。読んで爽快な物語は昔から好まれてきたし、作られてきたわけで。吉川英治も、そういうマーケットで揉まれてきて、今でも現役で勝負できちゃってる事こそ、彼の偉大さを示す点だと思うんだけどなあ。50年以上前に亡くなった人の作品が、「ワンピース」や「進撃の巨人」と同じマーケットで生き延びてるって、凄い事でしょ。

 大森望の新SF観光局「日本のSFの"現実"は厳しいか?」。冒頭の引用は、朝日新聞2014年5月21日社会面のコラム「日本のSFの厳しい現実 海外でウケても本が売れない」への返答の一部。伊藤計劃が売れてたり、All You Need is Kill がトム・クルーズ主演で映画化されたり、円城塔が芥川賞を取ったり、むしろ追い風が吹いてると思うんだけどなあ。

 大野典宏「サイバーカルチャートレンド」、今回は「Chromecast と UPnP、DLNAのなかなか濃ゆい関係」。昔はケーブルにもイロイロあって、キーボード用とかマウス用とかプリンタ用とか。今は全部 USB で楽だよね、と思ったら、その先の話。テレビをレンダラーに変えるって、よくわからんがX端末みたいな?←違うと思う。

 激動だった今回の2014オールタイム・ベストSFの結果を受けての「プロ投票者全回答&結果分析」。こういうのは、他の人の投票を見て「ああ、ソレがあったか!」な作品がチラホラ見えたりするのも楽しい所。

 ゼラズニイの「フロストとベータ」は、「十二月の鍵」と票が割れちゃうんだけど、今回は統一できた模様。どっちも甲乙つけがないスケール感と余韻が漂う作品なんで、選ぶほうも辛いところ。海外長篇ではクリフォード・D・シマックの「都市」とシオドア・スタージョンの「人間以上」の名を出せば、「ソレがあったか!」と叫ぶ人が必ずいるはず。

 意外だったのが、菅浩江の「そばかすのフィギュア」。プロだと27位に入ってるのに、読者じゃ入ってない。というと玄人好みなマニア向けの作品みたく思われそうだけど、とんでもない。とっても読みやすく分かりやすく親しみやすく、それでいてSF者の心に染み渡る、売れ筋の作品。なんでもっと評判にならないのかなあ。

 投票内容も、ちょっとしたブックガイドとして使えたりする。手に入りにくい作品も多いんだけど。とりあえずグラント・キャリンの「サターン・デッドヒート」とスパイダー&ジーン・ロビンスンの「スターダンス」は入手しやすくして欲しい。いずれも、娯楽としてもSFとしても楽しめる傑作なんだから。

 あと、できればジョージ・アレック・エフィンジャーの「まったく、何でも知ってるエイリアン」とキャロル・エムシュウィラーの「順応性」を、どっかのアンソロジーで拾って…

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2014年6月25日 (水)

一般社団法人ダム工学会近畿・中部ワーキンググループ「ダムの科学」ソフトバンク・クリエイティブ サイエンス・アイ新書

 コンクリートダムに関して答えにくい質問の1つが「寿命」です。コンクリートがダメになって壊れた例がないからです。

【どんな本?】

 何のためにダムがあるのか。ダムは何の役にたつのか。人はいつからダムを作り始めたのか。どうやってダムを作るのか。ダムが起こした事故や災害はあるのか。ダムは環境や生態系にどんな影響を与えるのか。上流から流れてくる土砂で埋まってしまう心配はないのか。

 下世話な好奇心から専門的な話まで、ダムに関する話を専門家がまとめた、一般向けの科学・技術解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2012年11月25日初版第1刷発行。正式の書名は「ダムの科学 知られざる超巨大建造物の秘密に迫る」。新書版フルカラー横一段組みで本文約210頁。9ポイント28字×27行×210頁=約158,760字、400字詰め原稿用紙で約397枚の計算だが、写真やイラストを豊富に収録しているので、実質的な容量は6割ぐらい。小説なら中編の容量。

 専門家が書いた本だが、比較的に文章は素直で読みやすい部類。内要も数式は出てこないし、特に前提知識は要らない。土木系の専門用語が頻繁に出てくるが、豊富に収録したイラストが、読者の理解の大きな助けになっている。フルカラーの効果は大きい。

【構成は?】

  •  はじめに
  • 第1章 ダムとはなにか
    1. ダムとはなにか?
    2. ダムの用語
    3. ダムに関わる人
    4. ダムを作る理由 1.治水
    5. ダムを作る理由 2.利水
    6. ダムを作る理由 3.エネルギー
    7. ダムができるまで
    8. ダム建設に時間がかかるワケ
    9. 洪水時に役に立つダム
    10. 渇水に役に立つダム
    11. 水を貯める効果だけではない
    12. ダムに行ってみよう!
    13. ダムの魅力「放水」
    14. ダムにある噴水はなに?
  • Column 1 実はダム湖(人造湖)だった?
  • 第2章 ダムの歴史
    1. 世界のダムの歴史
    2. 歴史に残る日本のダム
    3. 歴史に登場するダム
    4. 日本の堰堤技術者(エンジニア)八傑
    5. 世界の堰堤技術者(エンジニア)八傑
    6. 戦後の多目的ダムは米国をお手本にした
    7. 世界の近代ダムの金字塔
    8. カリフォルニアの発展に貢献したダム群
    9. 日本のダムの金字塔「黒部ダム」
    10. 人工衛星からも見える「ダム湖」とは?
    11. 世界最大の発電量を誇る三峡ダム
    12. 世界一堤高が高いヌレークダムとは?
    13. ダムおもしろランキング
    14. 世界でのダム事業の評価
  • Column 2 最北端、最南端、最東端、最西端、もっとも標高の高いダムは?
  • 第3章 ダムの基本と特徴
    1. ダムにもいろいろある
    2. 重力式コンクリートダム
    3. アーチ式コンクリートダム
    4. フィルダム
    5. 映画の撮影現場にもなる中空重力ダム
    6. 変わったダムもある
    7. ダムに適した場所とは?
    8. ダムのつくり方
    9. 地下でも水を止める「グラウチング」
    10. ダムの放水はどうやって調節するの?
    11. 減勢工ってなに?
    12. CO2をださない「水力発電」の仕組み
    13. 海水を使う世界で唯一の水力発電所
  • Column 3 ダム湖の利用とダムカード
  • 第4章 ダムの最先端技術
    1. どんな材料でつくる?
    2. ダムのコンクリートの寿命は?
    3. 重力式コンクリートダムでお風呂が沸く?
    4. 日本生まれの「RCD工法」ってなに?
    5. 「CSG工法」はエコなダムづくり
    6. IT技術を駆使したダム施工
    7. 引張りラジアルゲートってなに?
    8. ダムに孔をあけてだいじょうぶ?
    9. コンクリートダムの耐震性は?
    10. フィルダムの耐震性は?
    11. ダムが動くって本当?
  • Column 4 映画になったダム
  • 第5章 ダムの運用と維持管理
    1. ダムの内部を見てみよう!
    2. 「ダムコン」ってなに?
    3. ダムの放流方法にもいろいろあるってホント?
    4. ダムの耐震対策と地震観測
    5. 試験湛水ってなに?
    6. 増えるダムのリニューアル
    7. ダムと事故
    8. ダムの「廃止」と「解体・撤去」
  • Column 5 「ダム巡り」するダムマニアってどんな人?
  • 第6章 ダムと環境
    1. ダム湖の水質が悪化しやすいワケ
    2. 「選択取水設備」とは?
    3. ダム湖の富栄養化を防ぐ技術
    4. ダム事業による河川再生
    5. ダムにたまる砂を排出する技術
    6. フラッシング排砂
    7. 排砂バイパス
    8. 土砂を川に戻そう
    9. フラッシュ放水とは?
    10. ダムを魚がのぼる
    11. ダム湖にすむ魚いろいろ
    12. ダムや貯水池を活用する
  • Column 6 ダムを「鑑賞」するテクニックとは?
  • 第7章 新しいダムのかたち
    1. 流水型ダムってなに?
    2. 2つのダムをつなげる技術ってなに?
    3. ダムの再開発とは?
    4. ダムの上に迷宮それともピアノ?
    5. ダムはここまで美しくなれる
  • Column 7 洪水を防ぐダムの活躍を知っていますか?
  •  参考文献/索引

 各章は2~10頁程度の独立した記事からなっているので、気になった所から拾い読みしてもいい。第1章の「ダムの用語」は少し退屈に思えるが、以降の記事を読む基礎となるので、真面目に読みたい人はキチンと目を通そう。

【感想は?】

 昔から疑問に思っていたことが、幾つかある。一つは、川が流れているのに、どうやってダムを作るのか、だ。

 工事してる最中に、次から次へと水が流れてきたんじゃ、仕事にならないだろう。にも関わらず、アチコチにダムが出来ている。いったい、どうやって作ったんだ?

 答えは実に簡単だった。いったん別の水路を作って、そっちに水を流せばいい。「山にトンネルを掘り、そのトンネルに川を流す方法がよく採用されます」。言われてみれば簡単な事だった。とはいえ、エジプトのアスワン・ハイダムや中国の三峡ダム(→Wikipedia)みたく大規模なシロモノだと、別の流れを作るのも大変な作業だろうなあ。

 その三峡ダム、昔から水運が活発だった長江にある。「マズいんじゃね?」と思ったら、ちゃんと水路を確保してあった。しかも二つ。3千トンまでの船が40分で通れる高速用閘門エレベータと、一万トンまでの船が通れる5段階の水路。このダムで中国の消費電力の1割を賄うってんだから、相当な規模だ。

 日本のダムは約3000基とかで、かなりの数のダムがあるけど、貯水量を全部あわせて約250億トン。ところがアメリカのフーバーダムの貯水量は352億トン。レベルが違う…と思ったら、そのフーバーダムも世界の貯水量ベスト10にさえ入ってない。なおトップはジンバブエのカリバ湖(→Wikipedia)で、1806億トン。

 かねての疑問の次は、ダムの形。円弧型のダムがあるが、弧がダム湖に向かって突き出す形になっている。何か意味があるのかと思ったら、やっぱりあった。力学の問題なのだ。

 ダムは様々な力を受ける。その一つは、ダム湖の水から受ける。ダムを下流に押し流そうとする力だ。アーチ型のダムは、この力をダムの両岸の岩盤に逸らす。こうやって文字に書くと分かりにくいけど、この本は一枚のイラストを見るだけで一発でピンとくるようになっている。ヴィジュアルの力は偉大だ。

 巧い具合にアーチ型を支える岩盤があればいいけど、そうでない時は工夫しなきゃいけない。というか、近所の地質も重要な問題で。下手なところに作ると、底から浸水するし、ダム湖の上流で地滑りが起きたりする。乾いていた山肌が水没し、斜面を支えきれなくなるのだ。

 地滑りが起きると、土砂がダム湖に流れ込む。この流れ込む土砂の始末も、昔からの疑問だった。放っておくと、ダム湖が土砂で埋まっちゃうんじゃないの?

 実際、溜まるのだ。「年平均で0.24%の速度」で貯水容量が減っていく。そこで、砂を吐き出す様々な工夫をしている。排砂バイパスは、ダム湖の上流側から砂を流す水路を作っておく。フラッシング排砂は、「貯水池の推移を低下させて自然河川の流れ(掃流力)を利用する方法」って、要は水で砂を押し流すんですね。または普通に浚渫したり。

 よくある重力式ダムってのは、ダムの重さ自体でダムを維持する方法。だから沢山のコンクリートが必要になる。以外だったのが、コンクリートの使い方。橋や住宅は鉄筋コンクリートだけど、意外な事にダムは鉄筋を使わない。ほええ。その分、鉄筋が錆びる心配もない。

 大抵のコンクリートには砂利を混ぜる。これもダムは普通と違う。なるたけ大きな石を使うのだ。建物tが20mm~25mmなのに対し、ダム用は80mm~150mm。建物は鉄筋を入れる関係で、あまし大きな砂利は使えない。でもダムは鉄筋がないんで、大きな砂利を使ってもいい。砂利は安いし強いから、大きくて多い方が都合がいい。

 他にもGPSがダム建設で活躍してたり、気温の変化でダムが収縮・拡張してたり、水質改善に役立ってたりと、意外な事がわかりやすく書いてある。逆にダムのせいで水質が富栄養化して困る場合もあるんだけど。特にアスワン・ハイダムは寄生虫の蔓延や塩害など功罪半ばらしい。

 カラーのイラストを豊富に収録して親しみやすく、また独立した短い記事を続ける構成もとっつきやすい。科学や工学は、ヴィジュアルと相性がいいんだと、改めて感じさせる一冊だった。

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2014年6月24日 (火)

ドミニク・ラピエール/ハビエル・モロ「ボーパール午前零時五分 上・下」河出書房新社 長谷泰訳

「涙をふいて、おちびちゃん! ラッドゥー(食べ物を煮炊きする燃料になる、石炭と藁を混ぜた小さな玉状のもの)をこさえに、あなたも石炭を盗みにゆきなさい。でないと、お母さんが何も食べ物を煮炊きできなくなりますよ」

【どんな本?】

 1984年12月3日午前零時五分。インド中央部マディヤ・ブラデーシュ州の州都ボーパールで悲劇が起きる。アメリカのユニオン・カーバイド社の化学工場は、農薬セヴィンを作っていた。その工場で事故が起き、流れ出した毒ガスが付近の住民を襲う。ボーパール化学工場事故(→Wikipedia)だ。

 不幸にも工場脇には極貧の者が多く住むスラムがあり、正確な被害者数は今も分かっていない。死者は少なくとも八千人、多い見積もりでは三万人。直接の被害者は50万人におよび、今も後遺症に苦しんでいる。

 ボーパールには、どんな人が住んでいたのか。なぜ貧民街に住み着いたのか。どうやって稼ぎ、何を食べ、どんな暮らしをしていたのか。ユウニオン・カーバイドは、なぜボーパールに工場を作ったのか。どんな事故が起きたのか。それは何故か。事故発生後、ボーパールの人々やカーバイド社は、どんな行動を取ったのか。

 ラリー・コリンズと組み「パリは燃えているか?」「おおエルサレム!」「今夜、自由を」などの傑作を発表し、単独でも「歓喜の街カルカッタ」でインドの混沌を鮮やかに描いたジャーナリスト作家ドミニク・ラピエールが、スペインの作家ハビエル・モロと共に、インドに生きる人々の逞しくカラフルな生活を生々しく伝えると共に、事故の状況をクッキリと伝える、力作ルポルタージュにしてドキュメンタリーの傑作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Il était minuit cinq à Bhopal, by Dominique Lapierre / Javier Moro, 2001。日本語版は2002年11月20日発行。単行本ハードカバー上下巻で縦一段組み、本文約246頁+236頁=約482頁に加え訳者あとがき11頁。9ポイント43字×17行×(246頁+236頁)=約352,342字、400字詰め原稿用紙で約881頁。長編小説なら2冊分より少し少ない分量。

 翻訳物だが、文章は読みやすい。ドミニク・ラピエールの文章には独特のクセがあるんだが、決して読みにくいクセじゃない。内容も特に前提知識は要らない。化学の話が少し出てくるが、化学式は出てこないし、特に理科の素養も要らない。化学工場=デカいタンクを複雑なパイプが繋ぐ巨大構造物、ぐらいに思っていればいい。

 ただインドの世俗の知識は少し必要。といっても、ヒンドゥー教・イスラム教・シーク教・キリスト教・仏教などが混在している国、程度で充分。タイガー・ジェット・シンみたく、頭にこれ見よがしのターバンを巻いてるのがシークです。実際にインドに行った経験があれば、描かれる情景が鮮やかに目に浮かぶだろう。

 あと必要なのは貨幣感覚かな。この本の感覚だと1ルピー20円ぐらい。2014年6月24日現在、1ルピー=1.67円。

 ただ、登場人物の一覧は欲しかった。

【構成は?】

  •  上巻
  •  読者への手紙
  • 第1部 インドの空の新星
    1. 人命を奪う爆竹、死にゆく子牛、殺人的昆虫
    2. 無数の昆虫による地球規模のホロコースト
    3. オリヤー・バスティーという貧民地区
    4. 食糧を救う大金持ちの夢想家
    5. ハドソン河畔の三人の徒刑囚たち
    6. バスティー住民の日々のヒロイズム
    7. 世界を睥睨するアメリカの谷
    8. 列車の座席の下を這いずる小さな娘
    9. ゆでたキャベツのような毒臭
    10. 神の慈悲を享受できる人たち
    11. 「未来への手」
    12. 千一夜物語の王国跡、約束の地
    13. 六百の言語と三億人の農民の大陸
    14. きわめて特殊な売春斡旋業者
    15. 「チョコレート工場ぐらい無害な工場」
    16. インドの空の新星
    17. 「ブルドーザーを突っこませたりはしない」
    18. 恐怖の報酬
    19. 怠惰な詩人の会
    20. 「カーバイドのせいで水が腐った!」
    21. 「すばらしい工場」ではじめてつくられた致死液
    22. カーニヴァルのように飾った三つのタンク
    23. 「一日も欠かさずに五十万時間、働いた」
    24. 黒い空地にいつまでも
  • 第2部 星々の祝福する夜
    1. 殺す前に陽気にさせるガス
    2. 「諸君はみんな塵芥と化すだろう」
    3. 貧しき英雄たちにはアリ・ババの宝物
    4. 上等のウィスキーを好む財政家
  •  下巻
  • 第2部 星々の祝福する夜(続き)
    1. 「すばらしい工場は魂を失いかけていた」
    2. オリヤー・バスティーの婚約者
    3. インド人青年の夢の終わり
    4. 黒い空地の住民による復讐
    5. 心燃え立つ祝祭
    6. 特別な日曜日
    7. 星々に祝福された一夜
  • 第3部 月下の三つの石棺
    1. 月下の三つの石棺
    2. 「もし星々がストライキをしたら?」
    3. 死の噴煙
    4. 真夜中に破裂した肺
    5. 「理解を越えた何か」
    6. 「こちらは地獄です!」
    7. 死のガスに居然としている半裸の聖者
    8. 踊り子は生きていた
    9. 「人殺しアンダースンに死を!」
    10. 「われわれは世界の中心となった」
  • エピローグ
  • 彼らのその後
  • 謝辞/訳者あとがき

 基本的に時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

【感想は?】

 本書の読み所は、大きく分けて二つ。一つはインドの人々の生活、もう一つは事故の原因と様子。

 私を含めた、ちょっとアレな部分を持つ人を強く惹きつける国、インド。少し知る人は「混沌」と評し、よく知る人は…やっぱり「混沌」と評する国。

 その混沌を煮詰めたようなのが、この本の主な舞台となるボーパールのスラムだ。宗教やカーストが複雑に入り組むインドで、あらゆる宗派・カーストの人々が、たった一つ「貧しい」という共通点だけで、共に暮す所。ここに住む人々の暮らしを、幼いながらも強い意志と現実的な考え方を持つ少女、パドミニを中心に描いてゆく。

 冒頭では、彼女の一家が住みなれた家を離れ、ボーパールに流れ着く次第が語られる。六歳のゴーパールを含めた一家総出で、インド特産の安物タバコのビーリーの葉を摘んで六ルピーを稼ぐ生活。当時でも日本円で120円である。まあ、その分、インドじゃ物価も安いんだけど。安宿の6人部屋でも最低5ルピーぐらいかな?

 が、色々と不幸が重なって、一家はボーパールへと行く羽目になる。この冒頭だけでも、インドが抱える様々な問題点を抉り出してゆくのだが、これが序の口なんだから、この本は凄まじい。

 彼らが住み着くオリヤー・バスティーにも、色とりどりの人々が居る。新参の一家を暖かく迎える仕切り役のバールラーム・ムカッダン。ハンセン氏病にもめげず逞しい生活力を見せるガンガー・ラーム。ガンガーの養子でパドミニらに稼ぎ方を教えるデイリーブ。お局様的立場の老婆ブレーマ・バーイー。

 子供たちは駅で石炭を拾い、列車に無賃乗車しては落し物を拾う。パドミニの父親は赤帽の仕事にありつくために、多額の賄賂を支払う。スラムでは結核が蔓延し、咳が絶えない。そんな極貧の生活の中でも、結婚式やお祭りでは、惜しみなく贅を尽くす彼ら。この点に関してはヒンディーもムスリムもシークも共通しているのが、なんともはや。

 彼らが、スラム取り壊しの危機に巡らす智恵は、さすがインドと思わせる。最近じゃ強姦で評判が悪いけど、基本的には暴力を好まない土地なのだ。旅行案内書にも、「暴力犯罪は少ない」と書いてあるし。ただし「詐欺とスリと置き引きに注意」と続いてるんだが。

 スラムの外も、細かく描いている。強欲な金貸しプルプル・シング。マザー・テレサの分身のような修道女シスター・フェリシティー。性を超越した存在ヒジュラー。裸の聖者でサドゥー(苦行者)のナーガ・バーバー。街一番のレストランを経営するシャーム・バーブー。警察署長スララージ・プリーが住民を避難させるために流すアナウンスも、街を知り尽くした彼ならではのもの。

 など、じっくりと書き込まれ、命を吹き込まれた被害者たちを、容赦なく毒ガスが襲ってゆく。

 事故へと至るユニオン・カーバイト社の経緯も、実に示唆に富んでいる。これは、事故を恐れるあらゆる産業に役立つ教訓を豊かに含んでいる。

 元々、ユニオン・カーバイト社は安全重視の姿勢だった。工場は安全重視で建設され、運営されていた。だが、人は異動する。当初の経営者は全てを知り尽くしているが、代が変わるに従い、細かい部分はわからなくなってゆく。しかも売り上げが思わしくなく、経費削減の要求が強くなる。挙句の果てには生産停止だ。

 動いていない工場で、安全管理にカネをかける必要はあるまい?

 これが、間違っていた。工場の採取製品セヴィンを作る過程で、猛毒のイソシアン酸メチル通称ミック(MIC, Methyl-Cyanate, →Wikipedia)ができる。摂氏零℃では比較的に安定しているが、常温になり水など他の物質が混ざると激しく反応する。常に冷却と密閉、そして監視が必要なのだ。

 工場がボーパールに出来たときのお祭り騒ぎ、貧しいボーパールの住民が新工場にかけた期待が分かれば、社が当地でどんな存在だったのかが分かる。まして多くの被害者はスラムの極貧の人々だ。日々の生活に必死で、訴訟どころじゃない。

 数千人が亡くなる工場事故が日本で起きたら、マスコミはどう扱うだろう? 被害者の多くが貧しい人々であり、また(当時は)開発途上国のインドで起きた事故だけに、あまり話題にはならないが、その規模は相当なものだ。忘れられがちな発展途上国の事故を、詳しく調査・報道した点だけでも、本書には大きな価値がある。

 だが、それ以上に、生き生きと描かれた被害者たちの生活ぶりが、この本の最大の魅力だろう。カルカッタの貧民街に密着して取材した傑作「歓喜の街カルカッタ」の著者だからこそ書けた、現代のルポルタージュの傑作だ。多少なりともインドに興味があるなら、「歓喜の街」とあわせ是非とも読んで欲しい。そして事故防止に携わる人にも。

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2014年6月22日 (日)

クリスティアン・ウォルマー「鉄道と戦争の世界史」中央公論新社 平岡緑訳

第二次世界大戦中、アメリカの鉄道は軍貨物の90%と、組織化されて移動する軍関係者の97%を運んだ。

【どんな本?】

 鉄道以前の軍は、長く一箇所に留まれなかった。すぐに人も馬も植えるからだ。そこに鉄道が登場する。陸上で大量の人と物を運べる鉄道は、戦争の様相を変えた。鉄道の適切な運用により、短期間で大軍の動員が可能となり、また長い期間、一箇所に留まって戦えるようになった。

 クリミア戦争・南北戦争・ボーア戦争などの鉄道利用の黎明期から、シベリア鉄道が大きな影響を与えた日露戦争、鉄道の強大な輸送力が戦争の様相を大きく変えた第一次世界大戦、ゲージの違いが敗北の大きな要因となった第二次世界大戦のバルバロッサ作戦、そして転換点のさきがけとなった朝鮮戦争とベトナム戦争。

 運輸問題が得意なイギリスのジャーナリストが、主に兵站を中心として鉄道と戦争の関係をさぐり、独特の視点で描く、近代・現代の鉄道と戦争の歴史。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Engines of War : How Wars Were Won & Lost on the Railways, by Christian Wolmar, 2010。日本語版は2013年9月10日初版発行。単行本ハードカバーで縦一段組み、本文約346頁+訳者あとがき4頁。9ポイント47字×20行×346頁=約325,240字、400字詰め原稿用紙で約814枚。

 文章は、正直かなり読みにくい。原文に忠実に訳したのか、かなり文が長い。修飾語と被修飾語が離れていて、入れ子の深い文章構造が多く、一気に読むのがシンドい。二重否定も多く使われている。ただ、マイルやフィートなどの表現を、メートル法で補っているのは嬉しい。

 読みこなすのに特別な前提知識は要らないが、ナポレオン以降の世界史に詳しいと、更に楽しめるだろう。

【構成は?】

 序文
第一章 鉄道誕生以前の戦争
第二章 戦闘に呼び込まれた鉄道
第三章 鉄の道に敗北した奴隷制度
第四章 学ばれなかった教訓
第五章 戦争の新たなる武器
第六章 世界中が予期した戦争
第七章 西武戦線における大鉄道戦争
第八章 東部戦線での対照的な様態
第九章 またしても同じこと
第十章 線路上の流血
 参考書目/原注/訳者あとがき/索引/関連地図

 基本的に時系列順になっているので、素直に頭から読もう。特に「鉄道以前の戦争」を描いた第一章は、全体を理解する前提となっているので必読。

【感想は?】

 実は内容の多くが、M.v.クレヴェルトの「補給戦」と被っている。どころか、まんま補給戦を引用している所も多い。

 まず認識すべき大前提を、第一章で強調している。馬も兵隊も食わにゃ飢えるのだ、と。だが運べる量は限界があるので、現地調達せにゃならん。大人数が一箇所に留まると、付近の食べ物を食い尽くす。そこで「決して一ヶ所に必要以上長逗留して休息できなかった」。

 そこに鉄道が登場する。大量の人と物を、一括して運べる便利なシロモノだ。これは補給を楽にするばかりでなく、兵隊の招集も迅速にできるようになる。鉄道による人と物の移動は、経済を活性化させる反面、戦争も始めやすくしてしまった。

 とまれ、どんな道具も使い方次第。軍は鉄道を支配したがるが、過剰な支配は逆に鉄道の利点を殺す。これを戒めたのが、南北戦争の北軍で「戦時鉄道の魔術師」と呼ばれた鉄道技士ヘルマン・ハウプト。彼曰く、主要原則は二つ。

 1.軍部は列車便の操業に介入してはならない。
 2.貨物車は倉庫や事務所として使われないよう、速やかに空にして返すべし。

 世の技術職の人は、1.に深く同意するんじゃなかろか。ったく、わかってない営業や管理職や経営陣がブツブツ…。とまれ、軍人ってのは威張りたがるもんで、なかなか原則は徹底せず、事故が起きたり貨物車が払拭したり。

 シベリア鉄道が開戦の大きな要因となった日露戦争などを経て、鉄道の威力が戦場を大きく変えたのが第一次世界大戦。特に西部戦線を扱った部分が、本書のハイライトだろう。

 鉄道は大量の動員を可能にし、同時に食糧や弾薬の大量輸送も出来るようになった。「お、これなら大軍で一気に攻め込めるじゃん」と思ったのはいいが、現実は非情。大量輸送が可能なのは、味方だけじゃない。敵も同じなのだ。

 しかも、鉄道で運べるのは自軍の前線(の手前)まで。敵軍内に入ると、そこには線路が通じてない。だから人や馬で運ばにゃならん。一気に輸送効率は落ちる。逆に敵は自国領から鉄道で大量の補給が受けられる。それまで、戦争は攻撃側が有利だと思われていたのが…

新たな工業技術――有刺鉄線、機関銃またはとりわけ鉄道網――のすべてが防御を奨励する側に廻ったことであった。

 鉄道が実現した兵の大量動員・大人数を前線に留め得る強力な補給能力は、突撃を無効化する鉄条網や機関銃も相まって、悪夢の塹壕戦を生み出す。当事のフランスの軍用列車も凄い。なんと50両編成だ。士官専用の客車1両+兵員&軍馬用の有蓋貨車30両+無蓋無側17両+制動用の緩急車2両。まさしく Long Train Running。

 そんな鉄道にも欠点はある。駅までは運べても、その先はどうしようもない。そこで登場するのがゲージ60cmの軽便鉄道。前線で泥縄式に施設したモンだから品質はアレで、「軽便鉄道を使った運輸業務の1/5を、軽便鉄道の維持と建設に必要とされる資材が占めていた」。しまいにゃT型フォードまで機関車として登場する始末。

 もう一つ、鉄道と戦争のスターは装甲列車。表紙にも出てくる列車砲なんてゲテモノもあるが、活躍する場面は限られている。だって軌道しか走れないし。例外がソ連/ロシアで、内戦鎮圧で大活躍している。

特にそれが目立ったのは1990年のアゼルバイジャン民族主義者に対する、また1990年代及び2000年代初めのチェチェン戦争へ向けての出勤であった。

 とすっと、チベットの青蔵鉄道も…

 かように重要な意味を持つ鉄道は、同時に破壊と防衛の主眼にもなる。第二次世界大戦中のフランスのレジスタンス、敵のドイツの見事な運用方針、朝鮮戦争での北朝の鮮やかな欺瞞工作を経て、再び鉄道の位置づけが変わるベトナム戦争へと繋がってゆく。

 陸上で他国と国境を接していない日本じゃピンとこないが、国によっては戦略資源として鉄道を重視するあまり、観光客にまで列車や機関車の撮影を禁止している国もある。兵站という戦争における重要性の割に軽視されている分野に、少しマニアックな側面から焦点をあてた本でもあり、なかなかの拾い物だった。

 ただ訳文は硬いので、相応の覚悟はしておこう。

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2014年6月17日 (火)

榊涼介「ガンパレード・マーチ2K 5121小隊帰還」電撃文庫

「よかよか。政治ごっこより、ラーメンの方が重要タイ。この国には、出汁を取るという人類最大の知恵が存在せんからのー」

【どんな本?】

 2000年9月28日、 SONY Playstation 用ゲーム「高機動幻想ガンパレード・マーチ」が発売される。当事のハードウェアの限界を超えた野心的なシステムの開発は宣伝費を食い潰し、宣伝費ゼロというゲーム・コンテンツにあるまじき状態での発売だった。

 だがその過酷な世界設定・斬新なシステム・魅力的なキャラクターは、特定の嗜好を持つファンを惹きつけてロングセラーとなり、第32回(2001年)には星雲賞メディア部門を受賞、2010年にはPSP用のアーカイブで復活して今なお新しいファンを獲得し続けている。

 榊涼介の小説シリーズは、そのノベライズとして2001年12月15日発売の短編集「5121小隊の日常」から始まる。ゲームに沿ったストーリーは「九州撤退戦」で一段落するが、その後「山口撤退戦」より榊氏がオリジナルのストーリーを発展させ、この巻へと続いている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年6月10日初版発行。文庫本縦一段組みで本文約296頁。8ポイント42字×17行×296頁=約211,344字、400字詰め原稿用紙で約529枚。標準的な長編小説の分量。

 ライトノベルのわりに、地の文章は素直で読みやすい。内容は素直に前の「西海岸編3」から続いている。

 元となったゲームの設定は壮大だし、小説独自の展開や人物も多い。出来れば最初に出た短編集「5121小隊の日常」か、時系列順で「episode ONE」から入るのが理想。またはアメリカ大陸に渡る「新大陸編1」の冒頭で世界設定の説明があるので、そこから入るのが楽かも。それさえ面倒という人は、西海岸に舞台が移る「5121小隊の日常Ⅲ」または「西海岸編 1」からにしよう。

 でもやっぱり巻頭に5121小隊メンバー紹介のイラストが欲しいぞ。再録でもいいから。

【どんな話?】

 1945年に突然現れた幻獣により第二次世界大戦は終結した。食事が不要で圧倒的な兵力を誇る幻獣は人類を席巻、撤退を続ける人類はユーラシアを失い、南北アメリカと南アフリカの一部、そして日本列島のみとなる。

 1999年、幻獣は九州に上陸。日本政府は14歳~17歳の少年兵を招集し、捨て駒として戦線に投入する。少年らの消耗で稼いだ時間で自衛軍を立て直すする目論見だった。各隊で持て余されたはみだし者を集め組織した5121小隊は、キワモノ兵器の人型戦車・士魂号を与えられ、予想外の活躍を見せる。

 だが幻獣の攻勢は押しとどめられず、5121小隊の働きにより多くの学兵を救うものの、日本は九州を失う。恒例の夏季休戦を破り山口へと上陸を始めた幻獣だが、岩国・広島の死闘を経て自衛軍は初の防衛戦に成功、勢いをかって九州の奪還へと進み、幻獣の一部戦力との和平に漕ぎつけた。

 首都・東京の政変と東北への幻獣上陸、そして北海道独立と危機を戦い抜いた5121小隊は、新大陸アメリカへと渡る。東海岸のワシントン政府と西海岸のシアトル政府に分裂したアメリカ。東海岸レイクサイドヒルで幻獣に包囲された市民を、海兵隊と共に救出した5121小隊は英雄となり、シアトルでも歓迎される。

 日本政府はワシントン政府と正式な国交があるが、シアトルとはない。国交樹立を望む政府、経済交流を願う財界。視察も兼ねシアトル入りした5121小隊は、若者らしいおイタを重ねつつも市民との交流を実現する。銀行強盗事件をきっかけに南部サンディエゴの前線に出た5121小隊は、軍の暗部を垣間見ながら幻獣の猛攻を食い止める。

 しかし、元々疲弊していた5121小隊の面々に過酷な戦闘は大きな負担となった。小隊内では、精神汚染に無頓着なシアトル政府を懸念する者と、早期の帰国を望む者の軋轢が表面化してゆくが、サンディエゴ前線での強引な介入は善行の立場を悪化させていた。

【感想は?】

 西海岸編、堂々の完結。

 最近の榊ガンパレの中では、最も5121小隊に焦点があたる巻かも。新大陸編ではフェルナンデスやプラッターがそれなりに出番があったし、西海岸編では四人組やセルジオ視点の場面も多かったが、この巻では5121小隊視点での話が中心となる。いやちゃんとセルジオ君たちの出番もあるんだけど。

 ゲストの中では、シアトルの桜沢レイちゃん的な立ち居地の肘鉄キャスターが大活躍。その名もサラ・コナーズ。レイちゃん同様の突撃型で、上昇志向も旺盛な模様。素姐さんにいじめられなきゃいいけど。しかし茜、年上の女性にモテるなあ。

 全般的に頭脳戦が中心となるこの巻では、その茜が大張り切り。この巻では、彼と森さんが小隊内の軋轢を象徴している。とにかく自分の才能を発揮する機会を見逃さない茜、早く平穏な日常に戻りたい森。この二人を筆頭に、武闘派と帰国派で小隊が分裂の危機を迎えてゆく。

 この対立の矢面に立つ善行の泣き言が、これまた実に楽しい。

 そんな中、帰国派に属しながらもマイペースなのが中村と岩田の靴下コンビ。彼らに対する素姐の「普通に過ごしていればいいから」も酷いが、素直に「合点承知」って、いいのか中村。まさか、これを機に新たな獲物を…。なにせ、連中のシンジケートが大変な事になっているのが、この漢の終盤で明かされる。大丈夫か合衆国。

 そして忘れちゃいけないタイガー。「九州撤退戦」あたりからフィクサーとしての側面を身につけ始めた彼が、この巻でも密かにアチコチへと飛び回る。コイツも例のシンジケートを広げてるんだろうか。懐かしいゲストも登場し、終盤までキーとなる活躍を見せる。しかしあの目つきの悪いハッピ男、どう考えても商売の邪魔にしかならんと思うのだが。

 戦闘班の中で、意外(でもないか)な帰国派が滝川。でも理由が…と思ったけど、いかにも彼らしいかも。欧米はコムギが主食で粉モン文化なんだけど、やっぱり味付けが違うんだよなあ。焼いてパンにしちゃう欧米と、コネてパスタにする極東の文化。にしても新井木と同じレベルだぞ、いいのか滝川。

 ちなみにあの辺、たしかサンフランシスコに世界最大のチャイナタウンがあったはず。残念だったね、滝川&新井木。

 新大陸編・西海岸編の完結編なだけに、終盤は怒涛の展開で懐かしい顔ぶれが続々と登場する。私が気になっていたのは件の小学校。ええ、そりゃもう、泣かせる人が泣かせ、笑わせる人が笑わせる、愉快な終盤を演出してくれた。つか忍び込むかお前w

 精神汚染に無防備なオルレイ代表率いるシアトル政府、密かに喉笛をかききる機会を伺うリーランド&銀狼師団、そして経済交流を望む日本の政界・財界。暴走のツケで大きな支援が望めない状況で、善行と5121小隊はどう事態を捌くのか。

 そして本当に9月10日に新シリーズが始まるのか。是非とも始めて下さい。

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2014年6月16日 (月)

ヴァーナー・ヴィンジ「星の涯の空 上・下」創元SF文庫 中原尚哉訳

ここへ来たのは最重要の問題、すなわちこれからの千年について考えるためだった。しかしいまは、さっきの五分間について考えていた。

【どんな本?】

 「マイクロチップの魔術師」「レインボーズ・エンド」などマニア受けする作品で知られるSF作家ヴァーナー・ヴィンジによる、<思考圏>シリーズに属する長篇SF小説。「遠き神々の炎」の続編。

 遠い未来。人類は天の川銀河へと進出し、他の多くの知的種族と銀河文明を築いている。「疫病体」から逃れ不時着した惑星には、、中世レベルの文明を持つ集合知性体・鉄爪族がいた。高度な知性を持つ器機が動かない場所で、寛容な鉄爪族の女王・木彫師と協力しながら技術と文明を急ピッチで引きあげるべく奮闘するラヴナ・バークスヌト。だが彼女の周囲では複数の陰謀が密かに進んでいた…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Children of the Sky, 2011, by Vernor Vinge。日本語版は2014年2月28日初版。文庫本の上下巻で縦一段組み、本文約465頁+450頁=約915頁に加え、堺三保による解説11頁。

 文章は比較的にこなれている。が、幾つかの点で、読み進めるのは難儀だ。内容が遠未来の異星を舞台にした作品でもあり、かなりSF度が濃い。エイリアン鉄爪族の設定がユニークで、命名も独特のクセがあり、理解するのに時間がかかる。

 お話も「遠き神々の炎」の直接の続きなので、できれば解説から先に読もう。大丈夫、心得た解説者なので、ネタバレなんて野暮な真似はしていないし、前作の概要も説明している。特に、この作品は舞台設定が独特なので、著者が設定した天の川銀河の不思議な仕組みは頭に入れておこう。

【どんな話?】

 かつて木彫師の情報部長でもあった危険な鉄爪族のベンダシャスは、従者のチティラティフォーを伴い大富豪を訪ねる。かつての栄光を取り戻すため、力を借りようというのだ。

 ラヴナ・バークスヌトは、怯えながら目覚めた。疫病体艦隊の残骸は、約30光年ほど離れた所にいる。連中がここに辿りつく前に、高度な文明を発達させ、対策を講じようと計画を進めていた。光速を超えられない低速圏では、数百年から数千年の時間がある筈だった。だが、彼らはラムスクープ船を建造し始めている…

【感想は?】

 前作「遠き神々の炎」はほとんど思えていないが、この作品の設定は絶妙のセンス・オブ・ワンダーに溢れている。

 大きな所では、天の川銀河の設定だ。中心に近いほど生物もコンピュータもおバカになり、周辺へいくほど賢くなる。賢くなったからといって性格が良くなるとは限らないのが、ミソのひとつ。疫病体は、賢いけど悪辣な連中なのだ。

 主人公のラヴナたちは、かつて光速を超える移動が可能な、際涯圏にいた。コンピュータも賢くて、人工知能も発達していた。ところが疫病体に追われ、光速を超えられない低速圏へと逃げ込む。助かったようだが、頼みの綱のコンピュータまでおバカになってしまう。インテリジェント化された様々な機器も、多くの機能が使い物にならなくなる。

 ってんで、賢いコンピュータに慣れたラヴナ一行は、おバカなコンピュータと、ポンコツになった機器にイラつきながら、中世文明レベルのエイリアン鉄爪族で溢れた惑星で苦労し続ける羽目になる。

 コンピュータがおバカになる、って設定が、苔の生えたプログラマ諸氏には身につまされるところ。日頃から自作のスクリプトなどで定型作業を効率化してたり、コッソリ自作のライブラリを充実させたりしてたら、「うをを!」と頭を抱えるかも。

 自作スクリプトなどで作業を効率化したはいいが、肝心のマシンが壊れたりして買い換えたりしたら、環境を移植しなきゃいけない。ところがこの移植作業、マッサラな環境でやるわけで、日頃から使い慣れたスクリプト類が使えない。「なんだってこんな単純なコトを手操作でやらにゃならんのだ!」とイラつきながら、一歩一歩進めていくわけだ。

 ってなわけで、「vi が役に立つのって emacs をインストールする時だけだよね」などと嘯く人には、なかなか身に染みる場面が多く出てくる。

 メモリや電力の制約が厳しい組み込み機器のソフトウェアを開発している人も、同じ共感を持つかも。Ruby、PHP, Perl などスクリプト言語に慣れた人が、c言語の環境に投げ込まれた時に感じる苛立ちとか。昔の Fortran の format 文の文字列定数の指定方法の凶悪さを、登場人物がまんま代弁してくれる。

こんな単純ミスをどうして船は教えてくれないのか。

 今は構造化エディタが当たり前になって、引用符の対応ミスとか一発でわかるけど、昔のコンパイラときたらブツブツ…

 なお、この作品にはコンピュータの操作に関して「低レベル」って言葉が所々に出てくるけど、これは「ハードウェアに近い」という意味であって、「技術レベルが低い」という意味ではないので、念のため。まあ、あれです、アセンブラでビットをいじる、そんな雰囲気だと思ってください。

 やはり設定で楽しいのが、エイリアン鉄爪族。世の中には犬派と猫派がいるそうだけど、これは犬派に危険なお話。見た目は犬みたいだけど、ちゃんと優れた知性がある。ただ、その知性ってのが独特で。一個体では、それこそ犬並みの知性しかない。だが五個体ぐらい集まると、ヒト並の知性になる。上限もあって、八個体ごらいが限界。

 というのも、固体同士が声で情報を交換し、それで知性を形作っていくからだ。数が少ないと充分な思考能力に達しない。でも同じ空間で多くの個体が同時に話したら、単なる雑音になっちゃう。ってんで、多いほうも八個体が限界。おまけに面白い性質があって。中の個体は次第に入れ替わっていく。ある意味、知性そのものは不死に近いのだ。

 など、複数個体かたなる集合知性であること、声(音波)で情報交換して自我を保っていることから起きる、便利な性質や困った事態などが、この作品の欠かせない味となっている。新たに登場する熱帯種や、単独個体になりながら強烈な存在感を示すリトルなど、エイリアンの魅力がたっぷり。

 冒頭では、彼らの目から見たヒトの姿が語られる。いきなり空からやってきた奇妙な姿の知性体。しかも、この星で増殖を企てている。とくれば、当然、脅威と見なされるわけで。

 次第に劣化してゆく高度な銀河文明の機器と、現地で生産を始めた原始的な(だが補充の利く)機器。両者の対比も、この作品の味なところ。マニアックな作品を得意とするヴァーナー・ヴィンジの著作だけあって、煩いSF者を唸らせる場面は随所にある。じっくり味わいながら読もう。 

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2014年6月 8日 (日)

阪上孝・後藤武編著「<はかる>科学 計・測・量・謀…はかるをめぐる12話」中公新書1918

はかることは、つねに何かと何かの関係をつかむことである。はかるものとはかられるものとが具体的な関係を結んだとき、そこに生きた空間が生まれる。
  ――第8章 身体から都市へ――空間をはかるル・コルビュジエ 後藤武

【どんな本?】

 世の中には様々な単位がある。それらは、どうやって決まったのか。決まる前は、どうだったのか。ヒトはどうやって世界を測っているのか。なぜ人工衛星で地下の様子がわかるのか。過去の様子を、どうやって知るのか。

 中部大学高等学術研究所が、細分化した学問分野を横断する研究会として、文系理系を問わず広い範囲で専門家を集め、三年間にわたり「はかる」というテーマで行なった研究会を元に、そのエッセンスを集め一般向けに著した解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2007年10月25日発行。新書版で縦一段組み、約287頁。9ポイント42字×17行×287頁=約204,918字、400字詰め原稿用紙で約513枚。長編小説なら標準的な分量。

 新書のわりに比較的に文章は硬い。また内容も思ったより濃い。これは本書の構成のためだろう。

 次の【構成】を見ればわかるが、章ごとに著者が違う。この本は、それぞれの分野の研究者が、自分の得意分野で「はかる」に関係する事柄を記事にして、それをまとめた本だ。

 書いているのは研究者であって、素人向けの著述の専門家ではない。正確さは重要視するが、「売れる文章」を書く人ではない。そのため初歩的な専門用語が出てくるし、論文的な言い回しも多くなる。

 また各著者は気合を入れて書いたようで、素人向けと意識はしつつも、短い頁数にできるだけ内容を盛り込もうとする気概が伝わってくる。そのためか、各章の中味は、相当に濃くなった。バラエティ豊かな味わいがある反面、次々と全く異なるテーマが展開するため、章ごとに頭を切り替えるのに苦労した。

【構成は?】

  • はじめに 阪上孝
  • 第1部 はかる尺度・単位
    • 第1章 はかることの革命 メートル法の成立 阪上孝
      • 一 旧体制と度量衝
      • 二 啓蒙の時代
      • 三 はかることの革命
    • 第2章 キログラムの再定義 単位の普遍性をめざして 藤井健一
      • 一 キログラムの歴史
      • 二 新しい定義を求めて
      • 三 アボガドロ定数をはかる
      • 四 再定義の影響
    • 第3章 環境をはかる 一技術者の立場から 瀬田重敏
      • 一 継続してはかる
      • 二 はかった結果をどう読むか
      • 三 はかった結果を理解できる力を養成する
    • 第4章 アフォーダンスという単位 肌理と情報 佐々木正人
      • 一 アフォーダンスの歴史的背景
      • 二 地面からサーフェスへ
      • 三 生態学から遮蔽へ
  • 第2部 国土・都市をはかる
    • 第5章 古代シュメールでどのように土地が測られ、穀物が量られたのか 前川和也
      • 一 種子の播き方
      • 二 播種条数の意味するもの
      • 種を播く間隔と容量システム
    • 第6章 風水で国土をはかる 気と脈であらわす朝鮮の古地図「大東興地図」の表現と思想 渋谷鎮明
      • 一 「大東興地図」とは
      • 二 気と脈であらわされる山の連なり
      • 三 再評価される大東興地図
    • 第7章 空からはかる 考古学とリモートセンシング 渡辺展也
      • 一 リモートセンシングの歴史
      • 二 考古学と人工衛星画像
      • 三 デジタル化が支援する考古学
    • 第8章 身体から都市へ 空間をはかるル・コルビュジエ 後藤武
      • 空間尺度の歴史
      • ル・コルビュジエの空間尺度
      • 身体のメタファーとしての都市
  • 第3部 感性・意味をはかる
    • 第9章 音をはかる 音響学の歴史的変遷 橋本毅彦
      • 一 音の高さをはかる
      • 二 音色をはかる
      • 三 音の大きさをはかる
    • 第10章 “美”をはかる 音の文化の諸相をめぐって 藤井知昭
      • 一 音の文化
      • 二 音の認知の諸相
      • 三 音の機能的な認知
      • 四 音の文化を比較する
    • 第11章 罪の重さをはかる ダンテの『神曲』地獄篇にみる罪と罰 山田慶兒
      • 一 ダンテの生涯と『神曲』
      • 二 『神曲』に底流する主題 数と時のシンボリズム
      • 三 世界史の舞台としての『神曲』とその舞台装置
      • 四 三つの世界と地獄の構造
      • 五 罪
      • 六 罰
      • むすび
    • 第12章 メタファーで世界を推しはかる 認知意味論の立場から 柳谷啓子
      • 一 メタファー論の流れ 世界を把握するメタファーの役割
      • 二 認知意味論におけるメタファー 具体的なもので抽象的なものを推し「はかる」
      • 三 「はかる」ためのさまざまなモノサシ 喩えからモノサシへ
    • おわりに “はかれないこと”に注がれる人間の情熱 長島昭
    • 著者紹介

 各章は独立しているので、興味をひかれた部分だけを拾い読みしてもいい。

【感想は?】

 科学や工学の本かと思ったが、意外と文系の話も多い。全般的に第1部は理系の話、第2部は理系と文系の中間の話、第3部は文系の話、という感じ。

 第1章は、バラバラだったフランスの度量衝を統一する話。ここではなぜバラバラになったのか、という理由が面白い。つまりは利権の問題で、「領主や教会は、収入を増やす手っ取り早い手段として、枡の大きさを恣意的に変えた」。小権力が乱立した状態だと、度量衝も乱立してしまうわけ。

 第2章は単位の定義と再定義の話。テーマとなるキログラム、昔は「水1リットルの重さ」だった。ところがこれ、温度によって変わるし、「リットル」って単位に依存している。これは美しくないんで、独立した単位にしましょうや、という事になった。どうやら今はプランク定数を基本にする方針みたい(→Wikipedia)。

 コンピュータ・グラフィックや人工知能に興味があるなら、第4部は楽しめるかも。ヒトが目でモノや世界をどう認識しているか、という話で、「肌理(テクスチャ)が重要な役割を果たしてるんだよ」と指摘する。ここではフライト・シミューレータの風景の流れ方が意外と複雑なのに驚いた。ヒトの視覚処理って、実は凄まじく高度なんだなあ。

 第5部では、古文書からシュメール文明の農業と統治状態を再現する話。元になるのは、大麦耕地の播種の教科書、「農夫の教え」。どういう間隔で畝を作り、どんな間隔で種を播くかを記した文書から、当事の農業を再構成してゆく。紀元前2千年に農業を規格化してたってのも凄いが、それを再現してゆく作業も、なかなか楽しい。

 第7部は、人工衛星と考古学の関わりがテーマ。なぜ人工衛星で地下の様子がわかるのか。実は可視光線で見るんじゃないのだ。「比較的長い波長の電波を用いる。波長の長い電波は対象を透過しやすく、雲はもちろん条件を満たせばある程度地表を透過し、地下の状況を映し出すこおとができる」。つまりレーダーですね。偵察衛星が活躍してたり、GPSが革命を起こしつつあったり、現代の考古学は激動の状況にあるみたい。

 第9章・第10章は、いずれも音の話。第9章は音そのものを分析してゆく科学系の視点で、第10章は世界の音楽を調べる文化人類学的な視点。

 第9章で面白かったのは、ヒトの声、それも母音を人工的に作り出そうとする話。医学者・物理学者のヘルマン・フォン・ヘルムホルツ(→Wikipedia)、ヒトの耳の構造から「母音の違いは倍音構成によるものではないか」と考え、倍音の合成機をつ作ったとか。残念ながらヒトの声には聞こえなかったようだけど。今でもヒトの声の完全合成は難しくて、ボーカロイドも録音したヒトの声をベースにしてるんだよなあ。

第10章は、世界の様々な文化における音楽の扱いの違いについて。特異なのがスリランカのヴェッダ族。「成人の男として認められるために不可欠な条件は、他とは異なった自分の歌をつくり、それを成人の男たちに披露すること」。で、どうやら、その歌だけを生涯歌い続けるらしい。歌=自分、なのだ。

 同じ章では、トルコのイスタンブールの学生の合唱団の話も凄い。五線譜に、特殊な1/4音の記号がある。これは半音の更に半分の高さの変化を表すもので、彼らは見事に歌いこなすとか。

 第12章は、メタファーを通じてヒトの感覚を探る話。例えば「海より深い悲しみ」なんて表現がある。が、「山より高い悲しみ」は不自然に感じるだろう。つまり、悲しい感覚は「下」であり、喜びは「上」なのだ。普段から意識せず、我々はモノゴトを身体化して表現してて、ソコにはヒトの感覚が現れている、そんな話。

 各部門の専門家が集まって作った研究会による本のため、内要はバラエティ豊か。人工衛星が考古学に革命を起こしてたり、心理学がフライト・シミュレータに影響を与えてたり、複数の学問の交錯が生み出す興奮が見つかる本だった。

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2014年6月 5日 (木)

SFマガジン2014年7月号 創刊700号記念特大号

長編部門では、これまで圧倒的な強さを誇っていた三強――『百億の昼と千億の夜』『果てしなき流れの果てに』『妖星伝』――をはじめとする第一世代の作品群に新作が割り込み、とくにベストテンの顔ぶれが大きく変化した。
  ――2014オールタイム・ベストSF結果発表 国内長篇部門 香月祥宏

 584頁の特大サイズ。創刊700号記念特大号として、2014オールタイム・ベストSF結果発表のほか、SF MAGAZINE ARCHIVE として日本のSFおよびSFマガジンの歴史を振り返り、SFマガジンのバックナンバーから大量の記事と広告までも再録。まんま「日本のSFこの60年」といった内容。

 ただし再録はレポート・書評などのノンフィクションだけで、小説はすべて新作が5本。グレッグ・イーガン「端役」山岸真訳,谷甲州「サラゴサ・マーケット」,夢枕獏「小角の城」,神林長平「絞首台の黙示録」,円城塔「エピローグ<3>」。ところで、とり・みきは連載なのかw

 グレッグ・イーガン「端役」山岸真訳。「わたしはサグレダ」「どこから来たのかは覚えていません」。大災厄で重力は横向きになり、東に引っぱるようになった。目覚めたサグレダに声をかけたのは、ジェーザーという名の白髪の女性だ。人々は洞穴の中で暮している。だが、この世界のしくみをじっくりと考え始めたサグレダは…

 バリトン・ベイリーばりにイカれた世界を提示しつつ、そこは堅物のイーガン。いきなり世界の力学やエネルギー収支を生真面目に考えてゆく。イカれた世界を「そういうものだ」で済ませ話を進めるというSFのお約束をあっさり反故にして、理詰めで世界の解釈を作り上げ、その上で倫理的な問題を突きつけてゆく。まさしくイーガンならではの作品。

 谷甲州「サラゴサ・マーケット」。土星の衛星イアペトゥスのアングラ・マーケットで、サルベージ屋を営む九條谷の元に、物騒な客が現れた。注文は特定サルベージ、ただし軌道要素は不明。先の外惑星動乱が終わった後、サルベージ屋は大忙しだった。物資不足で需要は多く、美味しい獲物も多かったからだ。だが今は…

 2014年4月号に続く新・航空宇宙軍史シリーズ。いきなり懐かしい名前が出てきて、古いファンは記憶の埃を払うのに苦労したり。太陽系内の遠大な距離を感じさせた前シリーズを、充分に継承したサルベージの歴史は実にワクワクする。戦後の貧乏な外惑星の懐事情も伝わってくるし。

 神林長平「絞首台の黙示録」。死刑囚だと名乗るタクミは語り始める。「おれは自分の見を守っただけだ」。だが、どうも言ってる事がおかしい。なぜ死刑囚がここにいるのか。記憶があやふやだと言うが、台所で手早く茶を入れるし、風呂でも迷わずタオルを使う。この家で何かどこにあるか、ちゃんと把握している。何者なのだ?

 今まで作家のタクミの視点で語られたのが、この回では死刑囚のタクミの視点で物語が進む。作家タクミの視点だと、理屈に合わないのは「同じ顔と名前のタクミがいる」点だけだが、死刑囚のタクミだと「なぜ生きているのか」「なぜここにいるのか」など、理屈にあわない事ばかり。この先、どう話が進むのか、全く想像つかない。

 円城塔「エピローグ<3>」。朝戸はアルゴンキン・クラスタでチェリーパイをパクついている。見た目はホットドッグなのだが。目の前ではアラクネがパフェを分解している。こっちの見た目はハンバーガーだ。アルゴンキン・クラスタは料理が発達し、構造物まで料理の技術を応用して作っている。

 相変わらず意味不明な円城塔節だけど、この回はギャグだと思えばなかなか笑える。ボケのアラクネに突っ込みの朝戸に加え、二人に絡むゲストが披露する哲学が、実にSFらしく偏ったシロモノで、私はこういう人が大好きだw やっぱり、これぐらいイカれた人が出てくると、ホッとする。それはそれで病気のような気もするけど。

 飯田一史「エンタメSF・ファンタジイの構造」、今回はカゲロウプロジェクトなどボカロ小説の面白さの解説。これが実にわかりやすい。つまり膨 大な物語をシャッフルして、小出しにしたシリーズがボカロ物である、と。次第にパズルがハマっていく面白さなんだよ、だから部分だけ見たってわからないん だ、というわけ。

 構造としては航空宇宙軍史やハインラインの宇宙史シリーズみたいなモンだけど、そこで楽曲やTVアニメなどマルチメディア展開を絡めたのが巧みな所。シリーズ物は一見さんを捕まえるのが難しいけど、そこを3分ほどの音楽でクリアするって発想は賢い。

 オールタイム・ベストは国内編・海外編ともに、上位が大きく入れ替わっている。これは読者が若返ったためかな。私が幼い頃に親しんだ作品が順位を落とすのは悲しいけど、優れた作品が続出してる事と、新しいSFファンが増えた結果だと思えば、むしろめでたい結果なのかも。でもやっぱりジョージ・アレック・エフィンジャーの「まったく、何でも知ってるエイリアン」がひっかからないのは寂しい←誰も知らねーよ

 60年代~70年代の記事は、微妙に版が汚いのが時代を感じさせる。いや多分、本から版を作ったせいなんだろうけど。罫線が切れてたり、活版だったんだろうなあ。作家の写真が多いのも、当事の誌面デザインの潮流が伝わってくる。字が小さいのも、当事のSF関係者の若さのためか。いや年寄りは小さい文字だと苦労するし。

 SFマガジンの歴史で「それまでのアメリカSFの歴史をシャッフルした感じで紹介していった」みたいな経緯があって、おかげでニューウェーヴの位置づけが混乱してしまった、みたいなのがあって。でもこれ、黎明期より後のSFファンにしても実は同じようなもんで。今流行の作品も、かつての名作も、入りたての人には「まだ読んでないSF」だから、とりあえず美味しそうな所から手をつけていく。

 そこで古株として偉そうに説教したくもなるけど、そこはグッと抑えて「これも面白いよ」とソムリエ役を務める人になれたらいいなあ。

 90年代以降の話だと、不在ながら存在感を示しているのが梅原克文。「SF冬の時代」なんて言われ、出版社から「SFってラベルがつくと売れない」なんて言われてた時代に、「マニア向けSFばっか出してるから先細りになるんだ、売れる本を出さなきゃ」とアジ飛ばして論争を起こした人。

 言い方はキツかったけど、「二重螺旋の悪魔」「ソリトンの悪魔」は文句なしに面白かったし、「裾野を広げビジネスとして成立する構造にしよう」って発想は妥当だと思うし、そのために彼自身が身を切る想いで習得しただろう「売れる作品の書き方」を、堂々と公開する太っ腹ぶりには頭が下がったなあ。

 その反動として森岡浩之が出てきたのは、皮肉だったけど。これは時代的なものもあるのかも。ガンダムやバック・トゥ・サ・フューチャーなどでSFな仕掛けが若い人に浸透したんで、いきなり話が宇宙空間で始まっても受け入れられる時代になってきたのが大きいような。

 とまれ、それを考えても、オールタイム・ベストは国内篇・海外篇ともに相当にコアでマニアックな顔ぶれで。これは裾野が充実したから頂上も高くなったのか、更にマニアックな世界になったのか、どっちなんだろう。

 最後に。戦後の日本SFの歴史を振り返る感のあるこの号を読んで、「ライトノベルってヒロイック・ファンタジイを現代風に味付けしたモノじゃないのか」などと考えたり。DTP がスリップストリームを生んだ、みたいな話もあって、とすると「Gene Mapper」を送り出した電子出版は、何を生み出すんだろう。

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2014年6月 1日 (日)

村上春樹「アンダーグラウンド」講談社文庫

 一緒に小伝馬町の駅前でほかの乗客の救助にあたっていた人たちの姿を、病院で何人も見かけました。みんな救助しているときにサリンを吸い込んで、それで自分も具合悪くなっちゃったんですね。そういうことを僕はこのまま黙っていたくないんです。
  ――当時28歳の男性

【どんな本?】

 1995年3月20日の月曜日。東京都の地下鉄の複数の駅で体調不良を訴える人が続出し、多数の人が駅周辺で倒れたり座り込んだ。オウム真理教が毒ガスのサリンをまいた同時多発テロ、地下鉄サリン事件(→Wikipedia)である。13人が亡くなり、3800人以上が重軽傷を負った。

 被害者はどんな人生を歩んできたのか。何が好きでどんな仕事をしているのか。休日は何をしているのか。その日はどう出勤し、どこでテロにあい、何を見て何を考えどう行動したのか。その時、現場の状況はどうだったのか。救出・治療体制はどうだったのか。どんな症状があり、体調や生活にどんな変化があったのか。

 ベストセラー作家の村上春樹が、62人の被害者や関係者にインタビューを重ね、その生の声を伝えるノンフクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出は1997年3月30日、講談社より単行本で出版。文庫版は1999年2月15日第1刷発行。私が読んだのは2009年8月3日の第30冊。 凄い売れ行きだ。文庫本縦二段組で約762頁。8ポイント21字×19行×2段×762頁=約608,076字、400字詰め原稿用紙で約1521枚。長 編小説なら3冊分の大容量。

 ベストセラー作家だけあって、文章は読みやすい。ただし、いつものハルキ文体ではない。インタビュー集として語り手の雰囲気を伝えるためか、「です・ます」調が基本の文章になっている。語り手に一人だけ英語ネイティブの人がいて、そこだけハルキ文体なのがニヤリとさせられる。

 読むのに前提知識は要らないが、若い人は事件そのものを知らないかも。松本サリン事件(→Wikipedia)や坂本弁護士一家殺人事件(→Wikipedia)などを、軽く調べておくといいだろう。また、事件のあった路線や駅周辺に詳しいと、迫力が増す。被害者の多くが家庭を持つ勤め人であり、同じ立場の人なら身につまされるだろう。

【構成は?】

 「はじめに」
千代田線 9本
丸の内線(荻窪行き) 9本
丸の内線(池袋行き/折り返し) 3本
日比谷線(中目黒発) 8本
日比谷線(北先住発中目黒行き) 32本
 「目じるしのない悪夢」

 各インタビューは、二つの部分からなる。一つは著者が2頁ほどで語り手を紹介する部分、もう一つは語り手が語る10頁~20頁ほどの本文。また、各路線の冒頭で、その路線で起きた事件のあらましを2~3頁で解説している。興味のある所だけ拾い読みしてもいいが、実際に起きた事を把握するには、頭から順番に読むほうがいい。

【感想は?】

 事件の実態が、自分が思い込んでいたのと全く違うのに驚いた。

 恥ずかしい話だが、同時多発だって事すら私は知らなかった。当時、私にとっても身近な事件だったのだが。知人が一本違いで被害にあわずに済んだのだ。

 毒ガスの恐ろしさも、よくわかる。そもそも毒ガスだという事に、なかなか気づかないのだ。まず、多くの人が咳をしはじめる。息苦しさのようなものを感じた人もいる。そこで、大半の人が「毒ガス」などとは考えず、「風邪ひいたかな、花粉症かな」と、自分の体調のせいだと考えている。時期的にも季節の変わり目で、微妙な頃ではあるのだけど。

 匂いがあるという人もいるし、ないという人もいる。あるという人の大半は「なんともいえない匂い」といっているが、特に刺激的でもないらしい。ただ一人、「イソプロピルアルコールのにおい」と証言している人がいる。仕事で扱いなれているそうだ。事実、サリンの溶剤としてイソプロピルアルコールを使っていた。ってことは、サリン自体は無臭なのか。

 この時点で気分が悪くなり立てなくなる人もいるが、多くの人は強い自覚症状がない。だもんでウロチョロと動きまわる。駅でも何人かが倒れるのだが、ソレと自分の症状を結びつけて考える人は少ない。今から思えば「おかしいだろ」なんだが、もしかしたらサリンの作用で一時的に思考能力が落ちるのかもしれない。

 サリンが入った袋は駅員さんが手で片付けたり、乗客が蹴り出したりしている。床に水のような液体が溜まっているんだが、誰もソレと自分の悪さを結びつけて考えていない。まあ、普通は自分がテロに遭うなんて考えないし、爆弾と違い大きな音や煙が出るわけでもない。静かに被害が広がってゆく。

 そのため、丸の内線などは折り返し運転までしている。異常の原因が何なのか、なかなか掴めなかったのだ。

 息苦しさと喉のいがらっぽさの後は、世界が暗くなる。縮瞳と言って、瞳孔が小さくなる。この時点でフラつく人もいるが、やはり元気に歩き回る人もいる。この取材では、構内や出口の階段で縮瞳がおきた人が多い。その後、涙や鼻水が止まらなくなる。動けなくなるのは、その後だ。つまりジワジワと効いてくるのである。

改めて考えると、ジワジワ効くはサリンの症状ではなく、髪や服についたサリンを吸い込んだためかも知れない。

 喉がいがらっぽく、視野が暗く、鼻水が止まらない。こういう症状で、「テロにあった」と思う人は少ない。この本でも、多くの人が「暫く休んでりゃ治るだろう」と考えている。職場のテレビでテロの報道を見て、やっと病院に行った、という人も多い。

 そう、皆さん「とりあえず出勤しなくちゃ」と考えているのだ。私も最初は「日本人の勤勉さ」と思っていたんだが、もしかしたらサリンの作用で一時的に思考能力が低下し、本能的に慣れた行動に従った可能性もある。

 などのサリンの怖さも重要だが、それ以上に、この本の特徴は、語り手の人生や生活に踏み込んでいる点だ。登場する人の大半が勤め人なんだが、実に世の中には様々な仕事があるんだなあ、と感心する。ネジに5桁もの規格があったり、呉服を一人で扱ってたり、問屋で先物取引を扱ってたり。

 今の職に就いた経緯も様々だけど、親戚や知人に誘われた、というケースが多い。コネってほどでもないが、やはり雇うなら直接に見知っている人なら安心できる、って事なんだろうか。まあいい。そんな風に、「自分が知らない人の生活や人生に触れる」という、ちょっと下世話な面白さもあるのだ、この本は。

 ちょっと意外なのが、官公庁関係は全般的にガードが固いのに対し、防衛庁は協力的だったという点。勝手に想像すると、原因は三つ。

 一つは組織として取材慣れしていること。やはり作家などに取材される事が多いんだろう。もう一つは、情報管理のルールがハッキリしているんじゃないか、という事。機密情報の多い組織だけに、「公開していい事・マズい事」が明確に規定されていて、そのために、中の人も「話していい事」を充分に了承しているんじゃないかな。三つ目は、立場的に事件の実態を多くの人に知って欲しいと望んでいること。いや三つとも、全く根拠はないんだけど。

 後遺症は人によりけりで、しかも大半が歳のせいかどうかハッキリしない。全般的に目の焦点を合わせようとすると頭痛がする人が多いようだ。症状への対処も様々で、それぞれの人柄が出ている。中には勤め先が気を回して「暫くは負担の軽い職場に」と異動したのに、「もっとバリバリやりたい」と感じる人もいて、なかなか難しい。

 中でも深刻なのが、「必ず仮名にして欲しい」と念を押す人。「オウムにつけ狙われるんじゃないか」と不安を感じているのだ。そもそもオウムが一体何を考えていたのか、私もわからない。不安を感じるのも当然だろう。

彼らのやっていることがあまりにも荒唐無稽で、漫画的すぎて、ピエロの仮面の奥にあるその底なしの恐ろしさを、見通すことができなかったということです。

 私も見通せなかったし、今も見通せない。

 多くの人を救った英雄的な行為も出てくる。松本サリンの経験から得た対応策を都内の病院へファックス送信した信州大学医学部の医師、そこらを走る一般車両を止めて被害者を搬送した人、被害者を救いに構内へ何度も戻った人、そして最後まで奮闘した地下鉄職員。

 著者は敢えて整理せず、関係者の生の声を伝えようとしている。矛盾する証言もある。全体を通して一貫するテーマのようなものは、なかなか見つからない。下の関連記事も、選ぶのに苦労した。「こんな本ですよ」と一言で説明できないのだ。それこそが、この作品の価値なんだと思う。

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