トビー・グリーン「異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配」中央公論新社 小林朋則訳
歴史には何本もの大きな潮流があり、恐怖もその一つなのだが、この恐怖について古文書は、往々にして何も語ってくれない(これは、歴史学者も同様である)。なぜなら、自分の恐怖について書き記すだけの勇気を持った者が、ほとんどいないからである。
「異端審問のサンペニートと、1930年代と40年代にヨーロッパの数か国でユダヤ人につけられた黄色い星との間に、どんな違いがあるというのか?(中略)あるいは、19世紀において南北アメリカの実に多くの国々で奴隷に押された焼き印と、どれほど違っているというのか?(中略)明らかに異端審問の精神は、今も生きているのである」
――バルトロメ・ベナサール、フランスのスペイン史研究家「人民の擁護者がいなければ、社会的迫害は組織できない」
――ヒュー・トレヴァー=ローバー、イギリスの歴史家
【どんな本?】
1478年から18世紀半ばまで、スペイン・ポルトガルを席巻した異端審問。イベリア半島ばかりでなく、両国の植民地であるカナリア諸島・ラテンアメリカ・フィリピン・インドなど世界中の植民地でも、異端審問は猛威をふるった。
イベリア半島の異端審問は、バチカンが先導したものではない。むしろローマはその暴走を止めようとしていた。ではなぜスペインで異端審問が始まったのか。誰がどんな目的で始めたのか。なぜローマの制止が効かなかったのか。どのように暴走が始まったのか。どんな事が行なわれたのか。それはスペイン・ポルトガル両国にどんな影響を与えたのか。
大量の資料を元にスペインの異端審問を再現し、その原因とメカニズムを探り、現代の読者に警告する歴史書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は INQUISITION : The Region of Fear, by Toby Green, 2007。日本語版は2010年9月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約481頁+訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×20行×481頁=約413,660字、400字詰め原稿用紙で約1035枚。長編小説なら2冊分の大容量。
文章は比較的にこなれている。かなり突っ込んだネタも出てくるが、素人向けに背景から説明しているので、読みこなすのに特に前提知識は要らない。とはいえ歴史書なので、15世紀~19世紀の西洋史を知っていると、楽しみが増す。また、イベリア半島の地名が沢山出てくるため、スペインやポルトガルが好きな人は興味をそそられるだろう。
ただ、スペイン系の名前がフルネームで出て来て、これが長くてちと覚えにくかった。また。拷問などの描写は相当にエグいので、グロ耐性がない人にはキツい。
【構成は?】
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多少は前後するが、基本的に年代順に話が進むので、できれば頭から読んだほうがいい。ただ、ズブの素人は、末尾にある「訳者あとがき」を最初に読もう。より俯瞰した視点で本書を位置づけているので、素人には優れたガイドラインとなっている。用語集が冒頭にあるのもありがたかった。
【感想は?】
私は解説から読んだんだが、これが実に秀逸。先にも書いたが、俯瞰した視点で本書をわかりやすく位置づけている。曰く、異端審問には三種類がある。
- 12世紀末に始まった中世の異端審問。教皇庁が異端審問官を任命する。カタリ派弾圧など。
- 1542年に設けられたローマの異端審問。異端思想の取締り。ガリレイ裁判など。
- スペインとポルトガルの異端審問。王権に属する。
本書が扱うのは、3. のスペイン異端審問のみだ。名前は同じ「異端審問」でも、バチカン主導ではない。スペイン異端審問は、王が政治的な目的で行なった、全くの別物だ。本書中に何度も出てくるが、ローマはスペインの異端審問に批判的な姿勢だった。
など、より広い見地から本書のテーマを示してくれるのは、素人の読者にとって実にありがたかった。なお、以後、この記事の「異端審問」は、スペイン異端審問を示す。
本書を読む限り、どうも異端審問には賛否両論があるらしい。バチカンの威光が普及してない日本ではピンとこないが、キリスト教国、特にカトリックが多い国では、政治的・宗教的な問題を孕んでいるようだ。著者は完全に異端審問を害と見なす立場で、文中にも何度か感情的な表現や「!」が出てくる。
スペインの異端審問の特徴は、王権に属しローマの制御が効かないこと。そもそも審問する相手が違う。スペインで犠牲になったのは、コンベルソとモリスコ。コンベルソはキリスト教に改宗したユダヤ人の子孫、モリスコはキリスト教に改宗したムスリムの子孫。
イベリア半島は、711年にモーロ人が征服し、その後1492年までのレコンキスタ(→Wikipedia)でキリスト教徒が奪回した土地だ。ユダヤ風・イスラム風の文化が色濃く残っているし、祖先にユダヤ人・ムスリムを持つ人も多い。多文化が共存した状況だった。とまれ職業は分かれていたようで…
キリスト教徒は貴族か聖職者か軍人で、ユダヤ教徒は職人か金融業者か知識人、イスラム教徒は大半が農民か職人だった。
そこでコンベルソを襲い財産を奪おうと考えたわけだ。身柄を拘束して拷問し、財産は没収する。国民には密告を奨励し、スパイを雇う。逆恨みや嫉妬による密告は後をたたず、異端審問官は強大な権限をカサにきてやりたい放題。商人を脅して妻や娘を手篭めにする話が、何回か出てくる。そんな審問官の陰口を叩けば、それもまた連行の口実になる。
そんなイベリア半島を逃れ新大陸へと向かうコンベルソの話もあるが、彼らも奴隷商人だったりするので、実に救いのない気分になってくる。おまけに金貸しと商人がいなくなって、イベリア半島は不景気に見舞われてしまう。
当初の標的はコンベルソだったが、やがて尽きて、次は農民が多いモリスコが標的となる。ところが教会は田舎まで手が回らない。「たとえばアルシラムラでは、モリスコたちは村に来た人々に信仰箇条を教えてくれるよう頼んでいる」。教会もなきゃ司祭もいなけりゃ、農民がキリスト教について知りようがない。
でも異端と決め付け異端審問である。嫌になった農民は逃げる。農民がいなくなった貴族はアガリがなくなり悲鳴をあげる。
それでも利権の旨みに溺れた異端審問システムは止まらない。しまいにゃ先祖にコンベルソかモリスコかいたら異端とか、無茶苦茶やりだす。人々は家計図作りに必死になる。更に審問官は、北のフランスから入ってくる啓蒙思想も目の敵にし、禁止目録を充実させてゆく。
標的に飢えた審問官は、国民を相互監視させ、異端行為の密告を奨励する。「彼女はミサで聖体をしっかり見ていなかった」という密告に対し、著者は「そういう告発者こそ聖体を見ずに彼女を見てたじゃないか」と鋭いツッコミを入れているんだが、審問官は気づかなかったらしい。
絶対的な権力を握った者が、どう腐敗してゆくか。連中は、どんな屁理屈をこねるのか。他者排斥の風潮が、どのように育ってゆくか。詮索好きな輩が、どんな卑劣な真似をしでかすか。何かとキナ臭い今の日本も、外国の過去の出来事などと傍観できる状態じゃない。暴走を始めた「正義」は、家族も国も滅ぼす。
正直、エグい拷問や処刑の場面は、読んでいて辟易した。逆恨みで知人を密告するエピソードも。だが、それもまた人間の本性だ。自由と平和を教授できる今だからこそ、価値がある本だと思う。
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