ニコラス・マネー「チョコレートを滅ぼしたカビ・キノコの話 植物病理学入門」築地書館 小川真訳
「角のあるコムギがでないように」
「悪魔に勝てるように」
――ロビガリア神殿のロビグスに捧げた神官の祈り、オヴィディウスによる
【どんな本?】
アメリカグリを滅ぼしたクリ胴枯病菌、世界のコーヒー生産トップだったセイロンを壊滅させたコーヒー葉さび病、アイルランドにジャガイモ飢饉をもたらしたジャガイモ疫病菌。昔から植物の病気は不作を、そして時には飢饉をもたらし、歴史に大きな影響を与えてきた。
その多くは、菌類によるものだ。どんな菌が、どう活動して、どんな被害をもたらすのか。人はどのように原因を突き止め、どんな策を講じてきたのか。なぜ絶滅しかねないほど病気が蔓延するのか。そして、現在は、どんな植物がどんな危険に直面しているのか。どうすれば植物の病気を防げるのか。
歴史上の植物・作物に降りかかった凶作を題にとり、植物の病気とそれをもたらす菌類の生態、そしてそれを明らかにして対策を講じた植物学者・菌類学者・植物病理学者たちのエピソードを交えながら、読者に植物病理学を紹介する一般向けの科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Triumph of the Fungi : Rotten History, by Nicholas Money, 2007。日本語版は2008年8月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約246頁に加え訳者あとがき5頁。9ポイント44字×18行×246頁=約194,832字、400字詰め原稿用紙で約488枚。長編小説なら標準的な分量。
訳者は農学者だが、意外なほど文章はこなれている。内容も特に前提知識は要らない。一応は科学(生物学)の本だが、漢字さえ読めれば、小学六年生でも読みこなせるかもしれない。クリ・カカオ・コムギなど出てくる植物は馴染み深いものが多いので、親しみを持って読める。また、欧州・南北アメリカ・東南アジアなどの国が登場するので、地図帳があると楽しんで読めるだろう。
【構成は?】
|
|
科学の本なので、一応は前の章を前提として話が進むが、比較的に各章は独立しているので、興味がある所だけを拾い読みしても、第八章を除けばそこそこついていける。
【感想は?】
樹齢千年を超える屋久杉の凄さと貴重さを、しみじみと感じる。
冒頭のアメリカグリを滅ぼすクリ胴枯病菌、ニレの巨木を枯らすニレ立枯病から南米のゴムを席巻した葉枯れ病、フランス革命につながったなまぐさ黒穂病からアイルランドにジャガイモ飢饉をもたらしたジャガイモ疫病まで、菌類の恐ろしさを次から次へと紹介するのが、この本だ。
やはり世界全体で最も影響が大きいのは、ムギを襲うなまぐさ黒穂病だろう。「穀粒をチョコレート色や黒色に変え、魚が腐ったときのような臭いをだす」。冒頭の引用が示すように、古くからコムギの不作の原因だったらしい。これはコムギの不作をもたらすだけでなく…
ウマが引く20~40頭立ての収穫機が病気にかかったコムギ畑を引っ掻き回すと、胞子混じりの大きな埃の雲が巻き起こり、きまって爆発した。というのは、不幸なことにトリメチルアミンは悪臭だけでなく、可燃性物質で引火しやすかったため、粉塵爆発の原因にもなったのである。
困った事に病気は今も残っており、「アメリカのコムギ生産に毎年数%の損失をもたらして」いる。おかげで今でも穀物倉庫じゃ黒穂病を厳しくチェックしてるとか。真っ白な小麦粉は厳しい品質検査のたまものなんだなあ。遺伝子改変作物の目的の一つは、こういう病気に耐性を持たせようとしてるわけ。
この病気をもたらすウスチラゴ メイディス、トウモロコシにも感染するんだけど、「今日、この膨れた代物は、ウィットラコチェというメキシコ料理の珍味になっている」。ひええ…と思ったが、こっちには冬虫夏草ってモンもあった。まあいい。怖いのは、コイツの胞子は風に乗って飛んでくるtって点。いつ他の所に飛び火するか、わからんのだ。
アイルランドのジャガイモ飢饉も凄まじくて、「1845年には国全体の生産量の40%がこの病気にやられ、翌年にはジャガイモの90%が消滅した」。今どきのどんな企業でも、年間売り上げが9割落ちたら確実に倒産する。当事のアイルランドは、国中がそういう状態だったわけ。しかも栽培種がランバーという抵抗力のない一種に偏ってたのがマズかった。
この疫病がどこから来たのかって話が、更に怖い。どうもメキシコ・南米原産の菌らしい。つまりジャガイモの原産と近い。もともと一緒にいたのだ。で…
南米から北アメリカやヨーロッパへ、鳥の糞や燐酸肥料、グアノが輸出されるようになったのは、1840年からのことである。
作物の収穫を増やすリンの肥料グアノ(→Wikipedia)と共に、病気が来た可能性があるのだ。ってことは、有機栽培のために下手に外来の動植物を輸入すると、予期せぬ災厄が起きる可能性もあるって事だ。しかも、敵は菌だ。向うだって生き延びたい。仮に農薬や遺伝子改変で最初は抑え切れても、やがて進化する。結局はいたちごっこなのだ。
しかも、これ、菌の立場になって考えるとわかるんだが、単一作物の畑ってのは、基本的に菌に弱いんですね。だってあなた、目の前にご馳走が延々と連なってるんだから。野生状態じゃポツポツと散らばってるのが、ご丁寧にご馳走を一箇所にまとめてくれてる。そりゃたまらん、大暴れしたくなるって。つまり農業って、基本的に不作と縁が切れないわけ。
これだけ怖いシロモノだから、兵器にしようと考える奴もいるから、人間ってのは業が深い。イネいもち病の菌を、アメリカは1940年代に生物兵器にしようとしたとか。60年代まで研究を続けた。水素をつめた風船にボールをぶらさげる。そのボールの中には、胞子をまぶしたダチョウの羽が入ってるって仕組み。なお元ネタは大日本帝国の風船爆弾。
ちなみにソ連にも、コムギの黒さび病を大陸間弾道弾で飛ばす発想があったとか。ひええ。
こういった菌類の攻撃に、一年生のコムギなら品種交配とかで耐性がある種が生き延びる。けど、寿命の長い樹木だと、途中で遺伝子を変えられない。千年も生きてる屋久杉がいかに貴重か、これでわかろうというもの。
どうでもいいが、ジェスロ・タル(→Wikipedia)って、イギリスの農学者の名前だったのね。ここでは学者さんの苦闘と活躍は省いちゃったけど、顕微鏡すらない時代から、農学者が思索と実験によって病気と戦ってきた歴史も沢山載っている。
我々がよく知っている作物を例に、農作物に被害をもたらす菌類と、その生態を紹介する、親しみやすくてわかりやすく、楽しく読める科学解説書だ。
【関連記事】
| 固定リンク
「書評:科学/技術」カテゴリの記事
- アリク・カーシェンバウム「まじめにエイリアンの姿を想像してみた」柏書房 穴水由紀子訳(2024.09.19)
- ライアン・ノース「科学でかなえる世界征服」早川書房 吉田三知代訳(2024.09.08)
- ニック・エンフィールド「会話の科学 あなたはなぜ『え?』と言ってしまうのか」文芸春秋 夏目大訳(2024.09.03)
- アダム・クチャルスキー「感染の法則 ウイルス伝染から金融危機、ネットミームの拡散まで」草思社 日向やよい訳(2024.08.06)
- ランドール・マンロー「もっとホワット・イフ? 地球の1日が1秒になったらどうなるか」早川書房 吉田三知代訳(2024.06.06)
コメント