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2014年5月 3日 (土)

ジェフリー・ロバーツ「スターリンの将軍 ジューコフ」白水社 松島芳彦訳 エピソード集

 ノモンハンの戦いで赤軍を立て直して頭角を現し、大祖国戦争こと独ソ戦ではレニングラード・モスクワ・スターリングラードの窮地を救った上、ベルリン攻略まで成し遂げたソビエト連邦の英雄ゲオルギー・コンスタンチーノヴィッチ・ジューコフ。書評は前の記事を参照してもらうとして、ここでは興味深いエピソードを紹介する。

【エピソード集】

○本の虫

家にいるときのジューコフは本の虫だった。元帥が死んだ時、ダーチャ(郊外の別荘)には、二万冊の蔵書があった。残念ながらほとんどは、彼の死後に国がダーチャを接収した時に廃棄してしまった。わずかに2~300冊が博物館の所蔵に帰して今に至っている。

●遭遇

1940年5月、ジューコフはキエフ特別軍管区の司令官に着任する。
ここには一人の戦車操縦士もいた。
青年は戦車の改良に取り組み、エンジン動作を記録する装置をジューコフに見せた。
感心したジューコフは、青年をキエフの戦車技術学校に派遣する。
青年は戦後、優れた兵器を造り上げ、その名は世界に轟きわたる。
兵器の名はAK47、青年の名はミハイル・カラシニコフ。

●勝敗

スターリングラードの攻防で、ドイツおよび枢軸国は50個師団を失い150万人の犠牲を出した。
対する赤軍の損失は、250万人に及ぶ。

// 単に人数の損失だけを見れば、枢軸が勝っているように見えます。
// しかし、一般にスターリングラードの戦いは、ソ連の勝利と言われます。
// なぜなら、戦争の勝敗を決めるのは、損害の大小ではないからです。
// 重要なのは、目的を達成したか否かなのです。

// ドイツの目的はスターリングラード攻略でした。
// 対するソ連の目的は、スターリングラードの防衛です。
// ドイツは目的を達成できず、ソ連は達成しました。
// だから、ソ連の勝利と言われるのです。

●ある空挺兵の物語

合衆国の空挺兵ジョセフ・R・バイラリ軍曹は、Dデー直後にフランスでドイツ軍に捕らえられた。
1945年1月、彼は捕虜収容所から脱走し、赤軍の戦車部隊と出会う。
爆発物の取り扱いが得意なジョゼフは、指揮官を口説いて戦車部隊に加わり、共にドイツ軍と戦った。
第二次世界大戦中、米ソ両軍に所属して戦った、唯一の兵士といわれている。
戦闘中に負傷した彼は、ランツベルクのソ連軍病院に収容された。
1945年2月、たまたまこの病棟を訪れたジューコフは、彼の噂を聞いて会話を交わす。
彼が帰国を望んでいる事を知ったジューコフは、モスクワ経由で米国に送り返した。

この物語が表に出たのは1994年、Dデー50周年だ。
ホワイトハウスの記念式典で、ビル・クリントンとボリース・エリツィンが、彼に記念メダルを授与した。

2000年。
米国は新しい駐ロシア大使を任命した。
ジョン・バイラリ、ジョゼフの息子だ。
ジョンは著者に語っている。「ジューコフは父の命の恩人だ」と。

●ベルリンの死闘

ベルリン攻防戦で、ドイツ人は勇敢に戦った。
既に勝敗は決まっていたのに、なぜ戦ったのか。
著者はこう考えている。ソ連軍の報復が怖かったからだ、と。
ナチの宣伝もあるが、東から逃げてきた避難民から聞いた噂が効いたのだろう。
時間を稼げば、西側が先にベルリンに到達するかもしれないし。

// でも、それだと、大戦末期の日本の頑強な抵抗は説明できないんですよね。
// 日本の場合、島国で逃げ場がないのがひとつ。
// もうひとつは、米軍より周囲の目が怖い、ってのがあったんじゃないかと思うんですが。
// いわゆる集団の圧力です。

●準備

1947年、ジューコフはスターリンの不興を買い、窮地に立たされる。
その時の気持ちを、ジューコフはこう語っている。
「1947年の私は毎日、逮捕を恐れていた。いつでも持ち出せるように下着を入れたバッグを用意していた」

●演習

1953年秋、ソ連は西ウクライナのトツコエで野外演習を行なう。
ジューコフ準備から本番まで演習に関与した。
軍管区の責任者はコーネフ。ベルリン進攻の黄金コンビだ。
この演習は特別な目的があった。核攻撃を受けた想定で行なったのだ。
住民は予め避難させ、兵は防護服を着用して特殊構造の遮蔽壕に入る。
本番は9月14日。
部隊から3~4マイル(5~7km)、高級指揮官から10マイル(約16km)離れた上空1000フィート(約300メートル)で、
中型の核爆弾が炸裂する。
演習は大成功とされた。

// 本物を使ったようです。無茶苦茶な時代ですね。

●スター

1955年7月、フランス・英国・ソ連・米国が参加する首脳級会談がジュネーブで実現する。
ソ連の代表は首相ブルガーニンで、モロトフとジューコフが同行した。
しかし、事実上のトップは第一書記フルシチョフだ。
フルシチョフは、西側に自らの存在感をアピールしようと考えていた。
しかし、「タイム」誌の表紙を飾ったのはジューコフだった。
当事の合衆国大統領はアイゼンハワーである。
第二次世界大戦の東西両戦線の指揮官の再会だったのだ。

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