アントニー・ワイルド「コーヒーの真実 世界中を虜にした嗜好品の歴史と現在」白楊社 三角和代訳 伝説編
コーヒーの過去と現在を網羅した本「コーヒーの真実」には、楽しいエピソードが沢山載っている。ここでは、各国のコーヒーの起源にまつわる伝説を紹介する。いずれもドラマチックに脚色された伝説であって、いささか事実関係は怪しいが、お話としては面白い。
まずは、現在、世界のコーヒーの源として、最有力候補のイエメンから。
イエメン:山羊飼いのカルディの伝説
その昔、山羊飼いのカルディという男がいました。
ある時、彼は山羊の群れが踊っているのを見ました。
山羊たちは、コーヒー・チェリーを食べたのです。
不審に思ったカルディも、チェリーを食べてみました。
すると彼も気持ちがたかぶり、山羊と同じように踊ったのです。
驚いたカルディは、近くの修道院の院長に、この事を話しました。
院長は怒りました。「けしからん、きっと悪魔の実だ!」
そしてコーヒー・チェリーを火に投げいれ、焼き払おうとしました。
その時です。なんということでしょう。
豊かで芳しい香りが立ち上ってきました。
院長は考えを改めました。「これは神の元から遣わされたに違いない!」
そして豆から抽出したものを、修道僧たちに飲ませます。
霊験はあらたかでした。
僧たちは夜の祈りでも、居眠りをしなくなりました。
イエメン:ムフティのゲマレディン説
著者は、ムフティのゲマレディン説を有力と見なしている。こんな説だ。
明の鄭和(→Wikipedia)の宝船艦隊は、1417年にイエメンを訪れている。
この頃、青年ゲマレディンは、アデンに住んでいた。
艦隊と接触したゲマレディンは、茶の習慣を知る。
植物の浸出液を飲と、頭がシャッキリして眠くならない。
ゲマレディンはスーフィー教徒だ。
スーフィー教徒は、昼は働き家族と過ごし、夜に祈る。
夜のお祈りの眠気を覚ます茶は、魅力的な習慣だ。
そこで茶の作り方を教わったが、イエメンには茶葉に使える適切な植物がなかった。
後に宣教でエチオピアに向かった彼は、奴隷のオモロ族からパンと呼ばれる植物の話を聞く。
// ギリシャ神話の牧神パン(→Wikipedia)と関係あるのかな?
食べると山羊が元気になるというのだ。
そこでオモロ族の地へ赴いた彼は、コーヒーを見つけて持ち帰る。
最初は葉から淹れたが、チェエリーの果肉の方が美味しいと気づく。
これはギシルと呼ばれ、今でもイエメンで飲まれている。
錬金術にも通じるゲマレディンは、やがて焙煎を発見する。
そして美味しいコーヒーは、スーフィーの間に広まっていった。
ウィーン:コーヒー・ハウスの起源の伝説
オスマン帝国のスルタンのメフメト四世は、大宰相カラ・ムスターファに命じました。
「そちに30万の軍勢を預ける。ヨーロッパを征服するまで戻ってきてはならん」
1683年、軍勢はウィーンへ進撃します。第二次ウィーン包囲(→Wikipedia)です。
卑劣なドイツ皇帝のレオポルド一世は、市民を置き去りにして逃げ出してしまいました。
ですが、一人の英雄が現れます。その名をフランツ・ゲオルグ・コルシツキー。
彼は、かつてイスタンブールのコーヒー・ハウスに勤めていました。
そのため、トルコの習慣や言葉をよく知っていたのです。
勇敢な彼はオスマン軍に潜り込み、敵の士気や作戦を聞き込みます。
ばかりでなく、カーレンブルク山に布陣したロレーヌ公国皇太子と連絡をつけ、連合軍を実現したのです。
その上、豪胆にも、四度も包囲網を突破して往復し、その度にウィーン市民の希望をかき立てます。
彼のもたらす情報は欧州勢の頑強な抵抗を支え、1683年9月12日の勝利へとつながります。
敗走するオスマン軍が廃棄した物の中には、200kgのコーヒーもありました。
コルシツキーは、100ダカットに加え、コーヒー豆を褒賞に受け取りました。
報奨金でで店を買ったコルシツキーは、コーヒーハウスを開きます。
これがウィーン最初のコーヒーハウス、ブルー・ボトル・コーヒー・ハウスです。
インド:ババ・ブダンの伝説
1600年ごろ、イスラム巡礼者ババ・ブダンという者がおりました。
彼はメッカから戻る際に、こっそり腹にコーヒーの種をくくりつけて持ち帰ったのです。
そしてチャンドラギリの山にある、彼の隠者の洞窟の前に植えました。
これがインド・コーヒーの起源です。
ただし、現実には、インドにコーヒーが存在した事を示す記録は、最古でも1695年のものだ。
ブラジル:色男フランシスコ・デ・メロ・パレータの伝説
フランス領ギアナとオランダ領ギアナは、いずれもコーヒーを栽培していました。
そして両国とも、独占のため、種子の持ち出しを固く禁じていました。
そんな両国に、国境紛争がおきました。
仲裁にを引き受けたのは、ブラジルの大使フランシスコ・デ・メロ・パレータです。
この時、フランス総督の妻が、大使に熱烈な恋をしました。
しばし二人は情熱的に愛を交わしますが、やがて別れの時がきます。
その際、彼女は愛の記念として、大使にブーケを贈りました。
ブーケには、熟したコーヒ・チェリーがふんだんに使われていました。
ブラジルのコーヒーは、二人の恋と情熱の結晶なのです。
ブラジル:ホセ・マリアーノ・ダ・コンセイソン・ペローゾ説
実際は、もう少し散文的だ。
時は1774年、主人公はフランシスコ会修道士のホセ・マリアーノ・ダ・コンセイソン・ペローゾ。
彼はオランダの友人ホップマン氏からコーヒーの種子を受け取る。
そして聖アントニウス修道院の庭に植えたのが、ブラジル・コーヒーの始まりらしい。
アラブ首長国連邦にて
今の所、コーヒーの起源は15~16世紀のイエメンという説が有力だ。
しかし、1996年に、通説を揺るがしかねない発見があった。
アラブ首長国連邦のクシは、13世紀の終わりまで千年に渡る海沿いの貿易港だった。
1996年、ここで12世紀初めの地層から、奇妙なモノが見つかっている。
中国の陶器の破片と、炭化した二粒のコーヒー豆だ。アラビカ種である。
仮にこの豆が12世紀のものなら、コーヒーの歴史は350年ほど遡るかもしれない。
【関連記事】
| 固定リンク
「書評:歴史/地理」カテゴリの記事
- マイケル・フレンドリー&ハワード・ウェイナー「データ視覚化の人類史 グラフの発明から時間と空間の可視化まで」青土社 飯嶋貴子訳(2023.08.08)
- ソフィ・タンハウザー「織物の世界史 人類はどのように紡ぎ、織り、纏ってきたのか」原書房 鳥飼まこと訳(2023.07.18)
- パトリス・ゲニフェイ/ティエリー・ランツ編「帝国の最後の日々 上・下」原書房 鳥取絹子訳(2023.06.19)
- ドミニク・フリスビー「税金の世界史」河出書房新社 中島由華訳(2023.04.27)
コメント