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2014年5月26日 (月)

梨木香歩「沼地のある森を抜けて」新潮文庫

日本の男が出世するにはかわいげが不可欠なの。で、そういうやつが出世して、また実力が無くてもかわいげのある男を登用する。背景にある儒教的風土が結局社会をどんどん先細りさせていった。

【どんな本?】

 映像化された「西の魔女が死んだ」などで知られる児童文学・ファンタジイ作家・梨木香歩による、ややSFよりのファンタジイ長編小説。独特の世界はSFファンにも好評で、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2006年版」のベストSF2005国内編の17位に輝いた。

 化学組成分析の研究に携わる久美が、一族の女に伝わる「家宝」のぬか床を受け継いだ事から始まる騒動をきっかけに展開する、壮大で不思議な物語。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2005年8月、新潮社より刊行。私が読んだのは2008年12月1日発行の新潮社文庫版。縦一段組みで本文約505頁+鴻巣友季子の解説10頁。9ポイント38字×16行×505頁=約307,040字、400字詰め原稿用紙で約768枚。長編小説としては長め。

 文章はこなれていて読みやすい。SFかファンタンジイか微妙なところだが、読みこなすのに特にどっちの素養も要らない。途中、少し生物学や化学の用語が出てくるが、「なんか専門的な事を言ってるな」程度に思っていれば充分で、SF/ファンタジイの仕掛けは中学生でも理解できるレベル。登場人物の多くが働いて生活している男女なので、自活した経験があると、各員の気持ちが身に染みて更に楽しめる。

【どんな話?】

 化学メーカーの研究室で組成分析をしている久美は、一人暮らし。両親は既になく、兄弟もいいない。近所に住む叔母の時子が亡くなり、久美がマンションを継いだ…のはいいが、変なオマケがついてきた。ぬか床だ。時子の祖父母つまり久美の曽祖父母から伝わるもので、毎日掻き回す必要がある。怠ると、文句を言ってくるのだ…ぬか床が。

 ただ一人残った血縁の加代子叔母から押し付けられたぬか床、加代子叔母に言われたとおり掻き回してキュウリと茄子を漬けたところ、意外と味はよく職場でも好評で、友人からは持参のキュウリを漬けるよう頼まれる始末。だがある晩、いつものように掻き回していると、何か硬いものが入っていて…

【感想は?】

 風野さんがいい。ちょっとリアルなマッド・サイエンティスト。いかにも現実にいそう。

 お話や仕掛けは冒頭からかなりブッ飛んでるんだけど、その事件に振り回される人々が、まさしくヌカミソ臭い生活感にあふれていいて、そのギャップがやたらとおかしいやら身につまされるやら。

 先にも書いたが、主人公の久美の漬物が職場で好評で、同僚からキュウリ持参で「一晩漬けといて」なんて頼まれるあたりから、いかにもありそうで笑ってしまう。美味しい漬物は食べたいけど、自分でぬか床の面倒見るのはシンドい。毎日顔を合わせる同僚が素性のいいぬか床を持ってるなら、ついでに漬けてもらいたくもなる。

 しかも、同僚が化学系の研究職ってところが、これまたおかしい。ぬか床から発生した奇妙な物体の色を巡り、「茄子のアントシアンにでも染まった」「でもぬか床なら乳酸発酵で酸性になり赤くなるはず」「鉄くぎを入れれば金属がアントシアンと結合して青い紫の塩類を…」なんて会話をしてる。

 いやそういう問題じゃねーだろ、と突っ込みたくもあるが、専門家ってのは往々にしてそんなモンで、とりあえず自分が詳しい方面から探りを入れようとするんです。

 この後に登場するフリオ君がまた、しょうもないながら実に身につまされる奴で。ええ歳こいたトーチャンが、いやどう考えてもおかしいだろと思う状況の中で、空き放題にはしゃぎまわってる。しょうもない奴だよなあ、と思いながらも、ちょっと羨ましかったり。「やったね、カレーだよ」じゃねえw でも楽しそうだなあ。

 そんな「ヘンだけど微妙にリアルな人たち」の真打が、風野さん。やはり微生物系の研究者。そうなるキッカケはともかく、職は性にあっていたらしく、自宅でも熱心に研究を続けていたり。にしても、やっぱりお迷惑だよなあ。久美が風野さんのアパートを訪ねる場面も、爆笑の連続。

 そんな風野さんを迷惑がる隣人の優佳さんも、ある意味、風野さんの同類だったりする。ヒトコトで要っちゃえばオタクで、自分の好きな事に打ち込んでいる人。そういう人に対する著者の目は、「しゃーねーなあ」と諦めが混ざりながらも、楽しげなのが心地いい。

 他にもマンションの管理人への挨拶に戸惑ったり、生活感を漂わせる細かい部分の描写が、お話の突拍子もなさに対し、地に足のついた生活感がでていて、読んでいて楽しかった。

 肝心のSF/ファンタジイのネタは、実に壮大なもの。冒頭の騒動のカフカ的な出鱈目さから、「あ、こりゃテキトーなファンタジイだな」などとナメてたんだが。中盤近くから、なんか離島の古い血族にまつわる忌まわしいホラーっぽい雰囲気を通り、小松左京ばりの骨太な物語へと展開してゆく。

 チクチクと刺してくるカサンドラのイヤミ、風野さんの奇妙な性癖、優佳さんの語る子供時代の話。そういった多くの挿話が匂わせるテーマは、やがてクライマックスへと向かうに従い、更に根源へと読者の目を向けさせる。この俯瞰した視点はまさにSFのものでありながら、眼差しは著者ならではの暖かさ。

 会話を「」ではなく――で始める独特の文体は、異常な事態でもどこか醒めている久美の現実的な感覚が伝わってくる。これは著者のクセなのか、この作品独特の工夫なのか。工夫だとしたら、細かいけど優れた手法だと思う。

 「ぬか床SF」なんてイロモノだと思ってたら、実は文句なしに本格的な作品だった。日々の仕事と生活に疲れを感じているオトナに捧げる、地に足のついた、でも壮大な物語。

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