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2014年5月の17件の記事

2014年5月29日 (木)

トビー・グリーン「異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配」中央公論新社 小林朋則訳

 歴史には何本もの大きな潮流があり、恐怖もその一つなのだが、この恐怖について古文書は、往々にして何も語ってくれない(これは、歴史学者も同様である)。なぜなら、自分の恐怖について書き記すだけの勇気を持った者が、ほとんどいないからである。

「異端審問のサンペニートと、1930年代と40年代にヨーロッパの数か国でユダヤ人につけられた黄色い星との間に、どんな違いがあるというのか?(中略)あるいは、19世紀において南北アメリカの実に多くの国々で奴隷に押された焼き印と、どれほど違っているというのか?(中略)明らかに異端審問の精神は、今も生きているのである」
  ――バルトロメ・ベナサール、フランスのスペイン史研究家

「人民の擁護者がいなければ、社会的迫害は組織できない」
  ――ヒュー・トレヴァー=ローバー、イギリスの歴史家

【どんな本?】

 1478年から18世紀半ばまで、スペイン・ポルトガルを席巻した異端審問。イベリア半島ばかりでなく、両国の植民地であるカナリア諸島・ラテンアメリカ・フィリピン・インドなど世界中の植民地でも、異端審問は猛威をふるった。

 イベリア半島の異端審問は、バチカンが先導したものではない。むしろローマはその暴走を止めようとしていた。ではなぜスペインで異端審問が始まったのか。誰がどんな目的で始めたのか。なぜローマの制止が効かなかったのか。どのように暴走が始まったのか。どんな事が行なわれたのか。それはスペイン・ポルトガル両国にどんな影響を与えたのか。

 大量の資料を元にスペインの異端審問を再現し、その原因とメカニズムを探り、現代の読者に警告する歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は INQUISITION : The Region of Fear, by Toby Green, 2007。日本語版は2010年9月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約481頁+訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×20行×481頁=約413,660字、400字詰め原稿用紙で約1035枚。長編小説なら2冊分の大容量。

 文章は比較的にこなれている。かなり突っ込んだネタも出てくるが、素人向けに背景から説明しているので、読みこなすのに特に前提知識は要らない。とはいえ歴史書なので、15世紀~19世紀の西洋史を知っていると、楽しみが増す。また、イベリア半島の地名が沢山出てくるため、スペインやポルトガルが好きな人は興味をそそられるだろう。

 ただ、スペイン系の名前がフルネームで出て来て、これが長くてちと覚えにくかった。また。拷問などの描写は相当にエグいので、グロ耐性がない人にはキツい。

【構成は?】

  •  地図/用語
  • プロローグ
    • ・1649年、メキシコシティ  二万人がつめかけたイベント/帝国の権力維持機構として/恐怖の教育
  • 第一章 寛容の終わり
    • ・1484~86年、テルエルとサラゴサ  新制度への抵抗/異文化共存の伝統
    • ・1449年、トレド  大きな嘘の始まり
    • ・1477~81年、セビーリャ  カトリック両王の決定/コンベルソが標的に
    • ・1484年、シウダート・レアル  告発が告発を呼ぶ/初代長官トルケマーダ
  • 第二章 燎原の火のごとく
    • ・1490~1545年、エヴォラ  スペインに半世紀遅れて
    • ・1497~1506年、リスボン  ユダヤ人の強制改宗
    • ・1545~48年、エヴォラ  「内なる脅威」が作られるとき/新制度の担い手
  • 第三章 拷問される正義
    • ・1506年、コルドバ  異端審問間という悪魔/滑車と水による拷問
    • ・1587年、カナリア諸島  「真実」は審問官のもの/疑わしきは罰せよ
    • ・1594~96年、メキシコシティ  アボカドの種に刻まれたメッセージ
  • 第四章 逃避行
    • ・1548~63年、カーボヴェルデ  ルイスの物語/どこまでも追いかけてくる影/危険なパロディー
    • ・1568年、ベラクルス  覚悟の航海/いざ、新世界へ
  • 第五章 内なる敵
    • 巨大蛇、現る
    • ・1535~39年、バレンシア  他所者に対する敵意/照明派の登場/弾圧が生む新たな思想
    • ・1552~62年、ムルシア  新しい敵、古い敵/モリスコの哀れな境遇
    • ・1558~59年、バリャドリード  フェーリペ二世の即位/陰謀が動き出す/どこを向いても敵だらけ/大司教カランサの最後
  • 第六章 恐怖が世界を覆う
    • ・1568~83年、メキシコ  追われるイギリス人プロテスタント/総督になったルイス
    • ・1543~1609年、カルタヘナ、ゴア、リマ、メキシコ  地球規模で広がる迫害/植民地に正しい価値観を
    • ・1589~96年、メキシコシティ  忘れた頃に恐怖は戻ってきた/カルバハル一家の受難
  • 第七章 イスラムの脅威
    • ・1581年、テルエル  背教者とは誰なのか/教義を教えることもなく
    • ・1566~70年、グラナダ  アルプハーラの反乱
    • ・1587年、バレンシア  憎しみの再生産は続く/それは習慣か信仰か
    • ・1608年、セゴルベ  ルーツに回帰する人々
    • ・1609年、バレンシア  モリスコ追放の日
  • 第八章 何が何でも純潔を
    • ・1705年、シンクトーレス(バレンシア)  200年前の先祖の罪に脅かされて/近代的人種差別の誕生/洗髪や入浴は異端行為/ポルトガルの純潔思想
    • ・1664年、カルタヘナ・デ・ラス・インディアス  終わりのない家系調査
    • ・1709年、メキシコ  無意味なお役所仕事
    • ・1675年、リマ  理性をなくした社会
  • 第九章 生活の隅々まで
    •  相互監視と密告
    • ・1648~50年、カルタヘナ・デ・ラス・インディアス  奴隷と異端審問
    • ・1637年、リスボン  迷信や魔術も横行/疑心暗鬼の隣人たち/他人の詮索という暗い喜び
  • 第一〇章 恐怖を生む組織
    •  権力を手にした者たちの腐敗/審問官の聖なる痰壺
    • ・1609年、サンティアゴ・デ・コンボステーラ  任務は「人を焼くことと、愛撫すること」/スパイ網の整備
    • ・1627~28年、リスボン  ファミリアールとコミサリオ/自壊の全長
    • ・1587年、リマ  現代に伝わる負の遺産
  • 第一一章 知の脅威
    •  帝国の崩壊は止まらない
    • ・1485年サラゴサから、1592年ボルドーヘ  モンテーニュの思想を生んだもの/コンペルソと懐疑主義/抑圧される知性/検閲、そして発禁
    • ・1634年、カルタヘナ・デ・ラス・インディアス  喜びのない社会
  • 第一二章 神経症的社会
    •  女子修道院での事件
    • ・1718年コルドバから、1801年ビリャールへ  人々が求めた奇跡/男色裁判の実態
    • ・1663年、バイア(ブラジル)  ある夫の悲劇
    • ・1691~1717年、メキシコ  悪魔祓いとは/鬱屈する性的エネルギー
    • ・1784~1805年、バレンシア  情欲まみれの司祭
  • 第一三章 妄執
    •  フリーメーソンの陰謀/次なる脅威の発掘
    • ・1608~10年、スガラムルディ  魔女の集会/18世紀のヤンセン主義/ボンバル侯爵の改革
    • ・1767~77年、セビーリャ  見せしめの犠牲者/心理が叫ぶとき
  • 第一四章 恐怖の失敗、失敗の恐怖
    •  「ヨーロッパで最も無知な国」/究極の心理ドラマ
    • ・1720年、セビーリャ  さまざまな矛盾を抱えて/巨大機構の断末魔/哀れなるイベリアよ
  • 謝辞/訳者あとがき/参考文献/年表/索引

 多少は前後するが、基本的に年代順に話が進むので、できれば頭から読んだほうがいい。ただ、ズブの素人は、末尾にある「訳者あとがき」を最初に読もう。より俯瞰した視点で本書を位置づけているので、素人には優れたガイドラインとなっている。用語集が冒頭にあるのもありがたかった。

【感想は?】

 私は解説から読んだんだが、これが実に秀逸。先にも書いたが、俯瞰した視点で本書をわかりやすく位置づけている。曰く、異端審問には三種類がある。

  1. 12世紀末に始まった中世の異端審問。教皇庁が異端審問官を任命する。カタリ派弾圧など。
  2. 1542年に設けられたローマの異端審問。異端思想の取締り。ガリレイ裁判など。
  3. スペインとポルトガルの異端審問。王権に属する。

 本書が扱うのは、3. のスペイン異端審問のみだ。名前は同じ「異端審問」でも、バチカン主導ではない。スペイン異端審問は、王が政治的な目的で行なった、全くの別物だ。本書中に何度も出てくるが、ローマはスペインの異端審問に批判的な姿勢だった。

 など、より広い見地から本書のテーマを示してくれるのは、素人の読者にとって実にありがたかった。なお、以後、この記事の「異端審問」は、スペイン異端審問を示す。

 本書を読む限り、どうも異端審問には賛否両論があるらしい。バチカンの威光が普及してない日本ではピンとこないが、キリスト教国、特にカトリックが多い国では、政治的・宗教的な問題を孕んでいるようだ。著者は完全に異端審問を害と見なす立場で、文中にも何度か感情的な表現や「!」が出てくる。

 スペインの異端審問の特徴は、王権に属しローマの制御が効かないこと。そもそも審問する相手が違う。スペインで犠牲になったのは、コンベルソとモリスコ。コンベルソはキリスト教に改宗したユダヤ人の子孫、モリスコはキリスト教に改宗したムスリムの子孫。

 イベリア半島は、711年にモーロ人が征服し、その後1492年までのレコンキスタ(→Wikipedia)でキリスト教徒が奪回した土地だ。ユダヤ風・イスラム風の文化が色濃く残っているし、祖先にユダヤ人・ムスリムを持つ人も多い。多文化が共存した状況だった。とまれ職業は分かれていたようで…

キリスト教徒は貴族か聖職者か軍人で、ユダヤ教徒は職人か金融業者か知識人、イスラム教徒は大半が農民か職人だった。

 そこでコンベルソを襲い財産を奪おうと考えたわけだ。身柄を拘束して拷問し、財産は没収する。国民には密告を奨励し、スパイを雇う。逆恨みや嫉妬による密告は後をたたず、異端審問官は強大な権限をカサにきてやりたい放題。商人を脅して妻や娘を手篭めにする話が、何回か出てくる。そんな審問官の陰口を叩けば、それもまた連行の口実になる。

 そんなイベリア半島を逃れ新大陸へと向かうコンベルソの話もあるが、彼らも奴隷商人だったりするので、実に救いのない気分になってくる。おまけに金貸しと商人がいなくなって、イベリア半島は不景気に見舞われてしまう。

 当初の標的はコンベルソだったが、やがて尽きて、次は農民が多いモリスコが標的となる。ところが教会は田舎まで手が回らない。「たとえばアルシラムラでは、モリスコたちは村に来た人々に信仰箇条を教えてくれるよう頼んでいる」。教会もなきゃ司祭もいなけりゃ、農民がキリスト教について知りようがない。

 でも異端と決め付け異端審問である。嫌になった農民は逃げる。農民がいなくなった貴族はアガリがなくなり悲鳴をあげる。

 それでも利権の旨みに溺れた異端審問システムは止まらない。しまいにゃ先祖にコンベルソかモリスコかいたら異端とか、無茶苦茶やりだす。人々は家計図作りに必死になる。更に審問官は、北のフランスから入ってくる啓蒙思想も目の敵にし、禁止目録を充実させてゆく。

 標的に飢えた審問官は、国民を相互監視させ、異端行為の密告を奨励する。「彼女はミサで聖体をしっかり見ていなかった」という密告に対し、著者は「そういう告発者こそ聖体を見ずに彼女を見てたじゃないか」と鋭いツッコミを入れているんだが、審問官は気づかなかったらしい。

 絶対的な権力を握った者が、どう腐敗してゆくか。連中は、どんな屁理屈をこねるのか。他者排斥の風潮が、どのように育ってゆくか。詮索好きな輩が、どんな卑劣な真似をしでかすか。何かとキナ臭い今の日本も、外国の過去の出来事などと傍観できる状態じゃない。暴走を始めた「正義」は、家族も国も滅ぼす。

 正直、エグい拷問や処刑の場面は、読んでいて辟易した。逆恨みで知人を密告するエピソードも。だが、それもまた人間の本性だ。自由と平和を教授できる今だからこそ、価値がある本だと思う。

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2014年5月26日 (月)

梨木香歩「沼地のある森を抜けて」新潮文庫

日本の男が出世するにはかわいげが不可欠なの。で、そういうやつが出世して、また実力が無くてもかわいげのある男を登用する。背景にある儒教的風土が結局社会をどんどん先細りさせていった。

【どんな本?】

 映像化された「西の魔女が死んだ」などで知られる児童文学・ファンタジイ作家・梨木香歩による、ややSFよりのファンタジイ長編小説。独特の世界はSFファンにも好評で、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2006年版」のベストSF2005国内編の17位に輝いた。

 化学組成分析の研究に携わる久美が、一族の女に伝わる「家宝」のぬか床を受け継いだ事から始まる騒動をきっかけに展開する、壮大で不思議な物語。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2005年8月、新潮社より刊行。私が読んだのは2008年12月1日発行の新潮社文庫版。縦一段組みで本文約505頁+鴻巣友季子の解説10頁。9ポイント38字×16行×505頁=約307,040字、400字詰め原稿用紙で約768枚。長編小説としては長め。

 文章はこなれていて読みやすい。SFかファンタンジイか微妙なところだが、読みこなすのに特にどっちの素養も要らない。途中、少し生物学や化学の用語が出てくるが、「なんか専門的な事を言ってるな」程度に思っていれば充分で、SF/ファンタジイの仕掛けは中学生でも理解できるレベル。登場人物の多くが働いて生活している男女なので、自活した経験があると、各員の気持ちが身に染みて更に楽しめる。

【どんな話?】

 化学メーカーの研究室で組成分析をしている久美は、一人暮らし。両親は既になく、兄弟もいいない。近所に住む叔母の時子が亡くなり、久美がマンションを継いだ…のはいいが、変なオマケがついてきた。ぬか床だ。時子の祖父母つまり久美の曽祖父母から伝わるもので、毎日掻き回す必要がある。怠ると、文句を言ってくるのだ…ぬか床が。

 ただ一人残った血縁の加代子叔母から押し付けられたぬか床、加代子叔母に言われたとおり掻き回してキュウリと茄子を漬けたところ、意外と味はよく職場でも好評で、友人からは持参のキュウリを漬けるよう頼まれる始末。だがある晩、いつものように掻き回していると、何か硬いものが入っていて…

【感想は?】

 風野さんがいい。ちょっとリアルなマッド・サイエンティスト。いかにも現実にいそう。

 お話や仕掛けは冒頭からかなりブッ飛んでるんだけど、その事件に振り回される人々が、まさしくヌカミソ臭い生活感にあふれていいて、そのギャップがやたらとおかしいやら身につまされるやら。

 先にも書いたが、主人公の久美の漬物が職場で好評で、同僚からキュウリ持参で「一晩漬けといて」なんて頼まれるあたりから、いかにもありそうで笑ってしまう。美味しい漬物は食べたいけど、自分でぬか床の面倒見るのはシンドい。毎日顔を合わせる同僚が素性のいいぬか床を持ってるなら、ついでに漬けてもらいたくもなる。

 しかも、同僚が化学系の研究職ってところが、これまたおかしい。ぬか床から発生した奇妙な物体の色を巡り、「茄子のアントシアンにでも染まった」「でもぬか床なら乳酸発酵で酸性になり赤くなるはず」「鉄くぎを入れれば金属がアントシアンと結合して青い紫の塩類を…」なんて会話をしてる。

 いやそういう問題じゃねーだろ、と突っ込みたくもあるが、専門家ってのは往々にしてそんなモンで、とりあえず自分が詳しい方面から探りを入れようとするんです。

 この後に登場するフリオ君がまた、しょうもないながら実に身につまされる奴で。ええ歳こいたトーチャンが、いやどう考えてもおかしいだろと思う状況の中で、空き放題にはしゃぎまわってる。しょうもない奴だよなあ、と思いながらも、ちょっと羨ましかったり。「やったね、カレーだよ」じゃねえw でも楽しそうだなあ。

 そんな「ヘンだけど微妙にリアルな人たち」の真打が、風野さん。やはり微生物系の研究者。そうなるキッカケはともかく、職は性にあっていたらしく、自宅でも熱心に研究を続けていたり。にしても、やっぱりお迷惑だよなあ。久美が風野さんのアパートを訪ねる場面も、爆笑の連続。

 そんな風野さんを迷惑がる隣人の優佳さんも、ある意味、風野さんの同類だったりする。ヒトコトで要っちゃえばオタクで、自分の好きな事に打ち込んでいる人。そういう人に対する著者の目は、「しゃーねーなあ」と諦めが混ざりながらも、楽しげなのが心地いい。

 他にもマンションの管理人への挨拶に戸惑ったり、生活感を漂わせる細かい部分の描写が、お話の突拍子もなさに対し、地に足のついた生活感がでていて、読んでいて楽しかった。

 肝心のSF/ファンタジイのネタは、実に壮大なもの。冒頭の騒動のカフカ的な出鱈目さから、「あ、こりゃテキトーなファンタジイだな」などとナメてたんだが。中盤近くから、なんか離島の古い血族にまつわる忌まわしいホラーっぽい雰囲気を通り、小松左京ばりの骨太な物語へと展開してゆく。

 チクチクと刺してくるカサンドラのイヤミ、風野さんの奇妙な性癖、優佳さんの語る子供時代の話。そういった多くの挿話が匂わせるテーマは、やがてクライマックスへと向かうに従い、更に根源へと読者の目を向けさせる。この俯瞰した視点はまさにSFのものでありながら、眼差しは著者ならではの暖かさ。

 会話を「」ではなく――で始める独特の文体は、異常な事態でもどこか醒めている久美の現実的な感覚が伝わってくる。これは著者のクセなのか、この作品独特の工夫なのか。工夫だとしたら、細かいけど優れた手法だと思う。

 「ぬか床SF」なんてイロモノだと思ってたら、実は文句なしに本格的な作品だった。日々の仕事と生活に疲れを感じているオトナに捧げる、地に足のついた、でも壮大な物語。

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2014年5月25日 (日)

サイモン・ウィンチェスター「博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話」ハヤカワ文庫NF 鈴木主税訳

 それは単純に「大辞典」と呼ばれた。計画の段階から、ほとんど考えられないほど大胆かつ無謀であり、大きな困難と不遜のそしりを覚悟でのぞまなければならなかった。だが、ヴィクトリア女王時代のイギリスには、この仕事にふさわしい大胆さと無謀さをもちあわせた男たちがおり、彼らは予測される危険に立ち向かうだけでなく、それ以上の大きな仕事を成しとげた。

【どんな本?】

 OED、オックスフォード英語大辞典。41万語以上,180万以上の用例を収録し、全12巻を70年もかかった大辞典。その特徴は、収録された言葉の意味を示すだけに留まらず、単語の意味の歴史を示す点だ。この無謀な計画には、多くのボランティアの参加が不可欠だった。

 壮絶な計画の主な編纂者だったジェームズ・マレー博士は、用例の収集で秀でた貢献を示す一人の篤志家に気づく。ウィリアム・チェスター・マイナー、ロンドン近郊に住むアメリカ人。几帳面な蔵書家で教養と工夫の才にあふれる人物と思われるマイナー氏の正体は、意外なものだった。

 無謀で大胆、だが計り知れない文化への貢献をなした大辞典編纂の実像を、それを牽引した特異な二人の人物を中心に描く、傑作ノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Professor and The Madman - A Tale of Murder, Insanity, and the Making of the Oxford English Dictionary, by Simon Winchester, 1998。日本語版は1999年4月早川書房より単行本で刊行。私が読んだのはハヤカワ文庫NFで2006年3月31日発行。縦一段組みで本文約325頁+豊崎由美の解説6頁。9ポイント39字×17行×325頁=約215,475字、400字詰め原稿用紙で約539枚。長編小説なら標準的な分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。ノンフィクションとはいえ、物語仕立てなので、特に構える必要はない。小学生の壁新聞程度でいいから、手書きで紙の出版物を編集したり、同窓会などの幹事で往復葉書を整理した経験があると、更に楽しめる。

【構成は?】

 はじめに
1 深夜のランベス・マーシュ
2 牛にラテン語を教えた男
3 戦争という狂気
4 大地の娘たちを集める
5 大辞典の計画
6 第二独房棟の学者

7 単語リストに着手する
8 さまざまな言葉をめぐって
9 知性の出会い
10 このうえなく残酷な切り傷
11 そして不朽の名作だけが残った
 あとがき/著者の覚書/謝辞/参考文献/解説:豊崎由美

 物語仕立てなので、素直に頭から読もう。

【感想は?】

 つくづく、コンピュータというのは有難い。

 辞書編纂の実際の職務内容が出てくるのは、中盤あたり。当時はコンピュータなんて便利なモンはないから、みんな手作業だ。恐らく一単語一枚のカードにして、それをABC順に棚にしまう。カードを書くのも並べるのも、全て人手。今なら「とりあえずデータベースに突っ込んどけ」で終わる話だし、並べ替えだってコマンド一発。

 ついでにカードは全部郵送。これも今なら「ネットでいいじゃん」って事で、Wikipedia なんて便利なシロモノが出来てる。

 OED の特徴は、「正しい意味」「正しい言葉」を収録しているのではない、という点だ。言葉は時代と共に変わるし、地域や集団によっても違う。例えば RPG、ゲーム好きにはロール・プレイング・ゲームだし、軍事オタクには携帯型対戦車火器で、事務系の計算屋にはプログラム言語の一つだ(→WikipediaのRPG)。

 そこで「これが正しい」と言い張るのではなく、「こんな意味でこういう風に使われた」と、複数の意味と用例を全部収録してしまえ、というのが、OEDの野心的な所。んなもん一人で収集しきれるわきゃないんで、ボランティアを募る。この「ボランティアを募る」って発想が、いかにも議会制民主主義と株式会社の国イギリスらしい。

 これで大量のボランティアから、単語の用例とその出典を書いたカードが集まってくる。当初の編纂者ハーバート・コールリッジはカードの数を6~10万枚と見積もったが、「最終的に600万枚を越えるカードが篤志閲読人から送られてきた」。

 今ならこの作業、Google が数億のWebサイトに対し自動でやってたりする。逆に言えば Google みたいな仕事を人手でやるわけで、それに必要な労力と根気はどれほどになるのやら。まあ少し前までは書籍の索引を作るのも、なかなかの手間だったんだけど。

 ってな編纂の仕事も凄まじいが、これに貢献したマイナー氏の工夫も凄い。予め自分の蔵書から単語の索引を作ってカードに整理しておく。用例の要求があったらカードと蔵書を突き合わせ、用例を書き加えて編纂質へ送る。一人で辞典を編纂してるようなもんだ。結果…

このときから、彼らのスタッフは、(略)問題の語はどれかを決め、クローソンに手紙を書いて要求すればよくなったのだ。

 このマイナー氏の仕事も今ならコンピュータで効率よくやれちゃったりするんだが、当時はペンとカードでやるしかなかった。なんでマイナー氏が、こんな地味で面倒くさくて神経を使う仕事をボランティアで始めたか、ってのが、この本の重要なテーマ。

 裕福で教養豊かな米国人のマイナー氏、実は殺人を犯し精神病と診断され、精神病院に収容されていたのだ。殺されたジョージ・メリット氏にしてみりゃたまったモンじゃないが、マイナー氏が殺人に至るまでの経緯は、なかなか痛々しい。

 医師の技能も持つ人だけに、元々は誇り高く情感豊かで正義感もたっぷり持ち合わせた人なんだと思う。彼がボランティアに応募した動機は、教養人としての気高さを感じるし、その職務スタイルは理知的で柔軟な思考能力と、几帳面で勤勉な強い意志が伝わってくる…それが後の悲劇を招くんだが。

 対するマレー博士は、貧しい出自からの叩き上げ。の割に、この本から感じるのは、「苦労人」って言葉がふさわしい、人あたりが柔らかな学究の徒。後半に展開するマイナー氏との交流も、互いに尊敬と親愛が交じり合う、教養人同志の大人の友情が滲み出てくる。

 まあ、それまでマレー博士の周囲に出てくる人物が、フレデリック・ファーニヴァルを初めとしてアクの強い人が多いんで、穏やかに学問や仕事の話ができるマイナー氏は、マレー博士にとって心のオアシスだったのかも。

 なんで辞書があんなに値段が高いのか納得できると共に、それを成し遂げた人達への畏敬の念も湧いてくる。と同時に、同じ時代に対照的な生い立ちで育った二人の男の友情物語でもあり、悲劇が生んだ壮大な業績という皮肉な物語でもある。書籍が好きな人なら誰でも楽しめると思う。

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2014年5月22日 (木)

オーソン・スコット・カード「道を視る少年 上・下」ハヤカワ文庫SF 中原尚哉訳

人類救済はあわただしい仕事だ。あるいは退屈な仕事でもある。
そのプロセスのどの段階で参加するかによる。

【どんな本?】

 「エンダーのゲーム」で有名なアメリカの売れっ子SF作家オーソン・スコット・カードによる、長編シリーズの一作目。馬車はあるが外燃機関はない世界が舞台。罠猟師の息子で不思議な能力を持つ少年リグと、リグの友人で靴職人の息子アンポが、リグの父親の死をきっかけに旅に出る。少年たちの旅と出会いと成長、そして世界の謎が解き明かされる長編冒険SF小説。

 シリーズ物ではあるけど、長編小説として一応は完結しているので、気にしなければ普通に楽しめます、はい。なお続く Ruins は 2012年に既に出ていて、第三部の Visitors は2014年秋に発表予定。いずれも訳者がソノ気になっている上に売れっ子作家の作品なので、きっと日本でも出るでしょう。出るよね?

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は PATHFINDER, by Orson Scott Card, 2010。日本語版は2014年2月25日発行。文庫本縦一段組みで上下巻、本文約388頁+395頁に加え訳者あとがき4頁。9ポイント40字×17行×(388頁+395頁)=約532,440字、400字詰め原稿用紙で約1332枚。上下2巻としてはやや長め。

 文章は読みやすい部類。SFとしての仕掛けは、二つほどややこしい部分がある。ひとつは世界設定で、もう一つは登場人物の能力。世界設定は「だいたいのところ」が判っていれば充分。細かい部分は、少なくともこの上下巻じゃあまし関係ないです。異世界物の冒険ファンタジイだと思っても充分に楽しめる。能力は意図的にややこしい説明をしている。これは後述。

【どんな話?】

 13歳のリグには、不思議な能力があった。人や動物の通った跡が見えるのだ。罠猟師の父親は、能力について二つ指導した。一つは能力を使いこなすこと、もう一つは人に能力を隠すこと。他にも様々な事を教えた。天文学、銀行業、様々な言語、そして女の子との付き合い方。

 だが父親は倒れた木の下敷きになって死んだ。遺言を残して。「姉を探しにいけ」「彼女は母親と一緒に生活している」。

【感想は?】

 田舎の猟師の少年リグ、彼には不思議な能力がある。猟師の父親は少年に高度で広範囲の教育を施し、出生の秘密の一端を明かして亡くなる。世界は壁に囲まれ、誰も壁の外へは行けない。明らかに分不相応な遺品を出に入れた少年は、幼馴染の友と共に旅に出る。

 と、出だしの部分を書くと、まるで異世界ファンタジイだ。で、実際、異世界ファンタジイとして読んでも、ほとんど問題ない。田舎の少年たちが旅に出て、仲間と出会い危険を乗り越える、まっとうな冒険物語だ。

 とはいえ、そこはオーソン・スコット・カード。お話そのものは少年の冒険物語なんだが、人間関係の描写が一筋縄じゃいかないのが、この人の特徴。特に幼い子供の目線で、時として冷徹なまでに客観的かつ論理的な視点で、人間関係を分析するあたりが、この著者の独特の味。

 この味わいは、エンダーを補佐したちびっ子ビーンの視点で描いた作品「エンダーズ・シャドウ」を思い出させる。腕力のない幼児でありながら、浮浪児として厳しい底辺社会を頭脳一つで生き延びてきたビーンが、その優れた知性で見抜く人間社会の力学が、あの作品の隠し味だった。

 この作品でも、父親から広範な知識を与えられた少年リグが、危険な道中を大人顔負けの智恵で切り抜けてゆく。

 上巻の前半で展開する旅の危険性は、歴史物が好きな人にも美味しいところ。猟師の倅として山や森や草原で生きてきたリグ。だが道中で彼が最も警戒するのは、肉食獣ではなく同じ道を行く人間だったりする。なんたって田舎のガキ二人だ。食い詰めた追いはぎには格好の獲物だろう。

 彼らが入った船宿での場面も、なかなかマニアックにリアル。歴史物も手がけるカードだけあって、中世風の社会で単位系がどうなるか、貨幣がどうなるか、かなり突っ込んだ考察をして世界を築き上げているのがわかる。大抵のファンタジイっじゃ見逃されがちな、下世話なネタもキチンと書いてるのも、カードならでは。

 旅は次第に都会へと近づき、父親がリグに施した教育の価値も見えてくる。リグとクーパーの対決の場面も、上巻の読みどころ。お話のスジは少年向け冒険物語なのに、イマイチ子供に読ませたくないのも、こういう場面があるから。あ、断っときますが、決して性的な場面じゃないです、はい。

 などと特異な才能を見せ付けるリグに対する、幼馴染アンポの視点が、これまた一筋縄じゃいかないのも、この作品の魅力。少年ジャンプ的な熱い友情とか、そういう単純なシロモノじゃない、子供とはいえ男のメンツがかかった複雑な気持ち。これを残酷なまでに冷静に描き出しちゃうあたりが、この作家の怖いところ。

 などと考えると、リグ=エンダー、アンポ=ビーンなのかな、などと思ったりして。「エンダーのゲーム」でも姉のヴァレンタインが重要な役割を果たしていたし、この作品でも姉の存在がキーとなる由が冒頭で示されてるし。まあ下巻のカバーを見れば、姉が実在するのも見当がついちゃうんだけど。

 なお、登場人物の能力について、作中の説明はかなりややこしい。これは私の解釈なんだが、たぶん、読者に理解させるためではない。意図的にややこしく説明しているんだと思う。映画や漫画ではこの手の能力がよく出てくる。だから我々は難なく納得してしまう。だが、そういう映画や漫画に慣れていない人にとっては、どうだろうか。

 舞台は中世っぽい技術・文化・社会の世界だ。だから登場人物はSFやファンタジイっぽい概念は知らないし、全く慣れていない。全てが手探りの状態だ。である以上、ウダウダと考え込み悩むのが当然だろう。ファンタジイなら「魔法」で片付くところなんだが、なんとか理屈をつけようとするあたりが、SFとファンタジイの違いなのかも。

 などと上巻は付箋を貼っては考え込みながら読んだけど、下巻に入ったら続きを早く読みたくて一気読みになってしまった。やっぱカードは巧いわ。

 味はファンタジイとSFの中間ぐらいかな?出生の謎を巡る少年たちの旅という王道のパターンでありながら、生臭い人間関係や物騒な中世の生活をリアルに描く魅力も備え、後半も緊張の連続で読者を放さない、上質な少年の冒険成長小説だった。

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2014年5月20日 (火)

ジョン・パウエル「響きの科楽 ベートーベンからビートルズまで」早川書房 小野木明恵訳

多くの人が、音楽は芸術だけから成り立っていると思っているが、それは正しくない。論理学の規則や、工学、物理学が基盤になり、音楽の創造性を支えているのだ。過去数千年における音楽と楽器の発展は、芸術と科学が相互に影響を及ぼし合って成し得たものなのだ。

【どんな本?】

 なぜバイオリンとフルートは音が違うんだろう? インド音楽が奇妙に聞こえる理由は? 不協和音はなぜ嫌われる? 対位法とかペンタトニックって何? 音楽の才能と絶対音階は関係があるの? いいオーディオセットを安く揃える方法ってある? 楽器を始めるなら何がいい? なぜ指揮者って偉そうなの?

 音楽を科学的に分析するというと野暮なようだが、テレビやラジオで流れる流行歌を含む西洋音楽は、実はカッチリとした数学的・科学的な基礎に基づいてる。また、交響楽や協奏楽の構成には、巧妙な心理操作や下世話な事情が潜んでいる。日頃なんとなく聞いている音楽を、少し違った角度から楽しめるようになる、「音楽は好きだけどオタマジャクシは苦手」な人に向けた、もう一歩深く音楽を楽しむための案内書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は How Music Works - The Science and Psychology of Beautiful Sounds, from Beethoven to the Beatles and Beyond, by John Powell, 2010。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約335頁+訳者あとがき4頁。銘器ES-335にひっかけたわけじゃないと思う。9ポイント45字×17行×335頁=約256,275字、400字詰め原稿用紙で約641枚。長編小説なら少し長め。

 文章はこなれている部類。内容も特に難しくない。「科楽」とあるが、特に理科や数学の素養は要らない。必要なのは次の3つ。

  • 加減乗除と分数と小数がわかる
  • リコーダーでもハーモニカでもいいから、何か楽器を演奏した事がある
  • 音楽は好きだけど専門的な教育は受けていない

 また、幾つかクラシックとポップスの具体例が出てくるが、ポップミュージックは80年代ぐらいまでなので、若い人にはピンとこないかも。可能なら Youyube などでサンプルを聞きながら読もう。

【構成は?】

1章 音楽とはいったい何なのか?
2章 絶対音感とは何か?わたしにもある?
3章 音と雑音
4章 木琴とサクソフォーン 同じ音でも響きがちがう
5章 楽器の話
6章 どれくらい大きいと大きいのか
7章 和音と不協和音
8章 音階の比較考察
9章 自信にあふれた長調と情緒的な短調
10章 リズム

11章 音楽を作る
12章 音楽を聴く
やっかいな詳細
 A.音程の名前と見分け方
 B.デシベル方式
 C.楽器を五音音階に調律する
 D.等分平均律の計算
 E.長調の音
謝辞/訳者あとがき/参考文献

【感想は?】

 「楽器が弾けたら異性にモテるかも」などと邪な考えを持っているなら、「11章 音楽を作る」から読もう。あなたの背中を押してくれる。

 曰く「スターになるのは無理だけど宴会でウケるぐらいなら2~3ヶ月で充分」。コツは、どんな楽器を選ぶか。バイオリンやトロンボーンはやめて電気ピアノにしよう、とある。今ならシンセサイザーかな。理由は簡単。鍵盤を叩けば綺麗で正確な音が出るから。バイオリンやトロンボーンはマトモな音を出せるまでがシンドイんです。

 2~3ヶ月って数字はいいセンいってると思う。ギターなら二~三週間も頑張れば吉田拓郎の落陽(→Youtube)ぐらいはイケるかな? あと大槻マキの Memories(→Youtube)とか。いや Memories は弾いたことないけど、構成が 単音→コード→アルペジオ とギターの教科書みたいだし、生ギター一本でも決まりそうな曲だし。でも歌は大変そうだなあ。となると拓郎か。拓郎は意外と声域が狭いんで歌いやすいんだよね。

 この章は著者の想いが色濃く出ていて、他にも「作曲の方法」「クラシック曲の長ったらしい名前の読み解き方」「指揮者のお仕事」「即興」など、音楽が好きな人の野次馬根性をそそるテーマを取り上げている。つまりは読者に音楽をもっと楽しんで欲しいのだ、著者は。

 もちろん、真面目に頭から読んでもいい。というか、理屈っぽい人は、素直に頭から読もう。楽器の音と雑音の違いから始まって、件の倍音の話や音階の話、楽器ごとの音の違いやオタマジャクシの読み方などへと話が進んでゆく。

 などの理屈っぽい話と並行して、歴史上のウンチクがチラホラ出てくるのも、この本の楽しいところ。

 例えば、「標準的な音」の話。バイオリンは左手で弦を押さえる場所を変えれば、どんな音程でも出せる。でもフルートは決まった音程しか出ない。今は「C(ド)は110Hzね」と決まってるけど、それまでは地域ごとに違ってた、というから驚き。これが決まったのは「1939年のロンドンでの会合」というから、それまでは地域ごとに楽器のセットが違ってたわけだ。

 そのため、モーツアルトの曲を譜面どおりに弾くと、「彼が意図していたものよりおよそ半音高い音で聴いていることになる」。モーツアルトは絶対音感を持っていたそうで、とすると、譜面どおりに演奏すべきか、モーツアルトが意図したとおりに演奏すべきか。

実はこれシェイクスピアも似た問題を抱えてて。彼の戯曲は当事の流行やパトロンへの追従も入ってる。とすると、シェイクスピア劇は書かれたとおりに演じるべきか、今の流行や俗語を取り入れるべきか。あなた、どう思います?

 原書の書名に Psychology が入っているだけあって、ヒトの性質についても、実証的な話が出てくる。一版に音の大きさはデシベル(dB)で計る。これは機械的な都合とヒトの聴覚の都合の折衷案。一版にヒトの感覚は指数的で、刺激が倍になっても感じ方は倍にならず、倍より少ない。だからdBは音の大きさが2倍になっても10増えるだけになってる。

 もうひとつ、音の大きさを示す単位に「ホン」がある。何が違うかと言うと、dBは電気技師が決めた単位で、「ホン」は心理学者が決めた単位。だもんで、「ホン」はヒトの感じ方を重視している。ヒトは低い音より高い音を耳障りに感じるので、それを補正したのが「ホン」。でも環境省の「騒音に係る環境基準について」を見ると、単位はdBなんだよなあ。「ホン」の方が妥当だと思うんだけど。

 他にも「対位法」や「アルペジオ」「シンコベーション」など、音楽雑誌に出てくる言葉がわかるのも嬉しいところ。この辺を覚えておくと、ブログで音楽評論する時にカッコつけられます。

 ちなみに対位法は「あるメロディに別のメロディを添えた音楽」って、要は歌と伴奏じゃん←違うと思う。ここでは輪唱「静かな湖畔の森のかげから…」を挙げてる。たぶん、Camel の Rain Dances(→Youtube)みたいのかな?始まってシンセの音にサックスの音が被さるあたり。つかこの曲、ほとんど全部、対位法で出来てる。同じアルバムの Unevensong(→Youtube)の3:52あたりからも典型的な対位法かな。

 アルペジオは Led Zeppelin の「天国への階段(→Youtube)」のイントロのギター、または Eagles の Hotel california(→Youtube)のイントロのギター。コードを一音づつ弾く方法。他にアルペジオが好きなギタリストは Journey の Neal Schon(→Wheel in the Sky) と Boston の Tom Scholz(→Hitch a ride)が思い浮かぶ。

 「シンコベーション」はリズムの話。ちょっと Eagles の Witchy Woman(→Youtube)のイントロを聴いてほしい。ズンチャチャチャズンチャチャチャと、一拍目を強調してる。これが普通で、それ以外を強調するのがシンコベーション。例じゃビートルスの Can't by me love(→Youtube)を挙げてる。まあ、大抵のロックンロールは4拍子の3拍子目を強調すれば何とかなります、タタタ タタタみたく。Knack の My Sharona(→Youtube)とか←半分嘘です

 「12章 音楽を聴く」で「これは!」と思ったのが…

 ポピュラー音楽やヘビーメタル、クラシックのどれであれ、好きな曲を聴くたびに、ひとつの楽器だけに耳を傾けるとなかなか面白い。

 わかってるじゃん。例えば Dire Straits と言えば、ほとんどギター&シンガーの Mark Knopfler のワンマン・バンドみたいな印象があるけど、Sultans of Swing(→Youtube)のドラムに集中して欲しい。トコトン、マークに張り合って目立とうとしてるのがわかると思う。たぶん Pick Withers って人だと思うんだが、あたしゃこの人の跳ね飛ぶ感じのリズムが大好きなんだ。いや最初はお互い控えめだったんだけどねw(→Youtube)。

 …などと、読んでいくと好きな曲を聴きたくなって、なかなか読み進まないのであった。

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2014年5月18日 (日)

「完本 池波正太郎大成5(鬼平犯科帳2)」講談社

「…金は他人の家屋敷にあずけてあるも同然。欲しくなれば忍びこんで盗み取ればいい、と、たかをくくって遊びまわり、五十をこえて躰も利かなくなり、なんとか冥土へ旅立つまでの巣造りをしようというときには……」
  ――むかしなじみ

【どんな本?】

 昭和のベストセラー作家・池波正太郎の、「剣客商売」と並ぶ人気作にして代表作である、時代小説の連作短編シリーズ。テレビで何度もドラマ化されており、ご存知の方も多いだろう。

 老中・松平定信による幕政改革の頃。悪化する治安を改善するため、幕府は火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)を設ける。それまでの町奉行の縄張りを越え、軽快な機動力で広範囲の組織犯罪を摘発するのだ。天明七年九月十九日、火付盗賊改方の長官が変わる。その名も長谷川平蔵宣似(のぶため)。

 その優れた統率力で与力同心を心服させ、人情の機微に通じた采配で海千山千の密偵どもを使いこなし、江戸を荒らす盗賊どもに恐れられる。人呼んで鬼の平蔵、略して鬼平。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 シリーズ開始は1968年。解題によると、この巻の収録作の初出は1971年雑誌「オール讀物」8月号~1974年12月号。文春文庫の「鬼平犯科帳」なら7巻~12巻までにあたる。完本は1998年7月20日第一刷発行。私が読んだのは2008年9月22日発行の第六刷。根強い人気だ。

 重量級の単行本ハードカバーで縦2段組、本文ギッシリ約825頁。.8.5ポイント28字×25行×2段×825頁=約1,155,000字、400字詰め原稿用紙で約2888枚。文庫本で約6冊分の大容量。

 文章の読みやすさは抜群。大成4と比べて読みやすさは更に磨きがかかってるかも。内容も特に前提知識は要らない。お金や時刻の単位も、我々の生活感に訴える説明が入っていて、皮膚感覚で伝わってくる。ただ登場人物の背景もこの作品の大きな魅力なので、できればシリーズ始めから読んだ方が、より楽しみが大きいだろう。

 江戸の下町の地理も、この作品を読む楽しさのひとつ。上野・浅草・本所・深川あたりを歩きなれていると、より迫真感が増す。というか、歩いてみたくなるんだ、この作品は。

【収録作】

雨乞い庄右衛門/隠居金七百両/はさみ撃ち/掻堀のおけい/泥鰌の和助始末/寒月六間掘/盗賊婚礼/用心棒/あきれた奴/明神の次郎吉/流星/白と黒/あきらめきれずに/雨引の文五郎/鯉肝のお里/泥亀/本門寺暮雪/浅草・鳥越橋/白い粉/狐雨/犬神の権三/蛙の長助/追跡/五月雨坊主/むかしなじみ/消えた男/お熊と茂平/男色一本饂飩/土蜘蛛の金五郎/穴/泣き味噌屋/密告/毒/雨隠れの鶴吉/いろおとこ/高杉道場・三羽烏/見張りの見張り/密偵たちの宴/二つの顔/白蝮/二人女房
 解題

【感想は?】

 大江戸盗賊列伝、第二幕。

 前の巻もそうなんだが、やはり盗賊どもの社会や仁義が楽しい。

 「お盗め」と書いて「おつとめ」と読む。「おいおい、泥棒が何言ってやがる」と思うんだが、読んでると、その仕組みや掟、様々な専門家や役割分担などの設定が、妙な説得力を持っていて、独特の「鬼平世界」を創りあげている。

 様々な盗賊が出てくるこの作品、その組織も規模や性質もいろいろ。殺しを厭わぬ連中もいれば、カモに気づかれぬ間に金品をいただく職人肌の盗人もいる。中でも職人魂が炸裂してるのが、「穴」。

化粧品屋〔壺屋菊右衛門〕で金三百余両が盗まれる。気づいたのは翌日の午後。主人の菊右衛門と番頭の左兵衛が金蔵へ入り、初めて気がついた。町奉行と盗賊改方が探るも、全く手がかりなし。奇怪な事に、暫く後、金蔵に忽然と盗まれた三百余両が出現する。

 この話に出てくる奴というのが、なんというか、実にしょうもない男の性というか業というか、ある意味じゃ粋な江戸っ子気質ともいえるけど、まあ、アレです、男ってのは、いつまでたっても現役でいたいんですよ、はい。また出番ないかなあ。最高に楽しい連中だわ。

 やはり鬼平世界の盗賊社会を構成する重要な役割が、「引き込み」。大掛かりな盗賊組織が仕事にかかる際、予めお目当ての商家に手引きする者を潜りこませておく。下男下女などとして働きながら、内部の人間関係や行動パターン、屋敷の見取り図などを把握し、当日は入り口を開けておく。つまりはスパイ。丁寧な仕事だと、年単位で働いてたりする。

 今の不景気な日本と違い、当時の江戸は人手不足で、働き口には苦労しなかった様子。いや最近になって読んだ阿部昭の「江戸のアウトロー」で知ったんだけど。この本、長谷川平蔵も出てきて、鬼平ファンにはお薦め。鬼平シリーズの時代考証が、思ったよりシッカリできてるのが確認できる。

 …って話が逸れた。つまりですね、「引き込み」が成立する余地が充分にある世情だったワケです、当事の江戸は。で、そんな「引き込み」を主題にとったのが、「浅草・鳥越橋」。ここに出てくるのが、夫婦の「引き込み」、仁助とおひろ。「ほんとうの夫婦のほうが、何かと引き込みするにも都合のいいこともある」って、妙に説得力があったり。

 しかしこの著者、剣客商売でも思ったんだけど、ゲスト扱いの登場人物に魅力的な人が沢山いて、それを使い捨てにするから贅沢だよなあ。この巻で印象に残るのが、「消えた男」に登場する高松繁太郎。有能な割に印象の薄い(ごめんなさい)与力・佐嶋忠介の、元同僚。

 両者共に前任の堀帯刀の部下で、やる気のない上司の下にいながら、江戸の治安のため熱心に駆け回っていた二人。だが上司や同僚の無理解に嫌気がさしたのか、若い高松は「御役目が、ばかばかしくなってしまいました」と置き手紙を残し失踪してしまう。組織の中で働いてるなら、彼の気持ちがわかる人も多いんじゃなかろか。

 真面目で優秀で安心して仕事を任せられる割に、お話の中じゃ影の薄い損な役割の佐嶋さんと違い、性格と実力の割に出番が多く得をしてるのが同心・木村忠吾。30前の独り者、色白でぽってりとした体形、実力はイマイチだけど食い物と女には目がない若者。戦隊モノならイエローの役どころ。

 彼が出てくると「お、こりゃ何かドジ踏むな」と期待しちゃうから読者ってのは残酷なもんで。そんな木村がスポットを浴びるのが「男色一本饂飩」。いろいろと笑っちゃう話なんだけど、彼の取り得もちゃんと書いてある。曰く「巡回担当の、本所・深川の安くてまい食い物には通暁している」。いつかそれが役に立つ日も来るでしょう。わはは。

 そんな木村に「泣き味噌屋」なんて情けない渾名をつけられるのが同心の川村弥助。体育会系の多い火盗改方の中にあって、地震でオタオタする小心者。当然、前線じゃ役に立たないが、勘定掛として地道かつ着実に火盗改方を支える人。今の企業なら経理に当たる役目かな。若い嫁さんにベタ惚れで…。コワモテ筆頭の小柳とのコンビが切ない一編。

 亀売りなど、じっくり書き込まれた江戸の風俗も楽しい、贅沢な作品集だった。

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2014年5月15日 (木)

ノーマン・デイヴィス「ワルシャワ蜂起1944 下 悲劇の戦い」白水社 染谷徹訳

「ポーランドは、他の諸国がヒトラーの前にひれ伏していた時期に決然として立ち上がった最初の国である。やがて勝利の日が来た時、パレードの先頭に立つべき国はポーランドをおいて他にない」
  1940年、英国の某閣僚

「ソ連軍がワルシャワの直前で前進を止めた時、スターリンが何と言ったか知っているか?スターリンはこう言ったんだ。『そこから一歩も前進するな。ドイツ軍ができるだけ多くのポーランド人を殺すまで待つんだ。そうすれば、手間が省けるというものだ』」

今から50年前、ワルシャワ市民は武器を取って立ち上がった……奴隷状態の中で自由を求める蜂起だった。その蜂起の炎は人々の心と魂の中に残り、世代を超えて受け継がれている……蜂起の精神は不滅である。ワルシャワ蜂起の兵士たちよ、あなたたちの戦いは決して無駄ではなかった。
  ――1994年8月1日ワルシャワ蜂起50周年式典にて、ポーランド大統領レフ・ワレサ

【どんな本?】

 「ノーマン・デイヴィス「ワルシャワ蜂起1944 上 英雄の戦い」白水社 染谷徹訳」から続く。

 1944年夏、ドイツ軍を追撃するソ連軍がヴィスワ川東岸に達した。ナチスの圧制からの解放を求めるポーランド市民は、8月1日に武装蜂起する。兵力・武装共に圧倒的に劣勢だが、ソ連軍と協力すれば、首都ワルシャワを自らの手で取り戻せるだろう。

 だがソ連軍は前進を止め、ポーランド国内軍を見殺しにする。ばかりか、英米が航空機によって支援物資を送ろうとした際、給油のための着陸まで拒否した。スターリンに手玉に取られるルーズヴェルト、歯噛みするチャーチル。文字通り地下に潜り絶望的な戦いを続ける国内軍だが、やがてドイツ軍に制圧されてゆく。

西側の一員として第二次世界大戦を戦ったポーランドだが、戦後はソ連の支配下となる。傀儡政権は国内軍の奮闘を歴史から抹殺し、国内軍の将兵を強制収容所へ送り、その子供や孫は父母や祖父・祖母の英雄的な戦いを知らずに育つ…東欧革命が起きるまでは。

 ポーランド史の権威である英国人ノーマン・デイヴィスが、圧倒的な量の資料・手記そして取材から掘り起こした、第二次世界大戦における英国の最初の同盟国ポーランドの、知られざる英雄的な戦いの記録。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は RISING '44 - The Battle for Warsaw, by Norman Davies, 2003/2005。日本語版は2012年11月10日発行。単行本ハードカバー上下巻、それぞれ縦一段組みで約548頁+424頁=約972頁に加え付録69頁+訳者あとがき5頁。9.5ポイント45字×20行×(548頁+424頁)=約874,800字、400字詰め原稿用紙で約2187枚。文庫本の長編小説なら4冊分の巨大ボリューム。

 文章は比較的にこなれている。読みこなすのに、特に前提知識も要らない。ポーランドの歴史や第二次世界大戦の推移など背景事情をじっくりと説いていて、ポーランドについて何も知らない私も充分に理解できた。敢えていえば、映画「戦場のピアニスト」を見ていると、感慨が深いかも。ただ、残酷な場面が多いので、グロ耐性っが必要。

【構成は?】

  •  上巻 英雄の戦い
  • 第1部 蜂起の前
    • 第1章 連合国
    • 第2章 ドイツ軍による占領
    • 第3章 迫り来る東部戦線
    • 第4章 レジスタンス
  • 第2部 蜂起
    • 第5章 ワルシャワ蜂起
       蜂起開始/膠着状態/消耗戦
  •  下巻 悲劇の戦い
  • 第2部 蜂起
    • 第5章 ワルシャワ蜂起(承前)
       合流/終幕
  • 第3部 蜂起の後
    • 第6章 敗者は無残なるかな 1944―45
    • 第7章 スターリン体制下の抑圧 1945―56
    • 第8章 蜂起の残響 1956―2000
    • 終章 中間報告
  • 付録/訳者あとがき/写真一覧/「囲み」目次/人名地名等対照表/原註(「囲み」「付録」の注)/人名索引

 上巻は背景事情から説きおこしているので、素直に頭から読もう。付録・原註・索引が下巻に集中しているのは、少し不親切。できれば上下巻に分けて欲しかった。文章の随所に、囲み記事として当事者の手記や取材の成果が入っている。現場にいた人の声だけに、生々しい迫力がある。

【感想は?】

 前の記事では俯瞰した視点で背景事情や大まかな流れを説明した。が、この本の凄さは、そういった高所に立った視点だけではない。実際にワルシャワ蜂起で戦った将兵や、当時ワルシャワに住んでいた市民の生々しい声を豊富に収録していて、それが他に類を見ない迫力を出しているのだ。

 丁度テーマも似ているし、ラピエール&コリンズの「パリは燃えているか?」と並ぶ傑作と言っていい。

 当初は「数日もてば充分」と思われていた国内軍の武装蜂起は、約2ヶ月もの間、しぶとく抵抗を続ける。著者はこの理由を3つ挙げている。

  1. ドイツが高等教育機関・科学研究機関をお閉鎖したため、高学歴の者がこぞって国内軍に志願した。
  2. 参加者は皆が暗号名を使い、上部機関とは接触しないなど、摘発に備え巧妙な組織を作った。
  3. 市民が国内軍を支持していた。

 3.の代表的なエピソードとしては、地下新聞の話が痛快。手動の印刷機で作った新聞を、「商店主は商品を非合法の地下新聞でくるみ、その上にドイツ軍発行の新聞紙を被せて客に渡した」。また別の地下新聞『ポーランドの声』は、1942年4月にゲシュタの手入れを受ける。

連中はドアを叩いたが、返事がないので窓から手榴弾を投げ込み、短機関銃を乱射しつつ乱入した。その数日後、屋敷の持ち主、その妻と息子たち、隣近所の家の住人などが逮捕され、その後銃殺された。この件では全部で83人が命を失った。

 と記事に書いて、「わざわざゲシュタポ本部に郵送していた」。ハンパじゃないジャーナリスト魂だ。こんな風に市民が協力的なのも当然で、ナチスは市民を抹殺するつもりだった。それは国内軍との戦い方にも出ていて…

作戦開始から二日間は、拠点を守る国内軍との戦闘はむしろ副次的で、ドイツ軍は目に入る男女子供の全員を虐殺することに集中したのである。(略)この時、オホタ、ヴォラの両地域で犠牲となった非戦闘員の数は二万人から五万人の間と推定される。

 他にも女子供を前者の前に歩かせて「人間の盾」にするとか、ドイツ軍の蛮行はエグいのが続々と出てくる。グロ耐性のない人には勧められない。

 当事のワルシャワにはユダヤ人の絶滅収容所もあった。その一つゲンシュフカ強制収容所を、国内軍ラドスワフ軍団ゾシカ大隊が解放する。その時、戦いに参加したヴァツェク大尉ことヴァツワフ・ミツタは…

驚くべき光景を目にした。100人以上の囚人たちが軍隊式に長い二列横隊を作って整列していたのだ。(略)中の一人が進み出ると、私に敬礼して言った。「ヘンルィク・レデルマン軍曹であります。ユダヤ人大隊は出撃準備を完了しました」。(略)ここに並んでいる人々は、ナチスの残忍な虐待に挫けなかったばかりか、強制収容所の過酷な条件の中で自分たちを組織し、反撃の機会に備えていたのだ。

 なんという漢たち。しかも、このユダヤ人大隊の一人は、前年のゲットー蜂起(→Wikipedia)に参加していて、ワルシャワの下水道に詳しかった。これが、後の地下を利用した戦いへとつながってゆく。

 が、やはり兵力と武装の差はどうにもならず、最終的に蜂起は失敗する。それでも捕虜となった国内軍の将兵は、ジュネーヴ条約に則った捕虜の扱いを手に入れる。「ナチスは捕虜として拘束したソ連軍兵士に対してジュネーヴ条約に定める戦争捕虜の待遇を認めたことはなかった」。これはソ連も同じで、つまり東部戦線は互いに殲滅戦だったのだ。。

 さて、1月に入ってから進軍したソ連軍、これまた極めてにタチが悪い。赤軍は三派に分かれて来る。最初のはマトモな戦闘部隊。次は「破れた制服や襤褸を纏った兵士と囚人部隊」で「略奪品を詰め込んだ袋を担いでいた」。ベルリンを地獄に変えたのは、この第二派の連中。そして第三派がNKVD(秘密警察、→Wikipedia)軍の特殊部隊。

 ドイツ軍の捕虜とならず雌伏した国内軍の将兵や、彼らに協力的な市民はNKVDに拘束され、強制収容所送りとなる。ドイツ軍の捕虜となり英国に逃れた将兵も、ポーランドに帰国した途端に強制収容所送り。強制収容所の生活の手記も、下巻に幾つか載っている。ナチスとソ連の双方の監獄を経験した人もいて、「ナチの方がマシ」だとか。

 曰く、ナチは安全に動物とみなし情け容赦なく虐待したが、それを隠さなかった。NKVDは釈放をちらつかせつつ、拷問の恐怖を煽って際限なく尋問し、心理的に追いつめた、と。下手に希望をチラつかせる方が、気持ち的にシンドいらしい。

 などの話を通り、ヨハネ・パウロ二世のポーランド訪問やレフ・ワレサの連帯へと続いてゆく。こうやって見ると、ローマ法王がポーランド出身のヨハネ・パウロ二世からドイツ出身のベネディクト16世へって流れにも、深い意味を読み取れそうな気がしてくる。

 圧倒的な力を持つ者に対し、意思と智恵と組織で立ち向かった英雄の物語でもあり、第二次世界大戦とその後の世界の権力構造の象徴を鮮やかに浮き彫りにする事件でもある。米国・中国・ソ連と大国に囲まれた日本にとっても、決してヒトゴトではない。テーマは深く内要は幅広いので、消化には時間がかかるが、それだけの価値はある。

 などと思ってたら、ゲーム「エネミー・フロント」の新作はワルシャワ蜂起をテーマにしているとか。これを機に興味を持ってくれる人が増えるといいなあ。

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2014年5月14日 (水)

ノーマン・デイヴィス「ワルシャワ蜂起1944 上 英雄の戦い」白水社 染谷徹訳

ワルシャワのために、そして
犠牲をいとわずに圧制と戦うすべての人々のために

「(ワルシャワの)すべての住民を始末すべし。捕虜や囚人として生かしておくことは認めない。すべての家屋を爆破し、燃やし尽くせ」
  ――ハインリヒ・ヒムラー

「ソ連の監獄を経験した人間は、誰でも政治家にならざるを得ない」
  ――ヴワディスワフ・アンデルス(→Wikipedia)

【どんな本?】

 1939年9月1日にドイツ軍が、同17日に赤軍がポーランドに侵攻する。10月6日、ドイツとソ連はポーランドを分割して占領、以後ポーランドの首都ワルシャワはドイツの支配下となった。しかし抵抗を続けるポーランドは、ロンドンで亡命政権を樹立する。

 1941年6月22日、独ソ戦勃発。当初は快進撃を続けたドイツ軍だが、1943年のスターリングラードを機に赤軍に押され、西へと撤退を始める。

 この頃、ポーランド軍の一部は西側に脱出、英米と共に連合国の一国として戦いを続け、バトル・オブ・ブリテンやイタリア戦線に参加、モンテ・カッシーノの戦い(→Wikipedia)などで活躍する。また、国内に残った軍の一部は地下に潜り、国内軍を組織して密かに蜂起の時を窺っていた。

 そして1944年夏。赤軍はワルシャワの東ヴィスワ川へと達した。

 この機に乗じてポーランド国内軍が蜂起し、ドイツ軍からワルシャワを奪回して国家権力を再建すれば、主権国家の立場でソ連と交渉し、ポーランドの独立を勝ち取れるであろう。だが蜂起が早すぎればドイツ軍に粉砕され、遅すぎればワルシャワ奪回の名誉は赤軍に奪われ、独立の芽が消えるだろう。

 ゲシュタポの摘発に備え組織は充分に考慮されたものではあるが、国内軍とはいえ所詮は地下組織である。装甲車両はもちろん、重火器もほとんど持たない。圧倒的な兵力と装備の差を痛いほど認識しながら、国内軍はドイツ軍に叛旗を翻し、祖国の存続をかけ立ち上がった。

 ポーランド史の権威である英国人ノーマン・デイヴィスが、圧倒的な量の資料・手記そして取材から掘り起こした、第二次世界大戦における英国の最初の同盟国ポーランドの、知られざる英雄的な戦いの記録。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は RISING '44 - The Battle for Warsaw, by Norman Davies, 2003/2005。日本語版は2012年11月10日発行。単行本ハードカバー上下巻、それぞれ縦一段組みで約548頁+424頁=約972頁に加え付録69頁+訳者あとがき5頁。9.5ポイント45字×20行×(548頁+424頁)=約874,800字、400字詰め原稿用紙で約2187枚。文庫本の長編小説なら4冊分の巨大ボリューム。

 文章は比較的にこなれている。読みこなすのに、特に前提知識も要らない。ポーランドの歴史や第二次世界大戦の推移など背景事情をじっくりと説いていて、ポーランドについて何も知らない私も充分に理解できた。敢えていえば、映画「戦場のピアニスト」を見ていると、感慨が深いかも。ただ、残酷な場面が多いので、グロ耐性っが必要。

【構成は?】

  •  上巻 英雄の戦い
  • 第1部 蜂起の前
    • 第1章 連合国
    • 第2章 ドイツ軍による占領
    • 第3章 迫り来る東部戦線
    • 第4章 レジスタンス
  • 第2部 蜂起
    • 第5章 ワルシャワ蜂起
       蜂起開始/膠着状態/消耗戦
  •  下巻 悲劇の戦い
  • 第2部 蜂起
    • 第5章 ワルシャワ蜂起(承前)
       合流/終幕
  • 第3部 蜂起の後
    • 第6章 敗者は無残なるかな 1944―45
    • 第7章 スターリン体制下の抑圧 1945―56
    • 第8章 蜂起の残響 1956―2000
    • 終章 中間報告
  • 付録/訳者あとがき/写真一覧/「囲み」目次/人名地名等対照表/原註(「囲み」「付録」の注)/人名索引

 上巻は背景事情から説きおこしているので、素直に頭から読もう。付録・原註・索引が下巻に集中しているのは、少し不親切。できれば上下巻に分けて欲しかった。文章の随所に、囲み記事として当事者の手記や取材の成果が入っている。現場にいた人の声だけに、生々しい迫力がある。

【感想は?】

 正直、今の私は興奮して混乱している。どこから何を書けばいいものか。いずれにせよ、この本はどこを取っても凄い。

 この本を読むまで、私はポーランドについて何も知らなかった。知ってるポーランド人と言えば、せいぜいSF作家のスタニスワフ・レムと連帯のレフ・ワレサ、それにバチカンのヨハネ・パウロ2世ぐらだ。レムの影響で、「なんか理屈っぽい人が多いのかな」ぐらいに思っていた。

 だからワルシャワ蜂起についても、何も知らなかった。「白水社の第二次世界大戦モノだから、ハズレはないだろう」程度の気持ちで手を出した。これが大当たり。とんでもなく激しく悲しく厳しく重たい作品だ。

 読む前の私と同程度の認識の人に向けて、この記事を書こう。テーマのワルシャワ蜂起(→Wikipedia)、これは背景事情が大事だ。一応【どんな本?】に背景を書いたが、箇条書きにまとめよう。

  1. 1939年にドイツとソ連にポーランドは分割占領される。首都ワルシャワはドイツの支配下に入る。
  2. ポーランド政府はロンドンに逃れ亡命政府を樹立、英国の連合国として対独戦に参戦する。
  3. ポーランド軍の一部は英軍に合流、枢軸側と戦い続ける。
  4. ポーランド国内に留まった軍は秘密裏に国内軍を組織、ナチスの摘発の目を盗んで組織を拡充してゆく;実際は共産党系など多数の抵抗組織があったが、AKこと国内軍が圧倒的な最大勢力だった。
  5. 1941年、独ソ戦勃発。1943年のスターリングラードを境にドイツ軍は後退を始める。
  6. 1944年夏。ソ連軍がワルシャワ東のヴィスラ川まで進出、ワルシャワ奪回を窺う位置につく。
  7. ドイツはワルシャワを無人の廃墟にした後、要塞化する計画だった。
  8. 1944年8月1日。雌伏したポーランド国内軍がワルシャワで蜂起、首都の奪回と独立ポーランドの樹立を目指す。

 本書は武力蜂起の記録だが、この戦闘は当時に政治的にも大きな意味を持つ。そのため、著者の政治的な立場が内容に大きく反映する。デイヴィスの姿勢はハッキリしている。「国内軍は立派だった。ナチスはクソだ。スターリンは大グソだ。イギリスは弱腰だった。アメリカはポーランドを見捨てた」。

 目次のとおり、上巻の前半を蜂起の背景事情の説明にあて、下巻の後半も蜂起後~現在までのポーランドの歴史に充てている。つまりはワルシャワ蜂起を中心とした、ポーランドの現代史とも言える内容だ。だからと言って、決して日本から遠い国ポーランドだけに該当する話ではない。

 というのも。この本は、東西冷戦構造の原点を、ポーランドという具体例を通して、読者に深く考えさせる話だからだ。決して他人事ではない。日本もシベリア抑留や中国残留孤児や北方四島など、第二次世界大戦の爪痕は残っており、今なお南下を目論むロシアとの軍事対立の最前線に位置している。

 現在の国際情勢も、この本の背景と陸続きだ。隣の朝鮮半島は分裂国家のままで、北は核開発を諦めていない。ポーランドの東隣のウクライナはロシアと一触即発の状態にある。ちなみにウクライナの西でポーランドとの国境近くは、一時期ポーランドだった事もあり、ポーランド系住民も多い。

 話を著者の姿勢に戻そう。著者は徹底したポーランド贔屓の立場だ。そのため、英米については上下巻とおして弱腰や無能を糾弾している。唯一、チャーチルだけはスターリンの狡猾さを見抜いていたように描かれるが、ルーズヴェルトはお人よしでスターリンにツケ込まれたという評価だ。

 ドイツとソ連は、もう完全に悪魔扱い。上巻~下巻中盤まではドイツが徹底した悪役で、下巻ではスターリンの陰険で狡猾な手口を暴き出してゆく。戦中も蜂起した国内軍を見殺しにした上に、支援物資を送ろうとする英米の邪魔をするなど悪意の塊だが、戦後も元国内軍の将兵を拉致監禁しまくり。ヒーローは共産党じゃないとマズいのである。

 …興奮して本の紹介からズレてしまった。なんにせよ、蜂起は重大なジレンマを抱えていた。ドイツ軍はワルウシャワ住民の抹殺を目論んでいる。蜂起が遅れれば、みすみすドイツ軍に抹殺される。またはソ連軍が戦果を全て奪ってゆく。かといって早すぎれば、強大なドイツ軍に抗しきれず踏み潰されるだろう。

 蜂起のニュースを聞きつけた英米が、支援物資を空輸してくれれば、より長く抵抗が出来る。蜂起とタイミングを合わせてソ連軍が攻勢に出れば、ドイツ軍をワルシャワから追い払える。蜂起の帰着は、連合軍の支援とタイミングにかかっている。少なくとも、ポーランド亡命政府とポーランド軍は、そう思っていたのだが…

 などと混乱して興奮したまま、下巻へと続く。

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2014年5月11日 (日)

森奈津子「西城秀樹のおかげです」ハヤカワ文庫JA

(まだお会いしたこともないお姉様、いつかこの頬に優しく口づけしてくださいませ。そして頬だけではなく、いたるところにその熱き唇を……。ああっ! わたくしとしたことが、清らかな乙女の身でありながら、なんて淫らな想像を!)

【どんな本?】

 児童文学と官能小説を自在に書き分け、SFとSMの境界を難なく侵食する作家・森奈津子による、百合ポルノSFギャグ短編集。お約束に縛られたポルノの様式美を都合のいいSF設定で蹴散らし、息つぐ余裕を与えないハイスピードのギャグで読む者の腹筋と社会的立場を破壊する作品集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は2000年6月イースト・プレスより単行本で刊行。2004年11月15日に「タタミ・マットとゲイシャ・ガール」を加え早川書房より文庫本で発行。文庫本縦一段組みで本文約326頁+あとがき3頁+文庫版のためのあとがき3頁+柏崎玲於奈の解説「エロスと笑いの解放区」10頁。9ポイント39字×17行×326頁=約216,138字、400字詰め原稿用紙で約541枚。標準的な長編小説の分量。

 児童文学も手がけるだけあって、文章は読みやすい。SFといっても小難しい内容じゃない。というか、むしろ百合ポルノとギャグが主なので、SFはアレな展開に持ち込むための小道具程度に考えていい。美女と美少女のあっふんが好きな人向け。ギャグはセンスと言うかフィーリングというか、そーゆーので合う合わないが決まる部分があるんだが、書名が示すように1970年代末の風俗に詳しい人ならピッタリ。

【収録作は?】

 / 以降は初出。

西城秀樹のおかげです / SFバカ本たいやき編 1997年11月
 謎の疫病で人類は滅びた。人気のない新宿を、早乙女千絵は一人で彷徨う。セーラー服に三つ編みを黒いゴムで留めた清楚な姿で、ホテルセンチュリーハイアットから歩き出す。どこかにいるはずの、お姉さまを探して。だが、彼女が一年ぶりに出遭った人間は…
 わざとらしい耽美で悲劇的な出だしは、当然ながらすぐに裏切られ…。たしかに当事のヒデキの人気は凄かった。物語のキーとなるヤングマンはこちら(→Youtube)。元歌のヴィレッジ・ピープル版はこちら(→Youtube)。そういえば In The Navy(→Youtube)もピンクレディーがカバーしてました(→Youtube)。こういう、向うのヤバい歌を消毒してカバーする手口は、パンクやヒップホップにも使われてたりするから進歩がないというか懲りないというか。
哀愁の女主人、情熱の女奴隷 / SFバカ本 1996年7月
 時子の兄とその妻は、巨額の富と一人娘の絵美里、そして家事用アンドロイドのハンナを残して事故死した。10歳の絵美里は一ヶ月たっても泣いてばかり。時子は心配するが、人付き合いは苦手だし、子供の扱い方もわからない。そこでハンナに絵美里を慰めるよう命じたが…
 ぶっきらぼうな時子と、無駄に丁寧なハンナの会話が楽しい作品。これは二人のキャラを設定した時点で、作者の勝ちでしょう。見事なボケとツッコミのコンビになってる。
天国発ゴミ箱行き / SFバカ本ペンギン編 1999年8月
 1966年1月、アジアのどこかで若者が死んだ。果てのない階段を、若者は昇り降りし続ける。記憶は全て失った。手にあるのは、「324392」と書かれた紙だけ。時々、他の人とも出会うが、互いに挨拶するぐらいで、会話は続かない。だが、ある広場で美しい黒人女に出会い…
 何やら神秘的な出だしだが、そこは森奈津子。俗っぽい天使が出てきたと思ったら、いかにもな展開を挟んで、「何もそこまでやらんでも」な自虐ギャグへと突入してゆく。しかし松島君w
悶絶! バナナワニ園! / カサブランカ革命 1998年12月
 囚人L17890号。娑婆では有名な人気女優だった。だが、彼女には問題があった。少子化に悩む政府は、同性愛を禁止する。にも関わらず、彼女は同性愛にふけるばかりでなく、反体制組織の構成員でもあったのだ。ファンレターを使った囮捜査にひっかかった彼女は…
 熱川バナナワニ園とは、たぶん何の関係もない作品。18禁物の映像にしたら、その趣味の人にはウケそうだけど、費用と市場を考えるとモトが取れそうにないのが難点。何より役者さんを揃えるのが大変だろうし。どうでもいいけど、出てくるバナナは多分みんなキャベンデッシュ。
地球娘による地球外クッキング / SFバカ本白菜編 / 1997年2月
 共同生活する三人の女、理沙と美花子と吉田。理沙はSFオタク、美花子は食い意地が張っていて、吉田は男も女も見境なし。そこに突然、UFOが飛び込んできた。洗面器ほどの大きさで、見事なアダムスキー型。裏にはご丁寧にも三つの半球がついている。しかも、すぐそばに親指ほどで緑色の宇宙人まで…
 UFOの大きさが洗面器ほど、宇宙人は親指サイズってのがミソかな。確かに、この程度の大きさなら、レーダーだって鳥と判断するだろうし、意外と表沙汰にならないのかも。
タタミ・マットとゲイシャ・ガール / 蚊―か―コレクション 2002年2月
 わたくしがターゲットとして選んだその家は、ジパングのこじんまりとした家でした。かつてはロンドンの街角で、わたくしは乙女たちを誘惑し、この牙にかけたものです。この世に一族の最後の者として残されたわたくしですが、まさかあの娘が囮とは…
 プレイステーション2用ゲーム「蚊」のノベライズ集からの収録。明らかにレ・ファニュの短編「吸血鬼カーミラ」を意識した作品。勘違いしたジャポニズムも、金髪美少女の「わたくし」言葉で語られると、なんかソレナリにいいモノみたく思えてくるw
テーブル物語 / 西城秀樹のおかげです 2000年6月
 25世紀。ある惑星の古道具屋に、そのテーブルはあった。相当に古いもので、職人が丁寧に作ったものらしい。問題はその形だ。天板の四隅には女性器が、四本の脚には男性器が彫られている。しかも、それぞれに特徴のあるモノが。
 思うんだが、これ、いっそ連作にしちゃってもいいんじゃないか。ケッタイなテーブルを巡る麗しい女海賊と深窓のお嬢様とか、テーブルに秘められた暗号を巡る女刑事と少女怪盗のナニとか、テーブルの所有権を巡ってカード勝負に興じる有閑マダムと女学生とか。
エロチカ79 / チューリップ革命 2000年1月
 中学三年の不良少女・池本麻里亜は、退屈しのぎの小遣いを巻き上げるために、二年生の美少女・花村美奈を脅し、体育用具倉庫に連れ込んだ。手馴れた脅しで怯えさせるものの、美奈は「勘弁してください、後生ですから……」と泣くばかり。そこに現れたのは、凛々しい生徒会長、山崎智子。
 うんうん、やっぱり、ギャグはこうでなくちゃ。大事なのはリフですよリフ。端正な顔立ちに強固な意志、準備万端整えて変化自在にコトにあたる智子ちゃんがよいです。つかその鞄、ドラ○もんのポケットかいw
 あとがき/文庫版のためのあとがき/解説・柏崎玲於奈

 なんとも、ギャグの評は難しい。ネタ割っちゃったら本編を読んで笑えないし、かと言って可笑しさを真面目に解説してもシラけるだけだし。にしても、「SFバカ本」シリーズから四本も収録してるのが嬉しい。

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2014年5月 9日 (金)

ニコラス・マネー「チョコレートを滅ぼしたカビ・キノコの話 植物病理学入門」築地書館 小川真訳

「角のあるコムギがでないように」
「悪魔に勝てるように」
  ――ロビガリア神殿のロビグスに捧げた神官の祈り、オヴィディウスによる

【どんな本?】

 アメリカグリを滅ぼしたクリ胴枯病菌、世界のコーヒー生産トップだったセイロンを壊滅させたコーヒー葉さび病、アイルランドにジャガイモ飢饉をもたらしたジャガイモ疫病菌。昔から植物の病気は不作を、そして時には飢饉をもたらし、歴史に大きな影響を与えてきた。

 その多くは、菌類によるものだ。どんな菌が、どう活動して、どんな被害をもたらすのか。人はどのように原因を突き止め、どんな策を講じてきたのか。なぜ絶滅しかねないほど病気が蔓延するのか。そして、現在は、どんな植物がどんな危険に直面しているのか。どうすれば植物の病気を防げるのか。

 歴史上の植物・作物に降りかかった凶作を題にとり、植物の病気とそれをもたらす菌類の生態、そしてそれを明らかにして対策を講じた植物学者・菌類学者・植物病理学者たちのエピソードを交えながら、読者に植物病理学を紹介する一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Triumph of the Fungi : Rotten History, by Nicholas Money, 2007。日本語版は2008年8月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約246頁に加え訳者あとがき5頁。9ポイント44字×18行×246頁=約194,832字、400字詰め原稿用紙で約488枚。長編小説なら標準的な分量。

 訳者は農学者だが、意外なほど文章はこなれている。内容も特に前提知識は要らない。一応は科学(生物学)の本だが、漢字さえ読めれば、小学六年生でも読みこなせるかもしれない。クリ・カカオ・コムギなど出てくる植物は馴染み深いものが多いので、親しみを持って読める。また、欧州・南北アメリカ・東南アジアなどの国が登場するので、地図帳があると楽しんで読めるだろう。

【構成は?】

はじめに
第一章 風景を変えたカビ
ブロンクス動物園から始まったアメリカグリの枯れ/クリ胴枯病菌のこと/役に立っていたアメリカグリ/大騒動になったクリ胴枯病対策/失敗に終わった防除対策/枯死に至るメカニズム/形成層を食べるクリ胴枯病菌/鳥が胞子を運ぶ/風に乗る胞子/病原菌の故郷/日本にもいたクリ胴枯病菌/萌芽で生き残るアメリカグリ/原爆を作ったロスアラモスの研究所も敗北/バイテクも敗退か/アメリカグリへのこだわり
第二章 ニレとの別れ
猛威を振るうニレ立枯病/活躍したオランダ女性研究者たち/不幸な女性たち/たちの悪いニレ立枯病/菌の運び屋、ニレキクイムシ/病気の伝染経路/消えた合衆国憲法のニレ/ニレが枯れて裸になった町/ニレが枯れるわけ/ヨーロッパを襲った二度目の大流行/病原菌はどこから来たのか/効果の上がらない治療法/抵抗性品種を植える/ローマ人が持ってきたオウシュウニレ
第三章 コーヒーを奪う奴
人類の祖先ルーシーとコーヒー豆/セイロンのコーヒー栽培と森林破壊/やりたい放題のコーヒー王たち/コーヒー葉さび病菌の発見と同定/高級品のルワクコーヒー/マーシャル・ウォードとコーヒーの葉さび病菌/厄介な胞子、見つからない中間宿主/間違っていた新説/コーヒーから紅茶へ/大西洋を渡ったコーヒー葉さび病菌/コーヒーノキの出自/コーヒーノキと菌のいたちごっこ
第四章 チョコレート好きのキノコ
病気とともに始まったカカオ栽培/チョコレートができるまで/カカオノキの品種と栽培/英名は魔女の箒、和名は天狗巣病/カカオノキを襲うキノコ/おとなしいキノコが変身するとき/カカオ王、キノコに負ける/クリニペリスの伝播経路/国家経済を揺るがしたキノコ/植民地主義とカカオ栽培/ポッドを食べるネズミと菌/ブラックポッド病の除去/モリニア フロスティー ボッド病
第五章 消しゴムを消す菌
タイヤを作ったグッドイヤー/ゴムのとり方を工夫したマッド・リドリー/ブラジルから種を持ち出した英雄、ウィッカム/海を越えて植物を運んだウォードの箱/キュー王立植物園からアジアへ/ブラジルのゴム長者、その栄光と挫折/スリナムから始まったゴムノキの葉枯れ病/病原菌、ミクロシクルスの伝播/単一栽培の弊害/フォードが乗り出したゴム栽培/またいつ襲われるのか/ゴムノキを枯らすスルメタケ属のキノコ
第六章 穀物の敵
古代から続く、穀類の病気/フランスから始まった、なまぐさ黒穂病の研究/初めて病気の原因を特定したプレヴォー/フランス革命となまぐさ黒穂病/粉塵爆発の原因になった胞子/トウモロコシの黒穂は珍味か/さび病菌の謎/高名なド・バリーの功績/さび病菌に見る異種寄生性の進化/ヘビノボラズ退治/終わりなき戦い
第七章 カビが作るジャガイモスープ
バークレイ師、ジャガイモ疫病菌をとらえる/ジャガイモ疫病菌の侵入/殺して餌をとる/バークレイ師の苦労/アイルランドの悲劇/ボルドー液を作ったのは誰か/薬剤による防除/ジャガイモ疫病菌の卵(卵胞子)/交配して強くなったジャガイモ疫病菌/ジャガイモ疫病菌の起源
第八章 止まらない木の枯れ――未来に向けての菌とヒトとのかかわり
菌類と植物の長い歴史/森林への驚異、人が運んだストローブマツとさび病菌/アメリカへ里帰りしたさび病菌/植物病理学と菌学の仲たがい/ほかのマツにも広がるさび病/カシ・ナラの突然死/分子生物学的手法による同定/広がる宿主範囲と防除/気がかりな病気の蔓延/フィトフトラ ラモラムの交配型/オーストラリアのユーカリ、ジャラの枝枯れ/あばれるフィトフトラ シンナモミ/病原菌と農薬/生物兵器にされる植物病原菌/イラクの生物化学兵器開発/アメリカの菌を使った対麻薬戦略/動植物の大絶滅で繁栄した菌類/病害の増加は人類絶滅の予兆か
原註/訳者あとがき/索引(事項索引、人名索引、病名索引)

 科学の本なので、一応は前の章を前提として話が進むが、比較的に各章は独立しているので、興味がある所だけを拾い読みしても、第八章を除けばそこそこついていける。

【感想は?】

 樹齢千年を超える屋久杉の凄さと貴重さを、しみじみと感じる。

 冒頭のアメリカグリを滅ぼすクリ胴枯病菌、ニレの巨木を枯らすニレ立枯病から南米のゴムを席巻した葉枯れ病、フランス革命につながったなまぐさ黒穂病からアイルランドにジャガイモ飢饉をもたらしたジャガイモ疫病まで、菌類の恐ろしさを次から次へと紹介するのが、この本だ。

 やはり世界全体で最も影響が大きいのは、ムギを襲うなまぐさ黒穂病だろう。「穀粒をチョコレート色や黒色に変え、魚が腐ったときのような臭いをだす」。冒頭の引用が示すように、古くからコムギの不作の原因だったらしい。これはコムギの不作をもたらすだけでなく…

ウマが引く20~40頭立ての収穫機が病気にかかったコムギ畑を引っ掻き回すと、胞子混じりの大きな埃の雲が巻き起こり、きまって爆発した。というのは、不幸なことにトリメチルアミンは悪臭だけでなく、可燃性物質で引火しやすかったため、粉塵爆発の原因にもなったのである。

 困った事に病気は今も残っており、「アメリカのコムギ生産に毎年数%の損失をもたらして」いる。おかげで今でも穀物倉庫じゃ黒穂病を厳しくチェックしてるとか。真っ白な小麦粉は厳しい品質検査のたまものなんだなあ。遺伝子改変作物の目的の一つは、こういう病気に耐性を持たせようとしてるわけ。

 この病気をもたらすウスチラゴ メイディス、トウモロコシにも感染するんだけど、「今日、この膨れた代物は、ウィットラコチェというメキシコ料理の珍味になっている」。ひええ…と思ったが、こっちには冬虫夏草ってモンもあった。まあいい。怖いのは、コイツの胞子は風に乗って飛んでくるtって点。いつ他の所に飛び火するか、わからんのだ。

 アイルランドのジャガイモ飢饉も凄まじくて、「1845年には国全体の生産量の40%がこの病気にやられ、翌年にはジャガイモの90%が消滅した」。今どきのどんな企業でも、年間売り上げが9割落ちたら確実に倒産する。当事のアイルランドは、国中がそういう状態だったわけ。しかも栽培種がランバーという抵抗力のない一種に偏ってたのがマズかった。

 この疫病がどこから来たのかって話が、更に怖い。どうもメキシコ・南米原産の菌らしい。つまりジャガイモの原産と近い。もともと一緒にいたのだ。で…

南米から北アメリカやヨーロッパへ、鳥の糞や燐酸肥料、グアノが輸出されるようになったのは、1840年からのことである。

 作物の収穫を増やすリンの肥料グアノ(→Wikipedia)と共に、病気が来た可能性があるのだ。ってことは、有機栽培のために下手に外来の動植物を輸入すると、予期せぬ災厄が起きる可能性もあるって事だ。しかも、敵は菌だ。向うだって生き延びたい。仮に農薬や遺伝子改変で最初は抑え切れても、やがて進化する。結局はいたちごっこなのだ。

 しかも、これ、菌の立場になって考えるとわかるんだが、単一作物の畑ってのは、基本的に菌に弱いんですね。だってあなた、目の前にご馳走が延々と連なってるんだから。野生状態じゃポツポツと散らばってるのが、ご丁寧にご馳走を一箇所にまとめてくれてる。そりゃたまらん、大暴れしたくなるって。つまり農業って、基本的に不作と縁が切れないわけ。

 これだけ怖いシロモノだから、兵器にしようと考える奴もいるから、人間ってのは業が深い。イネいもち病の菌を、アメリカは1940年代に生物兵器にしようとしたとか。60年代まで研究を続けた。水素をつめた風船にボールをぶらさげる。そのボールの中には、胞子をまぶしたダチョウの羽が入ってるって仕組み。なお元ネタは大日本帝国の風船爆弾。

 ちなみにソ連にも、コムギの黒さび病を大陸間弾道弾で飛ばす発想があったとか。ひええ。

 こういった菌類の攻撃に、一年生のコムギなら品種交配とかで耐性がある種が生き延びる。けど、寿命の長い樹木だと、途中で遺伝子を変えられない。千年も生きてる屋久杉がいかに貴重か、これでわかろうというもの。

 どうでもいいが、ジェスロ・タル(→Wikipedia)って、イギリスの農学者の名前だったのね。ここでは学者さんの苦闘と活躍は省いちゃったけど、顕微鏡すらない時代から、農学者が思索と実験によって病気と戦ってきた歴史も沢山載っている。

 我々がよく知っている作物を例に、農作物に被害をもたらす菌類と、その生態を紹介する、親しみやすくてわかりやすく、楽しく読める科学解説書だ。

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2014年5月 8日 (木)

ポール・デイヴィス「ファイアボール」地人書館 中原涼訳

「オクラホマから来た女の話、知ってる?」と彼女は続けた。その女は、彼女の家の裏庭に空飛ぶ円盤が着陸するのを目撃したんだってさ。それで、保安官が、どうして空飛ぶ円盤だってわかったのかって聞いたわけよ。すると彼女は、『だって横のところにUFOって書いてあったのよ。ばかでもわかるわ』だって」

【どんな本?】

 イギリスの理論物理学者で科学ノンフィクションの著作も多い P.C.W.デイヴィスが、ポール・デイヴィス名義で発表したパニック・サスペンス・サイエンス・フィクション。突然に頻発しはじめた球電らしき火の球が引き起こす様々な事故や、それに伴う国際的な社会不安と、その謎を解くために奮闘する天才物理学者を描くSF長編。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は FIREBALL, by Paul Davies, 1987。日本語版は1990年6月1日初版第一刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約291頁+著者あとがき7頁+訳者あとがき4頁。9ポイント44字×20行×291頁=約256,080字、400字詰め原稿用紙で約641枚。長編小説としては少し長め。

 訳文は比較的にこなれている。かなり突っ込んだ科学の話をネタに使っているが、意外と難しく感じない。ガンダム・シリーズなどのSFアニメを楽しめる人なら、充分についていける。

 著者あとがきの前に、「ネタバレあり」と注意書きがあるのは助かった。ここでは本職らしく、ネタに関して真面目で突っ込んだ話を書いている。

【どんな話?】

 長老たちがまじない師を囲んでいる。儀式が佳境に入った頃、小屋の中に赤い球体が浮かんでいる。不規則に動くそれは、裏切り者バイアムの胸を焼き焦がした。まじない師は確信した。終末は近い、と。

 溶接工のチャーリー・パイクは、石油工場のパイプの中を這っていた。予定の場所に辿りついたパイクが作業を終え戻り始めた時、叫び声が聞こえた。振り返ったパイクは、パイプの入り口が不吉なオレンジ色に輝くのを見る。赤い光はパイクに迫ってきて…

 ラジオを聴きながら入浴中のサマンサは、昨夜の素敵なデートを思い出していた。ラジオに雑音が入った時、彼女はそばに浮かぶオレンジ色の球に気づく。中では何かが激しく動いている。火の玉は浴槽に触れ…

 天才物理学者のアンドリュー・ベンソンは、ケネディ空港からロンドンへと向かう。ミルチェスター大学の物理学教授に就任するためだ。カリフォルニア工科大学には、もういられない。ボスのスタンリー・ヘンドリックスの機嫌を損ねてしまった。しばらく休養するには、いい所かもしれない。

 イギリス国防相のジョン・モルトビーは、ウィリアム・ピーブルズ卿から呼び出しを受けた。幾つかの軍施設で、発生した火の玉が被害を出している。アメリカ合衆国でも似た問題が起こっているらしい。ロシアが関与している疑いもあり…

【感想は?】

 ネタは真面目で科学的だが、お話は手に汗握るパニック・サスペンス。

 やはり謎の中心は、ファイアボール、火の玉。またの名をサンダーボルト(Thunderboolts)、ボールライトニング(Ball Lightning)。球電(→Wikipedia)とも呼ばれる。大槻教授が「プラズマです」と断じる、アレだ。名前も目撃例も色々あるが、どうも21世紀の今になっても実態はよくわかっていないらしい。

 大きさは1cmの小さいものから、2~3mに及ぶものもある。建物内に侵入する事もあり、移動中のや乗り物に入り込み、一緒に動く時もある。フワフワと浮かんで不規則に動き、人を追いかけるように見える事もある。事故の報告もあるとか。物理学者が研究するに値する、真面目な現象らしい。

 とはいえ、稀な出来事であり、そうそうお目にかかれるシロモノではない。それが、突然に目撃例・被害例が増えて…というのが、主なネタ。

 書かれたのが1987年なので、さすがにコンピュータや通信関係の強者はやや古い。携帯電話は出てこないし、科学者同士のやりとりもメールじゃなくて国際電話。だが、それを除けば、SFとして充分に今でも通用する。どころか、球電の被害は、むしろ現代の方が大きくなるだろう。

 というのも、このファイアボール、電磁場に強い影響を与えるのだ。お話の紹介で触れたように、ラジオが受信できなくなるなど、電波状況を悪化させるばかりか、回路までオカれてしまう。当事の集積度でこれだから、集積度が上がりデリケートになった現代のコンピュータは、どうなるい事やら。しかも携帯電話やタブレットなど、通信への依存も増えてるし。

 登場人物はわかりやすく、かなりデフォルメしているのはご愛嬌。何より主人公の天才物理学者アンドリュー・ベンソンがわかりやすい。

 科学者が書いた作品だが、露悪的なまでにガキっぽく描かれている。問題に取り組むと、我を忘れて没頭し、部屋はジャングルと化す。口は悪く感情的で、自分の歓迎会すら「めんどくせえ」と考える空気が読めない人。身近でも国家レベルでも政治には興味を示さないが、軍事は徹底して毛嫌いする。

 嫌われる政治・軍事関係の人もなかなかアレで、何か問題があれば「ロシアのせいに違いない」と考える単細胞。そんなわけで、肝心のファイアボールの原因も、軍人が主張するロシア人の人為説か、ベンソンの主張が正しいのか、最後までハラハラさせられる。どっちもアレな人だしw

 文化的にも両者は対照的で、基本的に公開が原則の科学者の世界と、機密保持を重んじる政治・軍事の世界を並列して描いてゆく。とまれ、どっちも同じ業界内じゃ身内同士で重要な情報をやり取りしてるのが面白い。

 登場時は落ち込んで拗ねてたベンソン教授が、情熱を取り戻すキッカケが、これまた彼らしくていい。「おそらく世界中でも、ほんの二ダース程度の人たちが(略)これを理解できるできるのだろう」なんて世界に生きてる人だ。そんな奴のエンジンに火を入れるには…。

 学問も技術も細分化した現在、彼に共感する専門職・研究職の人は多いんじゃないだろうか。世に働く男女で、娘や息子ににわかりやすく自分の仕事内容を説明できる人って、次第に減ってると思うんだけど、あなたどうです?

 肝心の球電の原因は、かなり唖然とするシロモノ。ミステリとして見ると反則だけど、SFとしてはアリ。これは読者がサイエンスに重きを置くか、フィクションに重きを置くかで判定は違ってくると思う。小説としては無理矢理だけど、科学的には納得できる。

 理工学書が得意な出版社から出ただけあって、サイエンスに重きを置く、由緒正しいSF長編だった。「サイエンス・フィクションは読みたいけど、グレッグ・イーガンは歯ごたえありすぎだし、コンピュータ物も食傷気味」な人にお薦め。

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2014年5月 7日 (水)

アントニー・ワイルド「コーヒーの真実 世界中を虜にした嗜好品の歴史と現在」白楊社 三角和代訳 伝説編

 コーヒーの過去と現在を網羅した本「コーヒーの真実」には、楽しいエピソードが沢山載っている。ここでは、各国のコーヒーの起源にまつわる伝説を紹介する。いずれもドラマチックに脚色された伝説であって、いささか事実関係は怪しいが、お話としては面白い。

まずは、現在、世界のコーヒーの源として、最有力候補のイエメンから。

イエメン:山羊飼いのカルディの伝説

その昔、山羊飼いのカルディという男がいました。
ある時、彼は山羊の群れが踊っているのを見ました。
山羊たちは、コーヒー・チェリーを食べたのです。

不審に思ったカルディも、チェリーを食べてみました。
すると彼も気持ちがたかぶり、山羊と同じように踊ったのです。

驚いたカルディは、近くの修道院の院長に、この事を話しました。
院長は怒りました。「けしからん、きっと悪魔の実だ!」
そしてコーヒー・チェリーを火に投げいれ、焼き払おうとしました。

その時です。なんということでしょう。
豊かで芳しい香りが立ち上ってきました。
院長は考えを改めました。「これは神の元から遣わされたに違いない!」

そして豆から抽出したものを、修道僧たちに飲ませます。
霊験はあらたかでした。
僧たちは夜の祈りでも、居眠りをしなくなりました。

イエメン:ムフティのゲマレディン説

著者は、ムフティのゲマレディン説を有力と見なしている。こんな説だ。

明の鄭和(→Wikipedia)の宝船艦隊は、1417年にイエメンを訪れている。
この頃、青年ゲマレディンは、アデンに住んでいた。

艦隊と接触したゲマレディンは、茶の習慣を知る。
植物の浸出液を飲と、頭がシャッキリして眠くならない。

ゲマレディンはスーフィー教徒だ。
スーフィー教徒は、昼は働き家族と過ごし、夜に祈る。
夜のお祈りの眠気を覚ます茶は、魅力的な習慣だ。

そこで茶の作り方を教わったが、イエメンには茶葉に使える適切な植物がなかった。
後に宣教でエチオピアに向かった彼は、奴隷のオモロ族からパンと呼ばれる植物の話を聞く。
// ギリシャ神話の牧神パン(→Wikipedia)と関係あるのかな?
食べると山羊が元気になるというのだ。

そこでオモロ族の地へ赴いた彼は、コーヒーを見つけて持ち帰る。
最初は葉から淹れたが、チェエリーの果肉の方が美味しいと気づく。
これはギシルと呼ばれ、今でもイエメンで飲まれている。

錬金術にも通じるゲマレディンは、やがて焙煎を発見する。
そして美味しいコーヒーは、スーフィーの間に広まっていった。

ウィーン:コーヒー・ハウスの起源の伝説

オスマン帝国のスルタンのメフメト四世は、大宰相カラ・ムスターファに命じました。
「そちに30万の軍勢を預ける。ヨーロッパを征服するまで戻ってきてはならん」
1683年、軍勢はウィーンへ進撃します。第二次ウィーン包囲(→Wikipedia)です。

卑劣なドイツ皇帝のレオポルド一世は、市民を置き去りにして逃げ出してしまいました。
ですが、一人の英雄が現れます。その名をフランツ・ゲオルグ・コルシツキー。

彼は、かつてイスタンブールのコーヒー・ハウスに勤めていました。
そのため、トルコの習慣や言葉をよく知っていたのです。

勇敢な彼はオスマン軍に潜り込み、敵の士気や作戦を聞き込みます。
ばかりでなく、カーレンブルク山に布陣したロレーヌ公国皇太子と連絡をつけ、連合軍を実現したのです。

その上、豪胆にも、四度も包囲網を突破して往復し、その度にウィーン市民の希望をかき立てます。
彼のもたらす情報は欧州勢の頑強な抵抗を支え、1683年9月12日の勝利へとつながります。

敗走するオスマン軍が廃棄した物の中には、200kgのコーヒーもありました。
コルシツキーは、100ダカットに加え、コーヒー豆を褒賞に受け取りました。
報奨金でで店を買ったコルシツキーは、コーヒーハウスを開きます。

これがウィーン最初のコーヒーハウス、ブルー・ボトル・コーヒー・ハウスです。

インド:ババ・ブダンの伝説

1600年ごろ、イスラム巡礼者ババ・ブダンという者がおりました。
彼はメッカから戻る際に、こっそり腹にコーヒーの種をくくりつけて持ち帰ったのです。
そしてチャンドラギリの山にある、彼の隠者の洞窟の前に植えました。
これがインド・コーヒーの起源です。

ただし、現実には、インドにコーヒーが存在した事を示す記録は、最古でも1695年のものだ。

ブラジル:色男フランシスコ・デ・メロ・パレータの伝説

フランス領ギアナとオランダ領ギアナは、いずれもコーヒーを栽培していました。
そして両国とも、独占のため、種子の持ち出しを固く禁じていました。

そんな両国に、国境紛争がおきました。
仲裁にを引き受けたのは、ブラジルの大使フランシスコ・デ・メロ・パレータです。
この時、フランス総督の妻が、大使に熱烈な恋をしました。

しばし二人は情熱的に愛を交わしますが、やがて別れの時がきます。
その際、彼女は愛の記念として、大使にブーケを贈りました。
ブーケには、熟したコーヒ・チェリーがふんだんに使われていました。

ブラジルのコーヒーは、二人の恋と情熱の結晶なのです。

ブラジル:ホセ・マリアーノ・ダ・コンセイソン・ペローゾ説

実際は、もう少し散文的だ。
時は1774年、主人公はフランシスコ会修道士のホセ・マリアーノ・ダ・コンセイソン・ペローゾ。
彼はオランダの友人ホップマン氏からコーヒーの種子を受け取る。
そして聖アントニウス修道院の庭に植えたのが、ブラジル・コーヒーの始まりらしい。

アラブ首長国連邦にて

今の所、コーヒーの起源は15~16世紀のイエメンという説が有力だ。
しかし、1996年に、通説を揺るがしかねない発見があった。

アラブ首長国連邦のクシは、13世紀の終わりまで千年に渡る海沿いの貿易港だった。
1996年、ここで12世紀初めの地層から、奇妙なモノが見つかっている。
中国の陶器の破片と、炭化した二粒のコーヒー豆だ。アラビカ種である。
仮にこの豆が12世紀のものなら、コーヒーの歴史は350年ほど遡るかもしれない。

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2014年5月 6日 (火)

アントニー・ワイルド「コーヒーの真実 世界中を虜にした嗜好品の歴史と現在」白楊社 三角和代訳

どんな恋人もわたしには求婚できません。
結婚の取り決めで彼の誓いを
書面にしてもらわなければ。
いつでもわたしが好きなときに
コーヒーを飲ませるという誓いです。
  ――J・S・バッハ「コーヒー・カンタータ」

【どんな本?】

 ふくよかな香りで気持ちを落ち着かせ、神妙な味わいで舌を楽しませ、頭をシャッキリさせて眠気覚ましにもなる、至福の飲みものコーヒー。

 それはいつ、どこで、誰が見つけ、どのように調理されて飲まれたのか。かぐわしい香りは何によるものなのか。世界にはどんなコーヒーがあり、どんな淹れ方があるのか。どのようにコーヒーは世界中に広がったのか。どこで誰がどんな種をどのように作り、どのように流通しているのか。そしてコーヒーは世界をどう変えたのか。

 エチオピアから始まるコーヒーのルーツから普及と取引の歴史、含有物と人体への影響、奴隷制と植民地経営の名残を残す現在のコーヒー産業の実情から、コーヒー王国ブラジルを急追するロブスタ種中心のベトナムの影響まで、コーヒーの歴史から現状を追うと共に、美味しいコーヒーの淹れ方まで紹介する、コーヒーの昔と今を網羅した本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は COFFEE - A Dark History, by Antony Wild, 2004。日本語版は2007年5月20日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約316頁+訳者あとがき3頁。9ポイント50字×20行×316頁=約316,000字、400字詰め原稿用紙で約790枚。長めの長編小説の分量。

 訳文は比較的にこなれてい方だが、二重否定っぽく少々まだるっこしい表現が多い。読みこなすのに特に前提知識は要らない。当然ながらコーヒー好きな人の方が楽しめる。特にレギュラーをブラックで飲む人。また、17世紀以降のアラブ・アフリカ・ヨーロッパ・南北アメリカの歴史を追う本なので、世界史と地理に詳しいと更にいい。

【構成は?】

  •  はじめに/プロローグ
  • 1章 わたしたちとコーヒー
  • 2章 コーヒー文化の起源
  • 3章 中国の茶、トルコのコーヒー、そしてウィーンのカフェ
  • 4章 種子をめぐる攻防戦
  • 5章 近代社会はコーヒー・ハウスから
  • 6章 モカの凋落
  • 7章 奴隷制とコーヒー植民地
  • 8章 ナポレオンの大陸封鎖と代用コーヒー
  • 9章 コーヒーの要衝セントヘレナ
  • 10章 ブラジルはいかにしてコーヒー王国となったか
  • 11章 大博覧会の水晶宮で
  • 12章 コーヒー商人アルチュール・ランボー
  • 13章 コーヒーの現在
  • 14章 コーヒー、科学、マーケティング
  • 15章 陰謀と策略――アメリカ合衆国の黒い影
  • 16章 フェアトレード
  • 17章 エスプレッソ――コーヒー界のエスペラント
  • 18章 ベトナム、そして闇の奥
  •  結び/補遺――クシでの発見
  •  訳者あとがき/著訳者紹介

 一応は時代に沿って話が進むものの、各章は比較的に独立しているので、気になった章だけ拾い読みしてもいい。

【感想は?】

 レギュラーのブラック、それも淹れたての味。豆はお好きなものを。私はグアテマラが好き。ただしアラビカ種に限る。ロブスタは不許可。インスタントは問題外。

 つまりはとても複雑で、少々苦い物語なのだ。

 意外な事に、コーヒーの歴史はあまりハッキリしない。冒頭では1502年あたりにイエメンで歴史に登場した事になっているが、補遺でひっくり返る。歴史に登場するのはイエメンだが、原産はエチオピアらしい。様々な説のうち、著者はスーフィー(→Wikipedia)のゲマレディン説を有力と見なし、鄭和(→Wikipedia)の宝船艦隊と絡ませている。詳細は次回

 眠気を覚ますコーヒーは、「昼間は働け、夜に集まって礼拝せよ」とするスーフィーと相性がいい。発展するオスマン帝国と共にコーヒーは広がるが、同時に「アレってドラッグっぽくね?」という疑惑も引き起こし、時おりは役人に取り締まられるが、美味しい物には勝てず、帝国全土に広がってゆく。

 モカのブランドも、この頃に作られたとか。やがてヨーロッパへも広がってゆくが、「コーヒー飲用がブームだった150年の間、世界にコーヒーを供給するただひとつの港として、モカが強大な力を持っていたからだ」。今は遠浅になっちゃって、港としては没落してるけど。

 やがてコーヒーはイギリスにも伝わり、センセーションを書き起こした。問題はコーヒーそのものより、コーヒー・ハウス。そこには人々が集う。今までだって酒場があったけど、ヨッパライは朝になれば何も覚えちゃいない。でも「コーヒー・ハウスでは人々は素面であり、地位も名声もある男たちがあらゆる分野の者たちと出会えた」。

 こういった出会いが保険のロイズや証券取引所や東インド会社を産んでゆく。コーヒーも凄いが、人々が交流することで新しいビジネスや社会運動が生まれたってのも意味深だ。アラブの春は迷走しているが、Google や Amazon は着実に世界を変えている。

 残念ながら紅茶は、同じカフェインを含む飲み物なのに、こういった運動を起こさなかった。これにはコーヒーと紅茶の淹れ方の違いが大きい。

 紅茶を淹れるのに大袈裟な器機は要らないし、短い時間で用意できる。でもコーヒーは、炒りたて・挽きたて・淹れたてじゃないと、美味しくない。つまり淹れるのに手間ヒマかかってメンドクサイし、必要な器機をそろえるのも高くつく。だったら手軽にコーヒー・ハウスで飲んだ方がいいじゃん。そういう事です。

 はいいが、問題は、コーヒーの栽培が、植民地の奴隷制と極めて相性がいいこと。「1770年代には、プランテーションは1エーカーあたり25ポンドの収益をあげており、利益率は400%から500%にものぼっていた」。奴隷貿易も相まって、中南米にプランテーションが広がってゆく。

 この傾向を更に煽ったのが、アメリカ合衆国。有名なボストン茶事件(→Wikipedia)で紅茶の印象が悪くなり、新大陸じゃコーヒーが好まれるようになる。中米・南米にコーヒーの輸出国が連なっていることもあり、プランテーションで奴隷が作ったコーヒーは北アメリカに流れてゆく。

 こういった産地の話は、エリザベス・アボットの「砂糖の歴史」同様に、かなり苦い。しかも、現代まで問題を引きずっているからタチが悪い。というのも、「とても低い年齢の子どもたちもコーヒーを摘むことができる」から。「児童の労働は今日でもコーヒー産業の問題である」。私が好きなグアテマラも、酷い状況らしく、この辺は読んでてツラかった。

 「でもコーヒーが値上がりするのは嫌だなあ」と思うのは私も同じ。しかし、「ロンドンではカフェの顧客は、栽培農家が受け取る額の150倍以上を払っている」。仮に栽培農家が今の10倍を受け取ったとしても、5%の値上げで済む。だからと言って、カフェがボロ儲けしているってワケじゃないんだけど。で、これについては…

たしかな方法があるとしたら、それはベトナム・コーヒーを市場からすべて取り除くことだ。

 と、かなりハッキリと問題を指摘してる。そういえば藤井太洋の「Gene Mapper - full Build -」には「ベトナムのコーヒーはやたら甘ったるい」とあったが、この本を読んで理由がわかった気がする。安いくて丈夫で味に難のあるロブスタなんで、ブラックは厳しいのだ。

とはいうものの、ベトナムのコーヒーを追放しても、根本的な解決にはならない気がする。というのも、企業は「ベトナムが駄目ならラオスかカンボジアかビルマに行けばいい」と、他の国に乗り換えるだけだろうから。

 まあ、そんなお堅い話ばかりでなく、ウィーンにコーヒーが広まった経緯や、世界各国のコーヒーの起源にまつわる愉快な伝説、良いコーヒー豆の選び方からエチオピア流のアメルタッサ(茶のように葉から作る!)のような独特のコーヒーまで、コーヒー好きには美味しい話題がいっぱい。

 ただし、インスタント派にはかなりキビシイ事を言っているので、かなり苦いかも。

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2014年5月 5日 (月)

ジェイムズ・ホワイト「生存の図式」早川書房 海外SFノヴェルズ 伊藤典夫訳

 さいわい司令船のクルーはよりぬきの精鋭、それぞれの専門分野の第一人者ばかりなので、純粋に技術的な問題にはさほど長い時間はとられなかった。しかし、その腫の問題を解きやすくする技術関係の知識の大系化、およびテープや紙面への記録といったっことには、彼らはいつまでも心をいためた。

【どんな本?】

 アイルランド生まれのSF小説家ジェイムズ・ホワイトによる、娯楽SF長編小説。第二次世界大戦中にドイツ軍の魚雷で海中に沈んだタンカーの中でサバイバルを続ける5人の男女と、気候の変動で棲めなくなった母星から脱出し亜光速で宇宙を航行しながら移住の地を探す世代宇宙船の水棲宇宙人のドラマを、イギリス流のユーモアを混ぜて描く冒険SF。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE WATCH BELOW, by James White, 1966。日本語版は1983年2月28日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約244頁+訳者あとがき7頁。9ポイント45字×18行×244頁=約197,640字、400字詰め原稿用紙で約495枚。標準的な長編小説の長さ。

 訳文は充分にこなれている。内容も特に難しくない。ただ、さすがに半世紀も前の作品なので、ガジェットが少々古臭かったり、科学的にアレな部分がある。冒頭の引用を見ても、記録媒体がテープや紙だし。その辺を許容できるか否かが、評価の分かれ目。なお舞台となるタンカーの描写は相当に凝っている上に、ホーンブロワー(→Wikipedia)への言及があったり、海洋物が好きな人には楽しめるかも。

【どんな話?】

 第二次世界大戦さなかの1942年2月3日、アメリカから欧州への輸送船団の一隻で改造タンカーのガルフ・トレイダーは、ドイツ軍の潜水艦の魚雷を二発食らい、大西洋に沈む。多くの乗員は避難できたが、船内に5人の男女が残されてしまった。幸か不幸か気密は良好で、生存者を乗せたままトレイダーは海中を漂い始める。

 過去三百年間、惑星アンサの太陽は活発化する一方だった。危機に瀕した水棲のアンサ人は、移住に適した惑星を見つけ、多数の宇宙船を建造し、15世代ほどかかる移住の旅に出る。冷凍睡眠技術により大半の乗客を収納できるが、航路の修正・誘導や宇宙船の維持のため、小数のクルーは必要だ。そのため船団のクルーは、輪番制の交代で冷凍睡眠に入る計画だった。

 しかし、冷凍睡眠から起き、最初の任務を引きついだ首席船長のデスランを待っていたのは、船団の運命を左右する重大な問題点だった。

【感想は?】

 いろいろと大らかな時代の、おおらかな娯楽SF長編。

 多少の古臭さはあるものの、当時ならではの良さもある。その最大の魅力は、長さ。文庫本でも300頁ぐらいに収まる分量で、ちゃんと二つの物語を合流させ、綺麗に完結させている。やっぱり、娯楽物は一気に読める長さがいいよなあ。

 物語は、二つの流れで進む。

 一つは海中を漂うタンカーに取り残された5人の男女のサバイバル物語。タンカーを改造した貨物船のため、艦内の空間は多い。潜水艦対策も施されていて、簡単には沈まない。これが生半可に功を奏して、沈むでなく浮かぶでなく、中途半端な浮力のため、海中を漂う羽目になる。

 幸か不幸か食料は豊富にあり、液体酸素のボンベも積んでいたため、しばらくは窒息する心配がない。そんなわけで、海中を漂うタンカーに取り残された5人の男女が、生き延びるために智恵を振り絞る姿を描くのが、第一の物語。

 第二の物語は、宇宙を航行する水棲のエイリアンの船団。恒星の変動のため、母星には住めなくなる。そこで大挙して惑星から脱出し、大船団を組んで移住先の地球を目指す。さすがに距離がある上に、超光速航法は持っていないので、十数世代もかかる長旅だ。とすっと、必要な生活物資も半端ない量になる。

 幸いに冷凍睡眠技術が開発されたので、乗客の多くは眠ったまま航路の大半を過ごせる。これで必要な生活物資は節約できた。とはいえ、船団を誘導し航路を修正するなどの作業は必要なので、少人数のクルーはおきてる必要がある。これは二つのチームが数年ごとに冷凍睡眠をとる事で解決したつもりだったが、その冷凍睡眠に問題が見つかって…

 おおらかだと思った一つは、エイリアンの宇宙船の動力が原子力な点。「原子炉」としか書いてないんで、当事の感覚だと核分裂と受け取られそうだ。実際、1960年代にはオリオン計画(→Wikipedia)なんてお馬鹿なシロモノもあった。船尾で原爆を爆発させ、その反動で進もうってんだから、無茶にも程があるw

 著者は船が好きな人らしく、タンカーの描写もなかなか細かい。「航空会社の広報部に勤めながら、余暇にSFを書いている」とあるので、乗り物には詳しい模様。

 SF者の楽屋オチ好きは昔からの傾向らしく、この作品では先にあげたホーンブロワー・シリーズのほか、E・E・ドック・スミス(→Wikipedia)のネタが潜んでいるとか。いや私はホーンブロワーしか読んでないけど。しかも覚えてるのは海水を浴びてケッタイな踊りを踊る場面だけだし。つかアイルランド生まれもホーンブロワーを読むのかあ。

 このお話の巧妙な仕掛けは、タンカーと宇宙船団の双方が、似たような問題を抱えながら、次第に近づいてゆく点。互いに限りある資源を智恵と工夫で活用しながら、必死に生き残りを計るのだが、実は両者ともに同じ原因による問題だけは解決できず、ジリジリと破滅へと近づいてゆく。

 最近の基準では短いSF小説のため、人物はカキワリに近い描き方だったりする。これまた当事のSFの味で、思い切っこういうシンプルな作品も好きだなあ。

 それでもイギリス人らしい風味はあって、ヒネたユーモアのセンスはいかにもイギリス風味。でも、主にギャグを飛ばすのはアメリカ人だったりする。ネタはシモなのに妙に言い回しが変に上品だったりするのも、シェイクスピア以来のイギリスの伝統かしらん。

 今なら数巻の大長編になる壮大な設定の物語を、一冊に凝縮した娯楽作品。ニューウェーヴ以前のおおらかさで、閉鎖環境でのサバイバルの緊張感と、ファースト・コンタクトのセンス・オブ・ワンダーを組み合わせた、心地よいSF長編だった。

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2014年5月 3日 (土)

ジェフリー・ロバーツ「スターリンの将軍 ジューコフ」白水社 松島芳彦訳 エピソード集

 ノモンハンの戦いで赤軍を立て直して頭角を現し、大祖国戦争こと独ソ戦ではレニングラード・モスクワ・スターリングラードの窮地を救った上、ベルリン攻略まで成し遂げたソビエト連邦の英雄ゲオルギー・コンスタンチーノヴィッチ・ジューコフ。書評は前の記事を参照してもらうとして、ここでは興味深いエピソードを紹介する。

【エピソード集】

○本の虫

家にいるときのジューコフは本の虫だった。元帥が死んだ時、ダーチャ(郊外の別荘)には、二万冊の蔵書があった。残念ながらほとんどは、彼の死後に国がダーチャを接収した時に廃棄してしまった。わずかに2~300冊が博物館の所蔵に帰して今に至っている。

●遭遇

1940年5月、ジューコフはキエフ特別軍管区の司令官に着任する。
ここには一人の戦車操縦士もいた。
青年は戦車の改良に取り組み、エンジン動作を記録する装置をジューコフに見せた。
感心したジューコフは、青年をキエフの戦車技術学校に派遣する。
青年は戦後、優れた兵器を造り上げ、その名は世界に轟きわたる。
兵器の名はAK47、青年の名はミハイル・カラシニコフ。

●勝敗

スターリングラードの攻防で、ドイツおよび枢軸国は50個師団を失い150万人の犠牲を出した。
対する赤軍の損失は、250万人に及ぶ。

// 単に人数の損失だけを見れば、枢軸が勝っているように見えます。
// しかし、一般にスターリングラードの戦いは、ソ連の勝利と言われます。
// なぜなら、戦争の勝敗を決めるのは、損害の大小ではないからです。
// 重要なのは、目的を達成したか否かなのです。

// ドイツの目的はスターリングラード攻略でした。
// 対するソ連の目的は、スターリングラードの防衛です。
// ドイツは目的を達成できず、ソ連は達成しました。
// だから、ソ連の勝利と言われるのです。

●ある空挺兵の物語

合衆国の空挺兵ジョセフ・R・バイラリ軍曹は、Dデー直後にフランスでドイツ軍に捕らえられた。
1945年1月、彼は捕虜収容所から脱走し、赤軍の戦車部隊と出会う。
爆発物の取り扱いが得意なジョゼフは、指揮官を口説いて戦車部隊に加わり、共にドイツ軍と戦った。
第二次世界大戦中、米ソ両軍に所属して戦った、唯一の兵士といわれている。
戦闘中に負傷した彼は、ランツベルクのソ連軍病院に収容された。
1945年2月、たまたまこの病棟を訪れたジューコフは、彼の噂を聞いて会話を交わす。
彼が帰国を望んでいる事を知ったジューコフは、モスクワ経由で米国に送り返した。

この物語が表に出たのは1994年、Dデー50周年だ。
ホワイトハウスの記念式典で、ビル・クリントンとボリース・エリツィンが、彼に記念メダルを授与した。

2000年。
米国は新しい駐ロシア大使を任命した。
ジョン・バイラリ、ジョゼフの息子だ。
ジョンは著者に語っている。「ジューコフは父の命の恩人だ」と。

●ベルリンの死闘

ベルリン攻防戦で、ドイツ人は勇敢に戦った。
既に勝敗は決まっていたのに、なぜ戦ったのか。
著者はこう考えている。ソ連軍の報復が怖かったからだ、と。
ナチの宣伝もあるが、東から逃げてきた避難民から聞いた噂が効いたのだろう。
時間を稼げば、西側が先にベルリンに到達するかもしれないし。

// でも、それだと、大戦末期の日本の頑強な抵抗は説明できないんですよね。
// 日本の場合、島国で逃げ場がないのがひとつ。
// もうひとつは、米軍より周囲の目が怖い、ってのがあったんじゃないかと思うんですが。
// いわゆる集団の圧力です。

●準備

1947年、ジューコフはスターリンの不興を買い、窮地に立たされる。
その時の気持ちを、ジューコフはこう語っている。
「1947年の私は毎日、逮捕を恐れていた。いつでも持ち出せるように下着を入れたバッグを用意していた」

●演習

1953年秋、ソ連は西ウクライナのトツコエで野外演習を行なう。
ジューコフ準備から本番まで演習に関与した。
軍管区の責任者はコーネフ。ベルリン進攻の黄金コンビだ。
この演習は特別な目的があった。核攻撃を受けた想定で行なったのだ。
住民は予め避難させ、兵は防護服を着用して特殊構造の遮蔽壕に入る。
本番は9月14日。
部隊から3~4マイル(5~7km)、高級指揮官から10マイル(約16km)離れた上空1000フィート(約300メートル)で、
中型の核爆弾が炸裂する。
演習は大成功とされた。

// 本物を使ったようです。無茶苦茶な時代ですね。

●スター

1955年7月、フランス・英国・ソ連・米国が参加する首脳級会談がジュネーブで実現する。
ソ連の代表は首相ブルガーニンで、モロトフとジューコフが同行した。
しかし、事実上のトップは第一書記フルシチョフだ。
フルシチョフは、西側に自らの存在感をアピールしようと考えていた。
しかし、「タイム」誌の表紙を飾ったのはジューコフだった。
当事の合衆国大統領はアイゼンハワーである。
第二次世界大戦の東西両戦線の指揮官の再会だったのだ。

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2014年5月 2日 (金)

ジェフリー・ロバーツ「スターリンの将軍 ジューコフ」白水社 松島芳彦訳

(1945年)五月九日、ジューコフはスターリンの代理として、ドイツ軍の無条件降伏を受けれる栄誉に浴した。勝利の代償は大きかった。ベルリン攻略戦で赤軍は30万人の人的損害を出した。うち死者は八万人に上った。

【どんな本?】

 ゲオルギー・コンスタンチーノヴィッチ・ジューコフ。ノモンハンで野戦指揮官としての実力を示して頭角を現す。第二次世界大戦の独ソ戦では、ドイツ軍の怒涛の進撃を前に壊走する赤軍を立て直し、レニングラード・モスクワ・スターリングラードと危機に瀕した戦線を救い、反攻に出てからはコーネフとベルリン一番乗りを競った、ソ連では英雄と目される人物。

 卓越した業績を残しながら、戦後は共産党の政争に巻き込まれ、毀誉褒貶の激しかった人物でもある。今までは本人の筆による回顧録しか資料がなかったが、ソビエト崩壊による文書公開によって明らかになった資料や私信を丹念に漁り、従来の通説とは異なる視点を示すと共に、人間臭いジューコフの実像を明らかにしてゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Stalin's General : the life of Georgy Zhukov, by Geoffrey Roberts, 2012。日本語版は2013年12月10日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約345頁+訳者あとがき5頁。9.5ポイント45字×20行×345頁=約310,500字、400字詰め原稿用紙で約777枚。長編小説なら長めの分量。

 文章は比較的にこなれている。内要も特に難しくないが、独ソ戦について詳しければ更によし。ただ、固有名詞に少々のクセがある。例えばコルネリウス・ライアンは、恐らくコーネリアス・ライアンだろうし、ベロルシアはベラルーシ(白ロシア)だろう。

【構成は?】

 まえがきと謝辞
第1章 栄枯盛衰
元帥ゲオルギー・ジューコフの栄光と転落
第2章 伝説の青年時代
農村の子から赤軍兵士に 1896-1921年
第3章 兵営の日々
赤軍指導官としての鍛錬 1922-38年
第4章 ノモンハン、1939年
初陣の将軍
第5章 キエフにて
図上演習と準備 1940年
第6章 破局の元凶か?
ジューコフと1941年6月22日
第7章 スターリンの将軍
レニングラード、モスクワの救世主 1941年
第8章 勝利の立役者か?
スターリングラード 1942年
第9章 西へ!
クルクスからワルシャワへ 1943-44年
第10章 赤い嵐
ドイツ進攻 1945年
第11章 地方左遷
恥辱と復権 1946-54年
第12章 国防相
勝利と茶番 1955-57年
第13章 最後の戦い
歴史の真実を求めて 1958-74年
第14章 ロシアの英雄
 訳者あとがき
 地図一覧/ゲオルギー ・ ジューコフの生涯
 主要文献/出典/人名索引

【感想は?】

 スターリンの粛清を逃れて頭角を現した人物だから、きっと腹芸の巧い人だと思ったけど、全然違った。

 かなり直情的で、自己顕示欲も旺盛。骨の髄まで軍人で、愛国者。強く固い意志を持ち、いかなる逆境でもくじけない。自分に厳しいが、同時に人にも厳しい。突撃命令を拒む部下は、容赦なく撃ち殺す。

 彼が実力を見せ付けたのは、ノモンハン(→Wikipedia)。日本じゃ「事件」なんて矮小化してるけど、充分に戦争の名に値する衝突。ここに駆けつけたジューコフは、訓練と規律を強化し、精力的に軍を立て直す。いやジューコフさん、命じられたのは調査なんですが。

 ここで「最初に手をつけたのが、諜報員の派遣、航空偵察、捕虜尋問による組織的な情報収集」と、情報を重視してるのが、パットンと共通している。攻撃再開は1939年8月20日早朝。「この日を選んだのは、日本軍の士官の多くが攻撃を予期せず休暇を取ったから」。

 この戦いはハンニバルのカンナエの戦い(→Wikipedia)に例えられ、各種兵器を統合運用しての優れた両翼包囲と絶賛される。後に記者からドイツ兵と日本兵の違いを聞かれたジューコフは、「1939年に戦った日本兵より(ドイツ兵の方が)技量は優れていた」と答えている。悔しい。

 独ソ戦じゃ、当初、赤軍は壊滅状態になる。この原因を「当事の赤軍は攻撃態勢だったから」とする説を、筆者は疑問視している。とまれ、実はこの時、ジューコフは参謀総長の職にあって、無関係とは言えない。ちなみに師団指揮官の養成学校で学んだ時は、優れた成績を残し、「明らかに前線指揮官に向く、後方業務には向かない」と評価されてる。

 以後、レニングラード・モスクワそしてスターリングラードと苦しい戦いが続く。

 ヒトラー曰く「ロシアとの戦争に騎士道精神はいらない。異なるイデオロギー、異なる人種との闘争なのだ。無類の冷酷さをもって、非情に徹し遂行するべきである」。この辺の地獄っぷりはアントニー・ビーヴァーの「スターリングラード 運命の攻囲戦」やキャサリン・メリデールの「イワンの戦争」が詳しい。いやマジ、エグい描写が多いので要注意。

 要は互いに殲滅戦を考えていたわけで、赤軍内の規律保持も厳しい。

ソ連軍は戦争中に15万8千人もの自国兵士を処刑した。数万人がいわゆる懲罰大隊に送り込まれた。入隊は犯罪や過ちの汚名をそそぐ機会とされたが、生存率50%の使い捨て部隊だった。ジューコフが自ら裁可した過酷な措置を、後から悔やんだ形跡はない。ためらいさえしなかった。

 これがジューコフの評価の分かれる所で、非難する人は「兵の命を粗末にしすぎ」とし、擁護する人は「当事のソ連じゃそうするしかなかった」とする。

 ベルリン一番乗りでコーネフと競争を演じた時も、「10万人単位の犠牲を伴った」。ここでジューコフは「異例の命令を出した。突入が成功したらスターリンだけでなく、報道機関にも知らせろ」。苛烈な人だけあって、名誉欲も強いんです。有名な帝国議事堂のソ連国旗掲揚も、半分はヤラセ。

戦闘は4月30日、帝国議事堂の占拠で最終章を迎えた。その晩、ジューコフ配下の第三強襲軍に所属する二人の兵士が、議事堂の上にソ連国旗を掲げた。ソ連の写真記者、エヴゲーニー・ハルデイがその後、別の二人の兵士に同じ光景を再現させて撮影した。

 この後、「多くの戦利品で私腹を肥やした」と、著者は厳しく批判してる。

 大祖国戦争の英雄として凱旋したジューコフ、当然ながら大人気となる。が、それが戦後の彼の運命を大きく揺さぶる。まずはスターリンから妬まれて左遷、フルシチョフが台頭すると引き上げられるけど、やがて妬まれて叩かれる。この繰り返し。つまりは基盤の固まってない権力者には広告塔として利用され、基盤が固まると邪魔者扱いされるわけ。

 フルシチョフにけしかけられた元戦友たちに噛みつかれる場面は、当事のソ連の体制の怖さがヒシヒシと伝わってくる。それでも国民の人気は衰えず、厳しい検閲を潜り抜けて1969年4月に出た回顧録は、初版10万部が即売、再版20万部もすぐに売り切れ、三版100万部も完売。すげえベストセラーだ。

 女性にもモテたようで、少なくとも四人の女性の名が挙がっている。彼女たちに宛てた手紙も収録されてるけど、なかなか情熱的。でも娘さんには甘かったようで、最初の奥さんの娘さん曰く「他に女がいるのは母さんも知ってたよ、しょうがないよね、父ちゃんモテるもん」。ああ悔しい。

 忠実な共産主義者としているが、軍の指揮系統では政治将校より現場の指揮官の判断を優先させるなど、根っこの部分は現実を直視する軍人らしい行動も目立つ。つまりは愛国者なんだろう。ドイツに生まれていたらファシストになってただろうし、アメリカに生まれてたら自由主義者になっていただろう。

 エリツィンは彼の記念碑を立て、彼の名を冠したメダルと勲章を設ける。亡くなった将軍は、もう誰の権威も脅かさない。生涯の最も重要な仕事を聞かれ「ベリヤ(→Wikipedia)逮捕だった」と語るように、KGBとは相性が悪いが、今後もロシアの英雄としてたたえられ続けるんだろうなあ、きっと。

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2014年5月 1日 (木)

リサ・ランドール「ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く」NHK出版 向山信治監訳 塩原通緒訳

物理学の目的は、異なる物理量を関連づけて、観測にもとづいた予言ができるようにすることだ。

【どんな本?】

 ハーバード大学の物理学教授でもある理論物理学者リサ・ランドールによる、最新物理学の一般向け解説書。

 最先端の物理学が描く奇妙な時空の性質と、それを説明する超ひも理論・M理論などの最新理論、および最新物理のニュースでよく見かけるクォーク・ヒッグス粒子・対称性・強い力・弱い力などの用語を、数式を使わず素人向けに説明すると共に、LHC(→Wikipedia)などの大型の加速器に何が出来るかを伝える。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Warped Passage - Unraveling the Mysteries of the Universe's Hidden Dimensions, by Lisa Randall, 2005。日本語版は2007年6月30日第1刷発行。私が読んだのは2011年6月5日の第11刷。この手の本にしては破格の売れ行き。ド派手なピンク色のカバーという、デザインの勝利だろうなあ。

 ハードカバー縦一段組みで本文約596頁+監訳者あとがき7頁+訳者あとがき5頁。9.5ポイント45字×20行×596頁=約536,400字、400字詰め原稿用紙で約1341枚。長編小説なら2~3冊分の大容量。

 文章は比較的にこなれてる。が、内容はかなり難しい。数式を使わず、例え話を駆使して解説を進めているものの、語る中身は量子力学や四次元以上の空間など、直感に反する事柄ばかりの上に、ボソンだフェルミオンだと見慣れぬ言葉が次々と出てくる。それなりの覚悟をして挑もう。眠気覚ましのコーヒーまたは紅茶が必須。

【構成は?】

  • 前書きと謝辞
  • Ⅰ部 空間の次元と思考の広がり
    • 序章 なぜ見えない次元を考えるのか/本書のあらまし/未知の興奮
    • 第1章 入り口のパッセージ――次元の神秘的なベールをはぐ
      • 次元とは何か/愉快なパッセージを通って余剰次元へ/二次元から見る三次元/有効論理
    • 第2章 秘密のパッセージ――巻き上げられた余剰次元
      • 物理学における巻き上げられた次元/ニュートンの重力の法則と余剰次元/ニュートンの法則とコンパクトな次元/次元に別の境界はありうるか
    • 第3章 閉鎖的なパッセージ――ブレーン、ブレーンワールド、バルク
      • スライスとしてのブレーン/境界をなすブレーンと埋め込まれたブレーン/ブレーンにとらわれて/ブレーンワールド――ブレーンのジャングルジムの青写真
    • 第4章 理論物理学へのアプローチ
      • モデル構築/物質の中核/今後の展開
  • Ⅱ部 20世紀初頭の進展
    • 第5章 相対性理論――アインシュタインが発展させた重力理論
      • ニュートンの万有引力の法則/特殊相対性理論/等価原理――一般相対性理論の始まり/一般相対性理論の検証/宇宙の優美な湾曲/湾曲した空間と湾曲した時空/アインシュタインの一般相対性理論/最後に/まとめ
    • 第6章 量子力学――不確かさの問題
      • びっくりするようなすごいもの/量子力学の始まり/量子化と原子/電子の量子化/粒子のとらえがたさ/ハイゼンベルクの不確定性原理/二つの重要なエネルギー値と不確定性原理の関係/ボソンとフェルミオン/まとめ
  • Ⅲ部 素粒子物理学
    • 第7章 素粒子物理学の標準モデル――これまでにわかっている物質の最も基本的な構造
      • 電子と電磁気学/光子/場の量子論/反粒子と陽電子/弱い力とニュートリノ/クォークと強い力/これまでにわかっている基本素粒子/まとめ
    • 第8章 幕間実験――標準モデルの正しさを検証する
      • トップクォークの発見/標準モデルの精密テスト/まとめ
    • 第9章 対称性――なくてはならない調整原理
      • 変わるけれども変わらないもの/内部対称性/対称性と力/ゲージボソンと粒子と対称性/まとめ
    • 第10章 素粒子の質量の起源――自発的対称性の破れとヒッグス機構
      • 自発的対称性の破れ/問題点/ヒッグス機構/弱い力の対称性の自発的な破れ/おまけ/注意/まとめ
    • 第11章 スケーリングと大統一――異なる距離とエネルギーでの相互作用を関連づける
      • ズームイン、ズームアウト/仮想粒子/なぜ相互作用の強さが距離によって決まるのか/大統一/まとめ
    • 第12章 階層性問題――唯一の有効なトリクルダウン理論
      • 大統一理論における階層性問題/ヒッグス粒子の質量に対する量子補正/素粒子物理学の階層性問題/仮想のエネルギーを帯びた粒子/まとめ
    • 第13章 超対称性――標準モデルを超えた飛躍
      • フェルミオンとボソン――ありそうもない組み合わせ/超対称性の歴史/超対称性を含めた標準モデルの拡張/超対称性と階層性問題/破れた超対称性/破れた超対称性とヒッグス粒子の質量/超対称性――証拠を査定する/まとめ
  • Ⅳ部 ひも理論とブレーン
    • 第14章 急速な(だが、あまり速すぎてもいけない)ひものパッセージ
      • 初期の騒乱/ひも理論の起源/超ひも革命/旧政権のしぶとさ/革命の余波/まとめ
    • 第15章 脇役のパッセージ――ブレーンの発展
      • 発生期のブレーン/成熟したブレーンと探されていた粒子/成熟したブレーンと対称性/双対性の詳細/まとめ
    • 第16章 にぎやかなパッセージ――ブレーンの発展
      • 粒子とひもとブレーン/重力――あいかわらずの特異性/ブレーンワールドのモデル/ホジャヴァ-ウィッテン理論/まとめ
  • Ⅴ部 余剰次元宇宙の提案
    • 第17章 ばらばらなパッセージ――マルチバースと隔離
      • 私がとった余剰次元へのパッセージ/自然性と隔離/隔離と超対称性/隔離と輝く質量/まとめ
    • 第18章 おしゃべりなパッセージ――余剰次元の指紋
      • カルツァ-クウライン粒子/カルツァ-クウライン粒子の質量を確定する/実験上の制約/まとめ
    • 第19章 たっぷりとしたパッセージ――大きな余剰次元
      • 大きさが(ほぼ)1ミリメートルもある次元/大きな次元と階層性問題/高次元重力と低次元重力の関係/階層性問題に戻ると/大きな次元を探す/大きな余剰次元を加速器で探す/副産物/まとめ
    • 第20章 ワープしたパッセージ――階層性問題に対する解答
      • 歪曲した幾何と、その驚くべき帰結/歪曲した次元での拡大と縮小/さらなる発展/歪曲した幾何と力の統一/実験の意味するところ/さらに奇妙な可能性/ブラックホール、ひも、その他の驚異/最後に/まとめ
    • 第21章 ワープ宇宙の注釈つきアリス
    • 第22章 遠大なパッセージ――無限の余剰次元
      • 局所集中したグラビトン/グラビトンのKKパートナー/まとめ
    • 第23章 収縮して膨張するパッセージ
      • そのころのこと/局所的に集中した重力/まとめ
  • Ⅵ部 結びの考察
    • 第24章 余剰次元――あなたはそこにいるのか、いないのか?
      • 何を考えればいいのか
    • 第25章 結論――最後に
  • 監訳者あとがき/訳者あとがき/巻末 数学ノート/用語解説/索引

 物理学の基礎から最新理論までを順に説いてゆく本なので、素直に頭から読もう。できれば図表の目次が欲しかった。

【感想は?】

 とりあえず、物理学者が大型の加速器を欲しがる気持ちはわかった。

 一般読者向けに、最近の物理学を解説した本だ。私が最近読んだ中では、サイモン・シンの「宇宙創成」とブライアン・グリーンの「隠れていた宇宙」が思い浮かぶ。この本は、その両者に比べ、かなり硬派と言っていい。

 「宇宙創成」は現代物理学の進歩と、それに関わった人の物語が多く、ドラマとしての面白さがある。「隠れていた宇宙」は、様々な多元宇宙の奇想天外っぷりが楽しかった。ところが本書は、今現在の我々が暮している時空そのものをネタとして、相対性理論・量子力学から順々に解き始める。

 ここで最初から、ある意味ブッ飛んだ話が飛び出す。私たちは、世界が三次元だと思っている。時間を入れたって四次元だ。ところが、ひも理論だと、「六つか七つの余剰空間次元があることを前提にしている」。なんじゃそりゃ。じゃ、他の次元はどこに行ったのかというと、ものすごく小さく、もしかしたら丸まってる。うーん、よくわからん。

 といった、時空の構造を探っていくのだが、その探求の道筋が、微小の世界なのが不思議だ。全体を通して鍵となっているのが、四つの力。といっても火と風と水と土とかのファンタジーじゃなく、電磁気力・強い力・弱い力、そして重力。ここで余剰次元が必要になる理由は、重力にあるらしい。

 何度も繰り返されるが、重力は他の力に比べ異様に弱いとか。いや私は坂道を上り下りする度に重力の強大さを思い知っているんだが(←贅肉おとせよ)、そういう事ではない。電磁気力は磁石の力だ。強い力は、陽子や中性子の中でクォークを結びつける力。弱い力は、原子力発電などで利用される力らしい。

 で、これらに対し、重力は極端に弱い。これをどう説明するかが、様々な時空論のネタになっている。ここでケッタイな理論が出てくる。「もしかして重力って、とっても短い距離だと違った振る舞いをするんじゃね?」

 私たちは、こう教わった。「重力はモノの質量に比例して強くなり、距離の二乗に比例して弱くなる」。万有引力の法則だね。で、これは、地球と月・地球と太陽の軌道などで、「だいたいあってる」と確認されている。完全じゃないのは、相対性理論による補正が必要だから。ところが…

とりあえず確実なのは、0.1mmより短い距離にある二つの物体のあいだで重力がどう働くかはわからないということだ。

 なんて、逆の発想が出てくる。なんとか0.1mmまでは、逆二乗則に従っていると、実験して確かめたとか。ところが、それより短い距離だと、今の所は調べようがない。そりゃそうだよなあ。だから、短い距離だと、重力は別の法則に従ってる可能性は、今の所、否定できない。

 これが余剰次元と何の関係があるのか、というと。「もしかして、重力は他の次元に漏れてるんじゃね?」って仮説があるから。他の次元の数により、計れる大きさは極端に違ってくるんだけど。一つだと1億km以上、二つだと1mmぐらい。これ以降、二つのブレーンに挟まれた宇宙とか、ブレーンから離れるに従って重力が小さくなる宇宙とか、ケッタイな宇宙論が終盤になって飛び出してくる。

 で、この辺にケリをつけるのが、1TeVぐらいのエネルギー/質量を持つ粒子で、欧州原子核研究機構CERNが擁するLHCで実現できるエネルギーが、丁度それぐらいなんですね。巧い。

 なんていう時空の性質も面白いが、反粒子を予言できた理由や、ヒッグス場・パリティ対称性などの言葉を解説しているのも、本書の魅力だろう。本当に理解するには、ちゃんと数式で学ばなきゃいけないけど、2ちゃんで見栄はれる程度には、言葉を使いこなせるようになる…ちゃんと読み込めば。

 SF者としても、カラビ-ヤウ多様体とかカルツァ-クライン粒子とか、どっかで見たような言葉が出てくるのが嬉しかった。いや「説明しろ」と言われたら逃げちゃうけど。まあ、あれです、理解はできないけど、理解したつもりにはなれます。そこまでたどり着くには、読書ではなく「お勉強」のつもりで挑まなきゃいけないけど。私は挫折しました、はい。

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