「完本 池波正太郎大成5(鬼平犯科帳2)」講談社
「…金は他人の家屋敷にあずけてあるも同然。欲しくなれば忍びこんで盗み取ればいい、と、たかをくくって遊びまわり、五十をこえて躰も利かなくなり、なんとか冥土へ旅立つまでの巣造りをしようというときには……」
――むかしなじみ
【どんな本?】
昭和のベストセラー作家・池波正太郎の、「剣客商売」と並ぶ人気作にして代表作である、時代小説の連作短編シリーズ。テレビで何度もドラマ化されており、ご存知の方も多いだろう。
老中・松平定信による幕政改革の頃。悪化する治安を改善するため、幕府は火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)を設ける。それまでの町奉行の縄張りを越え、軽快な機動力で広範囲の組織犯罪を摘発するのだ。天明七年九月十九日、火付盗賊改方の長官が変わる。その名も長谷川平蔵宣似(のぶため)。
その優れた統率力で与力同心を心服させ、人情の機微に通じた采配で海千山千の密偵どもを使いこなし、江戸を荒らす盗賊どもに恐れられる。人呼んで鬼の平蔵、略して鬼平。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
シリーズ開始は1968年。解題によると、この巻の収録作の初出は1971年雑誌「オール讀物」8月号~1974年12月号。文春文庫の「鬼平犯科帳」なら7巻~12巻までにあたる。完本は1998年7月20日第一刷発行。私が読んだのは2008年9月22日発行の第六刷。根強い人気だ。
重量級の単行本ハードカバーで縦2段組、本文ギッシリ約825頁。.8.5ポイント28字×25行×2段×825頁=約1,155,000字、400字詰め原稿用紙で約2888枚。文庫本で約6冊分の大容量。
文章の読みやすさは抜群。大成4と比べて読みやすさは更に磨きがかかってるかも。内容も特に前提知識は要らない。お金や時刻の単位も、我々の生活感に訴える説明が入っていて、皮膚感覚で伝わってくる。ただ登場人物の背景もこの作品の大きな魅力なので、できればシリーズ始めから読んだ方が、より楽しみが大きいだろう。
江戸の下町の地理も、この作品を読む楽しさのひとつ。上野・浅草・本所・深川あたりを歩きなれていると、より迫真感が増す。というか、歩いてみたくなるんだ、この作品は。
【収録作】
雨乞い庄右衛門/隠居金七百両/はさみ撃ち/掻堀のおけい/泥鰌の和助始末/寒月六間掘/盗賊婚礼/用心棒/あきれた奴/明神の次郎吉/流星/白と黒/あきらめきれずに/雨引の文五郎/鯉肝のお里/泥亀/本門寺暮雪/浅草・鳥越橋/白い粉/狐雨/犬神の権三/蛙の長助/追跡/五月雨坊主/むかしなじみ/消えた男/お熊と茂平/男色一本饂飩/土蜘蛛の金五郎/穴/泣き味噌屋/密告/毒/雨隠れの鶴吉/いろおとこ/高杉道場・三羽烏/見張りの見張り/密偵たちの宴/二つの顔/白蝮/二人女房
解題
【感想は?】
大江戸盗賊列伝、第二幕。
前の巻もそうなんだが、やはり盗賊どもの社会や仁義が楽しい。
「お盗め」と書いて「おつとめ」と読む。「おいおい、泥棒が何言ってやがる」と思うんだが、読んでると、その仕組みや掟、様々な専門家や役割分担などの設定が、妙な説得力を持っていて、独特の「鬼平世界」を創りあげている。
様々な盗賊が出てくるこの作品、その組織も規模や性質もいろいろ。殺しを厭わぬ連中もいれば、カモに気づかれぬ間に金品をいただく職人肌の盗人もいる。中でも職人魂が炸裂してるのが、「穴」。
化粧品屋〔壺屋菊右衛門〕で金三百余両が盗まれる。気づいたのは翌日の午後。主人の菊右衛門と番頭の左兵衛が金蔵へ入り、初めて気がついた。町奉行と盗賊改方が探るも、全く手がかりなし。奇怪な事に、暫く後、金蔵に忽然と盗まれた三百余両が出現する。
この話に出てくる奴というのが、なんというか、実にしょうもない男の性というか業というか、ある意味じゃ粋な江戸っ子気質ともいえるけど、まあ、アレです、男ってのは、いつまでたっても現役でいたいんですよ、はい。また出番ないかなあ。最高に楽しい連中だわ。
やはり鬼平世界の盗賊社会を構成する重要な役割が、「引き込み」。大掛かりな盗賊組織が仕事にかかる際、予めお目当ての商家に手引きする者を潜りこませておく。下男下女などとして働きながら、内部の人間関係や行動パターン、屋敷の見取り図などを把握し、当日は入り口を開けておく。つまりはスパイ。丁寧な仕事だと、年単位で働いてたりする。
今の不景気な日本と違い、当時の江戸は人手不足で、働き口には苦労しなかった様子。いや最近になって読んだ阿部昭の「江戸のアウトロー」で知ったんだけど。この本、長谷川平蔵も出てきて、鬼平ファンにはお薦め。鬼平シリーズの時代考証が、思ったよりシッカリできてるのが確認できる。
…って話が逸れた。つまりですね、「引き込み」が成立する余地が充分にある世情だったワケです、当事の江戸は。で、そんな「引き込み」を主題にとったのが、「浅草・鳥越橋」。ここに出てくるのが、夫婦の「引き込み」、仁助とおひろ。「ほんとうの夫婦のほうが、何かと引き込みするにも都合のいいこともある」って、妙に説得力があったり。
しかしこの著者、剣客商売でも思ったんだけど、ゲスト扱いの登場人物に魅力的な人が沢山いて、それを使い捨てにするから贅沢だよなあ。この巻で印象に残るのが、「消えた男」に登場する高松繁太郎。有能な割に印象の薄い(ごめんなさい)与力・佐嶋忠介の、元同僚。
両者共に前任の堀帯刀の部下で、やる気のない上司の下にいながら、江戸の治安のため熱心に駆け回っていた二人。だが上司や同僚の無理解に嫌気がさしたのか、若い高松は「御役目が、ばかばかしくなってしまいました」と置き手紙を残し失踪してしまう。組織の中で働いてるなら、彼の気持ちがわかる人も多いんじゃなかろか。
真面目で優秀で安心して仕事を任せられる割に、お話の中じゃ影の薄い損な役割の佐嶋さんと違い、性格と実力の割に出番が多く得をしてるのが同心・木村忠吾。30前の独り者、色白でぽってりとした体形、実力はイマイチだけど食い物と女には目がない若者。戦隊モノならイエローの役どころ。
彼が出てくると「お、こりゃ何かドジ踏むな」と期待しちゃうから読者ってのは残酷なもんで。そんな木村がスポットを浴びるのが「男色一本饂飩」。いろいろと笑っちゃう話なんだけど、彼の取り得もちゃんと書いてある。曰く「巡回担当の、本所・深川の安くてまい食い物には通暁している」。いつかそれが役に立つ日も来るでしょう。わはは。
そんな木村に「泣き味噌屋」なんて情けない渾名をつけられるのが同心の川村弥助。体育会系の多い火盗改方の中にあって、地震でオタオタする小心者。当然、前線じゃ役に立たないが、勘定掛として地道かつ着実に火盗改方を支える人。今の企業なら経理に当たる役目かな。若い嫁さんにベタ惚れで…。コワモテ筆頭の小柳とのコンビが切ない一編。
亀売りなど、じっくり書き込まれた江戸の風俗も楽しい、贅沢な作品集だった。
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