ノーマン・デイヴィス「ワルシャワ蜂起1944 下 悲劇の戦い」白水社 染谷徹訳
「ポーランドは、他の諸国がヒトラーの前にひれ伏していた時期に決然として立ち上がった最初の国である。やがて勝利の日が来た時、パレードの先頭に立つべき国はポーランドをおいて他にない」
1940年、英国の某閣僚「ソ連軍がワルシャワの直前で前進を止めた時、スターリンが何と言ったか知っているか?スターリンはこう言ったんだ。『そこから一歩も前進するな。ドイツ軍ができるだけ多くのポーランド人を殺すまで待つんだ。そうすれば、手間が省けるというものだ』」
今から50年前、ワルシャワ市民は武器を取って立ち上がった……奴隷状態の中で自由を求める蜂起だった。その蜂起の炎は人々の心と魂の中に残り、世代を超えて受け継がれている……蜂起の精神は不滅である。ワルシャワ蜂起の兵士たちよ、あなたたちの戦いは決して無駄ではなかった。
――1994年8月1日ワルシャワ蜂起50周年式典にて、ポーランド大統領レフ・ワレサ
【どんな本?】
「ノーマン・デイヴィス「ワルシャワ蜂起1944 上 英雄の戦い」白水社 染谷徹訳」から続く。
1944年夏、ドイツ軍を追撃するソ連軍がヴィスワ川東岸に達した。ナチスの圧制からの解放を求めるポーランド市民は、8月1日に武装蜂起する。兵力・武装共に圧倒的に劣勢だが、ソ連軍と協力すれば、首都ワルシャワを自らの手で取り戻せるだろう。
だがソ連軍は前進を止め、ポーランド国内軍を見殺しにする。ばかりか、英米が航空機によって支援物資を送ろうとした際、給油のための着陸まで拒否した。スターリンに手玉に取られるルーズヴェルト、歯噛みするチャーチル。文字通り地下に潜り絶望的な戦いを続ける国内軍だが、やがてドイツ軍に制圧されてゆく。
西側の一員として第二次世界大戦を戦ったポーランドだが、戦後はソ連の支配下となる。傀儡政権は国内軍の奮闘を歴史から抹殺し、国内軍の将兵を強制収容所へ送り、その子供や孫は父母や祖父・祖母の英雄的な戦いを知らずに育つ…東欧革命が起きるまでは。
ポーランド史の権威である英国人ノーマン・デイヴィスが、圧倒的な量の資料・手記そして取材から掘り起こした、第二次世界大戦における英国の最初の同盟国ポーランドの、知られざる英雄的な戦いの記録。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は RISING '44 - The Battle for Warsaw, by Norman Davies, 2003/2005。日本語版は2012年11月10日発行。単行本ハードカバー上下巻、それぞれ縦一段組みで約548頁+424頁=約972頁に加え付録69頁+訳者あとがき5頁。9.5ポイント45字×20行×(548頁+424頁)=約874,800字、400字詰め原稿用紙で約2187枚。文庫本の長編小説なら4冊分の巨大ボリューム。
文章は比較的にこなれている。読みこなすのに、特に前提知識も要らない。ポーランドの歴史や第二次世界大戦の推移など背景事情をじっくりと説いていて、ポーランドについて何も知らない私も充分に理解できた。敢えていえば、映画「戦場のピアニスト」を見ていると、感慨が深いかも。ただ、残酷な場面が多いので、グロ耐性が必要。
【構成は?】
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上巻は背景事情から説きおこしているので、素直に頭から読もう。付録・原註・索引が下巻に集中しているのは、少し不親切。できれば上下巻に分けて欲しかった。文章の随所に、囲み記事として当事者の手記や取材の成果が入っている。現場にいた人の声だけに、生々しい迫力がある。
【感想は?】
前の記事では俯瞰した視点で背景事情や大まかな流れを説明した。が、この本の凄さは、そういった高所に立った視点だけではない。実際にワルシャワ蜂起で戦った将兵や、当時ワルシャワに住んでいた市民の生々しい声を豊富に収録していて、それが他に類を見ない迫力を出しているのだ。
丁度テーマも似ているし、ラピエール&コリンズの「パリは燃えているか?」と並ぶ傑作と言っていい。
当初は「数日もてば充分」と思われていた国内軍の武装蜂起は、約2ヶ月もの間、しぶとく抵抗を続ける。著者はこの理由を3つ挙げている。
- ドイツが高等教育機関・科学研究機関を閉鎖したため、高学歴の者がこぞって国内軍に志願した。
- 参加者は皆が暗号名を使い、上部機関とは接触しないなど、摘発に備え巧妙な組織を作った。
- 市民が国内軍を支持していた。
3.の代表的なエピソードとしては、地下新聞の話が痛快。手動の印刷機で作った新聞を、「商店主は商品を非合法の地下新聞でくるみ、その上にドイツ軍発行の新聞紙を被せて客に渡した」。また別の地下新聞『ポーランドの声』は、1942年4月にゲシュタの手入れを受ける。
連中はドアを叩いたが、返事がないので窓から手榴弾を投げ込み、短機関銃を乱射しつつ乱入した。その数日後、屋敷の持ち主、その妻と息子たち、隣近所の家の住人などが逮捕され、その後銃殺された。この件では全部で83人が命を失った。
と記事に書いて、「わざわざゲシュタポ本部に郵送していた」。ハンパじゃないジャーナリスト魂だ。こんな風に市民が協力的なのも当然で、ナチスは市民を抹殺するつもりだった。それは国内軍との戦い方にも出ていて…
作戦開始から二日間は、拠点を守る国内軍との戦闘はむしろ副次的で、ドイツ軍は目に入る男女子供の全員を虐殺することに集中したのである。(略)この時、オホタ、ヴォラの両地域で犠牲となった非戦闘員の数は二万人から五万人の間と推定される。
他にも女子供を戦車の前に歩かせて「人間の盾」にするとか、ドイツ軍の蛮行はエグいのが続々と出てくる。グロ耐性のない人には勧められない。
当事のワルシャワにはユダヤ人の絶滅収容所もあった。その一つゲンシュフカ強制収容所を、国内軍ラドスワフ軍団ゾシカ大隊が解放する。その時、戦いに参加したヴァツェク大尉ことヴァツワフ・ミツタは…
驚くべき光景を目にした。100人以上の囚人たちが軍隊式に長い二列横隊を作って整列していたのだ。(略)中の一人が進み出ると、私に敬礼して言った。「ヘンルィク・レデルマン軍曹であります。ユダヤ人大隊は出撃準備を完了しました」。(略)ここに並んでいる人々は、ナチスの残忍な虐待に挫けなかったばかりか、強制収容所の過酷な条件の中で自分たちを組織し、反撃の機会に備えていたのだ。
なんという漢たち。しかも、このユダヤ人大隊の一人は、前年のゲットー蜂起(→Wikipedia)に参加していて、ワルシャワの下水道に詳しかった。これが、後の地下を利用した戦いへとつながってゆく。
が、やはり兵力と武装の差はどうにもならず、最終的に蜂起は失敗する。それでも捕虜となった国内軍の将兵は、ジュネーヴ条約に則った捕虜の扱いを手に入れる。「ナチスは捕虜として拘束したソ連軍兵士に対してジュネーヴ条約に定める戦争捕虜の待遇を認めたことはなかった」。これはソ連も同じで、つまり東部戦線は互いに殲滅戦だったのだ。。
さて、1月に入ってから進軍したソ連軍、これまた極めてにタチが悪い。赤軍は三派に分かれて来る。最初のはマトモな戦闘部隊。次は「破れた制服や襤褸を纏った兵士と囚人部隊」で「略奪品を詰め込んだ袋を担いでいた」。ベルリンを地獄に変えたのは、この第二派の連中。そして第三派がNKVD(秘密警察、→Wikipedia)軍の特殊部隊。
ドイツ軍の捕虜とならず雌伏した国内軍の将兵や、彼らに協力的な市民はNKVDに拘束され、強制収容所送りとなる。ドイツ軍の捕虜となり英国に逃れた将兵も、ポーランドに帰国した途端に強制収容所送り。強制収容所の生活の手記も、下巻に幾つか載っている。ナチスとソ連の双方の監獄を経験した人もいて、「ナチの方がマシ」だとか。
曰く、ナチは完全に動物とみなし情け容赦なく虐待したが、それを隠さなかった。NKVDは釈放をちらつかせつつ、拷問の恐怖を煽って際限なく尋問し、心理的に追いつめた、と。下手に希望をチラつかせる方が、気持ち的にシンドいらしい。
などの話を通り、ヨハネ・パウロ二世のポーランド訪問やレフ・ワレサの連帯へと続いてゆく。こうやって見ると、ローマ法王がポーランド出身のヨハネ・パウロ二世からドイツ出身のベネディクト16世へって流れにも、深い意味を読み取れそうな気がしてくる。
圧倒的な力を持つ者に対し、意思と智恵と組織で立ち向かった英雄の物語でもあり、第二次世界大戦とその後の世界の権力構造の象徴を鮮やかに浮き彫りにする事件でもある。米国・中国・ソ連と大国に囲まれた日本にとっても、決してヒトゴトではない。テーマは深く内要は幅広いので、消化には時間がかかるが、それだけの価値はある。
などと思ってたら、ゲーム「エネミー・フロント」の新作はワルシャワ蜂起をテーマにしているとか。これを機に興味を持ってくれる人が増えるといいなあ。
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