チャールズ・J・シールズ「人生なんて、そんなものさ カート・ヴォネガットの生涯」柏書房 金原瑞人・桑原洋子・野沢佳織訳
当時、カートは小説が売れる市場を研究中で、株式市場レポートさながらに、なにが売れるかを分析し、ひとつの短編小説家らできるだけ高額の原稿料を得るために、「卵分別機」メソッドを使っていた。だがようやくSF貧民屈から抜け出せたのだ。
【どんな本?】
「プレイヤー・ピアノ」「タイタンの妖女」「猫のゆりかご」「スローターハウス5」などの傑作を生み出し、SFファンのみならず多くのファンに愛された、アメリカの小説家カート・ヴォネガット。達観したかのようにシニカルながら、ユーモア溢れる作風の彼の実態は、酒飲みでヘヴィ・スモーカー、癇癪もちで家族との葛藤を抱えた、だがユーモアのセンスに溢れる男だった。
意外なカート・ヴォネガットの性格と、鬱屈を抱えた人生を赤裸々に描く、ヴォネガットのファンには少々苦い伝記。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は AND SO IT GOES - Kurt Vonnegut : A Life, by Charles J. Shields, 2011。日本語版は2013年7月25日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで全677頁、本文約592頁+訳者あとがき3頁。9.5ポイント45字×20行×592頁=約532,800字、400字詰め原稿用紙で約1332枚。文庫本なら2冊分ちょいぐらいの大容量。
文章はこなれている。内容も難しくない。当然ながら、ヴォネガットの作品を読んでいる人ほど実感がわく。また、アメリカの現代文学に詳しければ、更によし。
【構成は?】
序章 絶版、そして死ぬほどびくびくして
一章 おまえは事故だった 1922~1940
二章 この丘いちばんのばか 1940~1943
三章 新婚用スイートで戦争へ 1943~1945
四章 民俗社会と魔法の家 1945~1947
五章 そんなに頭の固いリアリストにならないで 1948~1951
六章 死んだエンジニア 1951~1958
七章 子ども、子ども、子ども 1958~1965
八章 作家のコミュニティ 1965~1967
九章 大ブーム 1967~1969
十章 さよなら、さよなら、さよなら 1969~1971
十一章 文化的官僚主義 1971~1974
十二章 盗作 1975~1979
十三章 ミスター・ヴォネガットを探して 1980~1984
十四章 著名人と呼ばれて 1984~1991
十五章 死を待ちながら 1992~2007
付録 ヴォネガット家―リーバー家の歴史
訳者あとがき/註/参考文献
【感想は?】
容赦ない作品だ。
カート・ヴォネガットの作品は、初期の「プレイヤー・ピアノ」から、重い絶望が漂っていた。時代を経るに従って、絶望の色が濃くなってゆく。ヤケになったようなユーモアは、ずっと変わらなかったけど。
そのためか、この本にも、ずっと陰鬱な雰囲気がつきまとう。ヴォネガットの心の中にまで踏み込み、少年時代の育成歴を掘り起こし、優秀な科学者でもある兄との軋轢まで暴き出してゆく。この本で描かれるヴォネガットは、作中のペーソス溢れるヴォネガットではない。子どもっぽく気まぐれで、気が短く癇癪もちで、学歴や名声に拘る俗物だ。
インディアナ州インディアナポリスの富裕階級に生まれたカートだが、不況などで生活は苦しくなってゆく。とくにお嬢様育ちの母イーディスは、裕福な生活に戻れずふさぎ込む。やがてゼネラル・エレクトリックで研究者となる兄のバーナードに対しても、「兄はほんとうに、ぼくの人生をめちゃくちゃにした」と怨みごとを言っている。
カート自身も、かなり衝動的な人間で。学生新聞での活躍もあり、兄と同じゼネラル・エレクトリックで安定した職を、作家になるため放り出してしまう…エージェントのノックス・バーガーは引き止めるのだが。最初の奥さんのジェインもできた人で、全面的にカートを支持する。その後、散々に苦労するんだけど。
家事育児に関しては完全に無能な人らしく、そっちはジェインが必死に支えていた様子。後にカートの浮気や本気もあって、最後まで苦労しっぱなしのジェイン、この本の中では家事育児に限らず、編集者・校正者・アドバイザーとしてもカートを支えていた様子。
と、カートの印象は、我侭な坊やが、そのまんま大きくなったような感じだ。
それでもビジネス感覚には長けた所もあって。例えばテレビを買った時には、「小説を発表する場であるスリック雑誌は衰退する」と、見事に未来を見通している。アイイオワ大学で創作講座を受け持った時の内容も、極めて実際的。
「きみたちは、エンターテイメント業界にいるんだ。まずやらなければいけないのは、読者の気を引き、読ませ続けるということだ」カートはそういうと、主人公の女性の歯の間になにかが挟まってしまい、彼女がそれをずっと舌で押し出そうとしていいる話を例に挙げた。「これで読者は気になって仕方がなくなる。だから先を読む。この女は歯に挟まったものを取り出せるのか、取り出せないのか?」
商業主義のアメリカでも、当事じゃ画期的だったろう。
苦労した「スローターハウス5」が、若者たちの支持を得て大ヒットし、人気作家になった以降の、世間のイメージとのギャップも苦い。ヒッピーっぽい人物と思われていたが、「むしろ、保守派だった」。
この「保守」、現代日本の愛国を叫ぶ保守とは、思想が全く違う。小さい政府と小さい軍を望む孤立主義で、個人の自由を最大限に尊重する立場だ。カート自身は不可知論者で、宗教色を嫌う。つまり古き良きアメリカを好む立場で、リバタリアンが近いかも。当事のヒッピー文化は変に神秘主義や共産主義が入っている上に、伝統を否定する。その辺が良識を重んずるカートと相容れない部分だろう。
彼の作品には、彼自身が頻繁に登場する。そのため、読者は、「小説は架空のお話である」由を忘れてしまう。とはいえ、この本の中でドレスデンでの体験を描く部分は、小説にそっくり。他にも「青ひげ」など代表作の登場人物のモデルを明かしてして、それもこの本の楽しみのひとつ。
ブームは彼に名声と商業的成功をもたらすと同時に、家にもファンが押し寄せてくる。このあたり、大らかな当事の様子が伺えて面白い。この成功の理由を、「もしカートが成熟した大人だったなら、若者たちの世界観を的確に捉えることはできなかっただろう」と著者チャールズ・J・シールズは皮肉に解釈している。
最初のエージェントであるノックス・バーガー、最初の妻ジェイン,そして二番目の妻ジルとの関係などは、かなり手厳しく赤裸々に書いている。カートに心酔している人にとっては、面白くない部分かも。
SF関係では、シオドア・スタージョンやヂリップ・K・ディック、フレデリック・ポールなどが少し顔を出すが、あくまで単発エピソードの位置づけなのが、SF者としては切ない。SF大会の話は全くないし。カート本人も収入や名声の面でSF作家扱いは好まなかった様子が、行間から伺える。当事のSFは、そういう位置づけだったんです。今後はスティーヴン・キングやジョージ・R・R・マーティンのお陰で、変わっていくだろうけど。
晩年に住んだノーサンプトンの大家ケリー・オキーフの人物評が、彼を最も巧く著している気がする。「魅力的だけど、偏屈で未熟で自分勝手」。だからこそ世界に絶望するんだし、絶望ゆえに(捻くれた)ユーモアを必要とする。
著者チャールズ・J・シールズの眼差しはファンの暖かい目ではなく、研究者の冷静な目だ。カートの内心の鬱屈にまで踏み込み、愛人との関係から作風の変化を読み取ろうとする。今、カート・ヴォネガットのファンである人には、少し辛い本かもしれない。でも、かつてファンだった人、今は抜け毛や白髪が気になる人なら、特に終盤の展開は身につまされるだろう。人間ってのは、歳食えば成熟するってモンじゃないのだ。
ハイホー。
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