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2014年4月の14件の記事

2014年4月29日 (火)

SFマガジン2014年6月号

 自分の背丈を超える長さの野豚を仕留めることができれば、許されて一家を構えることができる。体重の半分の鬼芋を掘り当てても、同じ結果が得られる。
  ――草上仁「彼方へ」

 280頁の標準サイズ。

 特集は「ジュヴナイルSF再評価」。小説は二本、藤崎慎吾「タンポポの宇宙船」と片理誠「たとえ世界が変わっても」。他に三村美衣の佐島勤インタビュウ,泉信行×吉田隆一の Talk Session「ハード・ジュヴナイルを求めて」,ジュヴナイルSF必読ガイド30選など。

 小説はメアリ・ロビネット・コワル「釘がないので」原島文世訳,草上仁「彼方へ」,円城塔の連載「エピローグ<2>」。加えて映画「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」の小特集。

 藤崎慎吾「タンポポの宇宙船」。中学三年の春。はやばやと吹奏楽の部活を引退した仁科遥馬は、理科の授業でタンポポの綿毛を見つけ、顕微鏡で覗いてみた。そこには、奇妙なモノが映っている。銀色のカプセル状のモノから、背中に結晶のような球を背負ったクマムシが出てきて…

 とっても気持ちが良くて、50年代の香りがする、真っ直ぐな作品。イマイチ気の抜けた小僧の所に、宇宙人が助けを求めてきて…とテーマはモロに E.T. なんだけど、その手段は徹底して科学的かつ現実的なのが、今風でいい。予算的にも、中学三年生で無理のない額だったり。藤崎氏は「執筆者紹介」で「『深海大戦』の『漸深層編』を執筆中」とかで、これも期待しちゃうなあ。

 片理誠「たとえ世界が変わっても」。九回目の誕生日に、ジョイが貰ったのは、身長80cmほどの古ぼけたロボットだった。おじいちゃんの形見で、15年前の年代物だ。ジョイが欲しかったのは、ターミナル・ドール。常にクラウドとリンクし、強力な量子コンピュータの計算力を拝借する端末だ。なのに、これはスタンドアロンのロボット。通信機能すら、ありゃしない。

 出だしが巧い。オトナってのは、子供の欲しがるモノについちゃ、まずもって細かい違いなんて知りゃしない。ゲーム機ったって、DS と PSP の違いもわかっちゃいない。ってんで、古臭いロボットのラグナを押し付けられたジョイ君、通信機能がないラグナにイライラし…。分散と集中のコンピュータの歴史を巧く使いつつ、ポンコツ・ロボットに振り回されるジョイ君たちが楽しい一編。

 泉信行の「アフタートーク ためらわない『継承』」では、ライトノベルって言葉の定義が鋭い。曰く…

『ライトノベル』はジャンルではない。(略)そこで活躍する小説家たちをニュージシャンに例えるなら、ライトノベルは「音楽ジャンル」よりも、いわゆる「ハコ(ライブハウスなど)」に近いと言える。場や客層の傾向に大きく依存している集合なのだ。

 実際、SF・ファンタジイ・ミステリ・ラブコメ・日常モノと、なんでもアリだからなあ。共通してるのは、若い人を対象とした市場だって事ぐらいで。だからこそ、SFが不遇の時代でも、野尻抱介を受け入れてくれたり。

 円城塔の連載「エピローグ<2>」。アルゴンキン・クラスタとウラジミル・クラスタ、共約不可能な二つの宇宙で起きた二件の殺人事件が、なぜか連続殺人事件と判断され、市警の一人に過ぎない掠人(クラビト)に追跡調査の命令が下った。アルゴンキン・クラスタの事件は、ウィヨットの官庁街裏の酒場で一人の女性の死体が発見された、というもので…

 真面目なのか冗談なのか、相変わらずの円城節が炸裂する作品。時間の流れも無茶苦茶だし、原因と結果もこんがらがってくる。アルゴンキン・クラスタの事件の顛末も、事件そのものからして「二本の腕は、同一人物の違う日の腕なのではないかと推測され」って、なんじゃそりゃ。

 メアリ・ロビネット・コワル「釘がないので」原島文世訳。2011年ヒューゴー賞ショート・ストーリー部門受賞作。世代船で航海する一族のラヴァは、AIのコーデリアを故障させてしまった。機能は生きているが、長期記憶にアクセスできず、このままでは記録できないばかりか、過去の記録も参照できない。修理責任者でもあるラヴァは、接続できるケーブルを探し奮闘するが…

 「動いてるモンはいじるな」ってのが、エンジニアの鉄則だったりする。冒頭から、奮闘するラヴァの邪魔にしかならない、兄のルドヴィコのキャラが光ってる。いますね、こういう人。コーデリアも、評判高い某OSのイルカみたいな感じで、肝心な所で役に立たないあたりが、いかにも機械頭でいい。

 草上仁「彼方へ」。野豚を仕留めるか、鬼芋を掘り出せば一人前と認められる。でも、自信や野心のない者はごくつぶしと呼ばれ、独り身で過ごすことになる。サリもそんな一人だ。見込みはありそうなのに、興味を示さず、何かをじっと見ている。わたしトゥマも、生まれつき右足が少し短いいきおくれだ。今、サリは雷樹を見ている。「たぶん、今日は飛ばないだろう」。

 恐らくは異星で、採集社会らしき文明レベルの世界を舞台にした、草上流のファンタジイ。変わり者のサリは、何を「数えて」いるのか。主人公たちの年齢こそ成人だけど、ジュブナイルSF特集の中に入れてもおかしくない、まっすぐで懐かしい香りのする爽やかな作品。

 飯田一史「エンタメSF・ファンタジイの構造」第3回「心地よく、秘密めいた物語――森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』」。売れる作品の書き方を指南するこのシリーズ、ディーン・クーンツの「ベストセラー小説の書き方」が出てきたのには笑った。やっぱり定番なんだなあ。「ハリウッド脚本術」も面白そう。「需要なのは、主人公たちがやりたいこと、目標や目的が明確だ、という点です」に納得。

 大野典宏「サイバーカルチャートレンド」。今回は BYOD(Bring Your Own Devices)。個人用のスマートフォンやノートパソコンを、組織の中に持ち込む事の是非について。開発者はオープンな環境を欲しがるけど、セキュリティ的にヤバいよね、どうしよう、みたいな話。外でウィルスに感染したマシンをファイアウォール内に持ち込んで大騒動、みたいな話を聞いた事があって、セキュリティ担当者は頭を痛めているっぽい。

 鹿野司「サはサイエンスのサ」、今月は次世代シーケンサ(NGS)と人工知能の話。NGSは高速DNA読み取り装置で、イルミナ社の新製品は三日で16人分の全ゲノムを読み取れる、これは2003年に比べ費用で1/3百万、速さは25万倍。どひー。まあ、読めるってだけで、ゲノムの意味はわかんないんだけど、研究は進むだろうなあ。人工知能の歴史この半世紀を1頁に凝縮して説明してるのも凄い。流行ってる JavaScript も中身はまるきし LISP だったりするんで、開発者・研究者も集めやすそう。

 若島正「乱視読者の小説千一夜」。懐かしいブライアン・スティブルフォードの名前を見かけて「おおっ」となったら、枕につかってるだけっぽい。年間24冊の翻訳と25万語の小説を目標ペースって、すんげえ多作だ。

 最後に、星新一賞の東京エレクトロン賞を受賞した窓川要氏の受賞の言葉が実に洒落てるんで、引用して終わろう。

星新一賞は人間以外の応募もOKとのことだが、宇宙人の場合一番近いクジラ座タウでも12光年離れており、まだ募集要項が伝わっていない。往復であと24年待つ必要がある。 

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2014年4月27日 (日)

ジョン・スコルジー「レッドスーツ」新☆ハヤカワSFシリーズ 内田昌之訳

 ダールはにっこりした。「まあな。フォーシャン人の宗教はやすらぎに満ちていた。フォーシャン人の宗教戦争はそうでもなかった」

【どんな本?】

 「老人と宇宙」シリーズでヒットをかっ飛ばした期待の新鋭SF作家、ジョン・スコルジーによる、明るく楽しいユーモアSF長編小説。2012年ヒューゴー賞・ローカス賞受賞。銀河連邦の栄光ある旗艦イントレビット号に転属された下っ端ルーキーたちが、艦および上級士官に潜む謎を追い、命がけの探索に挑む。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は REDSHIRTS, by John Scalzi, 2012。新書版ソフトカバー縦二段組で本文約322頁に加え堺三保の解説6頁+訳者あとがき3頁。9ポイント24字×17行×2段×322頁=約262,752字、400字詰め原稿用紙で約657枚。少し長めだけど、ハヤカワの銀背としてはコンパクトな部類でしょう。

 この手の作品じゃ手馴れた内田氏の訳のなかでも、この作品はかなり出来がいい。スコルジーとの相性がいいのか、リズムを掴んだのか。娯楽物のスペースオペラなので、内容も特に構える必要はない。言うまでもないけど、トレッキー大喜びの作品。

【どんな話?】

 銀河連邦の旗艦イントレビット号に配属された新クルー5人は、ステーションで出会う。フォーシャン人の四つの方言を操るアンドルー・ダール少尉。とても積極的なマイア・デュヴァル少尉。大富豪の息子ジミー・ハンスン。艦勤務の裏事情に通じるフィン。ひがみっぽいヘスター。

 やがて彼らは、イントレビット号の奇妙な性質に気がつく。下級乗組員の死亡率が異様に高い。しかも、特定の上級士官の周辺に偏っている。他のクルーの挙動も不審だ。

【感想は?】

 大爆笑の感動作品。

 解説によると、レッドスーツとはアメリカの俗語で、「フィクションにおいて登場してすぐ死んでしまう無個性な脇役」の意味。スタートレックの最初のシリーズで、バタバタ死んでいく保安要員を皮肉った言葉。

 そんなわけで、この作品じゃ安物のシリーズ物スペースオペラへの愛と突っ込みに満ちている。冒頭から、細かくも適切で、愛に満ちたツッコミが炸裂しまくり。低予算のホラー/サスペンス映画を、家族や友人と見ながら、画面に向けてツッコミかます楽しさを知っている人なら、腹を抱えて笑いまくるだろう。

 ダール少尉が、謎の装置"ボックス"と関わる場面も、笑いが止まらない。だいたい70年代ごろまでのSFってのは、コンピュータやネットワークの進歩を全く考えてないから、今から思えば無茶苦茶しまくってるんだよなあ。でもきっと、今のSF映画だって、50年後に見たら…

 この作品の主人公たちも、使い捨てにされる下っ端クルーたちだ。宇宙戦艦のシリーズ物ドラマだと、たいていの回じゃ必ず数回は爆発や事件・事故があって、下っ端のクルーが死にまくるし、それを誰も気にしない。でも、レギュラーを勤める艦長などは、決して死なない。

 往々にして艦長さんはとても勇敢で、紛争が始まってる惑星や未知の遊星に、自ら飛び込み…そして、下っ端のクルーを巻き添えにする。そして、レギュラー陣だけは、チャッカリ生きて帰ってくる。だって、そうしないと、ドラマが続かないし。でも、巻き添えにされるクルーからすると、たまったモンじゃない。

 という事で、ダールたちは、艦と上級士官たちの秘密に迫ろうとするのだが…

 そんな感じに、彼らが直面している状況はとてもシリアスなんだが、語りはとても軽妙。だいたいギャグやユーモアはリズムが大切で、漫才師が大阪に多く京都に少ないのも、言葉のリズムが関係ある気がする。早けりゃいいってもんじゃないけど、ボケとツッコミのタイミングが重要。

 だからユーモア物の翻訳ってのは、やたらと難しい。意味だけじゃなくリズムも伝えなきゃいけない。その点、この作品は、今までの内田氏の翻訳の中でも格段にノリがいい。同じスコルジーの「アンドロイドの夢の羊」で鍛えたのか、アメリカのソープオペラっぽく早口で無駄口の多い雰囲気を残しながら、テンポよく会話が回っていく。

 もう一つギャグやユーモアで大事なのが、波長というかセンスというか。これは作る側と読む側が、どれだけ文化を共有してるか、ってのがキモになる。この点、アメリカ産の安物のスペースオペラは、ネタとして使いやすい。今でこそクールジャパンなんて言ってるが、サブカルチャーの輸出じゃ文句なしにアメリカ一人勝ちの状態だから、多くの人が知っている。

 テレビのシリーズ物とくれば、予算も制作スケジュールも限られてる。そこで、どうしたって脚本に甘い点が残る。だけじゃなく、映像として訴えるために、本来はありえない描写も「お約束」として使われる。例えば昔のコンピュータは、壊れると必ずモニタが火を噴いた。

 「壊れたのモニタでしょ、とっかえりゃいいじゃん」と思うんだが、それじゃ絵にならない。遠くにあるサーバのディスクがフォーマットされたって、絵としちゃ地味すぎるし。しかしテレビドラマのハッカーって、なんでマウス使わないんだろうね。クラッカーはいちいち凝ったアラート画面残すし。怪人二十面相かよ。

 まあ、そんな感じに、あなたがツッコミたい所を、心置きなくツッコんでくれる快感と、謎をめぐるハラハラドキドキで読者をノせた後、中盤以降は斜め上行く仰天の展開。

 「ウンウン、そうだよね」と共感しながら大笑いして、ハラハラしたらビックりして、心地よく読み終えられる。SFが歴史を持った今だから楽しめる、気持ちのいい娯楽SFだった。

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2014年4月24日 (木)

蔵前仁一「あの日、僕は旅に出た」幻冬舎

…インドでも中国でも、あるいは中東でも、僕が知っていたことは見事なまでにまちがっていたし、旅をすると次々に僕の「常識」はひっくり返されていった。それが実におもしろかった。

【どんな本?】

 旅するイラストレーター蔵前仁一が、初めてインドに旅立ってから現在までの、約30年間を振り返った半生記…というと知らない人はお固く感じるだろうが、いつもの蔵前氏のエッセイ集だと思えばいい。ただ、他の作品では、貧乏旅行の風景が中心なのに対し、この作品では作家・出版者としての話が7割ほどを占めている。

 デビュー作「ゴーゴー・インド」や定期刊行した「旅行人」,さいとう夫婦の「バックパッカー・パラダイス」など、貧乏旅行者が愛する作品の制作事情や秘話・裏話が満載で、少しノスタルジックな気分になるエッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年7月10日第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約345頁。9ポイント42字×18行×345頁=約260,820字、400字詰め原稿用紙で約653枚。文章は親しみやすく読みやすいし、特に前提知識が必要な内容でもない。リラックスして楽しみながら読む本。ただし、所々、飲み食いしながら読むには危険な所がある。

【構成は?】

 原則的に時系列順だが、面白そうな所を拾い読みしても構わない。

はじめに
第一章 インドへ
旅立ち前夜/人生のいいかげんな決断/初めての海外旅行/初めての仕事/「ぱふ」の時代/地獄のフリーランス/たまたまインドへ/ビンボー旅行者との遭遇
第二章 アジアへ
インド病/初めての長い旅――中国/その後の中国/香港、重慶マンション/バンコクの宿/再びインドへ/宇宙人という旅行者/バッグを盗まれる/イスラームはすぐそこにある
第三章 再びアジアへ
仕事を再開/『ゴーゴー・インド』出版/再びアジアへ/初めてのヨーロッパ/モロッコへ/2005年のモロッコ/ユーゴスラビアの列車旅行/親切なトルコ人/中東の国々へ/パキスタンから中国へ
第四章 「遊星通信」の時代
結婚/「遊星通信」創刊/またも旅へ/サハラを歩く日本人/西アフリカ/アフリカ的なるもの/「遊星通信」復刊/商標登録/安い原稿料/本の雑誌社から単行本を出す/練馬へ引っ越す/初めてのガイドブック/「バックパッカー・パラダイス」/出版社の設立へ
第五章 「旅行人」の時代
出版社を設立/グレゴリ青山デビュー/タヒチで出遭った執筆者/岡崎大五、田中真知との出会い/鼻毛オヤジの自費出版本/地図オタク/博覧強記の前川健一/素人集団/「旅行人ノート」の制作へ/窮地/富永さんのこだわり/「旅行人ノート・チベット」発売/またもや「旅行人ノート」で苦難の日々/インドのスペシャルなガイドブック/バングラデシュのガイドブック/新社屋に移転/「猿岩石」騒動
第六章 転機
旅行人の転機/昭和――鹿児島の時代/泥棒騒ぎ/会社の縮小と移転/ある投稿作品/「旅行人」再生/セルフビルドというスタイル/季刊第一号発売/インドの民俗画/初めての南米取材/季刊から年二回刊へ/予想外のオーストラリア旅行/外れる予測/謎の五十肩/休刊へ/人生とはたまたまである
あとがき/カバーのイラストについて/関連年表/著者が訪ねた街MAP

【感想は?】

 「うんうん、そうだよね」→抱腹絶倒→「ああ、終わっちゃった」。

 この本に興味を持つ人は、貧乏旅行の経験者または興味を持つ人か、「旅行人」を読んでいた人だろう。だから、書評としては私の感想より、先の【構成は?】で示した目次の方が参考にあると思う。つまり、そういう内容です。

 …で終わっちゃったら記事にならないので、真面目に感想を書こう。1982年、同僚のカトウ君に騙されインドに行く羽目になった蔵前氏、ボラれ騙され風邪をひき、「二度と来るか!」と怒りながら二週間の旅を終えた。はいいが、実にロクでもない病気を貰ってくる。

 その名も「インド病」。何を見ても、何をやっても、「インドは」「インドなら」「インドと違う」。いやここ日本だし。インドと違って当たり前だし。路肩に人なんか寝てないし。リキシャなんか走ってないし。列車は時間通り発着するし。道端のチャイ屋で昼間っからオッサンがタムロしてないし。野良牛なんかいないし。ホテルのシーツは清潔だし。つかシャワーはお湯出るでしょ、普通。

 と、まあ、インド帰りってのは、なんかオツムがシェイクされちゃって、なかなか普通の生活に戻れなかったりする。困ってカトウ君に相談すると「そりゃインドに行くしかないね」。迎え酒かい。そこで今度は中国からインドへと、長旅に出る。この過程で出来たのが、あの「ゴーゴー・インド」。この本の成立過程も、実に意外だった。

 旅から帰って知るトルコの意外な歴史など、長い旅の経験がある人は思わずニヤリとする話などを経て、やがてミニコミ誌「遊星通信」から「旅行人」へと話は向かう。このあたり、ミニコミに興味がある人には楽しめるだろう。いや実際はかなり無茶苦茶な誌面作りをしてるんだけど。まず台割から入るでしょ常識的に。

 とりあえず、発行と発売が違う書籍って、どういう事なのかが判ったのも少し嬉しい。

 そもそも私には不思議だった。日本で出版するからには、日本で仕事をしなきゃいけない。でも、出す本の内要は海外の長期旅行の話だ。おかしいじゃないか。日本と海外を、慌しく往復する必要がある。よく出来たもんだ…と思ったら、「遊星通信」は「創刊して二号目で早くも発行が遅れた」。やっぱりw

 本人が原稿書くだけならともかく、他の人に原稿を頼むにしても。そもそも原稿を書く人が、綿密な計画もなしに気分次第で海外をフラついているような連中だ。ラバータイムに慣れきって、「締め切りなにそれ美味しいの?」な感覚の人ばかりだろう。そりゃ大変だろうなあ、と思ったら、やっぱり。

 私が抱腹絶倒して腹筋を痛めたのが、この辺。蔵前氏も誌面で著者に連載を連絡とか出鱈目かましてるが、執筆者の面々も、蔵前氏に輪をかけて奇妙な人ばかり。中でも凄いのは、歩いて地図を描く富永省三氏。磁石で方位を、歩幅で距離を測って、精密な地図を作る。誰に頼まれたわけでもなく、好きでやってる。

 好きでやってるうだけに、地図への拘りはそうとうなもの。ガイドブックを作る際の、蔵前氏との対決は笑いが止まらない。他の執筆陣も程度の違いこそあれ似たようなもので、そもそも旅行のついでに執筆してる連中だし。

 逆にモノ書きとして凄い人もいたり。石井光太氏、読みきりの原稿を頼んだら「送られてきた原稿は五本もあった」。書く意欲がハンパない。プロとしてやってく人は、やっぱり違う。

 などのモノ書きと経営/編集の関係も面白かったが、もう一つ興味深いのが、所々に顔を出す、出版物を作る過程での電子化の話。といっても電子書籍じゃなくて、編集作業の話。手書きコピーからMS-DOS のワードプロセッサ、そして(たぶんMacの)DTPへと変わってきた時代。版作りの費用が安くなる時代だったから、「旅行人」は存在しえたのかも。

 ところが、更に時代が進んでインターネットが普及すると、情報誌としての「旅行人」は意味が薄れてゆく。

 他にもイトヒロをはじめ、河野兵一・宇宙人など、懐かしい名前が一杯。私も思わず、さいとう夫婦の「バックパッカー・パラダイス」を本棚から取り出して読みふけってしまった。やっぱりユキさんとファーファーは泣かせるなあ…って、これ2の方じゃん。そんな感じで、爆笑の後は少しシンミリした気分で読み終えた。30年かあ。

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2014年4月22日 (火)

長谷敏司「My Humanity」ハヤカワ文庫JA

 人類は、未来に管理技術が進歩する可能性に託して、現在ある問題を解消するほうを選択した。リスクを呑んで豊かになることを選んだのだ。
  ――父たちの時間

【どんな本?】

 デビュー作「戦略拠点32098 楽園」で話題をさらい、「円環少女」シリーズでもヒットを飛ばし、「あなたのための物語」で本格SF作家としての実力を見せつけた俊英・長谷敏司のSF短編集。

 「あなたのための物語」と同じ世界に属する「地には豊穣」「allo, toi, toi」、BEATLESS のスピンオフ「Hollow Vision」、そして書き下ろしの「父たちの時間」の四編を収録する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年2月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約323頁。9ポイント40字×17行×323頁=約219,640字、400字詰め原稿用紙で約550枚。長編小説なら標準的な分量。

 文章はこなれている。が、内容は、濃い。いずれの作品も、最新の科学・技術に創作を加えた斬新で衝撃的なガジェットが出てくるため、その原理や効果を把握するのに時間がかかる上に、ヒトの心の奥深くを探る作品であり、じっくり味わいたくなる。ある程度、SFを読みなれた人向けの本格的な作品集。

【収録作は?】

 タイトルの後、/ 以降は初出。

地には豊穣 / SFマガジン2003年7月号
 擬似神経言語 ITP(Image Transfer Prptocol)。一言で言えば経験を伝える技術。脳内のナノロボットが擬似神経細胞を形成し、他人の経験を複製できる。これにより、長い育成期間と実務経験が必要な熟練を要する専門技術を、初心者に移植できる。
 ただし、ITPは英語圏の人間を基準に作ってあるため、そのままでは他の文化圏で使えない。各文化ごとに、調整接尾辞は必要となる。日本文化調整接尾辞の開発チームは、動作検証で優れた結果を出した。しかし、主任ジャックと副主任のケンゾーは、方向性で意見が食い違っていた。
 冒頭の「日本文化調整接尾辞」で引き込まれた。本社がシアトルで、各文化圏ごとにローカライズが必要、とくれば、やっぱし連想しちゃいます、はい。やっぱ日本語対応となれば、文字コードだけでなく縦書きとかルビとか①などの環境依存文字とか、キリないし。
 これを別の視点で見ると、最初から英語ネイティブな文化圏では、ローカライズの手間が不要で、その分だけ有利になる、という事だ。コンピュータが普及する前から、理系の高度な専門技術を身につけるには、英語やドイツ語が必須だった。コンピュータとネットワークは、この傾向を後押しした。今やITの世界じゃ英語が標準語になっている。例えば、Linux を開発したのはスウェーデン語ネイティブのフィンランド人リーナス・トーバルズだが、開発の舞台となったのは英語のニュースグループだ。よって、英語圏の者が有利になる。他の文化圏の者は、ITの知識に加え、英語も勉強しなきゃいけない。
 ITPが、この傾向を更に推し進める。英語圏が有利というより、他の言語圏が押しつぶされる、そんな状況にまでなってしまう。実は既にそんな危機感を感じて対策を講じている国や文化圏もあって、例えばアイルランドではゲール語を復活させているし、日本でもアイヌ語の保存運動が注目を集めつつある。
 文化とテクノロジー、そのバランスをどう取るか。そもそも文化とは何か。まさにSFだからこそ書ける、短いながらもズッシリと重い作品だった。
allo, toi, toi / SFマガジン2010年4月号
 ダニエル・チャップマンは、顔見知りの8歳の少女メグ・オニールを殺し、四肢を切り刻んで遺体を捨てた。逮捕されたチャップマンは懲役百年を言い渡され、グリーンヒル刑務所に投獄される。小児性虐待者は、囚人内でも最下層と見なされ食い物にされる。刑務官は面倒を避けて介入しない。
 チャップマンの耳の後ろには、端子がある。個人用の住居房を手に入れる代償に、ニューロロジカル社のITPのモルモットになったのだ。実験の目的は、ITPの新機能。性犯罪者の矯正に使えるか、試すためだ。
 これまた重い作品。主人公のダニエル・チャップマンはロリコンの殺人犯。そもそもロリコンは何を考えているのか。なんだって、そんな鬼畜な真似をするのか。性成熟しとらん個体と性交したって子が出来ないから、生物学的にもおかしいじゃないか。
 ということで、ここでもITPというガジェットをフルに駆使し、小児性虐待犯チャップマンの心の奥深くへと探索の針を伸ばしてゆく。息詰まる終盤の緊張感は急いで頁をめくりたくなるが、同時にじっくりと味わいたくもあり、なかなかもどかしい気分になる。
Hollow Vision / SFマガジン2013年4月号
 高度約85,800kmn、静止軌道上のステーション。ヘンリー・ウォレスは、リーチュー(日立)高軌道工業地帯の視察でここに来た。顔なじみと挨拶していた時、人口網膜に警告が現れる。<確保対象が攻撃を受けています>。どこかで気密が破れ、嫌な圧力がかかり、続いて銃撃の音。
 BEATLESS のスピンオフ(すんません、まだ読んでません)。軌道上の007とでも言うか。最初の軌道ステーションの場面から、徹底した「デザイン」へのこだわりを感じさせる。果たして無重力状態では、紳士服や婦人服のデザインや髪型は、どう変わるのか。例えば女性の髪形も、「長いサラサラのストレートなロングヘアー」は、あまし流行りそうにない。
 ってんで、出てくるのは、最新技術を駆使した驚きのニューファッション。以後、次から次へと出てくる、未来技術をふんだんに使ったガジェットが楽しい作品。激しいアクション、頭脳を使ったチェイスと駆け引き、ラストシーンもド派手で見栄えがするし、テーマも重層的で重厚。映像化したら面白い作品になるだろうなあ。
父たちの時間 / 書き下ろし
 現在、地球上では核分裂炉が三千基運用されている。致命的な事故も毎年のように起きている。この無茶を可能にしたのが、《クラウズ》だ。放射線を吸収して自己増殖するナノロボットが、汚染地帯での作業を容易にした。持田祥一は、大学講師の副業で、《クラウズ》の監視にあたっている。今の所、ナノロボットで大きな問題は起きていないが、なにせ微小なシロモノだ。漏れ出したら何が起こるかわからない。
 完全な検証が済んでいない最新技術を、とりあえずの問題解決に注ぎ込む。テーマとして原子力とナノロボットうを扱っているが、歴史を見るとヒトはいつだって似たような真似をしてきた。古い所じゃ灌漑農業で、大抵は最終的に塩害や土壌の流出でダストボウル(→Wikipedia)を発生させ、農地を潰す。
 石炭エネルギーは工業を飛躍的に発展させたが、ロンドンの空をスモッグで黒く染めた。石油エネルギーは自動車を生み出し、人々に移動の自由を与えたが、交通事故の激増と光化学スモッグをもたらした。新しいテクノロジーは、たいてい予期せぬ副作用を伴っている。
 原子力の場合は、少し事情が違う。今までは副作用を予期していなかった。だが、原子力は放射性廃棄物の処理など、副作用が少しわかっている。ここの作品のテーマは、ナノロボットだ。これもまた、原子力とは少し事情が違う。
 原子力は副作用があるとわかっている。ナノロボットは、副作用の有無が分かっていない。それだけなら石炭や石油と同じだが、石炭・石油は副作用が「ない」と思われていた。これが違いだ。前世紀から今世紀にかけて、人類は、「ヒトが予見できない事もある」と学んだはずだ…高い授業料を払って。いや、今もまだツケの払いは終わっていない上に、新しいツケを重ねてるんだけど。軽いところじゃコンプガチャとか個人情報流出とか。
 なぜ、そんな間抜けな真似をヒトは繰り返すのか。テクノロジーの進歩は、そんな状態をどう変えるのか。ヒトは先鋭テクノロジーを制御できるのか。意見は分かれるだろうけど、激論のネタとしては最高にキャッチーな問題作。

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2014年4月20日 (日)

フレデリック・ルヴィロワ「ベストセラーの世界史」太田出版 大原宣久・三枝大修訳

「ヒットした作品というものは、必ずひどい駄作なのです」
  ―-ルイ=フェルディナン・セリーヌ

 十九世紀末のアメリカで、本の売り上げに差し障りが出るからと、自転車の流行を書店主や出版人たちが非難したことがあった。それより少しのちには、同じような非難を自動車や電話、野球の試合、そしてもちろん何より映画に対しても繰り広げることになる。映画は大衆を映画館に引き寄せて、読書からは遠ざけてしまう、といういい分だった。

【どんな本?】

 ベストセラー。たくさん売れる本。ベストセラーを馬鹿にする作家もいれば、売り上げを追い求める作家もいる。売れる本は良い本か、くだらない本か? 今まで、どんな本が売れたのか。それはどんな風に生み出され、出版されたのか。どんな本が売れるのか。どうすれば売れる本を作れるのか。売れる本を作る方法は、どう変わってきたのか。

 書物・作者・読者の三つの方向から、ベストセラーの歴史と、それを生み出した原因を探り、本の売り上げに影響する要素をあぶりだすと共に、ベストセラーに対する文壇・作家・出版の姿勢や、過去と現在の有名作家・作品のエピソードを豊富に収録した、本好きによる本好きのための本の本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Une histoire des best-sellers, by Frédéric ROUVILLOIS, 2011。日本語版は2013年7月19日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約389頁+訳者あとがき5頁+解説6頁。9.5ポイント47字×17行×389頁=約310,811字、400字詰め原稿用紙で約778枚。長めの長編小説の分量。

 翻訳物のノンフクションだが、拍子抜けするほど文章は読みやすくこなれている。内容も特に前提知識は要らない。フランス人の著作のため、出てくる作品の大半はヨーロッパとアメリカのものだが、「ドン・キホーテ」「風と共に去りぬ」「ロビンソン・クルーソー」など、読んだ事はなくても名前だけは知っている類の作品が大半なので、海外文学に疎くても心配は要らない。もちろん、海外文学に詳しい人なら、更に楽しめるだろう。

【構成は?】

  •  まえがき
  • 第一部 書物――ベストセラーとは何か
    • 第一章 大部数の恩寵
      • 一 現実ばなれした計算
        • インチキ
          • アンクル・トムの豪邸/販売法としての嘘
        • 神話と噂話
          • スーパースター、イエス・キリスト/マドンナのッミリオンセラー
        • 目の錯覚
      • 二 数字の話
        • 職人仕事の時代
        • 産業化の時代
        • 最大級の時代
    • 第二章 ヒットの時期
      • 一 開花の時期
        • すぐにベストセラーになるケース
          • ニセモノの奇跡――ラマルティーヌの『瞑想詩集』/シリーズもののベストセラー
        • 遅れてきたベストセラー
          • スタンダールの場合/ありふれた不運な出来事
      • 二 持続期間
        • 文芸の世界での「賞味期限切れ」について
        • ベストセラーか、ロングセラーか
          • かくも長き旅/ベストセラーからロングセラーへ
    • 第三章 ベストセラーの地理学
      • 一 初期の世界的ベストセラー
        • ロビンソンからウェルテルへ
        • 多様化
        • グローバル化の完了
      • 二 グローバル化の非対称性
        • フランスという例外
          • フレンチ・キス/フレンチ・タッチ/フランスの失敗劇
        • 利益のバランス
          • 大規模生産/一方的な保護主義/周縁からのグローバル化は?
  • 第二部 作者――どのようにしてベストセラーを作るのか
    • 第四章 作家とヒット
      • 一 作家とメーカー
        • すっぱいぶどう
        • 読者を探して
        • ベストセラーを製造する
          • バラ色の人生/ダン・ブラウンの手法
      • 二 落ちぶれた者たち
        • 十九世紀の時代遅れ
        • 二十世紀における衰え
          • フィッツジェラルドの不幸/見捨てられた者たち法
    • 第五章 ペテン師たちの小説
      • 一 企業家
        • ゴーストライター
          • デュマ株式会社/ナントの奴隷商人
        • 仕事のリスク
      • 二 盗作家
      • 三 詐欺師
        • 仮面作家
        • 実見録
    • 第六章 編集者の戴冠
      • 一 当事者としての編集者
        • 価格をめぐる戦い
        • 広告の出現
      • 二 創造者
        • グラッセ革命
          • 『マリア・シャプドレーヌ』の謎/運命の扉をこじ開ける
        • ヒットのためのテクニック
          • 本を知らせること/買わせること/ヒットを知らせること
        • 死刑執行人
        • 新たな怪物たち
    • 第七章 検閲、万歳!
      • 一 骨折り損
        • 検閲の無力
        • 氾濫
          • 書物は読者と運命をともにする/スタール夫人 VS. ナポレオン
      • 二 幸いなるかな、虐げられる者たち
        • ベランジェの栄光、あるいはオメー氏の勝利
        • 好奇心という悪魔
    • 第八章 書物と映像の婚姻
      • 一 映画におけるベストセラー
        • ジェームズ・ボンドのケース
        • 婚姻の法則
      • 二 テレビでは
        • 推薦人の時代
        • 黄金時代の終わり?
  • 第三部 読者――ベストセラーはなぜ売れるのか
    • 第九章 読まなければならない本
      • 一 信仰の書
        • 宗教書の場合
        • 政治的バイブル
      • 二 成功を手に入れるための本
        • 集団に溶けこむ
        • 教育を受ける
        • 美しく見せる
          • 肉体崇拝/痩せている人の座右の銘
    • 第十章 パニュルジュ・コンプレックス
      • 一 文学賞とクラブ
        • ゴンクール賞をめぐる冒険
        • ルノードー、フェミナ、ピュリッツァー、その他の文学賞
        • クラブ
      • 二 読者と購買者
        • 飾りになる本
        • 読めない本のランキング
    • 第十一章 安楽の文学
      • 一 気晴らしにする
        • 血や涙による気晴らし
        • いつの世も恋愛もの
      • 二 心を落ち着ける本
        • 敬虔なる読書
          • 信心深きベストセラー本/現代の精神生活
        • 偉人たちのカーニヴァル
          • 殉教者/善をなす者/反抗する者/救世主
  • 結論 持続する奇跡
    • 一 発掘の軌跡
      • 風と共に去りぬ
      • 死後のベストセラー
    • 二 出会いの奇跡
      • 時流
      • 運命の女神
        • デュラス、なかば不意のヒット/自費出版からベストセラーへ
    • 三 不可能なことが起きるとき
      • ジャンルの掟からの逸脱
      • パラダイムシフト、すなわち新たな視点?
  • 原注(抜粋)/訳者あとがき/解説(野崎歓)/人名索引/書名索引

【感想は?】

 本好きは、ベストセラーに複雑な想いを抱いている。

 自分が好きな作家や作品は売れて欲しいが、興味のない作品が売れるのは納得いかない。それが拗れて厨二病を併発すると、売れる本を馬鹿にしたりする。ええ、私がそうです、はい。

 この本は、基本的に本を作って売る側の視点で書いている。作家や編集者の視点だ。私たち大衆を扇動し、本を買わせる手口が、たくさん出てくる。その多くは、確かに私にも利いて、今まで何度も乗せられたなあ、などと昔を振り返って読むと、なかなか痛い。

 やはり効果があるのは、「売れてます」という宣伝。「アンクル・トムの小屋」を売り込む発行人ジョン・ジューエットの広告が巧い。

「製紙機が三台、印刷機が三台、昼夜を問わず稼動し、百人を超える製本職人が休みなしに働いていますが、それでも注文すべてに応じるには至りません!」

 こう具体的な情景を書かれると、つい本気になるし、読みたくなってしまう。この作品をジューエットに売り込んだのは、ストウ夫人の夫で、25ドルで手を打とうとした。その目的は、「妻に絹のドレスを買ってやることだった」。ところが、ジューエットの大法螺もあって、作品は世界的な大ヒットになる。わからんもんです。

 売れたモノには「柳の下のドジョウ」を求め、類似品が出回るのも、昔から。ダニエル・デフォーの「ロビンソン・クルーソー」は、ドイツで「ドイツのロビンソン」「ザクセンのロビンソン」「シレジアのロビンソン」などを生み出してる。SFだと、トム・ゴドウィンの「冷たい方程式」が…いえ、なんでもないです。

 「着実に売れる作品」の創作方法を暴いてるのも、面白いところ。例に挙げてるのが、ダン・ブラウンとハーレクイン出版。ダン・ブラウン作品の粗筋解説もかなりの毒舌だが、ハーレクイン出版はもっとすごい。自ら作品のパターンを明かし、ハッピーエンドを読者に保障するのだ。

一応、予防線を張っておくと、別に私はハーレクイン物を貶すつもりはない。私自身、例えばロバート・R・マキャモンの初期作品には「普通の弱い者が強大な敵を打ち倒す」話を期待するし、大藪春彦も大好きだ。定型に沿い、終わり方が保障されてる、そんな話を読みたい時もあるし、実際に読む。ただ、私の好みの味付けが、ハーレクインとは違うってだけ。

 などと、工夫して売り上げを伸ばす場合もあるが、思わぬ幸運に恵まれる時もある。特に皮肉なのが、「第七章 検閲、万歳!」。ここでは、当局が禁じたため、逆に話題になって売れた本の話が並ぶ。ナポレオンの時代のスタール夫人(→Wikipedia)の「ドイツ論」から、サルマン。ラシュディの「悪魔の詩」、D・H・ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」など。

 チャタレイ夫人に関しては、BBCいわく「書店には群集が押し寄せた。そのほとんどは男性だった」。うんうん、わかる、その気持ち。なお、この章で冒頭を飾るボリス・ヴィアン、実際は自分で書きながらアメリカ人作家の翻訳と偽って出した暗黒小説「墓に唾をかけろ」で悪評を買い、それが幸いして60万部を売り上げたんだが、続く「北京の秋」はサッパリ

 …と思ったら、Culture Vulture書評:『北京の秋』ボリス・ヴィアン著 によると、「本書は当の中国では例のごとく発禁となっているが、海賊版が出回り、若者たちのあいだでひそかなベストセラーになっているという」。わはは。

 つまりは話題になれば本は売れるわけで、一昔前は映画だった。けど本好きには悔しい副作用もあって、例えば「ゴッド・ファーザー」と聞けば、多くの人はマーロン・ブランドやアル・パチーノを思い浮かべる。「結局のところ映画は原作本を忘れさせてしまうのだ」。ほんと、これは悔しい。マリオ・プーヅォの原作、読み始めたら止まらない面白さなのに。

 映画同様、影響力が強いのがテレビ。ドラマの話も出てくるが、羨ましいのが書籍を紹介する番組。フランスの「アポストロフ」、ドイツの「レーゼン」、イギリスの「リチャード・アンド・ジュディー・ブッククラブ」、そしてアメリカの「オプラ・ウィンフリー・ショウ」が、多くのベストセラーを生み出している。日本でそういう番組、あったっけ?とまれ…

推薦人とはすなわち、いたるところに四散して存在するブロガーやツィッター発信者などであるわけだが、彼らの影響力は、かつての推薦人の力に比べて劣っているわけではない。

 まあ、影響力がある推薦人と、ない推薦人がいるんですよ、はい。スゴ本みたく影響力の大きいブログもあれば…

 「第九章 読まなければならない本」には、現在までの発行部数ベスト15が載っている。トップはもちろん聖書、次が「毛主席語録」。本好きなら納得できない気持ちと納得しちゃう気持ちが半々だろう。売れる理由はわかるんだけど、なんか面白くない。私が好きなSFだと、例に挙がってるのが「ダイアネティックス(→Wikipedia)」。切ない。まあ、「売れた」と「読まれた」は違うんだけど。

 なんていう出版サイドの話も多いが、作家と作品にまつわる話も盛りだくさん。アレクサンドル・デュマの小説工場、「風と共に去りぬ」の意外な出版事情、「薔薇の名前」の予想外のヒット、ウィリアム・シェイクスピアの当事の販売実績、スコット・フィッツジェラルドの挫折、晩年のジュール・ヴェルヌの悲哀など、作家の面白話も多い。

 翻訳物だが文章もこなれていて読みやすく、ソフトカバーの製本も親しみやすい。本好きなら、思い当たる節がアチコチにあって少しイタい思いをするけど、それだけに身に染みて楽しんで読める。充分な資料で裏づけした真面目な内容だが、口当たりはよくて一気に読める本だった。

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2014年4月17日 (木)

グレッグ・イーガン「白熱光」新☆ハヤカワSFシリーズ 山岸真訳

「なにか単純なものが存在するに違いないの」彼女はいった。「わたしたちはそれを探し求めつづけなくてはならない」

【どんな本?】

 硬派なサイエンス・フィクションが人気のSF作家グレッグ・イーガンが、その趣味を全開にして送る長編SF小説。

 多くの知的生命体が銀河系周辺領域全体に満ちた遠未来で、謎の存在からのメッセージに応じて銀河系中心部へと探索に向かう二人組みの物語と、奇妙な重力の勾配がある岩石内の世界で、トンネル内に住む地虫のような知的生命体の社会の変動の物語を交互に描く、濃SF者大喜びの濃厚な作品。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は INCANDESCENCE, by Greg Egan, 2008。日本語版は2013年12月15日発行。新書版ソフトカバー縦2段組で本文約395頁+著者あとがき3頁+訳者あとがき10頁。9ポイント24字×17行×2段×395頁=約322,320字、400字詰め原稿用紙で約806枚。長編小説としては長め。

 イーガンのファンよ、喜べ。この作品はとても読みにくいぞ(書き間違いじゃありません)。今までのイーガン作品の中でも、「ディアスポラ」を凌ぐ読みにくさだ。そんなわけで、これは普通のSFじゃ満足できない重度のSFジャンキー向けの作品であり、「少し不思議」なお話を求める人には向かない。

 この作品、少なくとも4種類の読みにくさがある。二つは困った読みにくさ、もう二つは嬉しい読みにくさだ。

 困った読みにくさの一つは、文章。職業柄で論理的な厳密さを追求したためか、二重否定を使うなど、まだるっこしい表現が多いのだ。例えば…

世界が彼を拘束状態から解放する理由が見つかったというだけではこんなには興奮しない、というふりをすることができなかった。

 否定形を使わないと、こんな感じかな?

彼の拘束状態を解く理由が、世界にはあるらしい。彼は興奮をあらわにした。

 もう一つの困った読みにくさは、三次元空間を移動するモノの動きの描写。こればっかりは、小説である以上どうしようもないんだが、なんとか頭の中で座標軸を組み立てて想像して下さい。「ネタバレ上等」な方は、MI's Attic白熱光メモ に詳しい解説があるので、ご参考までに。

【どんな話?】

 銀河系の周辺領域では、多くの知的生命体が共存していて、「融合世界」と呼ばれていた。そこに住むラケシュに、ラールと名乗る訪問者が現れる。ラールは銀河の中心部を突っ切って来たのだが、その途中で DNA の痕跡のある岩石、すなわち未発見の異星生物の痕跡を、「孤高世界」から提示された、と言うのだ。

 孤高世界は、銀河系の中心部を占める。別の形の知性体が存在するらしいのだが、大半のコミュニケーションの試みは無視され、物理的な探索もはじかれる。だが、銀河系中心部を突っ切る信号は、親切にも中継してくれる。接触は拒むが、通過は邪魔しない、謎の存在だ。

 興味を持ったラケシュは、仲間のパランザムと共に、謎の解明を求め孤高世界へと旅に出た。

 <白熱光>から吹き込む風で養われる岩石世界、<スプリンター>。種子供給地を保つ作業チームで働くロイは、老いたザックと出会う。ザックは奇妙な問いをロイに投げる。

「なぜわれわれはガーム地域やサード地域の方向からはヌル線へとのぼり、ショマル地域やジュヌブ地域からは下ることになるのかを?」

 この出会いが、<スプリンター>世界の大騒動のはじまりだった。

【感想は?】

 イーガン100%。

 物語は、二つの世界で繰り広げられる。一つは、我々人類の子孫も混じっているらしい、融合世界だ。遠い未来で、様々な星の知的生命体が、共存している。ばかりか…。最初の1行目からから「あなたはDNA由来ですか?」とくる。「ディアスポラ」を読んだ人なら、この冒頭の一行で「おお、きたキタキター!」となるだろう。

 この一言で、沢山の事を伝えている。直接わかるのは、DNAに由来しない個人もいること。「ディアスポラ」のヤチマのように、電脳(または仮想)世界で生まれた個人もいる世界なのだ。そんな真似が出来るくらいだから、科学や技術は今の我々より、遥かに進んでいる。

 嬉しい読みにくさの一つは、この点だ。我々より遥かに科学や技術が進んだ、そして社会形態や価値観が全く違う者の視点で語られるため、異様なSFガジェットが説明無しに次々と出てくる。お陰でSFを読みなれた者には、やたらと濃くて美味しいお話になるが、慣れない人には全く意味が分からない。

 物語の根本には、知的生命体を符号化・デジタル化したり復元したりする技術があるのだが、その由も全く説明しない。生命を符号化・復号化できるんだから、デジタル通信すりゃ光の速さで旅行できるって背景も、全く説明なし。生命をデジタル化できるなら、最初からデジタルで作れば、肉体の両親は要らない。

 こういった背景を、「あなたはDNA由来ですか?」の一行で片付けちゃってる。この濃さ、たまりませんわ。

 もう一つの嬉しい読みにくさは、<スプリンター>世界で繰り広げられる。どうやら岩石の中にトンネルを掘って生きてる、地虫みたいな知的生命体らしい。人(地虫)は、作業チームに属して働く事に喜びを感じているが、時として他のチームにスカウトされ、転職する事もある。

 この世界、なんか変で、重力に勾配がある。三次元の世界なのだが、その軸の一つガーム・サード軸は、端に行くほど、端へと引っ張る力が強くなる。逆にショマル・ジュヌブ方向は、端に行くほど、中心へと引っ張られる。真ん中のヌル線は、力が働かない。

 ここで登場するザック、名前の元はアイザック・ニュートンだとか。これでわかるように、スプリンター世界では、農耕社会から数学・力学・天文学・工学が立ち上がってゆく様子が、彼らの言葉で描かれてゆく。

 我々が知っている数学や力学の概念を、エイリアンの言葉で語ってゆくのが、このパートの読みにくさであり、イーガン作品ならではの面白さでもあるのだ。ロイが重力勾配を測るために旅をする過程は、メートルの定義のために旅をしたメシェンとドゥランブルや、相対性理論を確認するためアフリカへと旅したアーサー・エディントン(→Wikipedia)を思わせる。

 ザックが石を回転させる実験は、ガリレオの振り子の法則(→Wikipedia)を思わせるし、回転から力の強さを導き出す過程は、微分が生まれる瞬間を見ているようだ。ちなみに、アイザック・ニュートンは、微積分の誕生にも寄与してます(→Wikipedia)。

 そんな感じで、スプリンター世界の描写は、数学や物理学の歴史を知っていると、ワクワクするエピソードがギッシリ詰まってる。ロイが「方程式」を学ぶ場面。基準となる単位の確立に苦労する場面。大量の演算をチームで行なう場面。空間のゆがみに気づく場面。世界を記述する単純な法則を求めるザックは、純化した理論物理学者の姿そのものだ。

 などの数学・物理学の面白さと共に、理論と現実に橋をかける工学の楽しさ・苦しさも描いているのが嬉しい。

 進歩しつつある、だが同時に不完全な科学理論を元に、大規模な工学プロジェクトを推し進めるバード。新たな観測法を見つけだすチョー。複雑な計算を力技に置き換えるティオ。数学や物理学の綺麗で完璧なヴィジョンに対比して、「汚くて不正確だが有用」な工学も、数学・物理学と共に手を取り合って進んで行くのだ。

 と、スプリンター世界の面白さを味わうには、どうしても多少の数学や物理学の素養が必要になる。最初はニュートン力学で済んでたのが、中盤から相対性理論の世界に入り込んでゆく。そもそもスプリンター世界そのものが、相対論的な世界だし。

 そんなわけで、数学や物理学の基本的な理論・理念・定理を、全く別の言葉で表現しているのが、この本の美味しい所。読み解くのは難しく、同じ所を何度も読み返す必要がある。それだけに、読み解けた時の喜びも大きい。じっくりと時間をかけ、パズルを解くつもりで読もう。

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2014年4月15日 (火)

スコット・フィッシュマン「心と体の『痛み学』 現代疼痛医学はここまで治す」原書房 橋本須美子訳

 知覚神経は、ときとして激しくあるいは繰り返し、痛み信号を送り続けることがある。その原因は二つにわけることができるだろう。一つは、正常な神経が、身の危険や異常を知らせるときだ。もう一つは、神経そのものに傷がついたり、異常が生じたりするときである。

【どんな本?】

 頭痛や腰痛など、しつこい痛みに苦しむ人は多い。怪我や病気などで原因がわかっている場合もあれば、いくら調べてもわからない痛みもある。常に痛む時もあれば、ばぶしさ・疲れ・カフェインなど何かの刺激や体調で起きるもの、周期的だが不定期にやってくる発作もあり、症状が酷ければ患者は仕事や家庭まで失ってしまう。

 著者は、マサチューセッツ総合病院で疼痛医療を担当し、今はカリフォルニア大学デーヴィス校で疼痛医学部長を務め、痛みを訴える患者の治療に当たる、経験豊富な現役の医師だ。

 著者が今までに診療した様々な患者の症状・診断そして治療の過程などの具体例を挙げながら、痛みとは何か・痛みを感じる原因・適切な治療法などの科学的な面に加え、どんな痛み方があるか・痛みが患者の生活や性格にどんな影響を与えるか・医師と患者の関係をどう変えるかなどの医療のあり方を語り、また現在開発中の診断法・治療法・新薬などの未来展望を垣間見せる、一般向けの医学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE WAR ON PAIN - How Breakthroughs in the New Field of Pain Medicine Are Turning the Tide Against Suffering, by Scott Fishman, M.D. with Lisa Berget, 2000。日本語版は2003年2月25日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約412頁+訳者あとがき2頁。9ポイント47字×19行×412頁=約367,916字、400字詰め原稿用紙で約920枚。文庫本の長編小説なら2冊分に少し足りないぐらい。

 日本語は比較的にこなれている。専門家が書いた本の割に、拍子抜けするほど中身は親しみやすい。これは、個々の症状を語る際に、実際の患者の仕事・家庭・生活パターンや病気の影響などを、物語のような形で紹介しているためだろう。健康だった人が病に苦しみ、それを克服してゆく話が展開するので、つい応援したくなるのだ。

 とはいえ、専門家が書いた本だから、仙骨硬膜だのプロスタグランジンだのの専門用語も出てくる。でも大丈夫。わからなければ「なんか骨に近い所だろう」「何かの物質かな」ぐらいに思っておこう。あなたが医師でない限り、その程度の理解でも充分にこの本は楽しめる。

【構成は?】

 まえがき(トーマス・ムーア)/はじめに
第1部 痛みと苦しみの謎を探る
 第1章 なぜ痛みを感じるのか――危険信号としての痛み
 第2章 痛み信号を消す――麻酔薬の発明と疼痛医学の進歩
 第3章 慢性痛の謎――背中の痛みが人生の痛みに変わるとき
 第4章 痛み信号が狂うとき――傷ついた神経から生まれる痛み
 第5章 神経細胞のネットワーク――痛みが脳の構造を変える
 第6章 心が痛みに勝つとき――プラシーボ、エンドルフィン、および意識の作用について
第2部 痛みの克服に向かって
 第7章 腰痛と関節痛――傷ついた組織の痛み
 第8章 神経の異常――病気や外傷による難治性の痛み
 第9章 頭痛治療に頭を痛めるとき――重症の頭痛と闘うには
 第10章 科学を超越した治療――代替療法の活用
 第11章 終末期の痛み――体と心が苦痛から解放されるとき
 第12章 痛みのない社会へ――疼痛医療の将来
  エピローグ/訳者あとがき

【感想は?】

 この本は、尻上がりに面白くなる。

 冒頭の第1章・第2章は歴史的・学術的な話なので、人によっては退屈に感じるかもしれない。だが、著者が実際に治療に当たった患者の話が出てくる第2章の後半から、ぐっと親しみやすく面白くなってくる。

 ここで出てくる患者はスミス氏、某社の重役。手術で胆嚢を摘出したが、術後に痛みを訴えるので多量のモルヒネを与えた。しかし、痛みは治まらない。ここで著者が着目するのが、スミス氏の過去と性格。かつて海軍で指揮官を務め、今は会社の重役だ。主導権を握る立場に慣れており、他人、つまり医師や看護師に従うのには慣れていない。

 そこで著者はPCA(患者管理鎮痛法)を採用する。患者が痛いと思った時、自分で鎮痛剤を打てる装置だ。だが患者は心配する。「モルヒネの打ちすぎで中毒になったら?」でも大丈夫。複数の安全システムがあり、医師が決めた限界までしか薬が出ない仕掛けになっている。

 この説明を受け納得したスミス氏、装置をセットしたら、すぐさまスイッチを押して安全装置の具合を確かめ、思ったとおりに動くとわかったら、すぐに機嫌がよくなり薬の量も減り、回復も早くなった。

 スミス氏の問題は何か。自分がコントロールできないのが、不愉快だったのだ。機嫌が悪いと、感じる痛みも増す。機嫌と痛みが、深く関係している場合もある。この場合は、互いが互いを増幅する関係にあって、痛い→不機嫌→更に痛い→更に不機嫌…と、悪循環に陥ってしまう。

 スミス氏の症例では、これを逆用して、スミス氏自身が管理できる範囲を広げる事で、彼の自信を取り戻し、機嫌を良くすることができ、お陰で痛みも小さくできた。

 「気のせい」ってのは、確かに事実なのだ。だが、感じている痛みは本物だ。である以上、「痛みを取り去るのも医療の務め」というのが、著者の姿勢である。そのためには、プラシボも代替療法も使う。別にオカルトに傾倒しているわけではない。「痛み」には、患者の気持ちが大きく関係するから、使えるものは何でも使う、そういう事だ。

私が治療メニューを作るときは、その患者が何を必要としているかを、一番に考える。まったく同じ症状を訴える患者が二人いても、それぞれの治療プランを立てた方が、いい結果につながるかもしれないのである。つまり、患者の人格や、病気が患者の人生に及ぼした影響をじゅうぶんに考慮しなければ、最良の治療プランは立てられないということだ。

 疼痛医療は最近になって発展した分野なので、医者にも患者にも馴染みがない。この本に出てくる症例で共通しているのが、患者が多くの医師にかかっている事。しつこい痛みに悩まされ、様々な治療を受け、それでも治らない。だもんで、患者は医師に不信感を持っている。こういう患者の気持ちを察する文章が多いのも、この本の特徴だろう。

 例えば、抗うつ剤を処方する場面。あなた、足の痛みで病院に行って、抗うつ剤を処方されたら、どう思います?「俺はうつ病じゃねえ、ナメとんのかヤブ医者」と思うよね、普通。まして、何度も失望を繰り返した患者なら、なおさら。でも、これにはチャンと理由があって…

 ケッタイな治療法は他にもあって、脊髄刺激装置とかは、モロにグレッグ・イーガンの世界。痛みは神経を介して信号が脳に届くから感じる。そこで、神経に「わずかにちくちくとした感覚をもたらす」信号を流し、痛みの信号を攪乱するのだ。具体的には、局所麻酔でケーブルを脊髄に埋め込み、電源を胴体か腹に埋め込む。患者がスイッチを入れると、チクチクするが激しい痛みはなくなるという仕掛け。

 さすがに新しい治療法なんで、後遺症とかは分かってないし、「痛みが消えない場合もある」。笑っちゃうのが、「空港の金属探知機に反応してしまう」こと。

 他にも、麻酔の発明者が歯医者だったり、体を動かした方がいい腰痛もあったり、神経を切っても痛みが消えるとは限らないなど、歴史・医学・心理学などの話題のほかに、痛みが生活にもたらす影響など、読み所は多い。特にオリバー・サックスの著作が好きな人は、楽しんで読めると思う。

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2014年4月13日 (日)

藤崎慎吾「深海大戦 Abyssal Wars」角川書店

 ソーナーで捉えられない相手の接近は、このスキャニング・レーザーに引っかかるまで知りようがない。投光器で照らしたとしても、深海で視認できるのは、条件がよい場合で、せいぜい十数メートルの範囲だ。
 だから基本的に海中での戦いは、接近戦にならざるをえない。遠くから魚雷なんかで狙い撃ちできた時代は、もう過ぎ去った。まるで銃から刀に逆行したようだが、まさにその通りだ。

【どんな本?】

 「クリスタルサイレンス」で鮮烈にデビューしたSF作家・藤崎慎吾による、血沸き肉踊る海洋冒険ロボットSF長編シリーズの開幕編。SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2014年版」ベストSF2013国内編でも11位に食い込む活躍を見せた。

 海底のメタンハイドレートや海底熱水鉱床など海底資源の開発が急ピッチで進みつつある近未来の太平洋を舞台に、人が乗り込み操縦するロボットが大暴れする大活劇。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年8月30日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約425頁。8.5ポイント47字×19行×425頁=約379,525字、400字詰め原稿用紙で約949枚。文庫本なら2冊分ぐらいの分量。

 エンタテイメント分野で活躍している著者だけに、文章はこなれていて読みやすい。「クリスタルサイレンス」や「ハイドゥナン」などで海洋科学へのこだわりを見せた著者だけに、この作品でも海底熱水鉱床(→Wikipedia)やコバルト・リッチ・クラスト(→Wikipedia)など最新の海洋開発技術に加え、ロボットやメカ関係でも好き者をワクワクさせるガジェットがてんこ盛り。つまり、そういうのが好きな人向けの作品です。

【どんな話?】

 愛知県渥美半島沖80kmのメタンハイドレート採掘施設。シャコに似た形の警備用イクチオイドで警備していたオレ宗像逍(むなかたしょう)は、相方の樫村先輩にドヤされた。全周ソーナーに影が映っている。水深1000mあたり、体長10mほど、速度は時速3ノット。ウバザメだろうと判断して接近し…

【感想は?】

 うん、正しい。これぞ正しい日本のロボットSF。

 巨大ロボットは、カッコいい。ロボット同士のバトルは、男の子の血が騒ぐ。だが、現実に兵器として使うとなると、色々と問題がある。その辺の事情は「ダイナミック・フィギュア」でも述べたので、詳しくは参照して欲しい。

 それでも、やっぱりロボットをバトルさせたい。そこで創作者は色々と工夫を凝らす。ガンダムは、ミノフスキー粒子を導入した。「ダイナミック・フィギュア」では、敵の性質で説得力を持たせた。「機龍警察」では、サイズを押さえた。本来は無茶なモノに、いかに屁理屈をつけるか、それが作家の腕の見せ所だ。

 この作品は、戦場を深海に設定することで、人がロボットに乗り込まにゃならん事情と、接近戦でチャンバラする必然性を生み出した。もともと「ハイドゥナン」や「鯨の王」で海洋科学に造詣が深い著者だから、自分の得意なフィールドに持ち込んだのかもしれないが、得意な分野だけに設定を支える描写はリアルで説得力がある。

 人が巨大ロボットに乗り込んで肉弾戦かます必然性だけでなく、ロボットに装備する様々な機器や素材についても、いちいち最新テクノロジーをつぎ込んで「お、コレならなんとかイケそう」と思わせるのも楽しいところ。特に中盤から終盤にかけて、様々なロボットのバリエーションが出てくるあたり、メカ好きな私はワクワクした。

 加えて、海中という特殊な条件化での戦闘方法についても、色々と工夫をこらしてる。海中じゃ一本背負いしたって、あまし意味がない。浮力で重力が打ち消されるんで、敵の体重を利用して海底に叩きつけてもダメージが少ないのだ。そもそも海底に足をつけてるとは限らないんで、投げようとしても、こっちの体が浮き上がってしまう。

 打撃にしたって、ウエスタン・ラリアットは無謀だ。海水の抵抗が大きいんで、腕を振り回すエネルギーの多くが、水に吸収されてしまう。これも互いに海中に浮いてる状態なら、足を踏ん張れない。じゃ、どうするかと言うと…

 などの兵器としての性能・形状・戦法に加え、社会背景もキッチリ書き込んで、いかにもな雰囲気を出しているのも嬉しい。今だって尖閣諸島で日台中が角突きあわせている。急激に膨れ上がりつつある中国の経済規模。海洋の資源開発が進めば、中東に依存しているエネルギー事情も激変し、世界のパワーバランスは大きく変わるだろう。

 採掘できる資源が豊富な場所は、往々にして政治・軍事的に不安定になる。チェチェン・ナイジェリア・コンゴ・南アフリカ・インドネシアなど、例は幾らでもある。ペルシャ湾岸だって、今は合衆国が強大な軍事力で押さちゃいるが、イラクはなかなか安定しないし、アラブの春がサウジに飛び火したら…いや、やめよう、日本の景気も氷河期になっちまう。

 物語で重要な役割を果たす海の民シー・ノマッドも、一見荒唐無稽のようだが、ソマリアやインドネシアの状況を見ると、現在起きている海賊事情の延長線上にあるのがわかる。詳しくはジャン=ミシェル・バローの「貧困と憎悪の海のギャングたち 現代海賊事情」が詳しい。今だってソマリアの海賊は沖に拠点となる母船を持ってたりする。

 地上と違い、海の中は三次元の空間だ。敵味方共に、座標を特定するには三つの数字が必要になる。上下の動きは、水圧も激しく変わる。冒頭を読んでて、私は一瞬「あれ?」と思ったんだが、これもちゃんと解が用意してあった。ダイビングが好きな人なら、きっとわかると思う。そう、潜水病だ。こういう細かい部分に気を配っていると、やっぱり嬉しくなる。

 もう一つ、ロボット物には難しい点がある。インターフェース、操縦方法だ。自動車と違い、ロボットは可動部が多く、操縦も複雑になる。指の関節を動かす指示を、どうやって与えるか。ハンドルを押したり引いたりじゃ、細かいニュアンスまでは伝わらないだろう。ソコまで考えてる作品は滅多にないが、この作品は大掛かりなガジェットを駆使してケリをつけた。しかも、エヴァンゲリオン以降ののロボット物に必須のアレまでつけて。いいなあ、こういうサービス。

 人が乗り込む巨大ロボットの格闘戦が見たい。そういうお馬鹿な欲望を、最新の科学と世界・経済情勢で裏づけして多少のホラを混ぜ、エンタテイメントとリアリティを両立させた、日本ならではの爽快な冒険SFシリーズ開幕編。いかにも漫画な悪役もご愛嬌。どうせ根っこがお馬鹿な妄想なんだから、この調子でケレン味たっぷりに突っ走って欲しい。

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2014年4月11日 (金)

レドモンド・オハンロン「コンゴ・ジャーニー 上・下」新潮社 土屋政雄訳 エピソード集

 イギリス人のレドモンド・オハンロンは、思い立つ。「コンゴ人民共和国の奥地にあるテレ湖には、幻の生物モケレ・ムベンベがいる。是非この目で見たい」。そこで古い友人でアメリカ人の動物行動学者ラリー・シャファー博士を巻き込み、秘境コンゴへと旅立つ。

 個々のエピソードは強烈で、アフリカ中央部の混沌とした状況がヒシヒシと伝わってくる。が、登場人物はみな胡散臭い奴ばかりだし、語り手のレドモンドはいささか危なっかしい。そもそも「モケレ・ムベンベを見に行く」なんて人だし。という事で、この記事で紹介するエピソードの真偽は保障しかねます。詳しくは「コンゴ・ジャーニー」をご覧ください。

【エピソード集】

●コンゴ人民共和国科学研究省大臣ジャン・ヌガツィーブ大臣閣下の、ありがたいお言葉

「わしもダーウィンの支持者だ。
 あれの言うことは全部信じとるよ。
 最初は疑いもあったが、いまは確信しとる。
 ダーウィンの魚ダイエットを実践していたら、皮膚が確かに白くなってきた」

●森の人ピグミー

ピグミーは森の動植物をよく知っていて、利用法を教えてくれる。
だが、ある大きな花について聞いた時は、誰も知らなかった。
「あの植物は使い道がない。だから、名前もない」

// 意外と即物的というか、実用主義というか

●狩りの名手ピグミー

ピグミーは狩りの名手だ。
矢は鉛筆ほどの長さで、矢羽根は一枚だけ。
威力はなさそうだが、毒が塗ってあり、サルなら2分、人間も10分ほどで死んでしまう。

●中央アフリカの英雄ジャン=ベデル・ボカッサ(→Wikipedia)、だが人食いとの噂も…

女性生物学者のウィルマ・ジョージが、休暇に中央アフリカ共和国を訪れた。
幸いなことに、大統領ジャン=ベデル・ボカッサの夕食会に招かれる。
そこで出たポークがとても柔らかかったので、ウィルマはそのレシピを尋ねた。
ボガッサは、客全員を大型冷蔵庫の前に案内し、扉を開いてトレーを引き出す。
トレーの上に載っていたのは、大臣の一人だった。

●学者って奴は…

ウィルマは、そのエピソードをオックスフォード大学の講義で語った。
受講生はみな若い動物学者だ。
その反応は、冷静なものだった。
「どうせ大臣を殺すなら、蛋白質不足を補うためにも、食べるのは道理にかなっていますね」

// いや感染症や寄生虫の危険が…←違うだろ

●村長

「ドングーの世襲村長も霊力の強い男でさ、
 夜になると村中の男という男、男の子という男の子にキスをして歩くのよ。
 うん、毎晩な。みんなわかってんだ。
 だから、朝起きて糞をしに行くだろ?
 そんとき糞の中に精液が混じってると、『やられた、村長にやられた』って言うんだ」

●白人だって

村人「白人は人食いだったな。白人はみんなそうだ。誰でも知っている」
レドモンド「えっ?」
村人「缶詰から出てくるぞ。人の指が出てくる。ソーセージも出てくるが、指も出てくる」

●布教

「お言葉ですが、ここの村人はジーザスなんて信じませんよ。
 ジーザスなんてフランス人の霊ですもん」

// 日本なら八百万の神に追加しちゃうんでしょうね。一人ぐらいは誤差だし。

●暗黒大陸

ベルギー領コンゴでは、白人官僚の死亡率が77%だった。
アフリカ西海岸にいたすべてのイギリス人商人と政府職員のうち、85%は現地で死んだか、
病人として送還されてから本国で死んだ。

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2014年4月10日 (木)

レドモンド・オハンロン「コンゴ・ジャーニー 上・下」新潮社 土屋政雄訳 マルセラン語録

 コンゴ人民共和国(現コンゴ共和国)のテレ湖に住むと言われる、幻の怪物モケレ・ムベンベを訪ね、コンゴへ赴いた無謀なイギリス人レドモンド・オハンロン。道連れはアメリカ人の動物行動学者ラリー・シャファー博士。

 現地のガイドは、なんとモケレ・ムベンベを目撃したと主張する当人、マルセラン・アニャーニャ博士。留学経験もある生物学者で、動植物保護省の職員として密漁を取り締まる立場でもある。女出入りが激しく胡散臭い所はあるが、奥地の事情に通じていて顔も広く、多くの村の有力者とのコネを持つ頼れる男だ…いいコネばかりとは限らないが。

 そんな彼らの旅を、レドモンド・オハンロンの視点で綴ったのが、「コンゴ・ジャーニー」だ。

 本書中で、私が最も気に入ったのが、マルセラン・アニャーニャ博士。

 奥地に生まれて事情に通じ、フランス植民地時代に高等教育を受けて留学し、今は共産党政権の政府の職員として動植物の保護にあたるマルセラン博士。彼の人格は複雑だ。政府職員としてコンゴの発展を望む想い、教養人として世界的な立場からコンゴの現状を俯瞰する視点、そして世襲村長と呪術が支配するバンツー族の感覚を備えている。

 一筋縄じゃいかない性格だし、絡み合った鬱屈を抱えている上に、腹に何か一物隠し持っている様子なので、彼の言葉は素直に信用できない。が、彼の台詞は、混沌としたこの本の魅力に、更なる深みを与えている。

 という事で、マルセラン・アニャーニャ博士の台詞を、幾つか抜き出してみた。雰囲気を掴んで頂けると嬉しい。

●双子

「(コンゴの村で)双子が生まれるのは恐ろしい災いでな、母親が霊と寝たからだと言われている。一度に複数の子を生むなんて、獣と同じじゃないか。で、昔は呪い師が母親を殺して、赤ん坊を森に投げ捨てて、母親の持ち物を全部壊したものだ。その女は誰の先祖にもなれない。存在した事を取り消されるんだ。その日以後、誰も女の名前を口にしなくなる。女の実の母親でさえ名前を忘れる」

●理性と呪術

「フランス人に聞けば、自分たちは理性を信じていると言うだろうが、それは嘘だ。フランスではな、司祭の数たるや膨大なもので、それよりももっと多いのが占星術師さ。司祭と占星術師――魔術を信じるフランスの二大勢力だ。さて、この連中の正体は何だ?」
「その正体は、どちらも呪い師よ」

// 日本も似たようなモンです。
// なんたって、全国ネットのテレビ局で、朝から放送してるのが星占いなんですから。
// 地上波デジタルなんてハイテク使って、流す情報の中身はオカルト。
// エロや暴力より、よっぽど科学教育に悪影響があると思うんですが、
// その手の教育に興味を持つ団体が抗議したって話を、私は寡聞にして知りません。

●近視

「(あの子は)ひどい近眼なんだ」
「ここには眼鏡がない。眼鏡だけではなく、おまえが当たり前と思っているいろいろなものがない。あの子は一生を霧の中で過ごすことになる。狩りができないし、畑でも人並みには働けまい。できることは何もない。オフィスでの仕事、時計の修理――論外だ。当然、嫁の来手がない」

●派遣教師

「この国では、すべての教師が奥地の村で二年間勤めることになっているが、それは建前でな、これ以上行けないというこんな森の中に派遣されてくるのは、貧乏人の子弟ばかりだ」
「いつ病気で死ぬかもしれないし、殺されるかもしれない。急にいなくなっても、誰も気にしない。そんな場所に送られてくるのはなぜだ。家族に金もなく、影響力もない。政府に親戚もいない。だからだ。高原にあるサバンナの村みたいな安全な場所には生かせてもらえない」
「連中は、胸に深い恨みを抱えてここに来る。来て、コンゴの紅衛兵になる。当然、アメリカ人は敵だと子供たちに教える」
「だが、心配無用だ。だってな、誰もそんなことは信じていない。アメリカというのは、好きなだけ肉を食える国、ブルージーンズがもらえる国だ。すべての望みがかなうんだから、誰も呪い師のところになんか行かない」

●刑務所

「エベナに連行して、五日間だけ刑務所に入れておく。五日間というのは、家庭内の殺人や呪いによる殺人に適用される拘置期間なんだが、この辺じゃ、そのどちらでもない殺人なんてないからな」

// 家庭内の殺人の刑が五日間ってのも凄いですが、
// 呪いに殺人罪が適用されるってのも驚きです。
// いっそ、「目には目を、歯には歯を」の理屈で、
// 政府が呪い師を雇い、被告を呪えば丸く収まるのかも。

●政治委員

「どの村でも同じだ。政治委員はな、なるべく素性の卑しいのを選んで村の副議長にするんだ。もちろん、学校に行ったことがあって、共産主義者を名乗っていることが条件だがな。要するに、政府としては世襲村長の力を弱めたいんだ。生まれの卑しい連中は副議長側につくから、どの村も分裂状態にある」

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2014年4月 9日 (水)

レドモンド・オハンロン「コンゴ・ジャーニー 上・下」新潮社 土屋政雄訳

「こいつらはみな貧しい。商売人や村人、要するに三等船客よ。この屋根なしの艀で二週間――いや、三週間――暮すんだ。死人が必ず何人かは出る。夜、寝返りを打って、艀と艀の隙間から水に落ちて死ぬ子供が一人や二人はいる。なにしろ三千人からの人間だからな。いや、もっとか」

【どんな本?】

 イギリス人レドモンド・オハンロンは思った。「コンゴ人民共和国(現コンゴ共和国、→Wikipedia)の奥地テレ湖に住む怪物モケレ・ムベンベを見に行こう」。道連れはアメリカ人の友人で動物行動学者のラリー・シャファー博士,モケレ・ムベンベを目撃したコンゴ人の生物学者で動植物保護省の役人マルセラン・アニャーニャ博士,マルセランの異父弟マヌー,従弟のヌゼ。

 恐らく時は1989~1990年ごろ。木の根につまづき、虫に咬まれ、マラリアに苦しみ、水ぶくれに悩み、泥水をすすり、マニオクとナマズとアオダイカー(→Wikipedia)を食べ、村人に騙され呪われボラれて旅は続く。

 社会主義政権化のコンゴ人民共和国の統治の実情、金と呪術と権力が入り混じったバンツー族やピグミー族の社会、現代文明n利器と伝統的な道具を取り混ぜ厳しい森の中で生きる人々の生活、入り込んだ人間を容赦なく襲う猛々しい哺乳類・爬虫類・昆虫・寄生生物そして森。

 首都ブラザビルから奥地テレ湖まで、激しい生存競争に中に飛び込んだ、無謀な白人の無謀な旅行記。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原初は CONGO JOURNEY, by Redmond O'Hanlon, 1996。日本語版は2008年4月25日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、約373頁+約383頁=約756頁。9ポイント45字×20行×(373頁+383頁)=約680,400字、400字詰め原稿用紙で約1701枚、長編小説なら3冊分ちょい。

 文章そのものは日本語として比較的にこなれている。が、かなり読みにくい。著者オハンロンの視点で一貫しているのはいいが、場面転換が唐突で、動植物の学名が出てきたと思えば過去の追想になるなど、妄想と現実は入り混じる。登場人物の言葉も問題で、そもそも信用できない上に、一見無意味な台詞の中に意味深な一言があったりする。村人の言葉も理解するのに苦労する。舌足らずな言葉使いの奥に、大抵は下心を隠していて、注意深く彼らの意図を探る必要がある。

【構成は?】

  •  上巻
  • 第Ⅰ部 川をさかのぼる
    1. ブラザビルの女占い師
    2. テレ湖の恐竜モケレ・ムベンベ
    3. サルたちの孤児院
    4. 科学研究省人民委員会の面接
    5. コンゴの生物学者マルセラン・アニャーニャ
    6. 汽船を待つ
    7. さっそくマラリアに
    8. ビザはどうした?
    9. インプフォンド号乗船
    10. コンゴ川への船出
    11. マルセランの背負う「家族」
    12. 船長に会う
    13. モサカからインプフォンドへ
  • 第Ⅱ部 サマレの謎
    1. ピグミーに会いたい
    2. インプフォンドの修道士
    3. モタバ川の奥へ
    4. 不穏な村マンフエテ
    5. 踊りあかすピグミー
    6. ジャングルの動物たち
    7. 伯父さんは密猟者
    8. マカオの大いなる呪い師
    9. 森をゆく隊列
    10. ピグミーの知恵と力
    11. ベランゾコ村の長老
  •   下巻
  • 第Ⅱ部 サマレの謎(承前)
    1. ガンジャと謎の男
    2. 丸木舟が来るまで
    3. アメリカ人の牧師夫妻
    4. ラリーの帰国
  • 第Ⅲ部 幻のモケレ・ムベンベ
    1. ジュケ村で出発を待つ
    2. ムブークー村の恵みの森
    3. リクーアラ川を行く
    4. ボア村とブルース・チャトウィンの思い出
    5. 湿地ジャングルを行く
    6. ついにテレ湖へ
    7. 赤ん坊ゴリラの母親になる
    8. お守りのおかげ
    9. レドソの呪い小屋
  • 訳者あとがき

【感想は?】

 へっぽこ白人旅行者の、へっぽこコンゴ紀行。

 いや、それなりに学識はある人なのだ、著者のレドモンド・オハンロンは。アチコチに動植物の学名が出てくるし、観察眼もある。現物を見て特徴を捉え、図鑑をめくれば動植物の名前もわかる。

 が、この本の中の著者は、どうしてもへっぽこに見えてしまう。というのも、舞台が極端な弱肉強食の競争社会たからだ。当事のコンゴ人民共和国はソ連の影響下にある社会主義国だが、そこに生きる人々は金と利権とポジションを巡り激しく争っている。

 これは首都ブラザビルだけでなく、奥地の村も同じだ。村の村長同士は互いの威厳を賭け争い、他の村に恥をかかされた男はなんとしても汚名を返上しなければならない。争っているのは人間だけじゃない。森の生活は、一時も気が抜けない。ヒョウやニシキヘビなど肉食獣はもちろん、サスライアリの群れに襲われたらたちまち白骨になってしまう。

 冒頭の引用は、首都ブラザビルから北東部の都市インプフォンドへ、コンゴ川を遡る汽船に乗る場面。大型の汽船を多数の艀が支援して航行する大型船で、「三千人からの人間」が乗っている。その大半は青天井の甲板に寝泊りだ。駆け回る子供の事故もあるし、沿岸の村から乗客相手に商売する丸木舟もやってきて、不運な船乗りは艀に巻き込まれる。

 首都ブラザビルはコネとカネで動く。必要な書類を揃えるにも、賄賂が必要だ。ここで「都会は汚れている」なんて呆れていたら、奥地に向かう中盤から後半では、更に呆れるだろう。

 例えば、マカオ村からベランゾコ村へ向かう場面だ。ここではマカオ村の村長のあっせんで、ミシェル・ワレンゲとアントワーヌ・モキトの二人を雇う。この雇用には事情があり、村長も説明してくれる。ところが、どうも裏があるらしい。その裏事情を、マルセラン・マヌー・ヌゼの三人の説明は、全く違っているのだ。何か村長同士の沽券に関わる因縁があるらしいのだが…

 この結末が、いかにもご都合主義で笑ってしまう。こういう所がへっぽこと感じる所以。鬱陶しい村同士の意地の張り合いのツケは、なぜかオハンロンに回ってきて、四千CFAをもぎ取られるのだ。

 恐らく著者は温厚で誠実な人間なんだろう。だが、コンゴじゃそういう人間は食い物にされる。それを見事に象徴しているのが、同行するマヌーとヌゼ。いずれもマルセラン博士の血縁で、家庭を持つ若い男。この両者の性格が綺麗な対象をなしていて、混乱する物語を理解する助けになる。

 慎重で温厚で学究肌、誠実で家族想いのマヌー。お調子者で気分屋、大口ばかり叩き後先考えず、だが人を出し抜き女を口説く術には長けているヌゼ。道中もレドモンドにたかった金で女を口説きまくり、毎晩寝る間もなくハッスルしちゃ性病を貰ってくる。

 ハッキリ言ってヌゼはチンピラまがいの嫌な奴なんだが、この本の舞台のコンゴじゃ、どう考えても将来成功するのはヌゼだろう、と思えてくるからやるせない。嘘でもハッタリでも、「奴は強い」と思わせたほうが勝ちなのだ。

 この「強い」、コンゴの地じゃ一筋縄じゃいかない。体格・体力ばかりでなく、コネをいかに利用するか、周囲をいかに扇動するか、目先の利益をいかにカスめるか、相手をどう貶めるかなど、口先が巧く目端が利く者が有利となる。根拠のない自信にあふれ、スキを見ては紛れてマヌーを貶し、レドモンドからたかりまくるヌゼこそ、有望な若者に見えてしまう。

「ここはアフリカだからな。リンガラ語にはありがとうという言葉がない。誰かに贈り物をするのは、向うにもらう権利があるからだ。それか、家族の一員か、こっちが向うに何かを期待しているときだ」

 厳しい社会だが、読むと、「そりゃそうなるよなあ」と思えてくるのが、現地コンゴの自然環境。主人公のレドモンドも、首都ブラザビルで早速マラリアにやられる。川にはワニが潜む。アカスイギュウは人の足を舐め骨だけにする。ツェツェ蝿は眠り病を、蚊はマラリアと象皮病を媒介し、ヌゼは淋病を媒介し、村にはイチゴ腫(→Wikipedia)が蔓延する。

 人の死があふれている、苛烈な世界なのだ。日常のリスクが大きいので、長期的な計画はオジャンになる可能性が高い。だから、まず目先の確実な利益をカスめる戦略のほうが有利なのだ。

 そこに社会主義が入り込んで権力構造をゆさぶり、呪術が混乱に拍車をかける。留学経験まであるマルセラン・アニャーニャ博士は、同時に政府の役人でもある。高い科学的な素養に加え、役人として政府の権力闘争も知る教養人だが、同時にバンツーの有力者の血筋でもある。現代コンゴの矛盾を一身に背負った人物だ。

 女出入りが激しく胡散臭い彼の言葉は、なかなか底が知れない。読み終えた今でも、やはり底が知れないが、その理由の一端は見えた気がする。世襲村長と呪術が支配する従来のコンゴと、発展を目指す現代のコンゴ。教養のないヌゼは自分の利益だけを考えてアッサリと割り切れるが、全体を俯瞰する視野を持つマルセランは割り切れないんだろう。

 無謀なへっぽこ白人の冒険紀行として読み始めたが、進むに従いコンゴ社会の複雑さや苛烈さも見えてくる。確かに自然は豊かだが、そこで生きる人間は狡猾だ。混沌とした現代のコンゴを、そのまま読者に突きつけ熱病で悩ませる、そんな本だった。

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2014年4月 6日 (日)

森岡浩之「星界の断章Ⅲ」ハヤカワ文庫JA

「そのために陛下(エルミトン)がいるのではなくって? あたくしだって皇族(ファサンゼール)の存在意義がスポールに馬鹿にされるだけしかないなんて、不敬なことは思っていないのよ」
  ――「野営―ペネージュの場合―」

【どんな本?】

 遠未来を舞台に、超光速航法「平面宇宙航法」を駆り宇宙空間を支配する種族アーヴを描く、人気スペース・オペラ「星界の紋章」シリーズの番外編にして最新刊。DVD-BOXやCDドラマの付録として収録された「野営」「出奔」などのほか、SFマガジンに発表した「介入」「海嘯」に加え、書き下ろしの「来遊」を収録した短編集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年3月25日発行。文庫本で縦一段組み、約290頁。9ポイント39字×17行×290頁=約192,270字、400字詰め原稿用紙で約481枚。長編小説なら標準的な分量。文章そのものは読みやすい。ただ、長編シリーズの番外編であり、ファン向けの色が濃いので、星界シリーズを知らない人には辛いかも。

【収録作は?】

 / 以降は初出。

野営 /
 「野営―ドゥサーニュの場合―」 『EMOTION the Best 星界の紋章 DVD-BOX』付録(2010年5月)
 「野営―ペネージュの場合―」 『EMOTION the Best 星界の戦旗 DVD-BOX』付録(2010年6月)
 「野営―ノールの場合―」 『EMOTION the Best 星界の戦旗 Ⅱ・Ⅲ DVD-BOX』付録(2010年6月)
 修技館を志望する動機は、大きく分けて三つある。一つは義務として入学する者。第二に、特権を受け継ぐために受験する者。第三に、権利として入学する者。
 修技館のお野営地では毎日、掲揚式と降納式を行なう。式を執り行うのは訓練生から選ばれた衛旗士だ。任期は一日、降納式から翌朝の掲揚式まで、帝国旗を預かり一晩保管する。
 これぞ正しいキャラクター小説。同じ状況に三組のコンビを叩き込み、それぞれの反応の違いを楽しむお話。やはり傲岸不遜で豊かな罵倒の語彙をスポール閣下が披露する「野営―ペネージュの場合―」は、勢いがあって楽しい。「野営―ノールの場合―」は、大人気のあのお方が主人公を務め、鮮やかな噴火を披露してくれる。
出奔 / 『星界の断章オーディオドラマCDブック with 星界の紋章&星界の戦旗』(2011年3月)
 13歳の時、ドゥヒールは家を出ようと考えた。専用の交通艇はあるが、完全手動操縦はできない。それは翔士叙任まで待たねばならない。そこに、叔母のラムリュークが王宮に滞在するとの情報が入る。この機を逃す手はない、と考えたドゥヒールは…
 何かと姉ちゃんと比べられ、窮屈な思いをしているドゥヒール君が、一念発起してやらかすお話。考えてみると、周囲にいるのは老成した大人と優秀な姉だけって環境は、なかなか辛いもんがあるよなあ。
介入 / <SFマガジン>2013年5月号
 ベリサリア星系は、危機に陥っていた。スーメイ人が強制執行艦隊を擁し、取立てに現れたのだ。一標準年以内にサトゥルノ大陸を引き渡せ、と。政府交渉官のアルコ・アウゴは、伝令として自転車で走り回る。政府は地下の秘密政庁で大統領スキピア・ケセルや野党のグスト・コントが集まり…
 陰険な会話が巧いこの作者、この短編では政治家同士の「話し合い」の場面で筆が冴える冴える。特に乱入者のグスト・コント、彼の下心たっぷりの混ぜっ返しが、いかにも腹黒な野党政治家の憎ったらしさがよく出てる。
誘引 / <月と星の宴>2007年8月
 戦列艦<ボーリンシュ>の翔士食堂で、セスピーは列翼翔士および四等勲爵士に叙せられる。同時に、フェリーグにも。傍流とはいえスポールの気質を充分に持つフェリーグに、最初は戸惑ったセスピーだが、もう慣れたし、それほど嫌な奴でもない。
 うん、まあ、アレだ。スポールってのは、遠くから見ているからいいんであって、あまり近づいてはいけないのですね。
海嘯 / <SFマガジン>2013年10月号
 貨客船<ギューシュ・アルビゼラ>第一船艙に姿を見せたラムリューヌを、飼育官のスナカシュは喜んで迎える。ここには数百頭の山羊がいる。往還艇に乗せるため、睡眠槽から出していたのだ。さすがにこの数となると匂いも強烈で…
 会話が楽しいこの作者、ここではスナカシュとクファバールの対照が味わおう。いいずれも自分の職務に熱心に励んでる人なんだが、互いに極端な形でコミュニケーションがアレだったりする。私が勤めるならスナカシュと同じ職場がいいなあ。
離合 / <SFマガジン>2014年1月号 「岐路」改題
 <アーヴによる人類帝国>の都ラクファカールは陥落しようとしていた。特設工作艦<クニュムラゲール>の艦橋で、コンサ千翔長は独立戦隊を率いている…といっても、貨物船を特設工作艦と称した<クニュムラゲール>だけだが。
 大人気のあの方の出生の秘密が語られる作品。にしても、アーヴってのは、なんだってこう、偏った性格の人ばっかりなんだろうw
来遊 / 書き下ろし
 これは30番目の氏族の話だ。それは帝国の創建前。わたしロビート・ボイガは都市船<アブリアル>で星々を巡った最後の世代だ。その時に訪れた人類社会は、ラ・ゲルシスマという星系だった。人口も500万人ほど、科学技術も維持がやっとで、交易相手としては物足りない。<アブリアル>は補給のため8.1光年先の星系に立ち寄り…
 平面宇宙航法の誕生にまつわる話。偏った人ばかりが出てくるこの本でも、最後を飾るに相応しい人が登場する。イギリスだったかな? そこの数学研究所は、学者たちの交流を盛んにするために、部屋には扉がなくて、エレベーターにはホワイトボードが置いてあるとか。

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2014年4月 3日 (木)

アザー・ガット「文明と戦争 上・下」中央公論新社 石津朋之・永末聡・山本文史監訳 歴史と戦争研究会訳

しばしば見過ごされがちな点なのだが、非常に高い死亡率を伴うような集団間の紛争においては、進化作用が働くために差し引き獲得量は必要ではない。なぜなら、死者を伴う集団間の紛争は、それぞれの集団名で生き残った構成員に対する内部の資源への圧力を減じることで、同時に集団内の淘汰をもたらすからである。

【どんな本?】

 なぜ人間は戦争するのか。いつから人類は戦争をしていたのか。農業や内燃機関などの文明は、戦争を増やしたのか減らしたのか。国家が戦争を求めたのか。民主主義は戦争を減らすのか。なぜ西欧の文化が世界を制覇したのか。

 考古学・文化人類学・歴史学・政治学・経済学・社会学・哲学から生物学まで、広範囲にわたる資料や著述から、戦争に至る原因・目的から、参戦者の社会構造や事情・規模・経緯・頻度そして影響を洗い出し、人類史のスケールで戦争の実態を描き出すと共に、従来の戦争論への批判を加え、また今日の民主主義国家が直面している危機と将来の展望を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は War in Human Civilization, by Azar Gat, 2006。日本語版は2012年8月10日初版発行。私が読んだのは2012年9月20日発行の再版。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約427頁+442頁に加え解説論文「アザー・ガットと『文明と戦争』」17頁の計886頁。9.5ポイント47字×20行×(427頁+442頁+17頁)=約832,840字、400字詰め原稿用紙で約2083枚。文庫本の長編小説なら4冊分の巨大容量。

 学者が書いて学者が訳した本でもあり、いささか文章は硬い。また内容も歴史の広い範囲を高いレベルで扱うので、かなり歯ごたえがある。アフリカ・ヨーロッパ・アジア・南北アメリカと世界中の歴史から題材を取っているが、欧米の知識人を読者として想定しているためか、アフリカや中南米の事例は詳しく背景や経緯を説明している反面、古代ギリシャについては、やや不親切。

 なお、実際の著者や訳者を隠すため集団名を名乗る場合があるが、この本の「歴史と戦争研究会訳」は、そういうシロモノではない。下巻の末尾で、翻訳者と担当した章を明示しているので、以下に示す。

石津朋之:序文・謝辞・第一章・第八章・第一三章/大槻祐子:第四章/菊池哲史:第一二章/小窪千早:第六章/塚本勝也:第一〇章/永末聡:第二章・第九章・第一七章/孫崎馨:第五章/松原治吉郎:第一五章/三浦瑠璃:第七章/森本清二郎:第一三章/矢吹啓:第一四章/山下光:第一六章/山本文史:第一一章

【構成は?】

  •   上巻
    • 序文―戦争の謎/謝辞
  • 第一部 過去200万年間の戦争―環境、遺伝子、文化
    • 第一章 はじめに―「人間の自然状態」
      • 動物と人間について
    • 第二章 平和的それとも好戦的―狩猟採集民は戦ったのか?
      • 第一節 単純狩猟採集民―オーストラリアという「実験室」
      • 第二節 複合狩猟採集民による戦争
    • 第三章 人間はなぜ戦うのか?―進化論の視点から
      • 第一節 先天的だが選択的な戦争
      • 第二節 進化論上の計算
      • 第三節 より大きな集団
    • 第四章 動機―食料と性
      • 第一節 自給自足のための資源―狩猟のための縄張り、水、住まい、原材料
      • 第二節 生殖
      • 第三節 幕間―男性は獣か?
    • 第五章 動機―入り組んだ欲望
      • 第一節 支配―序列、地位、特権、名誉
      • 第二節 復讐―排除し、抑止するための復讐
      • 第三節 力と「安全保障のジレンマ」
      • 第四節 世界観と超自然的なもの
      • 第五節 混ざり合った動機―食人
      • 第六節 遊び、冒険、加虐嗜好、恍惚
      • 結論
    • 第六章 「未開の戦争」―どのように戦われたか?
      • 第一節 戦闘、待ち伏せ、急襲
      • 第二節 非対称的な第一撃による殺害
    • 第七章 結論―人類の発展状態における戦闘
  • 第二部 農業、文明、戦争
    • 第八章 はじめに―進化する文化的複雑性
    • 第九章 農耕社会と牧畜社会における部族戦争
      • 第一節 農耕の出現と普及
      • 第二節 農耕の普及における武力紛争
      • 第三節 部族社会
      • 第四節 部族の戦争
      • 第五節 牧畜部族の戦争
      • 第六節 原初の騎馬遊牧民
      • 第七節 武装従者―部族からの以降における富と武力
      • 第八節 首長社会
    • 第一〇章 国家の出現における軍隊
      • 第一節 地方の小国、もしくは国家形成における戦争
      • 第二節 都市国家の盛衰における戦争
  •  注/写真・絵画の出典
  •   下巻
    • 第一一章 ユーラシア大陸の先端―東部、西部、ステップ地帯
      • 第一節 王の馬兵―時間と空間における馬、歩兵と政治社会
      • 第二節 封建制とは何か
      • 第三節 準封建制と中央集権官僚軍事機構
      • 第四節 国軍歩兵と騎士階級の没落
      • 第五節 帝国の興亡
      • 第六節 騎馬戦士とステップ地帯の帝国
      • 第七節 西洋隊東洋
    • 第一二章 結論―戦争、リヴァイアサン、そして文明の快楽と悲惨
      • 第一節 強制構造と幾何級数的な発展
      • 第二節 クィ・ボノ―誰の利益か? 物質的要因
      • 第三節 性とハーレム
      • 第四節 快楽の園とその門前で炎の剣を握るケルビム〔智天使〕
      • 第五節 権力と栄光の追求
      • 第六節 血縁、文化、観念、理想
      • 第七節 戦争―真剣な目標のための真剣なものか、はたまた馬鹿げたものか?
  • 第三部 近代性―ヤヌスの二つの顔
    • 第一三章 はじめに―富と権力の爆発
    • 第一四章 大砲と市場―ヨーロッパ新興諸国とグローバルな世界
      • 第一節 ヨーロッパの「会い争う国家」の出現
      • 第二節 何が「軍事革命」を構成したのか?
      • 第三節 国家と軍隊
      • 第四節 海洋覇権と商業・財政革命
      • 第五節 市場体制と軍事能力
      • 第六節 印刷工、国民、平民軍
      • 第七節 近代の戦争―近代の平和
    • 第一五章 縛られたプロメテウスと解き放たれたプロメテウス―機械化時代の戦争
      • 第一節 技術の爆発的発展と力の基盤
      • 第二節 冨、技術、兵器
      • 第三節 大国と国民国家の戦争
      • 第四節 帝国の戦争
      • 第五節 全体主義の挑戦とその敗北の理由
      • 第六節 結論
    • 第一六章 裕福な自由民主主義諸国、究極の兵器、そして世界
      • 第一節 「民主主義による平和」はあるのか?
      • 第二節 「民主主義による平和」再考
      • 第三節 他の関連要因、独立要因
      • 第四節 自由主義の戦略政策―孤立主義、宥和、封じ込め、限定戦争
      • 第五節 平和地帯としての先進世界?
      • 第六節 近代化された社会と伝統的社会はどこで衝突するのか
      • 第七節 非通常テロと新世界の無秩序
      • 第八節 結論
    • 第一七章 結論―戦争の謎を解く
  • 解説論文―アザー・ガットと『文明と戦争』
  • 注/写真・絵画の出典/翻訳者紹介/索引

【感想は?】

 巻末の「解説論文――アザー・ガットと『文明と戦争』」が、本の紹介としてとってもよく出来てる。いっそ丸写ししたいんだが、さすがにそれは芸がなさ過ぎる。「頭悪い奴がどう読んだか」という観点で、この記事をお読み頂きたい。

 なんと言っても、扱っているスケールがデカい。書名は「文明と戦争」だが、「人類史と戦争」ぐらいの感覚だ。目次を見ればわかるように、上巻の末になって、やっと国家が出現する。それまでは文字による記録がない時代なので、歴史と言うより考古学と人類学の範疇で話が進む。

 実はこの辺、ジャレド・ダイアモンドの「昨日までの世界」やマット・リドレーの「繁栄」と、少々ネタがカブる。「昔の人は平和に共存していた」なんてのは幻想で、実は狩猟採集民は際限なく戦争ばっかりやってて、暴力による死者も多かった、そんな話だ。

 「移動生活する民族は土地に執着しないように思われるけど、狩猟採集民も縄張りを持ってて、厳格にそれを守ってる」とか、「集団内で起こる暴力沙汰のほとんどが不貞行為に端を発していた」とかも面白いが、戦争の実態も興味深い。

 集団同士の戦争は、大きく分けて二種類ある。一つは決戦型で、両軍の戦士が揃って正対する。こっちは主に罵りあいとと口喧嘩で、槍を投げあったりもするけど、互いにギリギリ届かない程度の距離でやりあう。だもんで、死傷者も少ない。ほとんど儀礼的、どころか手打ちを意図した場合も多い。

 もう一つは奇襲・夜襲・急襲で、こっちは一方的な虐殺と略奪が目的。「未開人は平和」が幻想なら、「正々堂々たる戦士」も幻想だったわけ。

 ここで面白かったのが、幻想のルーツを解き明かす部分。

 著者は勘違いの根源をルソー(→Wikipedia)だ、としてる。その幻想に踊らされ、1960年代までの文化人類学者は予断に満ちた観測を行い予断に沿った結論を出し、動物行動学でもコンラッド・ローレンツ(→Wikipedia)が「同種内で死に至る戦いをするのは人間だけ」なんて間違いを敷衍させてしまった。思い込みってのは、怖い。

 実際には、確かに成体同士の戦いじゃ命のやりとりまでする事は少ないけど、それは敵も必死になるから優勢側も怪我する危険が増すからで、圧倒的に劣勢な相手、例えば幼獣相手なら容赦なく殺すよ、って事らしい。つまり圧倒的な優勢が確保できたら、徹底的にヤるわけで、先の正面決戦と奇襲・夜襲の違いも、ソコに求めている。

 お互い襲撃されちゃ困るんで、砦を作って防御に努める。農耕による定住も相まって、砦は都市へと発展してゆく。下巻に入ると、馬の導入から封建制へと話が進み、農民を基盤とした国家 vs 遊牧民へと広がってゆく。

 機動力に勝る遊牧民に対し、鈍重な歩兵を中心とした国家は対応できない。にも関わらず遊牧民が帝国を築けたのはチンギス・ハンの一度だけ。「彼らは襲撃し、貢ぎ物を要求したが、支配権を握ろうとはしなかった」。目的は略奪であって、支配じゃない。なお、東ヨーロッパは蹂躙されたけど、西ヨーロッパは大丈夫だったろう、と著者は予想している。

東アジアや西南アジア、南アジアや東ヨーロッパとは異なり、山、河川、森などに遮られ、起伏に富んだ西ヨーロッパの地形には、遊牧民の生存と生活様式に不可欠である、馬や家畜のための遮るもののない広大な牧草地が存在しなかったからである。

 日本も海があって本当に良かった。
 やがて火薬・航海術・活版印刷による近代の覚醒を経て、蒸気機関による産業革命へと話は進む。

 ここで重要なのが、人口の急増と生産性の話。それまで生産性の向上は人口増加でチャラだったのが、「工業化以前から現在まで生産性が50倍から100倍」に対し、「人口増加は平均して4倍から5倍程度」で、割り算すると「人口一人あたりの生産性の増加は15倍から30倍」。「昔は子沢山だった」みたく言われてるけど…

歴史的に見て、死亡せず成長したために多くの子供を抱えた家族というのは過渡期の現象であり、工業化初期に経験される人口の爆発的増加の期間に限定されている。

 それまでは沢山生まれてたけど沢山死んでたんで、生きてる兄弟の数は多くなかったわけ。

 終盤は民主主義と戦争の関係で、「民主主義国家は戦争しない」という主張を、肯定・否定双方の立場で検討しているが、ここでは素直に「結局、アメリカ合衆国次第だよね」とミもフタもない現実を突きつけてくる。

 古代どころか人類史の曙にまで遡るスケールの大きさ、随所で出てくる全人口と常備兵の比率などの数値で検証しようとする科学的な姿勢、幻想を打ち砕き現実を直視する態度など、姿勢はジャレド・ダイアモンドやウイリアム・H・マクニールに近い。「銃・病原菌・鉄」に比べいささか専門的だが、現代の歴史認識の方向性はヒシヒシと伝わってくる本だ。

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2014年4月 1日 (火)

チャールズ・J・シールズ「人生なんて、そんなものさ カート・ヴォネガットの生涯」柏書房 金原瑞人・桑原洋子・野沢佳織訳

当時、カートは小説が売れる市場を研究中で、株式市場レポートさながらに、なにが売れるかを分析し、ひとつの短編小説家らできるだけ高額の原稿料を得るために、「卵分別機」メソッドを使っていた。だがようやくSF貧民屈から抜け出せたのだ。

【どんな本?】

 「プレイヤー・ピアノ」「タイタンの妖女」「猫のゆりかご」「スローターハウス5」などの傑作を生み出し、SFファンのみならず多くのファンに愛された、アメリカの小説家カート・ヴォネガット。達観したかのようにシニカルながら、ユーモア溢れる作風の彼の実態は、酒飲みでヘヴィ・スモーカー、癇癪もちで家族との葛藤を抱えた、だがユーモアのセンスに溢れる男だった。

 意外なカート・ヴォネガットの性格と、鬱屈を抱えた人生を赤裸々に描く、ヴォネガットのファンには少々苦い伝記。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は AND SO IT GOES - Kurt Vonnegut : A Life, by Charles J. Shields, 2011。日本語版は2013年7月25日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで全677頁、本文約592頁+訳者あとがき3頁。9.5ポイント45字×20行×592頁=約532,800字、400字詰め原稿用紙で約1332枚。文庫本なら2冊分ちょいぐらいの大容量。

 文章はこなれている。内容も難しくない。当然ながら、ヴォネガットの作品を読んでいる人ほど実感がわく。また、アメリカの現代文学に詳しければ、更によし。

【構成は?】

序章 絶版、そして死ぬほどびくびくして
一章 おまえは事故だった 1922~1940
二章 この丘いちばんのばか 1940~1943
三章 新婚用スイートで戦争へ 1943~1945
四章 民俗社会と魔法の家 1945~1947
五章 そんなに頭の固いリアリストにならないで 1948~1951
六章 死んだエンジニア 1951~1958
七章 子ども、子ども、子ども 1958~1965
八章 作家のコミュニティ 1965~1967
九章 大ブーム 1967~1969
十章 さよなら、さよなら、さよなら 1969~1971
十一章 文化的官僚主義 1971~1974
十二章 盗作 1975~1979
十三章 ミスター・ヴォネガットを探して 1980~1984
十四章 著名人と呼ばれて 1984~1991
十五章 死を待ちながら 1992~2007
付録 ヴォネガット家―リーバー家の歴史
 訳者あとがき/註/参考文献

【感想は?】

 容赦ない作品だ。

 カート・ヴォネガットの作品は、初期の「プレイヤー・ピアノ」から、重い絶望が漂っていた。時代を経るに従って、絶望の色が濃くなってゆく。ヤケになったようなユーモアは、ずっと変わらなかったけど。

 そのためか、この本にも、ずっと陰鬱な雰囲気がつきまとう。ヴォネガットの心の中にまで踏み込み、少年時代の育成歴を掘り起こし、優秀な科学者でもある兄との軋轢まで暴き出してゆく。この本で描かれるヴォネガットは、作中のペーソス溢れるヴォネガットではない。子どもっぽく気まぐれで、気が短く癇癪もちで、学歴や名声に拘る俗物だ。

 インディアナ州インディアナポリスの富裕階級に生まれたカートだが、不況などで生活は苦しくなってゆく。とくにお嬢様育ちの母イーディスは、裕福な生活に戻れずふさぎ込む。やがてゼネラル・エレクトリックで研究者となる兄のバーナードに対しても、「兄はほんとうに、ぼくの人生をめちゃくちゃにした」と怨みごとを言っている。

 カート自身も、かなり衝動的な人間で。学生新聞での活躍もあり、兄と同じゼネラル・エレクトリックで安定した職を、作家になるため放り出してしまう…エージェントのノックス・バーガーは引き止めるのだが。最初の奥さんのジェインもできた人で、全面的にカートを支持する。その後、散々に苦労するんだけど。

 家事育児に関しては完全に無能な人らしく、そっちはジェインが必死に支えていた様子。後にカートの浮気や本気もあって、最後まで苦労しっぱなしのジェイン、この本の中では家事育児に限らず、編集者・校正者・アドバイザーとしてもカートを支えていた様子。

 と、カートの印象は、我侭な坊やが、そのまんま大きくなったような感じだ。

 それでもビジネス感覚には長けた所もあって。例えばテレビを買った時には、「小説を発表する場であるスリック雑誌は衰退する」と、見事に未来を見通している。アイイオワ大学で創作講座を受け持った時の内容も、極めて実際的。

「きみたちは、エンターテイメント業界にいるんだ。まずやらなければいけないのは、読者の気を引き、読ませ続けるということだ」カートはそういうと、主人公の女性の歯の間になにかが挟まってしまい、彼女がそれをずっと舌で押し出そうとしていいる話を例に挙げた。「これで読者は気になって仕方がなくなる。だから先を読む。この女は歯に挟まったものを取り出せるのか、取り出せないのか?」

 商業主義のアメリカでも、当事じゃ画期的だったろう。

 苦労した「スローターハウス5」が、若者たちの支持を得て大ヒットし、人気作家になった以降の、世間のイメージとのギャップも苦い。ヒッピーっぽい人物と思われていたが、「むしろ、保守派だった」。

この「保守」、現代日本の愛国を叫ぶ保守とは、思想が全く違う。小さい政府と小さい軍を望む孤立主義で、個人の自由を最大限に尊重する立場だ。カート自身は不可知論者で、宗教色を嫌う。つまり古き良きアメリカを好む立場で、リバタリアンが近いかも。当事のヒッピー文化は変に神秘主義や共産主義が入っている上に、伝統を否定する。その辺が良識を重んずるカートと相容れない部分だろう。

 彼の作品には、彼自身が頻繁に登場する。そのため、読者は、「小説は架空のお話である」由を忘れてしまう。とはいえ、この本の中でドレスデンでの体験を描く部分は、小説にそっくり。他にも「青ひげ」など代表作の登場人物のモデルを明かしてして、それもこの本の楽しみのひとつ。

 ブームは彼に名声と商業的成功をもたらすと同時に、家にもファンが押し寄せてくる。このあたり、大らかな当事の様子が伺えて面白い。この成功の理由を、「もしカートが成熟した大人だったなら、若者たちの世界観を的確に捉えることはできなかっただろう」と著者チャールズ・J・シールズは皮肉に解釈している。

 最初のエージェントであるノックス・バーガー、最初の妻ジェイン,そして二番目の妻ジルとの関係などは、かなり手厳しく赤裸々に書いている。カートに心酔している人にとっては、面白くない部分かも。

 SF関係では、シオドア・スタージョンやヂリップ・K・ディック、フレデリック・ポールなどが少し顔を出すが、あくまで単発エピソードの位置づけなのが、SF者としては切ない。SF大会の話は全くないし。カート本人も収入や名声の面でSF作家扱いは好まなかった様子が、行間から伺える。当事のSFは、そういう位置づけだったんです。今後はスティーヴン・キングやジョージ・R・R・マーティンのお陰で、変わっていくだろうけど。

 晩年に住んだノーサンプトンの大家ケリー・オキーフの人物評が、彼を最も巧く著している気がする。「魅力的だけど、偏屈で未熟で自分勝手」。だからこそ世界に絶望するんだし、絶望ゆえに(捻くれた)ユーモアを必要とする。

 著者チャールズ・J・シールズの眼差しはファンの暖かい目ではなく、研究者の冷静な目だ。カートの内心の鬱屈にまで踏み込み、愛人との関係から作風の変化を読み取ろうとする。今、カート・ヴォネガットのファンである人には、少し辛い本かもしれない。でも、かつてファンだった人、今は抜け毛や白髪が気になる人なら、特に終盤の展開は身につまされるだろう。人間ってのは、歳食えば成熟するってモンじゃないのだ。

 ハイホー。

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