石引之・石紀美子「鉄条網の歴史 自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明」洋泉社
戦争ではじめて使われたのは、1889年にキューバとフィリピンが舞台になった米国スペイン戦争(米西戦争・〔第四章〕)である。スペイン軍が、キューバで砦の防備のために約400メートルにわたって牧場用の鉄条網を張ったのが軍事利用の最初といわれる。
【どんな本?】
紛争地帯や強制収容所などの物騒な状況の象徴である鉄条網は、アメリカのイリノイ州デカルブに住む農夫のジョゼフ・グリッデンが実用化した。その目的は、家畜に荒らさせる妻の花壇を守るためだった。安く手軽に施設できる鉄条網は、農民に大好評だった。
土地を簡単に区分けし、人や大型動物の行き来を妨げる鉄条網は、やがて世界中に広がり、様々な紛争や残虐行為の道具となってゆく。合衆国の環境破壊・戦場での塹壕戦・強制収容所・軍事境界線など、鉄条網のある景色を中心に、20世紀以降の人類の歴史を顧みる。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2013年3月11日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで約286頁。9.5ポイント43字×17行×286頁=約209,066字、400字詰め原稿用紙で約523枚。標準的な長編小説の分量。
著者は元ジャーナリストだけあって、文章はこなれていて読みやすい。20世紀以降の世界史と広い範囲を扱う本だが、背景事情を簡潔かつ分かりやすく説明しているので、不思議なくらいスラスラと事情が理解できる。見慣れない地名も随所に出てくるが、適切な所に地図を載せているので、特に地理の知識も要らない。中学生でも読みこなせるかもしれない。いささか内容が強烈なので、あまり若い人には勧めないが。
【構成は?】
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【感想は?】
表紙が象徴するように、かなり気の滅入る本だ。
第一章から第二章は、アメリカ合衆国の開拓史が描かれる。西へ西へと膨張してゆくアメリカと、その過程で起きる軋轢。無限と思える土地を目の前にして、際限のない自由競争の果てがどうなるのか。西部劇ではよく見るが、我々日本人はよく知らない、大牧場主と農民の対立という構図の舞台裏が、分かりやすくかつ切実に語られる。
つまりは互いに規模を大きくしようと競争した結果、土地に多大な負荷をかけ、そのツケがダストボウル(→Wikipedia)となって襲い掛かるまでを描いてゆく。私は昔から「どうも欧米の環境保護団体って過激だよなあ」と思っていたんだが、ここを読んで納得できた。宗教的な部分もあるだろうが、経験で思い知ったた部分も大きいんだろう。自らの手で大平原(→Wikipedia)を破壊し、合衆国全土を砂塵に埋めたのだから。
次の第三章では、戦争での利用が描かれる。有名なのは第一次世界大戦の塹壕戦だ。安く簡単に施設できて、砲撃でも壊れない。視界をさえぎらず、敵からは見つけにくい。杭で立てるだけじゃなく、「マット状に広く地面に広げておけば、匍匐前進して攻めてくるのを阻止する効果があった」。それでも戦車には潰されるが、ノモンハンのソ連は…
「低張鉄条網」である。直径40~50cmほどの輪状や格子状にした鉄条網を地面に敷き詰めたものだ。
そこに、日本軍の戦車が突っ込むと、キャタピラーを動かしている起動輪や転輪に絡みついて動きがとれなくなる。
おお、賢い。
続く第四章と第五章は、強制収容所がテーマとなる。ここでは有名なナチスのユダヤ人収容所も出てくるが、私には南アフリカがボーア戦争を経てアパルトヘイトへ至る過程と、NATOが介入した旧ユーゴスラビア内戦の背景事情を、わかりやすく描いてくれたのが嬉しい。
飛んで第七章も、なかなか気の滅入る内容。ここでは、北アメリカ・南アメリカ・アフリカ・オーストラリアでの先住民虐待の歴史を描いている。ここでは、特にブラジルでのグアラニー族(→Wikipedia)の支族カイオワ族の現状に胸が痛む。起きていることは、かつて北アメリカで起こった事とほとんど同じなのだが、現在進行形なだけに、迫力が違う。
など、読んでいて苦しい話が続くこの本だが、ラストの第八章は少しだけ明るい。舞台は中国と北朝鮮の国境,韓国と北朝鮮の軍事境界線、チェルノブイリの事故跡、そして福島の事故跡。ここで面白かったのは、チェルノブイリの生態系の変化。
まず、ネズミが爆発的に増える。「野ネズミの数はそれまでの1haあたり20~30匹から、2500匹」って、100倍以上だ。取り入れてない作物を食べて増えたのだ。駆除を考える政府に対し、生物学者は予言する。「すぐに個体数は安定する」。事実、猛禽類や肉食獣が来た上に、餌がなくなって、ネズミの数は元に戻る。どころか…
石棺(事故を起こした四号炉)付近に放置された掘削機の上に止まっているワシミミズク(→Wikipedia)の姿も目撃された。羽を広げると1.8mにもなる大型のフクロウで、絶滅危惧種に指定されている。
などと生態系は回復を見せていて…
チェルノブイリ原発事故は、高濃度の放射能被爆によって深刻なダメージを受けた生態系が、今後どう変化していくかという「実験場」になり、世界中から多くの科学者が調査や研究にやってきた。
今の所、楽観論と悲観論がせめぎあってて、「個体数が増えている」って説と、「近隣から移住してるだけ」って二つの説がある。秘密主義に阻まれたチェルノブイリと違い、比較的に初期から観察できた福島は、重要なサンプルとなっているとか。なんだかなあ。
元は花壇を動物から守るために作られた鉄条網。やがて人間を排除または隔離する道具となり、土地の奪い合いや強制収容所に使われてゆく。我々は歴史を定住民族の視点で見るが、狩猟採集民族の視点で見ると、全く違った風景が見えてくる。
ジャーナリストの著作だけあって、文章は読みやすく、複雑な背景事情の説明も分かりやすい。随所にシェーンやラストサムライなど有名な映画を例にとり、読者に親しみを持たせる工夫も巧い。それだけに内容の厳しさが身に染みて、気分は憂鬱になってくる。受ける衝撃は大きい。心身の調子がいい時に読もう。
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