フランツ・カフカ「カフカ・セレクションⅢ 異形/寓意」ちくま文庫 平野嘉彦編 浅井健二郎訳
ある朝、グレーゴル・ザムザが不安な夢から目覚めてみると、ベッドの中で自分が薄気味悪い虫に変身してしまっているのだった。甲羅のように固い背中を下にして仰向けに寝ており、頭を少しもち上げると、弓形に硬ばった節のつらなる、丸く膨らんだ褐色の腹が見えた。
――変身
【どんな本?】
1883年にオーストリア=ハンガリー帝国内のチェコのプラハに生まれたユダヤ系のドイツ語作家フランツ・カフカ(→Wikipedia)の、中編・短編を集めた三部作の最終巻。完成した小説ばかりでなく、未完の作品やタイトルのついていない断片までも集めた、マニアやコレクター向けの濃いセレクションでもあるが、短い作品から次第に長い作品へと並べた編集は、初心者にもとっつきやすい配慮。カフカの最も有名な作品「変身」を含む。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2008年11月10日第一刷発行。文庫本縦一段組みで本文約307頁+訳者あとがき13頁。9ポイント37字×16行×307頁=181,744字、400字詰め原稿用紙で約455枚。長編小説なら標準的な長さ。
やはり文章は比較的にこなれているが、内要は意味不明な作品が多い。有名な「変身」もそうだが、突拍子もない前提で話が始まり進むので、「とりあえずそういう事にしておこう」と無茶な設定を受け入れる度量が必要。
【収録作は?】
〔「ああ」、と鼠が言った〕/〔猫が鼠をつかまえたのだった〕/〔それは大きな尻尾を〕/〔かわいい蛇よ〕/〔私はもともと蛇に〕/〔それはハゲタカで〕/〔私はここにはっきり表明しておくが〕/新しい弁護士/雑種/〔「奇妙だ!」とその犬は言って〕/家父の心配/〔夕方帰宅してみると〕/一枚の古文書/ジャッカルとアラビア人/〔その村はタミュールといった〕/あるアカデミーへの報告/歌姫ヨゼフィーネ、あるいは鼠の族/〔いかに私の生活は変化したことか〕/変身
訳者あとがき/収録作品索引
〔 と 〕 で囲った作品はタイトルがついていないので、出だしの数語で代用したもの。
【感想は?】
これもよくわからないので、気に入った作品を自分勝手な解釈で紹介する。
- 〔猫が鼠をつかまえたのだった〕
- 猫が鼠をつかまえた。捕まった鼠は猫に抗議する。「いったいどうするつもりなの?」
- たった6行の掌編。この後、猫はどうしたんだろう。コッソリ尾行したんじゃないかな。
- 〔それはハゲタカで〕
- ハゲタカが私の足に嘴を突きたてる。せわしなく私の周りを何度も旋回し、また突き続ける。そこに一人の紳士がやってきて…
- オチはちょっと落語「頭山」(→Wikipedia)を思わせる。
- 〔夕方帰宅してみると〕
- 夕方帰宅すると、部屋の真ん中に巨大な卵があった。テーブルぐらいの高さで、かすかに揺れている。興味を持った私は、ポケットナイフで二つに割った。卵の中から出てきたのは…
- 桃から生まれた桃太郎…とはいかなくて。たぶんカフカは真面目に書いてるんだろうけど、モンティ・パイソンやドリフターズのネタになりそうな、ドタバタ・ギャグの舞台風景が目に浮かぶ。
- 一枚の古文書
- 私は皇帝の宮殿の前の広場で仕事をしている靴屋だ。夜明けに店を開けたら、広場への通りは全部、武装した北方の遊牧民に占拠されていた。
- 古代ローマも、中国の歴史上の帝国も、似たような形で衰退していってる。周辺の蛮族の侵入を許し、やがて蛮族が国を乗っ取る。都市に定住した蛮族は代を重ねるごとに文民と化し、文化的は洗練されてゆく。やがて周辺から蛮族の侵入を受け…。
これは日本も例外ではなく、日本書紀を読むと、古代の大和朝廷は陛下が御自ら軍を率いる武闘派であるように描かれている。しかも、水上の移動が多くて、航海に長けていた様子が伺える。 - 〔その村はタミュールといった〕
- われわれのシナゴーグには、貂(てん)のような動物が一匹住んでいる。2メートルぐらいまでなら近寄れるが、さすがに毛皮にさわることはできない。おとなしく、特に悪さもしない。ご婦人方は怖がっているようだが…
- 貂で画像検索すると、おお、可愛いじゃないか!じゃなくて。この作品の貴重な所は、出だしの数行の推敲のあとが読めること。出だしのインパクトじゃ群を抜くカフカ、やはり相当に力を入れていて、丹念に推敲を重ねていた模様。少しは見習えよ→をれ。
- あるアカデミーへの報告
- 猿であった私の前歴について、アカデミーに報告を提出せよと、貴方がたは求めておられます。しかし、残念ながら、そのお求めに完全にお答えすることはできません。と申しますのも…
- キャロル・エムシュウィラーの「男性倶楽部への報告」(「すべての終わりの始まり」収録)の元ネタ。ちょっとレムのゴーレムⅩⅣっぽい認識論が出てきて笑った。
- 変身
- 目覚めたら、グレーゴル・ザムザは巨大な虫に変身していた。旅回りのセールスマンのザムザ、今日は五時発の列車に乗らねばならない。しかし、時計は既に6時45分。やがて母親がドアをノックし、声をかける。「6時45分だよ、出かけるんじゃなかったのかい?」
- なんか難しく解釈されてる作品だけど、冒頭はギャグそのもの。虫と言っても昆虫じゃなくて、体節の多いムカデやゲジゲジを想像する。で、そんな体になっちゃったというのに、まず考えるのは「うわ、遅刻だ、どうしよう」って、おい、そういう問題じゃないだろ。そんなグレーゴルを見た家族の反応も、やっぱドタバタ・ギャグだよなあ。だんだんと感覚が虫っぽくなっていって、部屋中を心地よさげに這い回るあたりの描写も、軽やかで楽しげだし。
- ちょっと突っ込みを入れると。実はグレーゴルが虫になったとは限らない。私が家族なら、「虫が居る、グレーゴルがいない」って状況は、「虫がグレーゴルを食っちまった」と判断すると思う。ゲジゲジって肉食だし(→Wikipedia)。もしかしたらアレは異星生物で、食ったモノの記憶を吸収するのかも。次第にゲジゲジっぽくなってゆくのも説明つく。他の食物を摂取するにつれ、意識内のグレーゴルの割合が減っていった、とか。
もっと野暮を承知でSF者っぽく考察すると、ゲジゲジがヒトと同じ大きさにまで成長したら、窒息して死にます、たぶん。昆虫やゲジは循環系が未発達なもんで、末端まで酸素や栄養を供給できません。
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