ダニエル・ヤーキン「探求 エネルギーの世紀 上・下」日本経済新聞出版社 伏見威蕃訳
本書を形作っているのは、三つの根本的な疑問である。まず、成長する世界の需要を満たすだけのエネルギーが、今後もまかなわれるだろうか――そして、まかなわれるとしたら、どのようなコスト、どのようなテクノロジーがともなうのだろうか? つぎに、世界が依存しているエネルギー・システムの安全保障は、どのように護られるか? そして、気候変動などの環境問題への懸念は、エネルギーの未来にどのような影響を及ぼし、エネルギー開発は環境にどのように影響するのか?
【どんな本?】
二度のオイルショックは我が国の経済を直撃し、エネルギー政策を大きく転換させた。原油価格は日本経済に大きな影響を与えるが、主な産油国が遠い中東に集中している事もあり、世界的な情勢は今ひとつわかりにくい。
ナイジェリアなど石油資源が豊かな国で、なぜ国民が豊かになれないんだろう? だいぶ前から石油の枯渇が話題になっているが、なぜ枯れていないんだろう? エンロンのスキャンダルは、どういう事なんだろう? なぜ風力や太陽光などのクリーン・エネルギーが普及しないんだろう?
前作「石油の世紀」でピュリッツアー賞を受賞した著者による、20世紀後半から現代にかけての世界のエネルギー事情の変転とそれが政治・経済に与える影響、そして今後のエネルギーの見通しを描く、一般向け解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Quest, by Daniel Yergin, 2011。日本語版は2012年4月2日1版1刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約466頁+422頁=888頁に加え訳者あとがき6頁。9ポイント45字×20行×(466頁+422頁)=約799,200字、400字詰め原稿用紙で約1998枚。そこらの長編小説なら4冊分の大容量。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、特に上巻では1950年以降の世界の歴史をなぞっているので、ある程度の現代史を知っていると、より親しみを持って読める。311の影響も扱っており、タイムリーな内容と言えるだろう。
【構成は?】
上巻 |
下巻 |
基本的に内容は章ごとに独立している。上巻は石油と天然ガスを中心としたエネルギーの現代史、下巻は環境問題や新エネルギーなど今後の見通しを中心とした内容。
【感想は?】
著者の立場は教科書的というか、現在の主流的な立場でエネルギー事情を描いている。
教科書的とjはいっても、そこは商業出版物。数式も分子式も出てこないので理数系が苦手でも充分に読みこなせるし、エンロンなど興味をひく話題をわかりやすく解説し、読者を飽きさせない。基本的にアメリカ人を読者に想定しているが、アメリカ独自の事情もちゃんと説明しているので、我々も充分についていける。
とまれ、多少は突っ込み的な視点もあると、より興味深く読める。特に「第3章 カスピ海の対岸」。
ここでは、中央アジア、特にトルクメニスタンの油田・ガス田開発がテーマだ。目を付けたのはユノカル。問題は輸送ルートで、案が二つあった。一つはロシアを経由するルートで、こっちは既存のラインが既にあるため、安くあがる…反面、トルクメニスタンもユノカルもロシアのご機嫌を伺わにゃならん。
もう一つはアフガニスタンを通ってアラビア海に向かうルート。パキスタンとインドに天然ガスを供給し、「石油の主な市場は日本と韓国だと思われていた」。不穏なペルシャ湾を通らずに済むし、日本にとっちゃいい事だらけなのだ。ところが、肝心のアフガニスタンの治安が安定しない。そこに加え、新市場として中国が急成長している。なら、カザフスタンを通して中国にパイプラインを引けば…
つまりアフガニスタン情勢が不安定だと、中国とロシアと湾岸産油国は嬉しいわけで。タリバンがロシア製の武器を持ち、サウジアラビアからワッハーブ派の宗教指導者が入ってるのは、もしかして…
ってな邪推はともかく、素直に読んでも充分に面白い。例えば第5章では、オランダ病(→Wikipedia)をキーワードとして、産油国で産業が発達しにくい事情を、わかりやすく説明してくれる。
油田からカネが入ると、真面目に働くより分け前を分捕る方が楽で得なんで、腐敗がはびこる。通貨が過大評価され輸出しにくくなり失業者が増え国内産業が衰退する。国内の石油・天然ガス価格は安いから、誰も燃費なんか気にしない。原油価格が高けりゃいいが、暴落したら地獄だ。湾岸諸国みたく少なけりゃどうにかなるが、ロシアみたく人口が多いと…
そう、今のロシアは資源国家なのだ。「輸出による収入の70%、政府の収入の50%、GDPの25%を石油と天然ガスに依存している――そのため、ロシアの経済全体の実績は、石油と天然ガスの価格がどうなるかに過度に結びついている」。
ロシアと共に、本書で大きな存在感を示してるのが、中国。「中国はいまやアメリカに次ぐ世界第二位の石油消費国になっている」ばかりでなく…
2000年にアメリカで売られた新車は1730万台で、中国では190万台だった。2010年にはアメリカで1150万台が売られ、いっぽい中国では1700万台が売られた。
と、世界経済における中国の存在感は急激に増している。同時に世界の石油消費量も増えるわけで、エネルギーの枯渇の恐怖を煽ったところで、第11章「世界の石油は枯渇するのか?」へと続く。なかなか巧みな構成だ。
構成の妙は下巻でも発揮される。上巻に続く「電機時代」で、アメリカの電力業界の誕生と発達からカリフォルニアの電気危機を通し、「適切な規制と市場のバランスが重要」と読者に印象づけ、温室化ガスの排出権取引システムへと繋げてゆく。ここでは全般的にIPCCに好意的だが、クライメートゲート事件など批判も少し載せている。
下巻の後半は風力・太陽光発電やバイオ燃料など石油に代わるエネルギー源に加え、消費側のアプローチとしてスマートグリッドや電気自動車に加え、日本の「もったいない」も紹介している。要は省エネなんだけど。ここで実感するのが、ヒトって奴の飽きっぽさ。
新エネルギー開発の歴史は、意外と古い。理論的には1905年のアインシュタインの論文「光の発生と変換に関する発見的見解について」に遡り、実用でも1958年の人工衛星バンガードで太陽電池を使っている。が、問題は費用と時間。「消費者はコンピュータを3ごとに、携帯電話を2年ごとに買い換えている。電力会社は発電所を50年ないし60年運用しつづける」。
その分、開発にも時間と費用がかかる。アメリカ政府も補助金を出すんだが、この額が見事に原油価格に反比例して極端に増減するおかげで、なかなか継続した研究・開発が進まない。結局、今の所、風力も太陽光も運用は補助金で持ってるようなもんで、例外はブラジルのエタノールと日本の…
有名な応用製品はやはりシャープの発明だった。どんどん安くなり、どこでも見られるようになった。ソーラー電卓である。
ソーラー関係では、緑の党が躍進したドイツと、急激に工業化している中国の関係が興味深い。同じ欧州でも、原子力推進のフランスとは対照的だ。その原子力では、アメリカの原子力発電に海軍が人材を供給してたりする。とまれ、今は原油価格が1バレル100ドル前後なんで、新エネルギーには順風かも。日本経済には逆風だけど。
なんて難しい話ばかりでなく、フォードとエジソンの会話,サダム・フセインの誤算,ハリケーン・カトリーナの影響,シェールガスの歴史と影響,太陽電池の意外な利用法,米軍がバイオ燃料に興味を示す理由などの面白エピソードも満載だ。現代の国際情勢や、日本のエネルギー政策に興味があるなら、ぜひ読んでおこう。
ただ、メタンハイドレートに触れていないのは少し残念。
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